Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年11月13日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第208回(9版)


アキ.


 目に痛いほどの赤い夕焼けが、窓から差し込んでいた。慶慎は目を細めた。

 かつて、文永と暮らしていた部屋にいた。明かりはついていない。強烈な夕日の光が差し込んでいるが、明るい感じはしない。陰になっている部分には既に、夜が訪れている。テレビがついていて、ドラマの再放送が流れていた。キャラクター性を重視した刑事もので、アイドルが演じる若い女署長が主人公の物語だった。ちょうど見せ場に入ったところで、女署長が犯人相手に決め台詞を吐いていた。どこにでも転がっている台詞だった。

 慶慎は、食卓についていた。ごみだらけのテーブルに。握り潰したビールの缶が、気だるそうな様子で、いくつも寝転がっていた。ビニール袋に押し込まれた、空のコンビニ弁当のケース。へし折られた割り箸。おにぎりのフィルム。食べかけのまま放置されて、乾ききった酒のつまみ。慶慎の正面には、幼い頃のケイシンがいた。彼は、テレビの音が聞こえなくなるほどのボリュームで泣きわめいていた。

「うるさいぞ」

 慶慎は言った。ケイシンは泣き止まなかった。慶慎はテーブルの上にあったものを叩き落として、もう一度同じ言葉を繰り返した。ケイシンはまるで聞こえないかのように、声を上げ続けた。慶慎はテーブルの上に身を乗り出し、ケイシンの頬に平手を叩き込んだ。

「うるさいと言ったぞ」

 ケイシンは身をすくめ、泣き声を押さえた。完全には収まらず、しゃくり上げることを続けた。おい。慶慎は言った。ケイシンはただ、静かに泣くだけで返事をしない。おい。もう一度言う。やはりケイシンは何も言わない。慶慎はさっきよりも大きく振りかぶって、ケイシンの頬を叩いた。ケイシンはこらえきれず、椅子から床へと転がり落ちた。慶慎は力任せにテーブルを脇に押しやり、ケイシンの顔を覗き込んだ。

「泣いていれば、誰かが手を差し伸べてくれると思ったら、大間違いなんだぞ」

 ケイシンの顔が恐怖に歪み、そしてまた、泣き声が始まった。部屋全体に響き渡るような泣き方だった。

「黙れ」

 ケイシンは黙らなかった。慶慎はケイシンの顔面に、拳を叩き込んだ。鼻血が飛ぶ。泣き声は止むどころか、これまでで一番ひどくなった。二度、三度と拳を叩き込んだ。やはり止まない。攻める場所が悪いのだ。慶慎は思った。ケイシンのみぞおちに、つま先を食い込ませた。ケイシンは気味の悪い声を発して、吐いた。声にならない呻き声を出していた。息ができていないようだった。だが、とにかく静かになった。慶慎は椅子を引き寄せ、座った。

「吐いたものは、自分で始末しろよ」

 台所で、炒めものをする音がしていた。見ると、例の名前を知らない少女がいた。

「よかった」慶慎は言った。「無事だったんだね」

「まあね」少女は言った。白いエプロンをつけて、フライパンを操りながら、肩越しに慶慎に視線を送る。「今、野菜炒めを作ってるんだけど、嫌いな野菜があったりする?」

「いや」

「そう。よかった」

 ケイシンがむっくりと起き上がり、何も言わずに洗面所へと向かった。濡れた雑巾を持ってきて、自分が吐いたものを拭き取った。一度では床を綺麗にできず、ケイシンは何度か洗面所と床を往復し、雑巾を洗っては床を拭いた。それが終わると、テーブルを元に戻し、うつむいたまま、椅子に座った。

「お前がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかった」

 慶慎は言った。ケイシンは何も言わず、ぽろぽろと涙をこぼした。慶慎は舌打ちした。話にならない。こいつと話していると、精神衛生上、良くない。テレビに目を向けた。ドラマはもう終わっていて、ニュース番組が始まっていた。女性のニュースキャスターが、カナジョウ市で連続して起きている放火事件を伝えていた。今のところ、全部で五件起きていて、ついに死人が出たということだった。そのままニュースを見ているうちに、料理ができた。少女は、テーブルの上に二人分の皿を並べた。彼女と、慶慎の分。ケイシンの分はなかった。ケイシンは少しだけ涙の勢いを強めて、呟くように言った。

「僕も、お腹減った」

 慶慎は言った。

「お前は何の役にも立たなかった。泣いて、うずくまって、びくびくして、ただあの人の暴力に耐えただけだ。その結果、もっとひどいことになった。僕は人を殺して生計を立てていくしかなくなった。そして、数えきれないほどの人の怒りや憎しみを買った。そして、大事な人を殺された。そして」

 少女が慶慎の肩に手を置いた。慶慎は言葉を止めた。ケイシンはやはり、ただ何も言わずに涙を流すだけだった。

「お前に食わせるものなんて、何もない」

 慶慎は言った。少女とともに、食事を始めた。

「おいしいよ」慶慎は言った。「料理、うまいんだね、君」

「ありがとう。でも、ねえ? いい加減、呼び方が君じゃあ、味気ないと思わない?」

「そうかもしれない」

「あたしには、名前がないの。だから、あなたがつけてくれない?」

「いいのかい?」

「あなたがつける名前なら、何だって」

「そう」

 慶慎は箸を止めて、しばし考えた。そして言った。

「アキって言うのは?」

 少女が微笑んだ。

「いい名前。アキ」彼女は味見するように、名前を呟く。「いい響き」

「だめ」ケイシンが言った。表情を強張らせて、どうにか恐怖を押さえ込みながら。「それだけは、だめ」

「どうしてだ?」

 慶慎は言った。ケイシンは押し黙り、萎縮したようにうつむいた。慶慎は手元にあった、水の入ったコップをケイシンに投げつけた。ぎゃっとケイシンが悲鳴を上げる。ケイシンは危険を察知し、コップがぶつかった額を押さえながら、一目散にその場から逃げ出そうとする。慶慎はその襟首を後ろから摑み、床に引き倒した。顔を殴る。また、泣き声が始まる。殴る。

「どうして、彼女の名前がアキじゃだめなんだ?」

 ケイシンは答えない。慶慎も、答えを期待してはいなかった。ただ、殴り続ける。ケイシンの口許が鼻血で真っ赤に染まる。そして、いつの間にか、部屋の中で聞こえるのが、テレビの音だけになっていることに気づく。ケイシンは、気絶していた。

「どうする?」少女が言った。「別の名前が思いつくまで、待とうか?」

「なぜ? 君は、アキだ。それ以上に、君にぴったりな名前はないよ」

「そう」

 アキ。慶慎はそっと、彼女を呼んでみる。「なあに、ケイちゃん」。アキが言う。二人は顔を見合わせ、理由も分からずにくすくすと笑った。何度も名前を呼び合っては、そうやって静かに笑い続けた。

つづく




続きを読む
前回の話を読む
ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む
ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 01:22| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。