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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2007年02月21日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第44回

 コルベットの助手席に乗り込む頃、酔いはさらに深みを増していた。
 シートに体を預け、脱力する。いや、今はむしろ、神経を集中させなければ、体のどこにも力を入れることができなかった。
 愛車の助手席。自分で乗ったのは、初めてかもしれない。鈴乃は思った。誰かに、運転させるのも。
 しかし、だから? 鈴乃は、シドの横顔を見ながら、そのことに意味を見つけようとする自分に、ブレーキをかけた。
 シドは、コルベットを発進させた。凶暴なほどのエンジンの咆哮と、加速。
 それは、何でもないカーブだった。シドがハンドルを握ってから、初めてのカーブ。
 他の車を尻目に進入したとき、シドが、ハンドルを握る手に、力を込めたのが分かった。
 後輪が、滑った。ドリフト。意図したものではない。鈴乃には、分かった。シドの顔に緊張が走る。目まぐるしく動く視線。獲物を狙う肉食獣のように、シフトレバーとハンドルの上で、一瞬の機をうかがい、息を潜める両の手。
 カーブの中腹を過ぎた辺りで、全てが閃くように動いた。鈴乃は内心、呻いた。ブレーキ、アクセル、ギアチェンジ、ハンドリング。カーブを脱出するときのそれらは、全てが、最良のタイミングで絡み合っていた。
 コルベットは、一度真横になった車体を、かろうじてだが、進行方向へ向かって真っ直ぐに修正した。
 シドが、安堵の溜め息をついた。
「怖い車だな、こいつは。馬力は?」
「四百オーバー」聞いて、シドが口笛を吹く。「所詮、機械よ。パターンを掴めば、楽勝でしょ」
「パターン、ね。あんたのは、分からんな」
「大した馬力じゃないんだけれどね。人間だもの」
「人間にだって、パターンはあるさ」
「たとえば?」
「心臓の鼓動、無意識のうちにやっちまう癖、好きな食い物、飲み物。煙草」
 鈴乃は、ひんやりとした窓に頭を寄せながら、シドを見た。
「実際に、触れてみないからよ」
「臆病な性質でね。ある程度、パターンが読めないと、触れる気にゃならないのさ」
「それじゃ、平行線のままだわ」
「残念なことだな」
 シドが、鈴乃の自宅のある場所を尋ねてきた。鈴乃は少しの間、考えた。そして、シドの知りたがっていることとは、別のことを教えた。今は、家よりも行きたい場所があった。
 鈴乃は、窓の外で、自由に思考を転がし、弄んでいた。シドが、何か言った。聞き逃した。鈴乃は聞き返した。
「空の具合だ。どうだ?」
「あたしの頭の具合と、同じよ」
「それじゃ分からねえよ」
「曇ってるわ」
「曇ってるのか?」
「どんよりした、グレイの雲でね。空が見える所もあるけど」
「あんたの頭だ」
「あたしの頭は、缶ビール六本分の、酔いで」
 シドが、鼻で嘲笑した。
「酔わなきゃやれないことなんか、最初からやらなきゃいいんだ」
 水滴で曇った窓ガラス。鈴乃は思いのままに、指を走らせた。
「鶴見のことね」
「それ以外に、何があるのか聞きたいな」
「全く持って、しつこい男ね、あんたって。飲んだのは、鶴見とやった後よ」
「だから」シドは言った。少しだけ、苛立たしげだった。ほんの少しだけ。「飲まなきゃやってられなかったんだろ」
「あんたとね」
 シドが顔をしかめて、鈴乃を見た。鈴乃は前を見て、赤信号を告げた。シドは慌ててブレーキを踏んだ。
 シドは視線を前方に向け直して、言った。
「俺といるのに、アルコールが必要なのか?」
「ええ」
「なぜ?」
「知らない」
「だったら、俺のことなんか、呼ばなきゃよかったんだ。あんたが何となく、俺のことを疎ましく思ってんのは、分かってんだ」
「アルコールを必要とすることが、常にネガティブな意味を持つとは限らないわよ」
「そいつは、嬉しい知らせだな」
「少し、仮定を重ねる話になるけど」鈴乃は言った。「どうして、あたしがあんたのことを疎ましく思ってると思うんなら、こうやってのこのこお迎えに上がるのかしら?」
 シドは、ダウンジャケットのポケットから、煙草のパッケージを取り出した。指先で軽く叩いて、煙草を一本だけ取り出す。火をつける。
「星、見えないんだな」
「あまり、好ましくない話題らしいわね」
 信号が青に変わる。シドは再び、コルベットを走らせ始めた。
「おおぐま座、知ってるか?」
「いいえ」
「北斗七星の尻尾生やした、でかい星座だ。ゼウスって神様がな、ヘラってかみさんがいるのに、カストロって女と浮気しちまったんだと」
 鈴乃は首を傾げた。
「ギリシャ神話はちょっと知ってる。でも、あたしが知ってる名前の中には、カリストって名前しかないけど」
「ああ」煙草の煙を吹かしながら、シドは言った。「そうだ。カリストだ」
「格好つかないわね」
「かみさんのヘラって奴は怒って、そのカリストっていい女を、熊にしちまった。カリストは、熊になる前に子供を産んでて、アルカスって名前をつけられた息子は、月日が経つうちに、まあ立派な青年に成長した。で、アルカスが狩りをしてるときに、熊になったおふくろのカリストに会った。言葉は通じないから、アルカスは、目の前の熊が実のおふくろってことは分からねえ。アルカスは、カリストを弓矢で射殺そうとした。ゼウスのおっさんが、気をきかせて、二人をお空に上げて、殺し合わないようにした」
 鈴乃は、自分でも気づかないうちに、窓ガラスに北斗七星を描いていた。
「それで?」
「ま、本編自体にも色々説があるみたいだが、後日談も種類がある。おふくろのカリストはおおぐま座、そのがきのアルカスはこぐま座で、おふくろは息子を見守るように、その周りをくるくる回ってるってのが一つ。別のは、ヘラってゼウスのかみさんは、二人がお空に上ってもまだ怒ってて、そのために、二つの星座がずっと沈むことがないようにした、ってのがもう一つ」
「どっちでも、一応理屈は合ってるわね」
「俺の妹、後日談の後の方のエピソードが大嫌いでな。大きくなったら、絶対に最初の方の話が正しいってこと、証明してやるって言ってた」
「妹」
「この話が、どこに落ち着くか」シドは言った。「あんたが、妹に似てる気がするってところに落ち着くのさ。発酵するほど、予定調和な落ち着き方で悪いが」
「いくつくらい、年、離れてたの」
「十、かな」
「そう。あたし、よく童顔って言われるの」
「そういうこと言ってるんじゃねえよ」
「体に口紅塗ったくって、情報のためなら男と寝るのもいとわないような女だった?」
 シドは小さく溜め息をついた。
「この話をした、俺が馬鹿だったよ」
「そんなことないわよ、お兄ちゃん」
 シドは鈴乃を一瞥して、舌打ちをした。緩いカーブ。コルベットのタイヤがわずかに、高く鳴いた。



つづく




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posted by 城 一 at 00:47| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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