Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年01月18日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第143回(10版)


the space


 交差点は、黒い円(ドーナッツ)で埋まっていた。車やバイク好きの者たちが、そのテクニックを実験し、披露する場所になっているのだ。路面のアスファルトは、焼けついたタイヤのゴムで黒く汚れ、転倒した車体で傷つけられて、小規模の戦争でもあったかのような様相を呈している。手荒い愛撫しか知らない訪問者たちはいつからか、親しみを込めて、この交差点を“宇宙(ザ・スペース)”と呼ぶようになった。黒い惑星(ドーナッツ)が集まってできた、宇宙だ。
 襟に毛皮のついたミリタリージャケットを着たアンバーが、地面に膝を突き、黒い円を指先で撫でた。振り向かずに、鈴乃に言う。
「知ってるか? ここのこと」
「ザ・スペース」
 鈴乃は言った。吐息は、煙草の煙のように真っ白に染まり、夜空へと吸い込まれていく。深夜一時を過ぎた頃だった。澄んだ空には、星が輝いている。
「そう」アンバーは言った。「けど、この宇宙が生まれるきっかけを作ったのが、俺だってことは、知らないだろ」
 鈴乃は、片方の眉を上下させた。
「ええ」
 先を促すことは、しなかった。黙っていても、アンバーが話を続けるつもりなのは、分かった。厳しい寒気が、感覚を鋭敏にしている。
<スージー>のマスター、勝谷を介して、アンバーからデートに誘われた。勝谷は、“お前のことが気に入ったらしいぜ”と言っていたが、鈴乃にはとても信じられなかった。アンバーに叩き込んだ前蹴りと右ストレートはまだ、頭の中で、容易に思い出すことのできる場所に留まっている。あの乱交パーティから、四日しか経っていないのだ。アンバーの方は、記憶に痛みと憤怒が伴っている。自分よりも、鮮明に覚えているはずだ。鈴乃は思った。そのアンバーから、デートなどに誘われるわけがないのだ。
 罠かもしれない。鈴乃は、そう思った。仕返しをするために仲間を集め、待ち合わせ場所に指定したこの“宇宙”という名の交差点の周辺の建物に、隠れさせているのだと。今日着ている、ベージュのトレンチコートの下に装備したショルダーホルスターには、ロブ&ロイが収まっている。腰のガンベルトには、スペアの弾倉。最悪の事態を想定した場合、それくらいの装備は必要だと思った。前に見た、<フォスター>のライブに集まっていた客のことを考えると、アンバーが動かすことのできる人数は、かなり多い。
 だが、それも杞憂に終わりそうだった。アンバーの言葉や仕草の隙間から、殺気というものが感じられない。タイヤ痕でできた宇宙に注ぐ視線は、穏やかなものだった。
「もう、一年以上も前のことだ。リヨが、死んだ」アンバーは言った。
「リヨ」
「俺の恋人さ。それを、忘れたくなくてな。いや、もちろん忘れるつもりはないんだけどな」アンバーは言葉を止めて、思案した。「……そうだな。あいつの記憶を、どうにかして、形にしておきたかったんだ。だから、ここにドーナッツを描いた。バイクでな。ドーナッツ・ターンって、知ってるか?」
 アンバーが、振り返った。鈴乃は肩をすくめた。
「今度、機会があったら、見せてやるよ」アンバーが言った。
「楽しみにしてるわ」
 アンバーが触っている円は、横断歩道の白い縞模様の一部に、重なるようにして描かれていた。他のものとは違い、丁寧で、何重にもゴムが焼きつけられている。よく見ると、テクニックの実験や披露のために描かれたものではないことが、分かる。
「ここだ」アンバーは、円の中心に手のひらをあてた。「ここで、死んだ」
「残念ね」
 アンバーは、脇に魔法瓶を抱えていた。それを手に取ってふたを外し、傾ける。白い、半透明の液体が細く線を描いて、地面に注がれる。
「それは?」鈴乃は言った。
「ホット・レモネードだ。ここから歩いて五分くらいの場所にある、<quilt>って店のな。リヨの、お気に入りだった」
 ホット・レモネードは、凍てつくような外気に触れて、悲鳴を上げるように、湯気を立てていた。アンバーは、魔法瓶のふたにホット・レモネードを注ぎ、それを鈴乃に差し出した。
「飲むか?」
「ありがとう」
 鈴乃は、ホット・レモネードを飲んだ。味を楽しむことができないほど、熱かった。ふた口目からは、慎重に、そっと口をつけた。
「事故か、何かだったの?」鈴乃は言った。
「いや。殺されたのさ。クソ<ロメオ>と、クソ<カザギワ>に。街の、どうしようもないクズどもに」
 口内を焼いたホット・レモネードに、鈴乃は舌打ちをした。突然、アンバーが口にした<カザギワ>の四文字に、手にしていた、魔法瓶のふたを傾けすぎたのだ。だが、ふたを落とさなかっただけ、マシかもしれない。鈴乃は思った。アンバーは、鈴乃の反応に気づいていないようだった。地面の、リヨが死んだという場所に、視線を注いだままだ。
 鈴乃は、確信した。アンバーは、デートに誘った女が、<カザギワ>の殺し屋であることを知らない。
「どういうことなの?」
 鈴乃は、動揺を言葉に滲ませないよう、慎重に尋ねた。
「ここで、抗争があったんだ。<SKUNK>と<ロメオ>って、ギャングチームの抗争が。リヨは、それに巻き込まれた」
「調べたのね」
「違う。俺も、その場にいたんだ。当時、俺は<SKUNK>のメンバーだった」
「元ギャングだったのね」
「馬鹿だったと思う。たかが縄張り争いに、平然と命を賭けてた」
「誰にでも、間違いはあるわ」
「そう、ある。だが、その間違いのお陰で、リヨを失った」
「仕方ない、とは言えないわね」
 アンバーは、力なく笑った。
「気持ちはありがたいけどな。リヨの死は、“仕方ない”じゃ済まされない」
「ええ」
「ギャングとか、夜の街とか。そういうのが、苦手なヤツだったんだ。リヨは。それなのに、無理して。俺のことを心配して、来ちまったんだ。交通安全のお守りを、持ってたよ。まったく」アンバーは、魔法瓶から直接、ホット・レモネードを飲んだ。口に含みすぎたらしく、熱さに呻く。「ちくしょう。ここに立ってた。最初現われたときは、暗くて、影にしか見えなかったんだけど。でも、悪い予感がした。俺は、影が誰なのか、確認しようとした。けど、間に合わなかった」
 車が一台やって来て、鈴乃とアンバーに気づき、中央線すれすれに位置を変えて、走っていった。
「銃声がして、影が倒れた。そのときにはもう、確信があった。倒れ方で、分かったんだと思う。通りには<ロメオ>と<カザギワ>のヤツらの撃った銃弾が降り注いでたけど、そんなの関係なかった。俺は、影に走り寄った。影は、リヨだった」
 鈴乃は、アンバーに同情すると同時に、違和感を覚えていた。少年ギャングチーム間の抗争に、<カザギワ>の名前が出る理由が分からない。子どもは、効率や合理性よりも、プライドやメンツ、評判といったものを優先する。抗争に勝っても、他のギャングから認められなければ、意味がない。だから、チームの外の人間を雇ったりなどしないはずなのだ。プロの殺し屋を雇ったりすれば、評判は下がりこそすれ、上がることは、決してない。同じ裏社会でも、子どもと大人では、少々ルールが違うのだ。
 口には、出さなかった。わざわざ、傷心のアンバーに、挑発的なことを尋ねることはない。<カザギワ>に帰って、カナコ・ローディンや桧垣と言った、情報管理を担当する人間に聞けば済む話だ。
「リヨは、腹を撃たれてた。俺が抱き上げたときにはもう、死にかけてるのが分かった。俺は仲間に、“救急車を呼べ!”って怒鳴った。そして、リヨの心臓マッサージを始めた。呼吸が、脈が弱くなってた。けど、助かると思った。そう、自分に言い聞かせた。絶対に、助けると」
 わずかにできた沈黙に、鈴乃は、アンバーが泣いているのではないか、と思った。が、違った。アンバーはただ静かに、前方を見つめているだけだった。何もない、虚空を。
「また、銃声がした。リヨの頭が、赤く」
 鈴乃は、アンバーの肩に手を置いた。
「もういいわ」
 アンバーは、左手の薬指にはめた、ふたつの指輪を、親指で撫でていた。
「前やったパーティのときに、あんた、聞いてたな。この指輪のこと」
「ええ」
「決まった相手が、どうのと言ってた」
「そこまで詳しくは、覚えていないけど」
「あんたの言った通りさ。この指輪は、リヨと揃えたもんだ」
「そう」
「すまん」
「あなたは、謝るようなことは、何もしてない」
「そうだな。ありがとう」
 鈴乃は、魔法瓶のふたの中に残る、ホット・レモネードを見た。もうひとりの、自分が映っていた。これから、自分がしようとしていることに対して、もうひとりの鈴乃が言った。“ほんと、ずいぶん優しくなったわね、鈴乃ちゃん”。くそくらえだ。鈴乃は、ホット・レモネードを飲み干した。
「それで?」
「それで、って?」
「何か、あたしからもらいたくて、今日のデートのセッティングを、勝谷に頼んだんでしょう?」
「ああ」アンバーは言った。「ああ、まあな。あんたなら、リヨの穴を埋めてくれるんじゃないかと思ったんだ」
「セックスで」
「そいつはこの前、散々、堪能させてもらったさ」
「なら」
 アンバーは、首を振った。
「リヨのことを、忘れたいんじゃないんだ。けど、いつまでも昔の女のことに囚われてたんじゃ、前に進めない。道を、踏み外しそうになる」
「嬉しい言葉だけど」鈴乃は言った。「でも、それは難しいわ。悪いけど、あたしにも想ってる人がいるのよ」
「それは、俺の今の昔話を聞いても、変わらないと」
「理屈じゃないのよ。そういうものでしょう?」
「ああ、そうだな」
「で、どうする?」
「一緒に、ホテルにしけ込むのは、OKなのか?」
 鈴乃は微笑を浮かべ、アンバーに魔法瓶のふたを渡した。その耳元に、そっと囁く。
「今夜は、暴力はなしにしてあげるわ」
「ありがたいね」
 アンバーは弱々しく、笑った。

つづく




続きを読む
前回の話を読む
ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む
ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 05:35| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。