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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年04月10日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第165回


なら、いい。


 鈴乃は右の太腿の銃創を、包帯で縛った。シドニーに撃たれた傷だ。

 洗面所だった。可能な限り、体の状態を万全に近づけておきたかった。リタ・オルパートがいるのだ。今はいなくても、いずれ近いうちに、アイザック・ライクンが、このログハウスに姿を現すのは明らかだった。かすり傷で鈍った動きが、致命傷を招くかもしれない。アイザックは、そういう相手だ。

 ブラジャーの紐をずらし、もうひとつの傷にガーゼを当てた。肩口のものだ。肩の上と脇の下を、何度も包帯に往来させる。体を捻った上に、片手で作業を行わなければならず、はかどらなかった。

「面倒な所に傷を作ってくれたものね、あの奥さまは」

 呟いた。誰かが手伝ってくれれば楽なのだが、そうもいかなかった。ログハウス内にいる味方は、男しかいない。桃色のブラジャーとパンティしか身に付けていない、半裸状態の自分を、見せたくはなかった。半端に布をまとっている上に無防備な状態は、もしかすると、知らない男の体の上で腰を振ることよりも、羞恥心を煽られる。

 洗面所に向かうとき、シドと目が合ったが、何も言われなかった。それが彼の配慮なのか、拒絶の表れなのかは、分からなかった。

 C・C・リヴァたちが、なぜこのログハウスに現われたのかについては、既に話を聞いていた。

 ログハウスは、アイザック・ライクンの所有物だった。

 ミリンダ・ヒューリーによる誘拐事件の影響で、社会適応能力を失ったアイザック・ライクンは、行き場をなくしていた。両親が雇った家庭教師とも、学校の教師や生徒たちとも、良好な関係を築くことができず、ただ部屋に引きこもり、とり憑かれたように、鉛筆画を描き続けていた。

 鉛筆画を描いているときだけは、アイザックはどうにか、無気力状態から抜けることができたのだ。鉛筆を握り、真っ白な紙に向かっているときだけは。ひとたび鉛筆を離せば、アイザックはまた、無気力状態へと戻った。ミリンダ・ヒューリーの面影を重ねることのできる、赤みがかった長髪の女が側にいるときと比べれば、ほとんど無気力状態の中にいるのと、同じようなものだった。

 そのアイザックを救ったのが、譲原幸三(ゆずはら こうぞう)という、七十を過ぎた老人だった。アイザックが幼くして身に付けた、大人顔負けの鉛筆画の技術と、その幼さゆえに無限に広がる可能性に、魅了されたのだ。

 譲原はかつて、プロの鉛筆画家として、活躍していた男だった。譲原はライクン夫妻と交渉し、アイザックに、プロとしてやっていくのに必要な鉛筆画の技術と知識、そして学校で学ぶべき教育を施すことを条件に、アイザックを引き取った。

 結果は、成功だった。譲原は鉛筆画を通して、アイザックとの信頼関係を構築し、まるで自分の息子のように愛した。

 アイザックの描いた鉛筆画に、初めて買い手がついた日、譲原は死んだ。老衰だった。彼は遺言で、自宅兼アトリエとして使っていた一軒家を、アイザックに譲った。それが、このログハウスだった。

 地道に聞き込みを続けた結果、手に入れたその情報に従い、リヴァたちは、この山奥の家にやって来たのだった。

 洗面所のドアをノックする者がいた。

「大丈夫なのか?」

 シドだった。

 返事をせず、元通りに衣服を身に付けた。マカロフの収まった、ガンベルトを腰に巻く。

 鏡を見た。

 笑顔が下手で、ベッドの中の男と、銃の扱い方しか知らない、<カザギワ>の女殺し屋が、そこにいた。口角を上げようとすると、口端が強張った。思わず、短く声を立てて、自分を嘲笑する。そういう笑い方なら、できる。

 ドアを開けて、洗面所を出た。すぐ横に、シドがいた。腕を組み、壁にもたれていた。

「無理して、気を遣わなくてもいいのに」シドに言った。

 シドは煙草をくわえ、伏し目がちに、向かい側の壁に視線を這わせていた。こちらを見ようとはしなかった。

「大丈夫なのか、と言った」

「大丈夫よ」

「なら、いい」

 シドは壁を離れ、リビングへと足を向けた。

 シドの歩幅は大きく、簡単に置いていかれた。追いつこうとする自分の姿が滑稽に思えて、足を止めた。シドは振り向かなかった。

つづく




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posted by 城 一 at 07:31| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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