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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年01月17日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第142回(4版)


あなたがそう言うなら。


 視線はどうしても、暗赤色のハートマークへと動いた。
 文永の右目だった。文永は、視力を失った右目に、眼帯をしていた。黒い布地に、暗赤色のハートマークが縫いつけられたものだ。中央に、黒い糸を使ったいびつな字体で、『NEVER KNOWS BEST』と綴られたハートマーク。慶慎はどうしても、そこから視線を外すことができなかった。
 慶慎は、文永の経営するタトゥー・スタジオにいた。<文永堂(ぶんえいどう)>。<ブルーリーフ・ビル>という名のテナントビルの地下一階。ワインレッドに塗られた、分厚い木製の扉を開けると、その店はある。
 なぜ、来たのか。慶慎は自問し、自答した。そんなもの、分からない。あえて言えばきっと、他に行く場所がなかったからだ。
 金はもう、底を突いていた。数日間、家に帰らずに生活した。金を使わずに済むわけがなかった。インターネットカフェ、漫画喫茶、ファミリーレストラン。腹を満たし、喉を潤し、眠る場所を確保するのに、財布の紐を緩めるのを止めることはできなかった。
 昨夜はとうとう、野宿をした。いや。正確に言うと、ただ眠らなかっただけだ。寒風を避けるために、建物の陰に身をひそめ、夜を過ごした。睡魔に負けそうになると、街を歩いた。歩けば、目が覚める。体が暖まる。眠れば、死ぬ。そう考えたのだ。この街の冬を越せずに、死を迎えるホームレスが、たくさんいることを、慶慎は知っていた。
 家には、帰りたくなかった。文永から離れて生活するために借りた、アパートの部屋。それはイコール、慶慎が殺し屋として生活を始めた場所でもあった。その空気を再び吸えば、また殺し屋の世界へと戻ったことになる。そんな気がした。それが嫌でならなかった。
 矛盾している。それは分かっていた。でも、どうにもならなかったのだ。
「元気にしてたか? ひとり暮らしは、大変だろう。ええ?」
 文永が言った。煙草は吸っていなかった。代わりにガムを噛んでいて、しきりに顎を動かしている。慶慎は、返事をしなかった。
 文永の後ろで、ヒン、と音がした。ターボライターのふたを跳ね上げる音だ。
 女。二十代後半から、三十代前半。慶慎とテーブルを挟み、向かい合わせに座る文永の後ろで、壁に寄りかかり、腕を組んでいた。首の左側に、バラの刺青が入っている。白いシャツのボタンを四つ外し、大きく胸元を開けて着ていた。動くと、黒いブラジャーが、ちらちらと見えた。黒いベルト、黒いレザーパンツ、黒いブーツ。箱(ボックス)から煙草を取り出した、左手の薬指には、金の指輪をしていた。文永と、揃いのものだ。
「ひなつ」文永が言った。「煙草は、やめとけ」
「どうしてさ」ひなつと呼ばれた女が、言った。
「喘息の子どもの前じゃ、煙草は吸わないもんだ」
 ひなつは、鼻を鳴らした。慶慎を睨むように一瞥し、煙草を箱の中へ戻す。
「慶慎」文永が顎を動かし、後ろにいるひなつのことを示して、言った。「智坂ひなつだ」
 慶慎は頷いた。
「ひなつ」文永は後ろを向き、今度は逆のことをした。慶慎を示し、ひなつに言った。「息子の、慶慎だ」
「知ってる」ひなつは言った。
「ひなつさんとは」慶慎は、文永に言った。
「ああ、そうだ。ひなつは俺の恋人(オンナ)だ」文永はそう言い、にやりと笑った。「“ママ”と呼びたいか?」
「僕はどちらかと言うと、“お母さん”派だよ」
 文永は、驚いたように片方の眉を上下させた。
「呼びたいのか?」
「まさか」
「文(ぶん)ちゃん。あたしだって、ゴメンだよ。実の父親の、右目の視力奪っといて、平気な顔してるクソガキとは、家族ごっこなんかしたくない」
 文永は、振り向かずに言った。
「ベイビ。口が過ぎるぜ」
「あたしは、そうは思わない」
「俺は思う。だから少し、黙っていてくれや」文永は言った。「なあ、慶慎。今日は、何か話したいことがあって、ここに来たんじゃないのか?」
「僕は」慶慎は口ごもり、うつむいた。落とした視線の先、テーブルの上には、ひなつが出してくれたホットミルクがある。慶慎は、その表面に映る自分の顔を見た。「分からないよ」
「越智が、心配してたぞ」
「師匠が?」
 カザギワで最強の殺し屋“銀雹”と呼ばれる越智彰治。慶慎に人を殺す技術を教え、殺し屋の世界へと導いた男だ。会いたい。胸の内で、そう思うと同時に首を振った。越智に会えばきっと、優しい言葉をかけられる。そして、気づかないうちにまた、殺し屋の世界へと戻っている。
「連絡があってな。また、“お前が手を出したんじゃないか”ってな」
「また」
「お前のことを、死ぬ寸前までぶちのめしたとき。お前が、殺し屋になる決心をする直前のときのことだ。あいつが、なかなか顔を見せないお前のことを、心配して来てな。案の定、俺がまた、お前をひどい目に遭わせたんだってことが分かると、殴られた」
「そう」
「そのときと、同じことが起きてるんじゃないかってな。危うく、殺されかけたぜ」
「そう」
「親父も、心配してる。顔や行動にゃ、出さないが」
「顔にも、行動にも出さないんなら、分かるはずないじゃないか」
「直接、会ってきた。同じ場所にいて、同じ空気を吸ってりゃ、分かるさ。俺と親父だって、一応親子なんだ」
「うん」
「他にも、お前のことを心配してるやつらが、たくさんいる。どうするんだ、お前は。これから?」
「カザギワに、戻るのかどうか?」
「ああ」
「戻るわけ、ないじゃないか。もう、たくさんだ。あんな思いはしたくない」
「DEXビルでのことか」
「そうだよ」
「そして、ミカドのこと」
「そうだよ」
「殺し屋は、人を殺して生計を立てる、業の深い職業だ。それを分かっていて、お前はカザギワに入ったんじゃないのか?」
「それは」
「何をしても、縁ってやつは発生するが、人を殺せば、特別強いのが生まれる。怒り、憎しみ。そういう類の縁だ。殺し屋ってのは、常に、そういう縁に足下すくわれる可能性のある職業なんだ。分かってなかったのか? それを」
「頭では、分かってたよ。けど」
「ミカドがやったのは、そういった縁の可視化だからな。カザギワが築いてきた業を、実際に見せられて、びびっちまったか」
「びびったとか、そんな軽いものじゃないよ」
「じゃあ、何だ」
「考えたくない」
「慶慎。今さら父親面するのもなんだがな。それは、駄目だ。仮にも、お前は人を殺したんだ。たくさん。その数を数えろなんて、言わねえ。けどな。お前が真剣に、人の命のこと。人を殺すということ。そういうのを考えなきゃならないくらいの数は、殺したはずだ。違うか?」
「知らない」
「痛えぞ」
 顔を上げた慶慎は、文永の拳を見た。逃げる余裕はなかった。殴られ、椅子ごと床に倒れていた。火照る頬骨が、今までこらえていた涙を溢れさせる。慶慎は床に手を突き、倦怠感に包まれた体を、何とか持ち上げる。
「何するんだよ」
 慶慎は言った。声が震えているのが、自分でも分かった。どうにもならなかった。
「“知らない”じゃ済まねえんだよ、慶慎。分かってるだろうが」
「分かんないよ」
 文永の手が、白いカットソーの襟元を掴み、慶慎の体を持ち上げた。
「お前」
 振り上げられた拳。慶慎は首を捻ってそれをかわし、文永の腹を蹴った。
「今さら!」慶慎は言った。「今さら、優しくしないでよ! 前のあんたなら、僕のことを気にもかけないで、煙草をバカバカ吸ってたじゃないか。まともな話ができたためしだってなかった。まともな説教だって、したことなかった。こういう殴り方だってしなかった。前は、自分の感情だけで。気持ちだけで、僕のことを殴ったじゃないか。それを、どうして今さら、僕のためになんか殴ったりするんだよ!」
 文永は、テーブルの縁に手をかけて、立ち上がった。そして、言った。
「俺は、変わったからだ。変えてくれたのは、お前だ」文永は、眼帯をむしり取った。色の薄くなった右の眼球が現われる。「右目の視力を失って、俺の世界は変わった」
「僕には無理だよ。変わる世界に、合わせることなんかできない」
「なら、世界を変えろ」
「無理だよ!」
「自分を変えろ」
「できっこない」
「世界を変えることは、自分を変えることだ。自分を変えることは、世界を変えることだ」
「やめて」
「慶慎」
 文永の手が伸びてきた。抱き締められる。慶慎は、そう直感で感じた。
 そんなことをされれば、壊れる。
 叫んだ。手を振り払い、文永の顎を殴った。鼻に左ジャブ。みぞおちに膝。畏怖の対象だったはずの父親の体は、あっけなく床に仰向けに倒れる。慶慎は、その体に馬乗りになった。
 振り下ろそうとした拳を、止めた。かちり、という聞き覚えのある金属音を聞いたからだ。慶慎は顔を上げた。ひなつが、小型のピストルを構えていた。
「お前にやるのは、右目だけだ。クソガキ」
 跳躍。空中で体を捻る慶慎に届いたのは銃声だけだった。銃弾は当たらなかった。着地し、ステップ。テーブルの上からマグカップを投げた。飛び散ったホットミルクが、ひなつの視界に薄膜を張る。
 でたらめに引き金が引かれた。そんなものに当たるほど、もう弱くはない。一歩で間合いを詰めた。ひなつの手から銃をはたき落とし、その首を鷲掴みにした。壁に、その頭を打ちつける。噛み締めた奥歯が軋んだ。
「家族の話に、部外者が首突っ込んでんじゃねえよ。この、クソアマ」
「クソが」
「この」
 慶慎は言いかけて、口をつぐんだ。
「慶慎」
 文永に名を呼ばれ、慶慎は振り返った。銃口が、慶慎の胸に狙いを定めていた。
「父さん」
 文永は、首を振った。
「もう駄目だ、俺たちは。俺たちは、親子でいるべきじゃない」
「何言ってるの」
「悪いのは、全部俺だ。お前を殴り、蹴り、罵倒した。体を、心を傷つけた。お前を、壊した」
「父さん」
「もう、そうやって呼ばなくていい。慶慎。ひなつから、手を離せ」
 言われた通りにした。文永は続けた。
「俺をやるのはいい。だが、ひなつを巻き込むのは駄目だ。慶慎」
「文ちゃん」ひなつが言った。
「黙ってろ、ひなつ」文永は銃を下ろし、言った。「俺を殺したいなら、殺せ」
「どうして、そんなこと言うの」
「違うのか? 俺を殺したいんじゃないのか? 憎くて、仕方ないんだろう」
 慶慎は考え、力なく笑い、首を振った。
「分からないよ、父さん。もう、何も」
「終わりだ、慶慎」
「あなたが、そう言うなら」
 慶慎は、倒れた椅子の下敷きになっていたフライトジャケットを着た。誰も、何も言わなかった。店の中にいる者は皆、息を押し殺している。出口へ向かい、その直前で足を止め、慶慎は振り返った。
「ねえ」慶慎は言った。「その銃で、僕を撃ち殺してよ」
 文永は首を振った。
「ノー」
「そう」
 慶慎は再び、文永たちに背を向けた。
「どこへ行くんだ? 慶慎」
「分からないよ」
 慶慎は、<文永堂>を出た。強い日差しが、慶慎を刺した。まだ、昼だった。だが、どんなに太陽が激しく照りつけても、涙を乾かすには足りないように思えた。
 街はイルミネーションと装飾品に彩られていた。
 そうだ。慶慎は、思い出した。日付は、十二月二十五日だ。
 慶慎は、<文永堂>の分厚い木製のドアを振り返って、呟いた。
「メリークリスマス」

つづく




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posted by 城 一 at 15:22| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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