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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年10月19日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第200回(9版)


クリティカル.


 咆哮。

 初めて会ったときの、海恵子のことを思い出す。

 腹を撃たれたヤクザに応急処置を施し、街の病院に連れて行ったあとだった彼女は徹夜明けで、とても眠たそうだった。機嫌もよくなかった。泥酔した文永の憂さ晴らしに踏まれた脇腹の痛みが、丸一日経ってもよくならず、それどころか悪化したことで、慶慎は殺し屋の師匠でもある越智彰治に相談したのだ。彼が診察と、必要であれば治療のために連れて行ってくれたのが、海恵子の所だった。煙草を吸っていた海恵子は、煙たそうな表情をしていたが、それはきっと、指の間に挟んだ煙草のせいだけではなかったのだろう。そんな風に思ったのを、慶慎は覚えている。気だるそうな、海恵子の声。

 あんた、名前は?

 慶慎は、衝動に任せて体を揺らした。縄が、強張り、膨らんだ腕に食い込む。たぎる筋肉の内側で、骨が軋んでいる。組み合わさった木と木が擦れ合い、檻に閉じ込められた猿のような声で、きいきいと鳴き声を上げる。

 こじらせた風邪を理由に、診療所に避難した夜の海恵子を思い出す。喘息の発作が起きて、眠りから醒めてしまった真夜中。それに気付いた海恵子がやって来て、心臓の鼓動と同じリズムで、背中をさすってくれた。そのときの彼女の、手のひらの温かさ。

 水分をよくとって、痰を出すんだよ。そうすりゃ、少しは楽になる。

 ぼきりと肘掛けが悲鳴を上げて、折れた。舌打ちをしたアイザックが飛来し、慶慎のみぞおちに蹴りを入れる。慶慎は椅子ごと吹っ飛び、背中から壁に衝突した。蹴られた場所に突き刺さった釘が、血と熱をもたらす。

 文永の下から逃げたくて、診療所に逃げ込んだときの海恵子を思い出す。風邪を引いたというのが嘘だと分かっていたはずなのに、彼女はいつもと同じように笑顔で慶慎を迎え入れ、かくまってくれた。夜、眠るとき、彼女は何を思ったのか、どこからか絵本を持ってきて、ベッドの傍らで慶慎に読み聞かせた。もう、そんな年じゃないですよ。慶慎はそう言ったが、海恵子は構わずにページを繰った。さりげなく眠りを誘う、彼女の柔らかく、優しい声。

 昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが――。

 慶慎を<ナンバーズ>が囲んだ。何を掴もうとしているのかも分からないまま伸ばした手が、木刀で打ち据えられる。椅子から上げようとした腰を、角材で突き戻される。胸、腹。壁に杭で打ちつけるかのように、鉄パイプや金属バット、鞘に収められた日本刀が突く。<ナンバーズ>の群れの向こう側、微笑をたたえて佇む、リタ・オルパート。

 慶慎を守るために、文永に銃で撃たれた海恵子を思い出す。文永に虐げられる日々に嫌気が差して、また逃げ込んだ海恵子の診療所。それを知り、やって来た文永と、当時彼が連れていた、街のチンピラ。彼らを前に、慶慎を守ろうとした海恵子の背中。折衝の末、彼女は文永に、腹を銃で撃たれた。それでもなお、彼女は慶慎を守ろうとした。それ以上、自分がそこにいれば、海恵子は殺される。慶慎はそう悟り、文永について診療所を出た。脂汗を滲ませた海恵子が言った。

 いいかい、慶慎。気にしちゃいけないよ。次また、辛いことや痛いことがあったら、いつでもあたしの所に来るんだよ。

 慶慎は、腹に刺さった釘を抜き、得物を掴む無数の手の一つに突き立てた。痛みに驚き、硬直した手から金属バットを奪い、一閃。たわむような金属音を聞きながら、<ナンバーズ>の輪を退ける。木刀の一撃をかわして鷲掴みにし、持ち主ごと右から左へ投げ飛ばす。鉄パイプの一振りを手で払い、持ち主の頭にバットを叩き込む。視界の中心には、リタ・オルパートがいる。

 殺意。

 バットで頭を割られ、慶慎に向かって倒れてきた少年が身に付けていたベストの胸ポケットには、ナイフが入っていた。慶慎はそれを奪い、自分の右足を繋ぐ縄を切断した。体を起こしざまに振ったバットで間合いを作り、小さくできた円の中で、踏み出した右足を軸に、慶慎は下半身をぐるりと回した。後ろ回し蹴り。左足に縛り付けられたままの椅子を、<ナンバーズ>の一人に食らわせ、粉砕する。ばらばらになった椅子の部品が、宙に舞う。自由になる四肢。慶慎はナイフを投げ、襲い来る者の腹をバットで打った。リタ・オルパートを見る。

 殺す。

 回し蹴りで、鞘に収めた日本刀を持つ少年を吹っ飛ばし、バットで視界の外、殺意を放っていた一人を打ち倒す。相手が昏倒したのは感触で分かる。左フックをかわして懐に潜り込み、掌底で一人の体をくの字に折る。顔など確かめはしない。殺意の有無だけ分かればいい。肘で後方の一人、顎を跳ね上げ、前蹴りで前方の一人、みぞおちをえぐる。バットで横薙ぎ一閃。顔を三つ弾き飛ばす。前方へステップ。肘鉄で敵の胸を穿ち、中段蹴りで別の人間の脇腹を歪ませる。後方からの殺意に、金属バットの投擲(とうてき)で答える。<ナンバーズ>の群れが割れ、アイザックが現われる。その向こうには、リタ・オルパートがいる。

 殺す。

 アイザックが地を蹴る。繰り出される右ストレートを紙一重でかわす。ちりりと髪が立てる音を聞きながら踏み込み、クロスカウンター。アイザックの顎を打ち抜く。その目が白く反転するのを横目に、跳躍、着地。リタ・オルパートを押し倒す。

 殺す。

 躊躇などなかった。慶慎は両手でリタの細い首を鷲掴みにし、力を込めた。隙間風が吹くような音で、リタは喉を鳴らした。その表情が歪む。彼女が、空気を求めているのが分かる。

「死ね」慶慎は言った。「死ね、リタ・オルパート」

 リタの手が水をかくようにして動き、慶慎の眼前で、ゆらゆらと踊った。

 松戸孝信が死んだとき。

 かすれた声で、リタが細々と言葉を紡ぐ。

 あなたがナイフで喉を切り裂いて、彼を殺したとき。あたしが、そう思わなかったと思う?

「黙れ」

 リタの首を絞める両手に、さらに力を込める。細い首が、合わせた両の手のひらの中で歪み、形を変えていくのが分かる。リタが短く、母親、と漏らした。

「そうだ」慶慎は言った。「海恵子さんは、僕の母親みたいな人だった。優しかった。父さんに虐げられる毎日の中で、僕に逃げ場所を作ってくれた。彼女は僕に笑ってくれた。僕を笑わせてくれた。温かかった。それを、お前が奪ったんだ。だから、死ね」

 リタが唇を動かした。慶慎には、彼女の発した言葉が、正確に聞き取れなかった。いや。もしかすると、聞き取りたくなかったのかもしれない。

「何?」

 慶慎は無意識のうちに、わずかに手の力を緩めていた。リタが言った。慶慎は、今度は彼女の言葉を、はっきりと聞き取ることができた。

「母親を殺されたヨシトが、そう思わなかったと?」

 慶慎は、自分の耳を疑った。なぜ今、その名前が、リタ・オルパートの口から出るのか。今、何て? 慶慎は、聞き取れていたのにも関わらず、リタにそう言った。

「エイダ・ヒトツバシをあなたに殺されたヨシト・ヒトツバシが、あなたに対して、今のあなたのような殺意を抱かなかったと思うのかと、訊いたのよ」

 考えたくなかった。慶慎は、自分の体に満ちていた怒りが、冷めて収縮を始めようとしているのを感じた。ふざけるな。そう、リタの胸元に吐き捨てる。

 そんな言葉で、この感情の焔を消されてたまるか。

 ヨシト・ヒトツバシの名前から逃げるようにしてほとばしらせた咆哮。振り上げた拳。それが、止まる。慶慎は耳元で、銃の撃鉄が上げられる音を聞いた。振り向くと、フルフェイスのヘルメットをかぶった少年。彼の手の中で、拳銃が、慶慎に狙いを定めていた。リタに言われて、海恵子を殺した少年。

 殺意。

「お前も」

 爆ぜかけた咆哮が、煙のように空中に霧散した。フルフェイスが、かぶっていたヘルメットを外した。ヘルメットは、その素材の硬度と、塗られた黒色の深みに反して、軽やかな音を立てて、床で弾んだ。慶慎は、ヘルメットの下から現われた素顔を前に、言葉を失った。

「嘘だ」

 フルフェイスのヘルメットの下から、素顔を現わしたのは、ヨシト・ヒトツバシだった。

「どうして」慶慎はもがくように言った。「どうして、君がここにいるんだ」

 ヨシトは答えない。慶慎は、後方から何かがぶつかったのを感じた。体が、静かに揺れる。振り返ると、アイザックが怒りを押し殺した表情で睨んでいた。

「リタ。悪いが、これくらいは許してもらうよ。さすがに今回、こいつははしゃぎ過ぎた」

 違和感と炎を感じて、慶慎は自分の体を見下ろした。右脇腹を、匕首が刺し貫いていた。

 力が抜ける。慶慎は倒れるのをこらえようとしたが、失敗した。背中を、<ナンバーズ>に得物で突かれていた。昴宿と柄に書かれた匕首が傷の中でうごめき、激痛の火を膨らませる。

 リタ。

 その名を呼び、手を伸ばした。リタは首をさすり、咳き込んで眉間に皺を寄せながらも、口許に微笑をたたえていた。

「まだまだ青いし、温いわね」

 そしてリタは、囁くように言った。

 岸田美恵子は、あなたが殺したのよ、坊や。

 黙れ。

 リタの言葉を否定しなければならない。リタの行動を否定しなければならない。

 体に力が入らなかった。意識が滲む。匕首が抜かれ、自分の体が境界線を失い、広がっていく感覚に襲われた。血だ。たくさんの血が、出ていく。体が、熱を失っていく。海恵子を殺された怒りを、失っていく。感情が流れ出て、二度と戻らないことを告げている。

 冷めるな。慶慎は、自分に言い聞かせた。この感情を忘れるな。この怒りを。この殺意を。何度も胸の内で呟き、記憶に刻み込もうとした。だが、ヨシトの表情が邪魔をした。凍りつき、闇色に染まった瞳。表情を忘れてしまった顔。

 ちくしょう。

 母親を殺されたヨシトが、そう思わなかったと?

 握り締めた拳が、意志に反して開く。視界に黒い幕が下りる。

 岸田美恵子は、あなたが殺したのよ。

つづく




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posted by 城 一 at 01:20| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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