Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年08月11日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第192回


ただの戯れ。


 時間の感覚が、曖昧になっていた。リタ・オルパートからもらった睡眠導入剤で、無理矢理眠ったせいだ。空腹のサインも、便意も。あてにはならない。日の光がない空間で、体力だけが余っていた。生を見限ったことが、思考回路にブレーキをかけていた。ごく自然なことだ。いくら考えようとも、この先自分に待っているのは、ただ一つ。死なのだから。変わるのは、その終着点と、そこへ至るまでに自分がたどった道程(プロセス)の、解釈の仕方だけだ。

 慶慎に付いた見張り役は皆、ティーンエイジャー、あるいは十代を過ぎたばかりの者たちだった。総じて、若い。安っぽい、暴力的な態度。敵意ある視線。見張り役たちに見られる共通点だった。理由を垣間見たのは、見覚えのある顔を、見張り役の中に見つけたときだ。その少年の視線に込められた敵意は、他の者よりも濃度が高かった。

「覚えてるか、俺を?」

 少年は言った。思い出したわけではない。ただ、彼の声が、一つの名詞を浮き上がらせた。慶慎はそれを口にした。

「〈アンバー・ワールド〉?」

 返事は拳で返ってきた。内蔵が跳ね上がる。慶慎は、胃液混じりの唾を吐いた。

 抵抗はできなかった。事前に、手錠を手足にはめなおされ、背もたれと肘掛けのある木製の椅子に、体を固定されていた。

 攻撃は、一定のリズムで続いた。痛みに耐えるため、意識を体の内側に集中させる間に、部屋の中にいる人数は、一人から三人に増えていた。

〈アンバー・ワールド〉。夜の街で、市間安希に絡んでいた、不良グループだった。安希を助けようとすると、暴力的な手段に出てきた。だから、同じように、暴力的な手段で退けた。だが。

「どうして君たちが、ここにいる? ここは、リタやアイザックの根城じゃないのか?」

 脇腹に蹴り。返事を待っていた体は、ことさら無防備だった。倒れてしまいたかったが、椅子がそれを妨げる。少年は言った。

「簡単なことだ。なぜなら、俺たちは、ミス・オルパートと、行動をともにしてるからだ」

「なぜ」

「なぜだと?」

 喉。絞めるようにして摑み、力を込められ、椅子ごと床に倒れた。腹を踏みつけにされる。

「お前らは、アンバーの恋人を殺したからだ」

「ら? 〈カザギワ〉のことを言ってるのか?」

「そうだ」

「アンバーの恋人は、〈DEXビル〉の一件のとき、その現場にいた?」

「いや。その件は、関係ない」

「なら、僕は、アンバーの恋人の死には、関わっていない」

「だから? お前は、〈カザギワ〉の殺し屋だろう? 組織の一員、組織の一部だ。〈カザギワ〉の一人として、罪を背負うべきじゃないのか?」

「その通りだ」

 少年にそう言った一方で、違和感を感じた。〈アンバー・ワールド〉は、街にごまんといる、ちんぴらの一部に過ぎない。それが、罪などという言葉を使うだろうか。

 しかし、それがどうした?

 思考回路を止めた。自分は、何のためにここにいる? 彼らがどうしてここにいるのかを突き止めるためではない。ただ、死ぬためだ。彼らがここにいる理由も、自分に暴力を振るう理由も、どちらもどうでもいいことだ。その性質や正誤が、自分の命を左右するわけでもない。

 それに。もしかすると、これが、リタ・オルパートの用意した結末なのかもしれない。

 痛みの数を数えるのをやめ、少年たちが攻撃するのに任せた。胸の内で、鼻歌を歌った。父の下で暴力を受ける生活の中で覚えた方法。心を眠らせる子守唄。

 暴力の雨が止んだ。

 目を開くと、部屋の入口に、アイザック・ライクンが立っていた。戸枠に寄りかかり、りんごをかじっていた。

「リタの許可は、もらっているのか?」

 アイザックは、ロングコートを、襟を立てて着ていた。色は黒。左の袖は、義手がないため、だらりと垂れ下がっている。

 少年の一人が、アイザックに詰め寄った。身長が低い。下から、アイザックの顔を、ねめつける。

「邪魔するなよ、アイザック」

 アイザックは、片方の眉を、ぴくりと動かした。

「僕とリタには、“ミスタ”、“ミス”を付けるように言われなかったのか?」

「くそくらえだ」

 少年は、あとから加わった一人で、先ほどリタのことを“ミス・オルパート”と呼んだ少年ではなかった。野球帽を斜めにかぶった下に、さらにバンダナを巻いていた。だぶだぶの、NBAのユニフォームのレプリカ。幅の太すぎるジーパンを、尻の辺りまでずり下げて履いていた。アクセサリだらけの手、そして首元。

 アイザックは、またりんごをひとかじりした。獣じみた微笑を浮かべる。

「これはこれは」アイザックは言った。「今後また、こんなことがないよう、“釘を刺しておく”必要があるな」

 蹴り。予備動作もなしに繰り出した一撃は、NBAの少年を、部屋の反対側まで吹っ飛ばした。さらにその少年に歩み寄ろうとしたアイザックに、他の二人の少年が飛び掛かった。りんごをかじる音。ふわりと浮き上がる、ロングコートの裾。笑みをたたえたままの口許。二人は吹っ飛び、壁に衝突した。二人とも白目を剥いていた。釘で輝く、二人の腹には、血が滲んでいる。

「悪い気分じゃないよ」NBAのレプリカを着た少年の無防備な背中に飛び乗り、アイザックはステップを踏んだ。タップダンスでも踊るかのように。ステップに応じて、打ち込まれる釘。血が飛び散る。「リタには、しばらくの間、おとなしくしてるようにって言われてたんだけどさ」

 アイザックの足で、踏み鳴らされるNBAの少年の体。レプリカのユニフォームも、体も。血で真っ赤に染まっていた。骨が折れる音。肉が潰れる音。アイザックは、唇に付いたりんごの果汁を、舌で舐めた。

「でも、ほら。そういうのって、性分じゃないからさ。禁断症状が出るんだよ。代わりになるものもないし。相変わらず、リタは僕とセックスしてくれないし」

 新たに、少年が現われた。茶系の色が使われた、迷彩柄のパンツ。同系の単色のTシャツ。ベスト。バンダナ。バンダナははちまきのように、頭に巻いていた。ベストにある複数のポケットは、スペアの弾倉やナイフで膨らんでいた。肩に担ぐようにして、アサルトライフルを持っていた。少年は、部屋の様子を見て、眉間に軽く皺を寄せたが、声も上げずに中に入り、ドアを閉めた。

 アイザックが言った。

「やあ、“狂信者(ファナティック)”」

 少年は、眉間の皺を深くした。

「その呼び方は好きじゃありません、ミスタ・ライクン。〈ナンバーズ〉あるいは、〈ナンバー・オブ・アンバー〉と」

 アイザックは、NBAの少年の頭を、最後に大きく踏みつけ、彼の体から下りた。彼の体だったものから。明らかに、既に命を失っていた。“狂信者”と呼ばれた少年は、ライフルの先端で、NBAの少年の死体の頭を突いた。転がし、顔を確認する。

「ああ」“狂信者”は言った。「〈アンバー・ワールド〉の中でも、底辺に近い連中の一人だ。安心しました」

 アイザックは、食べかけのりんごを、“狂信者”に投げ渡した。

「クールだね。優先順位で、躊躇なく命を区別する。嫌いじゃないよ、そういうやつは」

「それはどうも」

「“何番”だ?」

“狂信者”は、Tシャツの袖をめくった。上腕に、刺青で数字が彫られていた。“25”。アイザックは言った。

「番号で覚えた方がいいかな? それとも、それと合わせて、名前を?」

「〈ナンバーズ〉は、自分の番号に、誇りを持ってます」

「なるほど。じゃあ、覚えておくよ。“25番”」

「光栄です」25番は、気絶している二人の少年を見た。「彼らは、どうしますか?」

「処分だ」

 25番は頷き、二人の頭に、ライフルで銃弾を撃ち込んだ。彼が、携帯電話をかけると、間もなく、25番と同じ格好をした者たちがやって来た。彼らは、死体を部屋から運び出し、死体が汚した床を洗浄し、去っていった。

「何をしようとしてるんだ、お前たちは」

 慶慎は言った。

 アイザックは、手錠をしたまま、椅子ごと、慶慎を起こした。ティッシュを丸めて、出血していた鼻に、栓をする。アイザックは言った。

「蟻の行列を見つけて、思うままに蹴散らしたことはないかい?」

 慶慎は黙って、アイザックを見つめた。

「飴玉や砂糖菓子を使って、蟻の行列を、思うままに操作(コントロール)してみたことは?」

 答えなかった。アイザックは微笑を浮かべたままだった。

「僕とリタがやってるのは、ただの戯れ。お遊びなのさ、風際慶慎君」

つづく




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posted by 城 一 at 07:02| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第191回(2版)


俺たち、仲間だろう?


 リヴァは、車に乗り込んだ。全ての窓に、フルスモークを施した、黒いセダン。後部座席には既に、磐井が座っていた。ドアを閉めると、運転席にいた磐井の部下が、車を発進させた。

 磐井が、リヴァの出てきた建物を、一瞥した。

「〈アンバランス701〉か。〈アンバー・ワールド〉及び、アンバー率いるバンドグループ〈FOSTER〉の根城だ」磐井が言った。

「ああ」

「収穫は?」

「ライブハウスの上にあるバー〈スージー〉のマスターは、〈ミカド〉に関わっている」

「それで?」

「それだけだ」リヴァは言った。「今のところ」

「今のところ」

 言葉を吟味するかのように、磐井は呟いた。

「途中で抜けてきた。続きは、バーバーとダンクがやってる」

「なるほど」

「リタ・オルパートに関する資料は?」

「こいつだ」

 磐井から、膨らんだマニラ封筒を受け取った。口を開け、中身を取り出す。

 写真が数枚。全て、リタ・オルパートを写したものだった。表情や仕草、服装から、多少、リタの年齢に差があることが分かる。若く見える頃の方が、明るく見えた。あるいは、明るい雰囲気が、彼女を若く見せているのか。写真の他に、紙と文字による資料。縦書き、横書き。紙の質と種類もばらばらだった。英語で書かれた新聞の切り抜きもあった。

「バラエティに富んでるな」リヴァは言った。

「ああ」

 口を閉じた。資料を読み、聞こえてくる情報に、耳を傾ける。写真から受けた年齢差は、実際にあった。かつてのリタ・オルパートから、今のリタ・オルパートまで。時間と感情の推移を、写真は如実に表していた。

 磐井は、車を走らせ続けた。世界に黒い膜を張る窓は、いつしか、雨混じりの雪に打たれていた。ゆったりと流れる夜の街は、陰鬱な表情を見せている。ラジオでは、静かなジャズが、今日と明日を繋げていた。あるいは、昨日と今日を。物悲しげなトランペットの音色。磐井の部下は、途中、セルフサービスのガソリンスタンドで車に給油をし、コンビニエンスストアで、食料を買った。リヴァは、缶コーヒーとサンドイッチをもらった。ハム、トマト、レタス。マヨネーズ。磐井は腹を満たすと、目を閉じた。眠っているのかどうかは、分からなかった。

 資料を読み終え、リヴァはこめかみを、指で揉んだ。

 リタ・オルパートの生まれは、アメリカだった。同じ土地で育ち、同じ土地にあった大学に入った。リタ・オルパートは、偽名。本名は、パメラ・ブラウン。アメリカにいる間は、その名前を使っていた。偽名などというものとは、無縁だったのだろう。表情が明るく、若々しく見えるのは、リタ・オルパートが、パメラ・ブラウンだった頃に撮られた写真だった。

 彼女の弟、デイヴィッド・ブラウンも、姉と同じ道を歩んだ。同じ土地で年を重ね、同じ大学に入った。その道から外れたのは、彼が大学三年生のとき。デイヴィッドは突然、大学構内でライフルを乱射し、手榴弾を人に投げ、ナイフを振り回した。大学の教員三人と、生徒十八人が死んだ。教員十一人と、生徒四十二人が負傷した。精神的なものも含めれば、傷付いた人間は、もっと膨大な数になるだろう。デイヴィッドが、何をもって、虐殺の終わりにしたかは分からない。だが、確かに事件は終わった。デイヴィッドが、大学の屋上で自らのこめかみを自動拳銃で撃ち、飛び下りることで。

 事件後、間もなく、リタ(パメラ)とデイヴィッドの両親は、デイヴィッドと同じように、自分のこめかみを銃で撃ち、自殺した。パメラは日本へ渡り、消息を絶った。次に姿を現したときにはもう、パメラ・ブラウンという名は捨てられ、リタ・オルパートという新しい名前と生き方が、彼女にはあった。リタは、いくつかの組織を渡り歩き、反社会的な集団――暴力団、マフィア、ギャング、暴走族、その他もろもろ――を、潰して回った。リタが個人的に恨みや怒りを抱いている可能性のある人間――あるいは集団――は、その中にはいなかった。

「何があった」

 自分の中に、問いかけるようにして、口に出した呟き。いつの間にか、目を開いていた磐井が、フロントガラスの向こう側を見たまま、言った。

「リタ・オルパートのことか?」

「そうだ」

「弟の銃乱射事件と、両親の自殺が、彼女を変えた」

「やつは、慶慎に執着している」

「らしいな」

「弟と両親の件が、関係あると思うか?」

「二つの件がやつに変化をもたらし、現在、風際慶慎に執着している」磐井は一度言葉を切り、リヴァを一瞥した。「と思われる、リタ・オルパートという人間を作り出したと考えるなら、関係はあると言える」

「そういうことではなく」

「それ以上は、推測の度合いが強すぎると、俺は思う」

「そうだな」

「風際慶慎に対して、リタ・オルパートの精神が、どう作用しているのか。調べるためには、アメリカに渡らなければならない。その時間はあるのか、俺たちに?」

「ないな」

「リタ・オルパート、アイザック・ライクン、アンバー、〈アンバー・ワールド〉、〈FOSTER〉。いずれかの居場所を見つけることよりも、優先順位が高いか?」

「いや」

「だが、まあ。俺たちが、リタ・オルパートの精神状態を判断するのに役立ちそうな情報を見つけたら」磐井は言った。「教えてやるよ」

「当たり前だ。俺たち、仲間だろう?」

「俺は、およそ五十の部下を使って、ローラー作戦を行い、連中の居場所を探している。だが、その中に、お前たちはいない」

「個人主義なんだ」

「利己主義とも言えるな」

「どうとでも言える」

「情報がもし、俺たちからお前たちへの一方通行だったら」磐井は窓の外を眺めながら、言った。「俺たちはへそを曲げる」

「大人気ないな」

「慕っていた兄貴分を失って、精神的余裕がないんだ」

「情報の一方通行は起きないよ、ハニー」

「仲間意識の芽生えを、その呼び方で表現されることを、一番恐れてたんだ」

「なら、“ハニー・バニー”にでもするか?」

「《パルプ・フィクション》だ」磐井は言った。「クエンティン・タランティーノの」

「ああ」

「俺は〈ツガ〉の白虎隊だぞ」

「“ハニー・タイガー”じゃ、語呂が悪いよ」

「そうだな」

つづく




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posted by 城 一 at 06:40| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第190回


ただで済む時期は過ぎてる。


 鼻にジャブを一発。有無を言わせず叩き込んだ。身体的なダメージを与えるために打ったものではないが、笑顔で油断させてからのジャブだ。勝谷紀彦はバランスを崩し、目を白黒させながら、後ろにあったシンクに寄りかかった。

 ダンク。リヴァが言うと、オーライ、と返事をして、ダンクはすかさず、勝谷の両足を持ち上げた。ダンクが意識を取り戻したのは、数時間前だ。だが、数軒のレストランを渡り歩き、彼の望む通りに胃袋を満たしてやっただけで、いつもの調子に戻っていた。違うのは、包帯と肌の色で、まるでシマウマのような状態になっていることだけだ。真っ白いナイキのバスケットシューズ、黒いジーパン、白いダウンジャケット。ダウンの中は、何も着ていなかった。包帯を巻いていると、服を着る必要がないくらい暑いのだと言う。怪我のお陰で、彼の体が発熱しているためなのかもしれなかったが、その点については、リヴァは言及しなかった。

 シンクの中に勝谷の顔面を押し込み、蛇口を捻った。水の出所を調節し、彼の口を狙う。すぐに水は口腔から溢れ、勝谷はごぼごぼという音を漏らした。息ができないのは分かっていた。彼の鼻は、鼻血で詰まっている。

「アンバー、バンド〈FOSTER〉のメンバー、あるいは、〈アンバー・ワールド〉の中心メンバー。いずれかの居場所を教えろ。イエスなら、俺の腕を叩け。ノーなら、そのまま喉を潤してろ。水の適量摂取は、健康にいいと聞くぜ」

 リヴァは、〈スージー〉にいた。ライブハウス〈アンバランス701〉の上階にある、バーだ。ライブハウスと同様に、〈アンバー・ワールド〉の根城になっていたとも言われている。

 勝谷は水でむせながらも、首を振っていた。

 アトリエで倒した者たちは、全員、〈アンバー・ワールド〉のメンバーであることを示すバッジや、ワッペンを身に付けていた。〈アンバー・ワールド〉は、CDも発売して、表の世界で名を知られ始めているバンド〈アンダーワールド〉のメンバーの一人である、アンバーの狂信者たちで構成された、街の不良集団だ。アンバーや、彼の周囲に集まる人間を好むならば、誰でも〈アンバー・ワールド〉を名乗ることができる。その上、露天商などを中心に、そのグッズも販売されている。興味がない人間でも、ファッションのために、〈アンバー・ワールド〉に関するものを身に付けることはできた。だが、見過ごせない共通点だった。慶慎を探すときに、リタ・オルパートが〈アンバー・ワールド〉を利用したという話もある。情報を手に入れるための取っ掛かりになることは確かだった。

 ウエイトレスがバーの隅方へ、そっと逃げた。携帯電話を耳に当てたところで、バーバーが取り上げた。タンブラーを満たすシャンディ・ガフの中に携帯電話を沈め、不穏な音を立ててショートするのを見守ってから、中身を飲み干す。震えながら後ずさるウエイトレスに、バーバーは言った。

「おとなしくしていれば、危害は加えないよ。余計な人間を呼んだりして、僕らにある時間を縮めたりしなければ、その分、君たちの上司に優しくすることができる。オーケイ?」

 ウエイトレスは頷いた。腰がくだけており、尻餅を突きそうになる。バーバーは彼女の腰が落ちる場所に、椅子を滑り込ませた。

 リヴァは言った。

「バーバー。そいつは、警察じゃなく、〈アンバー・ワールド〉を呼ぼうとしてたのかもしれない」

「110の番号は確認済みだよ、リヴァ。それに、〈アンバー・ワールド〉の人間の番号なら、その人の携帯の方が入ってるはずだよ」

「それもそうだ」

 リヴァは勝谷の履いているジーパンの尻を探り、携帯電話を取った。開かずに、そのまま着ているダウンジャケットのポケットに突っ込む。電話帳に登録されている番号を調べるのは、後回しでいい。

 勝谷は顔面蒼白で、静かになっていた。水を止め、頬を叩く。

「寝てもらっちゃ困る」

 勝谷は深呼吸した。曖昧になっていた目の焦点が定まる。

「こんなことをして、ただで済むと思ってるのか?」

 口から溢れた水で、鼻血はほとんど洗い流されていた。冷やされたお陰もあるだろう。出血は収まりかけていた。ノックするように勝谷の鼻を叩く。再び、鼻血が噴き出す。

「見て分からないのか?」リヴァは、ギプスをした左手を、勝谷の目に見えるように示した。「既に、ただで済む時期は過ぎてるんだ」

「街を汚す、ごみ虫どもが」

 蛇口を捻った。水が、勝谷の口を塞ぐ。

「否定はしないが、お前はどうなんだ? 人を一方的に非難できるほど、綺麗な体なのか、ええ? お前、そしてお前がひいきにしてる〈FOSTER〉、〈アンバー・ワールド〉の連中は、綺麗なやつらなのか?」

 シンクの横には、大型の拳銃が置いてあった。勝谷から取り上げたものだった。その銃口を勝谷に向けた。彼は今までよりも一層大きく、首を振った。狙いを勝谷から外し、拳銃で窓を撃った。
「俺が持っていようが、お前が持っていようが、銃は銃だ。人殺しの道具だ。違うか?」

 勝谷は顔を横に向け、水から逃れた。

「お前ら〈ツガ〉や、〈カザギワ〉が持てば、そうなる」

「お前たちが持てば?」

「人殺しの道具にはならないし、しない」

 この言い回し。リヴァは確信した。

「お前、〈ミカド〉だな」

 勝谷は口許を歪め、微笑した。リヴァは銃口で、勝谷の右目を突いた。

「リタ・オルパートはどこにいる」

「リヴァ」

 バーバーが言った。無視した。

「俺の気は、かなり短くなってるんだ。場合によっては、殺すだけじゃ済まさねえぞ」

 勝谷は微笑を浮かべたまま、何も言わなかった。拳銃のグリップで、鼻を殴った。勝谷はシンクの中で頭を前後左右に暴れさせながら、低い呻き声を上げた。二度目。振り下ろそうとした腕を、バーバーがカウンター越しに摑んでいた。

「ずいぶん、甘やかすじゃねえか」

「僕らは、他にもたくさんの人間と話をしなきゃならないんだ。それに、いずれアイザックたちとの戦争にもなる。初っ端から、はりきりすぎると、警察に目を付けられて、本番前に身動きできなくなるよ」バーバーは言った。「そうなると、Kを助けられる可能性は、俄然低くなってしまう」

 バーバーを見た。

「冷静になるんだ、リヴァ」

 拳銃を振り下ろした。悲鳴を上げる勝谷から、リヴァは離れた。ダンクにも、そうするように言った。勝谷はシンクから顔を出し、床にひざまずくようにして、呻いていた。残っている弾を全て抜き、拳銃を投げ捨てた。

「リタ・オルパートが手に入れたかったのは、慶慎だ。あいつを痛めつけるための手札(カード)も、用意できてる」

「岸田海恵子、サニー・フゥ、市間安希」バーバーが言った。

「やつが欲しかったものは、全部揃っちまったんだ。事を始めるタイミングは、やつ次第。時間がないんだ。やつが具体的に、何をするつもりなのかは分からん。が、何にせよ、慶慎を痛めつけるのは確かだ。そして、全てが終わったら、慶慎を殺すことも。そうなっちまったら、俺は」

「分かってるよ、リヴァ。だからこそ、冷静になることが必要なんじゃないか」

「分かってる」

 携帯電話が鳴った。自分のものだ。出ると、相手は磐井だった。

「蓮さんから、リタ・オルパートに関する資料をもらった。いるか?」

「もちろんだ」

 リヴァは言った。

つづく




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posted by 城 一 at 06:30| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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