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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年02月02日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第149回(3版)


命は、そうでなければならない。


 少女の胸を角で貫き、彼女の存在を消し去ったのは、人間ですらなかった。羊。大きな、雄の羊だ。彼は、平然と人語を口にした。
「少し、話をする必要がある。慶慎」
 ねじれ、曲がり、羊の頭上を飾っている角は四本。それは王冠のようで、右角は暗赤色、左角は赤紫色に染まっている。地の色は、黒。それが、複雑に混ざり合い、粘りつくようなマーヴル模様を描いていた。桃色の花崗岩でできた、右の眼球。表面には、アルファベットの“K”が刻まれていた。包帯でぐるぐる巻きにされた、左前脚。その体を覆っているはずの羊毛はなく、代わりに他の動物の体毛や、草木、木の葉がくっついている。体を汚す、彼のものなのか、それとも他の動物のものなのか分からない血が、糊の役割を果たしていた。
 床を濡らす、少女の血。慶慎はそれに、指で触れた。
「僕は、そうは思わない」怒りで、声が震えていた。
 視力を有しているようには見えない、硬い花崗岩の代わりに、羊は左目を細めた。
「怒っているのか」
「当たり前だ」
「理解しかねるな。さほど、“あれ”と親しかったわけでもあるまい」羊は首を傾げた。「それとも、体を許されれば、心を開くように、お前はできているのか?」
「黙れ」
「そうか、そうだったな。そうできているんだったな。まったく。困った性質を持ったものだな、お前も」
「なぜ、彼女を殺した」
「殺した? それは違う、慶慎。胸に穴が開いて、血が流れようと。涙を流し、苦しもうと。そう見えるだけだ。その証拠に、あれがいた形跡は、もうないだろう」
「何を言ってる! 彼女の流した血はここに」慶慎は自分の指を見て、眉間に皺を寄せた。少女の血に触れたはずの指先は、全く汚れていなかった。爪があり、指紋があり。肌色で、指の腹の柔らかい感触があるだけだ。慶慎は足下を見たが、少女が脱ぎ捨てた服も、流した血も、床にはなかった。「そんな。どうして」
「生きていた形跡も残せない存在を、恋焦がれるのか、お前は。絶望するよ。そんな子どもが、私の主だとはな。まあ、そんなことを言っていると、私も消されてしまうかな」
「彼女を返せ」
 羊は、慶慎に歩み寄り、その額に自分の額をぶつけた。
「そんな簡単なことは、激昂しながら言うことではないよ、慶慎。お前が望めば、いつでも彼女は戻ってくる。ここは、生と死の境界線が、曖昧な世界なんだから」
「本当に?」
 言いながら、慶慎は羊の言ったことを試していた。頭の中に少女の姿を描き、彼女の声を聞こうとした。彼女の体を彩る、柔らかい体温を感じようとした。少し前に会ったばかりなのに、少女のことは細かな部分まで鮮明に、記憶に残っていた。
「ケイちゃん」少女の声がして、慶慎は横を向いた。地下鉄の入口の側にある、ステンレスのバーに腕を絡めて、少女が微笑んでいた。少女は言った。「ありがとう、ケイちゃん。あたしのこと、望んでくれて」
 いいんだ。慶慎は呟いて、少女に触れようと手を伸ばした。が、その目の前で少女の体はぐしゃりと折れ曲がった。壁に激しい音を立てて衝突し、血を吐き、倒れる。体には大きな穴が開いていた。羊だ。その頭を飾る凶暴な角で、また少女の体を貫いたのだ。少女は、慶慎と体温も、言葉も交わすことなく、姿を消した。
「驚いたよ。ここまで、愚か者だったとはな。すぐに消失し、すぐに蘇る。それが何を意味するのか、分かってないのか? 容易く失われ、容易く戻ってくるような存在が、お前は欲しいのか」
 羊の頬。慶慎は足で捉え、その巨体を地下鉄の入口に叩きつけた。窓にひびが走る。
「そう思ったから、望んだ」
 羊は、顔の側面を割れた窓にくっつけたまま、慶慎を見た。
「まったく。そういう強い意思表示を、外界でもできるようになるといいんだがな」
 角。標的を捉えるべく線を描いたその先端を慶慎はかわし、捕まえた。勢いを利用して体を翻し、羊の体に飛び乗る。腕を目一杯伸ばして羊の首に回し、そのまま絞め上げる。羊は人語を忘れ、耳障りな、低くがさついた声で吼える。加減はしなかった。少女を二度も殺した、けだものだ。慶慎は背を弓のように逸らし、羊の喉を圧迫した。
 羊は首を振り、跳ね回った。車両の壁という壁に衝突を繰り返す。男性用のボクサーパンツを履いた金髪の女が、裸の背中をさらしている広告が。栄養ドリンク一本の効用を、一瞬でスーツが破けるほど全身の筋肉が発達した、サラリーマンの姿で伝えようとしている広告が。地下鉄の路線図が。オレンジ色のシートが。車両の中にある、あらゆるものが裂け、砕け、破壊され、宙を舞った。そして、同じように数多のケイシンの体も舞った。血、破けた服、穴の開いた体。そのひとつを緩衝材に、慶慎は壁に吹っ飛んだ。羊の動きが、激しすぎだのだ。間髪入れず、角が来た。かわせなかった。慶慎の体が、車両ごと揺れる。禍々しい色をした角が、慶慎の腹を貫いていた。
 慶慎は舌打ちした。羊の力は想像以上に強く、角を自力で抜くのは難しかった。踏ん張ることで、脚力を利用することができないのだ。倒れかけているところを貫かれた。慶慎は、床に座り込んでいる状態だった。
 羊は、角で慶慎の体を貫き、うつむいたまま言った。
「本当は、こんなことはしたくないのだ、慶慎。自分で自分を傷つけるほど、愚かなことはないからな」
「なら、しなきゃいいじゃないか」
「だが、こうしなければお前は死ぬ。断言してもいい」
 慶慎は、血の混じった唾を吐いた。そして、力なく笑いながら、言う。
「腹を角で貫いても、死なないと?」
「傷つき、苦しみはするだろうがな」
「勝手な理屈だ」慶慎は言った。「この角を、抜け」
「これ以上、私の存在を脅かさないと、約束するなら」
「僕は、お前みたいなけだものに知り合いはいないし、ましてや、お前の存在を脅かした覚えもない。約束なんか、できない」
「これ以上、意識を死へ傾けるな、と言っている」
「分からない」
「いや。分かっているはずだ」
「さっきの女の子を、二度も殺した。そして今、僕に敵意を剥き出しにして、角で腹を貫いている。そんなヤツの言うことを、聞くつもりはない」
「お前に対して、敵意などない」
「どの口が言う」
「いいか。言っておくぞ、慶慎。生きろ。何があってもだ。命は、そうでなければならない」
「決めるのは、僕だ」
「もちろん、そうだ。だが、違う」
「さっきの女の子は、僕が望んだだけで蘇った。頭の中で、思い描いただけで。ここは、そういう世界なんだ」
 慶慎は、独り言ちるように言った。そして、言いながら試していた。再び、少女を蘇らせようというのではない。それは、羊を倒せばいつでもできる。今、慶慎に必要なのは、そのための武器だ。銃。暗赤色のグリップを持つ、CZ75。スカーレット。頭の中で、映像を鮮明にしていくほどに、右の手のひらの中に熱を感じた。思った通りだ。慶慎は、胸の内で呟いた。
「何をやっている」
「おいで」羊の問いかけを無視して、慶慎は言った。「スカーレット」
 声に出して呼んだものが、慶慎の手の中にあった。弾は全て入っている。重みで分かる。慶慎はスライドを引き、薬室に弾を送り込んだ。羊は慶慎の腹から角を抜き、逃げようとした。が、遅かった。
「羊。お前は、不愉快だ。とても。だから」慶慎は銃で羊の額を狙った。「お別れだ」
 羊の額に赤い穴が開き、衝撃で跳ね上がった。ざまあみろ。慶慎は思った。引き金を引き続ける。銃弾は全て、羊の頭部に撃ち込んだ。
「後悔するぞ、慶慎」
 羊は言った。足下がガクガクと揺れているが、まだ倒れない。慶慎は目を閉じ、イメージした。車両内には、まだ息をしているケイシンがたくさんいる。彼らの手の中にある、銃を想像した。そして、その中に詰まっている銃弾を、全て羊に撃ち込む光景を。慶慎は目を開けた。イメージの通りになっていた。ケイシンたちが、揃って銃を持ち、その銃口を羊に向けていた。
「応用が利いてる。余計な知恵をつけてしまったな」羊は弱々しい声で言った。
「そうさ」
 火。音。地下鉄の中が溢れて、それ以外に何もなくなる。マズルフラッシュと、銃声だ。羊は鈍重な雄叫びを上げ、血を宙に飛散させながら、その場にぐったりと倒れた。が、驚いたことに、体中を穴だらけにされてもなお、羊は生きていた。その息が、長く続かないことは、見れば容易に分かったが。慶慎。羊は、呟いた。慶慎は、羊の側に膝を突いた。
「何をしたかったのか、よく分からないけど。とにかく、残念だったね」
「後悔するぞ」
「一度言われれば、十分だよ」
 慶慎はイメージした。もう、コツは掴んでいた。慶慎が想像した通りに、ケイシンたちは、羊に向けていた銃口を、自分たちに向けた。銃弾は残っている。躊躇はなかった。無数の銃声が、再度地下鉄の中を満たす。車両内にいたケイシンたちは全て、死んだ。あっけないものだった。慶慎の後ろに、車椅子に乗ったケイシンがいた。彼自身も、肘掛けの上に頭を垂れて、絶命していた。慶慎はその手から、銃を取った。弾が一発だけ残っていた。そのように、車椅子のケイシンの行動は、イメージしたのだ。慶慎は、その銃口を、自らのこめかみに向けた。
 反応できなかった。気づいたときにはもう、車両が丸ごと入るのではないかと思うほど、大きく開いた口が、慶慎の視界を覆っていた。羊。その、草食動物に似合わないほど発達した牙は、両手を手首ごと食いちぎっていた。真紅の切断面から、血が噴き出す。視界が揺れ、思考回路が停止した。手首があったはずの場所を、見つめる。激痛が切断面から根を張り、慶慎の体を内側から縛りつけた。視界が白く弾け、黒く幕を下ろすことを、コンマ一秒単位で繰り返した。慶慎は膝を突いた。悲鳴。
 羊は、激痛に泣き叫ぶ主人の姿を眺めながら、微かに笑い、そして姿を消した。
 誰か助けて。慶慎は叫んだ。が、今や、地下鉄の中には、それに答えるどころか、耳を傾けてくれる者もいない。羊に殺されたケイシンも、自殺したケイシンも。息絶えて少しすると、姿を消していた。車両内の風景は、何ごともなかったかのように、元通りになっている。壁では、男用のボクサーパンツを履いた金髪の女が、裸の背中をさらしている。栄養ドリンクを飲んだサラリーマンが、全身の筋肉を一瞬にして、異常なほど発達させている。まだ一度も駅に停まっていない地下鉄の行き先を、路線図は教えてくれない。オレンジ色のシートは無傷の状態に戻り、客を待っている。あるいは、慶慎を、あたかも珍客のように、冷たく見下ろしている。窓の外では、味気のない灰色の壁が、ひたすら後方へと流れている。慶慎が、腕の切断面から血を流して、いくら床を汚しても、すぐにそれは消え失せた。誰か。誰か。慶慎は、悲鳴を上げ続ける。叫びすぎたせいで喉が焼け、声すらも細くなり、消えそうになっている。痛みは慶慎の体を拘束し続け、思考が正常な状態に戻ることを許さない。
 やがて、涙とよだれと激痛にまみれた慶慎を乗せた地下鉄は、ひとつの駅に停まった。駅のホームには、客がひとりだけ、たたずんでいた。赤みがかった、長髪の大人の女。彼女は、地下鉄に乗り込んでくるなり、慶慎の姿を床に見つけた。そして、まあ、と声を上げた。
「どうしたの? 泣いてるじゃない。大丈夫?」
 女は言った。慶慎は、女がいることを認識してはいたが、返事をすることもできないほど、体力を消耗していた。できたのは、充血した目で、女を見上げることだけだ。女のことを知っているような気がしたが、慶慎には、彼女の顔がよく見えなかった。
「何か、あたしにできることはない?」
 女は言った。慶慎はこの世界で、言葉を使わず、相手に自分の望むことをしてもらう方法を、知っていた。だから、それを使った。何も言わず、して欲しいことを、頭の中で想像した。

つづく




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posted by 城 一 at 00:59| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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