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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年06月06日

短編小説 R&B


 違うとは分かっていながらも、強烈な風は俺たちのことを咎めるために吹いているという考えを、頭から追い出すことができなかった。腹這いになっている俺たちの上で、雲に埋まり、穏やかじゃない白色に染まった空。いつ降り出してもおかしくない雨を押し止めているのは、お前たちのためなのだとでも言うように、恩着せがましく輝いている。

 携帯電話に、クラスメイトの大倉ミチヨからEメールが届いた。頼んでもいないのに彼女は、俺のために購買でメロンパンを買い、それを口実に、昼休みを俺と一緒に過ごそうとしているようだった。彼女が俺に、他の男子以上の好意を寄せていることは知っていた。その好意の分だけ、仕草や言動に上乗せされた温もりが、ふとした瞬間に、彼女の気持ちを俺に知らせたのだ。悪い気はしなかった。だからと言って、彼女の想いを汲み、自分から動こうというところまではいかなかったが、他の女子以上に彼女への好意も、俺の中にはあった。彼女を傷つけることは、できる限り避けたいとも思っていた。だが、今の俺には、彼女を気遣う余裕がなかった。俺は携帯電話を閉じた。

「誰から?」

 ブルースが言った。彼は、四分の一、中国人の血が入ってはいるものの、本当の名前は、誰が聞いても違和感がなく、縦書きの方が似合うものだ。ブルースは、事を始める前に二人で決めた暗号名(コード・ネーム)だった。俺は、リズム。深い意味はない。その名前が、俺たちが日常からかけ離れたところにいることを、教えてくれさえすればいい。それに、意味など微塵も込めなくとも、既にこの名前は、重たすぎるものになっている。俺は肩をすくめ、Eメールの送り主と、その内容をブルースに教えた。

「ミチヨ、傷つくと思うなあ。彼女が君を好いてること、知ってるんだろ?」

「ああ」

「好意の分だけ、敏感になるものさ、人って」

「分かってる」

 ブルースは、その続きを待った。俺はそれ以上、言葉を継ぐつもりはなかったが、彼の期待に答えるために、頭を働かせた。その時間を稼ぐために、母が握ったおにぎりを頬張った。口いっぱいに。具は、焼いた鮭だった。魔法瓶から、冷たい麦茶を飲む。結局、言葉の続きを思いつくことはできなかった。俺は話の矛先をブルースに向けた。

「お前にだって、いるんだろ? そういうやつが」

 強風にはためく、長すぎる前髪の下で、ブルースは目を細めた。ミチヨの話題を避けたことを、察したのだろう。彼はコッペパンを一口だけかじり、口許を緩めた。

「不特定多数」ブルースは言った。「けど、今のところ、その五文字で一括りになる枠組みから抜け出す人はいないね」

「残念なことだな」

「その方がいいさ。よそ見や寄り道は絶対にしないとは言わないけど、女の子との色恋沙汰は、その度合いが強すぎる。今は、そんな余裕ないよ」

 ブルースの言葉は、耳にしてみると、先の彼の沈黙に対して、俺が返すべき答えだったことが分かった。俺は胸の中で、舌打ちをした。答えを知っていたくせに、わざわざ沈黙で俺の思考を毛羽立たせ、問いを投げかけた。たぶん、俺が答えに窮することも分かっていたのだろう。

「嫌なやつだな、お前」

「なぜ?」

 仕返しのために、俺はわざと黙った。ブルースは小首を傾げ、昼食の続きに取りかかった。

 昼休みの屋上には、誰もいなかった。強風と微細な砂粒が舞うこの場所は、昼食にも、男女の逢引にも不向きな上に、非常時以外、使用することを禁止されている。にも関わらず、俺たちがここにいるのは、目的があるからだし、それが前述の二つには当てはまらないからだ。

 先に昼食を終えたブルースは、あぐらをかいて、ノートパソコンを開いた。少し彼の指が踊っただけで、画面は俺の理解の範疇を超えたプログラムを呼び出し、酔ってしまいそうなほどの数と難解さの数式を並べた。俺はその数々の数式が弾き出す答えを理解はしていない。だが、答えが導く場所にたどり着くことはできた。逆にブルースは、計算はできても、たどり着くことができなかった。それが、俺たちがコンビを組んでいる理由でもある。

「いつも不思議に思ってるんだけどな、ブルース」俺は言った。「それだけの数式を操れるやつが、どうしてもっと、数学でいい成績を取れないんだ?」

「学校の数学は非実用的だから」ブルースは言った。「それに、“好きこそものの上手なれ”って言うけど、憤怒と命を賭けることは、対象を好くこと以上の効果を発揮するからさ。きっとね」

 携帯電話に、またミチヨからEメールが来た。自分がメロンパンを買ったことを、好意の押しつけだったとして反省し、謝罪の言葉を連ねていた。それが誤解であることを、俺は彼女に教えたかったが、どうしてもそういう気分になれなかった。ブルースが横目で俺のことを見た。言ってもいないのに彼はメールがミチヨからのものであることを察知し、頷いた。

「彼女には悪いけど、たぶん、それが正解さ」

「さっきと言ってることが違うな」

「さっきのは単純に、意地悪をしただけさ」

「ああ」俺は頷いた。「だから、嫌なやつと言ったんだ」

 俺は大型のドラムバッグを開けた。中には、大量の衣類に守られて、黒い強化プラスチック製のアタッシェケースが入っていた。ダイアル式の錠を外し、蓋を開ける。中から分解したスナイパーライフルのパーツを全て取り出し、地面に並べ、一つ残らずあることを確認してから、組み立て作業に取りかかる。既に何度も繰り返された作業だ。本番と、リハーサル、そして練習で。五分で作業を終え、ライフルの先端に減音器(サプレッサー)を取り付けた。三脚を調整し、その上に銃身を載せる。

「時間通りだ」

 そう言ったブルースは、ノートパソコンの操作を終え、双眼鏡を覗き込んでいた。彼の空いている、もう片方の手の中で、イチゴ・オレの入ったパックがへこんで華奢になり、中身がもう残っていないことを告げている。俺は頷き、スコープを使い、ブルースと同じ方を見た。

 真っ白なスーツに、ネクタイを締めず、ボタンを三つほど開けて、青いシャツを着た男が、それぞれの機器で望遠効果が施された俺たちの視界の向こう側で、笑っていた。開いた胸元には金鎖。左手には金のロレックス。指のほとんどが、金の指輪で飾られている。ジェルで前髪を全て後ろへと追いやった頭。相手に歯を見せてはいるが、その瞳に隙はない。信頼に値しないものを前にしたときの、獣のような目をしている。

「忠村治夫(ただむらはるお)」

 俺は、男の名前を呟いた。口にすることで、相手を仕留める確率が上がるような気がした。そうしてから心配になった怒りの感情の噴出は、なかった。もしそんなことになれば、狙撃の精度が著しく低くなってしまう。俺は安堵の溜め息を吐いた。代わりに、もう長いこと、胸の奥で静かに燃え続けている感情を確認する。その存在は、狙撃の精度を低くはしない。俺の意志と行動を、より強固なものにするだけだ。慢性的な怒りというのは、そういうものだ。

 忠村治夫は、射精産業がメインコンテンツとなっている、六階建てのビルの最上階にある一室にいた。その場所だけは他とは違い、いかがわしい雰囲気はなく、磨かれた床の上に、大きな机と応接セットが並んでいる。ただし、ビルが長い年月を過ごすうちにまとった、無数の傷や古さ同様、安っぽさだけは抜けていない。忠村治夫は、ビルと同じく安っぽい服装に身を包んだ男と向かい合っており、何度目かの笑みとともに、間に挟んだ木のテーブルの上で、アルミ製のアタッシェケースを交換した。忠村治夫が受け取った方には、札束。相手の男の方には、ちょうどレンガと同じ形状をした、白いブロックが敷き詰められていた。

「あれは?」

「麻薬(ドラッグ)さ」ブルースは、双眼鏡を覗いたまま、言った。「粉を圧縮して、ブロック状にしたんだ」

「それじゃあ、家は建てられないな」

「家が建つ金額にはなる」

 ブルースが、このお膳立てをした。情報を集め、狙撃に適した場所を探し、天気図とにらめっこをして、天候を計算した。晴天時の強烈な光も、雨天時の弱々しい光も、狙撃には最適とは言えなかった。今日のような、白い空の下が一番いい。少なくとも、俺には。俺は引き金に、そっと人差し指を置いた。いずれ、そう遠くないうちに、俺はその人差し指に力を込める。だがそれは、正義なんて言う、口にした途端に酸化し、まやかしに変わる、移ろいやすい感情、あるいは思想からではない。もっと単純(シンプル)で、確かなものから。俺たちはそのために、ここにいる。

 俺の注意は、指輪でうるさいくらいに飾り立てられた、忠村治夫の指に向いていた。

「やつは、ホリーに向かって引き金を引いたと思うか?」

「間接的には、確実に」

「直接的に」

「それを確かめるには、狙撃って言う手段は不向きだよ」

「分かってる」俺は言った。「訊いただけだ」

 ホリーは死んだ。体中に銃弾を撃ち込まれて。イメージチェンジのためにショートカットにした彼女の髪はもう、俺の好みの長さまで伸びることはない。涙を流すように、その体に汗が滲むことも、愛を囁くだけで、俺の体を芯まで震えさせることはない。たまには料理をしないと腕が鈍ると言ってエプロンもせずに台所に立ち、ブルースを怯えさせることはない。もういない両親の代わりに叱責し、ブルースに愛情を教えることもない。俺たちに等しく、笑顔をくれることはない。

「何度も言うようだけど」ブルースが言った。「僕たちのしていることは、正義なんかじゃない。姉貴はいつか、そしていつでも、殺されておかしくない場所にいた」

「分かってる」

 ホリーは、俺の恋人であり、ブルースの姉だった。そして、街一帯を牛耳る暴力団、馳英会に飼われた殺し屋だった。カラスと言う暗号名(コード・ネーム)を使い、黒いコートに身を包み、敵対する組織の人間を何人も殺した。今、俺の手の中にある、オートマティックのスナイパーライフルで。ホリーの死は、殺し屋という因果な商売に身を浸していることを、他ならぬ彼女自身から告白されたときから、覚悟していたものだった。だが、味方であるはずの仲間から殺される理由はない。ブルースがかき集めた情報はそのことを示していて、俺はそれを信じた。半年。俺とブルースが、悲しみにからめ取られ、身動きができなかった時間だ。そして、悲哀と無気力感が発酵し、慢性的な怒りに変異するのに要した時間でもある。

 俺は舌で舐めて唇に水分を与え、もう一度言った。

「分かってるさ、ブルース」

 ホリーが最後に殺すはずだった相手と、忠村治夫に繋がりがあったことを、ブルースは調べ出していた。忠村治夫は、馳英会と敵対する組織と、繋がっていたのだ。金の流れもあった。この情報を馳英会の人間に流し、忠村治夫が裏切った連中に、やつを裁かせるという手もあった。だが、俺たちはその方法を選ばなかった。間接的な手段で怒りを鎮められるほど、大人ではなかった。

「そろそろ決めないと、まずいよ」ブルースが言った。

「ああ」

 返事をしたものの、引き金に添えた指が重たくて仕方がなかった。いや。思い返せば、指が軽かったことなど、一度もなかった。忠村治夫に与していた人間を、これまでに何人も葬ってきたが、指と、それが引くべきライフルの引き金は、この世に生を受けた者に、等しくある命の分だけ、重たかった。当然のことだ。ただ、俺の中にある慢性的な怒りが、その重さをわずかに上回っているだけに過ぎない。俺は目を閉じ、忠村治夫が、麻薬を売りつけた相手に見せている笑みを浮かべながら、ホリーに向かって銃を撃っている光景を想像した。短く息を吐き、目を開けた。引き金を引いた。オートマティックのスナイパーライフルは、俺が引き金を引いている間、一切の文句も言わずに、忠村治夫の体に向かって、銃弾を送り続けた。最初に当たったのは、忠村治夫の肩だった。次は、喉。撃たれた衝撃で忠村治夫の体は回転し、銃口の先に、その胴体をさらけ出した。腹、胸。銃弾を撃ち込んだという実感は、命に対して、あまりにも軽すぎるライフルの引き金と、忠村治夫の体から小さく噴き出す、血の赤色からしか、感じることができなかった。スコープの向こう側が、実はフィクションの世界だと知らされても、俺は驚かなかっただろう。忠村治夫の顔面に二発、弾が当たったことを確認したところで、俺は撃つのをやめた。

 即座に俺たちは後退し、可能な限り身を低くして、ブルースはノートパソコンと双眼鏡を、俺はスナイパーライフルを片付けた。忠村治夫が死んだ方からは、死角になる側から屋上を後にし、学校の中に戻った。閉じたノートパソコンを小脇に抱えたブルースは、ストローを口にくわえて音を立て、まだパックの中で、イチゴ・オレを探していた。

 昼休みは、まだ三分の一ほど残っていた。校内にいる者のほとんどは、最初の三分の二で昼食を終えており、その分、騒がしかった。持参した、あるいは購買で買った昼飯だけでは、口を動かし足りないとでも言うかのように。俺たちは足並みを揃えて教室へ戻り、荷物を置いた。スナイパーライフルがドラムバッグの中に入っているが、錠がかけてあるし、アタッシェケースはそう簡単には破壊できない。俺たちはトイレへ行き、手と顔を洗った。水をしこたま飲み、鏡を見つめた。

「これで終わりだ」ブルースが言った。「姉貴の死に関わった連中は、みんな、いなくなった」

「ああ」

「僕たち、元の場所に戻れると思う?」

「少なくとも、そのために最大限の努力をする」

 ブルースは頷いた。

「うん、そうだね」

 俺たちは教室に戻った。自分の机で、五分ほど静かにしていた。スコープと引き金越しとは言え、人を殺したという感覚が、血とともに全身を巡って、蝕んでいた。わずかばかりの余裕を取り戻して教室の中を見回すと、こちらを見ないようにしながらも、注意を一心に俺に向けている、大倉ミチヨがいた。彼女はいつも一緒にいる女子連中とくっつけた机で、談笑に興じていた。もしくは、そのふりを。俺は机を立ち、彼女の所に行った。メールを返さなかったことを謝り、返せなかった事情をその場で捏造し、彼女に聞かせた。彼女はそれを信じた。俺がメールを返さなかったことが、彼女を煙たがっていたからではないと知ったミチヨの表情からは、硬さが消えた。俺は、精一杯の笑顔を作り、彼女に言った。

「メロンパン、まだあるかな?」

 彼女は、首が壊れるのではないかと思うほど大きく頷き、うんと言った。その声が大きすぎて教室中に響き渡り、クラスメイトの視線とくすくす笑いを集めた。ミチヨは顔を真っ赤にし、束の間うつむいてから、両手のひらを合わせた上にメロンパンを載せて、俺にくれた。

 俺は笑った。



posted by 城 一 at 08:51| 短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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