Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年07月03日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第187回


これ以上、言葉を遺さないで。


 日が暮れかけているのにも関わらず、黒いレンズのサングラスを掛けた男は、鈴乃を一瞥して、志津子に何事か呟いた。日本人のように見えるが、男の口から出てきた言葉は、日本のものではなかった。志津子は、男と同じ言葉を使い、返事をした。男は鼻を鳴らし、茶色い紙袋を、志津子に渡した。志津子からは、青い色の付いた、不透明なビニール袋――丸められて、直方体に近い形になっていた――が渡された。男は袋の中を覗き、頷くと、立ち去っていった。

「いくら渡したの?」鈴乃は言った。

「五十」

 今は手持ちがないけど――鈴乃の言葉を、志津子は途中で遮った。

「大丈夫だ、いらないよ」

 廃ビル。ガラスを失った窓から差し込む西日の中に、鈴乃たちはいた。アイザックとの戦闘を経た鈴乃の体は、当分の間、以前のように動かすのは無理だと、医者から言い渡された。〈ツガ〉の息のかかった病院を経営している医者だ。鈴乃は、法に触れる方法でもいいからと言ったが、医者は首を縦に振らなかった。志津子に相談したのは、他に、方法が思いつかなかったからだ。志津子は、ドラッグを使う方法を提案した。鈴乃はそれを呑んだ。彼女が手配したドラッグが今、男から手渡された紙袋の中に入っているものだった。志津子は紙袋の中身を一つ取り出して、鈴乃に放った。

 市販の目薬にしか見えない代物だった。全く同じケースは、商品名を示すシールが貼られたまま、透明な液体に満たされていた。

「これが?」

「モルヒネやヘロインのお仲間、抑制系薬物(ドラッグ)、〈シンデレラ〉。“ガラスの靴”とも呼ばれてる。静脈注射で摂取すれば、おそらく、あんたの体は動く。薬が効いてる間だけね」

「そう」

「満足かい?」

「ええ。でも、確実じゃないのよね? このドラッグの効果が、あたしの体を動かすかどうか」

「ああ」

 志津子は、男と同じく、黒いレンズのサングラスを掛けていた。表情は見えない。

「試してみても?」

「だめだ」志津子の語気は強かった。腹に、鈍く響く。「あんた、自分が使おうとしてる薬が、どれだけやばいのか分かってないのかい?」

「まあ、今のあなたの反応からすると、そうだったみたいね。麻薬の危険性は、ある程度承知してるつもりだったけど」

「ドラッグには、必ず副作用があるんだ。あんたのその、ぼろぼろの体を動かせるほどの効き目と、副作用を、秤に掛けてみな。分かるだろう」

「分かるような気はするけど、ぴんとこないわ」

「そいつを飲んだり、あぶって煙を吸ったり、粉状だったものを鼻で吸うなら、まだいい。それでも、十分にやばいドラッグだけどね。けど、静脈注射で摂取すれば、まず戻ってこれない」

「中毒症状から、抜けられない?」

「一発で、そこまでいく。もっと言えば、街のヤク中のがきどもが、より効き目のあるクスリと方法を追求した末に、〈シンデレラ〉の静脈注射で、昇天してる例さえ、いくつもある」

「そう」

「戻ってこれないんだよ。下手をすれば、死ぬんだよ」

「あたしは今、自分が生きてることに、あまり自信がないの」

「胸に手を当ててみろ。鼓動が聞こえるから」

「それで保証される生の話じゃないわ」

「あの男は、ドラッグが嫌いじゃなかったかい?」

「シドのこと?」

「そう」

「彼は、眠ってるわ。彼も今、自分が生きてることに、あまり自信がないでしょうね。ただし、その場合、鼓動で保証される生の話になるけれど」

「そうかい」

「そうよ」

「クスリを使って手に入るものに、本物はない」

「手に入れるために、行くんじゃないわ」

「シドはいずれ、目覚めるかもしれない。いずれ、あんたに微笑むかもしれない」

「彼の傍らには、彼が眠っている間、泣いてくれる女がいるわ」

「誰か、あんたに微笑んでくれる男が現われるかもしれない」

「あるいは、女が?」

「あたしは今、冗談に付き合う気分じゃない」

「そう」

 志津子が、黒革でできた、小さなショルダーバッグを、〈シンデレラ〉が入った紙袋とともに、鈴乃の膝の上に置いた。

「中に、注射器が入ってる。使いな」

「ありがとう。お金は」

「さっき、いらないと言った」

「でも、それじゃあ、あなたにお返しができない」

「だから、いらないんだよ。礼なんて」

「セックスなら」

 ばかじゃないのか。志津子の怒声が、ビルの中にこだました。志津子は荒々しく呼吸をしながら、鈴乃を見下ろしていた。

「あんたは、本当に」

「本当に?」

 志津子は首を振り、鈴乃に背を向けた。

「いや、何でもない」

「言ってよ」

「もういなくなる人間に、言いたい言葉なんてないよ」

「そう」

「ごめん、鈴乃。帰りは、一人で帰ってくれるかい? あたしはちょっと」

「うん。いいよ、志津子」

「ごめんよ」

「あたしが悪いのよ」

 別れの挨拶を交わした。志津子は、ビルの階段がある方へと歩いていった。鈴乃は言った。

「ポロは、元気にしてる?」

 ポロ。井織光子が遺していった、イングリッシュ・コッカー・スパニエル。処分される予定だったものを守り、彼女に預けたのだ。志津子が歩を止めた。

「ああ。他の子たちが、困るくらい」

「そう」鈴乃は言った。「ねえ、志津子。あたし、あなたのこと」

「やめな」また、ビルの中にこだま。志津子の声は、これ以上ないほど、硬質なものになっていた。「これ以上、あたしの中に、言葉を遺さないでおくれ」

「分かったわ」

「じゃあね」

 志津子は姿を消した。鈴乃は、〈シンデレラ〉の入った目薬のケースを通して、夕日を見た。燃えるような、赤。そのように感情が燃えていたのは、かつて、遠い昔のことだ。

つづく




続きを読む
前回の話を読む
ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む
ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 12:50| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。