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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年02月08日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第151回(3版)


堕ちるなら、俺が先さ。


 こんなに太陽の光が眩しいのは、誰のせいだろう。井織誠は考える。三が日と称される期間の最後の日、一月三日。日本在住のたいていの人間は、家で家族と一緒にいて、テレビの前でおせち料理に舌鼓を打ちながら、のんびりと新しい年に体を馴染ませている。しかし、井織は今日、外にいて、寒風にその身をさらしている。彼を慰めるかのように、太陽が空で輝いているが、そんなものは井織の慰めにはならない。それどころか、近頃夜行性になっている彼の体には、サディスティックな人間が振るう鞭のような役割しか果たさない。
 井織は、痛みや、かゆみにも似た、チリチリとした感覚が襲っている目の縁に耐えながら、ベンチに座っている。長い年月を風雨にさらされて傷だらけで、傷口からは元の木の色が見えている、ターコイズ・ブルーのベンチだ。誰かがふざけてカッターかナイフか何かで、相合い傘を刻んでいた。その下に、男女の名前を並べている。トミオ、ジュリ。くだらない。子どもの戯れだ。が、井織は頭の中に空想の相合い傘を描き、妻の、あるいは妻であった光子と、自分の名前を並べてみる。涙は出ない。ただ、試してみただけだ。井織は、目を閉じた。軽い睡魔がやって来たからだ。が、眠ることはかなわなかった。ベンチが揺れるのを感じた。筒本が来たのだ。井織は、目を閉じたままでいた。彼の存在を感じたからと言って、途端に反応すれば、周囲にいるかもしれない誰かに、不審に思われるかもしれない。
「お久しぶりです」
 筒本は言った。井織は目を開けない。しばらく、そのままでいるつもりだった。ただ、井織は着ているコートのポケットの中に、銃を持っていて、ポケットの中に入れた手で、それを握っていた。それを、離しはした。筒本から、殺意を感じなかったからだ。かつて<カザギワ>にいた頃、部下であった男も、今では敵に他ならないのだ。油断するわけにはいかなかった。
「眠っているんですか? 本当に」
 返事をしない井織に、不安を覚えたのだろう。筒本はそう言った。井織は、寝返りのつもりで体を少し揺らして傾け、そのあとで目を開けた。筒本と、視線を交わすことはしない。交わした視線から、ふたりの間にある細い糸のような絆を察知されても困る。
「眠るところだった。本当に」
 時刻は、午後零時を大きく過ぎていた。時間ぴったりに、ふたりがこのベンチに来ても困りはしただろうが、かと言って、少々許容範囲のラインに抵触するほどの時間にはなっていた。井織は、ベンチに来たときに腕時計を見なかったから、どれくらい経ったか、正確には分からないが、結構経過している。体の芯には、コートでは防ぎきれなかった寒気が、じわじわと侵食を始めているのだから。
 すみません。筒本は謝った。いや、いいさ。井織は彼を許した。本心だった。筒本が、ここにこうして来てくれただけでも、感謝しなければならない。井織は、そう思っている。井織は既に、<カザギワ>ではなく、その敵側に位置する<デイライト>と称される組織の一員なのだ。その井織と会うということが、どういうことを意味するのか。筒本だって、分かっているはずなのだ。にも関わらず、かつて<カザギワ>にいた頃のように、部下として井織に接してくれる筒本。そんな義理堅い男に、感謝しこそすれ、罵ったりなどできようはずがない。
「お前のために、何かできることはないか。俺に」
 互いに別々の方向を向いたまま、言葉だけを投げかける。衣擦れの音で、筒本が首を振ったのが、井織には分かった。彼が、拒むのは、何となく分かっていた。
「ありませんよ。……いや、あるかな。<デイライト>を抜けてください」
 元々、妻の光子が作った借金を返すために、その報酬を稼ぐために、<カザギワ>を裏切り、<デイライト>に入ったのだ。その大きな理由であった借金を作った光子は、もうこの世にはいない。飛猫こと、鏑木鈴乃に殺されたから。裏切り。井織が、大嫌いだった行為だ。だから、<デイライト>を抜けることに対して、抵抗はないはずなのだ。理屈で言えば。しかし、井織の体のどこかで、彼が感知できないどこかで、何かが働いている。それが、井織に頭を縦に振らせない。代わりに、井織は首を横に振る。
「無理だ」
「どうして」
 さあな。呟いて、井織は考える。どうしてなのだろう。<デイライト>に留まる理由は、もうないはずなのに。感知できない何かを、感知しようと試みてみるが、少しして彼は諦める。体が、心がそう言っているのだ。理屈ではない。
「俺は今日、お前に説得の機会を与えるために、この時間を作ったわけではない」
「冷たい言い方だ。正確には、俺はもうあなたの部下じゃないのに」
「だが、こうして会いに来てくれた」
「馬鹿なことをしたと思ってますよ。俺の中でね。もうひとりの俺が、俺をあざけってますよ。こんなことをしていれば、いつか道から足を踏み外すぞ、ってね。そして、底の見えない奈落に落ちるぞって」
「堕ちるなら、俺が先さ」
「そうですね」
 否定しろよ。井織が言うと、筒本は笑った。そう。今日、筒本に会ったのは、彼に井織のことを説得する機会を与えるためでは、ない。子犬のことを、調べてもらったのだ。筒本に。飼っていた、イングリッシュ・コッカー・スパニエルのポロ。それが、光子と一緒にいて、彼女とともにその短い生涯を終えたと思われていた、子犬のポロが、生きているという話を聞いたからだ。筒本から。その事実確認を、そしてポロの行方を調べてくれるように、井織は頼んでいた。できなければ、気が進まなければ、今日、井織に会わなくてもいい。そう言ってあった。来たということは、その意思があり、できたと言うことだった。井織は言った。
「で?」
「で?」筒本は、肩をすくめた。「気づきませんか? あの犬、可愛いですね。知ってます? イングリッシュ・コッカー・スパニエルって言うんですよ」
 井織は、顔を上げた。
「お前」
 ポロが、そこにいた。かなり男らしい雰囲気を持っている、中年の女にリードを握られて。彼女が連れている犬はポロだけではなく、他にも二匹、同じように型の小さい犬がいた。イタリアン・グレーハウンドと、ボストン・テリア。おとなしく飼い主に歩調を合わせている二匹に比べて、ポロには落ち着きというものが、微塵もなかった。それは、まだ新しい飼い主と、今までいなかった兄弟(あるいは姉妹)に対する緊張や混乱からかもしれない。ポロは飼い主の握るリードを常にピンと張り詰めさせて、右へ左へと自由に走り回っていた。元気でやっていることは、確かなようだった。
 井織は、筒本を見そうになるのを、必死でこらえた。この出会いが、偶然の産物であるはずがない。筒本は、ポロの飼い主が、この時間に、このボロボロのターコイズブルーのベンチの前を通ることを調べた上で、この場所を井織との待ち合わせ場所に指定したのだ。
「憎たらしいことをするようになったな」
「どういたしまして」筒本は言った。「ポロは今、大貫志津子という女のマンションで、一緒に住んでいます。ご覧になって分かるように、他の二匹と一緒に、ね。大貫志津子は、<テレサ>っていう店で、バーテンダーをしてます。彼女の所にポロを連れていったのは、もちろん」
「ネコ、か」
「ええ」
 あいつ。井織は、呟く。そして、思う。味な真似をしやがる。井織が、実際に彼女に会うまでに聞いていた話では、そんなことをするような女ではなかった。感情をその体に内包しているのか、疑いたくなるほど冷徹で、命令されたことは、必ず実行する。そういう女だった。光子を殺せば、一緒にいたポロも必ず処分する。そう、井織は思っていた。それは、鈴乃でなくとも、<カザギワ>の殺し屋なら、当たり前に選ぶ行動だった。殺すべき対象の所有物なのだ。犬ではあっても。対象とともに、処分するのが妥当な判断だ。鈴乃がポロを、光子と一緒に殺さないためには、同じ場所にいた<カザギワ>の者たちへ、何らかの説明をしなければならなかったことだろう。たかが、思い入れもない子犬一匹のために、奇異な視線を受けながら。そうしてまで、ポロの命を助けた、鏑木鈴乃。井織の中にある彼女のイメージに、かつてあった、彼女へのイメージは、ほとんど残っていない。
 ポロが、足を止めた。鼻をピクピクとさせながら、周囲をうかがっているのが分かる。井織のにおいに気づいたのだ。井織は、直感的にそう思った。とっさに、だが音を立てずに立ち上がると、ベンチの後ろに隠れた。「ちょっと、何やってるんですか」と筒本が言う。当たり前だ。井織が目立つ行動をすれば、自然、筒本にも注目が集まってしまう。だが、井織には、筒本よりもポロと接触しないことの方が、優先順位が高かった。ポロは、その小さい毛むくじゃらの体に詰まった嗅覚を総動員して、周囲を探っていた。ポロに見つかってしまえば――井織は思ったところで、首を傾げる。どうなるのだろう? ポロが、井織の名前を呼ぶわけではない。あくまでも、子犬が気に入った、通りすがりの人間を装えばいいのだ。飼い主は、わざわざその人間の名前を聞くこともしないだろう。たとえ聞かれたところで、偽名を答えれば済む話だ。井織は思い、ベンチの陰から立ち上がった。しかし、時既に遅し。ポロは、気になるにおいの持ち主を探すのを諦め、再び、飼い主のリードをぐいぐいと引っ張ることに、執心していた。井織は、ポロに分かるように挙げかけた手で、ベンチの背もたれを握った。
「勘弁してくださいよ。お互い、目立つ行動をできない身分だっていうことは、分かっているはずでしょう?」
「ああ。すまない」井織は言った。
「<テレサ>の紙マッチを置いていきます。ポロに、どうしても会いたくなったら、行けばいい」筒本は言った。
 井織は元の通りにベンチに戻り、だが、筒本を見ることはせずに、言った。
「ありがとう」
「<カザギワ>は、<ミカド>の中心で、その原動力になっていたペーパーメディア<Z city>の作成者、永倉帝明を捕まえました。そいつから、<デイライト>の本拠地、メンバー等の情報も手に入れています。近々、<ツガ>と共同で潰しに行きます」
「ああ」
「死にますよ」
「そうだな。分かっている」
「なら、なぜ<デイライト>に留まるんですか。こだわるんですか。彼女と同じ場所に行きたいと思ってるんですか」
 彼女。もちろん、光子のことだ。どうなのだろう。井織は、自分の中を覗き込んでみるが、答えは見つからない。自分が生きたいのか、死にたいのかも分からない。正常な状態ではない。そう思う。最低限、把握していなければならないものも、分からないのだ。井織は首を振った。さあな。筒本に、言う。確かなのは、体が、あるいは頭のどこかが、<デイライト>を離れることに対して、異議を唱えているということだ。
「もう、いけ」井織は言った。「次会ったら、敵同士だ。忘れるなよ」
 分かってますよ。筒本は言った。まだ、何か言いたそうだったが、彼の心の中にあるものは、言葉になって外に出ることを拒んでいるようだった。筒本は諦め、ベンチを立った。彼が座っていた所には、彼が言った通り、<テレサ>というバーの紙マッチが置いてあった。それを手に取った井織の肩を、叩く者がいた。正確には、叩き、爪を立てる者が。コートの外からでも分かるほど肉厚で、握力が強い。井織は、その手を持ち主を知っていた。
「なぜ、帰すんだ? 私は残念でならないよ。井織」
 井織の肩を叩いた、肉厚な手のひらの持ち主は、井織の隣に来て、ベンチに座った。
 いい天気ですね。井織は、言ってみる。声に、動揺は滲んでいない。そう、自分で確認しながら。現われた男は、身長百九十センチ超、体重は百三十キロ超の巨体の持ち主で、三人は腰掛けられるはずのベンチを、井織とふたりで占領してしまった。ひとりで、ほとんどふたり分のスペースを使って。
「天気はいい」男は空を見上げる。男の名前は、新巻(あらまき)。<デイライト>を組織し、動かしている男だ。「だが、私の気分はあまり優れない。どうしてだか、分かるか?」
 今、隣にいる男は、明らかに殺気を放っていた。だが、井織はコートのポケットにある銃を握りはしない。彼がいるということは、少なくとも片手で数えられるくらいの数の<デイライト>の人間が、側にいるはずだから。彼らは例外なく、一丁以上の銃で武装している。たかがオートマティックの銃一丁で、その彼らを相手に、大立ち回りを演じるつもりは、井織にはなかった。
「さあ、どうしてですか?」
 井織はただ、小首を傾げることしかできなかった。

つづく




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posted by 城 一 at 06:40| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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