気の遠くなるような、暴力の嵐の後だった。体を少しでも動かすと、どこかしら、悲鳴を上げた。窓の外の景色。ライトアップされた街。光が線を描きながら、後方へと流れていく。
うっすらと開けた視界。白と黒に塗り分けられた車が見えた。パトロール中のパトカー。慶慎の乗るワゴンとすれ違った後、Uターンをした。パトカーに、赤い灯がともる。慶慎は、口許を歪めた。
運転手がバックミラーを見て、苦々しげに、くそっ、と呟いた。車内がざわめく。
慶慎は、フロントガラスを見た。自分が衝突してできた、蜘蛛の巣はもちろん、そのままだ。パトカーに目をつけられるのは、当たり前だった。
相変わらず、状態の悪い道路を、ワゴンは走っていた。車内が揺れる。ワゴンは、パトカーから逃げるべく、唸りを上げた。
小ぢんまりとした家が密集する、住宅街へと滑り込む。小道を選び、右へ左へと、大きく車体を揺らしながら走る。が、苦しかった。計七人を乗せたワゴンだ。パトカーから逃げるには、重過ぎた。いくら走っても、ワゴンはパトカーを振り切ることができなかった。
カズが、思いつめた表情で、自分が手にしている銃を見た。慶慎の持っていた、CZ75。
「やるしかねえか」
黙って見過ごすことはできなかった。まだ使っていないとは言え、自分の銃だ。カザギワの手の入ったものでもある。安易に、警察の目にさらすことは避けたかった。
「冷静になりなよ」慶慎は言った。
「何?」
「向こうの神経を逆撫でするだけだ。やめといた方がいい。諦めな」
パンプの蹴りが、脇から入った。慶慎は痛みをこらえて、唸った。
「黙ってろ、くそったれ。てめえの都合で動く気はねえよ」
「じゃあ聞くが」慶慎は、歯を食いしばりながら言った。「銃でどうするつもりだ? ただ単に、パトカーを撃つ? 馬鹿も大概にした方がいい。そんなことをされたおまわりは、どうすると思う? 断言してもいい。無線で仲間を呼ぶに決まってる」
「お仲間が来る頃には、俺たちはもう」
「逃げ切ってる? まさか。銃を撃っただけで、このくそ重たい、七人乗りのワゴンがパトカーから逃げ切れるほどの距離を稼げるとは、僕には到底思えないね。それとも、おまわりを撃ち殺して、指名手配にでもされるかい?」
「黙ってろ」
「僕と彼女を落としてくって、方法もある」
激昂したカズが、また銃口を、慶慎のこめかみに突きつけた。
「黙ってろ!」
慶慎は黙った。
「くそっ、どうすりゃいい?」パンプが、煙草をくわえ、それに火をつけようとした。手が震えていた。「ダッシュボードには、ドラッグもたんまり入ってる」
パンプの手にしたライターは、火のつきが悪かった。しかも、パンプの手は震えていた。いつまでも、煙草に火がつかなかった。車が揺れた。その拍子に、パンプは、手にしていたライターを落としてしまった。そして、見失った。何度も、叫ぶように悪態をつく。カズが、代わりにつけてやった。
パンプは、運転手を怒鳴った。もっとスピードを上げろ、とのことだった。運転手は、既にそれを試みていることを、怒鳴り返した。カズが、先ほど言った、慶慎の提案を検討し始めた。慶慎と安希を落として、車を軽くする、という案だ。慶慎には、パトカーから逃げ切れるほどに軽くなるとは思えなかったが、黙っていた。もちろん、彼らがパトカーから逃げ切るためのものではなく、慶慎と安希が、パンプたちから逃げるための提案だった。
パンプが、車内にあったマットレスに目をつけた。慶慎は内心、舌打ちをした。悪くない案だった。警察に対する挑発的な行動の中では、一番、安全な方法のように思えた。
パンプたちは協力し、素早く後部ドアを開け、マットレスを放り出した。地面に、縦に突き刺すようにして。マットレスはまるで、パトカーのフロントガラスに張りつくかのようにして、飛んで行った。パトカーのタイヤが、悲鳴を上げた。回転して避けようとしたものの、まともにマットレスがぶつかったパトカーが、瞬く間に、視界の中で小さくなっていった。
ドアを閉めると、後部にいた三人が、歓声を上げてハイ・タッチをした。一通り、警察を罵ると、パンプが慶慎を見た。
「見たか? てめえの意見なんか聞かなくても、おまわりから逃げることくらい、できるんだよ」
少し前まで、パニックに陥っていたくせに。慶慎は思ったが、口には出さなかった。ワゴンは相変わらず、揺れていた。その揺れに耐え切れなかったようにして、慶慎は、わざと倒れた。パンプの落としたライターを、縛られた手で拾う。
助手席の少年が、景気づけに、と言って、車内でかかっているCDのボリュームを上げた。その曲に、慶慎は聞き覚えがあった。先ほど、漫画喫茶で安希に聞かせられた曲だ。アンダーワールドの、<アンダー・オブ・アンダー>という曲だった。鼓膜が破れるのではないか、というほどのボリュームで、その曲は流れた。
チャンスだった。ライターを使う音など、誰にも聞こえないだろう。慶慎は縛られているものを狙って、ライターの火をつけた。火の調整はできない。縛るものと一緒に、手首にも火が届いていた。慶慎は耐えた。
手首を縛るものが、少しずつ緩んでいくのを感じた。もう少し。
車内にいる者たちの誰もが、浮かれていた。銃を持ったカズも、同じだった。引き金を引けば、いつでも銃弾が発射できる状態にしてあるのにも関わらず、銃を振り回して、喜びを表現していた。
なんでもない、揺れのはずだった。それまでにも、車は、状態の悪い道路の上で、揺れ続けていたのだ。なぜ、そのようなことが起きたのか、車内にいる誰も、理解することができなかった。
まるで、曲にリズムを刻むようにして、銃声がした。
カズが、自分の手の中にある銃を、不思議そうな表情で見た。彼自身、何が起きたのか、分かっていないようだった。
どうしてそんなことになったのか。そんなことは、どうでいいことだった。
慶慎は確かに、悲鳴を聞いた。安希の悲鳴。
慶慎の両手が、自由になった。やはり、縛っていたのは縄だった。慶慎は、目を見開いた。
銃弾が、安希の体を撃ち抜いていた。
慶慎の中で、何かが切れた。
つづく
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