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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2009年08月20日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第224回

【山河 将平(さんが しょうへい)】

花束.


 慎重に、喉を鳴らした。

 緊張していた。まるで、体の中に大量の砂を流し込まれたかのようだった。体中の水分が奪われていく感覚。だが、いくら唾を飲んでも、その渇きは癒えない。

 壁にぴったりと背中をつける。

 迷路のような裏路地の中にいた。身を寄せるようにして建ち並ぶ建物たちが、意識せずに作った代物だ。路地はどんなに広くとも、軽自動車一台を数センチの余裕を持った状態でしか、受け入れることはできない。狭い場所では、車などもってのほか。人間ですら、体格によっては通行が危ぶまれるほどだった。最も、それほどまでに狭い路地を、路地と呼んでいいのかさえ怪しいが。もはやその狭さの路地は、ただの隙間と呼んだ方がしっくりくる。

 足が、勝手に見つけたレンガの欠片を蹴る。わずかな音がしただけで済んだが、それでも山河は自分の足に向かって殺気を放った。

 おい。今の状況がどんなもんか、分かってねえらしいな、てめえ。

 胸の内で、そんな言葉を吐く。

 手のひらで額を拭う。じっとりと、脂汗でぬめっていた。そのまま、オールバックにした頭も一緒に撫でる。煙草が吸いたかった。だが、ここは風上。火をつけるということは、自分の存在を相手に知らせるということだ。

 イコール、死。そう考えて差し支えない。

 スローモーション。いや、コマ送りほどの速度で、数歩先に広がっている十字路へと顔を出す。レンガの欠片を蹴ったことで生じた音は、相手には聞こえていないようだった。先と変わらない、敵の背中がある。

 男の格好は既に確認していた。

 真っ白なタキシード。その上に、黒いロングコートを着た男。右目は眼帯で覆われており、左袖はだらしなくだらりと垂れている。中身がないからだ。男の左腕は、肘の辺りから先が失われているのだ。

 名前は、アイザック・ライクン。

 シドを、いつ起きるかも、もしかするともう目を覚まさないかもしれない眠りに追いやった男。

 男の背中は、数メートル先をゆっくりと進んでいる。

 その顔には、絶対に剥がせない仮面のように、微笑が貼りついている。背中しか見えなくとも、その表情は鮮明に頭に浮かんだ。まるで、彼を取り巻く世界全てが喜劇だとでも言わんばかりの微笑だ。

 そして、絹のような柔らかさと金属のような輝きを見せる金髪。絶対零度の碧眼。

 唾を飲む。

 胸に抱えたポンプアクション式の散弾銃の薬室には既に、銃弾を送り込んである。あとはタイミングを計って、引き金を引くだけの状態だ。

 呼吸を整える。

 礼拝堂で、キリストの像を前に、シスターが組み合わせる両の手のひらを思い出す。

 似ているな。ふと、そう思う。共通点が何なのかは分からないが、似ている。今の俺にとっての散弾銃と、シスターにとっての、組み合わせた両手。

 俺は、祈りたいのか?

 誰に?

 分からない。シド? 違う。残してきた女か?

 かもしれない。恐らく、行けば生還はできない死地へと向かう山河を、涙で潤んだ笑顔で送り出した女。お守り代わりにだとか言って、新しく買った黒革のジャケットを渡された。

 派手なシャツの上。ジャケットの襟を寄り合わせる。散々、壁に擦って、ジャケットの背中は汚れてしまっているだろう。

 まったく。口許が緩む。お守り代わりだと言うのなら、防弾チョッキでも寄越しやがれ。

 もっとも、防弾チョッキは支給されたものがあるのだが。

 もし、生きて帰ることができたら、女を裸にして、その上にこの黒革のジャケットだけを着せて、腰が抜けるほど抱いてやる。そんなことを思う。何ならそのついでに、プロポーズをしてやってもいい。女は何より、宝石より、金より、その言葉を欲しがっていた。

 無線が何かを言っていた。イヤホンを外す。集中の邪魔だ。奴は。アイザック・ライクンは、俺が殺す。≪ホープ・タウン≫へ向かう途中、偶然、あの背中を見つけたときから、そう決めていた。

 万全の状態の奴ならば、分からない。だが、今は武器となっていた左の義手を失っているのだ。

 しかし、なぜ奴は外にいたのだろう。

 アイザック・ライクンは≪ホープ・タウン≫の中にいる。そうされていた。リタ・オルパートの側を奴が離れるはずはないからだ。

 ならば、リタ・オルパートも外にいるのか? ならば、バーバーとかいうガキが執心していた風際慶慎はどこにいる?

 憶測が呼ぶ憶測。首を振り、やめた。考えたところで、答えなど出はしない。

 一つ。ヒントになりそうなものがあるとすれば、アイザックが胸に抱えた紙袋と、赤い薔薇の花束だった。暗くてはっきりとは見えないが、紙袋からは、全く切っていないフランスパンのようなものと――恐らく、フランスパンなのだろう――酒瓶の先端に見えるものが飛び出している。

 買いもの。ただそれだけのために、≪ホープ・タウン≫の外に出たのか?

 常人ならば、考えられないことだ。だが、アイザック・ライクンの来歴を聞く限り、あり得ることではあった。常人の思考など、平然と踏み外すような男だ。

 頭を使いすぎた。そう思った。相手との距離を縮めるために、音を殺しつつ、通路に滑り出してから、気づいた。自分が目の前の男から注意を逸らしていたことに。

 足が止まる。

 アイザックが微笑んでいた。

「撃たないのかい?」

 既に機を逸している。だが引き金を引いた。それ以外にどうできる?

 聞こえたのは銃声だけだった。誰の悲鳴も聞こえない。視界の中にはアイザックの姿はなく、薔薇の花びらだけがひらひらと舞っていた。

「なるほど」

 上。

「てっきり、君は僕を殺したいんだと思っていた。分不相応で理解しかねていたんだ。だって、そうだろ? 君が僕を殺すなんて、そんなの。宝くじを買って、億万長者を夢見るよりも無謀な話なんだから。でも、分かった。僕を殺したいんじゃなくて、僕に精神的な苦痛を与えるのが目的だったんだ。なら、成功したよ。おめでとう」

 アイザックは変わらず微笑を浮かべながら、瞳にだけ悲しみをたたえ、薔薇の花束を示した。正確には、花束だったものを。彼の手元で、花束は弾けたあとのクラッカーのようになっていた。残っている赤い花弁は数えるほどしかない。

 重力。それを軽々と無視して、アイザックは宙にいた。建物の壁と壁の間。自らの背中と片足をつっかえ棒のように使って。かなりの筋力を使っているはずのその体に、強張りは見てとれない。

「せっかく、リタのために買ってきたのに」

 興味をなくしたかのように、アイザックは花束だったものを放った。山河の視界目がけて落ちてくる。それを狙って、散弾銃を撃った。

 吹っ飛んだのは、花束だけだった。

「それとも、何かい? 君は薔薇の花束に何か、恨みでもあるのかな? 親の仇だとか?」

 前方。

 アイザックは壁に背中を寄せるようにして立っていた。紙袋は相変わらず抱えたままだ。視線は、山河に注いですらいない。

 引き金を引く。

 銃弾は空へと吸い込まれていった。アイザックの手が、まるで女の脚に手のひらを這わせるかのように、散弾銃に触れ、その銃口を上空へと逸らせていた。

「さあ、頭を働かせるんだ」アイザックは言った。「どうやったら、楽に死ねるのかを、ね」

「その必要はない」

 散弾銃を放すと同時に、アイザックの鳩尾に蹴りを入れる。その反動を利用して後方へ転がり、懐から匕首を抜いた。アイザックは新しい花束を得たかのように、散弾銃の銃身を掴んだままだ。

 匕首を突き出す。

 狙ったのは心臓だ。紙袋が邪魔をしたが構わない。そんなもの、盾になどなるわけがない。

 盾になど。

 硬い金属の感触と音。それが教える。アイザックが胸に抱えていた紙袋は、十分に盾になり得たのだと。匕首は紙袋を切り裂いたものの、その中身を切り裂くことまではできなかった。

 フランスパンだ。

 いや、違う。ベージュの布に包まれた、義手。

 視界が揺れる。鳩尾を蹴り返されていた。が、受けたダメージが違う。二度、三度、バウンドし、地面で体を擦ってから、ようやく止まることを許される。胃の中ものをありったけ、その場にぶちまける。

「脆いなあ」

 アイザックの声は呆れていた。白い靴が、開いた距離を一歩ずつ詰める。その音とリズムに、焦りは微塵も感じられない。

 匕首が手の中から失われていた。視界の中にも、見つけることができない。

 耳元で足音。

 反応は間に合わなかった。音もなかった。ただ、視界が飛ぶ。地面から壁、空を巡り、また地面へと戻る。

「でも、君にとっては良いことかもしれないね。これくらい脆ければ、頭を働かせる必要もない。すぐに壊れる」

 やっとの思いで体を転がし、アイザックを見た。産声を上げたばかりの義手が口を開いている。

 銃声。

 左脚が壊れる。

 見ると、数えきれないほどの釘が、左脚に突き刺さっていた。いや。脚と呼んでいいのか、ためらわれるような状態になっていた。もはや、無数の釘が打たれた肉塊と言ってもいい。

 また、銃声を聞く。

 アイザックの義手だ。中に銃を仕込まれている。恐らく、散弾銃が。

 右脚が壊れる。

 無線だ。

 身に付けているはずの無線を探す。助けを求めるためではない。アイザックが≪ホープ・タウン≫の外にいることを知らせなければならない。そうしなければ、挟み撃ちになる。

 体をうつ伏せにして、這う。アイザックから逃げると同時に、手に取った無線を奴の視界から隠すためだ。だが、無線機を耳にあてようとした瞬間、無線を掴んでいた右手が弾けた。大量の釘に破壊される。

 アイザックを振り返る。

 微笑の濃度に変わりはない。

 思わず、自分も笑う。

 女は、形見になってしまった黒革のジャケットを見て、泣いてくれるだろうか。そんなことを思う。

 銃声を聞く。

 また、体のどこかが壊れた。だがもう、どこが壊れたのかは分からなかった。


つづく



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posted by 城 一 at 23:11| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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