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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年07月10日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第188回(2版)


最後のわがまま。


 いつからその考えが、頭の中にあったのか、鈴乃には分からない。初めて出会ったときから、芽はあった。他の男に対する欲望とは、全く違う場所に。はっきりと形となって現われたのは、アイザックのアトリエがある山から、帰ってきてからだ。やるべきこと、やらなければならないこと。片手の指があれば十分に数えられる中に、それはあった。

 志津子との“買い出し”は、予想以上に、鈴乃の体力を奪っていた。病院で待っていた看護士や医師たちから、無断で外出したことに対する小言を聞く余裕さえなかった。それは、自分の体力に対する失望を誘ったが、同時に好都合でもあった。小言を言われるのが好きな人間などいない。

 鈴乃は眠った。夕食も取らなかった。それが、午後六時頃のこと。目が覚めたのは、深夜一時を過ぎた頃だった。見回りの看護婦が来たので、眠れないと言った。彼女は、「規則を破るからよ」と言った。「規則というものはたいてい、不自由を味わわせるために設定されるものではないのよ」と。患者を、退院したあとの、より大きな自由に、可能な限り早期にたどり着かせるため。鈴乃が言うと、看護婦は微笑を浮かべて頷いた。

「だから、あたしたちの言うことを聞いて、おとなしく安静にしてなさい」

 彼女が鈴乃の病室から出ていき、足音が遠ざかるのを待ってから、鈴乃は自室を出た。

 車椅子と松葉杖には頼らなかった。素足よりも音が出るし、物陰に身を隠すとき、邪魔になる。体の支えには、壁があったし、そこに沿って設置された手すりもあった。だが、それでもやはり、楽ではなかった。目的地にたどり着くまでに、息は上がり、脂汗がパジャマを濡らしていた。怪我は痛みとともに、発熱ももたらしている。鈴乃は、シドの病室のドアを開け、中に倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か?」

 鈴乃は思わず、舌打ちをした。病室には、シドしかいないものと思っていたのだ。声の主は、磐井だった。彼が存在する可能性くらい、頭に入れておくべきだった。磐井は、鈴乃の体を抱きかかえた。磐井は言った。

「何しに来た」

「見舞い」

「そいつは、面会が許されてる時間内にしてもらわなくちゃ困るな」

「あなたは、どうしてここに?」

「シドさんは将来、ツガ組の四大幹部が一人、〈玄武〉になる人だ。内外問わず、彼の命を狙う無粋な連中は、たくさんいる。あんたは」

「だから、見舞いよ」

「嘘だな。あんたは、絶対安静を宣告された身だ。彼が体を張ったのは、夜の散歩で無闇に縮められる命のためじゃないはずだ」

「もちろん、無闇に縮めてるわけじゃない」

「何しに来た」

 鈴乃は、磐井の腕から逃れて、地べたに膝を揃えて折り、座った。

「彼と、二人で話をしたいの」

「彼は、話せない」

「言葉を用いなくても、できる話がある」

「そんなものはない」

「あるわ」

 磐井は鈴乃の目を捉えたまま、小さく首を振った。

「だめだ。何を考えてる?」

「最後のわがままよ。そしておそらく、今夜を逃せば、機会は他にない」

「その心配はないだろう。あんたはここで安静にして、療養を続ける。彼はやがて目を覚ます。話をする機会は、いくらでもある」

「彼が目を覚ますとして」鈴乃は、ベッドで眠るシドの横顔を見た。「その頃にはおそらく、あたしはいない」

「そんなはずはない」

 磐井を見た。

「知り合いに、麻薬を手に入れてもらったの。〈シンデレラ〉あるいは、〈ガラスの靴〉と呼ばれるものよ。それを使えば、あたしの体は動く」

 磐井が眉を潜めた。〈シンデレラ〉のことを、知っているのだ。そして、鈴乃がやろうとしていることにも、気付いた。

「そんなものを使えば、あんたは戻ってこれない」

「それでも選ばなきゃならない往路がある」

「そんなものはない」

「あたしにはある」

「二度目だ。彼はあんたに、そんなことを望んじゃいない」

「でも、眠ってる人間には止めることはできない」

「なら、俺が言ってやる。麻薬なんてくそに頼って、彼の敵討ちなんぞをやるのは許さん。あんたは、生きるために生きなきゃならん。死ぬために生きてはならない」

「その理屈は分かってる。あたしを、何だと思ってるの?」

「刹那主義の、くそったれな殺し屋」

「刹那を積み重ねなければ、未来はないのよ、ベイビ」

「だめだ。そんなことは許さん。彼が目を覚ましたら、俺は見せる顔がない」

「あたしが勝手に望み、勝手にやることよ。あなたに責任はない」

「くそっ」磐井は立ち上がった。首を振る。大きく。「だめだ。ふざけるな」

 鈴乃はパジャマの胸ポケットから、〈シンデレラ〉を取り出した。窓から入ってくる月明かりが、目薬のケースで反射し、光る。

「今ここで、あたしにこれを使わせたいの? 経口摂取でも、ある程度の効果は得られるはずよ」

「今のあんたなら、そいつを使う前に取り上げられる」

「今は、それで切り抜けられるかもしれない。けどその場合、次は、〈シンデレラ〉を使ってから、ここに来る。あなたはあたしを止めることはできない」

「複数の部下を配置し、あんたと本気でやり合えば、止められる可能性はある。それに、今あんたを阻止した上で、即座にあんたが所持している麻薬を全て取り上げることもできる」

「一つ。あなたはシドがいる場所では、本気ではやれない。二つ。たとえあなたが、あたしが今現在所持している〈シンデレラ〉全てを取り上げたとしても、あたしは再び手に入れることができるし、手に入れる」

 磐井は溜め息をつき、背もたれのない円椅子に、尻餅を突くようにして座った。着ていた黒のスーツの胸ポケットから、煙草のパッケージを取り出し、一本くわえた。

「蓮さんから、五十余の部下と一緒に、形式上の破門をもらった。湾曲的な、リタ・オルパート、アイザック・ライクンとの戦争への許可だ。C・C・リヴァたちも加わる。俺たちは必ず殺る。アイザック・ライクンを」

「外野席で手に入る結果に、意味はないわ」

「シドさんのためにも、死に急がないでくれ」

「そんなつもりはないわ。ただ、あたしが生きるためには選ばなきゃならない道があって、それにはたまたま、おそらく、先がないだけ」

「どうすれば、あんたを止められた?」

「そうね。もし、彼が目を覚まして、あたしを抱きしめてくれたなら」

「彼には、マリさんがいる」

「ええ、そうね」

 磐井は立ち上がり、病室のドアを開けた。

「どれくらい、時間が必要なんだ?」

「三十分から、一時間」

「分かった」

「磐井?」

「何だ」

 肩越しに顔だけ振り返った磐井に、鈴乃は言った。

「ありがとう」

「命を賭けられたら、誰でも道を譲る」

 磐井は言った。

つづく




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posted by 城 一 at 01:25| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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