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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2009年10月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第226回

【鏑木 鈴乃(かぶらぎ すずの】

ガラスの靴を履いたネコ。


 時間が飛んだ。

 車の中にいることは、変わらない。握っているハンドルも同じだ。だが、窓の外を流れる景色が変わっていた。

 クラクションが聞こえた。交差点の中。フロントガラスの上端、わずかに見えた信号の色は赤だった。ブレーキは踏まない。踏んだとしても間に合わない。代わりにアクセルをさらに床へ向かって踏みつけた。赤いスポーツカーが、車体の後部をかすめるようにして、走り抜けていった。悪態をつくかのように、何度もクラクションを鳴らしていた。

 頭痛がした。吐き気も一緒だ。どうにか堪えたが、それでも諦めずに上ってきた胃液が、口中に広がった。窓を開け、唾とともに吐き出す。

 視界が暗い。

 目は開いているはずなのに、見えるものが極端に少ない。夜であることが、その一因ではある。だが、それだけではない。強烈な睡魔に襲われているときの状態に似ていたが、眠いわけではなかった。

 赤信号。

 認識はしていた。無視するつもりだったわけでもなかった。だが、ブレーキは間に合わず、そのまま通り抜けた。結果的に、そうなった。無人だったのが幸いだった。

 麻薬の副作用。

 四肢の感覚が、曖昧だった。車を操るために、わずかながらも動いているはずなのに、他人の手足のような気がする。

 吐き気も、消えない。

 悪い夢を見ているようだった。

 片方の耳にはめたイヤホンから、アイザックに背後をとられた男たちの、悲鳴と怒号が聞こえている。どれだけの被害が出たのかは分からなかった。が、静寂でないだけましだ。

 無線から聞こえる無数の銃声と、窓の外から聞こえる銃声が重なり始めた。≪ホープ・タウン≫が視界に入る。

 街灯に群がる蛾のように、≪ホープ・タウン≫の入り口の前には何台もの車が止まっていた。無数の銃声は、そこから聞こえていた。

 クラクションを鳴らしながら、速度を上げた。

 近づく車の群れ。恐怖はなかった。高揚感さえあった。悪い傾向だ。体と同時に、精神も麻薬に蝕まれ始めている。制御できているとは、お世辞にも言えなかった。

 衝撃。

 エアバッグが視界を塞ぐ。ブレーキは踏まない。アクセルを床に押しつける。十秒数えてから、ハンドルを切り、急ブレーキで車を止めた。勢い余って、車の片側が少しだけ浮いた。

 マカロフでエアバッグを打ち抜く。車はちょうど百八十度回転した状態になっていて、フロントガラスの向こう側には、先ほどとは反対側からの景色が見えていた。車の群れの中央にできた割れ目に、人影が一人。アイザック・ライクンであることは、すぐに分かった。奴をいぶり出すために、車の群れを切り裂いたのだ。アクセルを踏む。今度の狙いは、アイザック自身だった。

 フロントガラス越し、アイザックと目が合う。

 新しい玩具を見つけた、子どものような表情を浮かべていた。瞳は輝きを放っていると言ってもいい光を見せている。

 時速は八十キロに達していた。

 衝突。

 音は小さかった。アイザックを捉えきれなかったことが分かる。

 上にいる。

 フロントガラスに突き刺さった、新調したらしい義手で、それが分かった。無機質な手のひらの中央に、穴が開いていた。覗き込むことはしなかった。代わりに、よける。音がして、助手席が弾け飛んだ。残っている部分には、獲物を見つけたピラニアの群れのように、無数の釘が突き刺さっている。

 散弾銃。しかも、釘を詰め込んだ装弾を使っている。

 相変わらず、趣味の悪い男だ。釘を装弾に詰め込んだところで、威力は減りこそすれ、増えはしないのだ。それでも、釘にこだわる。

 何かを打ちつけたいのだろうか。どこかへ行ってしまわないように?

 昆虫の標本を作るときのように? お前はもう、俺のものだと告げるように? そして、自分でもそう認識できるように?

 急ブレーキ。

 車の天井から落ちてきたアイザックの体が、ボンネットで弾む。バランスは崩していない。散弾がさらに助手席を破壊した。無数の釘の攻勢は、運転席の方にも、わずかながら及んだ。マカロフで応戦する。ギアをバックに入れ、アクセル。肘を引っ掛け、ハンドルを回す。ギア。一速、二速。銃声が連なる。運転席側のドアにぴったりと体を付けた。運転席のシートの左半分が吹っ飛んでいた。マカロフの方も、フロントガラスにいくつもの蜘蛛の巣を広げている。

 成果はない。アイザックはぴんぴんしていた。

 だがそれも、ここまでだ。

 フロントガラスの向こう側の景色が狭くなる。進路にあるのは、レンガ造りの古びた建物だった。いつ崩れ落ちても不思議ではない代物だったが、車の鼻先とともにアイザックの体を板挟みにして、破壊するくらいの強度はあるはずだった。

 アイザックが後方の状況に気づいた。

 車内から義手を鷲掴みにした。進路は十分固定されている。ハンドルを握っている必要はなかった。釘の散弾が車内を破壊する。マカロフを撃つ。弾倉が空になる。交換する暇はなかった。

 衝撃。

 視界が飛んだ。息が詰まる。背中が、レンガの壁に叩きつけられていた。建物にぶつかった衝撃で、運転席から放り出されたのだ。シートベルトを締めるべきだった。フロントガラスは割れてしまっていた。ボンネットの上に、義手が転がっていた。

 義手だけが。

 内臓が跳ねた。鳩尾を突き上げられていた。右のショートアッパー。肺から空気が逃げる。ようやく視界にアイザックを見つける。金色の前髪を掴んだが、無意味だった。腹に蹴りが入る。吹っ飛び、路上を転がる。アイザックは義手を拾い、左腕に付けなおした。車のボンネットから地面に下り立ち、乱れた前髪を、再び後ろへ撫でつける。

「また、君か。しつこい女だな」

「一途な女だと言ってくれる?」

「なるほど。だが、その美徳のお陰で君は死ぬな」

「あるいは、あなたが」

 アイザックは頷いた。

「どちらが正しいか、夜が明けるまでには、答えを出さなくちゃね」



 距離を測る。

 暗く沈んだ道路が、長いカーペットのように伸びている。アイザックと、目が合う。

 マカロフの弾倉を交換する。アイザックが、義手の一部をスライドさせる。仕込まれている散弾銃は、ポンプアクション式らしい。

 まだ、撃たない。

 互いに、射程距離ではない。

 一歩一歩、確かめるようにして歩を進める。楕円を描き、道路から歩道へ。視線は、外さない。

 歩道には、褪せた色のタイルが敷かれていた。視界の端で、無意識のうちに、タイルの色と形、そしてパターンを追っている。

 街灯の明かりが、いくつもの影を作っている。影はさまようように、足下の周りをぐるぐると回る。消えては現われ、現われては消える。

 建ち並ぶ、シャッターの閉まった店舗。不良たちが落書きの技術を競うためのキャンバス代わりに使われている場所も、少なくない。

 落書きは、どれも落書きだった。芸術の領域を、わずかでもかすめているものさえ、ない。児戯の域を、脱していない。

 互いを結ぶ線が、道路と垂直に交わる。

 射程距離。

 窓ガラスの割れる音が鼓膜を叩いた。アイザックが散弾銃を撃ったのだ。空に遠く、銃声の残響が聞こえた。

 駆ける。

 逃げはしない。だが、直進もしない。描く円を急速に縮めるように、駆ける。

 引き金を引き続ける。

 縮まる円の中を、銃弾が飛び交う。決定打は、ない。

 歩道から車道へ。車道から歩道へ。

 互いの位置が入れ替わる。

 弾倉が空になる。

 建物の壁を蹴り、飛ぶ。

 アイザックは散弾銃を撃ったばかりだった。銃身のスライドは間に合わない。

 宙で回転。足を突き出す。

 防御のために交差された両腕ごと、アイザックを蹴り飛ばす。

 着地、疾駆。

 肩からアイザックの懐へ体当たり。体勢を戻しながら上半身を捻り、右のフックを脇腹に叩き込む。左のロー、右のハイ。よろけたところに、さらに浴びせるように右のハイ。下半身を回す。糸の切れた人形のように、アイザックの体が飛んでいく。

 空になったマカロフの弾倉を捨てる。

 新しい予備弾倉を装填。

 引き金にかけた指は、引けなかった。

 風。跳ねたアイザックの体が、懐にあった。マカロフの銃口は、遥か先を向いてしまっている。

 息が、詰まっていた。肘が胸を捉えていた。

 マカロフが手のひらから落ちる。落とした、と言ってもいい。

 前蹴りと右の掌底。相打つ。よろめく。

 路面を擦り、踏みしめる。ストレート。

 右と義手の掌底。

 同時。

 ぶつかる。

 釘が拳の中に侵入するのを感じた。

 だから?

 痛みはない。

 拳を振りきる。バランスを崩したアイザックの膝を、真横から蹴り抜く。倒れるアイザック。腹に拳を叩き下ろす。

 今なら、拳で大地を真っ二つに割れる。そんな気がした。

 アイザックの呻き声を聞く。

 気分が良い。非常に、気分が良い。

 続けてアイザックの体を踏みつけようとしたが、かわされた。転がったアイザックは、その勢いを利用して起き上がる。繰り出された左のミドルキック。膝でいなして左からワン・ツー。間を空けてリズムを乱し、がら空きになった脇腹を右のミドルで刈る。飛んでいこうとしたアイザックの足を片手で掴み、振り回す。

 建物の壁や窓ガラスで、アイザックの顔面をずたずたにする。そのままの勢いで、投げる。

 大きな車の側面にぶつかり、地面に転がる。アイザックはそのまま、動かなくなった。

 もちろん、まだだ。

 まだまだだ。

 マカロフを拾い、懐にしまう。そして、歩いていく。

 高揚していた。体が火照っているのを感じる。

 今にも歌い、踊りだしそうな自分を抑える。

 アイザックがぶつかった車は、ここに来るときに使ったものだった。後部座席に、麻薬が入った鞄と、散弾銃が仕込まれた松葉杖がある。鞄を肩から提げ、松葉杖を取り出す。クレッシェンド、デクレッシェンド。

 振り返ったところに、膝が入っていた。捉えられたのは顎。膝が落ちる。腹、顔。容赦なく、蹴りが入る。

 たいした威力はいなかった。

 もはやアイザックの微笑は、彼の顔にぶら下がっているだけと言ってもよかった。いつ消えてもおかしくはない。

 同情してやってもいい。そんな気分になっていた。

 こちらに、痛みはほとんどない。腹に入った蹴りのお陰で、胃液が上ってきただけだ。

 立ち上がり、歩く。

 散弾銃が吼えた。アイザックの義手に仕込まれたものの方だ。散弾は、明後日の方向へと飛んでいった。向けられた銃口を、掌底で受け流したのだ。ぱらぱらと、どこかで建物の破片か何かが落ちる音が聞こえた。

 前蹴り。

 アイザックの体が二つに折れる。鉄製の松葉杖を振る。いや、これはもはや松葉杖と言える代物ではない。歩行の補助のために持っているのではないのだから。棍棒と言ってもいい。あるいは、鎚矛(メイス)。

 左、右。メイスを振り回す。面白いように、アイザックの体が揺れる。再び鳩尾に前蹴りを食らわせ、吹っ飛ばす。

 メイスをスライドさせ、薬室に散弾を送り込み、散弾銃として機能する状態にする。

 道路が爆ぜた。

 銃弾が足下をかすめるようにして、走る。咆哮を聞き、振り返る。見知らぬ少年が、サブマシンガンを撃ちながら、突進してきていた。

 散弾銃の口をそちらへ向ける。

 引き金を引く。

 散弾は少年の体をわずかにかすっただけだった。

 体が揺れる。

 バランスを崩した原因が空にこだましていた。銃声。目の前の少年が撃ったものではない。別の、もっと遠い場所から撃たれた銃弾だ。

 サブマシンガンを抱えた少年が近づいていた。だが、恐れはない。闇雲に撃っているだけだった。咆哮は、彼自身を鼓舞するためのものだ。鼓舞しなければ、引き金を引けないのだ。

 狙撃手に撃たれたのは、左の上腕だった。右、クレッシェンドの銃口を巡らせる。焦りはない。だからと言って、時間をかけたりもしない。丁寧かつ迅速に、照準を合わせる。

 サブマシンガンの弾が数発、体をかすめた気がした。構わず、引き金を引く。

 後ろから、糸で思いきり引っ張られたかのように、少年の体が飛ぶ。

 遠くからの銃声が響いたが、弾は道路で跳ねただけだった。

 走る。

 狙撃手の位置は、考えながら、だ。その場でのんびり思考にふけり、スナイパーライフルの照準を合わせる時間を与えることはない。

 手近にあった中華料理店の窓を割り、中に入る。シャッターは閉じており、明かりも消えていた。人の気配もない。

 撃たれたときの状況を再生する。傷を見て、銃弾がどのような角度で入ったのかを確認する。そのときに、自分のいた場所を思い出す。

 中華料理屋の店の裏口から、狭い裏路地へ出た。隣り合う建物の壁が、顔を突き合わせるかのように、そびえている。ごみ袋の入ったポリバケツを蹴飛ばし、歩き出す。頭の中にある立体地図と、目的地を照らし合わせる。

 そう長くはかからなかった。

 目的地。汚れた黄色の、モルタル塗りの壁。階数はおそらく、四か五と言ったところだろう。錆びた鉄製のドアで塞がれた、裏口があった。鍵がかかっている。散弾銃を二、三発叩き込み、最後には蹴りを入れてこじ開けた。

 耳を澄ませる。

 暗闇に閉ざされた建物の中からは、音は聞こえない。位置を特定された狙撃手が、慌てて醜態をさらすかもしれないと思ったが、案外、冷静らしい。

 パニックで腰が抜けて、音を立てることもできないという可能性もあるが。

 いや。後者はどうやら違うようだ。

 踏み出しかけた足を、戻す。暗闇に、わずか。ほんのわずか、光が反射するのを見たのだ。目をこらすと、ワイヤーが足下に走っているのが見える。ワイヤーの先には、爆弾と思しきもの。

 ブービートラップ。

 これがあるから、狙撃手は冷静なのだ。位置を特定されても、まだ王手をかけられたわけではない。

 ワイヤーをまたぎ、建物の中に入る。すぐ側にロッカーがあり、掃除用具が入っていた。モップを取り、トラップから十分に離れてから、ワイヤーに向けて投げる。

 爆発。

 派手ではない。人を一人、退けることができればいいのだから、当然だった。建物を破壊し、もしかすると自分の命まで危うくするような状況にしてしまっては、本末転倒だ。

 入り口を入ってすぐの場所に、階段があった。慎重に、目をこらしながら上る。音を立てないよう、注意もする。

 クレッシェンドとデクレッシェンドを、いつでも撃てる状態にする。銃身はゆっくりとスライドさせたので、音はほとんど聞こえなかった。

 五つ目のトラップを数えたところで足音を聞いた。階数は、四階から五階へ至ろうとしているところだった。銃口を上方へ向け、階段を、ゆっくりと、一段ずつ上る。

 影が見えた瞬間、引き金を引いた。

 早すぎた。かわされる。

 階段の下と上。手すりの陰に身を潜め、互いに姿を確認しないまま銃を撃つ。火花が踊り、視界が明滅を繰り返す。

 このままでは、埒が明かない。

 壁を蹴り、飛ぶ。一度では、もちろん足りない。対する壁を交互に飛び、宙を昇る。一つ上の手すりに達したところでそれにメイスを引っ掛け、体を持ち上げる。

 狙撃手の横顔を捉える。先ほどと年齢に大差ない、少年だった。横顔がスローモーションでこちらを向き、はっとする。

 遅かった。

 引き金。デクレッシェンドが吼える。少年の体は壁に張りつき、そのまま動かなくなった。いくつもの散弾が少年の体に穴を空け、血の染みを作り、繋げていく。

 アイザックの仲間だろうか?

 多分、そうだろう。

 あの一匹狼に、そんなものができるとは、驚きだった。

 ふと、左上腕が脈を打ち始めていることに気づく。

 それを始まりにして、脈は体中に広がっていく。数多の傷口を駅に、線路を繋げるように。

 脈?

 違う。

 これは、痛みだ。痛みが、帰ってきている。

 魔法の切れる時間が訪れようとしている。

 肩から提げた鞄の中を探った。目当てのものを見つける前に、気配を察知する。

 暗闇の中に光るブルー。瞳のブルーだ。

 隻眼であることを教えるように、その輝きは一つしかない。

 光。

 散弾が発射されたことを告げる光。

 微笑の濃度が戻っていることを示す、真っ白い歯の光。

 宙をちらつく無数の光。

 釘。

 右胸が爆ぜた。麻薬が見せる幻であるように願った。だが、そうではないようだった。

 闇から闇へ、視界が飛んだ。

つづく


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posted by 城 一 at 07:36| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第225回

【鏑木鈴乃(かぶらぎ すずの)】

あーあ。


 街の風景が線になって流れる。

 タクシーの車内。曇った窓ガラスに、相合い傘を描いてみる。傘の下には、何を書けばいいのか分からなかった。

 自分の名前を書いてみる? まさか。不毛だ。

 痛む体をそっと動かして、煙草をくわえ、火をつける。運転手の男が、バックミラー越しに睨んできた。

「こいつは禁煙車なんですがね」

「お客さまは神さま。でしょ?」

「ヤニ臭いと、少々ランクが下がる」

「どの程度まで?」

「天使、かな」

「人間より偉いじゃない」

「確かにそうだ」

 運転手は静かに笑った。低音で、柔らかい声の男だった。それきり、煙草のことは言わない。

 張り合いがない。吸いたくて火をつけたはずの煙草が、味気ないものに変わる。吸い終わるまで待たなかった。半分にも満たない長さを吸ったところで、窓から投げ捨てる。

 後部座席に寝そべった状態のまま、また街を見つめる。体の姿勢についても、男は何も言わない。まあ、どこからどう見ても、絶対安静が必要なほどの怪我人なのだから、当然と言えば当然なのだが。

 既に乗り込んでから、結構な距離を走っている。

 運転手が言った。

「それで、お客さん? どこへ行きましょうか」

「どこへでも」

「予算は?」

「いくらでも」

 バックミラー越しに目を合わせる。運転手の視線に、もう棘はなかった。頭の柔らかい男だ。鈴乃は思った。短気な人間なら、あたしのことをタクシーから放り出そうとしても、不思議じゃない。それくらい、扱いづらい態度をとっている。

「なるほど」

 男は言った。彼の、仕事のための会話は、それで終わった。

 片方の耳には、無線機に繋げたイヤホンが入っている。常時、≪ホープ・タウン≫に突入した仲間たちの情報が聞こえてくる。

 いや。仲間なんかじゃない。

 彼らが戦っているときに、安穏と暖房の効いたタクシーの車内で寝そべっているあたしが、彼らの仲間のはずはない。

 逃げている。

 分かっていた。だが、どうしようもない。

 何かが折れてしまったのだ。自分の望む結果のためなら、いくらでも他者の命を刈り取ることができる。そうあるために必要な何かが、根元から。ぼきりと。

 実際に≪ホープ・タウン≫へ臨むまでは、気づかなかった。戦場となる地下街への入り口を目にして初めて気づいたのだ。

 もう、殺し屋ではない。

 殺し屋にはなれない。

 殺し屋だった自分が、霧散していた。

 殺し屋でなければ、あたしは何なのだろう。自問自答が、いとも簡単に足場を危ういものにする。

 あたしはどこに立っているのだろう。

 あたしは今、何をしようとしているのだろう。

 自分がなくなっていた。

 呆れる。たかが殺し屋でなくなってしまっただけで、自分を失ってしまうなど。風に吹かれれば容易く飛んでいってしまうほど、自分は浅薄な存在だったのだ。浅薄な、女だったのだ。

 少女の頃、他の同世代の少女たちを嘲っていた。普通に生き、普通に笑い、普通に恋をする。そんなものは、氾濫するような暴力や性とは無縁の世界で、守られているからこそできることだ。

 けど、今のあたしは?

 普通の女だ。いや、普通の女に戻りたいと望む、触れれば崩れ落ちそうな女だ。普通。そんなものには、遠く及ばない。

 積み重ねてきた、信じるべきものがない。何一つ。

 どうしようもなく脚が震え、背中に脂汗をかいた。痛みが脈打ち、視界がぐらぐらと揺れた。

 気づくと、手を挙げていた。停まったタクシーの車内に、逃げるように飛び込んでいた。車椅子が倒れるのも気にせずに。

 車椅子は畳んで、運転手がトランクに収めた。

 車椅子と一緒に持っていた松葉杖のことを、最初、運転手は訝った。実際にそれを言葉にもした。だが、答えずにいると、運転手は尋ねるのをやめた。

 優しい男なのかもしれない。

 少し、笑う。

 違う。あたしは、男が欲しいだけだ。すがるものが。そのために、誰でもいい、優しい男に仕立て上げようとしている。

「何か、悩みごとでも?」

 男が言った。

「聞いてくれるの?」

「それくらいできますよ。走る車の中だ。秘密も守りましょう」

「そう」

 悩みごと? また、嘲笑おうとする自分を見つける。そんな言葉で括れるものじゃない。あたしの人生に詰まっているものは。けれど、知ってもいる。まずは悩みごととして括ることから始めなければならないことも。

「男がね」口を開いてみる。何を言おうか、頭の中で整理がついたわけではない。でも、だから? 整理がついた言葉でなければ、外界に出ることは許されないのか?「男がみんな、いなくなっていくの」

「つまり?」

「みんな、死ぬ」

「何があったんです?」

「あたしのせい」

 そう言ったところで、涙が溢れた。

 ちょっと待ってよ、鈴乃。胸の内で、呆れたように声を上げる自分がいる。あんた、会ったばかりの男の前で泣くような、そんな女だったの?

 そんな女だったのだろう。

 声を上げて泣いていた。咽び、視界が涙で埋まり、息が詰まる。もしかすると、このまま呼吸困難で死んでしまうのではないか。そう思うほど、泣きじゃくった。

 記憶にある限り、掛け値なしで一等、無様な泣き様だった。

 タクシーは走る。

 泣いている間、運転手は何も言わなかった。

 気づくと、タクシーは大きな川のほとりで止まっていた。

 涙を拭う。それでも、視界がぼんやりとしていた。原因は煙だ。運転手の男が、煙草を吸っていた。

「禁煙車なんじゃなかったの?」

「そうですよ。こいつも、あたしもね。けど、やめました。あんたのせいですよ」

「ごめんなさい」

「へえ。あたしゃ、てっきり、謝罪の言葉なんて絶対に口にしない類の女だとばかり思ってましたよ」

「あたしも、そう思ってたわ」

「外の空気でも、吸いますか? 煙草も悪くないが、こういう、水の流れる場所の近くは、空気がうまい」

「そうね」

 運転手は頷くと、外へ出て、トランクへ回った。車椅子を取り出すと、後部座席のドアを開く。礼を言い、男の手を借りて、それに乗る。

 川の近くまで、下りていくことはしなかった。人の背ほどの草木が生い茂っている。タクシーのすぐ側で、車椅子に収まり、川が流れるのを見ていた。運転手の男も、隣でタクシーの車体に寄りかかる。相変わらず、煙草をくわえたままだ。

「煙草を吸いながら、川辺の空気を味わえるのかしら」

「確かに」

 男は言った。だが、煙草を吸うのをやめはしなかった。



「みんな、死ぬ」

 言ったのはタクシーの運転手だった。立て続けに三本、煙草を吸ったあとだった。吸殻は、男が靴底で踏み潰した。男は続けた。

「あなたはそう言った。それが、自分のせいだと。でもね、命あるものは、みんな、死ぬ」

「それは知ってる」

「誰か、大切な人間が死んだのなら、その死を背負ってやることは必要です。が、その死に対して、責任を感じる必要はない」

「何が違うの?」

「死が荷物になるか、重荷になるかの違いだ」

「分からないわ」

 男はもう満足したらしい。懐から煙草のパッケージを取り出しかけて、元の場所にしまった。

 いや。煙草を吸わない男が、煙草を持ち歩いているわけはない。男は禁煙をやめたのではない。禁煙に失敗したのだ。それも、また、だろう。何度目の≪また≫かは分からないが。

「ごめんなさい」

 また、謝る。驚いた顔をした男に、説明した。

「禁煙の邪魔をしてしまったんでしょう。何日目だったの?」

「八日目」

 川を見つめる。ゆらゆらと揺れ流れる波が、光を反射している。男が前かがみになり、下から顔を覗き込んできた。

「気にせんでください。今日に始まったことじゃない。また少ししたら始めて、また少ししたら失敗する。あたしの禁煙は、そんなもんなんです。その繰り返しだ」

「嫌気が差さない? 禁煙や、自分に」

「最初はそうでした。でね。自己嫌悪に囚われていると、吸う本数も増えるんですよ。で、もっと自分が嫌になる。負のスパイラルです。だから、やめたんです」

「何を?」

「自己嫌悪を」

「どうやって」

「何のことはない。失敗したとき、自分にこう言えばいいんです。『だからどうした?』。この一言を自分に言う。それで、まるで反省の色がないみたいに、煙草を吸う。そうするとね、本数はそんなに増えない。そして、次の禁煙が始まるまで、そう長くもかからない」

「諦めないのね」

「諦めたら、禁煙はできない」

「どうして諦めないの?」

「それはね」男が真剣な表情を浮かべて、言った。「何となくです」

 思わず、笑った。

「何それ。真剣に聞いた、あたしがバカだったわ」

「一応、真剣にやってるんですけどね」

「でも、適当だわ」

「でも、諦めてない」

 稚拙な言い訳。そう切り捨てることもできた。だが、なぜだかそうしたくはない自分がいた。受け止めて、自分の中に取っておきたい。そう思った。

「あなたはいつか、禁煙に成功するわね」

「いいえ」

 男を見た。男は言った。

「成功したと思ったら、それはいずれ、失敗するということですから」

「なるほどね」少し、笑った。そうしてから、言った。「体が冷えたわ。車の中に戻りたい」

 男は頷いた。彼の助けを借りて、タクシーの車内に戻る。

 男の言葉は分かる。だが、≪ホープ・タウン≫から逃げている自分にも、同じことが言えるのだろうか。

 分からない。言うべきではない、そう思う自分がいる。だが、自信はなかった。

 シートに身を沈める。

 見えない。

 見るべきものが、見えない。

 時間を与えてもらう。そんな権利が、自分にはあるのだろうか? 与えてもらった時間の分だけ、≪ホープ・タウン≫で戦う男たちの命は、余分に失われる。

 運転手が、運転席に戻った。彼は、何も言わずに待っていた。やがて、男に言った。

「出して」

≪ホープ・タウン≫へ、とは言わなかった。

 タクシーは五分も走らなかった。川から離れないうちに、運転手がブレーキを踏む。

 前方を、水牛のようにごつごつとしたSUVが塞いでいた。車を中心にして、少年たちが奇声を上げながら、跳ね回っていた。

 タクシーとの距離は、二、三十メートルほど。道は狭く、少年たちの車両をかわすことはできなかった。同様の理由で、Uターンもできない。

 運転手は、少し待っていた。だが、少年たちがこちらに気づく様子はない。男は溜め息をつき、タクシーから下りた。

 ぶつかりそうになって初めて、少年たちは運転手の存在に気づいた。そして、その後ろにあるタクシーの存在に。騒ぎが、一時的に小さなものになる。

 檻の中の動物を見るような目つきで、少年たちは運転手のことを見つめていた。男は、身振り手振りを交えて、道を譲ってほしい旨を、彼らに伝えようとしている。声は聞こえなくとも、それは分かった。

 手持ち無沙汰になる。音声のない映像から、会話を推測する気にもなれない。煙草を取り出して、火をつけようとした。

 音を聞いた。

 空に響く、乾いた音だった。

 フロントガラスの向こう側を見ると、少年たちの前から、男は姿を消していた。いや、正確には視界の中から、だった。身を乗り出してみると、男はまだ少年たちの前にいた。ただ、足下に横たわっているので、消えたように見えただけだった。

 少年の一人が、黒光りするものを持っていた。

 銃。

 音声と映像が繋がる。先ほど聞いたのは、銃声だ。

 少年たちは、別段、興味もなさそうな様子で、男を見下ろしていた。男は動かない。彼の頭の下を中心に、夜に黒く沈んだ路面が、その黒さを増すのが見えた。頭部を撃たれたのだ。

 責任を感じる必要はない。

 分かっている。だいたい、この状況でどうやって、責任を感じろと言うのだ? 自分に問いかける。が、その一方で分かっていた。また、胸の奥が重たくなったことを。

 責任を感じる必要はない。

 目を細めて、運転手だったものを見つめる。死を感じる。死を感じ、味わって、それがただの死であると思えるまで溶かしてしまおうと思った。食べたものを、胃液で溶かすように。

 笑う。

 それができれば、苦労はしない。

 煙草に火をつけた。シートに身を沈める。少年たちは、タクシーに興味が湧いたらしい。弾むような足取りで近づいてくる。

 車内を覗き込んだ一人と、目が合った。

 金属バット。躊躇はない。派手な音がして、車の窓が割れる。ひとしきり、ガラスの破片をバットの先端でこそぐと、少年は車内に顔を突っ込んだ。

「こんばんは、お姉さん」

 二つの瞳の奥に、性欲を見る。安い性欲だ。

 瞬く間に、タクシーは少年たちに囲まれた。どの瞳にも、性欲が浮かんでいた。煙草を吸い続ける。彼らのからかうような会話に、適当に応じる。意味のない会話だ。聞き取り、咀嚼する必要などない。

 少年の一人が、コートの上から乳房を掴んだ。煙草を吸い続けた。少年の顔に笑みが広がる。許可。少年はそう受け取った。服を脱がされる。抵抗はしなかったが、協力もしなかった。そのことに関しては、少年は何も言わなかった。セックスのことしか頭になくなった少年は、乱暴ではあるが、同時に従順でもあった。性欲を満たす行為に必要なことしかしない。

 車内を漁っていた少年の一人が、≪目薬≫を見つけた。少年の目が輝く。知っているらしい。彼は言った。

「お姉さん、これって」

「≪シンデレラ≫。あるいは、≪ガラスの靴≫よ」

 カモネギってやつだぜ。と言った少年がいた。言わせておいた。

「あたしね、≪ガラスの靴≫を履くと、普通にするよりも、もっと気持ちよくなれるの。履かせてくれる?」

 少年は頷いた。茶色いレンズのサングラスで、前髪を留めた少年だった。頭の中にはもう、セックスのことしかない。仲間から目薬と、それと一緒に見つかった注射器を受け取る。

 扱いには、慣れているようだった。躊躇もない。

 注射針が、肌に穴を開ける感触。体の中に、わずかな痛みとともに、何かが侵入するのを感じる。侵入したものは熱に変わり、血流に乗って腕を伝う。

 深く、呼吸した。

 服が脱がされる。包帯だらけの体と、下着姿になる。サングラスをカチューシャ代わりに使った少年の表情が、微かに曇った。

「DVとか?」

「痛いのが好きなのよ」

 サングラスの少年は、上半身裸になっていた。腰に、黒色の回転拳銃を差している。タクシーの運転手を撃った張本人だった。少年は舌なめずりをした。

「俺も好きさ」

「痛いのが?」

「痛くするのが」

「気が合うわね」言う。「でも、包帯とかは取らないでね」

 少年は頷いた。下着だけが剥ぎ取られる。包帯やガーゼがあてられている以外は、体を隠すものがなくなる。冷気が、より身近に感じられる。

 薬がもたらした熱が、体内を一周した。ひんやりとした空気が遠くなる。代わりに、熱だけがあった。

 手を伸ばす。

 少年が、醜い呻き声を漏らす。

 喉仏ごと、少年の首を鷲掴みにしていた。

 責任を感じる必要はない。

 運転手の言葉を思い出す。

 それはもう、ただの言葉だった。

 体が浮き上がっている。そんな感じがした。体が、解き放たれている。辺りにあるのは夜なのに、外界を包むのは相変わらず黒い色なのにも関わらず、光を感じる。明るい。なぜだか分からないが、明るい。

 少年の顔面が赤黒く染まる。手に、さらに力をこめた。少年の手が動く。腰に差した回転拳銃を目指していた。

 先手を取り、回転拳銃を奪う。

 少年の額に、銃口を突きつける。

 ばいばい、鈴乃。引き金を引く。

 普通の女? そんなもの、まっぴらごめんだ。あたしは飛猫。殺し屋だ。人を殺してなんぼの女だ。

 血が散る。

 当然だ。あたしは吸血鬼。牙を持たない吸血鬼。銃で、ナイフで、人の命を奪い、それを啜って生きてきた。

 車内に、抵抗を試みる者はいなかった。皆、逃げ出すか、タクシーの車内で壁にひっつき、震えていた。どうやら、銃を持っていたのはサングラスの少年だけだったらしい。

 笑える。

 愚か者どもめ。

 責任を感じる必要はない。

 当然だ。

 少年たちの頭、胸、背中に狙いをつけ、引き金を引いていった。弾はすぐに尽きた。サングラスの少年は、予備の弾を持ってはいなかった。タクシーから降り、トランクを開ける。松葉杖を取り出す。

 あたしは、飛猫。

 夜空に向かって鳴いてみた。猫だから。

 夜風を受けて、他よりも冷気を感じる部分を、頬に見つけた。細く、筋のようになっている。手の甲でそこを撫でる。水が付いた。涙だ。

 誰が流した涙だろう。

 分からなかった。

 少なくとも、あたしのではない。

 跳躍。走って逃げていた少年の一人。その背中に着地する。散弾銃の引き金を引く。命が爆ぜる。

 あーあ。

 誰かが言った。誰でもよかった。



 首の骨を折った。それが、最後の一人だった。

 川原には、死体が散らばっていた。死臭は、あまりしない。時間が経てば、状況は変わるだろうが。

 体が軽かった。軽すぎるほどだ。

 月にいる気分。自分だけ、課せられる重力が割り引かれているような感覚。

 タクシーに火を放つ。少し待つと、炎は二メートルほどの高さにまで燃え上がった。死体を集め、炎の中へと放っていく。最後に、タクシーの運転手だった男を引きずった。

 身分証明書を見ればよかったな。ふと、思った。助手席の前面にあるはずのやつだ。それを見れば、彼の名前が分かった。

 財布を探せばいい。そう気づいたが、そのときにはもう、男の名はどうでもよくなっていた。

 男の死体も、炎の中へ放った。

 責任を感じる必要はない。

 分かっている。

 麻薬の入った鞄や衣服は回収していた。服は元通りに身に付け、鞄は、松葉杖とともに、少年たちが乗っていた黒いSUVに乗り込みながら、助手席に放った。

 いつの間にやら、無線から聞こえてくる音声が騒がしくなっていた。逼迫した声が、アイザック・ライクンの名を叫んでいる。

 車の向きを変え、アクセルを踏む。進行方向に、燃え盛るタクシーがあったが、そのまま進路を取った。突っ込み、無理矢理に障害物をよける。タクシーは道路から外れ、草木の生い茂る斜面を滑り、川岸へ転がった。

 アクセルを踏んだ。

 気分が良い。とてつもなく。

 ガラスの靴は手に入れた。あとは、王子さまを見つけるだけね。

 ラジオをつけ、音量を最大にした。流れてくる音楽に合わせて口笛を吹く。

 また、男が死んだ。

 でも、だから?

 あたしは殺し屋。死と隣り合わせ。そういう世界に生きる女。いまさら誰かが死んだからと言って、嘆く必要はない。

 アクセルを踏む。

 車は、走るためのものだ。ブレーキなんて踏んで、どうすると言うのだろう?

 バックミラーを見た。女が笑っている。

 知らない女だった。

つづく


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2009年08月20日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第224回

【山河 将平(さんが しょうへい)】

花束.


 慎重に、喉を鳴らした。

 緊張していた。まるで、体の中に大量の砂を流し込まれたかのようだった。体中の水分が奪われていく感覚。だが、いくら唾を飲んでも、その渇きは癒えない。

 壁にぴったりと背中をつける。

 迷路のような裏路地の中にいた。身を寄せるようにして建ち並ぶ建物たちが、意識せずに作った代物だ。路地はどんなに広くとも、軽自動車一台を数センチの余裕を持った状態でしか、受け入れることはできない。狭い場所では、車などもってのほか。人間ですら、体格によっては通行が危ぶまれるほどだった。最も、それほどまでに狭い路地を、路地と呼んでいいのかさえ怪しいが。もはやその狭さの路地は、ただの隙間と呼んだ方がしっくりくる。

 足が、勝手に見つけたレンガの欠片を蹴る。わずかな音がしただけで済んだが、それでも山河は自分の足に向かって殺気を放った。

 おい。今の状況がどんなもんか、分かってねえらしいな、てめえ。

 胸の内で、そんな言葉を吐く。

 手のひらで額を拭う。じっとりと、脂汗でぬめっていた。そのまま、オールバックにした頭も一緒に撫でる。煙草が吸いたかった。だが、ここは風上。火をつけるということは、自分の存在を相手に知らせるということだ。

 イコール、死。そう考えて差し支えない。

 スローモーション。いや、コマ送りほどの速度で、数歩先に広がっている十字路へと顔を出す。レンガの欠片を蹴ったことで生じた音は、相手には聞こえていないようだった。先と変わらない、敵の背中がある。

 男の格好は既に確認していた。

 真っ白なタキシード。その上に、黒いロングコートを着た男。右目は眼帯で覆われており、左袖はだらしなくだらりと垂れている。中身がないからだ。男の左腕は、肘の辺りから先が失われているのだ。

 名前は、アイザック・ライクン。

 シドを、いつ起きるかも、もしかするともう目を覚まさないかもしれない眠りに追いやった男。

 男の背中は、数メートル先をゆっくりと進んでいる。

 その顔には、絶対に剥がせない仮面のように、微笑が貼りついている。背中しか見えなくとも、その表情は鮮明に頭に浮かんだ。まるで、彼を取り巻く世界全てが喜劇だとでも言わんばかりの微笑だ。

 そして、絹のような柔らかさと金属のような輝きを見せる金髪。絶対零度の碧眼。

 唾を飲む。

 胸に抱えたポンプアクション式の散弾銃の薬室には既に、銃弾を送り込んである。あとはタイミングを計って、引き金を引くだけの状態だ。

 呼吸を整える。

 礼拝堂で、キリストの像を前に、シスターが組み合わせる両の手のひらを思い出す。

 似ているな。ふと、そう思う。共通点が何なのかは分からないが、似ている。今の俺にとっての散弾銃と、シスターにとっての、組み合わせた両手。

 俺は、祈りたいのか?

 誰に?

 分からない。シド? 違う。残してきた女か?

 かもしれない。恐らく、行けば生還はできない死地へと向かう山河を、涙で潤んだ笑顔で送り出した女。お守り代わりにだとか言って、新しく買った黒革のジャケットを渡された。

 派手なシャツの上。ジャケットの襟を寄り合わせる。散々、壁に擦って、ジャケットの背中は汚れてしまっているだろう。

 まったく。口許が緩む。お守り代わりだと言うのなら、防弾チョッキでも寄越しやがれ。

 もっとも、防弾チョッキは支給されたものがあるのだが。

 もし、生きて帰ることができたら、女を裸にして、その上にこの黒革のジャケットだけを着せて、腰が抜けるほど抱いてやる。そんなことを思う。何ならそのついでに、プロポーズをしてやってもいい。女は何より、宝石より、金より、その言葉を欲しがっていた。

 無線が何かを言っていた。イヤホンを外す。集中の邪魔だ。奴は。アイザック・ライクンは、俺が殺す。≪ホープ・タウン≫へ向かう途中、偶然、あの背中を見つけたときから、そう決めていた。

 万全の状態の奴ならば、分からない。だが、今は武器となっていた左の義手を失っているのだ。

 しかし、なぜ奴は外にいたのだろう。

 アイザック・ライクンは≪ホープ・タウン≫の中にいる。そうされていた。リタ・オルパートの側を奴が離れるはずはないからだ。

 ならば、リタ・オルパートも外にいるのか? ならば、バーバーとかいうガキが執心していた風際慶慎はどこにいる?

 憶測が呼ぶ憶測。首を振り、やめた。考えたところで、答えなど出はしない。

 一つ。ヒントになりそうなものがあるとすれば、アイザックが胸に抱えた紙袋と、赤い薔薇の花束だった。暗くてはっきりとは見えないが、紙袋からは、全く切っていないフランスパンのようなものと――恐らく、フランスパンなのだろう――酒瓶の先端に見えるものが飛び出している。

 買いもの。ただそれだけのために、≪ホープ・タウン≫の外に出たのか?

 常人ならば、考えられないことだ。だが、アイザック・ライクンの来歴を聞く限り、あり得ることではあった。常人の思考など、平然と踏み外すような男だ。

 頭を使いすぎた。そう思った。相手との距離を縮めるために、音を殺しつつ、通路に滑り出してから、気づいた。自分が目の前の男から注意を逸らしていたことに。

 足が止まる。

 アイザックが微笑んでいた。

「撃たないのかい?」

 既に機を逸している。だが引き金を引いた。それ以外にどうできる?

 聞こえたのは銃声だけだった。誰の悲鳴も聞こえない。視界の中にはアイザックの姿はなく、薔薇の花びらだけがひらひらと舞っていた。

「なるほど」

 上。

「てっきり、君は僕を殺したいんだと思っていた。分不相応で理解しかねていたんだ。だって、そうだろ? 君が僕を殺すなんて、そんなの。宝くじを買って、億万長者を夢見るよりも無謀な話なんだから。でも、分かった。僕を殺したいんじゃなくて、僕に精神的な苦痛を与えるのが目的だったんだ。なら、成功したよ。おめでとう」

 アイザックは変わらず微笑を浮かべながら、瞳にだけ悲しみをたたえ、薔薇の花束を示した。正確には、花束だったものを。彼の手元で、花束は弾けたあとのクラッカーのようになっていた。残っている赤い花弁は数えるほどしかない。

 重力。それを軽々と無視して、アイザックは宙にいた。建物の壁と壁の間。自らの背中と片足をつっかえ棒のように使って。かなりの筋力を使っているはずのその体に、強張りは見てとれない。

「せっかく、リタのために買ってきたのに」

 興味をなくしたかのように、アイザックは花束だったものを放った。山河の視界目がけて落ちてくる。それを狙って、散弾銃を撃った。

 吹っ飛んだのは、花束だけだった。

「それとも、何かい? 君は薔薇の花束に何か、恨みでもあるのかな? 親の仇だとか?」

 前方。

 アイザックは壁に背中を寄せるようにして立っていた。紙袋は相変わらず抱えたままだ。視線は、山河に注いですらいない。

 引き金を引く。

 銃弾は空へと吸い込まれていった。アイザックの手が、まるで女の脚に手のひらを這わせるかのように、散弾銃に触れ、その銃口を上空へと逸らせていた。

「さあ、頭を働かせるんだ」アイザックは言った。「どうやったら、楽に死ねるのかを、ね」

「その必要はない」

 散弾銃を放すと同時に、アイザックの鳩尾に蹴りを入れる。その反動を利用して後方へ転がり、懐から匕首を抜いた。アイザックは新しい花束を得たかのように、散弾銃の銃身を掴んだままだ。

 匕首を突き出す。

 狙ったのは心臓だ。紙袋が邪魔をしたが構わない。そんなもの、盾になどなるわけがない。

 盾になど。

 硬い金属の感触と音。それが教える。アイザックが胸に抱えていた紙袋は、十分に盾になり得たのだと。匕首は紙袋を切り裂いたものの、その中身を切り裂くことまではできなかった。

 フランスパンだ。

 いや、違う。ベージュの布に包まれた、義手。

 視界が揺れる。鳩尾を蹴り返されていた。が、受けたダメージが違う。二度、三度、バウンドし、地面で体を擦ってから、ようやく止まることを許される。胃の中ものをありったけ、その場にぶちまける。

「脆いなあ」

 アイザックの声は呆れていた。白い靴が、開いた距離を一歩ずつ詰める。その音とリズムに、焦りは微塵も感じられない。

 匕首が手の中から失われていた。視界の中にも、見つけることができない。

 耳元で足音。

 反応は間に合わなかった。音もなかった。ただ、視界が飛ぶ。地面から壁、空を巡り、また地面へと戻る。

「でも、君にとっては良いことかもしれないね。これくらい脆ければ、頭を働かせる必要もない。すぐに壊れる」

 やっとの思いで体を転がし、アイザックを見た。産声を上げたばかりの義手が口を開いている。

 銃声。

 左脚が壊れる。

 見ると、数えきれないほどの釘が、左脚に突き刺さっていた。いや。脚と呼んでいいのか、ためらわれるような状態になっていた。もはや、無数の釘が打たれた肉塊と言ってもいい。

 また、銃声を聞く。

 アイザックの義手だ。中に銃を仕込まれている。恐らく、散弾銃が。

 右脚が壊れる。

 無線だ。

 身に付けているはずの無線を探す。助けを求めるためではない。アイザックが≪ホープ・タウン≫の外にいることを知らせなければならない。そうしなければ、挟み撃ちになる。

 体をうつ伏せにして、這う。アイザックから逃げると同時に、手に取った無線を奴の視界から隠すためだ。だが、無線機を耳にあてようとした瞬間、無線を掴んでいた右手が弾けた。大量の釘に破壊される。

 アイザックを振り返る。

 微笑の濃度に変わりはない。

 思わず、自分も笑う。

 女は、形見になってしまった黒革のジャケットを見て、泣いてくれるだろうか。そんなことを思う。

 銃声を聞く。

 また、体のどこかが壊れた。だがもう、どこが壊れたのかは分からなかった。


つづく



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2009年04月21日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第223回(2版)


わざわざ言わせるな。


 バーバーから、連絡が入った。

 警察を引きつけることに、成功した。無線機の向こう側で、バーバーはそう言っていた。

 餌に食いついたのは、浦口という刑事と、その息がかかった仲間たち。多く見積もっても、三十人くらいだろうか。バーバーはそいつらを金魚の糞のように引き連れて、街の中を走り回る。

 バーバーを追う浦口たちは、カナジョウ市警の全てではない。あくまでも、一部に過ぎない。だが、小さくない一部だった。市警の戦力を削り取ったことに、変わりはなかった。

 それに、警察組織も、一枚岩ではない。《ミカド》に与する者も、少なからずいると言う。その上、バーバーだけを追いかけていればいいというわけではないのだ。犯罪に手を染める者は、大なり小なり、他にもたくさんいる。市民の安全を守るためには、偏向することなく、犯罪に立ち向かわなければならないのだ。

 おまわりさんも、楽じゃない。

 バーバーからの無線連絡は、陽動の成功を報告したあと、すぐに切れていた。

 街を舞台にして、法の番人たちを相手に、カーチェイスを繰り広げなければならないのだ。余計な話をしている暇はないのだろう。

 リヴァは、瓶から直接、ウイスキーを舐めた。

 酔いを求めたのではない。尖りすぎた神経を鎮めたかっただけだ。放っておけば、《ホープ・タウン》に突入する前に、神経が折れる。
そう思ったのだ。

 リヴァは、車の中にいた。助手席にはダンク。

 ダンクは、脇目もふらずに、買ってきたばかりの牛丼弁当をかき込んでいた。もう、何杯目になるのか、分からない。最初の一杯でないことだけは、確かだった。ダンクの膝元には、空になったプラスチック製の丼が、積み重なっていた。

「食いすぎるなよ。動けなくなる」

「エネルギー切れで動けなくなる方が、心配でね」ダンクは言った。

「そっちこそ、飲みすぎるなよ」

「言わずもがな」

 リヴァたちの乗った車は、潰れたガソリンスタンドの中に、止まっていた。

 封鎖するために張り巡らされていた鎖は、切断した。誰かに見咎められたときのための言い訳は、用意してある。だが、必要はなさそうだった。スタンドの周辺に、人通りがない。

 スタンドにいるのは、リヴァたちだけだった。他の仲間たちは、それぞれ、街中に散っている。

 バーバーが警察を《釣る》のに失敗したときのためにかけておいた、保険だった。一ヶ所に集まっていなければ、一網打尽にされることはない。

 リヴァはまた、ウイスキーを舐めた。

「すまん」

 自然に出た言葉だった。ダンクの視線を感じた。視線を感じる方へ、顔を向けないよう、注意した。目を合わせれば、思考を読まれる。そう思ったのだ。自分でも今、どう動いているのか分からない思考を。やはり、酔っているのかもしれなかった。

 ダンクが言った。

「今、謝ったのは、お前か、リヴァ?」

 ダンクの口調には、少しだけ、からかうような響きがあった。それはそうだろう。リヴァは思った。リヴァは、滅多に、謝罪の言葉を口にはしない。

 リヴァは頷いた。

「そうだ」

「何に対して謝ってるのか、分からないな」

「今回、俺は、散々わがままを言った」

「ふむ」

「ひどいことを言った」

「特に、バーバーに」

「冷たい態度をとった」

「爆弾の爆発から、身を挺してお前を守った俺に、お前は何の言葉も
かけなかった」

「すまん」

 視線を落とした。汚れた靴先が目に入った。

「なあ、リヴァ」ダンクは言った。「謝るってことは、どういうことだ? 相手に、自分の考えていることに対する理解を求めることだ。違うか?」

「違う、俺は」

 視界が揺れ、一瞬、暗くなった。ダンクに殴られたのだ。鋼鉄製の手甲をはめて作った拳で。力の加減などなかった。

「違わない。いいか、リヴァ。俺やバーバーは、お前の考えを理解して、あるいは理解するために、行動をともにしてるわけじゃないんだぜ?」

「じゃあ」

「俺たちはただ、お前のわがままを受け止めただけだ。理解なんかしちゃいないし、するつもりもない」

「なら、どうして何も言わずに、俺に協力してくれる」

「分からないか?」

「だから訊いてる」

「なるほど」

 拳が来る。予感があった。だが、かわさなかった。文字通りの鉄拳が、頬をえぐる。

 ダンクが言った。

「ダチだからだ。わざわざ言わせるな、馬鹿」

「すまん」

 自分で吐き出した謝罪の言葉が、涙を連れてこようとした。頬が熱い。やはり、酔っているのだ。

「吐いた唾は、飲むなってやつさ」ダンクは言った。「お前は、わがままを言った。俺たちは、そいつを受け止めた。お前は俺たちに、借りを作ったんだ」

「どうすれば返せる?」

「簡単だ。引き返すことも、振り向くこともせずに、ただひたすら、自分が吐いたわがままを貫けばいい」

 リヴァは、自分の口許が、わずかに緩むのを感じた。ダンクがこれほど多弁になるのは、珍しいことだった。ほとんどないと言っていい。特に、真面目な内容の話に関しては。

 兄弟と呼べる仲でも、まだ知らない一面はある。そういうことだった。

「泣けるね、まったく」

 リヴァは言った。

「その割には、目の縁に涙が溜まる兆候は見えないな」

「比喩的表現さ」

「比喩的表現なら、いくらでも聞こえのいい表現ができる」

 リヴァは、ダンクを見た。

「お前、結局、俺のわがままを根に持ってるんだろ」

 ダンクはにやりと笑った。

「どうかな」

「感動して損した」

 リヴァはウイスキーを舐めた。ダンクが、俺にもと言った。瓶を渡してやる。

 時計を見た。バーバーの連絡があってから経った時間を、計算する。

 頃合だった。

 ダンクからウイスキーの瓶を返してもらい、グローブボックスの中にしまう。ギアを入れ、アクセルを踏み込む。

 戦場に臨む。そのことがもたらす刃のような緊張感は、いくらか丸くなっていた。酒のせいではない。助手席に座る、無二の親友のお陰だった。

 いや。リヴァは思った。同等の存在は、もう一人いる。無二の親友という表現は、的確ではないのかもしれない。

 リヴァはひとり、喉をくっくっと鳴らして笑った。ダンクに、気持ち悪いと言われた。気にせず、少しの間、笑い続けた。

 笑いが収まったあとで、リヴァは言った。

「ありがとな、兄弟」

「いいってことよ」

つづく




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2009年04月15日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第222回(4版)


釣り.


 倉庫が揺れた。

 あらかじめ仕掛けておいた爆弾が、爆発したのだ。

 動揺し、バランスを崩した浦口の手を捻り、回転拳銃を奪う。顎に肘打ち、膝に蹴り。下がった浦口のこめかみに、銃把を叩き込む。大した力はいらなかった。波に乗るようにして、浦口の体の中を移動していく重心に打撃を打ち込む。必要なのは、それだけだった。浦口の体は、いとも簡単に地面に転がった。

 浦口の額に銃口を突きつけた。

「撃つ、のか?」

「どうかな」

 浦口の体を探る。スラックスの下、足首の部分に、小型の自動拳銃があった。手のひらの中に、すっぽり収まるサイズ。取り上げ、懐に入れる。そして、言った。

「どんな気分だ、浦口?」

「ここは包囲されてる。さっき、そう言ったぜ」

 倉庫正面のシャッターが開いた。シャッターの向こうには、数えきれないほどの警察官とパトカーが並んでいた。無数の銃口と、視界を惑わせる赤色灯。従業員用の出入り口からも、警察官がなだれ込んでくる。

 瞬く間に、警察官たちが作った半円に囲まれていた。浦口を見る。

「みなまで言わせるなよ」

 浦口は言った。

 バーバーは両手を挙げた。銃口を下げ、引き金の部分を指先に引っ掛けるようにして、ぶら下げる。浦口は、仲間を制するようにして、彼らに手のひらを突きつけながら、立ち上がった。そして、手のひらを拳にして、右フック。殴られた衝撃で回転拳銃を取り落としてしまったが、倒れなかった。体重の乗っていない一発。打ち倒そうとしたのではない。挑発が目的だった。それでも、唇が切れたらしい。口の中、舌先に、血の味を感じた。浦口は回転拳銃を拾い、まるで握手でも求めるかのように、片手で構えた。

「安心しろ。お前が終わったらすぐに、お仲間たちの方も始末してやる」

「まいったな。浦口、僕はまだ終わるつもりはないんだ」

 携帯電話を操作した。また、起爆装置を作動させたのだ。爆弾が爆発し、倉庫が揺れる。我慢できなくなった警察官たちが、銃を撃ち始める。が、彼らの手は動揺していた。銃弾はバーバーの体にかすることなく、明後日の方向へと飛んでいく。バーバーは踊るようにして、神田が待つ車内へと戻った。

「出せ。バックだ」

 神田は眉間に皺を寄せた。

「後ろには壁がある」

「電話でアポをとるから、問題ない」

 携帯電話を操り、起爆装置を作動させた。倉庫の壁が吹っ飛ぶ。できたての退路の先に、邪魔者はいない。タイヤを軋ませながら、倉庫を抜け出す。フロントガラスの向こう側が、砂埃で見えなくなった。少しして、それが晴れる。

 無線機が音を発した。浦口の声が聞こえてくる。

『止まれ。でなければ、《ホープ・タウン》を封鎖する。お前の仲間は、《アンバー・ワールド》とやり合うことができなくなる』

 マイクをとった。無線機の向こうにいる浦口の表情を想像する。自然と少し、口許が歪む。

「ほう? それでは、浦口。あなたたち警察が、《アンバー・ワールド》を制圧してくれるということかな? 銃で武装した数百の、あなたが言うには――僕も同意見ではあるが――《頭の軽い》連中を?」

『そういうことではない』

「なら、どういうことかな? 彼らと接触することなく、《ホープ・タウン》を封鎖することは不可能だろう? 対話による平和的解決を試みるつもりかな? 会談の場を持つことすら困難なように、僕には思えるが。そちらには何か、勝算がある? それとも、警察と《アンバー・ワールド》の間には、何かつながりが」

『そういうことではない』

「なら、浦口。どういうことなのかな?」

 浦口は何も言わなかった。沈黙が馴染むのを待ってから、わざと大声を出して笑った。運転席で、驚いた神田がぎょっとした表情を作る。

「浦口、あなたって人は。今のは冗談だったんですね? まったく。こんな状況で、そんな冗談を言うなんて。肝が据わっているというか、思考回路がぶっ飛んでいるというか」

『違う』

 口許が歪む。バックミラーの中で、自分の目が、得物を捕えた猛禽類のような光を放っているのが見えた。マイクに向かって言った。

「浦口。まさかとは思うが、あなたほどの人が、感情に任せてものを言ったのではないでしょうね?」

『そうではない!』

 無線機の向こうから、怒声が返ってくる。バーバーは助手席にふんぞり返って、脚を組んだ。浦口の声に含まれた熱量は、全く不快ではなかった。むしろ、心地良くさえ感じた。何しろ、相手の感情が、こちらの手のひらの中にすっぽりと収まったのだ。

「では、どういうことなのかな、浦口」

『黙れ』

「浦口。それでは分からない」

『殺してやる。お前は、必ず。俺の手で』

「こわーい」

 無線が切れた。銃声が聞こえ、弾痕が車のボンネットの上を走る。浦口が運転する車が先頭なり、警察車両の集団が追いかけてきていた。けたたましいサイレンの音、そして光とともに。

「釣れた、釣れた」バーバーは言った。

 神田はハンドルを回し、バックしていた車を、百八十度回転させた。車の鼻先を進行方向へと向けて、アクセルを踏み込む。

「長い釣りだったな」

「まだ終わっていませんがね」

「連中が疲れ果てるまで、泳がせなきゃならない」

「あるいは、踊らせなきゃならない」

「忙しい夜になりそうだな」

「それは、保証しますよ」

 バーバーは神田と入れ替わり、運転席に座り、ハンドルを握った。

 リヴァのことが、頭に浮かんだ。

 お膳立てはした。あとは、親友の武運というやつに託すだけだった。

つづく




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2009年03月03日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第221回(2版)


ダンスへの誘いは、少々強引なくらいが良い。


 磐井の煙草は、吸わなくなった。甘い煙はやはり、性に合わなかった。煙草の収まったパッケージはおそらく、懐の中でくしゃくしゃになっている。それでいい。吸うことではなく、そこにあることが大事だった。

《ホープ・タウン》への突入のための準備は終わった。全員、所定の配置についていた。あとは、時間を待って、合図をするだけだ。

 バーバーは車の中にいた。場所は、使われなくなった倉庫。運転席には、神田がいた。目の前にある警察用の無線機を、じっと見つめている。無線機は少し前から、何の情報も流さなくなった。電源を入れても、淡い砂嵐のような音しか発しない。神田は無線機を叩いた。

「壊れたわけじゃありませんよ」

「だが、何かがおかしい」

 神田と目が合った。神田は片方の眉をぴくりと動かした。何かを感じ取ったのだ。

「何か、あるのか?」

「これから、《ホープ・タウン》への突入がある」

「それ以外に何かあるって顔だ」

「頭の切れはいまいちだが、勘の方はそうでもないらしい」

「てめえ」

 従業員用の出入り口が、軋むような音を発しながら、開いた。使われなくなってからの長い年月が錆になり、扉の開閉を妨げていた。扉から入ってきたのは、浦口だった。浦口は勝ち誇り、それを味わうかのように、一歩一歩、ゆっくりと歩いた。神田が言った。

「どうしてあいつが」

 浦口は倉庫の中央に立ち、丹田の前で手を組んだ。口許には、笑みを浮かべている。

「エンジンは切らずに。いつでも発進できるようにしておいてください」神田に言い、車を降り、浦口の正面で車のボンネットに腰掛ける。「こんばんは、浦口。どうしたんですか? あなたがここに来るなんていう脚本を書いた覚えはないが?」

 浦口は言った。

「お前たちを、逮捕する」

「その台詞は少し、脚本から離れすぎちゃいませんかね、浦口?」

「なに、こいつは俺の脚本通りの台詞さ。お前の脚本に書かれていなかっただけだ」

「誰かが連絡を怠ったようだ」

「いや。誰も怠っちゃいない。書くのを忘れたんじゃなく、書かなかったのさ」

「つまり?」

「つまり、お前の陽動(ダンス)に付き合うつもりは全くないということだ」

「最初から、そのつもりだった」

「そうだ」

「これはこれは。警察は常に、嘘つきを相手にしなきゃならないと聞きますが、朱に交われば赤くなるというやつですかね」

「毒を持って、毒を制す。犯罪者は、自分の身を守るためなら、どんな嘘でもつくからな。自然と、対抗手段が講じられるわけさ」

「毒を持って、毒を制す、ね。僕も全く同意見ですよ、浦口」

「残念だったな」

「それで? 《ホープ・タウン》の中で、蛆のようにわいている《アンバー・ワールド》の連中はどうするんです? 僕らを逮捕すれば、あそこを掃除する人間がいなくなる」

「《ホープ・タウン》は、放っておく」

「ほう? 連中は今や、軽く警察を凌ぐ銃器を手に入れているというのに?」

「所詮は、頭の軽い連中さ。だからこそ、簡単に集まる。だが、イージー・カム・イージー・ゴーというやつさ。簡単に集まったものは、簡単に消失する。お前らの手を借りる必要はない。やつらはいずれそのうち、勝手に共食いを始める」

「たとえ共食いを始めるのだとしても、それまでに被害者が出るかもしれない。実際、あそこに監禁されて、レイプされている女の子だっているんだ。虐待されている者も」

 壊れてしまった慶慎を写した写真が、頭に浮かんだ。

「多少の痛みは覚悟している。仕方ないさ」

「他人事だから、そう言える。それに、やつらが共食いを始めるとは、僕には到底思えない」

「見解の相違だな」浦口は周囲を見回した。「さて、他の連中はどこに隠れてる?」

「なぜ、仲間たちが全員、ここにいると?」

「お前が少し前に、そう言ったからさ」

「確かに僕はそう言ったが、あなたの前でじゃない」

「そう。つまり」

「つまり、盗聴器を仕掛けたのさ。お前にやった警察用の無線機にな、ですか?」

 浦口の表情が引き締まった。確信していたものが、自分が思っていたほど、信頼に足りるものではなかったと気付いたのだ。

「お前」

 浦口に向かって、無線機に仕掛けられていた盗聴器を放り投げた。浦口はそれを受け取ろうとしなかった。無線機は浦口の胸で弾み、地面に落ちた。

「毒を持って、毒を制す。僕も全く同意見だと、さっき言いましたよ」バーバーは言った。「あなたから無線機をもらって、まず最初にしたのが、分解だった。僕も大嘘つきなものでね。疑いを一つずつ消していくことでしか、人を信じられないんですよ。それで、今回もそうした。もし僕があなたの立場なら、無線機に何らかの仕掛けを施すと考えた。それを確認することから始めた。そしたらもう、すぐさまアウトですよ。甘いものだ」

「お前」

「その台詞は二度目ですよ、浦口。あまり繰り返し、同じ言葉を言うものじゃない。語彙の貧しさを疑われる。あなたは最初に、仲間を差し出せと言った。僕はすぐに、それに応じた。勘違いしましたか? こいつは従順さとかしこさを履き違えていると?」

「ここにはもう、包囲されている。何を企もうと無駄だ。全員、とっ捕まるのさ」

「ここには、僕と神田しかいない。二人というのは少々、《全員》と称するには少人数過ぎる気がするが?」

「ここに全員集合するようにと指示したのは」

「僕ですよ。だが、浦口。盗聴器の存在を知った上でのことだ。頭の回転が足りてないぞ、おまわり。もう少し、糖分を摂取した方がいいんじゃないか?」

 胸が潰れた。そう感じた。踏みとどまることができず、ボンネットに倒れる。浦口が、懐から回転拳銃(リボルバー)を取り出し、撃ったのだ。

 胸に痛みはあったが、銃弾は体に達していなかった。防弾チョッキを着ていた。咳が出、その度に胸が痛んだ。骨は折れていない。コートの胸に空いた穴を指で触れる。視線を上げると、浦口がいた。目の前には銃。銃口は、額に向けられていた。

「防弾チョッキを着ていたか。結構なことだ。まだ、お前を痛めつける余地が多分にあるということだからな。携帯電話を出せ」

 言われた通りにした。

「動くと撃つぞ」浦口の口から出たその言葉は、車内へ向けられたものだった。神田が助けに出ようとでもしたのだろう。浦口はこちらに視線を戻し、言った。「仲間を呼べ。なに、手順は増えたが、結果に変わりはない。全員、逮捕させてもらうさ。ただし、お前だけは特別待遇だ」

「何がもらえるのかな?」

「死んだ方がましだって思えるほどの苦痛さ」

 浦口と携帯電話のディスプレイを交互に見ながら、電話帳を呼び出し、一つの電話番号を呼び出した。受話器が描かれたボタンを押し、電話をかける。すぐに、呼び出し音が聞こえ始める。

「近頃の世の中の流れは早いですよね。そうは思いませんか、浦口?」

「何の話だ」

「日進月歩が当たり前のこととされている。世にあるものは全て、進化して当然だとね。中でも進化の速度が群を抜いて早いのが、携帯電話だ。最初は電話をできるだけだったものが、Eメールができるようになり、写真を撮れるようになった。ラジオを聞けるようになり、音楽を聴けるようになり、テレビを観られるようになった。インターネットもできる、ゲームもできる」

「それに、お前に仲間を呼び出させて、そいつらにもれなく手錠をくれてやることができる。そうだな、そいつには無限の可能性が詰まっている」

「そう。万能のコミュニケーション・ツールだ。最近じゃ、こんな使い方もされるようになった。知ってますか?」

「何だ?」

 呼び出し音が途切れる。電話が繋がったのだ。バーバーは言った。

「起爆装置」

 倉庫が揺れた。

つづく




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posted by 城 一 at 11:21| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月28日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第220回(3版)


多分、男は。


 体温がある。バーバーは思った。

 神田が、妹に作らせたという弁当を、バーバーは食べていた。人の温もりを感じるものを食べたのは、久しぶりだった。温かいのは作りたてというのもあるが、それだけではない。手作りというやつは、何であれ、その向こう側に作り手の顔が見えるものだ。

 妹。神田はそうとしか言わなかった。それ以上、説明しようとしなかった。家族のことに踏み込んでもらいたくはないのだろう。だがそれでも、弁当箱の中に詰まったものを咀嚼すれば、神田の妹の人となりが見えてくるような気がした。それは言葉を伴った自己紹介よりも輪郭の曖昧なものだが、しっかりとした芯を持っている。笑顔の優しい女なのだろう。そんなことを思った。

 情報収集、そして、《アンバー・ワールド》との情報戦のために揃えたコンピューター機器は、ストリップ小屋から運び出し、数台用意した車に載せた。敵に知られた場所に、長居することはできない。

 いずれにせよ、もうすぐ本番が始まる。いざとなれば、全て廃棄するつもりだった。

 車内では、浦口から借りた警察用の無線機が、雑音混じりに、警察組織の内情を垂れ流しにしていた。煙草をくわえた神田が、虚ろな視線を無線機に注いでいる。磐井の死が、神田の表情にわずかな冷たさを与えていた。挑発的な獣のような雰囲気は、なりをひそめていた。

 なくなったわけではないだろう。仲間を失った悲哀とともに上塗りされた色に、抑圧されているだけだ。時間が経てばいずれまた、顔を出す。

 ただ、前の神田には戻らないだろう。人が一人、死んだのだ。当然のことかもしれなかった。

 飛猫が車のドアを開けた。部下に呼ばせたのだ。聞いておきたいことがあった。それに彼女は、満身創痍であるのにも関わらず、今回の件のキーになるつもりでいる。直接会って、話をする必要がある。そう思ったのだ。

 バーバーたちが乗り込んでいるバンは大型のものだったが、それでも人が三人も乗り込めば、息苦しさを感じた。神田は出ていくつもりはないようだった。

 飛猫は、真っ白な格好をしていた。白いテンガロンハット、白いロングコート。白い手袋、白いパンツ、白いブーツ。肌も、血の気を失い、以前よりも白くなっているように見える。

「白か」

 目に映るものを確認するつもりで、そう呟く。

「不吉なものに見える?」

「死に装束のように」

「新しい発想に基づいた、ウエディングドレスとは?」

「到底」

「でしょうね」

 車内は散らかっており、座ろうと思っても、なかなかそれに適した場所が見つからない状態だった。コンピューター機器の中から、腰掛けるのに適当なものを選んで、飛猫にやった。飛猫は座り心地を確かめるように何度か手のひらで表面を撫でてから、ゆっくりとそれに腰掛けた。体を少し動かすだけで、彼女の眉間には皺が寄った。痛むのだ。

「もう少ししたら、僕らは《ホープ・タウン》に踏み込む。その前に、あなたに確認しておきたいことがあった。だから来てもらった」

「何なりと。疑問を全て解決できるかは、保証しないけれど」

「僕らがともに行動するようになってから、あなたはアイザック・ライクンを担当し、討ち取るというような立場をとってきた。だが、あなたの体はぼろぼろだ。ここにこうして、話をしに来るだけでも重労働だったはずだ。あなたは本当に、アイザック・ライクンを倒せるのか? いや。あなたは本当に、戦えるのか?」

「《シンデレラ》、あるいは《ガラスの靴》と呼ばれるドラッグを?」

「強力なドラッグだ。使い方と分量を間違えれば、死んでもおかしくはない」

「それを使う。あたしの体は動く」

 神田が横目でちらりと飛猫を見た。そして言った。

「あんたは女だ」

「だから?」

「修羅場に踏み込んで、持ってたものを全て失って、野良犬みたいにくたばるのは、男の領分さ。分かるかな?」

「古いタイプの男なのね。男女平等はどこへいったのかしら?」

「俺たちがこれから向かうのは、戦場だ。男女平等なんか、くそくらえだ。とっとと男の所へ帰って、ごろにゃん言ってなよ、ベイビ。あんたほどのいい女なら、いるんだろうが。男が」

「男なら今頃、病院のベッドで夢を見てるわ。もしかすると、永遠に続くかもしれない夢をね」

「それは」

「つまり、あたしには帰る場所も、帰りたい場所も、帰るべき場所もないってことよ」

 神田は、ワイングラスを扱うかのように飛猫の顎をつまみ、自分の顔を見上げさせた。

「なら、俺があんたの男になってやるよ」

「安く見られたものね」

「なに、別に俺と寝ろと言ってるわけじゃないさ」

「あら。なら、どういうことかしら?」

「もし、あんたが戦場に足を踏み入れたいんだとしても、そいつは俺が死んでからにしてもらうということさ」

「何ら魅力が感じられない申し出ね」

「生きられる」

「そうまでして生きたい理由が、残念ながらないのよ」

「お前」

「神田」

 バーバーは神田を止めた。

「もし、彼女が《シンデレラ》を使って、一時的にしろ、元の体の動きを取り戻せるのならば、あなた一人で埋まる戦力ではない」

「がき。俺が言っているのは、理屈じゃない。分かってるはずだ」

「分かっている。だが、だめだ。動けるのなら、彼女は使う」

 体がわずかに持ち上がった。神田に、服の襟を鷲掴みにされていた。

「てめえ」

 飛猫は懐から煙草を取り出し、火をつけた。そして、松葉杖を使ってどうにか立ち上がり、バンのドアを開けた。車椅子は外に置いてあった。移動のために男の手を借りるのを、彼女が嫌がった結果だ。

「話は終わりね。仲違いは二人で勝手にやって」

 飛猫は体をそろそろと動かして、車を降りていった。神田はその小さな背中に、じっと視線を注いでいた。

「まさか、本当に彼女に惚れたんじゃないでしょうね」

「そんなわけないだろうが、くそが」神田は吐き捨てるように言った。「俺は」

「分かります。分かってます。単純な話だ。そうでしょう」

「そうだ。それに、あいつが今火をつけた煙草、見たか?」

 見る必要はなかった。煙のにおいを嗅ぐだけで、十分だった。甘い香りのする煙を放つ煙草。

「磐井の煙草だ」

「死ぬぞ、あいつは」

「ええ」

「平気なのか、お前は」

「いいえ」

 持ち上がっていた体が、元に戻った。神田は手を放していた。視線も逸らしている。

「がきが。また、文句をつける余地のない理屈をこねてるんだろう」

「優先順位の問題ですよ、神田」

 神田は鼻を鳴らした。

「何が優先順位だ。くそくらえだ、がき」神田は言った。「俺はな」

「分かってますよ、神田」

 死に向かう女の背中を見送るのは、どうにも居心地が悪い。神田が言っているのは、そういうことだった。多分、男はそういう風にできているのだ。

 だが同時に、神田も、自分も。彼女のことを最優先に考える男ではなかった。ただ、それだけのことだった。

 ただそれだけのことで、死地へ向かう女を止めることもできないのだ。

 不便なものだった。


つづく




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posted by 城 一 at 09:23| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第219回(2版)


今宵はわたくしと。


 涙は一度堪えるとかれるらしい。

《アンバー・ワールド》を退けたあとで、磐井のために泣くことはできなかった。

 構いはしない。磐井のために泣く者は、他にもいた。

 泣かなかったのは、飛猫も同じだった。

 磐井の死を告げても、短く「そう」と呟いたきり、何の反応も見せなかった。悲哀という感情を持っていないのかもしれない。あるいは、どこかで失ってしまったのか。

 浮き足立った元《ツガ》の者たちは、神田がまとめた。

 即座に行動を起こしたいと神田は考えているようだったが、どうにか抑えた。空いた時間を、銃器や車両の手配に使うように指示した。最低限必要な数は揃っていたが、多いに越したことはない。

 携帯電話が鳴った。

 浦口からだった。顔を見て話をする時間を作ってほしいと、頼んでおいたのだ。

 待ち合わせ場所に指定されていたコーヒーショップから出るように言われ、従う。バーバーは、電話越しの浦口の指示通りに、ビルとビルの間にある薄暗い裏路地に入った。

 最新の型のトヨタ・カローラ。

 銀色の車の後部座席に浦口を見つけて、乗り込む。

 浦口よりも年配の男が、ハンドルを握っていた。顔は資料で見たことがあった。浦口の上司である刑事、鶴見。

 鶴見は何も言わずにカローラを発進させた。まるで浦口専用の運転手のようだった。

 浦口に、鶴見のことを尋ねた。

「彼は、とあるホテルで、何度も婦女暴行を繰り返し行っていた。同時に恐喝も。懲戒免職になるか、俺の手札になるか。どちらかを選べと言った。彼は後者を選んだ。だから」浦口は運転席を顎で示した。「そこにいるのさ」

 鶴見は何も言わなかった。ただ、顔色はわずかに赤みを帯びていた。眉間にも皺が寄りかけている。浦口が言った。

「それがお前の話したかったことか?」

「もちろん違います」バーバーは言った。「僕たちは今夜、《ホープ・タウン》に突入します。その際、あなたたちの邪魔が入らないようにしたい」

「見逃せと?」

「それがベストではありますが、できるんですか?」

「いや。犯罪を見逃すなんてのは、およそ俺の手に収まる範疇を超えてる」

「そうでしょう。が、僕らと踊るのは?」

「踊る」

「故意に、僕が仕掛ける陽動(ダンス)に付き合う」

「具体的に」

「ある車が、パトロール中のパトカーと接触事故を起こし、制止を振り切って逃走。パトカーはその車を追跡する。ナンバーを照会すると、その車が盗難車であることが分かる。車はどうしても捕まらない。応援を呼ぶ。カナジョウ市警のほとんどの署員がパトカーで出動し、他には手が回らなくなる。誰かが《ホープ・タウン》で怪しい動きを見たり感じたりし、銃声を聞いたとしても、そちらに回す人員はないという状況になる」

「思考回路を止めて、道化を演じろということか。なるほど」

「それは、承諾と取っていいんですか?」

「追跡時に手加減をすることはできない。見れば、分かるやつには分かってしまうからな。誰がその盗難車を運転するのかは知らないが――」

「僕です」バーバーは言った。

 浦口は頷いた。

「お前の運転技術次第だ。お前がミスをすれば、俺は遠慮なく逮捕する」

「厳しいとは思いませんよ。あなたはあくまでも警察の人間なんだ」

「そうだ。通常の警察が取る行動から逸脱すれば、俺が警察という組織から排除される。だが、そうだな。俺たちが使ってる無線機を一つやろう。それで俺たちの通信を盗聴すれば、逃走が容易になるだろうよ」

「素晴らしい」

「だが、条件がある。一般市民を巻き込むな。逃走時に、もし一般市民を轢いて殺してしまうようなことがあれば、手段は選ばない。証拠を捏造してでも、お前を逮捕する」

「分かりました」

「ところで」浦口は、窓の外を流れる街の景色を眺めながら、言った。「お前たちのグループの規模やメンバー、潜伏している場所について、教えてくれないか。お前の陽動(ダンス)に付き合うにしても、どんな内容のダンスを自分が踊っているのかくらいは知っておきたい」

 バーバーは浦口を見た。

 浦口は、窓の外を見つめたままだった。こちらを見ようとしない。窓にうっすらと、冷たい浦口の表情が映っていた。

 小さく深呼吸して、言った。

「いいでしょう」

つづく




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posted by 城 一 at 04:41| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月08日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第218回(3版)


確認事項.


 白煙に曇った世界。何が起きたのか把握するまでに、数秒を要した。66番を名乗る<ナンバーズ>の少年が自爆したのだ。大きすぎた爆音に鼓膜が痛んでいる。自分の上に、人が倒れていた。ダンクだ。名前を呼んだが、返事をしない。そっとダンクの体の下から抜け出す。背中には大きな火傷と、爆風で飛んできた建物の破片が刺さり、出血してただれていた。もう一度、ダンクを呼んだ。返事はない。仰向けにして、左胸に耳をあてた。心臓は動いている。

 立ち上がり、右手で壁を見つける。手のひらの感触を頼りに、廊下だった場所を歩く。見通しはまだ利かず、状況が掴めない。不意に支えをなくして転んだ。壁が途切れていた。床板も歪み、剥がれている。小さな爆発の爆心地。広がった血の赤色と、炭化して黒く染まったわずかな肉片を見つける。かつて66という数字を与えられていたもの。命を失ってしまえば、名前を与えられるという喜びも味わえないというのに。

「なあ」

 呼びかけられ、視線を巡らせる。磐井。爆発で黒く焦げ付いた顔。皮膚と肉を剥がされた体が、叫ぶように血を流している。体の左腹から下が失われていた。

「磐井」

 駆け寄る。床から、磐井を抱き起こす。触れた途端に思い知らされる。磐井の体はもう、ありとあらゆる場所から、命をこぼしている。

「煙草、吸いたいんだよ」

 磐井が言った。震える手が、何とかして懐に潜り込もうとしている。バーバーは、焼け付いた磐井のスーツの内ポケットに手を入れた。磐井の愛用する煙草は、パッケージの中で潰れていた。そのことを告げ、「僕のがある」と言った。磐井は首を振った。

「甘いのじゃなきゃ、ダメなんだよ」

「分かった。買って来ます」

「どこにでも売ってるもんじゃない。俺の馴染みの店があるんだよ。煙草屋だ」ただ短く息を吐くような、弱々しい咳。「いまどき、ちっちゃな、背中の曲がったばあちゃんが売ってるのさ。煙草を。笑えるだろ?」

「ええ」

「かわいいばあちゃんなんだよ。行ったら、きっとお前も気に入る」

「店の名前は?」

「お前のことは、ずっと気に入らないままだった。敬語を使って、俺のことを尊重してるように振る舞ってるが、目は常に冷たい色をしたままだ。全て、一人でやれる気になってる。いいか、くそがき。そいつは傲慢ってやつだ」

「磐井、煙草の店の名前は何て言うんですか?」

「もっと人に頼れ。お前は余計なことを言わないが、人を見下した感じが滲み出てる。探せば、必ずいるんだ。お前にも頼れる人間がな」

「磐井」

「山の中で、飛猫とキスをしたんだよ。いい味だった。甘美ってヤツだ」

「あなたのことが好きなんですね」

「いや、違うさ。あいつは」

「磐井」

 焦点の合わない目が、バーバーを見た。

「じゃあな」

 両手で抱いた体の中から、磐井が消えるのが分かった。

 目の奥から込み上げる涙を押し止める。人の気配。殺意とともに、囲まれていた。<ナンバーズ>。視認せずとも相手は分かる。銃を探した。先の爆発の衝撃で、どこかへ失っていた。磐井の側に、彼が握っていたものを見つける。拾い、構える。黒い影、五つ。

「そいつはダメだ」

 青いベースボールキャップをかぶり、淡いグリーンのフライトジャケットを着た一人が言った。その手の中で、自動小銃(ライフル)が、未だ倒れたままのダンクの頭に突きつけられていた。角張った形の黄色いレンズのサングラスをかけた少年が、バーバーの構える自動拳銃に、そっと手をかけた。

「下ろせ。そっと」

 抵抗すれば、即座にダンクを殺される。サングラスの少年に従った。銃口に囲まれる。右の眉尻にピアスをした少年が、舌を出した。舌の中央にも、ピアス。

「チェック、だな。意外と」

 言葉が止まる。ピアスの少年は頭をがくがくと上下に揺らし、血飛沫を撒き散らしながら、その場に膝を突いた。リヴァ。ピアスの少年の頭頂部から、サブマシンガン“ダンデライオン”の銃口を外す。前方へ体を傾けて脱力。そこからゆったりと体を起こし、天井を向く。獣のように歯を剥いた口の中で、慶慎の写真がくしゃくしゃになっていた。

「おい」青いベースボールキャップが、銃口でダンクを示して言う。「こいつがどうなってもいいのか?」

「確認だ」リヴァは写真に歯を立てて言った。「慶慎は生きてるのか?」

「俺の話を」

 青いベースボールキャップの左目が赤く陥没した。リヴァが引き金を引いていた。ダンクを撃つことなく、倒れて絶命する。

「確認だ」リヴァは言った。「慶慎は生きてるんだよな?」

<ナンバーズ>は何も言わずに引き金に指をかけた。リヴァは逃げない。三人の間に滑り込み、ステップを踏む。一人が判断ミスをした。踊るリヴァをすり抜けた銃弾が、正面の仲間に当たる。着弾は額。動揺。誤射した一人の腹がリヴァの銃で蜂の巣になる。最後の一人。サングラスの少年は尻餅を突いた。銃が戦意とともに、彼の手を離れる。高い鼻の上で、サングラスがずれていた。リヴァはしゃがみ、少年の顔を覗き込んだ。

「慶慎は?」

「生きてる。けど」

「けど?」

「もう、壊れちまってる。人形みたいに」

 少年の体がサングラスとともに爆ぜた。リヴァは弾倉が空になるまで、短機関銃を撃った。

「そんなことは聞いちゃいない」

「リヴァ」

 リヴァの手元で、銃口がこちらを向く。

「ヤツらの数を減らす作戦がどこまで進んだかは知らないが、<ホープ・タウン>にはいつ突入するんだ?」

<アンバー・ワールド>の数は下げ止まった。磐井が死んだ。もたつけば、<ツガ>組から来た連中の足並みも乱れる。リタ・オルパートあるいはアンバーが信頼を立て直し、<アンバー・ワールド>の数が回復する可能性もある。それに。

「俺はもう、我慢の限界だ」

 リヴァが言った。分かっていた。リヴァは続けた。

「お前がこれまで、どんな思いで行動してきたかは、少なからず分かってるつもりだ。だが、限界だ。俺は今夜、行く。お前が邪魔をすれば、お前を真っ先にたたっ殺す」

「ああ」

「決行を今夜にするのなら、微調整はしてやる」

 リヴァの目を真っ直ぐと見る。逸らすことはできない。

「分かった。今夜、<ホープ・タウン>への突入を決行する。だから、少し待ってもらう」

「よし」

 リヴァは去って行った。騒ぎを聞きつけた神田がやって来て、磐井の死体を見つけた。車を呼び、仲間に運ばせる。もぐりの医者を用意しろと叫んでいた。磐井の死を受け入れられないのだ。好きにさせた。神田は仲間に指示をしながら、目に涙を溜めていた。

つづく




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2009年01月05日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第217回(2版)


アンバーからのプレゼント.


 702。磐井が<アンバー・ワールド>に潜り込ませておいた<白金大熊猫(プラチナ・パンダ)>を通して、連中の人数を把握していた。全員にカウンターを持たせ、報告される数字の平均を出して。絶対ではないが、目だけで数えさせるよりは誤差が少ないことは確かだ。連中の数は少しずつだが増え続け、飛猫から田村リヨ殺しの真犯人を教えられた日には、700を超えたと同時にピークのその数字に達していた。それが、リヴァの命を賭けた、アンバーとのやり取りをインターネット上にアップロードすると、わずかに停滞した後、がくんと下がった。人数の波は重力に逆らおうとするかのように、時折小さな山を作りながらも、下降を続けていた。だが、それが400を切ったところで緩やかになった。波の描く、震えた手で描いたような曲線は、300台後半で安定を見せ、重力に対抗する手段を見つけたかのように、そこから低空飛行を始めた。上昇する気配さえある。

 下げ止まり。

 株を操る人間が吐くような言葉が、バーバーの脳裏に浮かぶ。リタ・オルパートかアンバーが、仲間たちにウイルスのように広がっていた不信に対抗する方法を見つけたのだ。メールも着信も来ない携帯電話のディスプレイを見つめる。<プラチナ・パンダ>から<アンバー・ワールド>の人数の定期報告がくるはずの時刻は、とっくに過ぎている。磐井を呼んだ。

「<プラチナ・パンダ>の連中が、消されたかもしれません」

「なぜ」磐井は言った。

「連絡がこない」

「<アンバー・ワールド>を弱体化させるのに協力するために、あいつらを潜り込ませておいた。お前が、アンバーが恋人である田村リヨを殺した可能性を示唆する情報を、可能な限り、インターネットを通してやつらに知らせた。不信という名の楔だ。そっちの経過はどうなっている」

「400を切った辺りで、行ったり来たり」

「やつらが、俺たちのやったことに気付いた?」

「そう思います」

「だが、だからと言って俺の後輩たちのことにも気付いたことにはならない」

「数を減らそうとしているなら、まずは数を把握する手段を講じるところから始めなきゃならない。少し考えれば、分かることです」

「もし、本当にあいつらが消されていたとしたら?」

「あまり、仮説の話はしたくありません」

「なら、なぜ俺を呼んで、その話をした?」

 電話が鳴った。相手は<プラチナ・パンダ>のメンバーを名乗ったが、違和感があった。別人。断言はできなかった。普段ならば、<アンバー・ワールド>の人数を聞くとすぐに電話を切るのだが、話題を作って引き延ばした。相手に意味のない話をさせ、磐井に電話を渡す。着信相手は堀田(ほった)という少年のはずだった。磐井にそれを告げる。表情が曇った。だが、磐井はそれを声色には出さず、バーバーのふりをして会話を続けた。そして切った。

「今の電話をしてきたのは、堀田じゃない」磐井は言った。「だが、<アンバー・ワールド>の人数を報告してきたんだよな?」

「600だと。上げ幅が200。大きすぎる」

「まだ一人だ。そうと決まったわけじゃない」

 数分置きに、報告がきた。603。602。607。605。

「誤差が小さすぎる」バーバーは言った。「いつもは最低でも30は誤差がある」

「今日はたまたま、うまく数えることができたのかもしれない」

「それと、上げ幅が200に達する日が重なった? 彼らの声に関しては、どうなんです?」

「声なんてのは、あまり人の記憶に残らないもんだ」

「でも?」バーバーは、磐井の表情を読んで言った。

「だが、聞き慣れた声が一つもなかった。そう感じた」

 バーバーは、部屋の入口に気を取られた。人が通り過ぎただけなのにも、関わらず。頭の中で、微弱な音で警報が鳴っている。通り過ぎた人数は二人。一人は知っている顔だった。だが、もう一人は?

 廊下に走り出た。先を行く二人を呼び止める。やはり、手前にいる者は知らない顔だった。淡い緑色に染めた髪を短く刈り、坊主にした少年。目が虚ろで、頬がこけている。聞こえない声で、何かぶつぶつと呟いていた。前の一人――磐井の仲間だと分かっている、三輪(みわ)という男――が振り返った。

「すまない」

 三輪の背中には、散弾銃(ショットガン)の銃口が突きつけられていた。銃身は、少年が着ているクリーム色のロングコートの袖によって隠されていた。磐井が自動拳銃(ピストル)を抜く。

「銃を下ろせ。お前に勝ち目はない」

「勝とうとは思っていない」

 緑色の坊主の少年が振り返った。ボタンを締めていないコートの前は開いていて、その下に着ている黒いタートルネックのセーターと、モスグリーンのチノパンツが見えた。そして、その腹にベルトで固定されたダイナマイト。空いている少年の手には、そのスイッチが握られていた。バーバーも自動拳銃(ピストル)を抜いた。そして言った。

「自爆覚悟だと?」

「覚悟じゃない。自爆しに来た」

「お前は誰だ」磐井が言った。

「<ナンバーズ>。<アンバー・ワールド>の中でも、洗練された者さ。番号は66。でも、お前らを殺せば、名前を与えられる。アンバーから。『ファイト・クラブ』を知ってるかい?」

「いや」バーバーは言った。

「残念だね。デヴィッド・フィンチャーは、僕は好きだよ。『ファイト・クラブ』には小説もあるらしいけど。それを読む機会には、恵まれなかったな」

「自爆しなければ、機会を得ることができる」バーバーは言った。「アンバーなんかから名前を与えられなくても、君には既に名前があるだろう。番号なんかじゃなく」

「ないよ」

「いや、ある。それに、君は本当は、自爆を望んじゃいない。やる気なら、既にやってる。そうだろう?」

「アンバーは傷ついてる。お前らの行いに」

「真実をみんなに知らせようとしただけだ」

「お前らに語れる真実はない」

「君にだって語れる。アンバーが、自分の恋人を殺したんだと」

「黙れ!」

 66が金切り声を上げた。

「何だかうるさいな」

 バーバーの後方から、ダンクが現われた。上半身が裸で、何も身に付けていない。包帯も外しており、完治していない傷口が露呈している。黒い肌はわずかに濡れ、湯気を立てていた。筋力トレーニングをしていたのだ。ダンクは暇を持て余すと、何もない所で逆立ちをして、バランスを取りながら体重全てを両手だけで支え、腕立て伏せをしている。

「何事?」ダンクが言った。

「緊急事態」バーバーは言った。

「C・C・リヴァはどこにいる? アンバーが借りを返したがってる」

「どういうことだ」

「言う必要はない」66。

 バーバーは、磐井に頼み、リヴァを連れて来てもらった。66が、冷笑を浮かべる。

「お前がC・C・リヴァか」

 リヴァの四肢の拘束も解かせていた。リヴァは肩をすくめ、鼻を鳴らした。

「お前が呼んだんだろう。明らかなことを確認するな。馬鹿に思われる」

「そうかい」66は散弾銃(ショットガン)を持つ手を揺らした。三輪が、最小限の動きで、床に何かを放る。「アンバーからのプレゼントだ」

 写真。悪い予感がした。止めようとしたが、遅かった。リヴァは写真を拾った。

「何だ、こいつは」

 リヴァの手から写真を奪った。くそっ。悪態が口をついて出る。椅子に縛り付けられた風際慶慎を写した写真。体に大きな傷はなかったが、その目に光はない。理由は一目で分かった。椅子の脇に転がった、岸田美恵子とサニー・フゥの死体。

「ついでに報告すると、そいつの一番大事な女は、今は俺たちの慰み者となっている」

 空気に電流が走った。そう感じた。手を伸ばす。リヴァが行ってしまう。彼の手には拳銃が握られていた。66の指先がダイナマイトのスイッチに触れる。ダンクの影が爆ぜる。床板がたわんで剥がれ、リヴァとともにバーバーを抱え、廊下を跳躍していた。磐井はスイッチを持つ66の手首に銃弾を撃ち込んだ。散弾銃が吼える。磐井に撃たれた衝撃で66が引き金を引いたのだ。三輪の腹に穴が開く。66の手首がちぎれるようにして、わずかな肉を残して、腕から離れる直前の状態でぶらりと垂れ下がる。

「磐井」

 バーバーはその名を呼んだ。磐井は返事をしない。三輪の死にさらに目を尖らせて、66の体に銃弾を撃ち込んでいる。66は血を吐きながら、身を翻した。散弾銃を磐井に向けようとしたが、胸を撃たれた勢いで失敗した。66は床に倒れた。

「このくそがきが」

 肩で息をしながら、磐井は銃口を少年の額に突きつけた。

「ダメだ、磐井」バーバーは言った。「そいつから離れろ」

「許せねえんだよ」

 少年が鋭く鳴いた。腕を振って、ちぎれかけの手首ごと、スイッチを握った手のひらを床に叩きつける。赤いボタンは下を向いていた。

つづく




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posted by 城 一 at 00:44| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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