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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年02月27日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第155回(2版)


ただのネコにはなりません。


「筒本のことで、話がある。ネコ」

「あら。今日はずいぶん、決まってるじゃない。言葉遣いも、服装も。誰かとデートなのかしら?」鈴乃は言った。

 桧垣は、黒いカシミアのトレンチコートを着ていた。その中に、少し光沢のある黒いスーツ。白いシャツ。シャツのボタンは、上までぴったりと閉められていて、その体に刻まれた刺青を見ることはできない。代わりに彼の胸元を彩るのは、白いピンドットの入った、バーガンディカラーのネクタイ。履いている靴は、黒革のストレートチップ。黒革の手袋をはめた手で、グラデーションのかかったグレイのレンズのサングラスを外して、桧垣は笑った。

「そうですよ。<ツガ>組の四天王、青龍・今春(こんばる)とね」桧垣は言った。「こちとら、<カザギワ>でつい最近、情報管理部のトップに抜擢されたばかりの、若造ですからね。取ってつけたような服装で、威厳を高めようとしてるんですよ。おかしけりゃ、笑っていいですよ」

 鈴乃は、肩をすくめた。
「笑わないわ」

 このみは桧垣の手から、サングラスを奪い、自分の顔にかけた。灰色のレンズ越しに世界を見て、ほおお、と満足げな溜め息を漏らす。運転席から後部座席を振り返って、いくみが言った。

「大変そうね。桧垣君」

 ええ。そりゃあ、もう。言ったあとに、桧垣は軽く舌打ちをした。金製のシガレットケースの中身が、空だったからだ。桧垣はコートのポケットから取り出した、新しいパッケージを開封すると、ケースへと煙草の補充を始めた。

「ところで、筒本のことなんですが」
「話すことなんてないわよ」鈴乃は言った。

「覚えてないんですか」桧垣はそう言って、コートの内ポケットから、一枚の写真を取り出した。「筒本ってのは、この左端に写ってる男のことですよ。<クツマサ・ビル>で一度、会ってるはずですが」

 鈴乃は、桧垣の手から写真を取り上げた。
「知ってはいるわ。話すことがないってだけよ。<クツマサ・ビル>で会ったって言っても、
顔をチラッと見ただけなのよ。ビルに行ってすぐ、<サジマル>組が襲撃してきたしね。けど」

 鈴乃は顔をしかめた。このみも、このみも。体と腕を目一杯伸ばして、写真を見たがるこのみを無視して、鈴乃は写真を桧垣に示した。
「何なの? この写真は」

 写真には筒本の他に、井織誠、そして羽継正智が写っていた。それぞれ、サブマシンガン、ライフル、そしてトカレフで武装していた。三人の後ろには、ボロボロに破壊された酒場があった。<chaser cat>と刻まれた金色のプレートが、弾痕で歪んで、三人の足下に転がっていた。筒本の右太腿の止血帯には、布が縛りつけられていた。そのすぐ下には、銃創。歩くのもやっとの状態らしく、井織誠に肩を支えられていた。

「以前<カザギワ>にいた殺し屋、霜信(そうしん)が起こした事件のときの写真ですよ。後ろに写ってるのは、霜信が寝返った組織<クリムゾン・タイ>って言う、アメリカ生まれの殺し屋集団がアジトに使っていたビルです」
「霜信に、<クリムゾン・タイ>ね」
鈴乃は言った。ふたつとも、耳にしたことのない名前だった。

 運転席のいくみが、鈴乃の手から写真を取った。筒本たちの姿を眺めて、記憶を探るかのように目を細める。

「あのときは確か、鈴乃はまだ<カザギワ>に入ったばかりだったんじゃないかしら。知らないのも、無理はないわよ」
「俺もですよ、いくみさん。俺もまだ、<カザギワ>に入ったばかりで、右も左も分からない新人だった」
「懐かしいわね」いくみは言った。「右も左も分からないくせに、威勢だけは一人前だったわ」

 桧垣は苦笑した。
「こいつは、ヤブヘビだったかな」

「霜信は、コードネームよ。本名は阿藤浩二(あとうこうじ)。実力は申し分ないものを持っていたんだけど、なにぶん、神経が細くてね。人を殺して罪の意識を背負いすぎて、精神を病んでいた。誠が説得して、やっとのことで組織にとどまっている状態だった。でも、それが裏目に出た。“魂が腐っていた”のね」
「魂の腐敗、ね」鈴乃は言った。

 車内で自分だけ、写真が見れないことが不満なのだろう。このみは、ほんのりピンク色に染まった頬を、ぷっくりと膨らませていた。鈴乃はその肩を撫でながら、風際秀二郎と高田清一の死について話したときのことを思い出していた。

「当時、組織と阿藤浩二の仲介役を担っていたのが、筒本君。でもあるとき、阿藤浩二に殺しの命令を持っていったきり、連絡がつかなくなった。何日か経っても、帰ってこない。誠は、部下を阿藤浩二の自宅に行かせたんだけど、もぬけの殻。誠は、阿藤浩二が精神的に不安定になっていたことを知っていたからね。何か、トラブルがあったんだと考えた。そして、実際にその通りだった。いつも阿藤浩二に<カザギワ>からの命令を持ってきていた筒本君を逆恨みして、我を失った阿藤浩二は、筒本君に暴行を働いた。けど、すぐに冷静になって、今度は怖くてたまらなくなった。このまま筒本君を返せば、自分の頭の中が破綻をきたしていることを、<カザギワ>に知られてしまう。下手をすれば、筒本君へ危害を加えたことに対する、罰を与えられる。阿藤浩二は筒本君を監禁した」

 このみは諦めずに、いくみが眺める写真に向かって、手を伸ばし続けていた。いくみは前後左右に手を動かして、それから逃れていたが、面倒くさくなったのか、写真をこのみに渡した。男三人が武装して、破壊した酒場を背に立っている姿が写っているだけの写真を、このみはまるで、宝物でも手に入れたかのように喜びながら、受け取った。
 いくみは続けた。

「誠は、阿藤浩二と筒本君の捜索のために部下を動かしていたんだけど、ふたりが見つかるどころか、部下が姿を消した。誰がどう考えても、トラブルが起きていることは明らかだった。誠はその件に関して、もっと人員の数が必要だと考えて、上司に申告した。けど、当時の誠の上司は組織を裏切っててね。<クリムゾン・タイ>と繋がっていたの。さっき桧垣君が言った、アメリカからやって来た、<カザギワ>と敵対していた殺し屋集団よ。誠の上司だった矢追和隆(やおいかずたか)は、実力で劣っていた<クリムゾン・タイ>に、<カザギワ>から有望な殺し屋を引き抜くという命令を受けていた。矢追は、阿藤浩二がそれにうってつけの人物だと考えた。だからね。矢追は秘密裏に阿藤浩二と接触を持ち、<クリムゾン・タイ>へと寝返るように働きかけていたの」

「でも、阿藤浩二はもう、殺し屋稼業に嫌気が差していたんでしょう?」鈴乃は言った。

「ネックだったのは、罪の意識よ。けど、それを<カザギワ>のせいにすれば、楽になれる。<カザギワ>が無理やり、自分にやらせていたんだと考えればね。要するに阿藤浩二は、殺した者の命を、背負いたくなかったのよ。そういう考え方に至った時点で、殺し屋失格なんだけど、阿藤浩二は理解していなかったみたいね。矢追は、それを見抜いていた。組織を裏切るような人間なのにも関わらず、矢追が<カザギワ>で幹部格の人間になれたのは、人心掌握術が優れていたからなのよ。で。そういうとき、どうすればいいか分かる? 鈴乃」

「責任転嫁」

「そう。矢追も、同じ考えだった。だから、<カザギワ>を徹底的に悪者にした。悪いのはお前じゃない。あいつら<カザギワ>が悪いんだ、とね。そして、その<カザギワ>に追われる阿藤浩二を守ってやれるのが」

「<クリムゾン・タイ>だと」

「誠の部下が消えていたのは、阿藤浩二が殺していたからなんだけど、その死体が出なかったのは、矢追が陰でフォローをしていたからよ。部下とともに、死体の処理をしていた。誠はふたりの捜索を続けた結果、自分の上司が、裏で怪しい動きをしていることに気づいて、矢追に直接聞いたのよ。馬鹿な話よね。組織を裏切ってるかもしれない上司に向かって、直接“裏切ってるのか”って聞くのよ? 正直者は馬鹿を見る。誠は、矢追とその部下に消されそうになった」

「それを助けたのが、飛燕。羽継さんなんですよね」桧垣が言った。

「矢追が組織に対して背信行為を働いているという嫌疑は、前々からあってね。それを洗うために動いていたのが、あたしなの。誠が、矢追と直接、背信行為について話し合いを持とうとしていると聞いて、羽継を送り込んだのよ。彼は誠を助けて、矢追を殺したけど、阿藤浩二と筒本君の身柄は既に、<クリムゾン・タイ>に渡ったあとだった。阿藤浩二は、有望な殺し屋として。筒本君は、有望な情報源として。つまり、阿藤浩二は<クリムゾン・タイ>に歓迎されたけど、筒本君は拷問を受けることになった。あたしたちは筒本君を助け、<クリムゾン・タイ>を殲滅するためのチームを編成、ヤツらがアジトとして使っているという<ショアズ・ビル>に送り込んだ。写真はね、誠たちが筒本君を助け出し、<クリムゾン・タイ>を潰したあとに撮ったものなのよ」

「なるほどね」
 鈴乃は再び写真を手に取り、懐かしい羽継の姿に視線を落とした。このみは既に写真に飽き、双眼鏡で遊び始めており、写真を取り上げるのは簡単だった。

「矢追和隆の裏切りについては、あたしも確信を持てずにいた。誠が筒本君のために、必死になって動いてくれたお陰よ。そのお陰で、息を潜めてた矢追や<クリムゾン・タイ>が、活発に動き始めた。その事件を知ってるから、きっと筒本君は信じられなかったでしょうね。誠が、<カザギワ>を裏切ったと聞いたときは。あたしも、すぐには信じられなかったもの」

「その筒本から、<デイライト>掃討作戦開始直前に、ビル内に爆弾が仕掛けられているという情報が入りました。そして、ビルの一階部分が爆発。彼の情報は、裏づけられた。しかし」

「<カザギワ>も<ツガ>も、ビル内に踏み込んでいないのに、爆弾を使う理由がない。爆弾があるのなら、敵を殺すために使うのが普通だわ。敵がビル内に踏み込んだときを、見計らってね。筒本君からの情報も、そういった内容だったのにも関わらず、爆弾は有効に使われなかった。矛盾ね」いくみは言った。

「いくみさんなら、どう考えます?」

「自分の命を救ってくれた人が、尊敬していた人が、組織を裏切った。あたしなら、そうね。その理由が知りたいと思うわ。組織の作戦を妨害してまで、そうするかは分からないけれど」

「俺も、そう考えました」桧垣は言った。「あくまでも」
 桧垣の言葉が、遮られた。双眼鏡を覗き込んでいたこのみが、叫んだのだ。「写真のおじさんがいたよ!」と。

 鈴乃はこのみの手から双眼鏡を奪い取り、<ミタライ・ビル>を見た。五階に、ひとりライフルを構えて、<デイライト>と銃撃戦を繰り広げている、筒本の姿があった。

「決まりね」鈴乃は言った。

「<カザギワ>が<ツガ>と共同で取り組んでる、<デイライト>掃討作戦。それを妨害してまで、かつての上司へと歩み寄りたいのか」桧垣は呟いた。

 銃声が続く中、筒本の姿が消えた。鈴乃は双眼鏡を覗いたまま、言った。
「裏切ったのなら、こんなことはしないわ」

「分かってますよ。けど、裏切りに値する行為だ。今起きてるトラブルの原因が、<カザギワ>の構成員であることが<ツガ>に知れれば、合併時におけるパワーバランスが、あちらさんに傾くことになるかもしれない」

 お気に入りの玩具を取り上げられて、今にも泣きそうになっているこのみに、鈴乃は双眼鏡を返してやった。
「なら、どうするの?」

 桧垣は、煙草を詰め終わったシガレットケースから、早速一本取り上げ、プレッツェルように、それに歯を立てた。
「いくみさんなら、どうします?」

 いくみは首を振った。
「この作戦の指揮を取っているのは、あなたよ。桧垣君。それは、あなたが決めなさい」

「ですよね」桧垣は言い、煙草のフィルターを噛みちぎった。溜め息混じりに言う。「爆弾の情報を流したのが筒本だということは、幸い<カザギワ>側の人間しか知りません。情報規制を敷き、筒本を消せば、今回のトラブルの原因が<カザギワ>の構成員だということは、<ツガ>側には伝わらない」
「やるのね」

 桧垣は、ボロボロになった煙草を、手のひらの中で握り潰した。そして、口許を歪める。

「実はね。既に、<ミタライ・ビル>の一階部分が爆発したあとに開いた、今春との会議で、了解を取ってあるんですよ。うちの殺し屋を送り込むことをね。爆弾が仕掛けられているのなら、フットワークの軽い少数精鋭でビルに突入した方が、爆発を避けられる可能性は高い。たとえ避けられなかったとしても、失う人数は少ない方がいいだろうと、言ってね。まあ、それはあちらさんを納得させるためだけに言ったことですがね」

「さすが、高田の選んだ男ね。頭の回転が速いわ」
「そりゃ、どうも」

 鈴乃はSUVのドアを開けて、外に出た。冷たい空気で、肺を満たす。遠くに聞こえていた、筒本と<デイライト>の奏でる銃声が、少し近くなる。いくみに言って開けてもらい、トランクから松葉杖の形をしたショットガンを出した。スペアのマカロフ用の弾倉や、散弾、手榴弾が詰まったリュックサックを背負う。

 鈴乃を追うようにして、桧垣もSUVの外に出てくる。
「どこへ行くんですか? ネコ」

「ビルに送り込む殺し屋。決まっていないんでしょう?」マカロフの弾倉の中身を確認して、装填しなおしてから、鈴乃は言った。「なら、あたしが行くわ」

「なぜ」

「井織と話をしたいと考えているのは、筒本だけじゃないってことよ」

「足の具合は、大丈夫なんですか? “失敗した”じゃ済まされませんよ」

「少なくとも」鈴乃は微笑んだ。「怪我を理由に、飛べない“ただのネコ”になるつもりはないわ」

つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第154回


堂々巡り。


 宙を舞ったマウンテンバイクが道路でバウンドし、向かい側の縁石にぶつかって止まった。爆風で吹っ飛んだのだ。星が落ちてきたかのように道路がきらきらと輝いているのは、入口に鎮座していた自動ドアの欠片が辺り一帯に降り注いだから。牢獄としての機能を失った刑務所から逃げ出した囚人たちのように、ビルの入口から出てきた、濃密なまでの灰色の煙が、夜空を濁していた。

<カザギワ>は、混乱していた。SUVのフロントガラスのすぐ下に設置された、車載型の無線機が、休む間もなくいくみに状況の確認を行っている様子で、それが分かる。何度も同じことを聞かれるので、既にいくみは飽きているようだった。運転席側のドアの肘掛けに肘を置き、頬杖を突きながら、マイクに向かって気のない返事を繰り返している。

「ちゃんと、仕事したら?」
 鈴乃の言葉に、いくみは欠伸混じりで答えた。
「してるわよ。ちゃんと、状況の確認に答えてるでしょ。“異常なし”ってね。それとも、何?“うちの娘が、厄介という言葉を教えました、どうぞ!”とでも言う?」
「あなたが必要だと思うんなら、やれば?」
「必要だとは思わないから、やらないわ」いくみは言った。「桧垣君も、初っ端から面倒なことになったわね」

<カザギワ>と<ツガ>の共同で行われている(あるいは、その予定だった)、この<デイライト>掃討作戦。<カザギワ>側の責任者は、桧垣だった。<カザギワ・ビル>という本拠地の中で仕事をするだけだった彼が、初めて外に出た初陣だ。鈴乃は、同情を禁じえなかった。

「当の本人は、何て言ってるの?」
「無線には出てこないわよ。そんな場合じゃないもの。部下から集まる情報を整理して、そこから今、どういった状況にあるのかという答えを出すのに、必死に頭を回転させているはずよ。かわいそうに。あの<ミタライ・ビル>みたいに、彼の頭がそのうちに、オーバーヒートで煙を吹き始めても、不思議じゃないわ」

 白黒のぎざぎざの縞模様のお陰でかわいさが減退している、丸い黒レンズのサングラスをかけた、うさぎのぬいぐるみに、鈴乃が教えた「厄介なことになったわね」の台詞を繰り返していたこのみが、顔を上げて鈴乃を見た。

「“やっかい”って、どんな貝?」

 冗談ではなかった。まだ情報の蓄積が足りない脳で、彼女なりに必死に考え、“やっかい”という言葉を吟味した結果の質問だった。純粋な好奇心で輝く目を見れば、それは分かった。鈴乃は言った。

「黒くて、ぬめぬめした粘液にまみれた貝でね。直径二メートル。下側の貝殻に、鼻孔を持ってるの」鼻孔という言葉を聞いて、このみは首を傾げた。鈴乃は頷いた。「鼻の穴よ。そこは普段は閉じてるんだけど、ときどき呼吸をするのに使うの。で、鼻息を吐くとすごい勢いだから、上空何千メートルもの高さまで飛び上がるのよ。ときどき、UFOを見たって言う人がいるでしょう? でも、それは本当はUFOなんじゃなくて、“やっ貝”なの。ちなみに、“やっ貝”の吐く鼻息は、鯨の潮吹きと同じメカニズムだって言われてるわ」

ふーん。理解しているのか、いないのか。不明瞭な表情で相槌を打ったのこのみは、縞模様のうさぎのぬいぐるみに「すごいね」と言った。実に簡潔な解釈だ。

「こっちも、情報が錯綜してるわね。あまり、変なことを教えないでよ」
 いくみの言葉に、鈴乃は頷いた。
「アー・ハ」

 無線機のマイクを操作しながら、いくみはフロントガラス越しに、<ミタライ・ビル>を見つめていた。入口から上る煙は細くなっているものの、まだ止まっていない。いくみは言った。

「どう思う?」
「どうもこうも」鈴乃は言った。「こっちの状況は、どうなってるの?」
「<ツガ>も<カザギワ>も、動いてないわ。少なくとも、今現在、無線から入る情報だとそうなってるわね。にも関わらず、<ミタライ・ビル>の一階が爆発した。ただ、直前に<カザギワ>に情報が入ってたみたい。筒本君から。知ってるわよね、あなたは確か」

 筒本。聞き覚えのある名前だったが、いまいちぴんと来なかった。鈴乃は、ちょっと、と言葉を濁した。

「井織誠の部下だった男よ」いくみは言った。「<クツマサ・ビル>で、一度会ってるはずだわ」
「ああ」

 映像ははっきりとしなかったが、会ったことがあるというのは、いくみの言葉で分かった。だが、本当に“会っただけ”だ。筒本に関して、何の思い出もともなってこない。

「その筒本君が、作戦開始直前に<ミタライ・ビル>に爆弾が仕掛けられてるという報告をしてたみたいなの。<デイライト>は、<カザギワ>及び<ツガ>がビルに突入したのを見計らって、ビルごと自爆するつもりだってね。作戦の開始が遅れたのは、そのせいよ」
「筒本は、今どこにいるの?」
「報告が入る少し前から、姿を消しているわ」
「筒本が、どうやってその情報を手に入れたのかは」
「不明」
「まあ、爆発は実際にしたんだから、爆弾はあったんでしょうけど」鈴乃は言った。「自爆するつもりだったんなら、あたしたちが突入する前に爆発した説明がつかないわ」
「<デイライト>のお馬鹿さんが、扱いを間違えて爆発させた」
「だと、いいんだけど。敵の人員が減ったことになるから。けど、何にせよ。爆発を理由に作戦の開始を、長々と遅延させていたら、警察に与えた賄賂の効用にも限界が来る」
「ええ」
「だからと言って、爆弾の存在を無視することはできない。お互い、合併を控えた組織同士。判断を間違って、相手側に無駄な死傷者を出せば、パワーバランスが相手側に傾くかもしれない」
「判断に時間がかかる。総合すると?」
「厄介なことになったわね」
「堂々巡り」

 知らないおじさんが来たよ。うさぎと戯れていた、このみが言った。窓の外を見ると、桧垣がいた。鈴乃と視線を交わすと、後部座席に滑り込んでくる。せまーい。鈴乃と桧垣に挟まれる形になったこのみは言った。愚痴をこぼす幼女の頭を撫で、桧垣は言った。

「筒本のことで、話がある。ネコ」

つづく




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2008年02月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第153回


やっかいっ!


 ふんふんふふふん。そんな調子で、このみは鼻歌を歌っていた。常沢このみ。カザギワの情報管理部の人間である、常沢いくみの娘だ。買ってもらったばかりの、双眼鏡越しに夜の街を眺めている。時刻は午後十一時を回っているが、一向に眠気に襲われる気配はない。水色のストローが差し込まれた、パック入りのコーヒー牛乳をすする。
「この子がすっかり、夜型になっていることに関しては、もう何も言わないわ。けど、この場にいて、もしかすると、双眼鏡で修羅場を覗き見ることになるかもしれないことに関しては、かなり問題だと思うんだけれど。それは、あたしだけ?」
 鈴乃は言った。日付が変わる時刻を目の前にしても、眠らない問題児の母親である、常沢いくみは、肩をすくめた。
「もちろん、あなただけじゃないと思うわ」
「なら、どうして連れてきたのよ」
 鈴乃たちは、道端に停めた、銀色のトヨタのSUVの中にいた。<カザギワ>と<ツガ>が共同で計画した、<デイライト>掃討作戦に、後方支援として参加するためだ。開始時刻は、十一時の予定だった。少し、遅れている。グローヴ・ボックスの上に設置された無線装置からは、依然として、作戦内容の確認と状況報告をする声が流れている。
「ねえ、ベイビ。どうして家で、おとなしく寝てなかったの?」
 いくみがこのみに尋ねると、幼女は「寂しいから!」と答えた。その瞳には、一片の曇りもない。後部座席にどすんと腰を下ろすと、唇を尖らせる。
「このみのこと、邪魔なの?」
「ママが? まさか!」
 いくみが声を上げると、このみの潤んだ瞳の標的は、鈴乃に移る。
「じゃあ、お姉ちゃんは?」このみは言った。「このみのこと、邪魔?」
 鈴乃はため息混じりにバックミラーでこのみを見て、言った。
「このみちゃん。あなたの体は、まだ発展途上なの。将来も、健康な体を持っているためには、今の時期はとても大切なの。朝は早く起きて、夜は早く寝る。規則正しい生活をして、一日三食、栄養のバランスが取れたものを食べて、常沢このみという花に、きちんと水と肥料をあげて、大切に育ててあげなきゃ」
「分かんない」
 そう言われることは、「まだ発展途上なの」辺りから分かっていた。このみはその時点で既に、頬を膨らませ、つまらなさそうに両足をぷらぷらさせていたからだ。鈴乃は、いくみを見た。彼女は、声を潜めて言った。「子どもには、直球じゃなきゃ」。鈴乃は頷いた。
「このみちゃん。あたしたちは、仕事中なの。とても、邪魔よ」
 ふえーん。車内が、泣き声で溢れるまで、一分もかからなかった。爪を立てて額を掻く鈴乃に、意地の悪い笑みを浮かべたいくみが言う。
「泣かせた責任は、きちんと取ってね」
「分かってて、仕向けたわね」
「所詮、仕事は後方支援だもの。暇潰しが必要よ」いくみは言った。「ぴったりじゃない? 子どもの扱いにてんやわんやの、女殺し屋。サクッとつまめるエンターテイメントよね」
 鈴乃は助手席から後部座席に回り、このみを膝の上に乗せた。ごめんね、邪魔なんかじゃないよ。頭を撫でながらそう言うと、このみはすぐに泣き止んだ。まるで、先ほどまで彼女の頬を濡らしていた涙が、通り雨だったかのように。呆れた。鈴乃がそう呟くと、いくみは笑った。
「子どもなんて、そういうものよ」
 無線装置から流れてくる声が、少し増えていた。何かあったのか、情報の交換を急いでいる。
 鈴乃たちの乗る車を含め、十数台に及ぶ多種多様の車が、ひとつのビルを取り囲んでいた。<ミタライ・ビル>。<デイライト>のトップである新巻和義(あらまき かずよし)という男が経営する、あん摩マッサージの店が入っている、テナントビルだ。その影響なのか、ビルには少し前から、<デイライト>のメンバーが各階にテナントとして入っていた。永倉帝明から手に入れた情報だ。<ミタライ・ビル>に、<デイライト>の者たちが集まっている所を、潰す。それが今日だった。たいした時間もかからず、終わるはずだった。ビルを囲んだ車の中にいる人員だけで、既に<デイライト>を構成する人間の数を、はるかに超えているのだ。しかしそれは、SUVを襲った軽い揺れとともに、崩れ去った。
「ママ! あのおっきな建物がね、ボンッってなったよ!」
 鈴乃は、このみの頭を撫でながら、フロントガラスの向こうを見ていた。
「こういうときはね、“厄介なことになったわね”って言うと、格好いい!って褒められるわよ」
 このみは嬉しそうに、目を大きく丸く、見開いた。
「やっかいっ!」
 鈴乃は、このみから双眼鏡を借りて、改めて、目の前に広がる光景を見た。
<ミタライ・ビル>の一階が、爆煙にまみれていた。まだ、<カザギワ>と<ツガ>が突入していないのにも関わらず。

つづく




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2008年02月15日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第152回(2版)


次に会うときは。


「さあ、どうしてですか?」
 井織はとぼけた。他に、どうしようもなかった。
「うまくないな。仮にも、<カザギワ>で情報を動かしていた男だろう。もう少し、理知的な言葉を返してほしいところだったな」
 ベンチの周囲で、風景に溶け込んでいた者たちが、筒本を囲んだ。ジョギングにいそしんでいた者。スーツとコートに身を包み、鞄をぶら下げ、腕時計をちらちらと見ていた、サラリーマン風の男。信号を待っていた、腕を組んだ壮年のカップル。四人。彼らが実際に動くまで、井織には分からなかった。新巻に紹介され、一度は顔を見たことがあったのに。筒本を囲まんとしている者たちは全員、<デイライト>の人間だった。
「俺のことを、ハメたんですね」
「<カザギワ>を裏切った人間が、再び<カザギワ>の人間と会おうとしている。興味を惹かれるシチュエーションだと、私は思うがね」
「でしょうね」
<デイライト>の者たちに囲まれた筒本は、抵抗することなく、ぐったりとその場に倒れそうになる。<デイライト>は、さも筒本のことを助けるために近寄ったかのような演技を始める。大丈夫ですか? 携帯電話を開く者。もっともらしく、筒本の胸に耳を当てる者。大きな声で呼びかけて、意識の有無を確かめるふりをする者。「もしもし、大丈夫ですか!」。もちろん、筒本は意識を取り戻したりはしない。もし取り戻したとしても、再び奪われるのがオチだ。
「怒っているのかね?」
「いいえ」
「君にとって、もう<カザギワ>は過去のものだろう?」否定した井織の言葉が聞こえなかったかのように、新巻は言う。「いまさら、<カザギワ>の人間がどうなろうと、関係ない。君が選んだのは、<カザギワ>ではなく、妻の光子君なんだから」
 新巻には、そして<デイライト>の誰にも、光子の死は伝えていなかった。彼らと共有すれば、彼女の死の色が変わる。そんな気がしたからだ。
 すぐ近くに、黒いフルスモークのワンボックス・カーが停まっていた。気を失った筒本は、<デイライト>の者たちに、そのワンボックス・カーの方へと運ばれていく。
「あいつを、どうするつもりですか」
「かつて、君の部下だった男だろう? 栄養価の高い食材だ。骨まできちんと味わってから、捨てるよ」新巻は言った。「ああ、料理は君に任せたいんだが、どうかな? そういう料理の経験が、君にはあると聞いたが」
 筒本の拷問を、井織にやらせる。新巻は、そう言っていた。ワンボックス・カーのドアに手をかけた、サラリーマン風の男が、新巻に目配せをした。新巻は頷いた。男がドアを閉める。
 井織は、彼らとの距離を測った。およそ、百メートルくらいだろう。
「返事が聞こえないな、井織」
 コートのポケット。その中で銃を握り、外套越しに新巻に突きつけた。強く。押しつけるように。新巻は、丸めていた背中を少しだけ伸ばした。
「何をやっているか、分かっているのか、井織」
「分からないほど、馬鹿に見えるのか? 俺が」
 返事は、聞かなかった。銃を撃った。脅しにするつもりはなかった。数発続けて撃ち込む。目から光を失い、傾きそうになる新巻の巨体を支え、ベンチの上で重心を整える。新巻のコートの中には、オートマティックの銃が二丁。もらい受け、新巻から離れた。かつて、彼であった巨体から。
 ワンボックス・カーの中の者たちが、異変に気づいていた。しかし、彼らに確信はない。その分、隙があった。早足で歩きながら、彼らへ向けて引き金を引いた。ドアを閉めたサラリーマン風の男が、ドアに体をぶつけ、その場に崩れ落ちる。助手席から、ジョギングの男。こちらに、狙い定めるものは、井織自身の体しかない。ジョギングの男には、ワンボックス・カーがある。井織は、それを狙い、引き金を引き続けた。ジョギングの男の胸が赤く爆ぜる。壮年のカップル。判断を誤った。仲間を呼び、態勢を立て直すべきだった。が、そうはしなかった。彼らは反撃を選んだ。ふたりの表情が分かる所まで、井織は近づいていた。腹に穴を開けて女が死ぬ。が、男は車の陰に潜みながら銃を撃っていた。馬鹿め。井織は思った。時間をかければ、警察が来てアウトだ。その他にも、アウトの要因はあった。井織の銃弾が、男の体を捉えていないのにも関わらず、銃声がやむ。車の陰から、男の首を絞め上げながら出てきたのは、筒本だった。意識を取り戻したのだ。井織は銃を下ろし、頷いた。
「<カザギワ>に、戻ってくる気になったんですね」
「お前は」井織は言った。「<デイライト>の情報を引き出すために、かつて部下だった地位を利用し、俺に近づいた。が、俺は罠を張って仲間と待っていた。お前は反撃し、<デイライト>の者たちを返り討ちにした。運よく。お前には、運悪く。俺は死なずに、その場を逃れた」
「何を言ってるんです」
「新巻が死んだ。<デイライト>のトップだ」井織は、ワンボックス・カーの側で死に絶える<デイライト>たちを見下ろした。「新巻に次いで地位の高い者たちは、彼らだ。あとは、復讐の二文字に囚われて、周りの見えなくなっている連中ばかりだ」
「井織さん」
「残っている、<デイライト>の連中の手綱を握るのは簡単だ。今日、新巻を含めた仲間も、“<カザギワ>に殺された”。これを火種にすれば、あとはふうふう吹くだけさ。ケーキのろうそく消すみたいにな。火は、吹いた方向に泳ぐ」
「言っている意味が分かりません、井織さん」
「これでも、元<カザギワ>だ。ある程度、やり口は把握している。手強いぞ、俺は」
 パトカーのサイレンが聞こえてきた。筒本は言った。
「場所を変えて、落ち着いて話をしましょう」
「もう一度、言っておく。次に会うときは、敵同士だ。忘れるなよ、筒本」
「あなたは今、興奮して頭が沸騰してるんです。時間を置けば」
「筒本」井織は言った。「その時間は、ないさ」
 筒本に背を向けた。撃たれるかもしれない。井織は、そう思った。が、それならそれでいい。しかし、井織が姿を消すまで、銃声がその耳を叩くことはなかった。
 自分のしたことは、分かっていた。しかし、後悔はしていない。

つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む
ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 10:00| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

短編小説 ちゃんと、覗いてますから。(2版)



 彼女の瞳に映っているのは、僕ではなく、絶望だった。その色と深さに、こめかみがズキズキとした。

 父親に買ってもらった、天体望遠鏡で覗きをしていた。向かいにあるマンションの一室。カーテンを閉める習慣を持たず、無防備に日々を過ごす彼女を。

 彼女の着替えを、風呂上りのバスタオル一枚の姿を、そしてセックスする姿を見ながら、オナニーに励むことが、いつしか僕の生活の一部になっていた。

 その彼女が、いつまで経っても、レンズの向こうに現われなかった。

 彼女がいなければ、僕の夜は空虚なものになる。持て余した時間に、別の人間を探した。好奇心か、性欲を満たしてくれそうな、マンションの住人を。

 望遠鏡を、屋上に向けたのは、偶然だ。彼女を見つけたのも。

 いつも夜を満たしてくれる彼女は、十数階もあるマンションの屋上の、フェンスの外側で、風に吹かれていた。

 止めなければ。そう思った。部屋から飛び出て、僕は久しぶりに全力疾走をした。何年かぶりに吸う外の空気は、乱暴なほど新鮮だった。肺が悲鳴を上げるように激しく動いているのが、何だか心地よかった。

 そのかいもあってか、間に合った。彼女はまだ、フェンスの外側で髪をなびかせていた。

「あなた、誰?」彼女は言った。

「ケン。小宮ケン。あなたの名前は?」

「倉橋トモヨ」そう言って、彼女はふふ、と笑った。「どうして、ここに?」

「覗いてました」

 僕は言った。自分で、自分が信じられなかった。

 覗き。責められこそすれ、胸を張ることなど、できない行為だ。犯罪だ。なのに、自分が彼女に対してしていたことを告白した。僕の声は、清々しいほどに透き通っていた。後ろめたさなど、微塵もなかった。

「そうなの。あたし、覗かれてたんだ」

「ごめんなさい。でも、あなたは、とても素敵で」

「ありがとう」

 倉橋トモヨは、なびく髪を手で押さえた。少し茶色く染め、パーマのかかった、長い髪だ。

 前は、黒のストレートだった。そちらの方が好きだったけれど、今の髪型も好きだ。彼女に似合っている。

「あたしね」倉橋トモヨは言った。「これから、死ぬのよ」

「どうして」

「何だ。あたしのこと、覗いてくれてたんじゃなかったの」

 彼女は、寂しそうに笑った。

「いえ、ちゃんと覗いてました!」

 自分でも笑ってしまいそうなセリフを、大声で叫んでいた。そうでなければ、屋上で吹き荒れる風を、突き抜けられない気がした。

 倉橋トモヨが死ぬ理由。心当たりなら、あった。一週間前の、恋人らしき男との喧嘩だ。

 それからと言うもの、彼女はひとりで部屋にいるときは、携帯電話を見つめてばかりだった。悲しそうに。

「彼氏と、別れたからですか」

「そうだよ」

「喧嘩の原因は、何だったんですか?」

「何てことないの。街でデートをしてたら、彼ね、すれ違ったかわいい女の子のことを見ててね。だから、ちょっと言ってやったの。“他の女の子のことばかり見て、やらしい人ね”って。意地悪を言ってやっただけのつもりだったんだけどね。彼、もうキレちゃって。“お前にはうんざりだ!”って」

「そんな」

「結婚の約束だって、してたのにね。あたしったら、馬鹿みたい」

「そんなことありません」僕は言った。「あなたは綺麗で、優しい目をしてて」

 中学一年生の頃だった。小学校からの付き合いだった親友と、些細なことから口論になった。

 もう、三年以上も前のことだ。理由は覚えていない。記憶するほどの価値もなかった理由だ。それだけは、覚えている。

 僕は、親友のことを無視するようになった。それが、始まりだった。

 クラスの中で、僕と言葉を交わしてくれる人間が、一人、また一人と減っていった。一学期が終わる頃には、クラスメイト全員が、僕を無視するようになった。

 首謀者は、親友だった。

 二学期が始まり、三学期が始まっても、それは終わらなかった。

 僕は音を上げた。学校へ行き、クラスメイトたちと、友情を育むことを、諦めた。

 家で、ただひたすらに、部屋に引きこもり続ける生活に、変化を与えてくれたのが、望遠鏡と、倉橋トモヨだった。倉橋トモヨがいなければ、僕はここにはいなかったかもしれない。

「あなたのことが、好きなんです。倉橋トモヨ」

「ありがとう、ケン君。嘘でも」

「嘘じゃありません。冗談でもない。僕は、あなたが好きです」

「じゃあ、一緒に死んでくれる?」

 耳を疑った。

 倉橋トモヨは、顔をほころばせた。

「ごめん。意地悪言っちゃったね。嘘だよ。冗談。でもね、お願いがあるの。邪魔だけはしないで。あたしがここから飛び下りるのを」

「いいですよ」僕は言った。

「え?」

 倉橋トモヨは花だ。殺伐とした僕の日常に咲いた、一輪の花。

 今それが、自ら散ろうとしている。一緒に散るのも、悪くはない。そう思った。

 僕はフェンスに手をかけた。弾みをつけて、登る。身長よりも、三十センチほど高いフェンスは、登るのに少し、時間がかかった。

「馬鹿だね」

「ええ、馬鹿ですよ」

 フェンスを越えた。倉橋トモヨに助けを借りて、向こう側へと下りる。

 景色は、ガラリと変わっていた。暗さを増したように感じる夜がどこまでも広がっていて、足下、はるか下を行き交う車の明かりに、眩暈がした。

「大丈夫?」倉橋トモヨが、僕の手を握った。

「大丈夫ですよ」

 僕は言った。嘘でも、強がりでもなかった。

 彼女の手のぬくもりがあれば、どこへでも行ける。そう思った。たとえ、死の世界でも。

 倉橋トモヨが言った。

「キス、したことある?」

 なかった。女の子と、付き合ったこともない。僕は、思いきり首を振った。

「初めて、もらってもいい?」

「いいですよ」

「じゃあ、目を閉じて」

 倉橋トモヨが言った。僕は、言われた通りにした。着ていたダッフルコートの袖で、自分の唇を、ごしごしとこする。

 だが、彼女の唇は、いつまで待ってもやって来なかった。何か、彼女の気に障ることでもあったのだろうか。僕は思った。

 いくら考えても、キスが訪れない理由は分からなかった。

「すいません、ちょっと、目を開けてもいいですか?」

 僕は言った。倉橋トモヨは、何も言わなかった。

 もう一度、同じ言葉を繰り返してから、僕は目を開けた。

 倉橋トモヨはいなかった。

 足下を見た。車の明かりが、乱れているのが分かった。人だかりができ始めていることも。その中心に、倉橋トモヨがいることも。

 手のひらをこすって、彼女のぬくもりを探した。強い風に吹かれて冷たくなっており、見つけることはできなかった。

 置いていかれた。そう思った。

 勇気のある者ならば、彼女を追って、ここからジャンプするのだろう。足下を見つめながら、そう思った。

 僕には、無理だった。

「ずるいや」

 そう、小さく呟くことしかできなかった。



posted by 城 一 at 01:53| 短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月08日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第151回(3版)


堕ちるなら、俺が先さ。


 こんなに太陽の光が眩しいのは、誰のせいだろう。井織誠は考える。三が日と称される期間の最後の日、一月三日。日本在住のたいていの人間は、家で家族と一緒にいて、テレビの前でおせち料理に舌鼓を打ちながら、のんびりと新しい年に体を馴染ませている。しかし、井織は今日、外にいて、寒風にその身をさらしている。彼を慰めるかのように、太陽が空で輝いているが、そんなものは井織の慰めにはならない。それどころか、近頃夜行性になっている彼の体には、サディスティックな人間が振るう鞭のような役割しか果たさない。
 井織は、痛みや、かゆみにも似た、チリチリとした感覚が襲っている目の縁に耐えながら、ベンチに座っている。長い年月を風雨にさらされて傷だらけで、傷口からは元の木の色が見えている、ターコイズ・ブルーのベンチだ。誰かがふざけてカッターかナイフか何かで、相合い傘を刻んでいた。その下に、男女の名前を並べている。トミオ、ジュリ。くだらない。子どもの戯れだ。が、井織は頭の中に空想の相合い傘を描き、妻の、あるいは妻であった光子と、自分の名前を並べてみる。涙は出ない。ただ、試してみただけだ。井織は、目を閉じた。軽い睡魔がやって来たからだ。が、眠ることはかなわなかった。ベンチが揺れるのを感じた。筒本が来たのだ。井織は、目を閉じたままでいた。彼の存在を感じたからと言って、途端に反応すれば、周囲にいるかもしれない誰かに、不審に思われるかもしれない。
「お久しぶりです」
 筒本は言った。井織は目を開けない。しばらく、そのままでいるつもりだった。ただ、井織は着ているコートのポケットの中に、銃を持っていて、ポケットの中に入れた手で、それを握っていた。それを、離しはした。筒本から、殺意を感じなかったからだ。かつて<カザギワ>にいた頃、部下であった男も、今では敵に他ならないのだ。油断するわけにはいかなかった。
「眠っているんですか? 本当に」
 返事をしない井織に、不安を覚えたのだろう。筒本はそう言った。井織は、寝返りのつもりで体を少し揺らして傾け、そのあとで目を開けた。筒本と、視線を交わすことはしない。交わした視線から、ふたりの間にある細い糸のような絆を察知されても困る。
「眠るところだった。本当に」
 時刻は、午後零時を大きく過ぎていた。時間ぴったりに、ふたりがこのベンチに来ても困りはしただろうが、かと言って、少々許容範囲のラインに抵触するほどの時間にはなっていた。井織は、ベンチに来たときに腕時計を見なかったから、どれくらい経ったか、正確には分からないが、結構経過している。体の芯には、コートでは防ぎきれなかった寒気が、じわじわと侵食を始めているのだから。
 すみません。筒本は謝った。いや、いいさ。井織は彼を許した。本心だった。筒本が、ここにこうして来てくれただけでも、感謝しなければならない。井織は、そう思っている。井織は既に、<カザギワ>ではなく、その敵側に位置する<デイライト>と称される組織の一員なのだ。その井織と会うということが、どういうことを意味するのか。筒本だって、分かっているはずなのだ。にも関わらず、かつて<カザギワ>にいた頃のように、部下として井織に接してくれる筒本。そんな義理堅い男に、感謝しこそすれ、罵ったりなどできようはずがない。
「お前のために、何かできることはないか。俺に」
 互いに別々の方向を向いたまま、言葉だけを投げかける。衣擦れの音で、筒本が首を振ったのが、井織には分かった。彼が、拒むのは、何となく分かっていた。
「ありませんよ。……いや、あるかな。<デイライト>を抜けてください」
 元々、妻の光子が作った借金を返すために、その報酬を稼ぐために、<カザギワ>を裏切り、<デイライト>に入ったのだ。その大きな理由であった借金を作った光子は、もうこの世にはいない。飛猫こと、鏑木鈴乃に殺されたから。裏切り。井織が、大嫌いだった行為だ。だから、<デイライト>を抜けることに対して、抵抗はないはずなのだ。理屈で言えば。しかし、井織の体のどこかで、彼が感知できないどこかで、何かが働いている。それが、井織に頭を縦に振らせない。代わりに、井織は首を横に振る。
「無理だ」
「どうして」
 さあな。呟いて、井織は考える。どうしてなのだろう。<デイライト>に留まる理由は、もうないはずなのに。感知できない何かを、感知しようと試みてみるが、少しして彼は諦める。体が、心がそう言っているのだ。理屈ではない。
「俺は今日、お前に説得の機会を与えるために、この時間を作ったわけではない」
「冷たい言い方だ。正確には、俺はもうあなたの部下じゃないのに」
「だが、こうして会いに来てくれた」
「馬鹿なことをしたと思ってますよ。俺の中でね。もうひとりの俺が、俺をあざけってますよ。こんなことをしていれば、いつか道から足を踏み外すぞ、ってね。そして、底の見えない奈落に落ちるぞって」
「堕ちるなら、俺が先さ」
「そうですね」
 否定しろよ。井織が言うと、筒本は笑った。そう。今日、筒本に会ったのは、彼に井織のことを説得する機会を与えるためでは、ない。子犬のことを、調べてもらったのだ。筒本に。飼っていた、イングリッシュ・コッカー・スパニエルのポロ。それが、光子と一緒にいて、彼女とともにその短い生涯を終えたと思われていた、子犬のポロが、生きているという話を聞いたからだ。筒本から。その事実確認を、そしてポロの行方を調べてくれるように、井織は頼んでいた。できなければ、気が進まなければ、今日、井織に会わなくてもいい。そう言ってあった。来たということは、その意思があり、できたと言うことだった。井織は言った。
「で?」
「で?」筒本は、肩をすくめた。「気づきませんか? あの犬、可愛いですね。知ってます? イングリッシュ・コッカー・スパニエルって言うんですよ」
 井織は、顔を上げた。
「お前」
 ポロが、そこにいた。かなり男らしい雰囲気を持っている、中年の女にリードを握られて。彼女が連れている犬はポロだけではなく、他にも二匹、同じように型の小さい犬がいた。イタリアン・グレーハウンドと、ボストン・テリア。おとなしく飼い主に歩調を合わせている二匹に比べて、ポロには落ち着きというものが、微塵もなかった。それは、まだ新しい飼い主と、今までいなかった兄弟(あるいは姉妹)に対する緊張や混乱からかもしれない。ポロは飼い主の握るリードを常にピンと張り詰めさせて、右へ左へと自由に走り回っていた。元気でやっていることは、確かなようだった。
 井織は、筒本を見そうになるのを、必死でこらえた。この出会いが、偶然の産物であるはずがない。筒本は、ポロの飼い主が、この時間に、このボロボロのターコイズブルーのベンチの前を通ることを調べた上で、この場所を井織との待ち合わせ場所に指定したのだ。
「憎たらしいことをするようになったな」
「どういたしまして」筒本は言った。「ポロは今、大貫志津子という女のマンションで、一緒に住んでいます。ご覧になって分かるように、他の二匹と一緒に、ね。大貫志津子は、<テレサ>っていう店で、バーテンダーをしてます。彼女の所にポロを連れていったのは、もちろん」
「ネコ、か」
「ええ」
 あいつ。井織は、呟く。そして、思う。味な真似をしやがる。井織が、実際に彼女に会うまでに聞いていた話では、そんなことをするような女ではなかった。感情をその体に内包しているのか、疑いたくなるほど冷徹で、命令されたことは、必ず実行する。そういう女だった。光子を殺せば、一緒にいたポロも必ず処分する。そう、井織は思っていた。それは、鈴乃でなくとも、<カザギワ>の殺し屋なら、当たり前に選ぶ行動だった。殺すべき対象の所有物なのだ。犬ではあっても。対象とともに、処分するのが妥当な判断だ。鈴乃がポロを、光子と一緒に殺さないためには、同じ場所にいた<カザギワ>の者たちへ、何らかの説明をしなければならなかったことだろう。たかが、思い入れもない子犬一匹のために、奇異な視線を受けながら。そうしてまで、ポロの命を助けた、鏑木鈴乃。井織の中にある彼女のイメージに、かつてあった、彼女へのイメージは、ほとんど残っていない。
 ポロが、足を止めた。鼻をピクピクとさせながら、周囲をうかがっているのが分かる。井織のにおいに気づいたのだ。井織は、直感的にそう思った。とっさに、だが音を立てずに立ち上がると、ベンチの後ろに隠れた。「ちょっと、何やってるんですか」と筒本が言う。当たり前だ。井織が目立つ行動をすれば、自然、筒本にも注目が集まってしまう。だが、井織には、筒本よりもポロと接触しないことの方が、優先順位が高かった。ポロは、その小さい毛むくじゃらの体に詰まった嗅覚を総動員して、周囲を探っていた。ポロに見つかってしまえば――井織は思ったところで、首を傾げる。どうなるのだろう? ポロが、井織の名前を呼ぶわけではない。あくまでも、子犬が気に入った、通りすがりの人間を装えばいいのだ。飼い主は、わざわざその人間の名前を聞くこともしないだろう。たとえ聞かれたところで、偽名を答えれば済む話だ。井織は思い、ベンチの陰から立ち上がった。しかし、時既に遅し。ポロは、気になるにおいの持ち主を探すのを諦め、再び、飼い主のリードをぐいぐいと引っ張ることに、執心していた。井織は、ポロに分かるように挙げかけた手で、ベンチの背もたれを握った。
「勘弁してくださいよ。お互い、目立つ行動をできない身分だっていうことは、分かっているはずでしょう?」
「ああ。すまない」井織は言った。
「<テレサ>の紙マッチを置いていきます。ポロに、どうしても会いたくなったら、行けばいい」筒本は言った。
 井織は元の通りにベンチに戻り、だが、筒本を見ることはせずに、言った。
「ありがとう」
「<カザギワ>は、<ミカド>の中心で、その原動力になっていたペーパーメディア<Z city>の作成者、永倉帝明を捕まえました。そいつから、<デイライト>の本拠地、メンバー等の情報も手に入れています。近々、<ツガ>と共同で潰しに行きます」
「ああ」
「死にますよ」
「そうだな。分かっている」
「なら、なぜ<デイライト>に留まるんですか。こだわるんですか。彼女と同じ場所に行きたいと思ってるんですか」
 彼女。もちろん、光子のことだ。どうなのだろう。井織は、自分の中を覗き込んでみるが、答えは見つからない。自分が生きたいのか、死にたいのかも分からない。正常な状態ではない。そう思う。最低限、把握していなければならないものも、分からないのだ。井織は首を振った。さあな。筒本に、言う。確かなのは、体が、あるいは頭のどこかが、<デイライト>を離れることに対して、異議を唱えているということだ。
「もう、いけ」井織は言った。「次会ったら、敵同士だ。忘れるなよ」
 分かってますよ。筒本は言った。まだ、何か言いたそうだったが、彼の心の中にあるものは、言葉になって外に出ることを拒んでいるようだった。筒本は諦め、ベンチを立った。彼が座っていた所には、彼が言った通り、<テレサ>というバーの紙マッチが置いてあった。それを手に取った井織の肩を、叩く者がいた。正確には、叩き、爪を立てる者が。コートの外からでも分かるほど肉厚で、握力が強い。井織は、その手を持ち主を知っていた。
「なぜ、帰すんだ? 私は残念でならないよ。井織」
 井織の肩を叩いた、肉厚な手のひらの持ち主は、井織の隣に来て、ベンチに座った。
 いい天気ですね。井織は、言ってみる。声に、動揺は滲んでいない。そう、自分で確認しながら。現われた男は、身長百九十センチ超、体重は百三十キロ超の巨体の持ち主で、三人は腰掛けられるはずのベンチを、井織とふたりで占領してしまった。ひとりで、ほとんどふたり分のスペースを使って。
「天気はいい」男は空を見上げる。男の名前は、新巻(あらまき)。<デイライト>を組織し、動かしている男だ。「だが、私の気分はあまり優れない。どうしてだか、分かるか?」
 今、隣にいる男は、明らかに殺気を放っていた。だが、井織はコートのポケットにある銃を握りはしない。彼がいるということは、少なくとも片手で数えられるくらいの数の<デイライト>の人間が、側にいるはずだから。彼らは例外なく、一丁以上の銃で武装している。たかがオートマティックの銃一丁で、その彼らを相手に、大立ち回りを演じるつもりは、井織にはなかった。
「さあ、どうしてですか?」
 井織はただ、小首を傾げることしかできなかった。

つづく




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posted by 城 一 at 06:40| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第150回(2版)


Happy New Year


 慶慎は、目やにで汚れた目を擦った。寝癖のついた頭に、少し前まで見ていた夢の記憶は、残っていない。ただ、バターを箱ごと流し込んだような不快感が、胃と胸の間で、慶慎の気持ちを重たくしている。
「ハッピー・ニューイヤー」
 男が言った。カジという名の、ホームレスだ。当てもなく歩き回る慶慎を、街で何度も見かけるうちに、心配になって、自分の根城に連れてきたのだ。薄汚れた、山吹色のテントの中に。
 紺色の寝袋の上であぐらをかき、いまいち状況を把握できていない慶慎の前に、カジはカップそばを差し出した。湯を入れてからしばらく経っているので、湯気は今にも消えそうなほどにしか、立っていない。
「年越しそばだ。本当は、お前さんと一緒に、カウントダウンをしながら食べたかったんだがな。いくら起こしても、起きないもんだから。新年が、もう少し時間に融通の利くヤツだったら、よかったんだけどなあ」カジはそう言って、笑った。
 年を越してしまえば、意味がなくなるものでも、食べものは食べものだ。腹に入れれば、胃は満たされる。慶慎は、ふたの上に乗っていた割り箸を割って、そばを食べた。
 テントの外は、騒がしかった。三十代後半、カジに似たり寄ったりの年の頃のホームレスたちが、入れ替わり立ち代わり、テントの入口から顔を出し、カジに新年の挨拶をしていった。テントがあるのは、外ではない。街にある、<モッキンバード・ビル>という、何年も前からテナントに恵まれていない廃ビルで、今やホームレスたちが集まり、肩を寄せ合って生活をする場になっている。外が騒がしいのは、その集まったホームレスたちが新年を祝い、早々に酒盛りを始めているからだ。正確には、前日の大晦日から始まっていたのだが。慶慎は、テントから出て、そこに加わるつもりはなかった。慶慎はまだ、このビルに来て間もない。カジ以外のホームレスとは、全くと言っていいほど、打ち解けていなかった。もっと言えば、カジとの関係も、打ち解けたと言うには、いささか早急な感が否めない。
 そんな慶慎に気を使ったのか、カジはテントの中で、慶慎の側にいた。酒盛りを始めた連中から分けてもらったらしい、缶ビールが、テントの隅にいくつかあった。カジはそれを、慶慎に勧めた。慶慎は首を振った。そばを食べ終え、スープをすする。
 カジはひとりで開けたビールを飲みながら、テントの外を眺めていた。無理して、僕と一緒にいなくてもいいのに。慶慎は思うが、口には出さない。
 カジが言った。
「うなされていたよ」
「え? 誰が、ですか?」
「お前さんが、さ。何があったのかなんて、聞かないよ。けど、無理だけはするなよ。いたけりゃ、いつまででも、ここにいていいんだからな」
「はい」
 慶慎は頷いたが、そう長く、カジたちのいる、この“聖域”に留まるつもりはなかった。カジや彼らのことが、嫌いなのではない。僕は、この場所にいるべきではない。漠然と、そんな思いに駆られているからだ。
 新年なのにも関わらず、盛り上がらない会話を少し続けたあと、慶慎は、もう少し眠ります、と言って寝袋に入る。そして、眠ったふりをする。カジはしばらくテントの中にいた。何も言わず、動いて音を立てることもしないが、慶慎のことを見守っているのが分かった。嘘の寝息を立てるのにも疲れ、慶慎は黙って目を閉じていた。それを、寝入ったものと思ったのか、それとも慶慎の寝顔を見ているのに飽きたのか。カジは、酒盛りに加わるためにテントを出ていった。
 酒盛りは、新年第一日目の夜まで、参加人数を減らしながらも、続いた。ようやく終わりを迎えたのは、日付が二日に変わった頃だった。皆、宴に気分を高揚させていたものの、体力が底をついたのだ。酒盛りに興じたホームレスたちは、軒並み眠りについていた。
 慶慎は違った。テントを出れば、強制的に酒盛りに参加させられるような気がして、寝袋に入ったままでいて、のんびりと眠りと覚醒を繰り返していた。その結果、酔いしれるホームレスたちが睡魔に勝てなくなった頃に、慶慎はすっかり睡魔に見放されていた。ちょうどいい。慶慎は思った。今までありがとうございました。寝袋の中で眠るカジにそう言い残し、慶慎はテントを出た。

つづく




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2008年02月02日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第149回(3版)


命は、そうでなければならない。


 少女の胸を角で貫き、彼女の存在を消し去ったのは、人間ですらなかった。羊。大きな、雄の羊だ。彼は、平然と人語を口にした。
「少し、話をする必要がある。慶慎」
 ねじれ、曲がり、羊の頭上を飾っている角は四本。それは王冠のようで、右角は暗赤色、左角は赤紫色に染まっている。地の色は、黒。それが、複雑に混ざり合い、粘りつくようなマーヴル模様を描いていた。桃色の花崗岩でできた、右の眼球。表面には、アルファベットの“K”が刻まれていた。包帯でぐるぐる巻きにされた、左前脚。その体を覆っているはずの羊毛はなく、代わりに他の動物の体毛や、草木、木の葉がくっついている。体を汚す、彼のものなのか、それとも他の動物のものなのか分からない血が、糊の役割を果たしていた。
 床を濡らす、少女の血。慶慎はそれに、指で触れた。
「僕は、そうは思わない」怒りで、声が震えていた。
 視力を有しているようには見えない、硬い花崗岩の代わりに、羊は左目を細めた。
「怒っているのか」
「当たり前だ」
「理解しかねるな。さほど、“あれ”と親しかったわけでもあるまい」羊は首を傾げた。「それとも、体を許されれば、心を開くように、お前はできているのか?」
「黙れ」
「そうか、そうだったな。そうできているんだったな。まったく。困った性質を持ったものだな、お前も」
「なぜ、彼女を殺した」
「殺した? それは違う、慶慎。胸に穴が開いて、血が流れようと。涙を流し、苦しもうと。そう見えるだけだ。その証拠に、あれがいた形跡は、もうないだろう」
「何を言ってる! 彼女の流した血はここに」慶慎は自分の指を見て、眉間に皺を寄せた。少女の血に触れたはずの指先は、全く汚れていなかった。爪があり、指紋があり。肌色で、指の腹の柔らかい感触があるだけだ。慶慎は足下を見たが、少女が脱ぎ捨てた服も、流した血も、床にはなかった。「そんな。どうして」
「生きていた形跡も残せない存在を、恋焦がれるのか、お前は。絶望するよ。そんな子どもが、私の主だとはな。まあ、そんなことを言っていると、私も消されてしまうかな」
「彼女を返せ」
 羊は、慶慎に歩み寄り、その額に自分の額をぶつけた。
「そんな簡単なことは、激昂しながら言うことではないよ、慶慎。お前が望めば、いつでも彼女は戻ってくる。ここは、生と死の境界線が、曖昧な世界なんだから」
「本当に?」
 言いながら、慶慎は羊の言ったことを試していた。頭の中に少女の姿を描き、彼女の声を聞こうとした。彼女の体を彩る、柔らかい体温を感じようとした。少し前に会ったばかりなのに、少女のことは細かな部分まで鮮明に、記憶に残っていた。
「ケイちゃん」少女の声がして、慶慎は横を向いた。地下鉄の入口の側にある、ステンレスのバーに腕を絡めて、少女が微笑んでいた。少女は言った。「ありがとう、ケイちゃん。あたしのこと、望んでくれて」
 いいんだ。慶慎は呟いて、少女に触れようと手を伸ばした。が、その目の前で少女の体はぐしゃりと折れ曲がった。壁に激しい音を立てて衝突し、血を吐き、倒れる。体には大きな穴が開いていた。羊だ。その頭を飾る凶暴な角で、また少女の体を貫いたのだ。少女は、慶慎と体温も、言葉も交わすことなく、姿を消した。
「驚いたよ。ここまで、愚か者だったとはな。すぐに消失し、すぐに蘇る。それが何を意味するのか、分かってないのか? 容易く失われ、容易く戻ってくるような存在が、お前は欲しいのか」
 羊の頬。慶慎は足で捉え、その巨体を地下鉄の入口に叩きつけた。窓にひびが走る。
「そう思ったから、望んだ」
 羊は、顔の側面を割れた窓にくっつけたまま、慶慎を見た。
「まったく。そういう強い意思表示を、外界でもできるようになるといいんだがな」
 角。標的を捉えるべく線を描いたその先端を慶慎はかわし、捕まえた。勢いを利用して体を翻し、羊の体に飛び乗る。腕を目一杯伸ばして羊の首に回し、そのまま絞め上げる。羊は人語を忘れ、耳障りな、低くがさついた声で吼える。加減はしなかった。少女を二度も殺した、けだものだ。慶慎は背を弓のように逸らし、羊の喉を圧迫した。
 羊は首を振り、跳ね回った。車両の壁という壁に衝突を繰り返す。男性用のボクサーパンツを履いた金髪の女が、裸の背中をさらしている広告が。栄養ドリンク一本の効用を、一瞬でスーツが破けるほど全身の筋肉が発達した、サラリーマンの姿で伝えようとしている広告が。地下鉄の路線図が。オレンジ色のシートが。車両の中にある、あらゆるものが裂け、砕け、破壊され、宙を舞った。そして、同じように数多のケイシンの体も舞った。血、破けた服、穴の開いた体。そのひとつを緩衝材に、慶慎は壁に吹っ飛んだ。羊の動きが、激しすぎだのだ。間髪入れず、角が来た。かわせなかった。慶慎の体が、車両ごと揺れる。禍々しい色をした角が、慶慎の腹を貫いていた。
 慶慎は舌打ちした。羊の力は想像以上に強く、角を自力で抜くのは難しかった。踏ん張ることで、脚力を利用することができないのだ。倒れかけているところを貫かれた。慶慎は、床に座り込んでいる状態だった。
 羊は、角で慶慎の体を貫き、うつむいたまま言った。
「本当は、こんなことはしたくないのだ、慶慎。自分で自分を傷つけるほど、愚かなことはないからな」
「なら、しなきゃいいじゃないか」
「だが、こうしなければお前は死ぬ。断言してもいい」
 慶慎は、血の混じった唾を吐いた。そして、力なく笑いながら、言う。
「腹を角で貫いても、死なないと?」
「傷つき、苦しみはするだろうがな」
「勝手な理屈だ」慶慎は言った。「この角を、抜け」
「これ以上、私の存在を脅かさないと、約束するなら」
「僕は、お前みたいなけだものに知り合いはいないし、ましてや、お前の存在を脅かした覚えもない。約束なんか、できない」
「これ以上、意識を死へ傾けるな、と言っている」
「分からない」
「いや。分かっているはずだ」
「さっきの女の子を、二度も殺した。そして今、僕に敵意を剥き出しにして、角で腹を貫いている。そんなヤツの言うことを、聞くつもりはない」
「お前に対して、敵意などない」
「どの口が言う」
「いいか。言っておくぞ、慶慎。生きろ。何があってもだ。命は、そうでなければならない」
「決めるのは、僕だ」
「もちろん、そうだ。だが、違う」
「さっきの女の子は、僕が望んだだけで蘇った。頭の中で、思い描いただけで。ここは、そういう世界なんだ」
 慶慎は、独り言ちるように言った。そして、言いながら試していた。再び、少女を蘇らせようというのではない。それは、羊を倒せばいつでもできる。今、慶慎に必要なのは、そのための武器だ。銃。暗赤色のグリップを持つ、CZ75。スカーレット。頭の中で、映像を鮮明にしていくほどに、右の手のひらの中に熱を感じた。思った通りだ。慶慎は、胸の内で呟いた。
「何をやっている」
「おいで」羊の問いかけを無視して、慶慎は言った。「スカーレット」
 声に出して呼んだものが、慶慎の手の中にあった。弾は全て入っている。重みで分かる。慶慎はスライドを引き、薬室に弾を送り込んだ。羊は慶慎の腹から角を抜き、逃げようとした。が、遅かった。
「羊。お前は、不愉快だ。とても。だから」慶慎は銃で羊の額を狙った。「お別れだ」
 羊の額に赤い穴が開き、衝撃で跳ね上がった。ざまあみろ。慶慎は思った。引き金を引き続ける。銃弾は全て、羊の頭部に撃ち込んだ。
「後悔するぞ、慶慎」
 羊は言った。足下がガクガクと揺れているが、まだ倒れない。慶慎は目を閉じ、イメージした。車両内には、まだ息をしているケイシンがたくさんいる。彼らの手の中にある、銃を想像した。そして、その中に詰まっている銃弾を、全て羊に撃ち込む光景を。慶慎は目を開けた。イメージの通りになっていた。ケイシンたちが、揃って銃を持ち、その銃口を羊に向けていた。
「応用が利いてる。余計な知恵をつけてしまったな」羊は弱々しい声で言った。
「そうさ」
 火。音。地下鉄の中が溢れて、それ以外に何もなくなる。マズルフラッシュと、銃声だ。羊は鈍重な雄叫びを上げ、血を宙に飛散させながら、その場にぐったりと倒れた。が、驚いたことに、体中を穴だらけにされてもなお、羊は生きていた。その息が、長く続かないことは、見れば容易に分かったが。慶慎。羊は、呟いた。慶慎は、羊の側に膝を突いた。
「何をしたかったのか、よく分からないけど。とにかく、残念だったね」
「後悔するぞ」
「一度言われれば、十分だよ」
 慶慎はイメージした。もう、コツは掴んでいた。慶慎が想像した通りに、ケイシンたちは、羊に向けていた銃口を、自分たちに向けた。銃弾は残っている。躊躇はなかった。無数の銃声が、再度地下鉄の中を満たす。車両内にいたケイシンたちは全て、死んだ。あっけないものだった。慶慎の後ろに、車椅子に乗ったケイシンがいた。彼自身も、肘掛けの上に頭を垂れて、絶命していた。慶慎はその手から、銃を取った。弾が一発だけ残っていた。そのように、車椅子のケイシンの行動は、イメージしたのだ。慶慎は、その銃口を、自らのこめかみに向けた。
 反応できなかった。気づいたときにはもう、車両が丸ごと入るのではないかと思うほど、大きく開いた口が、慶慎の視界を覆っていた。羊。その、草食動物に似合わないほど発達した牙は、両手を手首ごと食いちぎっていた。真紅の切断面から、血が噴き出す。視界が揺れ、思考回路が停止した。手首があったはずの場所を、見つめる。激痛が切断面から根を張り、慶慎の体を内側から縛りつけた。視界が白く弾け、黒く幕を下ろすことを、コンマ一秒単位で繰り返した。慶慎は膝を突いた。悲鳴。
 羊は、激痛に泣き叫ぶ主人の姿を眺めながら、微かに笑い、そして姿を消した。
 誰か助けて。慶慎は叫んだ。が、今や、地下鉄の中には、それに答えるどころか、耳を傾けてくれる者もいない。羊に殺されたケイシンも、自殺したケイシンも。息絶えて少しすると、姿を消していた。車両内の風景は、何ごともなかったかのように、元通りになっている。壁では、男用のボクサーパンツを履いた金髪の女が、裸の背中をさらしている。栄養ドリンクを飲んだサラリーマンが、全身の筋肉を一瞬にして、異常なほど発達させている。まだ一度も駅に停まっていない地下鉄の行き先を、路線図は教えてくれない。オレンジ色のシートは無傷の状態に戻り、客を待っている。あるいは、慶慎を、あたかも珍客のように、冷たく見下ろしている。窓の外では、味気のない灰色の壁が、ひたすら後方へと流れている。慶慎が、腕の切断面から血を流して、いくら床を汚しても、すぐにそれは消え失せた。誰か。誰か。慶慎は、悲鳴を上げ続ける。叫びすぎたせいで喉が焼け、声すらも細くなり、消えそうになっている。痛みは慶慎の体を拘束し続け、思考が正常な状態に戻ることを許さない。
 やがて、涙とよだれと激痛にまみれた慶慎を乗せた地下鉄は、ひとつの駅に停まった。駅のホームには、客がひとりだけ、たたずんでいた。赤みがかった、長髪の大人の女。彼女は、地下鉄に乗り込んでくるなり、慶慎の姿を床に見つけた。そして、まあ、と声を上げた。
「どうしたの? 泣いてるじゃない。大丈夫?」
 女は言った。慶慎は、女がいることを認識してはいたが、返事をすることもできないほど、体力を消耗していた。できたのは、充血した目で、女を見上げることだけだ。女のことを知っているような気がしたが、慶慎には、彼女の顔がよく見えなかった。
「何か、あたしにできることはない?」
 女は言った。慶慎はこの世界で、言葉を使わず、相手に自分の望むことをしてもらう方法を、知っていた。だから、それを使った。何も言わず、して欲しいことを、頭の中で想像した。

つづく




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posted by 城 一 at 00:59| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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