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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年01月18日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第145回(8版)


嘘と仮定と女と煮干し。


 床は、プリントアウトの白色で埋まっていた。まるで、雪が降ったあとのようだった。
<カザギワ・ビル>、カナコ・ローディンの部屋に、鈴乃はいた。アンバーの言葉が、頭の片隅に引っかかっていた。<SKUNK>と<ロメオ>の抗争に、<カザギワ>の殺し屋が関わっていたのかどうか、確かめたかったのだ。
 カナコ・ローディンは、プリントアウトの雪原の中央にいた。頭髪と同じ、燃えるような赤色のペディキュアを施した裸の足で、積もった雪を踏みつけにしている。<ミカド>の情報が、綴られた資料を。両手をだらりと脇に垂らし、半ば閉じた瞼の下で、眼球がせわしなく動いている。柿色の口紅を引いた、唇も同じだった。声を発さず、呪文を唱えているかのようだった。<資料踏み(ステッピング)>。カナコが、あまりにも膨大な量の情報を前にしたときに行う、儀式のようなものだ。前に、カナコに<資料踏み>の意味を聞いたことがあるが、“脳の回転が、よくなる気がする”という、曖昧な答えしか返ってこなかった。非論理的なものを嫌うカナコにしては、珍しいことだった。
「絶対に、踏まないでくださいね、ミス・鏑木」
 少年が、鈴乃の所までやって来て、そう言った。口端に手のひらを添え、声を潜めて。
「ええ、分かってるわ」鈴乃は、声の音量を少年に合わせて言った。
 少年は、十代前半。姿を消した風際慶慎と、同じ年の頃だった。卵型の、整った顔の輪郭に沿って、さらさらの金髪を顎下まで伸ばしている。サスペンダーで吊った、タータンチェック柄のパンツ。白いシャツ、グレイのカーディガン。頭に乗せているハンチング帽は、パンツと揃いの柄だ。彼の白いラバーソールを履いた足も、慎重に、床のプリントアウトを避けていた。<資料踏み>の邪魔をすれば、カナコの逆鱗に触れる。
「結構、かかりそうなの?」鈴乃は言った。
「僕には、ちょっと」
 少年の名前は、ロミオ・D・O。カナコ・ローディンの従者のような存在だった。彼女の仕事のサポートをし、ときには身の回りの世話までする。その若さで、カナコ・ローディンの側にいることを許されているのは、それ相応の仕事をするためだ。カナコの部下の中には、それを不服に思う者もいるようだったが、カナコの毅然とした態度と、非の打ち所のないロミオの仕事を前にして、実際に言葉にする者は少ない。
「ねえ、ロミオ。頼まれたもの、買ってきたんだけど」
“忙しい”のひと言で逃げようとしたカナコに、話をする時間を作らせた代わりに、鈴乃は使いを頼まれていた。小魚を買って来い、と。鈴乃は、自宅の近所にあるスーパーで迷った末に、煮干しを選んで、買って来ていた。ロミオに、スーパーの買いもの袋を示す。ロミオは、袋の中を覗き込んで、顔をしかめた。
「煮干し、ですか」
「おかしい?」
「そうではないんですが。コーヒーは飲みますか? ミス・鏑木」
「ええ」
「ブラックでしたよね」
「そうよ」
 ロミオとともにコーヒーを飲んだことがあったかどうか、鈴乃は覚えていない。あったとしても、記憶に残らない程度だということだ。にも関わらず、ロミオが当たり前のように、自分のコーヒーの好みを覚えていたことに、鈴乃は驚いた。カナコが、ロミオを側に置いている理由が、少しだけ分かったような気がした。鈴乃は、足音も立てずに部屋を出ていく、ロミオの背中を見送った。
 カナコは相変わらず、情報の入力(インプット)に忙しいようだった。鈴乃が来たことに気づいているのか、いないのか。挨拶のひとつもなかった。長い時間、同じ姿勢で立っていると、骨折した左脚が痛んだ。楽な姿勢を探そうにも、プリントアウトで埋まった大理石の床には、あまり足の踏み場はない。以前、同じようにカナコ・ローディンが<資料踏み>をしていたときに、少しくらいなら大丈夫だろうと、プリントアウトに足をかけたことがあった。どう考えても、彼女の視界の外だと思ったのだ。だが、違った。足を置いた感覚をろくに味わう暇もないうちに、カナコの怒声が飛んできた。人の怒りを買うというのは、気持ちのいいことではない。また、それを試す気にはならなかった。暇を潰そうにも、カナコの部屋は、視覚的な楽しみが皆無だと言ってよかった。窓際にある、大型のオーバーフロー水槽の中にいる、肺魚(ハイギョ)くらいだ。ただ、それも、何の可愛げのない熱帯魚だった。体長約九十センチの、長い体は灰色。太いうなぎのようなものだ。気を引くような動きをするわけでも、鳴き声を上げるわけでもない。長い時間が経過したような気がして、腕時計を見ると、まだ十分しか経っていなかった。
 鈴乃は、待つのをやめた。
「相変わらず、ロミオとはよろしくやってるの?」
 カナコは、話しかけられてもしばらくは、情報の入力を試みた。鈴乃も、同じように会話を求めて、独り言を続けた。カナコが、先に折れた。
「最近、元気がないという話を聞いていたけれど、どうやらその心配はなさそうね」カナコは言った。「たかが数分の待ち時間にも、耐えられない」
「いい女は、忙しいのよ」
「自分で言うと、価値の磨耗が早まるわよ」
 カナコは、床に敷き詰められたプリントアウトから降りると、脇に揃えて置いてあった、金の靴を履いた。自分の机につき、椅子にどさりと腰を下ろす。背もたれが、軋んだ。集中を解いた途端に疲労が襲ってきたのか、眉間を指先で揉む。
「きちんと、休んでいるの?」
「脳が休むと、人の体はどうなる?」
「動かなくなるわね」
「わたしは、情報管理部のトップの片割れ。言わば、脳よ。左脳と右脳の、どちらかは知らないけれど。わたしが動くのを止めれば、情報管理部の半分が動かなくなるわ」机の上には、コーヒーカップが載っていた。湯気がひと筋も立っていないところを見ると、中身は冷えきっているようだった。それを知っているのか、カナコはコーヒーに手をつけなかった。「まあ、トップのもう片割れは新人だから? わたしが休めば、きっと半分以上が動かなくなるわね」
「彼は、無能?」
「まさか。ただ、馴染むまでには時間がかかるということよ。思慮の浅いことをしてくれたわね、高田清一は」
 脳裏に、高田の最期の瞬間が蘇った。鈴乃は言った。
「いない人間を、悪く言うのはやめない?」
「そうね」
「言われたもの、買ってきたわよ」鈴乃は買いもの袋を、掲げた。「ザ・煮干し」
「は?」
 カナコが珍しく、その表情を歪めた。
「電話で言ったでしょう。小魚を買ってきてくれって。だから、煮干し。えー、カタクチイワシの」
「鈴乃。煮干しは、煮干しよ。欲しかったら、そう言うわ」
「だから、そう言ったじゃない」
「言ってない。わたしは、“小魚を買ってきてくれ”と言ったのよ。“煮干しを買ってきてくれ”とは、ひと言も言ってない」
「んー、と言うと?」
「だから」カナコは親指で、窓際にある水槽を指した。「“彼”が煮干しなんて、食べると思うの?」
「さあ」
 カナコは、机を手のひらで叩いた。
「教えてあげる、この“すっとこどっこい”。そんな、塩分の高いものを、彼は食べないのよ」
「ワオ。我らがミス・ローディンの口から、“すっとこどっこい”なんて言葉が聞けるとはね」
「あらそう。新聞(ブン)屋にリークでもしたらどう?」
「安心して、カナコ。煮干しは、カルシウム不足の補填に最適。まさに、今のあなたに」大きく、カナコに向けて手のひらを広げた。「ワオ! ぴったり」
「余計なお世話よ、馬鹿」カナコは言った。「もういいわ。さっさと用件を済まして、帰ってちょうだい」
「そんな、冷たいこと言わないで。あたしたち、仲間でしょう?」
「用件を済ませずに帰る?」
「不良少年たちから、“宇宙(ザ・スペース)”と呼ばれてる交差点のこと、分かる?」
「自分の車、あるいはバイクのタイヤをすり減らして溝をなくし、ゆくゆくは、タイヤを滑らせて交通事故を起こしたのち、天国もしくは地獄への片道切符を買いたいと考えてる、自殺願望を持った子どもたちが集まる場所(スペース)でしょう?」
「まあ、解釈の仕方は、人の数あれど」
 鈴乃は、カナコの机の上で、煮干しの袋を開けた。カナコは煮干しのにおいを嗅いで、“ごめんだ”とでも言うように、首を振った。鈴乃が何度も、しつこく勧めると、ようやくひとつ取って、そっとかじった。カナコは、眉間に皺を寄せて、言った。
「それがどうしたの?」
「“宇宙”と呼ばれるようになる以前の、その場所であった、少年ギャングチーム同士の抗争に関して、聞きたいの」
 カナコは、顔をしかめながらも、煮干しをもうひとつ、口に運んだ。
「わたしは、警察じゃないのよ。あくまでも、<カザギワ>に関する情報を管理する人間なの。この街であったことの全てを、把握しているわけではないわ」
「その抗争に、<カザギワ>の殺し屋が関わっていたかどうかを、知りたいのよ」
 言って、鈴乃もひとつ、煮干しを食べた。カナコは睡魔に抗うかのように目を閉じ、両の眉尻を指先で撫でた。そして、言った。
「子ども同士の抗争に、<カザギワ>の殺し屋が? あり得ないわ」
「よく、思い出して」
「もう、したわ」
「そういう案件はない、ということね」
「わたしだって、完璧じゃないわ。でも、そうね。九十パーセント以上の確率で、ないと言えるわ。ギャングとは言っても、所詮子どもよ。<カザギワ>を使えるような金を、所持していると思う? わたしは思わないわ。それに、たとえ持っていたとしても、こちらが頷かない。子どもをクライアントにするなんて、リスクの高いことはしない」カナコは言った。「間違ったことを言っているかしら?」
「いいえ」
「それに。子ども同士の喧嘩に大人が介入すれば、子どもの世界に、その世界を治めるルールに、綻びが生じる。バランスが崩れる」
「大人から逃れるために、足を踏み入れた世界が、侵される。汚される」
「そういうことをしたと、他の同世代のギャングに知れれば、メンツが立たない。他の少年ギャングたちから、尊敬(リスペクト)されない。胸を張れない」カナコは言った。「たとえ縄張りが広がっても、それでは何の意味もない」
「でも、耳にしたのよ。子ども同士の抗争に、<カザギワ>が関わったという話を」
「ただの、噂話でしょう?」
「その抗争の場にいた、当事者が言ってるのよ」
「なら、可能性はふたつね。わたしの記憶が間違っているか」カナコは、煮干しを食べ続けながら、言った。もう、顔はしかめていなかった。「その、“ミスタ・当事者”が嘘を言っている」
「耳を傾けてくれる人間がいなければ、嘘は成り立たない」
「なら、自分に対して、嘘を言っている」
「どういうこと?」
 カナコは肩をすくめた。
「思いつきで言っただけよ」
「じゃあ仮に、自分に対して嘘を言っているのだとして」鈴乃は言った。「どうしてだと思う?」
「さあ」
「嘘は、作らなきゃ生まれない」今度は、鈴乃は自問自答した。「どうして、そんな嘘を作ったのかしら」
「その当事者が作ったとも、限らないわよ。他の誰かが嘘を作って、その当事者に吹き込んでいるのかもしれない」
「なぜ」
「もちろん、嘘じゃない可能性もあるのよ? どこかで情報がねじれた末に生まれた、ただの間違った情報だということも。でも、嘘だとしたら。誰かが、何らかの意図を持って、その当事者に嘘を吹き込んだのだとしたら」
「その誰かは、何か、当事者にしてほしいことがある?」
「そのために、当事者を操作(コントロール)したい」カナコは言った。「少なくとも、わたしはそう考える」
「あたしも、そう考える。でも、何がしたいのかしら」
「分からないわよ。それに、今積み重ねたのは、仮定の話ばかりだもの。まだ気になるんだったら、あとは自分で調べてちょうだい」
「分かったわ」
 ロミオが、コーヒーを運んできた。彼は、カナコの机の上で、煮干しの袋が空いていることに、そしてカナコがその中身を食していることに、“珍しい”と驚いていた。コーヒーは、ちょうどいい濃さだった。カップの中を空にして、鈴乃はカナコ・ローディンの部屋をあとにした。

つづく




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posted by 城 一 at 22:19| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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