Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年01月18日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第145回(8版)


嘘と仮定と女と煮干し。


 床は、プリントアウトの白色で埋まっていた。まるで、雪が降ったあとのようだった。
<カザギワ・ビル>、カナコ・ローディンの部屋に、鈴乃はいた。アンバーの言葉が、頭の片隅に引っかかっていた。<SKUNK>と<ロメオ>の抗争に、<カザギワ>の殺し屋が関わっていたのかどうか、確かめたかったのだ。
 カナコ・ローディンは、プリントアウトの雪原の中央にいた。頭髪と同じ、燃えるような赤色のペディキュアを施した裸の足で、積もった雪を踏みつけにしている。<ミカド>の情報が、綴られた資料を。両手をだらりと脇に垂らし、半ば閉じた瞼の下で、眼球がせわしなく動いている。柿色の口紅を引いた、唇も同じだった。声を発さず、呪文を唱えているかのようだった。<資料踏み(ステッピング)>。カナコが、あまりにも膨大な量の情報を前にしたときに行う、儀式のようなものだ。前に、カナコに<資料踏み>の意味を聞いたことがあるが、“脳の回転が、よくなる気がする”という、曖昧な答えしか返ってこなかった。非論理的なものを嫌うカナコにしては、珍しいことだった。
「絶対に、踏まないでくださいね、ミス・鏑木」
 少年が、鈴乃の所までやって来て、そう言った。口端に手のひらを添え、声を潜めて。
「ええ、分かってるわ」鈴乃は、声の音量を少年に合わせて言った。
 少年は、十代前半。姿を消した風際慶慎と、同じ年の頃だった。卵型の、整った顔の輪郭に沿って、さらさらの金髪を顎下まで伸ばしている。サスペンダーで吊った、タータンチェック柄のパンツ。白いシャツ、グレイのカーディガン。頭に乗せているハンチング帽は、パンツと揃いの柄だ。彼の白いラバーソールを履いた足も、慎重に、床のプリントアウトを避けていた。<資料踏み>の邪魔をすれば、カナコの逆鱗に触れる。
「結構、かかりそうなの?」鈴乃は言った。
「僕には、ちょっと」
 少年の名前は、ロミオ・D・O。カナコ・ローディンの従者のような存在だった。彼女の仕事のサポートをし、ときには身の回りの世話までする。その若さで、カナコ・ローディンの側にいることを許されているのは、それ相応の仕事をするためだ。カナコの部下の中には、それを不服に思う者もいるようだったが、カナコの毅然とした態度と、非の打ち所のないロミオの仕事を前にして、実際に言葉にする者は少ない。
「ねえ、ロミオ。頼まれたもの、買ってきたんだけど」
“忙しい”のひと言で逃げようとしたカナコに、話をする時間を作らせた代わりに、鈴乃は使いを頼まれていた。小魚を買って来い、と。鈴乃は、自宅の近所にあるスーパーで迷った末に、煮干しを選んで、買って来ていた。ロミオに、スーパーの買いもの袋を示す。ロミオは、袋の中を覗き込んで、顔をしかめた。
「煮干し、ですか」
「おかしい?」
「そうではないんですが。コーヒーは飲みますか? ミス・鏑木」
「ええ」
「ブラックでしたよね」
「そうよ」
 ロミオとともにコーヒーを飲んだことがあったかどうか、鈴乃は覚えていない。あったとしても、記憶に残らない程度だということだ。にも関わらず、ロミオが当たり前のように、自分のコーヒーの好みを覚えていたことに、鈴乃は驚いた。カナコが、ロミオを側に置いている理由が、少しだけ分かったような気がした。鈴乃は、足音も立てずに部屋を出ていく、ロミオの背中を見送った。
 カナコは相変わらず、情報の入力(インプット)に忙しいようだった。鈴乃が来たことに気づいているのか、いないのか。挨拶のひとつもなかった。長い時間、同じ姿勢で立っていると、骨折した左脚が痛んだ。楽な姿勢を探そうにも、プリントアウトで埋まった大理石の床には、あまり足の踏み場はない。以前、同じようにカナコ・ローディンが<資料踏み>をしていたときに、少しくらいなら大丈夫だろうと、プリントアウトに足をかけたことがあった。どう考えても、彼女の視界の外だと思ったのだ。だが、違った。足を置いた感覚をろくに味わう暇もないうちに、カナコの怒声が飛んできた。人の怒りを買うというのは、気持ちのいいことではない。また、それを試す気にはならなかった。暇を潰そうにも、カナコの部屋は、視覚的な楽しみが皆無だと言ってよかった。窓際にある、大型のオーバーフロー水槽の中にいる、肺魚(ハイギョ)くらいだ。ただ、それも、何の可愛げのない熱帯魚だった。体長約九十センチの、長い体は灰色。太いうなぎのようなものだ。気を引くような動きをするわけでも、鳴き声を上げるわけでもない。長い時間が経過したような気がして、腕時計を見ると、まだ十分しか経っていなかった。
 鈴乃は、待つのをやめた。
「相変わらず、ロミオとはよろしくやってるの?」
 カナコは、話しかけられてもしばらくは、情報の入力を試みた。鈴乃も、同じように会話を求めて、独り言を続けた。カナコが、先に折れた。
「最近、元気がないという話を聞いていたけれど、どうやらその心配はなさそうね」カナコは言った。「たかが数分の待ち時間にも、耐えられない」
「いい女は、忙しいのよ」
「自分で言うと、価値の磨耗が早まるわよ」
 カナコは、床に敷き詰められたプリントアウトから降りると、脇に揃えて置いてあった、金の靴を履いた。自分の机につき、椅子にどさりと腰を下ろす。背もたれが、軋んだ。集中を解いた途端に疲労が襲ってきたのか、眉間を指先で揉む。
「きちんと、休んでいるの?」
「脳が休むと、人の体はどうなる?」
「動かなくなるわね」
「わたしは、情報管理部のトップの片割れ。言わば、脳よ。左脳と右脳の、どちらかは知らないけれど。わたしが動くのを止めれば、情報管理部の半分が動かなくなるわ」机の上には、コーヒーカップが載っていた。湯気がひと筋も立っていないところを見ると、中身は冷えきっているようだった。それを知っているのか、カナコはコーヒーに手をつけなかった。「まあ、トップのもう片割れは新人だから? わたしが休めば、きっと半分以上が動かなくなるわね」
「彼は、無能?」
「まさか。ただ、馴染むまでには時間がかかるということよ。思慮の浅いことをしてくれたわね、高田清一は」
 脳裏に、高田の最期の瞬間が蘇った。鈴乃は言った。
「いない人間を、悪く言うのはやめない?」
「そうね」
「言われたもの、買ってきたわよ」鈴乃は買いもの袋を、掲げた。「ザ・煮干し」
「は?」
 カナコが珍しく、その表情を歪めた。
「電話で言ったでしょう。小魚を買ってきてくれって。だから、煮干し。えー、カタクチイワシの」
「鈴乃。煮干しは、煮干しよ。欲しかったら、そう言うわ」
「だから、そう言ったじゃない」
「言ってない。わたしは、“小魚を買ってきてくれ”と言ったのよ。“煮干しを買ってきてくれ”とは、ひと言も言ってない」
「んー、と言うと?」
「だから」カナコは親指で、窓際にある水槽を指した。「“彼”が煮干しなんて、食べると思うの?」
「さあ」
 カナコは、机を手のひらで叩いた。
「教えてあげる、この“すっとこどっこい”。そんな、塩分の高いものを、彼は食べないのよ」
「ワオ。我らがミス・ローディンの口から、“すっとこどっこい”なんて言葉が聞けるとはね」
「あらそう。新聞(ブン)屋にリークでもしたらどう?」
「安心して、カナコ。煮干しは、カルシウム不足の補填に最適。まさに、今のあなたに」大きく、カナコに向けて手のひらを広げた。「ワオ! ぴったり」
「余計なお世話よ、馬鹿」カナコは言った。「もういいわ。さっさと用件を済まして、帰ってちょうだい」
「そんな、冷たいこと言わないで。あたしたち、仲間でしょう?」
「用件を済ませずに帰る?」
「不良少年たちから、“宇宙(ザ・スペース)”と呼ばれてる交差点のこと、分かる?」
「自分の車、あるいはバイクのタイヤをすり減らして溝をなくし、ゆくゆくは、タイヤを滑らせて交通事故を起こしたのち、天国もしくは地獄への片道切符を買いたいと考えてる、自殺願望を持った子どもたちが集まる場所(スペース)でしょう?」
「まあ、解釈の仕方は、人の数あれど」
 鈴乃は、カナコの机の上で、煮干しの袋を開けた。カナコは煮干しのにおいを嗅いで、“ごめんだ”とでも言うように、首を振った。鈴乃が何度も、しつこく勧めると、ようやくひとつ取って、そっとかじった。カナコは、眉間に皺を寄せて、言った。
「それがどうしたの?」
「“宇宙”と呼ばれるようになる以前の、その場所であった、少年ギャングチーム同士の抗争に関して、聞きたいの」
 カナコは、顔をしかめながらも、煮干しをもうひとつ、口に運んだ。
「わたしは、警察じゃないのよ。あくまでも、<カザギワ>に関する情報を管理する人間なの。この街であったことの全てを、把握しているわけではないわ」
「その抗争に、<カザギワ>の殺し屋が関わっていたかどうかを、知りたいのよ」
 言って、鈴乃もひとつ、煮干しを食べた。カナコは睡魔に抗うかのように目を閉じ、両の眉尻を指先で撫でた。そして、言った。
「子ども同士の抗争に、<カザギワ>の殺し屋が? あり得ないわ」
「よく、思い出して」
「もう、したわ」
「そういう案件はない、ということね」
「わたしだって、完璧じゃないわ。でも、そうね。九十パーセント以上の確率で、ないと言えるわ。ギャングとは言っても、所詮子どもよ。<カザギワ>を使えるような金を、所持していると思う? わたしは思わないわ。それに、たとえ持っていたとしても、こちらが頷かない。子どもをクライアントにするなんて、リスクの高いことはしない」カナコは言った。「間違ったことを言っているかしら?」
「いいえ」
「それに。子ども同士の喧嘩に大人が介入すれば、子どもの世界に、その世界を治めるルールに、綻びが生じる。バランスが崩れる」
「大人から逃れるために、足を踏み入れた世界が、侵される。汚される」
「そういうことをしたと、他の同世代のギャングに知れれば、メンツが立たない。他の少年ギャングたちから、尊敬(リスペクト)されない。胸を張れない」カナコは言った。「たとえ縄張りが広がっても、それでは何の意味もない」
「でも、耳にしたのよ。子ども同士の抗争に、<カザギワ>が関わったという話を」
「ただの、噂話でしょう?」
「その抗争の場にいた、当事者が言ってるのよ」
「なら、可能性はふたつね。わたしの記憶が間違っているか」カナコは、煮干しを食べ続けながら、言った。もう、顔はしかめていなかった。「その、“ミスタ・当事者”が嘘を言っている」
「耳を傾けてくれる人間がいなければ、嘘は成り立たない」
「なら、自分に対して、嘘を言っている」
「どういうこと?」
 カナコは肩をすくめた。
「思いつきで言っただけよ」
「じゃあ仮に、自分に対して嘘を言っているのだとして」鈴乃は言った。「どうしてだと思う?」
「さあ」
「嘘は、作らなきゃ生まれない」今度は、鈴乃は自問自答した。「どうして、そんな嘘を作ったのかしら」
「その当事者が作ったとも、限らないわよ。他の誰かが嘘を作って、その当事者に吹き込んでいるのかもしれない」
「なぜ」
「もちろん、嘘じゃない可能性もあるのよ? どこかで情報がねじれた末に生まれた、ただの間違った情報だということも。でも、嘘だとしたら。誰かが、何らかの意図を持って、その当事者に嘘を吹き込んだのだとしたら」
「その誰かは、何か、当事者にしてほしいことがある?」
「そのために、当事者を操作(コントロール)したい」カナコは言った。「少なくとも、わたしはそう考える」
「あたしも、そう考える。でも、何がしたいのかしら」
「分からないわよ。それに、今積み重ねたのは、仮定の話ばかりだもの。まだ気になるんだったら、あとは自分で調べてちょうだい」
「分かったわ」
 ロミオが、コーヒーを運んできた。彼は、カナコの机の上で、煮干しの袋が空いていることに、そしてカナコがその中身を食していることに、“珍しい”と驚いていた。コーヒーは、ちょうどいい濃さだった。カップの中を空にして、鈴乃はカナコ・ローディンの部屋をあとにした。

つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第144回(2版)


満ちるは器ばかりなり。


 鈴乃は、窓の外を見ながら、アンバーの魔法瓶に残った、ホット・レモネードを飲んでいた。汗の滲む体に、バスローブが心地いい。
「あんた、イかなかっただろ」
 アンバーが言った。全裸のまま、ベッドの上でポテトチップスの袋を開けていた。ホテルに行く途中に寄ったコンビニで、買ったものだった。口を動かしながらアンバーは、気だるそうに、テレビの画面を眺めている。興味を引く番組がないらしく、落ち着きなく、チャンネルを変えていた。深夜三時になろうという時刻だ。仕方ないことだった。アンバーは、アダルトチャンネルを入れて、リモコンを置いた。
 アンバーの言った通りだった。鈴乃は、アンバーに合わせて、達したふりをした。別に、珍しいことではなかった。貞淑な女が聞けば、顔をしかめ、軽蔑するくらい、体を安売りしてきた。相手だけが満足してセックスが終わり、孤独を感じていたのも、もう昔の話だ。体を介して、男とひとつになる。そんなのは、幻想だ。羽継を失って、鈴乃はそう諦めをつけた。今では、オーガズムに達しない方が、安心するときさえある。
 鈴乃は振り向かずに、窓に映る、ベッドの上のアンバーに言った。
「気になる?」
「多少、自尊心は傷つくな」
「今度から、気をつけるわ」
「そうしてくれ。他の、世の男のためにも」
 半透明な部屋の景色の向こうには、ラブホテルと隣接する、テナントビルの窓と壁が見える。情緒など、微塵もなかった。テナントビルの二階では、アダルトビデオを扱っているらしい。ビデオを作るメーカーか、それを売るショップか。ビルの窓から、その向こう側は見えなかった。AV女優のポスターで、窓ガラスは隙間なく埋まっていた。思わせぶりに両手で乳房を隠した、女優のひとりが、挑発的な視線を鈴乃に送っていた。
「欲求不満にならないのか?」アンバーが言った。「別に、俺はいいんだぜ。まだ、二、三ラウンドはいける」
 鈴乃は首を振った。
「イッたからって、満たされるわけでもないから」
「そうかい」
「聞いてもいい?」
「ああ」
「マリとは、長いの?」
「マリ?」
「この前のパーティに、あたしと一緒にいた女よ」
「ああ、あの女。あんたの連れじゃないか。知らないのか?」
「知らないから、聞いてるんじゃない」
 アンバーはポテトチップスを頬張った。先ほどから、欠片がベッドの上に落ちているが、気にしていない。
「三年くらいかな。俺が、<アンダーワールド>を始めて、すぐからだから。正直言って、あんまり好きじゃないんだ、あいつのこと。面倒な類のファンでな」
「どうして?」
「気を悪くしたかい?」
「いえ」
「ほとんど、ストーカーみたいなもんなんだ、あいつ。教えてないのに、俺の携帯の電話番号とメアド、家の住所まで知ってやがる」
「調べたの?」
「俺の周りにいるヤツらに、聞き回ったらしいぜ。金を握らせたって話もある。趣味は、俺の出したゴミを持っていくこと」
「それを、ほったらかし?」
「言っても、やめねえんだ。もう諦めたよ。ま、見た目は悪くないからさ。気が向いたら、部屋に呼んでファックする。その点は、いい思いさせてもらってるわけさ。ギブ・アンド・テイクってやつだ」
「それは、リヨがいたときから?」
「いや」アンバーは言った。「ああ、ストーカー行為は、その頃からあった。リヨがいたときは、一度ぶっ飛ばしたけどな。あいつが俺の周りにまとわりつくんで、リヨに誤解されかけたんだ」
「マリに、男がいるのは」
「知ってるよ。強いし、金持ってるし、仕事で忙しいし。文句のない男だってよ」
「そう」
「ああいう女とは、つき合いたくないな」
「でしょうね」
 アンバーはベッドから下りて、備えつけの冷蔵庫の所へ行った。扉を開け、中を物色する。
「悪いな。あんたの連れだってことは、分かってるんだけど」
「別に。そんなに、仲がいいわけじゃないから」
「そうなのか?」
「最近、知り合ったばかりなのよ」
「そうかい」アンバーは言った。「なあ、本当にもう一回やらなくていいのか?」
「いいわ」
「なら、ビール飲むぜ」
「お好きにどうぞ」
 プルタブを開ける音がした。鈴乃は、ホット・レモネードを注ぎ足すために、カップに向けて、魔法瓶を傾けた。が、ホット・レモネードは出てこなかった。もう、空だった。

つづく




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posted by 城 一 at 14:58| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第143回(10版)


the space


 交差点は、黒い円(ドーナッツ)で埋まっていた。車やバイク好きの者たちが、そのテクニックを実験し、披露する場所になっているのだ。路面のアスファルトは、焼けついたタイヤのゴムで黒く汚れ、転倒した車体で傷つけられて、小規模の戦争でもあったかのような様相を呈している。手荒い愛撫しか知らない訪問者たちはいつからか、親しみを込めて、この交差点を“宇宙(ザ・スペース)”と呼ぶようになった。黒い惑星(ドーナッツ)が集まってできた、宇宙だ。
 襟に毛皮のついたミリタリージャケットを着たアンバーが、地面に膝を突き、黒い円を指先で撫でた。振り向かずに、鈴乃に言う。
「知ってるか? ここのこと」
「ザ・スペース」
 鈴乃は言った。吐息は、煙草の煙のように真っ白に染まり、夜空へと吸い込まれていく。深夜一時を過ぎた頃だった。澄んだ空には、星が輝いている。
「そう」アンバーは言った。「けど、この宇宙が生まれるきっかけを作ったのが、俺だってことは、知らないだろ」
 鈴乃は、片方の眉を上下させた。
「ええ」
 先を促すことは、しなかった。黙っていても、アンバーが話を続けるつもりなのは、分かった。厳しい寒気が、感覚を鋭敏にしている。
<スージー>のマスター、勝谷を介して、アンバーからデートに誘われた。勝谷は、“お前のことが気に入ったらしいぜ”と言っていたが、鈴乃にはとても信じられなかった。アンバーに叩き込んだ前蹴りと右ストレートはまだ、頭の中で、容易に思い出すことのできる場所に留まっている。あの乱交パーティから、四日しか経っていないのだ。アンバーの方は、記憶に痛みと憤怒が伴っている。自分よりも、鮮明に覚えているはずだ。鈴乃は思った。そのアンバーから、デートなどに誘われるわけがないのだ。
 罠かもしれない。鈴乃は、そう思った。仕返しをするために仲間を集め、待ち合わせ場所に指定したこの“宇宙”という名の交差点の周辺の建物に、隠れさせているのだと。今日着ている、ベージュのトレンチコートの下に装備したショルダーホルスターには、ロブ&ロイが収まっている。腰のガンベルトには、スペアの弾倉。最悪の事態を想定した場合、それくらいの装備は必要だと思った。前に見た、<フォスター>のライブに集まっていた客のことを考えると、アンバーが動かすことのできる人数は、かなり多い。
 だが、それも杞憂に終わりそうだった。アンバーの言葉や仕草の隙間から、殺気というものが感じられない。タイヤ痕でできた宇宙に注ぐ視線は、穏やかなものだった。
「もう、一年以上も前のことだ。リヨが、死んだ」アンバーは言った。
「リヨ」
「俺の恋人さ。それを、忘れたくなくてな。いや、もちろん忘れるつもりはないんだけどな」アンバーは言葉を止めて、思案した。「……そうだな。あいつの記憶を、どうにかして、形にしておきたかったんだ。だから、ここにドーナッツを描いた。バイクでな。ドーナッツ・ターンって、知ってるか?」
 アンバーが、振り返った。鈴乃は肩をすくめた。
「今度、機会があったら、見せてやるよ」アンバーが言った。
「楽しみにしてるわ」
 アンバーが触っている円は、横断歩道の白い縞模様の一部に、重なるようにして描かれていた。他のものとは違い、丁寧で、何重にもゴムが焼きつけられている。よく見ると、テクニックの実験や披露のために描かれたものではないことが、分かる。
「ここだ」アンバーは、円の中心に手のひらをあてた。「ここで、死んだ」
「残念ね」
 アンバーは、脇に魔法瓶を抱えていた。それを手に取ってふたを外し、傾ける。白い、半透明の液体が細く線を描いて、地面に注がれる。
「それは?」鈴乃は言った。
「ホット・レモネードだ。ここから歩いて五分くらいの場所にある、<quilt>って店のな。リヨの、お気に入りだった」
 ホット・レモネードは、凍てつくような外気に触れて、悲鳴を上げるように、湯気を立てていた。アンバーは、魔法瓶のふたにホット・レモネードを注ぎ、それを鈴乃に差し出した。
「飲むか?」
「ありがとう」
 鈴乃は、ホット・レモネードを飲んだ。味を楽しむことができないほど、熱かった。ふた口目からは、慎重に、そっと口をつけた。
「事故か、何かだったの?」鈴乃は言った。
「いや。殺されたのさ。クソ<ロメオ>と、クソ<カザギワ>に。街の、どうしようもないクズどもに」
 口内を焼いたホット・レモネードに、鈴乃は舌打ちをした。突然、アンバーが口にした<カザギワ>の四文字に、手にしていた、魔法瓶のふたを傾けすぎたのだ。だが、ふたを落とさなかっただけ、マシかもしれない。鈴乃は思った。アンバーは、鈴乃の反応に気づいていないようだった。地面の、リヨが死んだという場所に、視線を注いだままだ。
 鈴乃は、確信した。アンバーは、デートに誘った女が、<カザギワ>の殺し屋であることを知らない。
「どういうことなの?」
 鈴乃は、動揺を言葉に滲ませないよう、慎重に尋ねた。
「ここで、抗争があったんだ。<SKUNK>と<ロメオ>って、ギャングチームの抗争が。リヨは、それに巻き込まれた」
「調べたのね」
「違う。俺も、その場にいたんだ。当時、俺は<SKUNK>のメンバーだった」
「元ギャングだったのね」
「馬鹿だったと思う。たかが縄張り争いに、平然と命を賭けてた」
「誰にでも、間違いはあるわ」
「そう、ある。だが、その間違いのお陰で、リヨを失った」
「仕方ない、とは言えないわね」
 アンバーは、力なく笑った。
「気持ちはありがたいけどな。リヨの死は、“仕方ない”じゃ済まされない」
「ええ」
「ギャングとか、夜の街とか。そういうのが、苦手なヤツだったんだ。リヨは。それなのに、無理して。俺のことを心配して、来ちまったんだ。交通安全のお守りを、持ってたよ。まったく」アンバーは、魔法瓶から直接、ホット・レモネードを飲んだ。口に含みすぎたらしく、熱さに呻く。「ちくしょう。ここに立ってた。最初現われたときは、暗くて、影にしか見えなかったんだけど。でも、悪い予感がした。俺は、影が誰なのか、確認しようとした。けど、間に合わなかった」
 車が一台やって来て、鈴乃とアンバーに気づき、中央線すれすれに位置を変えて、走っていった。
「銃声がして、影が倒れた。そのときにはもう、確信があった。倒れ方で、分かったんだと思う。通りには<ロメオ>と<カザギワ>のヤツらの撃った銃弾が降り注いでたけど、そんなの関係なかった。俺は、影に走り寄った。影は、リヨだった」
 鈴乃は、アンバーに同情すると同時に、違和感を覚えていた。少年ギャングチーム間の抗争に、<カザギワ>の名前が出る理由が分からない。子どもは、効率や合理性よりも、プライドやメンツ、評判といったものを優先する。抗争に勝っても、他のギャングから認められなければ、意味がない。だから、チームの外の人間を雇ったりなどしないはずなのだ。プロの殺し屋を雇ったりすれば、評判は下がりこそすれ、上がることは、決してない。同じ裏社会でも、子どもと大人では、少々ルールが違うのだ。
 口には、出さなかった。わざわざ、傷心のアンバーに、挑発的なことを尋ねることはない。<カザギワ>に帰って、カナコ・ローディンや桧垣と言った、情報管理を担当する人間に聞けば済む話だ。
「リヨは、腹を撃たれてた。俺が抱き上げたときにはもう、死にかけてるのが分かった。俺は仲間に、“救急車を呼べ!”って怒鳴った。そして、リヨの心臓マッサージを始めた。呼吸が、脈が弱くなってた。けど、助かると思った。そう、自分に言い聞かせた。絶対に、助けると」
 わずかにできた沈黙に、鈴乃は、アンバーが泣いているのではないか、と思った。が、違った。アンバーはただ静かに、前方を見つめているだけだった。何もない、虚空を。
「また、銃声がした。リヨの頭が、赤く」
 鈴乃は、アンバーの肩に手を置いた。
「もういいわ」
 アンバーは、左手の薬指にはめた、ふたつの指輪を、親指で撫でていた。
「前やったパーティのときに、あんた、聞いてたな。この指輪のこと」
「ええ」
「決まった相手が、どうのと言ってた」
「そこまで詳しくは、覚えていないけど」
「あんたの言った通りさ。この指輪は、リヨと揃えたもんだ」
「そう」
「すまん」
「あなたは、謝るようなことは、何もしてない」
「そうだな。ありがとう」
 鈴乃は、魔法瓶のふたの中に残る、ホット・レモネードを見た。もうひとりの、自分が映っていた。これから、自分がしようとしていることに対して、もうひとりの鈴乃が言った。“ほんと、ずいぶん優しくなったわね、鈴乃ちゃん”。くそくらえだ。鈴乃は、ホット・レモネードを飲み干した。
「それで?」
「それで、って?」
「何か、あたしからもらいたくて、今日のデートのセッティングを、勝谷に頼んだんでしょう?」
「ああ」アンバーは言った。「ああ、まあな。あんたなら、リヨの穴を埋めてくれるんじゃないかと思ったんだ」
「セックスで」
「そいつはこの前、散々、堪能させてもらったさ」
「なら」
 アンバーは、首を振った。
「リヨのことを、忘れたいんじゃないんだ。けど、いつまでも昔の女のことに囚われてたんじゃ、前に進めない。道を、踏み外しそうになる」
「嬉しい言葉だけど」鈴乃は言った。「でも、それは難しいわ。悪いけど、あたしにも想ってる人がいるのよ」
「それは、俺の今の昔話を聞いても、変わらないと」
「理屈じゃないのよ。そういうものでしょう?」
「ああ、そうだな」
「で、どうする?」
「一緒に、ホテルにしけ込むのは、OKなのか?」
 鈴乃は微笑を浮かべ、アンバーに魔法瓶のふたを渡した。その耳元に、そっと囁く。
「今夜は、暴力はなしにしてあげるわ」
「ありがたいね」
 アンバーは弱々しく、笑った。

つづく




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