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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年01月29日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第147回(9版)


その地下鉄はとても混雑している。


 後ろから、足に何かがぶつかった。
「ごめん」
 陰鬱な声に振り向いた慶慎の前にいたのは、ケイシンだった。病院の入院患者用の寝巻きを着ていて、全身が怪我だらけであることを示すように、包帯とガーゼをその身にまとっていた。お陰で、ケイシンの体には、肌色よりも白色の方が多い。
 ケイシンは、車椅子に乗っていた。慶慎の足にぶつかったのは、その車輪だ。
「君は」
 誰なのかは、慶慎にも分かっていた。歯を磨くとき、顔を洗うとき。鏡を覗き込めば、いつでもそこにいる人間だ。だが、そう口にせずにはいられなかったのだ。無理もないことだった。現実には、あり得ないことなのだから。
 慶慎の混乱を察したかのように、ケイシンはわずかに口角を上げた。
「分かってるだろう? 僕のことは、他の誰よりも。あのときは、本当に死ぬかと思ったよね。いや、でも。死にたくないと思って、死ななかったわけでもないけど。君は特に、そう思ってるだろ? あのとき、死んでいればよかったと」
 車椅子に乗ったケイシンの左前腕と右足首は、ギプスに保護されていた。左目には、白い布の眼帯。寝巻きの襟元から覗く、左胸の黒い炎のような、トライバルの刺青(タトゥー)。周囲の肌が、赤みを帯びていた。まだ、彫られたばかりなのだ。風際文永に。
 世界が揺れ、横から微かに重力がかかった。勝手に動こうとする車椅子を、ケイシンは車輪を手で掴むことで、止めた。が、たったそれだけでも、満身創痍のケイシンにとっては重労働のようだった。額に滲む脂汗が、それを証明していた。どうにかして、彼の助けになろうと伸ばした慶慎の手を、大丈夫だと首を振り、ケイシンは拒んだ。
 ねえ、と声をかけられて、また慶慎は踵を返した。声の主は視線の高さにはおらず、慶慎は膝を折らなければならなかった。声をかけてきたのは、幼い少年だった。今はもう、鏡の中に見つけることはできないが、かつては確かにいたことのある、少年。その少年もまた、ケイシンだった。
「お兄ちゃんなら、直せるでしょう? これ。もう、大きいんだから」
 幼いケイシンはそう言って、慶慎に人形を差し出した。道化師の姿をした人形だ。左目の下に赤い涙が描かれた、笑顔をディフォルメした白い仮面をつけている。白いシャツ、白い手袋。黒いぶかぶかのパンツと、大きすぎるサイズの茶色い革靴を履いている。頭には、黒いフェルト帽。慶慎が昔好きだった、ピエロを模した特撮ヒーローの人形だ。右前腕と右脚が破損していて、シャツとズボンの右側はだらりと垂れていた。ケイシンの小さな手のひらには、その人形の右前腕と右脚が載っていた。慶慎は直してやりたかったが、人形の修繕に使えそうな道具を持っていなかった。慶慎は、“ごめんね。また、今度ね”と言ってケイシンの頭を撫でた。ケイシンは目元に涙を溜めながら、分かったと言い、元いた場所に戻っていった。オレンジ色のシートに。
「相変わらず、冷たいんだな。過去の自分には。その子がどんな思いをしてたのか、知ってるくせに。まあ、気持ちは分かるけどね」また、ケイシンが言った。「僕も嫌いさ。父親の愛情を受けることもできず、部屋に閉じこもって、人形遊びに興じることしかできない子どもはね」
 今度のケイシンは、吊り革に掴まって立っていた。胸に<カナジョウ・リトル・ウルヴズ>と書かれた、野球のユニフォームを着ている。野球をしたことがなく、するつもりでユニフォームを着たわけではないので、アンダーシャツを着ていないし、ストッキングもつけていない。靴も、スパイクのない普通のスニーカーだ。
 慶慎は、唾を飲んで喉を鳴らした。また少し、世界が揺れて横に重力がかかる。
「何なんだ、ここは」
「見れば分かるじゃないか。窓から景色は見えないんだから、地下鉄だよ」
 四角い箱型の空間。壁に沿って設置された、オレンジ色のシート。天井付近に張り巡らされた、ステンレスのバー。そこからぶら下がる吊り革が、車両と連動して揺れている。レールと車輪が擦れて立てる、甲高い金属音。カーブに沿って、左右にずれる前方の車両。ユニフォームに身を包んだケイシンに言われなくとも、自分がいるのが地下鉄の中だということは分かった。しかし、慶慎が聞きたかったのは、そんなことではない。
 ユニフォーム姿のケイシンは、笑った。
「ごめん、ごめん。少し、意地悪をしちゃったね。分かるよ。君が本当に聞きたいことは」
「なら、答えてくれよ」
 ケイシンは吊り革から手を離し、肩をすくめた。
「はっきり定義ができるほど、整然とした場所じゃないんだよ。ここは」床と天井を繋ぐ、ステンレスのバー。眩暈がして、慶慎はそれに掴まった。ケイシンは言った。「ああ。“自分に酔っちゃった”かい?」
 車両の中は、乗客でいっぱいだった。服装や年齢は、さまざま。だがどれも、慶慎に覚えのある格好をしていた。多少の違いはあれど、慶慎と同じ顔をしていた。乗客は全て、ケイシンだった。
「何なんだ、ちくしょう」
「あまり、難しく考えない方がいい。目に映る光景を、そのまま受け入れるのさ。この世界の理(ことわり)をひも解いたところで、すぐにその解に意味はなくなる」
「そうよ」
 ケイシンの後ろから、声がした。異性のものだった。細い指がケイシンの腹を這い、野球のユニフォームをめくり上げていく。その指先には、ラメの入った緑色のマニキュアが施されていた。
「ああ、君か」ケイシンは自分の肩越しに後ろを見て、目を細めた。
 まるでケイシンの肩から生えるようにして、少女が顔を出した。
「ええ。あたしよ」
 少女は、妖しく微笑んだ。

つづく




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posted by 城 一 at 00:41| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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