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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2006年12月18日

短編小説 How much? A

 行きつけのマクドナルドは、人でごった返していた。木曜日。いつもなら、列に並ぶことなんてしなくてもいいのに。そう思って、僕は気づいた。普段訪れる時間よりも、二時間ほどずれていたのだ。午後七時を過ぎたところ。なら、仕方ないのかもしれない。僕と同じように、親と食卓を囲むのが生理的に受けつけなくなった高校生。家に帰って自分だけのためにする、自虐的とも言える料理の時間を省略すべくやって来た、若い会社員。その他、事情を推測するにはもう少し想像力を働かせなければならない程度に、個性を備えた人たち。その中に、僕は並んでいた。
 少し前までは、自分の家にいた。持て余した時間を、まどろみと、テレビから流れて来る雑音で埋めていた。本当は、列に並ぶ僕と同年代の少年たちと同じように、家族というくくりの言葉がもたらす息苦しさから逃れたかったのだけれど、そのための十分な理由も口実も思いつかなかったので、久し振りに、食卓で一家団欒という言葉を構築するのに一役買ってみた。残念ながら、心が揺れ動いてしまうほどの感動的な言葉も場面もなく、その時間は過ぎて、やはり食卓を囲むのは面倒くさいなという、今までと同じ感想で終わった。またしばらくは、一家団欒の中に加わる気にはなれないだろう。
 そういうわけだから、僕の胃袋には、空腹を覚えずに済む程度には、夕食が収まっていた。にも関わらず、たくさんの人に囲まれるという、気乗りしない状況に耐えているのは、他でもない恋人であるミキのためだった。今日は会えないだろうと思っていた彼女から、僕の携帯電話に、連絡があったのだ。開口一番、空腹を訴えた彼女のために、僕はこうして並んでいるわけだった。
 停滞した人の流れの中、持て余した空白の時間が侵食してきて、僕の思考能力を、勝手に弄ぶ。携帯電話での暇潰しにも飽きてしまった僕には、抵抗する術はない。カウンターの奥に表示されたメニュー。そして、それぞれの値段。学校が終わってから、今までの時間。なんでもないはずの数字たちが、意味を持ち始める。
 いや。ミキの放課後の時間は、いつだって意味を持っている。一分の隙もないくらいに。そんな彼女の、空白の二時間と少し。当てはめられる項目は、僕には一つしか考えられなかった。
 売春。いや、そんな表現をすれば、シリアス過ぎて彼女に笑い飛ばされるかもしれない。彼女たちの表現に合わせれば、援助交際だ。でも、僕はその言葉が好きじゃない。少しでも自らの国語能力を自負する大人が、罪悪感を薄めるために使う言葉だ、とかなんとか、そう言っているし、僕もそう思うから。でも、友達やクラスメイト、同年代の少年少女たちには、そのことは言わない。表現にこだわることは、彼らの世界からはみ出すことだから。そうなれば、コミュニケーションに支障をきたしてしまう。それでも構わない。そう言い放てるほど、僕は強くないし、売春という表現に固執する気もなかった。
 それに。僕には分からない。人は、ものじゃない。包装紙と中身、その境界線がどこにあるのか、僕は知らない。援助交際をすることが、ミキの包装紙なのか、それとも彼女の中身なのか、分からないのだ。ひょっとすると、包装紙であり、中身であるのかもしれない。人間って、そういうものだ。断定という言葉を辞書に入れておきながら、自分たちの存在は、生物学的程度にしか断定することができない。
 僕は後悔している。ミキが援助交際していることを、知ったからではない。そのことを、彼女の友達から聞いたことだ。初めてそのことを知ったとき、僕はその事実を、どう扱えばいいのか分からなかった。冗談だと笑い飛ばせば、その友達も、それに合わせて笑ってくれたのかもしれないけれど、僕にはできなかった。自分が間抜けな存在に思えてならなかった。愛。照れながらも、そう表現し始めていた感情が、うざったくて仕方なくなった。けれど、僕にはまだ、愛≠自分の都合に合わせて抑制したりすることはできなかった。援助交際しているということが、ミキへの愛を奪うことにもならなかった。だから、僕は今もミキの彼氏を続けている。
 ミキが援助交際していることを教えてくれた女の子は、僕のことが好きだったらしい。「本当にケンゴ君のことが好きなら、そんなことできないよ。わたしは絶対しないよ、エンコーなんて。だから」と、彼女は言った。彼女の理屈は分からないでもなかったけれど、肝心な僕の心が動かなかった。わざわざ、理屈を使って、ミキへの愛を、その友達へ向けようとは思わなかった。僕は、ミキの友達を振った。あんた馬鹿だね。彼女はそう捨て台詞を吐いた。その言葉を、僕は否定できない。だよね。そう苦笑いして、肩をすくめる。僕にできることと言ったら、せいぜいそれくらいだ。
 空白の時間が、思考を弄ぶのをやめたとき、自分のいた場所から推測すれば、適当に人の流れに合わせて、僕は動いていたのだろう。いつの間にやら、僕はレジカウンターの前にいて、店員が注文もしていないのに、笑顔を浮かべていた。ミキに頼まれたハンバーガーを告げる。店員は、ご一緒にポテトはいかがですか、と言った。もちろん、今日初めて聞いた文句ではない。むしろ聞き飽きたくらいの言い回しだ。けれど、僕には少し、いつもと違って聞こえた。フライドポテトを頼めば、ミキは援助交際をやめてくれますか? そう言いそうなった。お笑い種だ。もちろん、やめるはずなんかない。大体からして、そんなこと、マクドナルドの店員が知るはずもない。僕はフライドポテトを断った。僕自身は、食べ物も飲み物も必要としていなかったから、五百円でお釣りが来た。
 ミキが待ち合わせの場所に指定したカラオケの店は、ラブホテル街からそう遠くない位置にあった。僕の想像力を刺激するのに、十分近かった。ミキの言った時間よりも、僕は少し早く着いた。カラオケの店は雑居ビルの中に入っている。先に部屋を取っておこうかと思ったけれど、やめた。ビルの入口の前で、周囲の景色を眺めながら、彼女のことを待つことにした。若い者から、中年の者まで、男がひっきりなしに女子中高生に声をかけている景色を。彼らが声をかける女の子が、全てミキに見えた。もちろん、その幻覚は一瞬だけで、次の瞬間には正気と正しい視力を取り戻して、ミキではないことを認識するのだけれど。
 そのうちに、本物のミキが来た。彼女が歩いて来た方向には、やはりラブホテル街があった。僕は自嘲せざるを得なかった。想像力が豊かなのか、貧困なのか、分からなかった。ミキが歩いて来た方向から、誰か僕の知らない男とセックスしている彼女の姿を想像することに関しては、想像力が豊かと言えるかもしれないけれど。でも、そのことしか考えられないのは貧困とは言えないだろうか?
「先に入ってればよかったのに」
 遅くなったことを謝った後、ミキは言った。僕は想像力を働かせるのをやめて、そうだね、と言って、彼女と一緒にビルの中に入った。
 カラオケの部屋の中に入って、僕は鞄の中に入れておいたハンバーガーを彼女に渡した。彼女は無邪気に笑うと、いくらだったの、なんて尋ねる。ミキは、援助交際で、多いときには一日に何万円も稼いでいるはずだった。なのに、彼女の金銭感覚は少しも狂っていない。親から与えられる小遣いをやりくりしている僕の財布の中身まで、心配してくれる。
 彼女に買ったハンバーガーは、二百三十円だった。僕は、値段を言わず、ただ笑って肩をすくめた。それくらい、奢るよ。ケンゴ、やさしー。ミキは喜んでいた。なら、彼女に何万円も渡す男は、どれくらい優しいのだろう。
 僕らは歌った。僕は歌うのが苦手なので、聞いている方が多い。ミキは、流行りの曲を入れてはしゃいでいた。店内に流れるBGMの音も大きかったし、僕が曲を入れない分、ミキが歌ってくれた。会話をしないで済むのは、助かった。ふとした瞬間に、ミキに尋ねてしまわないとも限らないから。どうして援助交際するの? その質問でもし、ミキが真剣な表情と言葉をぶつけて来たとしたら、僕はそれを受け止められるかどうか、分からない。
 僕らが入ったカラオケの店は古びていた。機械も同じだった。そのせいなのか、途中で機械の調子がおかしくなって、曲のボリュームが調整できなくなった。鼓膜が叩かれているのではないか。そう感じるほど、低音が部屋中に響いた。僕は、頭が痛くて仕方なくなった。ミキが店員を呼びにいった。部屋から出ればいいものを、僕は待っている間中、中で頭を抱えていた。
 店員は何度も謝りながら、機械をあれこれ操作していたけれど、直りそうにもなかった。別の部屋を使うことと、一時間分、料金をただにしてくれるという提案を、店員はした。僕らは、一時間分の料金をただにするという方だけ受けて、そのカラオケの店を出た。
 カラオケで潰すはずの時間が、僕らの手に余った。大体からして、カラオケを終えた後の予定も決まっていなかった。その分も余っていた。街をぶらつきながら、ミキが言った。
「うちの両親、今日いないよ」
 彼女の両親は、大抵、彼女の家にいなかった。あけすけで、使い古された誘いの文句だった。けれど、だからと言って、断る気にはならない。僕だって、男で、ミキと付き合って、セックスの味を知っている。女の子の体の柔らかさを知っている。
 しかし、返事をしようとした僕の舌はもつれた。ミキの誘いの言葉を受ける。いつもの簡単な返事が、今日はできなかった。わずかな沈黙は、瞬時に手に負えないほど大きくなって、僕にのしかかってきた。繋いだ手から伝わる、ミキとの温度差が、際立って感じられた。
 僕らが歩く横には、色んなブランドの店が並んでいた。ウインドウの向こうには、僕の財布の中身では到底太刀打ちできない金額の商品が、並んでいる。付き合っている彼女の金銭的な欲求を満たすことも、援助交際を止めることもできない男子高校生を、あざ笑うかのように。
 その中に、ミキが欲しがっていた財布があった。価格は四万円だった。今の僕の手持ちのお金では買えないけれど、何回かに分ければ、買えると思った。僕は、そのお店の中に入ろうとした。ミキが止めた。
「前に、あの財布欲しいって言ってたろ」
 ミキは笑った。僕の冗談だと思ったのだ。言ったけど、ケンゴには無理だよ、気持ちだけもらっとく。彼女はそう言った。そしてまた、僕の手を引いて元の方向へ歩いて行こうとした。僕はその手を振り払った。無理じゃないよ。そう言った自分の声が、引きつっているのが分かった。ミキの表情も強張っていた。僕の異変に気づいたのだ。
 ああいうのが欲しいからやるんだろ。いつも、気持ち悪いとかくさいとか言ってる、オヤジたちと。俺、知ってるんだぜ。エンコーやってるの。君の友達から聞いたんだ。君の体の相場って、どれくらいなの。何回くらいやったの。一度言い出すと、止まらなかった。
 凍りついているのは、僕の声やミキの表情だけではなかった。周りの人たちの足も、凍りついたかのように、止まっていた。そして、その場の空気も。ミキの目が、真っ直ぐ僕の目を見つめていた。彼女の瞳の中心ですぼまった瞳孔。闇に見えるほど、黒く澄んでいる。これほど、彼女の奥まで見たことは、ないような気がした。
 もう後戻りはできない。そう思った瞬間だった、ミキはぷっと吹き出して、げらげらと笑った。
「何それ。そんなの、誰から聞いたの? たち悪い冗談」
 言葉。瞳。二つは、大きく矛盾したものを含んでいた。言葉は、嘘みたいに明るかった。実際、嘘の明るさなのだろう。瞳は、足がすくむような暗さを持っていた。僕は気づいた。託された。どちらを選ぶか。僕らの関係を、どう紡いでいくか。嘘の笑顔か、本当の暗闇か。
「ごめんごめん、さ、行こっか。ミキんちに」
 僕は、自分の言った言葉に心底、呆れていた。ミキは笑った。頭をかきむしりたくなるほど、完璧な笑顔だった。繋いだ手に力がこもることも、歩調が速くも遅くもならず、会話も驚くほど途切れることなく笑いを誘った。誰もいないミキの家で、僕らはセックスをした。
 天気予報では、午後九時頃から雪が降る予定だった。その通りに、窓の外の景色に、白い点が打たれ始めた頃、僕らはようやく力尽きた。いつにも増して激しくて、暴力的な色を含んだセックスだった。僕らは二人とも、しばらく黙って、ベッドに横たわっていた。暗闇の中で、汗が冷たさをはらんでいくのを感じた。心地好かった。ミキが先に、ベッドから出た。シャワーを浴びる、と言った。一緒に浴びる? と聞かれたけれど、僕の方はまだ起き上がる気にはなれなかった。首を振った。ミキは笑顔で頷くと、浴室へ行った。
 まだ浴室まで歩いて行く気になれなかったのは、本当だ。けれど、もう一つ考えていたことがあった。僕はミキの鞄を開けて、彼女の財布を取り出した。五万と数千円が中に入っていた。ただ、一万円札五枚だけが、他の紙幣とは違った。手の切れるような新札だった。援助交際、五万円。安っぽい邪推を、僕は振り払えなかった。そこで気づいた。僕は、ミキのことを、本当は何も知らない。そして、彼女のことを信じていない。でなければ、そんな邪推など簡単に否定できるはずなのだ。
 また勝手に、頭の中の計算機が動き出した。五万引く二百三十円。簡単な計算だった。けれど、答えを出してしまえば、後戻りのできない計算だ。止めようとした。できなかった。その向こうに待つ答えを知るという、自虐的な行為に逆らうことができなかった。
 四万九千七百七十円。それが、ミキの、僕への愛情の値段。半ば強引な計算だったけれど、一度成り立つと、もう打ち消せない。その数字が、僕の頭の中を支配した。
 だから、気づけなかった。ミキはシャワーを浴びると言っていたのに、一向に、浴室から水のはねる音が聞こえてこないことに。
 暗闇の中で四角く切り取られたように見える、浴室に繋がる廊下の光を背にして、ミキが立っていた。僕は、手にした五万円をどうすることもできずに、彼女を見た。ミキの顔に、表情はなかった。
「どうしてそんなことするの」
 愚問だ。僕は思った。付き合っている彼女が、援助交際をしているかもしれなかったら、それが本当かどうか確かめたくなるのが、道理だ。口に出しては言わなかった。上唇と下唇は、強烈な磁石でできているかのように、ぴたりと引き合わさったきり、開こうとしなかった。思考回路が、僕の頭の中でだけ、雄弁だ。
「してるんだろ」
 援助交際。かろうじて開いた唇。けれど、その言葉だけは紡ぐのを拒んだ。ミキには、それでも十分だったらしい。彼女は頷いた。
「してるよ。だから?」面倒くさそうに、ミキは首の後ろを掻いた。そして、髪の毛を手のひらで撫でつける。「そんなこと知って、どうするの」
「やめてほしいから。だから、止める」
「どうやって? あたし、ケンゴのこと好きだけど、お金も欲しいの。月に二十万。ケンゴ、そんなお金、稼げないでしょ」
「働く」
「彼氏だからって、そこまでする? あたしと付き合ってる間、そんなことできるの? それに、あたしはケンゴといっぱい遊びたい。働いてたら、それ、できないじゃん」
「我慢しろよ。俺、頑張るから」
 ミキが笑った。
「やだ、頑張るって。重いよ。別に頑張んなくていいよ。あたしだって、頑張ってるわけじゃないし。オヤジが体の上に乗って喘いでるのを、少しの間我慢してるだけ。頑張ってなんか、ないんだから。それでお金稼げるんだから、いいじゃん。ケンゴも、少しだけ我慢してよ。そうすれば、なんにも問題ないんだよ」
 こういうときに限って、思考回路は働かない。僕は必死に言葉を探した。何も、見つからなかった。涙が出た。
 ミキが大股で歩み寄って来て、僕の上に覆いかぶさった。僕の涙にキスをする。
「あたし、可愛いでしょ?」
「うん」
「あたしと、別れたい?」
「ううん」
 彼女の濡れた舌が、僕の口内をかき回した。彼女の唾液は、頭の中にまで染み込むようだった。何も考えられなくなった。体だけが、反応していた。勃起していた。もう、抵抗しない。僕はまた、ミキとセックスをした。
 シャワーを浴びて、またミキを抱いた。晩と言っていいのか、朝と言っていいのか分からない時間に、ご飯を食べた。そして、また僕たちは交わった。その辺りで、本当に僕らの体力は底を突いた。
 僕がミキの家を出たのは、翌日の昼頃だった。平日。学校はあるけれど、とても行く気にはなれなかった。太陽の光が強過ぎて、世界を全て黄色く染め上げてしまっているように、僕の目には映った。どうやっても、決して全開にはなろうとしない、目。自分の家に帰って、思う存分に眠りたかったけれど、もし家族の誰かに会ったら、そんな時間に家にいる理由を説明できなかった。僕は当てもなく、街をぶらついた。
 四回。僕らがセックスをした数だ。それで、ミキの愛情の値段を割った。一万二千四百四十二円と、余り二円。だから? そう誰かに問われれば、僕は答えに窮する。愛情の値段をセックスの回数で割ったからって、僕らの関係は変わらない。ミキは、援助交際をやめない。僕にも、やめさせる術はない。
 また、どこかの中年の男が、すれ違った若い女の子を呼び止めていた。知り合いには見えなかった。男は指を二、三本立てた。女の子は首を振った。男はさらに指を二本立てた。女の子は頷いた。二人は、人ごみの中に姿を消した。
 一万二千四百四十二円と、余り二円。なんのことはない、ただの数字。確かなのは、割り切れていないことだけだ。


How much? A END
posted by 城 一 at 01:05| 短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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