Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年04月28日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第172回(3版)


この時間が、たまらなく好きなんだ。


 火の粉が、散った。

 磐井が、蹴り飛ばしたのだ。煙の元を。

 くべられていたのは、厚手のダウンジャケット。小型のテント。寝袋。その他、キャンプに必要なものが一式。

 暖を取るために、火にくべるものではなかった。目につくくらいに、煙を大きくするため、ありったけのものを、火の中に投じたのだろう。

 煙は、囮。そう見て、間違いなさそうだった。

 磐井は、苛立たしげな口調で、携帯電話に向かって話していた。電話の相手は、シド。上がっていた煙が、陽動だったことを、報告していた。

 大きなエゾマツの下。鈴乃は、周囲を視線で探っていた。煙が囮ならば、アイザックはここにはいない。だが、奴のいた痕跡を探れば、頭の中がどのように動いているのか、推測できるかもしれない。踏み倒された草木。排泄の跡、そして量。イメージをすれば、ここで生活していたアイザックの姿が、瞼の裏に浮かんでくる。時間は掛けられないが、やる価値はある。

 作業は、磐井にもやらせた。命令するような口調に、不満そうな表情を浮かべてはいたが、アイザックの思考回路を探る必要性は、理解したらしい。おとなしく、辺りの様子を調べていた。

 エゾマツの陰に、血のにおいを見つけた。警戒の必要があるとは、思わなかった。においの中に、獣特有の、生臭さを感じたからだ。

 巨木の裏側で死んでいたのは、子鹿だった。全身を、釘で滅多打ちにされていた。肉を削がれた形跡はない。食すために、殺したのではないのだ。愉悦のために、ただ殺した。そういう死骸だった。

 胃が、悲鳴を上げた。鈴乃は吐いた。

 死骸が有する、グロテスクさに“あてられた”のではない。そんなものにはもう、慣れている。死がもたらすグロテスクは、常に、身近なところにある。殺し屋というのは、そういう仕事だ。

 ならば、なぜ。答えを見つけるのは、さして難しいことではなかった。羽継が、死んだときのことを。そして、その死体の様を、鮮明なまでに思い出したからだ。釘で滅多打ちにされた、肉塊。腐臭。死を示す、あらゆる事象に押しつけられた、孤独を。喪失感を。

「お兄ちゃん」

 兄妹。血の繋がりを持たない、仮初めの絆。孤児院にいた、まだ子どもの時分。肉親がいない寂しさを紛らわすために、その絆を作った。子ども同士のプロポーズにも似た、稚拙さだ。自分でも、そう思う。だがそれに、今まで何度も救われてきた。

 それを失う悲しみを、なぜ何度も味わわなければならない?

「どうかしたのか?」

 磐井が、隣にいた。その胸に、頭を預けたくなるのを、どうにかこらえた。

「何でもないわ」

「また、シドさんと喧嘩したんだろ」

「なぜ」

「それくらい、あんたの顔を見りゃ分かる」

「そう?」

「そうさ」

 周囲を見回していた、磐井の視線が、止まった。テンガロンハットを見つけたのだ。腰を掛けるのに、ちょうどいい形と大きさをした、岩の上。帽子をかぶった岩が、こちらを見つめている。そんな印象だった。

「お探しの、アイザックの残した痕跡が、あったぜ」

 駆け出したくなる衝動を、抑えた。テンガロンハットは、羽継がかぶっていたものだ。死んでしまった兄のために、できること。彼が生前大切にしていた、テンガロンハットを取り戻すこと。そう考えていた。それが、叶おうとしているのだ。

 帽子に、手を掛けようとしている磐井に、待って、と声を掛けた。磐井の顔に、訝しげな表情が浮かんだ。

「何だよ。イチャモン付ける気か? 何が気に食わねえんだ」

 説明ができなかった。磐井が納得しそうな理屈も、浮かばない。だが、テンガロンハットの収まった景色は、綺麗すぎた。誘惑を感じた。

 煙を大きくするために、ありったけのものを燃やした。アイザックの行動を、そう考えるのならば。なぜ、こうして、テンガロンハットが残っている?

 偶然。そう片付けるのは、簡単だ。帽子に手を掛けようとしている磐井を、そのまま見送るのも。

 だから、そうしなかった。

 跳んだ。

 磐井の胸に肩から突っ込んだ。そのまま体を抱きかかえる。勢いは、足りている。テンガロンハットが視界の中で遠ざかった。だが、わずかに持ち上がっていた。つばに、磐井の指先が、掛かっていたのだ。岩を離れた帽子の陰に、見えたものがあった。ワイヤー。そして、手榴弾。

 ブービートラップ。

 爆発。吹っ飛び、磐井の体とともに、地を滑った。左脚に、激痛が走った。爆発に、最も近かった場所だ。ギプスが、粉々に砕けていた。鉄でも仕込んだかのように、重たかった。動かそうとすると、脚の内側で、痛みが弾ける。

「何やってんだ」磐井が言った。「何でかばった」

「知らないわ」

 体に、影が落ちていた。一拍置いて、殺気。察知するのが遅れた。かざした右腕に、釘。走るようにして、打ち込まれる。痛みが、鈴乃の腕を、まるでピアノの鍵盤かのように、叩いた。

 拳。首をそらしてかわした。銃口。手で払った。手のひら大のリボルバーだった。銃弾はこめかみをかすめて土をえぐった。銃声で、鼓膜が痺れた。

 吐息が届きそうな所に、瑞々しい青色をたたえた瞳があった。アイザック・ライクン。やっと、見つけた。

 腹に肘が入った。息が詰まる。拳を振って試みた反撃は、アイザックを捉えることができなかった。敵の体を打ち据えた感触の代わりに、腕にはまた、アイザックの置き土産。釘。

 アイザックは、地面にした一蹴りで、エゾマツの枝の上まで、跳躍していた。その口許では、真っ白な歯が光を放っていた。微笑。命のやり取りを、愉しんでいるのだ。それとも、一方的な命の略奪だとでも、思っているのだろうか。珍しいとは、思わなかった。“殺し屋”という生業に身を投じる人間に囲まれて、ここまできた。命というものに対する姿勢は、十人十色。真正面から向き合うということを知らない者は、いくらでもいる。

 アイザックの姿が消えた。息を潜めて、五感に神経を集中させる。空気が。においが。衣擦れの音が。敵の動きを知らせた。後方、左上。感覚は、追いついていた。邪魔をしたのは、左脚だ。言うことを聞かなかった。足先が痺れ、感覚がなくなり始めていた。アイザックの掌底を、掌底で受けた。冷たい感触がした。体温が通っていないのだ。釘が、手のひらを貫いていた。

「この時間が、たまらなく好きなんだ」アイザックが言った。手のひらに付着した鈴乃の血を、唾液で伸ばし、指先とともに、前髪を梳き上げる。リーゼントと、オールバック。その中間のような髪型が、出来上がった。持ち上がった前髪の下で、瞳が輝きを増した。「“命”が詰まった、肉体ってヤツにさ。こうして、釘を打ち込んでいく時間がさ。体は、空気で膨らんだ風船とは違うんだ。“パンッ!”なんて、弾けたりはしない。でも、確かに終わりは、存在して。釘を一つ打ち込む度に、確実に、それに近付いてるんだ」

 鈴乃は、手のひらに刺さった釘を抜いた。

 左手に、マカロフを握った。釘で貫かれた右手が、使いものになるかどうかは、自信がなかった。手首から肘も、釘だらけなのだ。心許ない握力に銃を任せて、不注意で失うことは、したくない。

 アイザックとは、数メートル、離れていた。地を蹴り、跳んだ。左脚の重さが、先ほどよりも遥かに増していた。理想の三分の二しか跳べなかった。動揺が、顔に出ていないことを祈った。

 銃(マカロフ)の引き金を引く。弾は当たらない。だが、それでいい。必要なのは、撃つことだ。発射された銃弾の宙に描いた線が、アイザックの動きを限定していた。腕、頭部、肩、上半身。足、太腿、下半身。アイザックの体が、わずかに地を離れた。動かせない一点。腰。目で捉えるよりも先に、感じていた。前蹴り。アイザックの体が、吹っ飛んだ。

 側にあった木に、体を寄せた。左足を拳で叩き、激痛で感覚を呼び戻す。磐井が来た。

「ネコ」

「時間を稼ぐわ。みんなの所へ行って」

「ふざけんな! てめえなんかに、格好つけられてたまるかよ!」

 体が、勝手に動いていた。キス。それ以上の磐井の言葉を、唇で奪った。磐井が、目を丸くする。自分も、同じ気持ちだった。

「何を」

「行って」

 もっと、言葉が必要なのは分かっていた。だが、時間がなかった。アイザックが、立ち上がり、態勢を立て直していた。

 マカロフの弾倉を、新しいものに換えた。わざと、痛む左足で、地を蹴った。自分を鼓舞するために。見え始めている、敗北と死に、足がすくんでしまわないように。

つづく




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posted by 城 一 at 20:00| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第171回


賭けてもいい。罠ですよ。


 西の空に、一筋の煙を見つけた。

 リヴァが、山中にキャンプの痕跡を発見してから、二日が経っていた。

 煙は、ごく細いものだった。火事と言うほどの規模では、決してない。誰かが暖を取るために、焚き火をしている。せいぜい、その程度のものだった。肝心の、その“誰か”が、アイザック・ライクンなのか。それとも、全く別の人間なのか。確かめるために、鈴乃は、アトリエを出た。

 早朝だった。夜はまだ、明けたばかりだ。冷気を含んだ、夜の残り香は、まだ辺りに漂っている。太陽が地平線を離れてから、いくらも経っていない。

 汚れた窓がなくなり、明瞭になった視界の中で、煙との距離を計った。徒歩で、三十分。鈴乃は、そう読んだ。松葉杖を突きながらならば、もっと掛かるだろう。

 誰も気付いていない。そう思ったが、違った。

「どこに行くつもりだ?」

 数歩進んだ先で、そう声を掛けられた。磐井だった。煙には、気付いていないようだった。気配を殺してアトリエを出たことが、逆に、磐井の気を引いてしまったのだ。

 隠す理由はなかった。煙について、手短に話して聞かせた。思った通り、磐井は、煙の存在に気付いていなかった。雲で白く染まった空に目を凝らして、ようやく煙を見つけ、小さく感嘆の声を漏らしていた。

 アイザックを迎え撃つための布陣は、一新していた。ツガ組から来ている応援を含めた十二人を、六人ずつの二チームに分け、三時間交代でアトリエの外周を見張った。夜間は、間隔を六時間にした。そうしなければ、睡眠時間が細切れになってしまう。

 眠りをケアした時間割りを提案したのは、鈴乃だ。だがそれを、自分が一番、有効に活用できていなかった。煙を見つけられたのは、そのためでもある。ひたすら窓の外を眺めて、眠れぬ夜を過ごしていたのだ。

 睡魔が寄りつかないのは、頬が持っている熱が原因のようだった。シドに、平手を食らった場所だ。もちろん、十分に時間は経過している。痛みも、腫れも、とうに治まっていた。それでも時折、頬が熱を持つのは、蘇るからだ。シドに叩かれたときの感情が。

 ログハウスから、数メートル離れた所に、ダンクがいた。水の入った二リットル入りのペットボトルを十本、ビニールテープでまとめたものを、左右の手それぞれに持ち、肘から先を上げ下げしていた。筋力トレーニングだ。が、瞼は八割がたが下に落ち、頭はがくんがくんと揺れていた。努力は認めるが、お世辞にも、起きて見張りをしているとは言い難かった。

 鼻っ柱に一つ。拳を叩き込んだ。

「誰だ! 敵か!? どこだ! 何だ!?」

 ペットボトルで作ったダンベルを構え、ダンクが叫んだ。その頭を、磐井が叩く。

「だったら死んでるよ、お前。他の連中のためだけじゃねえ。お前自身のためでもあるんだ。気ぃ入れて見張れや」

「当ったり前だ!」

 ダンクは背筋を伸ばし、声を張り上げた。持って、せいぜい三十分が限度だろう。強く責めることはできなかった。一人での見張りは、孤独だ。たとえ、側に仲間がいるのだとしても。

 時刻は、午前四時を回ったところ。今、見張りを担当しているのは、リヴァたちに、ツガの応援三人をプラスしたチームだった。交代まではまだ、二時間近くが残っていた。

「それで? ダンクが訊かないからって、説明もなしに行くつもりですか?」

 バーバーだった。だが、分からなかった。人手が六人あるとは言え、ログハウスの外周は広い。バランスよく配置したのならば、これほど早く、他の人間が担当する場所で起きた異変に、気付けるはずがないのだ。

「感心しないわね。自分のやるべきことを棚に上げて、異変を見つけたら、英雄(ヒーロー)気取り。あたしたちは、朝の散歩に行くところよ。持ち場に戻りなさい」

「ご心配なく。僕の持ち場は、ここから五十メートルの所だし、ダンクが“おねむ”のときは、ここも僕の持ち場になるんです」

「一人で、二人分を?」

「ときどき、三人分を」バーバーは微笑んだ。リヴァのフォローも行っているのだ。「その代わり、腕力や暴力方面のことは、助けてもらってます」

 苦手な分野では、遠慮なく助けをもらい、得意な分野は、他の者の分まで動く。効率の良さが分かってはいても、なかなか実行に移すのが難しいやり方だ。それが、平然とできている。バーバーたちの強さというものを垣間見た気が、鈴乃はした。

 鈴乃は、隙間なく肩を寄せるようにして立つ、木々の向こうに見える煙を指差した。

「あれの、確認よ」

 バーバーは、自身の表情に影を落とした。煙の存在に、気付いていたのだ。

「あれですか」バーバーは、煙の方角を見上げた。「ここまで、うまく身を潜めていたアイザックが、こんな尻尾の出し方をしますか? 僕は、そうは思わない。距離も、時間稼ぎには十分。賭けてもいい。罠ですよ」

「その可能性は、承知の上よ」

 それでも、行かなければならない。アイザックがそこに存在する可能性が、わずかでもある限り。そうでなければ、自分は何のために、ここにいると言うのだ。

「もし、煙が囮なら。本命は、逆サイドかな?」バーバーが言った。

「どこが本命にしろ、それぞれが、それぞれの場所でベストを尽くすことが肝要よ。そこの馬鹿にも、きつく言っておきなさい」

 鈴乃は、ダンクを示して、言った。ダンクは再び夢の中にいて、頭を激しく上下させながら、筋力トレーニングに励んでいた。鼻提灯を作っていないことだけが、救いだった。

「あれが、ダンクのベストなんですよ」

「とんだベストだこと」

 煙のことを皆に伝え、警戒態勢を取らせるのは、バーバーに任せた。ただ、話をしているだけでも、時間は過ぎていく。もたもたしている暇はなかった。煙がいつまであるか、分からないのだ。消えてしまえば、水の泡だ。

 鈴乃は、山中に足を踏み入れた。

 磐井が帰る気配なかった。何を考えているのだろう。鈴乃は思った。嫌いな人間と行動をともにするなど、苦痛でしかないはずなのに。

つづく




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posted by 城 一 at 01:02| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月19日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第170回(2版)


お前に貸す耳なんか、ないね。


 シドニーの前髪を、鷲摑みにした。持ち上がった顔面の中央に、拳を叩き込む。花が咲くように、血が蕾を開いた。甲高い悲鳴が、ログハウスの中に響く。

 苦痛に歪んだ表情の向こうに、彼女の家族のことを思い出した。二人の子ども。直接会ったことはないが、二人の連れ子を、当然のように受け入れることのできる、夫。

 同情は、誘われなかった。むしろ、嗜虐的な感情が込み上げる。

 拳を振った。二、三、四、五。血の花が花びらを広げ、シドニーの顔を覆った。彼女の表情が、見えにくくなった。

 六を数えた。シドニーの体が、椅子ごと吹っ飛んだ。掴んでいた前髪が、抜けたのだ。拳には、何かを砕いた感触があった。おそらく、鼻骨だ。

 リタが言った。

「殺すつもり?」

 乾いた言い方だった。倒れた先で、涙を流し始めたシドニーに、同情したのではない。ただ、訊いただけだ。

「あなたに、何の関係があるの、リタ・オルパート?」

 怒りの矛先を、リタに向けてもいいのだ。アイザック・ライクンを呼び覚ましたのは、他ならぬ彼女なのだから。

 リタに向けた流し目に、殺気を込めた。それを察したのか、それとも本心からの反応なのか。リタは、肩をすくめた。

「ただの、好奇心よ」

「なら、黙ってなさい」

 シドニーの腹を、踏みつけにした。

 この女のせいで、兄は死んだ。仲間と分断されなければ、アイザックを倒せなかったとしても、死ななかったかもしれないのだ。

 道長修と、佐治好丸もそうだ。同性愛者であることをネタに、脅迫されていなければ。佐治は、恋人を殺そうなどと、考えなかったかもしれない。道長が、自ら、銃弾の雨の中に飛び込むことも、なかったかもしれない。

 シドニーの腹に、つま先を食い込ませた。

 そして。人を殺める能力と、ベッドの中で男を愉しませる能力。その二つしか、自分にはないのだと、気付くこともなかった。

 もう一発。そう思ったところで、皿の割れる音を聞いた。振り向くと、シドがいた。作ったばかりの炒飯(チャーハン)が、彼の足下で、台無しになっていた。呼ぼうとした彼の名は、声に出さずに飲み込まなければならなかった。頬を、叩かれていた。

「てめえ、何やってんだ!」

 耳に突き刺さるような怒声に、“だって”と小さく呟くことしかできなかった。シドは、シドニーの下に駆け寄り、彼女の体を抱き上げた。紐を解こうとはしなかった。それだけが、救いだった。

 頬が、時間差で、痺れ始めていた。

 一度は、彼に手を上げられることを望んだ。それくらい、当然のことをしている。分かっている。だが、これは違う。

「こいつは」喉から、声を振り絞った。「お兄ちゃんを」

 最後まで、言うことはできなかった。立ち上がったシドに、また、頬を叩かれていた。

「ガキがいるんだぞ、この女には。それを、こんなメチャクチャにしやがって。ガキが見たら、どう思う。ああ?」

 シドは、シドニーのことを、生きたまま帰すことを前提で、考えていた。この男の考え方は常に、自分とは真逆を向いている。鈴乃は思った。シドニーの身柄を拘束したときから、鈴乃の頭に、彼女を生かして帰すという選択肢はなかったのだ。

「話を聞いてよ」

「断る」シドは目を剥いた。「暴力とチャカ(銃)を振り回すことしか頭にない上に、セックス狂いの詮索魔。お前に貸す耳なんか、ないね」

 そこまで言われる筋合いは、なかった。シドの頬に、平手を叩き込んだ。

「カザギワを相手に、スパイ行為を働いてたのよ、この女は。ガキ? そんなの関係ないわ。家に帰るとしても、それは死体になった状態で、よ。でも、死体を丸々一つ、箱に詰めるのは、かさばっていけないわね。バラバラに、解体しましょう。最初に送りつける体のパーツ(部位)は、選ばせてあげるわ。さあ、どこがいい?」

 叩かれた。反撃して、また叩かれた。

 鈴乃は続けた。

「それが嫌なら、家族ごと、皆殺しにするっていう手もあるわね。カザギワ相手にスパイ行為を働けば、どうなるか。いい見せしめになるわよ」

「いい加減に、黙れ、ネコ」

「あたしの言うことを無視して、シドニーを助ける? カザギワと、ツガ。組織間の摩擦に繋がるわよ。たとえそうならなくても、あたしがそのレベルまで、発展させてやる」

 体を引き寄せられた。シドに、胸ぐらを摑まれていた。

「これ以上、したり顔で、もっともな理屈を並べるな。何をするか、分からねえぞ」

 睫毛が触れそうな距離。瞳孔の収縮まで、見ることができそうだった。シドの目には、軽蔑の色しかなかった。そういう感情の対象としか、見られていないのだ。

 体から、力が抜けた。全てが、どうでもよくなっていた。

「オーケイ」鈴乃は言った。「分かったから。放して」

「何?」

 繰り返すことはしなかった。力ずくで、シドの手を振り払った。

 目の縁が、熱を帯びていた。涙だ。そんなもので、シドの感情を動かしても、嬉しくはなかった。それに。もし動かなかったとしたら、今よりももっと、悲しくなる。鈴乃は、シドに背を向けた。

 携帯電話が、鳴った。知らない番号からだったが、涙をやり過ごすのには、役立ちそうだった。出ると、相手はリヴァだった。

「どうして、あたしの番号を?」

「シドから、聞いたんだよ。それより、山で、テントを張った形跡を見つけたぜ。つい最近のものだ」

 アトリエのある小さな山は、周囲を、他の山々に囲まれている。苦労して登ったところで、目を愉しませてくれるような景色はなかった。達成感が生じるほどの、標高もない。

 それに、磐井たちがいる。素人ならば、その監視の目をかいくぐることは、難しいだろう。

 山にいる動機と、道理。両方を満たす人間は、一人しか思いつかなかった。

「アイザックが、来てるのね」

「そう考えるのが、妥当だ。そうだろ?」

「磐井たちを連れて、こっちに戻ってきて。布陣を、敷きなおさなくちゃならないわ」

「そのつもりだ」

 リヴァはそう言って、電話を切った。

 訝しげな表情を浮かべていたシドに、リヴァからの電話の内容を話した。涙はもう、引いていた。

 鈴乃は、自分で自分に驚いていた。

 アイザック・ライクンが、側まで来ていることが分かったというのに、感情が全く、波立たなかったのだ。

つづく




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posted by 城 一 at 13:33| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第169回


そして、後悔しろ。


「カザギワの情報管理部にね。道長修って男がいたんだけど、この人は、同性愛者だったの」

 シドニーが言った。

 なぜ、ここで、道長修が出てくるのか。鈴乃は思った。そして、言った。

「誰から聞いたの?」

「もちろん、同じカザギワの情報管理部の人からよ。その人、バイセクシャルでね。前に、道長修と寝たことがあったの」

「同性愛者だということをネタに、道長修を脅迫したの?」

「違うわ。道長修は、周りの仲間に、自分が同性愛者だということを、カミングアウトしていた。一部の人にだけ、だけど」

「なら、誰を脅迫したの?」

「道長修の、恋人よ。名前は、佐治好丸。サジマルっていう組の、組長をしていたの。佐治は、自分が同性愛者だということを隠して、組を運営していた」シドニーは、鈴乃を見た。「同性愛者の組長よ? あなただったら、どう思う? もし、サジマル組の構成員だったとして、そのことを知ったら」

「さあ」

 シドニーは、おどけるようにして、肩をすくめた。縛られているので、小さく。

「あたしは、嫌。ヤクザなんて、したことはないけど、同性愛者だということを、もし敵対してる組に知られたら、威厳を保っていられるか、疑問だもの。そんな人の下では、働きたくない」

「そう。それで、佐治を脅迫して、どうしたの」

「まずは、資金の調達よ。アイザックの逃亡生活には、先立つものが必要だったから」

「そして?」

「佐治を脅して、道長を動かした。道長修は、カザギワの、アイザック討伐チームの一員だったの」

「なるほど、ね」

 握った拳の内側で、爪を立てた。逸る思考回路が、一つの答えを弾き出していた。その答えに、頭が沸点を迎えようとしていた。何とか、抑えた。

「ヤクザも所詮、人の子ということよね」シドニーは、小さく笑った。「弱みを握れば、形無し。勉強になったわ。それに、面白かった。人が、自分の言う通りに動くって、何とも言えないわよね」

「弱みを握って、ヤクザを脅迫する。日本中を探しても、そんな主婦は、あなたの他にはいないでしょうね」

「分かる? そうなの」

「佐治を通して、道長修を動かして、何をさせたの」

「一番厄介な人間を始末するのに、協力させたわ。アイザックを殺すために、結成されたチーム。その主力だった、カザギワの殺し屋をね」

「飛燕」

「あら、正解よ。勘が」

 中段蹴り。容赦はしなかった。貫くつもりで、シドニーの腹に足をねじ込んだ。呻きとともに、シドニーは勢いよく胃の中身を床にぶちまけた。

「まずは、その不愉快な薄ら笑いをやめるのね、シドニー。そして、後悔しろ。自分のしたことを」

つづく




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posted by 城 一 at 07:04| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月12日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第168回


健気ね。


 予想の範囲内の、答えだった。

 シドニーは、アイザックの隠れ家を知っていた。彼女とアイザックが、いつ頃からなのかは分からないが、復縁していたのであろうことは、容易に考えつくことだ。あるいは、元々、彼らの繋がりは切れていなかったのか。

「もっと、具体的にお願いしたいわね」鈴乃は言った。

「あの人がジェイソンを殺して、姿を消したあとのことよ。カザギワの人が来て、言ったの。“アイザック・ライクンを殺るために、チームを編成した。あの、裏切り者のクソ野郎は、必ず亡き者にする。だから、安心してくれ、奥さん”ってね」

「その人の名前は?」

「確か、イオリと言っていたわ。組織の情報を管理してる人だって」

 井織誠だ。鈴乃は思った。もう、井織誠が歩んだ道と、自分の歩む道が、交わることはないと思っていた。それが、交わった。縁を感じた。手にかけたことで、自分と井織誠を繋ぐ縁の糸が、太くなったのかもしれない。そう思った。

井織誠と光子を殺したときに使った減音器(サプレッサー)は、海に捨てた。今、手元にあるマカロフには、何も装着していない。けれど、少しだけ、銃身が重たくなった気がした。彼らの命の分だけ。

「それで? そこから、あなたはどうしたの?」

「アイザックの中にはもう、この女しかいなかった」シドニーは憎々しそうに顎を動かして、隣にいるリタ・オルパートを示した。リタは我関せずといった感じで、目を閉じ、黙っていた。眠ってはいない。体が脱力していないのは、見れば分かる。シドニーは続けた。「それは、分かってた。けど、諦めたら、本当に終わりだものね。彼のために生きていれば、いつか、彼もあたしのために生きてくれるんじゃないかと思った。だから、好きでもない男とも、寝たわ。情報を引き出すためにね」

「引き出した情報は?」

「もちろん、あの人に知らせたわ。電話や、メールでね。居場所は、教えてくれなかったから」

 アイザックがこれまで、カザギワに捕まりも、殺されもしなかったのは、カザギワで培われた殺人能力と、ただの運のお陰だと思っていた。だが、それだけではなかったのだ。シドニーによる、情報の漏洩(リーク)があったのだ。

「健気ね」嘲笑うように、リタは口許を緩めた。

 シドニーが目を剥いた。

「ああ、さぞ間抜けに見えるでしょうね、あたしのことが!」シドニーは金切り声を上げた。「自分の好きなことをしてるだけで、あなたはアイザックに愛されるんだものね。でも、あたしは違うの。好きでもない男とベッドに入って、料理をするための包丁を、人を脅すための銃に持ち替えなきゃならなかった」シドニーはそこで、力なく首を振った。「いえ。それでも、あの人は」

 脅す。シドニーのその表現に、引っ掛かりを覚えた。

「脅した? どういうことなの、シドニー?」鈴乃は言った。

つづく




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posted by 城 一 at 08:20| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第167回(2版)


賢明な判断ね、マダム。


「あなたが、カザギワの情報管理部の人間と寝てるって話を聞いたわ」

 シドニーに言った。ゆっくりと話ができそうな機会を捕まえるまで、二日もかかってしまっていた。

 アイザック・ライクンは、現われていない。一度、リタから取り上げた携帯電話に、連絡が入った。すぐに、シドが出た。それがいけなかった。リタとアイザックは、電話をするとき、一度は必ず、出ずに電話が切れるのを待つ決まりになっていたのだ。リタから、その話を聞いたときには、もう遅かった。アイザックは、シドとは一言も交わさずに、電話を切ってしまった。掛けなおしても、通じることはなかった。

 さらにその後、無線式の小型カメラが、家の至る所から見つかった。すぐに全員でカメラを探し、取り外す作業に取り掛かったが、アイザックに、こちらの面子と人数が知れてしまったことは、間違いなかった。

 人数を知られてしまったのならせめて、ヤツの虚を衝く努力をすべきだ。そう言って、リヴァは、ダンクとバーバーを連れて、外へ出ていた。

 シドは台所で、昼食の用意をしていた。朝、昼、晩。バーバーと二人で交替しながら、料理をしていた。好きなのだろう。

 だが、ログハウスの中にあった食材も、もうすぐ底を突く。最初はそれなりに豊富にあったが、人数は七人だ。リタとシドニーもいるのだ。長く持たないのは、当然だった。アイザックが、これ以上持久戦を続けようとするのならば、こちらも対応策を考える必要がある。警備を多少手薄にしてでも、物資を補給する道を確保するか、あるいは、リタを連れて場所を移動するか。後手を取り、少々不利な状況に陥っていた。

「そんなことを知って、どうするの?」

 シドニーが言った。

「質問を質問で、返さないでほしいわね」

「ノーコメントよ」

 シドニーが縛り付けられている椅子の脚を、蹴り砕いた。前方のものだけ。マカロフの銃口を上に向け、待つ。バランスを崩した彼女の額が、マカロフの上に下りてきた。撃鉄を上げる。額に感じたであろう銃口の冷たさと、撃鉄の音に、シドニーは目を見開いた。

「よく聞こえなかったわね、シドニー」

「撃ったら、大きな音がするわ」

「だから?」

「あなたの仲間が、黙っちゃいないわ」

「なぜ?」

「あたしから、情報を引き出せなくなる」

「残念ね、シドニー。あたしたちの目的は、リタ・オルパートとアイザック・ライクンなのよ。そして、アイザックの弱点(ウィークポイント)である、リタは捕まえた。情報で小競り合いをする段階はもう、過ぎたのよ」

「けど、今、あたしがカザギワの人たちと寝てるってことを、聞こうと」

「そう。その話は、本当なのね」

 シドニーは、鼻筋に皺を寄せた。

「そのことに関して、聞きたいんでしょう? でも、あたしを殺したら」

 マカロフを、少し下に引いた。それに応じて、シドニーの体も、椅子ごと下がる。今や、マカロフが、失われた椅子の左前脚の代わりを務めている。

「聞けなくても、さほど困らないわ。その件が、あたしたちの最優先事項ではない、というのが一つ」鈴乃は言った。「そして、もう一つ。カザギワの人間が訪ねてきただけで、簡単に尻尾を出し、あたしたちをこの、アイザックのアトリエへと案内してくれたあなたは、さほど利口ではない。だからきっと、たくさん足跡を残してる。まるで、土足で空き巣に入った、間抜けな泥棒みたいにね。足跡を追えば、あなたの持ってる情報には、たどり着くことができる。違うのは、それが早いか遅いか、よ。まあそれも、たいした差があるかどうか、疑問が生じるところだけど」

「分かったわ。話す。だから」

 最後まで言わせる必要はなかった。シドニーの肩ごと椅子の背もたれを蹴り、元の位置に戻した。

「賢明な判断ね、マダム。それで?」

「アイザックのためよ。全部、あの人のため」

つづく




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2008年04月10日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第166回(2版)


友情だって、何だって。


 夜が明けた。

 アイザックが現われる気配はなかった。長期戦になるかもしれない。鈴乃は思った。煙草を吹かすことにも飽き、天井を仰ぎ見る。天窓があった。そこから見える空は、青い。雲一つなかった。

 磐井が組に編成させたチームは、既に到着していた。六人。少ないが、そんなものだろう。ツガ組の敵は、アイザックやリタだけではない。ミカドという文化や組織単位で、複数存在するのだ。六人は交代で、アイザックが現われるまで、二十四時間体制で待機すると言う。それだけで、上出来だった。

 もう一人の仲間は、六人が到着するのと入れ替わりで、組へ戻った。が、磐井は頑として戻るのを拒み、到着した応援とともに、アトリエの周辺で待機していた。困ったものだ。自分の存在で、周りが見えなくなっている。鈴乃は思った。長期戦になれば、持つわけがないと言うのに。

 家の中の見張りは、二つのチームに分けた。鈴乃とシド、ツガ組の新人三人組。六時間毎に交替する。アトリエからは出られなかったが、自分が見張り番でない時間は、好きに使っていい。

 最初の六時間の担当は、鈴乃たちになった。が、早くもシドは、睡魔に負けて、うとうととし始めていた。まあ、いい。鈴乃は思った。代わりに、バーバーが起きていた。リヴァとダンクは、二人で肩を寄せ合い、部屋の隅で毛布の中、眠っていた。

「眠らないの?」鈴乃は言った。

「睡眠時間は割と、少なくていい体質なんです」バーバーは言った。横目でちらりと、シドを見る。「それに。僕が寝ちゃうと、あなた一人になってしまう」

「叩き起こせばいいのよ、この馬鹿」

 バーバーは、目を細めて微笑んだ。

「二人は、長いんですか?」

「どうして?」

「それなりに、時間を積み重ねてる感じがします。付き合い始めてから、長い時間が経っているか、そうですね。短い時間でも、濃度が高ければ、親密にはなるか」

“付き合う”という言葉に、少し焦った。恋人になることを意味する使い方をしたように聞こえたのだ。思わず、不自然に強く否定してしまうところだった。

「親密? それどころか、険悪な状態なのよ、あたしたち」

「友情だって、何だって。人が育むものには、波があるものですよ。それとも」バーバーは、こちらを探るように、視線の角度を変えた。「友情という言葉は、不適切でしたか?」

 この数時間で、この少年は、自分のことを、どこまで深く観察したのだろう。鈴乃は思った。それとも、短時間で見抜けるほど、シドへの気持ちが、浅い所まで浮き上がってきてしまっているのか。何にせよ、動揺を隠すために、一拍置かなければならなかった。

「詮索好きは、敬遠されるわよ」

「ベタベタした人付き合いは、苦手なんです。それくらいで、ちょうどいいんですよ」

「口が減らないわね」

「それは、どうも」

 バーバーは椅子を立ち、窓際へ行った。カーテンの類は、全て閉めてあった。外部に、家の中にいる人の数や配置を、晒す必要はない。バーバーは、指先で少しだけ、カーテンとカーテンの間に隙間を作り、外界を見た。一定時間が経過すると、そうやって、家の中から外を、見て回っていた。神経質ではあるが、頼りになる少年だ。リタとシドニーの身柄を拘束した直後など、持参したワイヤーと手榴弾で、即席のトラップを、各出入り口や窓の周辺に仕掛けていた。お陰で、こちらも簡単には、出入りできないようになってしまったが。

「そう言えば、一つ、カザギワであるあなたに、聞いておきたいことがあるんです」

 バーバーが言った。

「何?」

「シドニーは、カザギワの情報管理部の人間三人と、関係を持っていたみたいなんです。知ってましたか?」

「悪いけど、殺し屋が得意なのは、主に銃の扱いでね。初耳だわ」

「そうですか」

「関係を持ってたって言うのは」

「もちろん、男女の関係だったってことです」バーバーは肩をすくめた。「セックスをしてたんですよ」

 シドニーが、アイザックと関係を持っていたことは、既に本人から確認済みだった。昔のことだが。今はもう、シドニーが一方的に想いを寄せ、彼に尽くしている状態らしかった。シドニーが、自らの口で、自虐的に語った。

 関係があったのは、ジェイソン・リーヴと結婚していた頃のことだという。それを聞いて、アイザックとジェイソンが衝突したことに対する見方が変わった。ジェイソンが、シドニーとアイザックの関係を、知っていた可能性がある。アイザックとジェイソンが、カザギワに入る前からの付き合いだったということは、常沢いくみから、聞いていた。妻を奪われたことに対する怒り、憎しみ。それがあると、かつての友と繰り広げた殺し合いに、俄然、信憑性が出てくる。

 シドニーは、椅子に縛り付けられたまま、眠っていた。

 安達愛は、思った通り、アイザックとの間にできた娘だった。アイザックが、リタを追いかけ、カザギワを出ていくことを知り、シドニーが望んで授けてもらったらしい。そこまでアイザックを愛している女が、他の男と寝るだろうか。安達良一郎との結婚は、生活のため。シドニーは、そう言いきった。カザギワの三人との関係にも、何か目的があると見て、間違いなさそうだった。

「どうしてなのかしら」

「本人に聞いてみるのが、早いでしょうね。起こしましょうか?」

 バーバーへの返事は、目覚まし時計の音にかき消された。鼓膜を容赦なく叩く目覚ましの音と、暢気に欠伸をしながら起きた者たちの様子に、気を削がれた。

 鈴乃は首を振った。

「そう遠くないうちに、機会があるわ」

つづく




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posted by 城 一 at 09:21| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第165回


なら、いい。


 鈴乃は右の太腿の銃創を、包帯で縛った。シドニーに撃たれた傷だ。

 洗面所だった。可能な限り、体の状態を万全に近づけておきたかった。リタ・オルパートがいるのだ。今はいなくても、いずれ近いうちに、アイザック・ライクンが、このログハウスに姿を現すのは明らかだった。かすり傷で鈍った動きが、致命傷を招くかもしれない。アイザックは、そういう相手だ。

 ブラジャーの紐をずらし、もうひとつの傷にガーゼを当てた。肩口のものだ。肩の上と脇の下を、何度も包帯に往来させる。体を捻った上に、片手で作業を行わなければならず、はかどらなかった。

「面倒な所に傷を作ってくれたものね、あの奥さまは」

 呟いた。誰かが手伝ってくれれば楽なのだが、そうもいかなかった。ログハウス内にいる味方は、男しかいない。桃色のブラジャーとパンティしか身に付けていない、半裸状態の自分を、見せたくはなかった。半端に布をまとっている上に無防備な状態は、もしかすると、知らない男の体の上で腰を振ることよりも、羞恥心を煽られる。

 洗面所に向かうとき、シドと目が合ったが、何も言われなかった。それが彼の配慮なのか、拒絶の表れなのかは、分からなかった。

 C・C・リヴァたちが、なぜこのログハウスに現われたのかについては、既に話を聞いていた。

 ログハウスは、アイザック・ライクンの所有物だった。

 ミリンダ・ヒューリーによる誘拐事件の影響で、社会適応能力を失ったアイザック・ライクンは、行き場をなくしていた。両親が雇った家庭教師とも、学校の教師や生徒たちとも、良好な関係を築くことができず、ただ部屋に引きこもり、とり憑かれたように、鉛筆画を描き続けていた。

 鉛筆画を描いているときだけは、アイザックはどうにか、無気力状態から抜けることができたのだ。鉛筆を握り、真っ白な紙に向かっているときだけは。ひとたび鉛筆を離せば、アイザックはまた、無気力状態へと戻った。ミリンダ・ヒューリーの面影を重ねることのできる、赤みがかった長髪の女が側にいるときと比べれば、ほとんど無気力状態の中にいるのと、同じようなものだった。

 そのアイザックを救ったのが、譲原幸三(ゆずはら こうぞう)という、七十を過ぎた老人だった。アイザックが幼くして身に付けた、大人顔負けの鉛筆画の技術と、その幼さゆえに無限に広がる可能性に、魅了されたのだ。

 譲原はかつて、プロの鉛筆画家として、活躍していた男だった。譲原はライクン夫妻と交渉し、アイザックに、プロとしてやっていくのに必要な鉛筆画の技術と知識、そして学校で学ぶべき教育を施すことを条件に、アイザックを引き取った。

 結果は、成功だった。譲原は鉛筆画を通して、アイザックとの信頼関係を構築し、まるで自分の息子のように愛した。

 アイザックの描いた鉛筆画に、初めて買い手がついた日、譲原は死んだ。老衰だった。彼は遺言で、自宅兼アトリエとして使っていた一軒家を、アイザックに譲った。それが、このログハウスだった。

 地道に聞き込みを続けた結果、手に入れたその情報に従い、リヴァたちは、この山奥の家にやって来たのだった。

 洗面所のドアをノックする者がいた。

「大丈夫なのか?」

 シドだった。

 返事をせず、元通りに衣服を身に付けた。マカロフの収まった、ガンベルトを腰に巻く。

 鏡を見た。

 笑顔が下手で、ベッドの中の男と、銃の扱い方しか知らない、<カザギワ>の女殺し屋が、そこにいた。口角を上げようとすると、口端が強張った。思わず、短く声を立てて、自分を嘲笑する。そういう笑い方なら、できる。

 ドアを開けて、洗面所を出た。すぐ横に、シドがいた。腕を組み、壁にもたれていた。

「無理して、気を遣わなくてもいいのに」シドに言った。

 シドは煙草をくわえ、伏し目がちに、向かい側の壁に視線を這わせていた。こちらを見ようとはしなかった。

「大丈夫なのか、と言った」

「大丈夫よ」

「なら、いい」

 シドは壁を離れ、リビングへと足を向けた。

 シドの歩幅は大きく、簡単に置いていかれた。追いつこうとする自分の姿が滑稽に思えて、足を止めた。シドは振り向かなかった。

つづく




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posted by 城 一 at 07:31| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第164回


何なの、あなたたち。


 砂利の敷かれた駐車スペースに、トヨタの青いistが停まっていた。その隣には、鈍い銀色のフェアレディZ。

 シドはその二台を横目で見ながら、言った。

「俺は正面から行く。お前は、裏に回れ」

 シドは明かりのともる正面玄関を睨みつけた。ショットガンの筒型弾倉をスライドさせて、銃身に散弾を送り込む。

 相手がシドニーだけならば、そんなことをする必要はなかった。結局口には出さなかったが、目の前のログハウスの中にいるのがシドニーだけではない可能性が、シドの頭にもあるのだ。アイザック・ライクンがいる可能性が。

 その方が、説明がつくのだ。シドニーの娘である安達愛の髪の色が、金色であることの理由に。ジェイソン・リーヴや安達良一郎の髪は黒色だ。シドニーの髪が赤毛であることを考慮すると、ふたりのどちらかが愛の父親であると考えるのは難しかった。

 もちろん、安達愛の父親がアイザック・ライクンなどではなく、まったくの第三者という可能性もある。シドニーが今夜やって来た、この家にいるのは、アイザック・ライクンでもなく、ましてや安達愛の父親でもない可能性もある。

 だが、アイザック・ライクンがいるかもしれない可能性が、たとえひと握りでもある場所に、丸腰で乗り込んで、抵抗する間もなく殺されるよりも、武装して乗り込んで、不審者扱いされる方がマシだった。

「分かったわ」

 シドにそう言って頷き、家の裏側に回った。

 裏口のドアには、錠が掛かっていた。ドアに耳をつけて、中の様子を探ったあと、減音器(サプレッサー)を装着したマカロフで、ドアノブを破壊した。

 表の方で、呼び鈴の鳴る音が聞こえた。シドだ。床に足音が響き、正面玄関へ向かうのが分かった。足音の数は、ひとつ。

 裏口を入ってすぐの所には明かりがついておらず、足下が見えなかった。自分の足音を殺しつつ、足下を確かめるようにして、そっと歩を進める。

 視界の中で、わずかに光が反射していた。シンクだ。裏口はどうやら、台所に通じていたようだった。

 女の声が、何ごとか囁きあっているのが聞こえた。声は二種類。

 また、呼び鈴が鳴った。シドはまだ、ドアを開けてもらえていないのだ。

 光が近づいてきた。そして、人の気配。察知が遅れた。正面玄関付近にある、シドニーの方に気を取られていた。気付いたときには、その気配はすぐ横にあった。そして、わずかな殺気。

 撃鉄の上がる音がした。

「この家は、土足禁止よ。悪い子ね、ベイビ。両手を挙げて、プロフィールを教えてちょうだい」

 銃口に促されて、光の下に移動した。居間。銃を構えているのは、リタ・オルパートだった。正面玄関の方から戻ってきたシドニーが、目を丸くしていた。

「あなた」

「いい夜ね」シドニーをリラックスさせるように、優しく言った。「せっかく女しかいないことだし、ガールズトークに花を咲かせない?」

 銃声がして、シドニーの後ろからシドが現われた。正面玄関を破壊したのだ。銃を構えるリタ・オルパートを見て、おや、と眉を上下させる。構えていたショットガンの銃口を、リタに向ける。すり足で居間まで来たものの、シドニーを追い越すことはしなかった。そんなことをすれば、彼女に背を向けることになる。シドニーは今のところ、状況判断に追われて、間抜けに口を開閉することしかできていないが、銃を隠し持っていないとは言いきれない。

「さて、淑女たち。誰か、状況説明をしてくれるかな?」

 シドの言葉に、リタが言った。

「この女の命が惜しければ、銃を捨てなさい」

「簡潔かつ、明快な状況説明だな」シドは言った。「だが、ダメだな。こういう場合、銃を捨てると、状況は悪化するんだ。テレビで見た」

 注意がそれていたリタの手を蹴り、その手から銃を吹っ飛ばした。サプレッサー付きのマカロフを、彼女に突きつける。蹴られて赤くなった手を押さえ、悔しそうに銃を見るリタに言った。

「それに、このように、状況はすぐに改善するから」

「アイザック・ライクンはどこにいる?」シドは言った。

「自分で、探してみたらどうかしら」リタは肩をすくめた。

 そのようにした。リタ・オルパートの体を背もたれ付きの椅子に縄で拘束し、シドとともに、銃口と視線で家の中を探索した。慎重に。もしアイザックがいれば、一瞬の油断が命取りになる。が、十数分ほど探索した結果、シドニーとリタの他には、家の中には誰もいないという結論にたどり着いた。

 シドニーは唇の前で手のひらを組み合わせて、微かに震えていた。

「何なの、あなたたち」

「前にあなたの愛の巣を訪ねたときに、言わなかったかしら? <カザギワ>の怖い怖い殺し屋と、ツガ組のヤクザよ」

「怖い怖いヤクザ」シドは言った。

 リタの見張りはシドに任せて、シドニーに言った。

「で? どうして、あなたがここにいるのかしら?」

 シドニーは明るい色をした木製のテーブルに寄りかかりながら、目を閉じ、額に手のひらをあてた。顔色が悪い。

「ごめんなさい。とても、気分が悪いの。ちょっと、トイレに行かせてもらえないかしら」

 シドを見た。彼はおどけるようにして、肩をすくめた。

「いいわ」
 そう言って、シドニーにトイレへ行かせた。マカロフを構えたまま、彼女に後ろから付き添う。逃げる可能性は、十二分にあった。シドニーがトイレに入るのを見送り、そのドアの前で待った。

 トイレがあったのは、狭い廊下だ。向かい側の壁に、背を預ける。

 シドニーの吐瀉物が、トイレの溜水をぽちゃぽちゃと叩く音が聞こえた。顔色が悪かったのは、演技ではなかったようだった。そして、水を流す音。

 トイレのドアの向こうに、音で彼女の存在を感じることができたのは、そこまでだった。水が流れ終わったあとも、シドニーが出てくる気配はなかった。トイレと廊下を、静寂が支配する。悪いイメージが頭に浮かび、ドアを叩いた。

「ヘイ、まだなの? 逃げようとしても」

 銃が返事をした。ドアを貫いた銃弾が太腿をかすめた。体を捻ってトイレの前から逃れる。銃弾が連なった。二、三。ドアが開く。その上端に手をかけて飛んだ。判断は間違っていなかった。さらに銃声が連なった。ドアに開いた穴は、飛んでいなければ確実に、致命傷を負っていたことを証明していた。廊下は、ドアを開けると、人の通れるスペースがなかった。トイレの向かい側の壁と、数センチ隙間が残るだけだ。元いた場所に着地した。ドアと壁の隙間から向こう側に手を伸ばし、シドニーの服を掴んだ。思いきりその手を引く。ドアに彼女の体がぶつかるのと同時に、ドアを蹴りで貫いた。シドニーが床に転がる音を聞き、ドアを閉める。視界に映ったシドニーの手の中で、銃口がこちらを狙っていた。バック転をし、体をねじり、後方に逃れる。銃声。肩口の肉が削げた。が、それで最後だった。シドニーが持っていた小型のリボルバーは銃弾を撃ち尽くし、カチンと音を立てた。好機。そう思い床を蹴ろうとした先で、裏口が開いた。神経が張り詰める。シドニーを視界から外し、数ミリずつ広がっていく裏口の間隙に、マカロフの銃口を向ける。この状況で現われるのは、アイザック・ライクンの他に思いつかなかった。

 裏口が開ききった。

 外の人影を見たシドニーが悲鳴を上げた。既に銃弾がないことが分かっているはずなのにも関わらず、リボルバーを人影に向ける。が、小さなリボルバーは人影によって、いとも簡単に床に払い落とされた。武器を失い、最後の手段として逃げることを選んだシドニーを、「おっと」と呟きながら、人影が捕まえた。

 裏口から現われた人影は、黒人の少年だった。マカロフの銃口に気付き、空いている片手だけを挙げる。

「困ったな。誰なんだ、あんた」少年は言った。「無闇に吹っ飛ばしたら、きっとリヴァに怒られるよな。えーと、あんたはこの女と敵対する立場なのか、そうじゃないのか。教えてくれないか?」

「大丈夫だ、ダンク。その女は、俺たちの味方だ。なんせ、<カザギワ>の殺し屋さんなんだからな。そうだよな、えー、コードネームは確か、飛猫だったかな?」

 振り返ると、金髪の小柄な少年がいた。<DEXビル>の一件の報告を仲間から聞いたときに、その少年の名前は知っていた。口に出して、その名前を呼んだ。

「C・C・リヴァ」

つづく




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posted by 城 一 at 05:50| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月04日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第163回


好きなんだなあ。


 シドニー・安達を訪ねたのは、正解だった。そして、シドが彼女に、部下を付けたことも。彼の部下から、シドニーに動きがあったという連絡が入るまで、長くはかからなかった。

 ひと晩、安達家で得た情報と、そこから生まれる推測と格闘を重ね、日が昇ったあとに、遅刻してやって来る睡魔に身を任せて、浅い眠りに落ちるだけで済んだ。

 また、コルベットを出した。シドを拾い、彼の部下から入る情報に従って、車を走らせた。シドは、シドニーに手を出すことを、部下に禁じていた。シドニーが目的地に着く前に捕まえて、彼女を尋問することもできたが、口を閉ざされて長期戦になると、面倒だった。それなら、彼女を目的地まで行かせて、そこから情報を得る方が確実だ。シドニーの舌というフィルターを通っていない分、手に入る情報は信頼できる。情報との間に舌があれば、常に嘘が介在する可能性を考えなければならない。

「ここだ」

 片手に握力を鍛えるための黒いハンドグリップ、片手に部下からの情報を得るための携帯電話を持ったシドが、言った。

 山奥だった。峠道を数十分走った末に、白いガードレール越しに、眼下に街を眺めることができるような場所にたどり着いていた。街灯はない。道路から、未舗装の道がくねくねと曲がりながら伸びていて、生い茂る木々の向こうに、一軒の家が見えた。明かりはついている。

 小道が始まってすぐの場所に、雑草を踏み倒して、銀色の日産ブルーバード・シルフィが停まっていた。

 並べるようにしてコルベットを停めると、中からシドの部下が出てきた。ふたり。片方は、磐井仁だった。もうひとりの方は、知らない顔だ。

 磐井仁はシドに頭を下げてから、こちらを睨んできた。嫌われこそすれ、好かれるようなことは微塵もしていない。仕方のないことだろう。

 磐井たちは腰の後ろで手を組み、シドにシドニーのことを報告した。ひとりで来ていること。移動手段には、車を使っていること。使った車は、トヨタのist(イスト)であること。色は青。家に入っていったのは、十二分前であること。

 シドはひと通り話を聞いて、頷いた。

「よし。これから俺はネコとともに、あの家に入る。お前たちは、ここで待機。組に連絡を入れて、この家に関する情報の収集と、応援チームの編成と待機をさせろ」

「俺たちも行きます。一緒にいるのが、こんな女ひとりじゃあ」磐井が言った。

「ダメだ」シドは首を振った。

「しかし」

「お前の話を聞いてる時間はない。俺の命令が聞けないなら、ケツまくって、家に帰れ」

 磐井は拳を握り、うつむいた。人の人生を踏み荒らすことしか知らない女殺し屋を、敬愛する兄貴分の隣に、置いておきたくはないのだろう。

 磐井を見ていると、先に歩き始めていたシドが言った。

「余計な気遣いは結構だ。行くぞ、ネコ」

「オーケイ」

 磐井と、もうひとりのツガ組の白虎隊隊員をその場に置いて、歩き出した。コルベットのトランクから、松葉杖型のショットガンを出すことを忘れなかった。

 防弾チョッキはなかった。<ミタライ・ビル>で使用したのを<カザギワ>に返却したあと、そのままになっていた。

 シドは、イサカM37を肩に担いでいた。空いた片手には、ハンドグリップを握ったままだ。

「いつまで、そんなものを持ってるつもりなの」

 ハンドグリップを指差して、シドに言った。

「体が戻るまでさ。リハビリに割く時間を惜しむと、あとで泣くことになるってのが、俺と俺の主治医の方針でね」

「リハビリで力尽きちゃわないといいけど」

「ヤクザは、ハンドグリップくらいで力尽きたりしないさ」

 小道は車が一台、やっと通れる程度の広さしかなかった。でこぼこした黄土色の土でできており、速度もあまり出せそうにない。徒歩での移動にしたのは、だからだ。車を使えば、シドニーが向かった家にたどり着く前に気付かれ、最悪の場合、逃げられてしまう。

 ハンドグリップを握る拳を開閉して、ギチギチという音を立てながら、シドが言った。

「あれから、あの子がシドニーと誰の間に生まれたのか、考えた」

 あの子とは、安達愛のことだ。

「聞かせてほしいわね。あなたの考えを」

「俺としては、こいつを考えと呼ぶには、情報があまりにも偏ってると思う」

「と、言うと?」

「あの子の父親が金あるいは、その系統の色の頭髪を持っているとして。今の俺が知っている、シドニーの周りにいる男の中で、その条件に符合する人間は、ひとりしかいないからだ」

 シドが、同じ意見を有していることが分かった。その名前をシドの口から聞きたかったが、シドは言おうとしなかった。

「あの子の父親は、俺のたちが全く知らない男なのかもしれない」

「もちろん、そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。可能性を追求していったら、キリがないわ。たとえ偏ってるかもしれなくても、今ある情報でできる推測を、弾き出すべきじゃないの?」

「俺としては、あまり好ましくない推測なんでね。当たってほしくもない」

「そんなの知らないわ。言ってよ、あなたの頭の中にある名前を」

「何にせよ、もうすぐ分かるんだ。いいだろう」

「嫌なのね。人の汚い部分を見るのが」

「汚い部分だと、決まったわけじゃない。俺はそういう、邪推をするのが嫌なんだよ」
「そうやって、自分の恋人の汚い部分からも、目をそらしてるのね」

 シドの足が止まった。

「何?」

「分かってるでしょう? マリのことよ」

 目が合った。思わず、一歩退いた。シドの全身から、殺気にも似たものが溢れ出していたからだ。シドはショットガンの銃身を、肩の上で弾ませた。ハンドグリップが、ひと際高い音を立てる。

「聞いてやるよ」目を剥いたシドは、かすれた声で言った。「言ってみな」

「マリから、誘ってきたのよ。あるバンドが主催する、乱交パーティにね。最初は、そんなこと知らされなかった。ただのパーティだって言われてた。それでも気が進まなかったのに、彼女に無理やり連れていかれたの」

 アンバー率いる<フォスター>というバンドだと、名前を教えなかったのは、シドがライブハウスに乗り込んで、彼らを皆殺しにしそうな気がしたからだ。マリのために、そんなことをしてほしくはなかった。

「マリは、バンドの連中のほとんど全員とやってたわ。狂ったように、男のペニスをしゃぶって、男の上に乗って、狂ったように腰を振ってた。本当に、気持ちよさそうだったわ。汗と精液のにおいにまみれて、まるでけだものみたいだった」わざと、えげつない表現をしている。分かっていたが、止められなかった。「でも、七十点というところかしらね。まだ、彼女の中では、自分が気持ちよくなることの方が優先されてる。少し後ろから突かれただけで、フェラがおざなりになるんだもの。もっと、余裕が必要だわ。複数の男を相手にするときはね」

 シドはただ、こちらを見ていた。ハンドグリップの音はもう、聞こえない。いつの間にか、ダウンジャケットのポケットに、しまってしまったようだった。

「あなたのことを、強いし、お金を持ってるし、仕事で忙しいから、文句のない男だって言ってるって。それに、乱交パーティに出たのだって、あたしを連れていったのが、初めてなわけじゃないって。そのバンドの乱交パーティの、常連なんだって。パーティじゃないときだって、そのバンドのリーダーとセックスするときがあって」

 喋りすぎている。舌と頭が、マリの欠点を挙げるべく、ひたすら回転しているのは、止まったときに認識しなければならない何かを、恐れているからだ。恐怖に突き動かされるようにして、オーバースピードで回り続けていた。

 皮肉な笑みを浮かべた自分が、体から幽体離脱のように、抜け出すのが分かった。馬鹿な女。幽体は、冷徹なまでに自分を客観視して、そんなことを思っている。

 その全てが止まった。シドが、口を開いたからだ。

「好きなんだなあ、お前は。会ってから、そう長くは経っちゃいないから、全部を分かったなんて言うつもりはねえ。でも、これだけは確かだ。お前は、好きなんだよな。人と人が、それぞれの事情で築き上げてきたものを、身もふたもない言葉や行動で、ぶち壊すことがさ」

 まばたきを忘れ、炎をともした瞳とは裏腹に、微笑をたたえた唇。それが、どうしようもなく怖かった。弁解すべきだ。思考回路は、そう答えを弾き出していたが、そのための言葉を紡ごうとはしなかった。口は間抜けに開閉するだけで、何も言うことができなかった。

「マリのことなら、知ってるさ。けど、俺にはどうしようもないことなんだよ」

「何言ってるのよ。簡単じゃない。止めればいいのよ。やめろと」

「ダメさ」

「どうして」

「マリがやってることはな、俺への復讐なんだ。あいつは、俺のことをズタズタにするまで、やめないよ」

「復讐?」

「俺はな、あいつの姉貴を、ソープに“沈めた”んだ。あいつは、その復讐をしてるのさ。俺と恋人関係にありながら、数えきれないほどの男と寝て、俺を傷つけて、悶えさせて、嫉妬に狂わせる。そういう復讐をな」

 シドはおどけたステップを踏むと、踵を返して、こちらに背を向けた。

「マリの姉貴をソープにやったことは、後悔なんかしちゃいない。仕方ないことだった。マリの姉貴は、買いもの依存症ってヤツでね。借金をしてでも、買いものをせずにはいられなかった。名前はサキってんだが、俺の所に来たときにはもう、どうしようもない状態になってた。借金は雪だるま式に増えて、一千万を超えてた。サキには、とうてい支払えない額だった。俺は、同じような条件下にある女と同じように、サキを、ソープで働くように仕向けた。頑張れば、また前みたいに、買いものができるようになるって言ってな。サキは張り切って、行ったよ。そして、今も働いてる」

「なら、あなたは悪くないじゃない」

「そう。だが、もしもお前さんが、ソープで働いてる女の家族だとしたら、どう思う? どう考える? 誰かのせいにしたいとは、思わないか?」

「けど」

「マリは、最初からそうするつもりだったわけじゃないと思う。人の気持ちなんて、計算できないからな。最初はただ、俺へどうにかして復讐を果たすために、接近しただけだ。けど、あいつが側に来たところで、俺はあいつに惚れちまった。自分がソープに沈めた女のひとりの、妹であることを知らずにな。そのことを知ってからだろうな。あいつが、この復讐の方法を思いついたのは。いわゆる、惚れた弱みにつけ込む方法をな」

「他にも、女はたくさんいるじゃない。他の女を、好きになればいい」

「理屈通りに動かないのが、気持ちってもんだろ。ええ?」

「いつまで、そんな関係を続けるつもりなの」

「マリの気が済むまでさ。あいつが、姉貴の恨みを晴らしたと思ったら、終わるだろ。そのとき、初めてフラットな、スタート地点に立てる」

「スタートなんて、できるわけがない。一度そんな関係になった女を、本当の恋人にしたいって言うの?」

「俺の気持ちが、そう言ってるからな」シドはそこで、ハッと笑った。「そのときまでに、俺の気持ちが残ってるかどうかも、分からんがな」

「そんなの」

「何にせよ」シドの声が、きっぱりと言った。「お前の口出しは、必要ない。よかったな、お前。女で。じゃなきゃ、とっくにぶん殴って、ボコボコにしてるよ」

 道の起伏が、想像以上に左足に負担をかけていたらしい。ギプスの下が、痛みで脈打ち始めていた。鈴乃は、足を止めた。

 いいよ、殴ってよ。そう言った。その言葉に自信がなくて、声がとても小さくなってしまった。シドには聞こえなかったらしい。彼の足は、止まらなかった。殴ってよ。もう一度言った言葉も、シドに届くほどの声量を伴ってはいなかった。悔しさで、思わず唇を噛んだ。

 シドの足が止まった。小道を、横から圧迫するように立っていた木々が消え、視界が開けていた。目の前には、シドニーがいるはずの家があった。

「さて、何が出るか、お楽しみだな。ネコ」

 シドは振り返らなかった。二度と、自分のことを、本当の意味では見てもらえない。そんな気がしていた。

つづく




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posted by 城 一 at 18:50| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月03日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第162回(2版)


ある家庭。


 鈴乃は、ようやくベッドを出て、動くことを許されたシドとともに、シドニー・安達(あだち)を訪ねた。かつて、ジェイソン・リーヴの妻であった、シドニー・リーヴだ。今は、安達良一郎(あだちりょういちろう)という、普通に働く会社員の男と結婚し、安達に姓が変わっていた。

「愛(あい)。お客さんに、悪戯しちゃダメよ」

 シドニーに言われて、愛は口を尖らせた。安達愛。シドニーの娘だ。
 愛は、シドに肩車をしてもらっていた。まだ自分の意思を、うまく言葉で伝えることができない彼女は、母親の言葉に不満そうな表情を浮かべたまま、何も言わなかった。そして、シドニーが自分から視線を外すのを待って、またシドの頭のスタイリング作業に戻る。草むしりでもするかのように、シドの頭髪を引っ張る。

「いいさ。子どもは、嫌いじゃないんだ」シドは笑った。

 シドニーを訪ねたのは、アイザックに関する話を聞くためだ。アイザックの親友であり、<カザギワ>の仲間でもあった、ジェイソン・リーヴ。その妻なら、アイザックのことを知っているのではないか。そう考えたのだ。

 だが時間は、シドニーの子どもをあやすことと、彼女が語る子どもの話に、費やされるばかりだった。

 シドニーには、愛の他に、ジェイミーという息子がいた。愛よりも少し年上の、赤茶色の髪を持った少年は、シドニーに居間に案内されたときから、ずっとテレビの前におり、テレビゲームに興じていた。同じ居間にいるのにも関わらず、来訪者には見向きもせず、黙々とコントローラーを操っていた。

「ジェイミー。お客さんが来てるんだから、挨拶くらいしたらどうなの? まったく、いつもいつも、ゲームばかり」シドニーはそう言ったところで、返事をする気配も見せないジェイミーに、溜め息をついた。「この子ったら、あたしどころか、良一郎さんのことも聞かないのよ。やっぱり、本当の父親じゃないと、ダメなのかしらね」

 舌打ち。したのは、ジェイミーだ。音を立ててコントローラーを床に転がす。「そんなこと、ひと言も言ってないのに」と呟くと、立ち上がり、鈍い音を立てて床を踏み鳴らし、居間を出て行った。

 シドニーは苦笑した。

「ごめんなさいね。反抗期、というヤツかしらね」

 それだけではないと思ったが、口を出すつもりはなかった。所詮、他人の家庭だ。好きに築けばいい。

 ジェイミーの背中を見送りながら、自分のコーヒーに角砂糖を入れていたシドが言った。

「安達良一郎は、あいつの本当の父親じゃないのか?」

「そう。ジェイミーの父親は、ジェイソン・リーヴよ。アイザックに殺された」シドニーは頬杖を突いて、テーブルの上を見ていた。木製のテーブルの上には、皿に出された菓子があった。チョコレートチップの入った、クッキーだ。シドニーは空いた手を伸ばして、皿の底に溜まったクッキーのかすを指先に付けて、舌で舐めた。「愛の父親は、今のあたしの夫。安達良一郎」

 愛はシドの髪の毛を引っ張り、彼の肩から下ろしてもらうと、今度はシドの膝の上に、自分の居場所を移した。彼のことを、気に入っているようだった。

 シドは微笑みながら、愛の金色の髪を撫でた。少し癖があり、ふわふわとしたたんぽぽの綿毛のようだった。

「すまなかった」

 シドの言葉に、シドニーは首を振った。

「いいのよ。腫れものに触るみたいに、気を遣われるよりも、その方がいい。あの人がもういないってことを、言葉にしてくれる人がいた方が、その事実を受け入れる方向へと動くことができる。事実から目をそらしてたら、前に進めないもの」

「そう言ってくれると、ありがたいんだがな」

 壁に掛かったコルクボードに、画鋲で写真が留めてあった。シドニーが今の家族と、どこかの遊園地の観覧車を背に、写っているもの。生まれたばかりの愛が、自分の右手の親指をしゃぶっているもの。ジェイミーではなく愛だということは、髪の色を見れば分かる。黒光りするランドセルを背負って、半ズボンにブレザーという姿で、学校の校門の前で笑うジェイミー。

 シドニーが家族とともに築いてきた、思い出の場面がひとつずつ、色褪せずに飾られている。

 隅の方にある一枚に、目が止まった。その縁を、指でなぞった。そこに写っているシドニーは若く、ふたりの男と一緒だった。金髪を長く伸ばした容姿端麗な男と、浅黒い肌の色をした、頑強な体つきの、黒髪の男。

 シドニーが言った。

「金髪の男の人が、アイザックよ。もうひとりが、ジェイソン。ずっと昔に撮った写真よ。あたしの生活の中に、まだ<カザギワ>という組織があった頃の」

「どうして。アイザックは」

「ジェイソンが写ってる写真が、それ一枚しかないのよ。その写真を撮ったときは、ずっと一緒にいられると思ってた。アイザックが<カザギワ>を辞めてからね。全てがおかしくなったのは。歯車が突然、噛み合わなくなったみたいに」

 シドが背もたれに深くもたれて、椅子を軋ませた。

「俺たちは、そのアイザックを探してるんだ。ヤツがいそうな場所を、知らないか?」

「彼を見つけたら、どうするの?」

「それは」シドは、言葉を濁した。膝の上には、愛がいる。「ヤツがしたことは、知ってるだろ。あんたからジェイソンを奪い、<カザギワ>の連中も、何人もやられてる」

「そう」

「どうなんだ?」

「分からないわ。ごめんなさい」シドニーは少しうつむき、こめかみを揉んだ。「その、あまり思い出したくなくて」

「そうだな。いや、こっちこそすまない。書くものはないか?」

 シドニーはテーブルを離れて、保険会社の名前が隅に入った、卓上メモとボールペンを持ってきた。シドはそれを使って、携帯電話の番号を書いた。

「俺の携帯の番号だ。もし、何か思い出したことがあったら、いつでも連絡してほしい。ヤツに関することなら、何でもいい。ほんの小さなことでも」

「分かったわ」

「あと」シドは膝から愛を下ろし、椅子を立って言った。「今度は、子どものいないとき、あるいは、場所で会いたい。生臭い話になるからな」

「今はちょっと、すぐには返事をできないけれど」

「ああ。都合がついたら、連絡をくれ」

 シドニーは頷いた。

 シドニーがアイザック・ライクン・そしてジェイソン・リーヴとともに写った写真と、安達家の家族全員が写っている、遊園地の写真を指差して、言った。

「この写真、欲しいんだけど。もらってもいいかしら?」

「ああ、ごめんなさい。遊園地の写真はフィルムがあるからいいけれど、アイザックとジェイソンと写ってる方は、コピーで勘弁してもらえないかしら。そっちは、もう焼き増しとかは、無理なの」

「いいわ」

 シドニーは居間にあった、デスクトップのパソコンを起動して、それに繋がっていたデジタル複合機を使い、シドニーとアイザック、ジェイソンが写っている写真をコピーした。

 少し粗くなりはしたが、光沢紙を使ってくれたお陰で、違和感は少なかった。コルクボードから取った、安達家の家族写真とともに、コートのポケットに入れた。

「話をしてくれて、ありがとう」シドは言い、テーブルの上からクッキーを取り、口に放り込んだ。食べながらかがみ、愛の頭を撫でる。「じゃあ、またな」

 シドとともに、部屋を出た。

 シドニーの住む部屋のあるマンションには、コルベットで来ていた。退院を許されたばかりのシドに、車を運転させるのは、酷な話だ。駐車場を出るときに、死角から子どもが出てきて、軽く急ブレーキをかけなければならなかった。左足が痛んだ。

 人のことは言えないか。胸の内で呟いた。左足のギプスは、まだ外れていない。

 運転をしながら、シドに先ほどの写真を渡した。

「どうした? 何か、気になったことでもあったのか?」

「ジェイソン・リーヴの髪の色は、黒。安達良一郎も、同じよ。シドニーは」

「赤毛」写真を眺めながら、シドは言った。シドニーは、写真に写っていた昔も今も、鮮やかな赤毛をしている。髪はワンレングスのストレート。胸元まで届くほどの長さも変わらない。「それが、どうしたんだ?」

「愛は、どうやったら生まれるの?」

 愛の髪は、誰がどう見ても、金と称する色をしている。母親の赤毛と、彼女が父だと言う安達良一郎の黒髪では、金髪はできない。同じように、黒い頭髪を持つジェイソン・リーヴでも、同じだ。

 シドはドアの肘掛けを使って頬杖を突き、言った。

「部下を使って、シドニー・安達を張らせるか」

「そうして」

つづく




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posted by 城 一 at 23:26| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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