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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2006年12月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] はじめに

 この小説「焔integral(ホムラ・インテグラル)」は、前シリーズ「焔−HOMURA−」の続編になります。言わば、第二部です。
 しかし、この「焔integral」だけを読んでも物語が成立するように心がけて、書いていくつもりです。この「焔integral」があり、その物語をさらに深めるものとして、「焔−HOMURA−」がある。そういう位置づけに、この二つの作品を置けるように頑張って書いていきたいと思っています。続編ではあっても、きちんと確立した物語として読めるように。第一部と第二部が、互いに寄りかからず、いい意味で独立したものであるように。
 拙文の上に、更新ペースは以前に比べると遅くなるかもしれませんが、温かい目で見守っていただけるとありがたいです。

城 一 




ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回を読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 23:16| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回(ver 2.0)


黒色の 愛憎胸に 刻まれて

闇に落ちゆく 彼の名は焔




焔-HOMURA-[integral]   城 一




 闇を穿つ。繰り出す拳が捉えるのは、虚空。風際慶慎は拳を開き、指先を合わせた。手刀。閃かせて、空を切り裂く。音は、ない。ただ、慶慎の体が躍動するのに合わせて、汗が散る。
 舞踏。訓練と言うよりも、そちらに近かった。頭の中に描く敵との、限りなく戦いに近い、踊り。飛び上がり、下半身を回した。飛び蹴り。右足で蹴った後、それを追うように左の踵を繰り出した。着地。裸の足は、無音で床を捉えてみせた。
 目を閉じる。集中力が、増してきている。視覚、聴覚。外界の情報が徐々に締め出され、世界はただの黒色に彩られ始める。心臓が脈を打つ音が、やけに大きく聞こえてきた。心地好いリズムだ。慶慎は、踊り続けた。
 体から、思考が離れる。抵抗はしない。慶慎は、水中に放した魚のように、思考が泳いでいくのに任せた。
 たどり着く場所は、いつも同じ。家族。その二文字。皆が、当たり前に手に入れているもの。自分には、与えられなかったもの。
 慶慎の記憶が始まるのは、小さなサーカスのテントの中からだ。小さな診療所の前に捨てられていたところを、そのサーカスの団長夫妻に拾われたのだ。ジュリー・マッケランとリン・マッケラン。若い夫婦だった。
 マッケラン夫妻には、子供がいなかった。不妊症。夫のジュリーが原因だった。彼の精液の中には、種を残すためのDNAが、ほとんど含まれていなかったのだ。だから最初、二人は、慶慎との出会いを喜んだ。神が自分たちに与えた、奇跡だと。しかし、神が存在するとして、彼がマッケラン夫妻に対して、意思を持って行動したとするならば、ジュリーを不妊症にしたことが、そうだった。彼らは、子供の心を持ったまま成長した、夫婦だった。子供を産めば、必ず不幸にする類の二人だった。
 神が与えた奇跡に対する喜びが続いたのは、数年だった。慶慎に物心がついて、記憶がおぼろげながら始まるのと、ジュリーの暴力が始まるのは、ほぼ時を同じくしている。もちろん、慶慎にはその二つにどんな因果関係があるのかは、分からないが。
 慶慎に、抵抗する術はなかった。彼を守るべき者が、暴力を振るっているのだ。リンは、夫に従順な妻だった。男に反抗する術をしらなかった。知っているのは、ただ男に寄り添い、セックスをすることだけ。リンは、慶慎に耐えることを強いた。自分が無力なことを、慶慎に謝った。意味のないことだった。それで、ジュリーの暴力が弱まるわけではない。罵倒の言葉を、跳ね返せるようになるわけではない。
 サーカスの団員たちも、慶慎を守ることはできなかった。相手は、団長だ。逆らえば、自分たちの居場所がなくなるかもしれないのだ。
 ナイフの扱いだけは、うまかった。サーカスのプログラムの中に、投げナイフというものがあった。慶慎はそれで、サーカスの中に自分の居場所を作ろうとした。が、ある時、失敗した。サーカスの中でも、最も端麗な容姿を持つとされていた女の耳を切り裂いてしまった。
 女は、サーカスをやめた。慶慎は、団員を味方につけるどころか、敵に回してしまった。後で分かったことだが、慶慎がナイフの扱いを誤ったのは、細工のためだった。リンが仕掛けた細工。慶慎が耳を切り裂いてしまった女は、ジュリーと寝ていた。それに気づいたリンが、復讐したのだ。慶慎はただ、その復讐に巻き込まれただけだった。くだらない。今、慶慎は思う。
 それまで、微かにあった居場所は、なくなった。ジュリーの虐待、団員からのいじめ。悲劇のヒロインを演じることに酔った、リン。
 ある時、ジュリーが言った。お前は、俺たちの子供ではないのだ、と。慶慎はとてもショックだったが、それと同時に、頭の中にあった大きな疑問が払拭されたように感じた。
 心のどこかで、頭の片隅で、慶慎はまだ信じていたのだ。本当の家族ならば、自分にこんなひどいことはしないはずだと。だから、血のつながりがないことを知らされた時、納得した。それならば、自分に暴力を振るうのも、無理はないのかもしれない。
 慶慎の中に、わずかな希望ができた。この世のどこかにいるはずの、本当の家族が、いつか自分を助けに来てくれるに違いないと。
 その希望が、現れた。風際文永。慶慎と血のつながりのある、実の父親だった。文永は金を積んで、マッケラン夫妻から慶慎を買い取った。
 実の父親。本当の家族。その響きが、慶慎にどれほどの希望を、夢を与えたか分からない。だが、慶慎が思い描いていた生活は、そう長くは続かなかった。マッケラン夫妻の下にいた時と同じく、数年。それで、また慶慎の生活は、サーカスにいた時と大差ないものになってしまった。
 慶慎には、何も分からなくなった。自分を拾った男女も、実の父親も、同じく暴力を振るうのだ。どうやってそれから、身を守ればいいのか。何に希望を見出せばいいのか。
 希望。それがなければ、慶慎は生きることができなかっただろう。文永の下で生活する慶慎に、希望を与えたのは、越智彰治という殺し屋だった。
 自立するために、殺し屋になる力を持て。越智彰治に、そう言われた。正直言って最初、慶慎にはその意味が分からなかった。だが、越智彰治の言う通りにしようと思った。たとえ殺し屋になるための訓練でも、越智彰治といる時は、心が通っている気がした。訓練のために自分を殴ったり蹴ったりすることはあっても、それは必要があってのことだった。ジュリーや文永のそれとは、違う。慶慎は分かっていた。
 慶慎は、越智彰治のことを父親と呼びたかった。だが、越智彰治は、そうはさせなかった。あくまでも、他人。その関係を続けた。
 汗が床に点を打った。鋭く突き出した拳。慶慎の体は、いつの間にか、動くのをやめていた。慶慎は、闇の中で目を開いた。
 父親と呼んだ者は、愛情を与えてくれなかった。愛情を与えてくれた者は、父親と呼ばせてくれなかった。それが、慶慎の人生だった。
 目の前に、姿見があった。カーテンの向こうから差し込んで来る、淡い月明かりで、そこに映る自分を見た。裸の上半身。粒になった汗で、光が散りばめられたかのように見えた。息が、弾んでいた。呼吸に応じて上下する胸。そこには、忌まわしいタトゥーが彫られている。入れ墨の彫り師である文永が、彫ったものだった。ベッドに縛りつけ、無理やりに。
 慶慎は、銃を手に取った。CZ75。殺し屋となり、焔という名前を与えられてから間もなく、銃器の職人からもらったものだ。グリップには、暗赤色と黒色が鈍く渦を巻いた、木がはめ込まれていた。
「スカーレット」
 慶慎は呟いた。職人が慶慎に教えた、銃の名前だった。
「悪い女だ。数えきれないくらいの人間の血を吸ってる。お前の筆下ろし≠焉Aうまくやってくれるだろうさ」職人はそう言っていた。
 慶慎には筆下ろし≠フ意味が分からなかったが、銃が数多の命を食らっているのは、感覚で分かった。グリップに使われている木の色が、まるで命や憎悪を表しているように見えるのも、慶慎の気のせいではないだろう。そして、そのグリップは、とても慶慎の手に馴染んだ。
 鏡越しに、慶慎は自分の左胸に狙いをつけた。
 殺し屋。人の命を奪って、生計を立てる稼業。憎むべきものだった。世界を破滅に導く稼業だ。
 銃口の向きを変え、今度はこめかみに直接突きつける。慶慎は、頭の中で引き金を引いた。バン。本物の銃がなかった頃から、よくやっていた遊びだ。そうやって、想像の中で、自分の死体をこしらえてみる。引き金を引いたのは、これで何度目だろうか。自分の死体は、いくつできたのだろうか。
 殺し屋。くそったれのやる稼業だ。悲哀や憎悪を生みこそすれ、幸せには結びつかない。しかし、だから?
 殺し屋になったから、自分は生きている。それが、事実だ。



つづく



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posted by 城 一 at 23:53| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月24日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第2回(ver 2.0)

 小気味よい金属音と共に、白球が空に吸い込まれていく。球を追うようにして歓声が上がった。バッターボックスに立っていた男が、ガッツポーズをしながら、悠々とダイヤモンドを走っていく。文句のつけようのない、ホームランだった。ホームベースを踏んだ男は、チームメイトから手荒な歓迎を受けた。草野球の試合。最終回の裏だった。男の放った打球は、チームの勝利を決定づける逆転打だったのだ。チームメイトは、男の背中や腹を殴ったり、頭をヘルメットの上から叩いたりしていた。もちろん、男のホームランを称えるもので、男も喜んでそれを受けていた。
 慶慎は、離れた所から、その様子を見ていた。カナジョウ市立の小学校の、グラウンド。土や芝生ではなく、砂でできたものだ。晴天の空の下で、乾いたグラウンドは、風に吹かれれば遠慮なく砂埃を立て、そこにいる者たちの視界を奪った。が、草野球に興じる者たちのやる気に水を差すものでは、全くなかった。
 また強い風が吹いた。舞い上がる砂埃に、慶慎は目を細めた。慶慎は、野球を知らない。いや、正確には知ってはいるが、やったことはない。男たちが、どうしてそこまで熱中できるのか、不思議でならなかった。
 慶慎は、グラウンドの端にあるベンチに座っていた。ペンキが塗られたのは恐らく、もう前世紀のことで、所々、ペンキのエメラルドグリーンが剥げ、木がそのままの色で姿を現していた。落書きもあったが、風化していて読めなかった。
 グローブの中で、球を弄ぶ。男たちの試合を見るのは、これで三回目だった。彼らが試合を行うのは、週に一度。日曜日。観察するようにして野球を見始めてから、二週間以上が経過している計算だ。いい加減、試合の間の時間を潰す方法を考える必要があるのでないか、と慶慎は思っていた。野球が好きで、この草野球の試合を見ているのではなかった。
 仕事だった。他でもない、殺し屋の仕事。高田清一から、直接依頼を受けた。標的は、今ホームランを打った男。松戸孝信。
 松戸孝信は、ツガ組の構成員だ。慶慎が所属する、カナジョウ市でも名の知れた殺し屋集団、カザギワと親交のある暴力団、ツガ組の。本来ならば、発生するはずのない依頼だった。しかし、松戸は組織を裏切っていた。
 松戸は、街にある店のいくつかを管理していた。松戸の管理する店は、大概が、調べなければ、それと分からないような、表の世界に属する、まっとうな店だった。そこからみかじめ料を回収するなどしていた。松戸の仕事はもちろん、それだけではなかった。管理する店を入口として、売春を斡旋していた。客は、普通の店に用を足しに来た振りをして、その裏で女を買う。性欲と金。その流れを管理するのが、松戸のもう一つの仕事だった。
 しかし、少し前から、その流れに不純物(元から不純な流れではあるのだが)が混じり始めた。様々な裏のルートから入って来た、銃器。ツガ組でも、銃の密売は扱っていたが、松戸の管理する流れに乗って入って来た銃器は、ツガ組の命令によるものではなかった。しかも、それらは、ほとんどがツガ組と敵対する組織へと流れて行った。情報、証拠。高田清一の話では、全て揃っているとのことだった。言い逃れのできない、裏切りだった。最初、このことはツガ組の方で始末をつける。そう、幹部は言ったらしい。しかし、もちろん身内の始末など、気持ちのいいことではない。察した高田が、申し出て、半ば強引にこちらで始末をつけることにしたのだ。そうやって、恩を売ることで、合併において、少しでもこちらの立場を有利にしておく。高田は、裏でそう計算しているらしかった。慶慎に、そのことを話しはしたが、もちろん口止めされていた。
 松戸孝信。その暗殺が、慶慎の初仕事だった。他の者が担当している仕事に比べれば、難易度は低いものだった。慶慎は、高田の心遣いに感謝した。
 もう一つ、やらなければならないことがあった。
 松戸を褒め称えるチームメイトに混じって、女がいた。光を受けると、赤く輝く長髪。高い鼻、白い肌。身長は百五十センチ弱。彼女は、松戸の腕に自分の腕を絡ませ、自分の豊かな胸を押しつけていた。リタ・オルパート。彼女の身を拘束することも、慶慎の仕事の一つだった。
 リタは、松戸がツガ組を裏切るきっかけを作った女だった。出会いに関する、詳しい経緯は分からない。必要なかった。リタ・オルパートは、ミカドと通じている女だった。それだけで十分だった。
 ミカド。カザギワとツガ組が縄張りとするカナジョウ市と隣接する都市、ヤマツ市を縄張りとする組織だ。暴力団としての色が強かったが、外国人マフィアも、中にはいた。小さな組織のはずだった。カザギワやツガ組が本気になれば、赤子の手を捻るかのごとく、潰せるほどの。しかし、情勢は違ってきていた。ミカドが、カザギワとツガ組の者たちに、仕掛けた。それも、ほぼ対等に戦ってみせた。取るに足らないほどの小さな組織。その評価を、変えなければならない事態だった。
 カザギワで情報を管理する立場にいる高田清一が、今一度、ミカドを洗いなおした。結果、小さな組織ではないことは、分かった。しかし、どれくらいの規模に発展しているのかが、分からなかった。不明な部分が多過ぎるのだ。今は、ミカドに関する情報は、どんなに些細なものでも欲しかった。それがなければ、リタ・オルパートは松戸孝信もろとも、殺す。そういう命令が下っていただろう。
 松戸孝信とそのチームメイトたちが、勝利を祝って、クーラーボックスから出した缶ビールを飲んでいた。慶慎は、グローブで球を弄び続けながら、考えていた。松戸孝信とリタに近づく方法を。
 殺すだけならば、いくらでもできる。しかし、それでは駄目だ。今回の殺しを終えれば、一生、自分の人生は安泰というわけではない。こういう仕事を、何度も積み重ねていかねばならないのだ。ならば、殺しから自分に繋がる情報は、できるだけ少なくしなくてはならない。そうでなければ、殺し屋として、長生きできない。慶慎は、松戸を殺し、リタを拘束するための隙を伺っていた。
 そのために、このグローブと球を手に入れた。そして、野球のユニフォームを。慶慎は、胸に<カナジョウ・リトル・ウルヴズ>と書かれた、少年野球チームのユニフォームを着ていた。近くで見つけた野球少年を脅して、取り上げたものだった。サイズは合っていなかったが、野球で生計を立てていくわけではない。
 練習が終わった後も、野球がやりたくてしょうがない少年。できれば、大人たちがやっている草野球の試合に仲間に入れてもらいたい。そう思っている少年を、慶慎は演じているつもりだった。もちろん、松戸とリタの気に止まれば、どう解釈されても構わないのだが。
 これで駄目ならば、また何か別の方法を考えるしかない。いや、時間はない。もはや、リスクを度外視して、突っ込んでいくしかないのかもしれない。慶慎が、そう考え始めたときだった。
 チャンスが、来た。
 松戸とリタが、互いの体を絡めながら、慶慎の方へやって来るのが見えた。



つづく




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posted by 城 一 at 00:03| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第3回

 慶慎は、息を呑んだ。呑みながらも、緊張を相手に伝えないようにした。試合を見ていたとき同様、グローブの中で球を弄んでいた。視線をどこに置いていいか分からなかった。そのうちに、靴音がすぐ近くまでやって来た。慶慎は、見た。松戸とリタの二人を。二人も、慶慎のことを見ていた。
「野球、好きなのか?」
 松戸が言った。松戸にも、リタにも、余裕があった。大人の余裕。それが、微笑に滲み出ていた。何も知らないから、そんな微笑を浮かべていられるのだ。慶慎は、内心思った。慶慎は、松戸の言葉に頷いた。言葉は出なかった。出せなかった。松戸は、慶慎の着ているユニフォームの胸を見て、言った。
「カナジョウ・リトル・ウルヴズ。強いチームだ。監督がいい」
 もちろん、慶慎はそんなことを知る由もなかった。松戸に話を合わせた。
「そのお陰で、僕は出番がないんだ」
「振ってみろよ」
 松戸の言っている意味が分からず、慶慎は聞き返した。松戸は、ベンチの傍らにボストンバッグと共に置いてある、バットを指差した。ユニフォーム同様、知らない少年から取り上げたものだった。
「もしかすると、監督はお前の才能を見落としているのかもしれない」
 そんなわけはない。言いかけて、慶慎はやめた。頷くと、バットを取った。三度、野球の試合を見た。最初から最後まで。たかが、バットを振るだけだ。誰にでも出来る。慶慎はそう思った。慶慎は、バットを振った。松戸が顔をしかめた。
「握りが逆だ」そう言って、軽く笑った。「リラックスしろ。自然に、重力と筋肉に任せて、バットを持て。いや、まだ構えるな。まず、下ろせ」
 握りを変え、言われた通りにした。バットを下ろし、脱力した。深呼吸する。構えろ。松戸が言った。脱力したまま、構えた。振れと言われた。振った。
「まだ力を入れるな。バットを投げちまわなければ、それでいい。振り続けろ」
 その通りにした。バットに遠心力が生じる。力を抜いていると、それを如実に感じた。バットを振り続けた。徐々に、力の流れというものが分かってきた。
「まだだぞ。まだ力を入れるなよ。次は、ボールをイメージしろ。ピッチャーが投げた。ボールが来た。それをイメージしろ」
 白球。最初は、イメージした球が、バットに当たっていなかった。しかし、イメージしながらバットを振っているうちに、想像上の球に、バットが当たるようになってきた。
「バットを止めるなよ。振り続けろ。目を閉じろ。イメージするのが楽になる。さあ、そこで問題だ。スウィングのどこで力を入れる? 思ったところで、力を入れて振ってみろ」
 松戸の指導が始まる前は、なんとなく力を入れていた。今は、明確に分かった。その通りにした。想像上の白球が、快音を立てて飛んでいった。ストップ。松戸が言った。
「テクニックはまだまだだが、イマジネーションがある。今の感じを忘れずに練習してれば、すぐに監督に選ばれるよ」
 リタが、悪戯っぽい笑みで、松戸のことを見ていた。
「あなたが、まともに人に教えてるところを、初めて見たわ」
「お前、俺のこと馬鹿にしてるな」
「あの」慶慎は言った。体とは違い、唇の方はまだ微かに緊張していたが、言葉は出て来た。「教えてくれてありがとう。僕、慶慎」
 手を差し出した。松戸は快く、それを握った。リタとも、同じように握手した。松戸が言った。
「俺は松戸」言ってから、リタを顎で示す。「こいつは、リタ」
「よろしく」
リタが微笑んだ。松戸が裏切るのも、無理はないのかもしれない。慶慎は思った。魅力的な笑顔だった。
「僕、あんたみたいになりたいんだ」
 リタが、大きく目を見開いてから、松戸を見た。
「やったじゃない、タカ。初めてでしょ、こんなこと言われるの」
「ヘイ。いい加減にしとかないと、後で知らないぜ。言っとくが、決して初めてなんかじゃねえ」松戸はそこで間を取った。「二回目だ」
 慶慎も、思わず笑ってしまった。リタは口を押さえながら、笑っていた。遠くで、チームメイトが松戸のことを呼んでいた。今行く。松戸は応じた。ちくしょう、慶慎は思った。このままでは、また隙を見つけることができずに、お別れの時間だ。
「僕の知ってる中じゃ、あんたは一番のスラッガーだよ」
 慶慎は言った。嘘ではなかった。慶慎の知ってる野球選手は、今のところ、目の前にいる草野球のチーム二つしかないのだから。その中で、松戸が最も強打者なのは間違いなかった。
「よせよ」
 松戸は言った。まんざらでもなさそうだった。
「できればだけど」上目遣いで、松戸を見た。「僕に、バッティングを教えてくれませんか?」
「頭突きのこと?」リタがからかった。松戸は笑った。
「馬鹿女。ボクシングじゃねえ」
「駄目ですか」
「しょうがねえ。ついて来な、シャイ・ボーイ。俺のやり方、教えてやるよ」松戸は、チームメイトの方を親指で指し示した。
 松戸の指差した方では、チームメイトたちが談笑しながら、帰り始めていた。そこへ合流するべく歩き始めた松戸とリタの背中を追いかけながら、慶慎は言った。
「どこ行くの」
「ついて来りゃ分かる。まずはな、同じ空気を吸うところから始めるのさ。松戸流はな」
「驚いたわね。いつから流派ができたの」リタが言った。
「いつからだって? 決まってるだろ。ついさっきだ」
 松戸はそう言って、腹の奥から笑った。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 23:05| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月29日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第4回(ver 3.0)

 四階建ての雑居ビル。松戸に連れられて来たのは、そこの一階に入った、定食屋だった。<たつみ>。看板に、そう書いてあった。通りに面している部分はガラス張りになっていた。ガラスには、店の名前やメニューを書いた紙片などが所狭しと貼られていた。お陰で、外から店内を伺うことは難しかった。
 小ぢんまり。そう表現すれば聞こえはいいが、入って来た客は、どちらかと言うと狭苦しいと表現するような広さの店だった。古めかしい作りで、時代に追いつこうという気が、さらさら感じられないが、逆に、そのために懐かしい雰囲気のする店だった。畳敷きの小上がりと、カウンター席しかなかった。カウンター席に沿って設置された木製の椅子には、チェック柄の座布団が敷かれていた。
 松戸とそのチームメイトたちが入ったときは、店の中はほとんど満員だった。しかし、通路の邪魔になるのを意に介さず、図々しく居座った上に、野次を飛ばすがごとく空腹を訴え続けたお陰で、間もなく店の中は、彼らだけになった。店の主人は何も文句を言わなかった。松戸たちは、少なからず、ちんぴらのにおいのする者たちばかりだった。もしかすると、文句を言えなかったというのが、正しいかもしれない。
 なんにせよ、慶慎は松戸について来たことを後悔していた。
 元々、店内の空気は淀んでいたが、松戸たちによって、その空気がさらに淀んだ。彼らのほとんどが喫煙者で、ひっきりなしに煙草の煙を吐き出していたからだ。煙草の煙とそのにおいは、店の中のあらゆるものに、こびりついていた。煙草を吸わない上に、喘息の慶慎には、耐え難い環境だった。注文したものが来る前に、慶慎は、こめかみにずきずきと疼きを感じた。呼吸をする度に、喉の奥でひゅうという細い音がするようになった。喘息の発作の予兆だった。良くない傾向だった。
 しかし、慶慎は店を出はしなかった。既に、一つの仕事に時間をかけ過ぎていた。これ以上、高田を待たせるわけにはいかない。もしかすると、他にいい方法があるかもしれないが、それと同時にないかもしれない。後者だった場合、もう一度、この状況を作らなければならないことになる。それは難しいことだった。
 草野球の選手たちは、料理と共に、酒も注文した。ここに来た者のほとんどが、車を運転して来ていたが、おかまいなしだった。酒盛りが始まると、店の中の騒がしさが、一層激しさを増した。会話の中でする反応の一つ一つも大きくなり、時々、慶慎に体をぶつけてきた。慶慎は、体を縮こまらせて、耐えるしかなかった。松戸を殺し、リタの身柄を拘束するチャンスを。
 奢りだ。松戸にそう言われ、慶慎はラーメンを注文した。誰か、知らない男が、ぐいと慶慎の肩に腕を回し、引き寄せた。耳元に酒くさい息が吐きかけられた。その男が言った。
「誰だ、お前は? 見ねえ顔だ」
 慶慎の代わりに、松戸が答えた。
「知らないのか? 俺のファンだ」
「お前のファン?」男は大口を開けて、笑った。「そいつはいいや。そりゃ、早速祝わねえと」
 男はそう言って、慶慎の前にあったグラスの中身を一気に飲み干した。そして、入っていた水の代わりに、そこに日本酒を注いだ。男は加減を間違えて、グラスから酒を溢れさせてしまった。気にせず、男は言った。
「歓迎するぜ、タカのファン君。名前は? なんて言うんだ?」
「慶慎」
 慶慎は、小さい声で呟くように答えた。
「ケイシン? 小難しい名前だ。まあ、いいや。さ、飲めよ」
 慶慎は、目の前のグラスを見つめた。酒。飲んだことなど、ないに等しかった。同じような感じで、父親の文永に勧められたことがあったが、不味かった記憶がある。
 しかし、この酒を断れば、場の雰囲気を壊すことになる。それは、避けたかった。
「ほら。一気に。ぐいっと。な?」
 男は言った。慶慎は頷き、グラスの中身を一気に呷った。見ていた者たち数名が、少し高い声を出して、はやし立てた。松戸が笑った。
「いい飲みっぷりだ」
 リタも、その隣で微笑む。
「将来、きっといい男になるわね」
 慶慎の思考回路が、突如停止した。腹の奥が、酒で燃えていた。その熱は頭にも回り、そして全身に行き渡った。慶慎は顔に手のひらを当てた。誰かが、笑いながら、大丈夫か? と声をかけてきていた。誰が声をかけたのか、分からなかった。松戸かもしれないし、そうでないかもしれない。女の声でないことだけは、確かだった。いや。慶慎には、それすらも自信がなかった。
 咳が出た。視界がぼんやりとした。周りを取り囲む、野太い声たちが、急に楽しく感じられた。体のバランスが取りにくくて仕方なかった。慶慎は、目を閉じた。まばたきのつもりだったが、閉じた瞼は鉛の重さを持っていた。

 弾くようにして、慶慎は瞼を開けた。周囲を見回す。草野球を終えた男たちが、酒を飲みながら、とりとめのない話をするのには変わりなかったが、多少の変化があった。慶慎の目の前には、注文したラーメンが入っていたらしきどんぶりがあった。しかし、中身は空だった。咳が出た。誰も、心配する者はいなかった。慶慎は、隣にいた男に話しかけた。
「このラーメンは、誰が食べたの?」
 男はゆったりと笑いながら言った。
「おいおい、冗談はよせよ。食べたのはお前だよ、がきんちょ。いい食べっぷりだったぜ」
 慶慎は、覚えていなかった。中身が空のグラスを見た。とりあえず、アルコール度数の高い酒は、今後、できるだけ飲むのを控えるべきだろう。
 慶慎は、周りを見回した。もう一つ、変化があった。
 松戸とリタがいなかった。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

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posted by 城 一 at 18:22| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月30日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第5回

 慶慎は思わず、舌打ちをした。せっかく手に入れたチャンスが、台無しだ。
 慶慎は、隣にいた男に言った。
「松戸さんと、リタさんはどこに行ったんですか?」
 男は、もう一人の別の男と顔を見合わせて、下品な笑みを浮かべた。そして言った。
「トイレさ」
「二人共、ですか?」
「そうさ。なんか、おかしいこと言ってるか、俺?」
 慶慎は、男の言葉に首を振り、礼を言うと、店を出た。トイレは、<たつみ>の店内にはなかった。店を出てすぐの天井に、トイレの場所を示す札が下がっていた。それに従って、雑居ビルの一階の廊下を歩いて行った。そう遠くない場所に、男子用と女子用の便所があった。ここに、二人が、いる。
 考えるまでもなかった。リタの身柄は、拘束しなければならないのだ。後回しにすべきだった。慶慎は、男子用便所に入った。
 入口で、慶慎は足を止めた。女の甲高い嬌声が聞こえてきたからだ。一度便所を出て、確認した。間違えたわけではなかった。慶慎が足を踏み入れたのは、確かに男子便所だった。しかし、女の声がするのも確かだった。そして、その声の主はリタ・オルパートに他ならなかった。
 声は、トイレにある三つの個室のうち、一番奥から聞こえてきていた。そして、人の体がしきりに個室の壁にぶつかる音。
 慶慎は、その音に聞き覚えがあった。父である文永が、仕事場や自宅に女を連れ込んだときに聞いたことのある、音だった。リタの声も、そのときの女の声だった。慶慎は、二人が何をしているのかが、分かった。二人は、トイレの個室でセックスしているのだ。
 獣。慶慎の頭に浮かんだのは、その一文字だった。今さっきまで、草野球チームの仲間と飯を食い、酒を飲んでいたのに、そうと思ったら、セックスか。全く。慶慎は思った。欲望に忠実な奴らだ。潔いと言えば、聞こえはいいが。
 慶慎は不快な気持ちになったが、好都合だった。二匹の獣は今、自らの性欲を満たすことで、頭がいっぱいだ。これ以上ない、チャンスだった。素早く店に戻り、荷物の入ったボストンバッグを取って来た。中には、銃が入っていた。CZ75。サイレンサーをつけ、銃身をスライドさせた。かちりとわずかに音がしたが、二人がセックスに夢中になって立てる音に比べれば、可愛いものだった。リタの嬌声にも変わりなかった。気づかれてはいない。
 あとは、待つだけだ。個室のドアが開いたところで、松戸だけを撃ち殺せばいい。慶慎が、そう思ったときだった。
「お前、何やってる」
 後ろで、声がした。先ほど、店の中で言葉を交わした男だった。男の視線は、慶慎が手にした銃に釘づけになっていた。男は、さらに何か言おうと、口を開いた。させなかった。一瞬で間合いを縮め、顎を銃底で殴った。男が白目を剥き、がくんと体のバランスを失う。倒れる途中で受け止め、そっと床に置いた。
 セックスの音が、やんでいる。気づいたときには、遅かった。一番奥の個室のドアが、わずかに開いていた。隙間から、手鏡が覗いている。鏡越しに、中にいる二人のうちの、どちらかと目が合った。
 ちくしょう。
 トイレのドアが閉まった。状況が、一変していた。相手がセックスに興じているのと、命の危機を悟ったのとでは、天と地ほどにも差がある。しかし、持久戦に持ち込むわけにはいかなかった。次、またいつ、他の人間がトイレに来るとも限らない。
 すり足で、音を息を殺して、一番奥の個室へと近づいた。ひゅうと鳴る肺が、うざったかった。松戸とリタも、個室の中、音を立てない。手を伸ばせば、個室のドアに届く距離。足を止めた。横隔膜が収縮した。こらえきれなかった。咳。
 音を立て、個室のドアが開いた。顔を出したのはリタだった。手にオートマティックの銃を持っていた。手のひらに収まるほど小さい、銃。瞬間。慶慎は躊躇し、判断を誤った。たとえリタでも、体のどこかを撃つべきだった。しかし、撃たなかった。リタは撃った。銃弾が、CZ75につけたサイレンサーを変形させた。慶慎はCZ75を捨てた。リタは引き金を引き続けた。銃弾が連なる。慶慎は飛んだ。個室の上。ナイフを取り、一番奥の個室に飛び込んだ。松戸。リタから投げ渡された銃を構えていた。ナイフ。投げた。引き金から松戸の人差し指が落ちる。さらに、その手を蹴った。松戸は銃を落とした。リタの手がそこに伸びる。慶慎は銃を踏みつけた。新しいナイフを出した。松戸の拳。狭い個室内だ。慶慎の身軽さは役に立たなかった。鳩尾を突き上げられた。慶慎は呻いた。
「リタ、逃げろ」
 松戸が叫んだ。リタは迷っていた。さらに松戸が叫ぼうとする。慶慎はナイフで、その腹を突き刺した。松戸の拳が、今度は慶慎のこめかみを打つ。慶慎は意識が飛びそうになるのをこらえ、ナイフを振った。鋭い切っ先は、松戸の喉に、赤い線を作った。短い間の後で、そこから鮮血が吹き出した。慶慎は、それをまともに浴びた。視界がふさがった。松戸の重たい体が、のしかかってきた。
 視界から血を拭い、松戸の体をよける。指先でその手首に触れた。脈はなかった。個室からよろけ出た。男子便所にはもう、リタの姿はなかった。入口の所で、慶慎が先ほど殴り倒した男が、気絶しているだけだった。
 咳が出た。止まらない。喘息の発作は、悪化の一途をたどっていた。血のにおいが、鼻孔に充満していた。慶慎は、胃の中のものを床にぶちまけた。
また、視界に血が覆いかぶさってきた。鼓動が、捉えきれないほどの速度でリズムを刻んでいた。トイレの鏡を見た。予想と寸分違わず、慶慎の顔は血で真紅に染まっていた。急いで顔を洗い、上のユニフォームだけでも着替えた。ユニフォームも、顔と同じく、大量の返り血を受けていた。ボストンバッグから、元の服を取り出してそれに着替えた。サイレンサーの変形したCZ75とナイフを拾い、ボストンバッグに入れた。
 廊下の向こうから、男たちのものであろう、足音が聞こえた。まともな銃声がしたのだ。当たり前のことだった。慶慎は方向を変え、ビルの裏口から表へ出た。喘息の発作、酒、血のにおい。気を抜けば、今にも意識が途絶えそうだった。視界が歪んでいた。懸命にこらえ、慶慎は走った。



つづく




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posted by 城 一 at 17:54| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月03日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第6回

 人を、殺した。
 慶慎の頭は、松戸の流した鮮血の赤で、満ち満ちていた。凶暴なほど赤い、血の色で。
 頭が、正常に働かなかった。自分が今、どこを歩いているのかも分からない。足の下にあるのが、アスファルトでできた道路だということが、とても信じられなかった。スポンジの上でも歩いているかのようだった。
 慶慎は、よろけた。すぐそこにあった、どこかの建物の壁に手をつく。ボストンバッグから吸入器を取り出して、使った。それで、スイッチを切ったかのように、喘息の発作が収まるわけではなかった。慶慎は深呼吸した。いくらかましになった。また、歩き出した。
 人を、殺した。しかし、失敗した。肝心のリタ・オルパートを、逃がした。慶慎は、何度も悪態をついた。胃酸の味がする唾を、地面に吐き捨てた。遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。自分がどこにいるのかは分からないが、とりあえず、サイレンの音が近づいて来るようなことはなかった。
 呻き声を漏らし、慶慎はその場にしゃがみ込んだ。体が震えていた。寒さのせいもあったが、それだけではなかった。ひどい震えで、歯が噛み合わなかった。
 松戸の喉にできた赤い線。そしてそこから、血が噴泉のように吹き出す。その映像が、繰り返し慶慎の頭の中で再生された。二度と見たくない映像だったが、慶慎の頭は、それにはお構いなしに、再生を続けた。吐き気を感じ、慶慎は顔を下に向けた。もはや、胃の中に吐くものは残っていないようだった。唾だけが、慶慎の唇からのったりと糸を引いた。目に、涙が滲んだ。
 歩いては、休むことを繰り返した。パトカーのサイレンから、逃げる。ただ、それだけを考えて、歩き続けた。どれだけ時間が経っても、スポンジの上にいるような感覚は消えなかった。
 もう何度目か分からない休息のために、その場に腰を落としたとき、自分の名を呼ぶ声がした。慶慎は最初、それが空耳だと思った。が、違った。確かに聞こえた。
「ケイちゃん?」
 その呼び方をする者は、そう多くはいない。慶慎は顔を上げた。市間安希(いちま あき)が、そこにいた。数少ない、慶慎の友達だった。少なくとも、慶慎はそう思っていた。初めて出会ったとき、慶慎はひどい喘息の発作に苦しんでいた。そのとき、背中をさすってくれた、彼女の手のひらの感触と温度は、今も忘れてはいない。
 安希は、素早く慶慎に駆け寄った。彼女の手のひらが、また背中に当てられる。柔らかく、温かい。慶慎は、今まで張り詰めていた緊張の糸がほぐれるのを感じた。それは一度始まると、止められなかった。
「何かあったの? ひどい顔してるよ」
 安希が言った。慶慎は答えようとしたが、開いた唇からは、なんの言葉も出なかった。
「ケイちゃん? ちょっと」
 体から力が抜けていく。もはや、全てが慶慎のコントロール下から離れていた。安希に何か言わなければならなかったが、できなかった。
 慶慎は気を失った。



つづく




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posted by 城 一 at 00:52| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第7回

 誰かの話し声が聞こえていた。
 深い海の底から浮かび上がるようにして、慶慎は意識を取り戻した。話し声は、安希のものだった。部屋の入口の方で、誰か、他の女と話をしていた。
「大丈夫。みんなには迷惑かけないから。うん。あ、駄目よ。あの子に手を出しちゃ。怒るからね。お金? そんなの……」
 慶慎は、ようやくはっきりと、自分の状況を思い出して、跳ね起きた。慶慎は柔らかいベッドの中にいた。広々とした部屋に対して、家具は少なかった。ベッド、タンス、鏡台、オーディオ・コンポ。住人の性格や趣味を表す小物の類が、ほとんどなかった。生活感のない部屋だった。
 枕を離れた頭が、もう一度戻ることを強要するかのように、痛んだ。こめかみの奥で疼くような痛みだった。慶慎は思わず呻いた。安希はそれで、慶慎が目を覚ましたことに気づいた。安希は、ドアの向こうの、姿の見えない相手に謝り、会話を切り上げた。
 慶慎は、まだ口内に残る甘酸っぱさを感じて、手を口に当てた。もう、出すものはないくせに、吐き気だけは胃から喉にかけての部分に、まとわりついている。
「大丈夫?」
 慶慎は頷いた。安希が、グラスに入った水をくれた。慶慎は、<たつみ>で飲んだ日本酒のことを思い出しかけて、念頭から振り払い、グラスの中身を一気に空けた。
「ありがとう」慶慎は言った。
 そして、慶慎は少しの間、安希の顔に見入った。彼女の年は、自分と同じくらいのはずだ。十五前後。つり上がった目尻が、引き締まった印象を与える、綺麗な顔立ち。艶やかに長い黒髪が、胸元まで伸びている。唇に引かれた口紅が、輝いていた。知り合ってから、会ったのは数えるほどだ。安希が化粧をしているのを見るのは、初めてだった。安希が、慶慎の視線の先に気づいて、顔を赤らめた。
「女の子だもの。化粧くらいするよ。似合わないかな?」
 同年代の少女の化粧にしては派手にも見えたが、慶慎は首を振った。
「似合ってるよ」
 安希は、慶慎を見て、笑った。
「初めて会ったときも、あんな感じだったね。なんか、変なの」
「うん」
 慶慎は言葉に詰まった。確かに同じようなシチュエーションだったが、内容が全くの別物だった。前は、父親の文永にひどい暴力を振るわれた後。今回は、初めての殺し屋としての仕事の後だ。
「できれば、でいいんだけど」安希が言った。「何があったのか、聞かせて欲しいな」
 言えるわけがなかった。下手に事情を漏らして、彼女を消さなければならなくなるなど、絶対に避けなければならない。
「なんでもないんだ。ごめん」言って、慶慎は微かな嘘を思いついた。「って、まいっか。話すよ。笑わないでくれよ? 少し前まで、酒を飲んでたんだ」
 安希は少しこらえたが、すぐに吹き出した。
「君ね、何歳?」
「十五」
「あ、同い年だ……じゃなくて、まだ未成年でしょ。意識を失うほど飲むなんて、駄目じゃん」
「だから、ごめん」
「誰かと喧嘩したの?」
 どきりとした。安希が、血のついた、野球のユニフォームの、ズボンを持っていたのだ。ただ、付着している血は、わずかなものだった。返り血を浴びたのは至近距離だった。松戸の流した血は、ほとんど慶慎の胸から上に飛んだ。
「若さ故の過ちってことで」
「君がそう言うなら、それでいいけど」
 慶慎は、そこで気づいた。布団の下の自分は、トランクス一枚しか身につけていない、ほとんど裸の状態だった。顔が赤くなるのを、自分でも感じた。
「君が脱がしたの」
 安希が悪戯っぽい表情で、小さく肩をすくめた。
「便宜上、仕方なく」
 部屋の隅に、ボストンバッグがあった。中には、銃や血のこびりついたナイフが入っているはずだ。慶慎は安希を見た。
「あのバッグ、開けた?」
「まさか。他人のプライベートは尊重するものだって、一応、親から教えてもらったもの」
 慶慎は安堵した。安希がボストンバッグの中を見ていたならば、面倒極まりないことになる。
 安希は、慶慎の体を下にしないようにして、ベッドに腰掛けた。
「タトゥー、格好いいね」
 左胸に刻まれた、黒い炎。または翼。父親の文永に彫られた、忌まわしい烙印。思わず、慶慎は自らの指で、そのタトゥーをなぞっていた。
「そうかな」
「自分で言って、彫ってもらったんじゃないの?」
「父親に、彫られたんだ。無理やりに」
「どうして?」
「知らない。僕には、あの人が何を考えてるのか、全然分からない。ただ、これを彫り終わったとき、あの人は僕に言った。これで、お前は一生、俺のものだ≠チて。そんなの嫌だった。だから、家を出た」
 安希が、慶慎から視線を逸らした。
「そう」
 重たい雰囲気が、二人の間に流れかけた。慶慎はそれに気づき、わざと声を明るい調子にして、言った。
「やめやめ! そんなことより、助けてくれて本当にありがとう。僕のこと、どうやってここまで運んだの?」
「女友達三人と力を合わせて」
「服は」
「それは安心して。あたし一人の力でやったから」
 慶慎は、安希に微笑みかけた。
「安心した。でも、ごめん。親切にしてもらっておいてなんだけど、もう行かなくちゃならない」
 安希は軽く慌てて、ベッドから立ち上がった。
「あ、ごめんね。こちらこそ。全然、気にしなくていいから。用事があるなら、急いだ方がいいよ」
「うん。今度会ったときは、ゆっくり時間が取れるようにするから。そして、お礼する」
 安希が笑った。
「楽しみにしてる」
「本当に助かったよ。それじゃ」
 慶慎はベッドから出ると、安希の持っていたユニフォームのズボンと、長袖の黒いTシャツを着た。ボストンバッグを持ち、部屋の出口へと向かった。
「本当に、ありがとう」
 最後にもう一度礼を言い、頭を下げた。慶慎は、部屋を出た。



つづく




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posted by 城 一 at 08:54| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第8回

 体調は万全ではないが、休むのは後回しだった。慶慎は、カザギワの本拠地がある、ビルにいた。
 本音を言えば、すぐにでも家に帰って、眠りたかった。疲れていた。松戸に殴られた所が、痛んだ。それに、しなければならないのは失敗の報告なのだ。罵倒や叱責されこそすれ、褒められることはないだろう。
 憂鬱な気分で、慶慎は高田清一の部屋を訪ねた。カザギワで、情報管理を担当している男だ。しかし、留守だった。今回の仕事は、慶慎にとって初めてのものなので、成功しようが失敗しようが、すぐに報告が欲しいと言ったのは、高田だった。その高田がいない。慶慎は憮然としながらも、少しほっとした。
 しかし、仕事を失敗したことは、誰かに言わなければならない。たとえ難易度と緊急度が低い仕事であったとしても、失敗がカザギワの動きに、多少なりとも影響を及ぼすかもしれないのだ。
 慶慎は報告すべき相手を探した。カザギワの下部の者に案内されて、慶慎はカナコ・ローディンの部屋を訪ねた。カザギワの中で、高田と同じように、情報管理を担当している女だった。
 風際秀二郎の部屋に比べれば見劣りはするが、広い部屋だった。慶慎が今、住んでいる所とは、比較にならない。しかも、それであくまでも、彼女の仕事場でしかないのだ。カナコの部屋も突き当たりは一面ガラス張りだった。その近くに、大きな水槽があった。中で、熱帯魚が泳いでいた。およそ、熱帯魚という響きにそぐわない容姿を持つ、大きな魚だった。体は、くすんだ茶色をしていた。カナコは、その熱帯魚に餌をやっているところだった。
 声のかけがたい雰囲気があった。慶慎は言葉に詰まりながら、唾を飲んだ。カナコが、背を向けたままで言った。
「何の用かしら」
 研ぎ澄まされた、氷の刃のような声。慶慎は、自然と自分の背筋が伸びるのを感じた。
「仕事の報告を」
 カナコが振り返る。
「わたしは、担当ではないわ」
「そうです。僕の今回の仕事の担当は、高田さんです。しかし、高田さんは留守でした」
「おかしいわね。何か、あったの?」
「分かりません。とにかく僕は、誰かに仕事の報告をしなければならないと思って」
「わたしに言えと、言われた」
「そうです。聞いてもらえないでしょうか」
 カナコは頷いた。
「わたしは担当でなかったから、あなたが受けた仕事の内容から聞くわ」
「標的は二人。松戸孝信とリタ・オルパート。ただし、リタ・オルパートに関しては、殺害ではなく身柄の拘束を命令されました。松戸孝信は、手段は問わないので、とにかく殺せと。松戸孝信はツガ組の構成員ですが、ミカドと通じているとされるリタ・オルパートと関係を持ったことをきっかけに、ツガ組に対して裏切りとも言えることを始めました。敵対する組織に、自分の持っているコネクションを使って、武器を流し始めたのです。それで、今回の仕事が発生しました。リタ・オルパートに関しては、ミカドの情報を聞きたいので、身柄の拘束を優先させるようにと」
「ええ。今のミカドは、わたしたちが昔知っていたミカドとは、全く違う。あなたは知らないでしょうけれど。今は、何でもいいから情報が欲しい状況だわ」
「しかし」
 慶慎は言い淀んだ。舌で唇を舐めた。緊張していた。カナコが眉をひそめた。
「しかし?」
「松戸孝信の殺害には成功しました。しかし、リタ・オルパートの身柄を拘束するのには失敗しました」
「殺してしまったということ?」
「逃がしました」
 二人の間に、沈黙が訪れた。カナコの後ろで、水槽の中のエアポンプが立てる細かい泡が水面に浮かんでは弾ける音が、慶慎には、やけに大きく聞こえた。カナコは慶慎のことを一瞥すると、また、水槽の方を向いてしまった。
「そう」
 返ってきた言葉は、あまりにも短いものだった。慶慎はあっけに取られた。何らかの体罰を受ける可能性さえ、考えていたのだ。
「何か、ないんですか。僕は、仕事に失敗したんですよ」
 カナコはまた、水槽の中にぽつりぽつりと、餌を落としている。
「誰にでも、失敗はあるわ」
 慶慎は、奥歯を噛み締めた。
「あなたは、僕の置かれている状況を知っているはずだ」
「もちろん。あなたは殺し屋として活躍し、殺し屋集団カザギワの中で、自らの有用性を証明し続けなければならない。そうでなければ、風際文永の元に強制送還。虐待死は免れない」
「分かっているにしては、軽い言葉だ。誰にでも失敗はある、なんて」
「そう、軽い言葉よ」カナコは水槽の縁に指を這わせながら、振り返った。瞳の冷たさが、増していた。それとは裏腹に、赤いショートヘアは燃えているようだ。「分かって言っているのよ、ぼうや」
「なんだと」
「なら、どう言って欲しかったの? 口に出して、言ってご覧なさいな。そうすれば、わたしはあなたの要求に応えてあげるわ」
「馬鹿にしてるんですか」
「言葉は、所詮言葉だと言っているの。あなたに必要なのは、そんなものじゃない。違うかしら?」
 慶慎は、気づかないうちに拳を握り、その内側に爪を立てていた。歯軋りする。言い返せなかった。
「それとも、慰めて欲しかったのかしら? それなら、通りに立っている、安い売春女でも買いなさい。お金がないのなら、貸してあげましょうか」
「ふざけるな」
「ふざけてるのは、あなた。甘えるのは、いい加減に終わりにすることね。でないと、すぐに死ぬことになるわよ」
 カナコの瞳に宿る光は、強かった。慶慎は、睨み返すことができなかった。うつむいたまま、ドアに向かった。
「あなた専用の武器、まだ作られてないわね。葛籠(つづら)の所に寄るのを、忘れないように」
「はい。失礼しました」食いしばった歯の隙間から漏らすように、慶慎は言った。
 慶慎は部屋を出た。出た所に、アルミ製のくず入れがあった。慶慎はそれを思いきり、蹴飛ばした。派手な音が廊下にこだました。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

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posted by 城 一 at 00:20| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第9回

「飲まないのかい?」
 中年の女のバーテンダーが言った。リタ・オルパートは、何も言わず、ただ目の前に置かれたカクテルに視線を落としていた。マティーニ。シェイクしたマティーニだ。松戸孝信が、ふざけ半分に注文したときのことを、リタは今でも鮮明に頭の中に描ける。店の中でかかっていたBGM、松戸の表情、笑い声。
 ツガ組を裏切り、ミカドのために働き始めた、最初の頃のことだった。松戸は、自分のやっていることが、まるでスパイのようだと言っていた。ジェームズ・ボンドね。リタが冗談で言った言葉の尻馬に乗る形で、松戸が注文したのだ。シェイクしたマティーニを。
 だが、松戸には、シェイクしたマティーニとステアで作ったマティーニの味の違いが分からなかった。そのことを、二人で笑い合った。
 リタは、まだ看板を出していないバーにいた。カナジョウ市の中にあるが、ミカドと通じているバーだった。店内は、狭い。カウンターに沿って、赤い革張りのスツールが並ぶのみだった。ブリキのランプシェードが天井からぶら下がっている。壁に小さなくぼみがいくつかあって、ろうそくが置いてあった。
 歯の先の違和感に、リタは舌打ちした。ラベンダー色のマニキュアをした親指の爪が、割れていた。無理もなかった。リタはバーに来てからずっと、その爪を噛んでいたのだ。
 松戸孝信。
 リタの脳裏に、その最期が焼きついている。喉から血を吹き出して、命を失っていく松戸。その鮮血は、リタの方にも飛んだ。髪の毛の一部が、それで赤く染まった。リタは、自分の髪の、赤くなった部分だけを切って、ひもでまとめた。お守りのつもりで、肌身離さず持っていよう。そう思った。
 玩具。操り人形。犬。
 リタはこれまで、男という生き物に対して、そんな言葉ばかり使ってきた。その程度でしかないと、思っていた。性欲と恋愛感情を、操れば、男は全て言いなりになる。リタはそう考えていたし、実際、そうだった。松戸孝信も、そんな男の一人のはずだった。
 ミカドのために、ツガ組の構成員である松戸を引っかけた。リタの、それまでの人生に現れた他の男同様、松戸もすぐに、リタの言うことを、ほとんど全て聞くようになった。
 しかし。リタは、また爪を噛んだ。あの少年が全てを変えた。松戸が喉から血を吹き出しながら絶命したあの瞬間、リタの中で何かが起きた。
 松戸孝信のことで、リタの中がいっぱいになったのだ。それ以外、何も考えられなくなった。幼い殺し屋から逃げている間も、リタは松戸のことばかりを考えていた。
 寸前まで、松戸とセックスをしていた。そのときの、松戸のペニスの感覚が、今では愛おしく感じる。リタは時々、下腹部に手を当て、それを思い出そうとした。できなかった。
 酒を飲みたかった。しかし、飲めば、感覚が鈍る。もしかすると思い出せるかもしれない、松戸の感覚を、酒を飲むことで思い出せなくなるかもしれない。リタは、それが怖かった。
 それにしても、あのくそがき。リタは思った。
 少年の持っていた銃には、サイレンサーがついていた。衝動的な殺しではない。少年は、せいぜい十代前半にしか見えなかった。が、信じるしかない。あの少年は、プロの殺し屋なのだ。
 生前の松戸から、そんな幼い殺し屋がツガ組にいるとは、聞いていない。となれば、可能性は一つしかなかった。少年は、カザギワの殺し屋だ。
 敵討ちなどと、青臭いことを言うつもりはない。だが、必ず殺してやる。リタは思った。爪が、また割れた。
 心配そうな目で、バーテンダーの女が、リタのことを見ていた。
「いい加減にしときなよ。せっかくの爪が、台無しじゃないか」
「もう、見せる奴はいないわ」
「で、どうするんだい? あんたのダーリンはくたばっちまったんだから、仕事は一段落ついたわけだけど」
「一度、ミカドに戻るわ。でも、ちょっと頼みごとがあるの。調べて欲しい人間がいるのよ」
 そう言って、リタは、松戸を殺した少年の容姿を女に伝えた。くそがき。リタは、少年のことを、鮮明に覚えていた。
「子供だね。その子が、何かしたのかい?」
「ちょっとね」リタは言った。「ちょっとだけ大きな借りができちゃったのよ、そのぼうやに」
 上がる口角とは裏腹に、リタの目は、鋭利な刃物にも似た殺気をはらんでいた。



つづく




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posted by 城 一 at 23:41| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第10回(ver 3.0)

 エレベーターで、地下四階まで降りた。金網のフェンスが、慶慎を迎える。
 コンクリート剥き出しの、地下四階。冷たく、殺伐としていた。フェンスの入口には、南京錠がかけてあった。すぐ横に、ブザーがぶら下がっている。慶慎は、それを押した。少しして、フェンスの向こうのドアを開けて、黒服の男が出て来た。この階層を彩るコンクリートと同じで、無機質な表情の男だった。慶慎は、自分が焔であることを証明した。男は頷き、フェンスの入口を開けた。慶慎は男をかわし、ドアを開けた。
 沈黙が、慶慎を出迎えた。たくさんの黒服が、中にはいたが、ほとんど口を開いてはいなかった。それぞれ、思い思いのことをやっていた。椅子に座り、眠っているように見える者もいたし、何人か集まり、テーブルの上で、カードで遊んでいる者たちもいた。やっているのは、ポーカーだった。雑誌を読んでいる者、イヤホンで音楽に聞き入っている者。壁に仕切られて見えないものの、同じ階層の中に、射撃訓練場もあった。銃声がこだまするのが聞こえた。ただ、全員、それぞれの世界に入っているようでいて、そうではなかった。直接見られてはいなくとも、慶慎は、中にいる者たち全員の注目が、自分に集まっているのを感じた。それは何も、慶慎が、カザギワで一番若い殺し屋だからというわけではなかった。下の階層には、守らなければならないものがある。そのために、訪れる者に対しては、何人たりとも注意を怠ったりはしないのだ。この階層には、カザギワの下部構成員のほとんどがいた。慶慎はいつもながら、落ち着かなかった。いつの間にか、足取りが速くなっていた。突き当たり。骨組みだけにしたエレベーターのような、昇降機があった。慶慎は、安全柵を開けて乗り込み、スイッチを操作した。昇降機は、鈍く唸り声を上げると、階下に下りた。
 下りている途中で、それは既に聞こえていた。コンクリートに囲まれた世界で、軽やかに弾む、ギターの音。慶慎は昇降機から降りた。男がいた。
 男は、ロッキングチェアーを揺り動かしながら、ギターを弾いていた。赤いバンダナを頭に巻いていた。長髪。灰色のシャツを着ていた。ボタンを三つ開け、胸元をはだけている。日本人にしては、彫りの深い顔をしていた。髭が濃い。口周り、顎からもみ上げにかけて、ほとんど繋がっている。三十歳手前。男が慶慎を見た。
「よう、慶慎じゃないか」
 男の名前は百合草茂春(ゆりくさ しげはる)。カザギワの銃器職人の一人だった。慶慎は言った。
「葛籠さんは、いますか」
 百合草は、一際ギターを大きくかき鳴らすと、今度は静かに爪弾き始めた。
「えー、いるんだが」百合草は言葉を濁した。「少し、待ってくれないか」
 地下五階も、コンクリートの壁に仕切られていた。慶慎と百合草がいるのは、太く短い廊下のようなスペース。鉄製の扉が一つ、あった。黄色いペンキで塗られているが、所々錆び、剥げている。その向こうに、銃器工場はあった。カザギワの構成員が使う銃器のほとんどが、そこで作られる。地下四階に、下部構成員のほとんどがいたのは、そのためだった。銃器工場が奪われれば、カザギワにとって大きな損害になる。そして、留守ではないということは、葛籠がその中にいるはずだった。慶慎は扉を見た。百合草が言葉を濁した理由は、知っていた。軽く溜め息をついて、言われた通り、待つことにした。
 百合草も、待っていた。くたびれている様子が、ギターの調子にも現れていた。慶慎が待ち始めてから、彼の弾く曲のほとんどが、ゆっくりとした曲調のものだった。
 BGMとは裏腹に、慶慎は内心、焦っていた。無理もない。まだ、初仕事を、完全には終えていないのだ。百合草のギターに耳を傾けているのが、時間の浪費のように思え始めた頃だった。ようやく、鉄製の扉が開いた。
 まず目についたのは、女だった。背と鼻の高い、女。髪はプラチナブロンド。胸が大きい。それを無駄にしないようにと、胸元の大きく開いた、紫色のドレスを着ていた。慶慎と百合草を見て、女の唇は魅力的な笑みを浮かべた。桜色の口紅をしていた。
 女は、車椅子を押していた。老人が乗っていた。両足、太腿の先からがない。黒いスラックスの先が、所在なさげに、ゆらゆらと揺れている。老人は皺だらけの目尻に、さらに皺を寄せ、慶慎を見た。そして、しわがれた声で、百合草に、女に金を渡すように言った。百合草は言われた通りにした。女は受け取った金を数え、嬉しそうに老人に投げキッスをして、昇降機の方へ向かっていった。尻を大きく振りながら歩いていく。男たちの視線を引き寄せる術を知った歩き方だった。
 老人は、女の尻を、見えなくなるまで見つめた後、もう一度慶慎を見た。
「久し振りだな、慶慎。元気にしていたか?」
 車椅子の老人。それが、カザギワの銃器職人、葛籠音郎(つづら おとお)だった。既に、還暦を優に超えているが、その性欲は衰えを知らない。百合草が金を渡した女は、娼婦だった。珍しくない光景だった。慶慎も、葛籠が娼婦を見送るのを、何度か見かけたことがある。葛籠が女を買うことを、上階の黒服たちは喜ばない。無理もなかった。葛籠の買う女に、いつ敵組織の者が紛れるか分からない。だが、葛籠はやめなかった。性欲が満たされなければ、仕事にならない。それが、老人の言い分だった。技術は最高のものを持っていた。黒服たちは、葛籠に従わざるを得なかった。
 百合草が、相変わらずギターを爪弾きながら、言った。百合草も、黒服たち同様、葛籠に振り回されている人間の一人だった。
「一時間くらい、待たせましたよ」
「七十年、生きてみろ。一時間くらい、欠伸をしている間に過ぎる」答えた葛籠の表情に、反省の色は、全くない。
「俺は、あの売春婦が来てから、十回くらい欠伸をしましたよ」
「若者は、揚げ足取りが好きだな」葛籠は苦々しく言い放った。「それと。何度も言うがな、百合草。俺の前で、売春婦などという言葉は使うな。もっと、女性を敬え」
 百合草が、やれやれ、という風に肩をすくめた。慶慎は言った。
「仕事が……正確には、まだ終わっていないのですが、サイレンサーが壊れてしまったかもしれないので、来ました」
 葛籠は頷くと、ついて来い、と言った。葛籠の後に続き、扉を支える百合草の脇を通って、慶慎は中に入った。
 鉄製の扉の向こうには、葛籠の居住スペースがあった。葛籠が車椅子ということを考慮してか、かなり広い。部屋の中に漂う空気が、少し前まで、男と女が愛し合っていたことをほのめかしていた。洋風で、おうとつのない作りの床だった。バリアフリー。壁際に、いくつかガラスケースがあった。中には、葛籠オリジナルの銃器が並んでいた。厳重に鍵がかけられていた。
 中央に、焦げ茶色の、長方形のテーブルがあった。葛籠に言われ、慶慎はその上に、CZ75とサイレンサーを並べた。サイレンサーは、リタ・オルパートに受けた銃弾で、先端の銃口の部分がわずかに歪んでいる。
 葛籠はCZ75を手に取った。
「まだ、殺しはしていないのか」
「どうしてですか?」
「使っていないじゃないか、こいつを」
 慶慎は驚いた。葛籠は、銃のマガジンを抜いて、中を見たわけではない。手に持っただけなのだ。どうして。言おうとした慶慎を先回りして、葛籠が答えた。
「見りゃ分かる。見る、と言っても、目で見るんじゃない」そう言って、葛籠は自分の手のひらを掲げた。「こいつで見るのさ。分かるか?」
「重さで、ですか」
「まあ、そういうことだ」
「理屈は分かりますが」
 しかし、慶慎には理解し難いことだった。葛籠が笑った。
「それでいい。で、何があったんだ?」
「僕の仕事は一つではありませんでした。一人を、殺しはしました。しかし、ナイフを使って、です。銃を使おうとした瞬間に、相手の撃った銃弾が、サイレンサーに当たったのです。それで……とっさのことでしたし、万が一のことを考えて、銃は使いませんでした」
 葛籠は真剣な目つきで、サイレンサーを見ていた。手のひらの中で転がし、あらゆる角度から見る。慶慎はサイレンサーのことを謝った。葛籠が微笑んだ。
「仕事が仕事だ。責めはせん。しかし、大事にしてやるんだな。女は、ガラス細工でできていると思え」
 葛籠はときどき、銃のことを、人間の女と同様に扱い、そう表現する。百合草が口を挟んだ。
「銃は女じゃないし、女はガラス細工じゃありません」
「そう思え、と言っている。頭の固い奴だ」葛籠は、百合草にサイレンサーを渡した。「見てみろ、百合草」
 百合草は、サイレンサーを受け取った。葛籠がしたように、様々な角度からそれを眺める。百合草は、葛籠よりも時間をかけた。そして、サイレンサーをテーブルの上に置いた。肩をすくめる。
「見ての通りです。銃弾が出る部分が歪んでます。発射に影響があるかどうかは微妙ですが、試射はしませんよ。万が一、暴発でもしたら大事だ」
「それで?」葛籠が言った。
「以上です」
 葛籠が鼻を鳴らした。
「だから、お前は若いと言うのだ。試射はしない? 当たり前だ。万が一ではなく、十中八九、暴発する。歪んでいるのは、銃弾が当たった部分だけじゃない。全体的に、線が歪んでいる。地球の地軸がこれだけ歪んでみろ、異常気象のオンパレードだぞ」
「そんな」
「そう思うなら、道具を使って見てみるんだな」
 百合草はサイレンサーを取り、いくつかある扉の一つを開けて、出て行った。その向こうには、百合草の居住スペースがあった。少しして、百合草の呻き声が聞こえてきた。
「若いな」
 慶慎は、サイレンサーを使いものにならなくしたことを、もう一度謝った。
「いいと言っている。だがな。今回のお前の判断は正しかったが、それでも、できるだけスカーレットを使う機会を増やしてやることだ」
「後で、撃っていきます」
「訓練場で、か。それもいいんだがな。しかし、的を相手にするのと、実戦とでは違う。全く。お前も、今回初めての実戦で、分かっただろう」
 慶慎は頷いた。脳裏に、松戸孝信の死に様が浮かびそうになった。必死に打ち消した。
「実戦で使ってやった方が、スカーレットは喜ぶ。覚えておけ」
「はい」
「サイレンサーのことなら、気にするな。代わりはいくらでもある。そりゃ、無限ではないし、全部、一つ一つ違うものだが。しかし、銃とはまた、別物だ。女にしてみりゃ、下着みたいなものさ。必要に応じて、使わなければならないものだが、絶対にいるものでもない。お前が覚えなければならないのは、裸の女と付き合うことだ。お前、セックスはまだか」
 慶慎は、自分の顔が赤くなるのを感じた。急に、舌が回らなくなった。小さな声で、はい、と答えた。
「何?」葛籠が聞き返した。
「師匠、女と寝ることと、銃を使うことは別でしょう」
 いつの間にか戻って来ていた百合草が言った。
「馬鹿野郎、大事なことだ。大体からしてだな」
 百合草が、素早く慶慎に目配せした。葛籠の長話が始まるパターンだった。慶慎は、テーブルの上のCZ75を取ると、短く挨拶をして、部屋を出た。
 地下四階に上がり、昇降機から降りたとき、カナコから携帯に、着信があった。慶慎は電話に出た。
「引き続き、リタ・オルパートを追いなさい。向こうに連絡はしておいたわ。ツガに行って」
 慶慎は礼を言い、電話を切った。



つづく




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posted by 城 一 at 06:17| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月12日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第11回

 カナジョウ市は広い。それに、ツガ組の所有しているビルは、主に組員が使用しているものだけでも、ツガ組の組長が所有するもの、そして青龍、白虎、朱雀、玄武と呼ばれる幹部が管理するものがあった。カナコに教えられたのは白虎と呼ばれるツガ組幹部、狩内蓮のビルだった。移動手段に迷った末、慶慎はひたすら歩いた。目的地に着く頃には、日が暮れていた。
 なんてことはない建物だった。周囲を囲む雑居ビルに、いとも簡単に紛れてしまうほど、年季の入ったビルだった。壁にはひびが入り、塗装の剥げている場所も目についた。エレベーターも古めかしいものだった。一つ一つの挙動に、大げさに音を立てる。慶慎は不安になりながらも、そのエレベーターで最上階まで上がった。
 白虎。言ってみれば、コードネームのようなものだった。そして、白虎である狩内蓮の部下たちは白虎隊と呼ばれていた。比較的、組の中でも若い者たちで構成された部隊だった。その長である狩内蓮も、幹部の中では最も若い。なんとなく、慶慎の中では、越智彰治の若い頃を想像していた。
 狩内蓮の部屋を開けたとき、想像していたものは全て壊れた。部屋の中央、奥にある机に、若い男が腰かけていた。手にはリモコンを持っている。ラジコンのリモコンだった。男の手元で、ぴょんぴょんとアンテナが跳ねていた。慶慎の足に、ラジコンがぶつかった。男は、かぶっていた麦わら帽子のつばを指先で軽く上げて、慶慎を見た。口許が笑みに歪んでいる。
「ああ、君が?」
「カザギワから来た、焔です。遅くなってすいません」
 慶慎の足下で、ラジコンがUターンする。男が肩をすくめた。
「いやいや、気にしないでくれ」
「狩内蓮さんは、どこにいるんですか?」
「いるじゃないか、君の目の前に」
 慶慎は、顔をしかめそうになるのを必死でこらえた。目の前の男を見つめる。冬を目前に控えた季節に平然と麦わら帽子をかぶり、ラジコンを操る男。それが、ツガ組の幹部である白虎であるとは、にわかには信じがたかった。
「信じられないかい?」
 蓮が言った。慶慎は頷くのをこらえて、男をじっと見つめた。部屋の隅で、別の声がした。
「だから言っているんだ、蓮。もっと威厳のある格好をしろとな」
 部屋の隅に、もう一人男がいた。椅子に座っている。かなり恰幅のいい男で、座っているお陰で、つかえるほど、腹が前にせり出していた。NBAのチームのレプリカユニフォームを着ていた。黄色地に紫の線。蓮が言った。
「こいつが、俺なりの威厳なんだが」
「馬鹿言え」
「白虎のビルの最上階で、麦わらにラジコンだぜ? 下の奴らがそんなことしたらぶっ飛ばされる」
「それはそうだが」男は言いながら、慶慎を見た。「ポール。俺はポール・ミラーマンだ」
「焔です」
 蓮は相変わらず、ラジコンを操りながら、上目遣いに慶慎を見た。
「言葉を返すようだが」蓮は言った。「君が焔だということは、俺たちはどうやって信じればいい?」
「ミス・ローディンから連絡が入っているはずですが」
「どうだったかな。記憶にないな。すまないね、風際慶慎君」
「焔です」
 ラジコンが、また慶慎の足に当たった。踏み潰したい衝動を、すんでのところでこらえた。ラジコンがまた全速力でUターンし、今度は蓮の足に当たった。蓮の方は、衝動をこらえはしなかった。ラジコンを足で踏みつけた。ブラスチックのボディが大きく割れた。
「まだ仕事を一度も成功させたことのない奴を、うちじゃ一人前扱いしないんだよ、小僧」
 反転したようにして、蓮の目に凶暴な光が宿る。慶慎は唾を飲んだ。
「僕は」
「言い訳でもするかい?」蓮は微笑を浮かべながら言った。
「いえ」慶慎は言った。「しかし、それでは僕はどうすれば」
 蓮の視線が、わずかにずれた。慶慎の後ろ。慶慎の背中に緊張が走る。殺気を含んだ、気配。振り返った。黒人の男がいた。いや、若い。少年と言った方がぴたりとくる。慶慎と同年代くらいの少年だ。鉢巻で目隠しをしている。気づいたときには、既に慶慎の心臓を、男の拳が捉えていた。息がつまる。
「俺は心が広いんだよ、慶慎君。生きてりゃ認めるよ。お前が焔だと」同じ部屋の中にいるはずなのにも関わらず、蓮の声が遥か遠くに聞こえた。「簡単だろ?」
 慶慎の視界の中で、部屋が回転した。



つづく




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posted by 城 一 at 02:11| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第12回

 慶慎は自ら床を蹴り、回転した。心臓を捉えた拳の威力を最小限に抑える。少年の腕に自分の腕を絡め、腕ひしぎ十字固めを狙ったが、できなかった。吹っ飛んだ。背中から壁に衝突する。横隔膜が硬直した。息が吸えない。いくら口を開いても、空気が入って来ない。
 黒人の少年は待たない。椅子が飛んで来た。横に転がり、かわす。その先に少年の足があった。かわせない。両手を掲げた。ガードの上からでも衝撃は十分にあった。再び慶慎の体は飛んだ。別の壁にぶつかる。
 既に詰まっているところから、慶慎は息を殺した。物音を立てないようにする。黒人の少年は、耳を澄ますようにして、動きを止めた。
 冗談じゃない。慶慎は思った。仮にもカザギワの殺し屋である自分が、目隠しをしたツガ組の構成員に倒されるわけにはいかない。静寂の中で、慶慎は態勢を整えた。
 しかし。相手の黒人の少年に、見覚えがあるのも確かだった。目隠しがなければ、分かるような気がしたが、思い出せなかった。
 蓮が、ショウでも見るかのように、楽しそうに慶慎を横目で見た。実際、彼らにとってはショウなのだろう。慶慎は歯を食いしばった。
 呼吸を満足に行えないことで、体力の消耗が激しい。時間をかけるわけにはいかなかった。
 慶慎は飛んだ。死角を突いた。思った瞬間、目隠しをした顔がこちらを向いていた。拳が唸りを上げる。でたらめだ。力任せに振られていた。その拳の上でステップを踏む。そして落ちながら膝で少年の額に着地した。しかし、揺るがない。膝ごと足を抱え、投げられた。空中で身を翻す。壁に着地。少年が追いかけるようにして飛来していた。ドロップキックだ。慶慎は壁を蹴り、空中で体をずらした。少年の両足は壁を捉え、破壊した。隙。少年は両手で顔面をガードした。構わない。ガードごと蹴り飛ばす。
 慶慎と黒人の少年は共に、その勢いを利用して、距離を取った。慶慎の頭が、熱を持っていた。酸素が満足に行き渡っていないのだ。ちくしょう。声に出さずに悪態をつく。動きの鈍い頭を、必死に回転させていた。まだ、少年のことを思い出せなかった。
 黒人の少年。引き締まった体。剃った頭。両耳で、合わせて十個ほどもあろうかというピアス。確実に、見覚えがあるのだ。
 少年が地を蹴った。拳。降り注ごうとするのを、懸命にさばく。ミドルキック。肘と膝で受けた。瞬間、頭を鷲摑みにされていた。頭が潰されてしまうのではないかというほどの、握力だった。慶慎の体は、少年によって軽々と持ち上げられる。
 慶慎はもがいた。が、逃れられない。床に頭ごと叩きつけられた。視界が揺れた。意識が、コンマ数秒、飛ぶ。少年の手は、それでもまだ離れない。今度は壁に叩きつけられる。前よりも長く、意識が飛んだ。
 ほとんど無意識の状態で、慶慎は神経を集中させた。拳の先端、骨。少年の肘、関節と関節の隙間に打ち込む。少年が小さく呻いた。頭を掴んでいた手が緩む。ほどき、懐に潜り込んだ。みぞおちに膝。下がった頭を顎ごと掌底で打ち抜く。少年の体が、ぐらりと揺れた。脱力したのが分かった。そして、膝から崩れた。
 慶慎は少年の体を受け止め、その目隠しを取った。
 やはり、会ったことのある少年だった。慶慎は、まだ喉を引きつらせるようにして、それでも一瞬ほどしか吸えない空気で、なんとか肺を落ち着かせながら、かろうじて呟いた。
「ダンク、どうしてここに」



つづく




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posted by 城 一 at 01:23| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第13回

 ダンク。慶慎は前に、コンビニ強盗に巻き込まれたことがあった。ダンクには、そこで出会った。強盗が入ったときのコンビニの客の中に、彼がいたのだ。それ以来、慶慎はダンクに会ってはいないが、友情に近いものを感じていた。
「どうして……」
 慶慎の呟きを合図にしたかのように、ダンクが目を開いた。瞬間、殺気。対応できなかった。慶慎は床に突き飛ばされた。ダンクが床を蹴る。拳。間に合わない。体が動かなかった。慶慎は目を閉じた。
「あれ?」
 再び目を開いた慶慎の眼前に、ダンクの拳があった。その向こうに、きょとんとしたダンクの顔があった。慶慎の顔を、まじまじと見つめている。
「お前、どこかで」
「覚えてないの?」
「いや。いやいや、覚えてるよ。確か……スモーなんとか」
 机に腰掛けた、蓮がふざけて言った。
「スモーレスラー?」
「そう、そんなような」ダンクは、未だ顔をしかめながら言った。
 慶慎は半ば呆れながら言った。
「スモーカーだ。君らがつけたんだ」
「そう!」ダンクは、ぽんと手で手を打った。「スモーカー! でも、違うぜ。その名前をつけたのは、リヴァだ」
 リヴァ。ダンクと共にいた、少年の名前だ。同じく、コンビニ強盗をきっかけに知り合った少年。
「いやあ、それにしてもすまんかった。まさか、相手がお前だとは思わなかったからさ」
 ダンクは、軽々しく慶慎の肩を叩いた。慶慎は、痛む頭をさすりながら、頷いた。一際、大きな咳をする。蓮が言った。
「大丈夫か、焔?」
「認めてくれるんですね」
「一応」
「一応」慶慎は鼻を鳴らした。「いくら、ツガ組の白虎と言えども、お遊びが過ぎるんじゃありませんか?」
「ま、許してくれよ。お前さんが、リタ・オルパートを逃がしたのと、これでおあいこってことにしよう」
 そう言われると、慶慎には反論できなかった。慶慎はダンクを見た。
「で、君はどうしてここにいるの?」
「どうしてって。流れで。リヴァについて来たら、いつの間にやらって感じだな」
 慶慎は、記憶を探った。コンビニ強盗に遭ったとき、ダンクはいとも簡単に、強盗によって卒倒させられていた。そのときの様子と、今のダンクは、どうやっても繋がらなかった。慶慎は蓮とポールを見た。
「彼に、何かしたんですか?」
 ポールが腕組みをしながら答える。
「トレーニングを」
「ドラッグとかは」
 ただのトレーニングで、ここまで人間が変わるとは、慶慎にはどうしても信じられなかった。
「見損なうな。そんなことはしない」
「しかし」
 ポールは、ダンクを見た。
「こいつには、才能があった。ただ、トレーニングを全くしていなかった。バスケットに関しちゃ、完璧だったがな。誰かを倒すための訓練は受けていなかった。本人もしていなかった。それを、施しただけだ。お前にけしかけたのは、その訓練の成果を見たかったからだ。すまない」
 慶慎は、また咳をした。
「それで、ここまで強くなるものなんですか」
「そのようだな。俺自身も、少し驚いている。それに、まだまだこいつは発展途上だ」
 慶慎は呻いた。いくら自分が本調子ではないとは言え、ここまで追い詰められた。これ以上、ダンクが強くなれば、カザギワの殺し屋としても十分にやっていける。
 蓮が言った。
「ショックかい」
「ええ」
「ま、安心しな。こいつ、肉体的にはかなりのもんだが、頭が追いついてない。総合的に言えば、お前さんの方が上さ。ただ、素手ゴロでやりゃ、こいつが勝つかもしれないが」
 慶慎は咳き込んだ。やはり、咳が止まらない。元々、調子が悪かった上に、ダンクの攻撃も効いていた。慶慎は、床に膝を突いた。
「大丈夫か?」蓮が言った。
「ダンクをけしかけておいて、よく言いますね」
「口の減らない小僧だね、お前。とりあえず、お前さんには、引き続き、リタ・オルパートの捕獲に動いてもらいたい。カザギワから、許可も下りてる。あちらさんから命令のない限り、お前さんにはこっちの命令で動いてもらう。もちろん、一人でやれとは言わん。今回は松戸がいたから見つかったが、今度は奴を探す作業をゼロから始めなきゃならん。サポートをつける。ちょうど、暇を持て余してる奴がいるもんでな。しかし」
 ろくにできない呼吸の間隙を縫って、慶慎は言った。
「しかし?」
「今、お前には、急いで休息をとってもらいたいな」
「そんなこと」
「どう考えても、そうだ。そいつは、ダンクの一撃が効いたことだけが原因じゃないな。何か、持病があるのか?」
「答えなきゃなりませんか?」
「生意気な奴。とにかく、休め。リタ・オルパートを捕まえなきゃ、街の勢力図が変わるわけでもない。焦るな。一週間以内に体調整えて、出直して来い。話はそれからだ」
 もはや、反論するだけの体力もなかった。慶慎は頷いた。
 壁に手をつきながら、慶慎は蓮の部屋を出た。



つづく




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posted by 城 一 at 00:44| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月16日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第14回

 慶慎は、岸田海恵子という中年の女がやっている診療所にいた。蓮のいるビルを出て、やっとの思いでたどり着いた。海恵子の診療所には、慶慎は幼い頃から世話になっている。喘息のことは全て、海恵子から教えてもらった。
 診療所に着いたときには、いつ呼吸が止まってもおかしくないような気がしていたが、海恵子の治療のお陰で、発作はほとんど収まっていた。
 慶慎は、円い回転椅子に座って、海恵子からコップに水をもらった。海恵子は、慶慎が診療所に来たときから、苦々しげな表情を変えていない。
「それで? 何があったんだい?」
「発作が起きました」
「それは分かってる」
「それ以上、何か?」
「ないって、言い張るつもりかい?」海恵子は慶慎のこめかみに手を伸ばし、指でこすった。「じゃあ、この血はなんだい」海恵子は不快そうに、自分の指先についた血を眺めながら、言った。
「さあ」
「まったく。非協力的な患者だね」
「そんなつもりはないんですが」慶慎は、体のあちこちに貼られた絆創膏やガーゼを見た。「治療を受けてる間は、おとなしくしてましたよ、僕」
「可愛くないね。言葉で誤魔化すことばっかりうまくなってる。あたしゃ知らないよ。そんなことばっかりしてると、本当に助けて欲しいときに、助けてもらえないんだから」
「何を言おうが、誤魔化し、きかないでしょ。体にできた傷は」
 海恵子は目を細めて、慶慎の左胸を軽く、拳で突いた。
「あたしが言ってるのは、心の問題だ」
慶慎は海恵子を見た。海恵子は続けた。
「喘息はね、環境とか、体の調子だけに左右されるものじゃないんだ。精神的なものにも、影響を受ける。今のあんたの発作の根っこにあるのは、そっちの方の問題に、あたしには思える」
「海恵子さんは、カウンセラーなんですか?」
「違うよ」
「じゃ、推測ですね」
「あのね。あたしが、あんたのこと、どれくらいの間診てると思ってんの。それこそ、生まれてからずっとって言っていいくらいだよ。あんたのことなんか、手に取るように分かる。そこいらのカウンセラーなんかよりも、あんたのことに関しては、理解してる」
「やめてくださいよ」慶慎は言った。「もうすぐ、冬だ。寒くなってきましたからね。季節の変わり目は、喘息の調子が悪くなる。海恵子さんに教えられたことです」
「心構えの変わり目もね」
「それ、今考えたでしょ」
「どうなんだい。殺し屋の仕事は」
 慶慎は、体が反応するのを止められなかった。視線を、海恵子から逸らす。
「別に。ただの仕事です」
「そんなわけないだろう」
「違うのは、せいぜい、人を殺さなきゃならないことくらいですよ。ただ、それだけのことです」
「それだけのこと、ね」
 慶慎は立ち上がった。
「もう、行きます。ありがとうございました。いつも、感謝してます」
「できるだけ、無茶はせず、安静にしてることだ。仕事柄、難しいかもしれないけど。でも、あんたの体は今、不安定だ。精神的なもので」
「もしくは、環境あるいは肉体的な要因で」慶慎は海恵子に、自分が元気であることを伝えるために、微笑んだ。「季節の変わり目ですからね」
 海恵子は目を閉じて、うつむくようにして言った。
「あんたの人生の、変わり目でもある」
 慶慎は返事をせず、海恵子の診療所を後にした。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

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posted by 城 一 at 00:43| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第15回

 体調が悪いのは、分かっていた。だが、そうも言っていられない。自分には、守らなければならない居場所がある。殺し屋としての、居場所。延々と、体の不調を訴えていれば、簡単になくなってしまう。
 慶慎は家に帰ると、海恵子から渡された薬を飲んだ。食事もそこそこに、すぐに眠った。
 血まみれの松戸孝信の顔。今にも飛び出そうなほど、見開かれた目。顔と同じく、血で赤く染まった両手。それが、自分に伸びる。切り裂いた喉からは、枯れない泉のように、血が溢れ続けていた。同じように、口からも血が流れている。敵意は感じなかった。ただ、血まみれの手が伸びてきて、慶慎の顔を撫でた。鏡で見なくとも、自分の顔がべとついた血で真っ赤になっているのが分かった。
 絶叫。慶慎は、自分の叫び声で目を覚ました。全身、汗でぐっしょりと濡れていた。息を吸い込もうとして、悪態をつく。また、喘息の発作が起きていた。病んだ気管、肺をナイフでえぐり出してやりたい衝動に駆られた。その衝動を抑え、キッチンへ行って、水を飲んだ。吸入器を使った。これでもう、今日、何度使ったか分からない。慶慎は思った。
 とは言え、日付は既に変わっていた。なら、これは今日の一回目だ。慶慎はそう思うことにした。昨日使った回数に関しては、忘れることにした。
 まだ、暗闇の中だった。カーテンを開けても、朝の欠片も見当たらない。深まる夜に、さらに浮き足立つ、人工的な光の溢れる街が見えるだけだ。時刻は午前零時を、少し過ぎたばかりだった。朝は、遠い。
 もう一度、ベッドに入ってみた。汗まみれの体が気持ち悪かった。汗を吸い込んだ布団も、同じだ。眠りも、やって来なかった。まるで、喘息の調子の悪い慶慎の様子を見て、興醒めでもしたかのように。
 慶慎は眠るのを諦めた。パジャマを脱ぎ、着替えた。カーキ色のカーゴパンツ、黒いトレーナー。首周りにファーのついた、グリーンのジャケット。
 無意識のうちに、銃を収める場所を探していた。カーゴパンツの前の部分に挟めた。上からトレーナーをかぶせた。
 慶慎は、街へと繰り出した。

 家の中にいるよりは、新鮮な空気が吸えると思った。実際、そうだった。海恵子に言わせれば、冷たい空気を吸うことも、あまりよくないのかもしれないが。
 目的はなかった。歩き回っているうちに、体の調子が落ち着いて、眠りが訪れてくれればいい。慶慎はただ、歩いた。
 誰かの注意を引こうと、けばけばしく点灯するネオンサイン、腰を振って歩く女、中身のない言葉を囁く男。なまめかしい声、しゃがれた声。重なりすぎて、低いハウリングのように聞こえる、靴がアスファルトを打つ音。
 何人かの呼び込みに、慶慎は呼び止められた。どう見ても、慶慎は十代前半の顔をしているのだが、呼び込みは全く意に介さなかった。淫靡な風俗の店に、慶慎のことを誘い続けた。
 心と体が、剥離している感覚が、慶慎を襲っていた。街を歩く中で、何もかもがどうでもよくなる瞬間があった。黒い衝動が、腹の中でうごめいていた。ふとした瞬間に、誰かに殴りかかってしまうのではないか。慶慎はそんな不安に駆られていた。銃を持って来たことを、少し後悔していた。
 同じように、衝動が性的なものを含むときがあった。お陰で、風俗店の呼び込みの言葉に、危うく乗せられてしまうところだった。
 慶慎は、騒々しい街にうんざりし始めていたが、帰る気にもなれなかった。全く、眠たくなる気配がなかった。それどころか、頭は覚醒する一方だ。松戸の死に様がまた、鮮明な映像になって慶慎の頭を支配し始めていた。頭痛が始まった。そして、吐き気。
 少し、街の喧騒から離れた。人気のない場所。自然、光も減る。
 雑居ビルとコンクリート製の塀に囲まれた、公園。塀には、大きな落書きが施してあった。慶慎には何と書いてあるのか分からなかった。そこに逃げ込もうと思った。何者かの怒鳴り声がして、慶慎は後悔した。何やら、喧嘩が行われているようだった。近づいていくと、聞き覚えのある声がした。
「やめてよ!」
 少女の声。膝上のジーンズのスカート、胸元が少し大きめに開いた白いカットソーに、黒いジャケット。近づき、少女の姿がはっきりするに連れて、慶慎の足取りは速まった。
 市間安希。数人の少年たちに絡まれているところだった。
「いいじゃない。俺たち、褒めてんだよ。君みたいにいいオンナ、見たの久し振りよって」
「その言葉はありがたく頂戴するわって、こっちも言ったわ。けど、そのお礼にあんたたちにご奉仕してあげるつもりはないって言ってるの」
「そりゃないよな、世の中、ギブ・アンド・テイクで成り立ってるんだぜ」
「ギブ・アンド・テイクで成り立ってるって意見には賛成だけど、あんたたちの言うギブ・アンド・テイクには同意しかねるわ」
「ドーイ? 姉ちゃん、難しい言葉使うのね。俺たち、分かんない」
 少年たちは、安希の手を掴んだきり、離そうとしない。安希は一段と怒りを込めて、口を開いた。
「あのね」
 安希と少年たちから、少し距離を置いて、慶慎は立ち止まった。そして言った。
「言っても分からないかもしれないけど、会話、ほとんど破綻してるよ。あんたたち」
 少年たちが、慶慎を見る。
「あ、まずいなこれ。こいつ。何か、正義の味方気取りだ」
「どうせ気取るなら」慶慎は安希を指差して、言った。「彼女のボーイフレンドを気取りたいな。どう?」
 安希の表情は複雑なものだった。緊張と、突然、慶慎が現れた驚きが入り混じっていた。安希は慶慎の言葉に何度か頷いた。慶慎のことを指差し返して、言う。
「彼、あたしのボーイフレンドだから。だから、あんたたちとつき合うの、無理だから」
 少年の一人が言った。夜なのにも関わらず、黒いレンズのサングラスをしている。
「ボーイフレンドは、たくさんいるに越したことはないぜ、お姉ちゃん」
「残念ながら、あたしは一人で十分なの」
 少年の一人は、安希の言葉を聞いて、肩をすくめた。
「しょうがない。じゃあ、引き算しなきゃならない」少年は言った。慶慎を指差す。「お前を間引く。お姉ちゃんのボーイフレンドがゼロになる。困る。誰かをボーイフレンドにしなくちゃならない」
 慶慎は黙ったまま、待った。サングラスの少年が近づいてくる。少年たちの数は、三。全員の注意が、慶慎に向いていた。安希は既に、解放されている。が、逃げる気はないようだった。
 手の届く距離に、サングラスの少年が来た。二人が、その後方を固めるようにしている。周囲をちらちらと見ていた。警察の存在の確認でもしているのだろう。
 サングラスの少年が拳を繰り出した。喧嘩慣れはしているようだったが、それでも慶慎には止まって見えた。難なくかわし、その腕を掴んだ。拳を放った勢いを利用して、投げる。投げ捨て、走った。二人は隙だらけだった。まるでものをよけるかのようにして、慶慎は、一人をもう一人に向けて突き飛ばした。簡単に、一人は吹っ飛んだ。もう一人は、倒れて来た仲間を受け止めそこなった。一瞬のうちに、三人共、地面に這いつくばった。が、もちろん戦意はある。
 慶慎は安希にたどり着いた。明らかに、動揺する安希の手を引いて、走った。
「ケイちゃん、強いんだね」手を引かれて走りながら、安希が言った。
「違うよ」慶慎は言った。「あいつら、地面とキスするのが趣味なんだよ、きっと」
 安希が笑った。



つづく




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posted by 城 一 at 04:53| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第16回

 走った。
 どれくらい、街の中を走っただろうか。慶慎は、安希に言われて、その足を止めた。
「もう、大丈夫だよ」
 慶慎は頷いた。心臓がまた、激しく鼓動していた。息が切れていた。喘息の発作。安希と出会ったときのことを、思い出した。慶慎が安希と初めて会ったときも、体調の悪いときだった。喘息の発作を起こしていた。
「前に会ったときも、そんな感じだった」安希がそう言いながら、慶慎の背中をさすった。「大丈夫?」
「喘息なんだ」
「喘息?」
 慶慎は首を振った。要約して言えば、気管が弱いということだった。何かあれば、痰などが溜まったりして、呼吸することが困難になる。が、知らない者に説明するのは難しかった。
「少し休めば、治るよ。ごめん」
「何言ってるのよ。あいつらから助けてくれたじゃない。こちらこそ、ごめんね。って言うよりも、ありがとう、だね」
「どういたしまして」
 安希は笑顔で頷いた。近くのテナントビルの三階に、二十四時間営業の、漫画喫茶があった。安希が、そこで休もうと言った。慶慎は賛成した。
 慶慎たちが入った漫画喫茶には、ドリンクバーが入っていた。慶慎はコーヒーを飲んだ。安希は、紅茶。時刻は、午前一時を回っていた。しばらく黙って、二人で漫画を読みふけっていると、慶慎の喘息の発作も落ち着いた。
「説教するわけじゃないんだけど」慶慎は言った。「でもやっぱり、この時間の、女の子の一人歩きは危ないよ」
 安希は、紅茶の入ったマグカップを覗き込みながら、頷いた。
「うん」
「何か、あったの?」
「そうじゃないんだけど。なんだか、眠れなくて。家にいるのも、嫌でね」
「親と、喧嘩でもした?」
「それはもう、ずっと前のこと。今は一人で住んでるの」
 安希の表情が曇った。
「ごめん」
「いや、あの、死んだわけじゃないから。うちの親」
「そう」
 安希は無理やり作ったように見える笑顔で、慶慎のことを見た。
「でも、そんなこと言ったら、ケイちゃんだって一緒じゃん」
「そう言われれば、そうだ」慶慎は頬をかいた。「僕も、眠れなかった」
「親は?」
「いない」言って、慶慎は首を振った。「いや、違うかな。いないって思いたいんだろうな。ほんとは、いるよ。でも僕も別々に暮らしてる」
「そうなんだ」
 二人は束の間、うつむいて、それぞれのマグカップの中身をすすっていた。コーヒーがなくなろうとする頃、安希が手を打った。
「そうだ! ねえ、ケイちゃん。あいつらのこと、知ってる?」
「あいつら?」
「さっき、あたしに絡んできてた奴ら。街でも、有名なワルなの」
「どうせ、一ヵ月後には解体してるよ。結局は、協調性のない奴らの集まりなんだから」
「それが、そうでもないのよ」安希は立ち上がると、慶慎の手を取った。「ちょっと来て」
 安希は、慶慎をインターネット・コーナーに連れていった。インターネットに接続してあるパソコンが設置された場所だ。そのうちの一つに、安希は席を取った。安希は、少しの間、キーボードとマウスを操作すると、一つのホームページを表示した。<アンダーワールド>という、かすれた白い文字が、黒い背景に大きく映し出されている。
「あいつら、アンダーワールドの信者なのよ」
 安希が、そう言って慶慎を見た。慶慎は肩をすくめた。
「アンダーワールドって?」
「知らないの、ケイちゃん。ティーンエイジャーだよね、一応」
「少なくとも、赤いちゃんちゃんこをプレゼントされるのは、まだまだ先だね」
「アンダーワールドはね、バンドの名前。全員、二十歳未満、つまりアンダー・トゥエンティで構成されてるの。だからアンダーワールド。もちろん、ファンには二十歳以上の人もいるんだけど、二十歳未満で知らない子は、誰もいないってくらい……だったんだけど」
「ずいぶん身近に、例外がいたもんだね」
「ま、あくまでも例外のはずよ。その辺のティーンに聞いてみなよ。みんな、知ってるんだから」
「へえ」
「ケイちゃん、興味ナッシング?」
「安希って、僕の心境を表現するのがうまいね」
 画面の中には、スマイルマークがいくつも並んでいた。向かって左目が、アルファベットの「U」で、右が「W」。歯を出して笑っている、眠りながら悪戯っぽく笑っているように見える、スマイルマークだった。
 安希は、その一つをクリックした。そして、慶慎に、パソコンについていたヘッドセットを渡した。慶慎はそれを受け取り、頭につけた。途端に、ざらついた音楽が流れてきた。安希が言った。
「それが、アンダーワールドの歌。アンダー・オブ・アンダー≠チて曲。ま、さびの部分しか入ってないんだけど」
 安希の言った通り、曲はすぐに終わった。慶慎はヘッドセットを外し、安希に手渡した。
「アンダーワールドの代表曲なんだけど……ケイちゃんの興味を刺激しなかったみたいね」
 慶慎は肩をすくめた。
「ジャズの方が好きかな、僕は」
 安希が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「うえっ、ジャズ! 親父くさいなあ」
「恩を仇で返すって、こういうことを言うんだよね」
「それとこれとは別。でね、そのアンダーワールドのメンバーに、アンバーって、ベース担当の人がいるんだけど」
「外人?」
「日本人」
「体操の鞍馬が得意なんだ」
「英語のアンバー。揚げ足取りはやめてよ、もう。アンバーはね、ちょっとパフォーマンスが過激なの。喧嘩とか当たり前だし。ベースとか、ライブでよく壊すし。ファンの中で、軽い子はほとんどアンバーとやってる」
「やあ、暴君だ」
「で、ファンにも色々、種類があるんだけど、その中でもアンバー・ファンの過激な連中が集まったのが、アンバー・ワールドなの」
 安希がまた、アイコンの一つをクリックした。今度は、文章が表示された。ロック・バンドのホームページの雰囲気には合っていない、丁寧な文章だった。内容は、アンダーワールドは、街で事件を起こし続けるアンバー・ワールドを許しません。アンバー・ワールドはあくまでも、アンダーワールドに影響を受けた少年少女たちの集団であり、アンダーワールドとは直接、なんの関係もない。そういった内容だった。
 アンダーワールドのものとは、また別のスマイルマークが、そこには表示されていた。赤褐色の地に、アルファベットの「U」と「W」の目。こちらは口が閉じられていて、まるで糸で縫いつけられたかのようなものになっていた。安希が、それを指差した。
「これが、アンバー・ワールドのマーク。見かけたら、関わらない方がいいよ。まっとうなアンダーワールドのファンは、迷惑してるんだから、ほんと」
「そりゃ結構」
 慶慎と安希の後ろで、声がした。振り返ると、オレンジ色の髪を逆立てた少年が一人、携帯電話を耳に当てながら、二人を見ていた。その後ろにも、何人かいる。
 オレンジ色の髪の少年は、慶慎と安希の服装を、携帯電話の向こうの相手に確認していた。そして、頷いた。
「ああ、俺の前にいる」
「誰だ、お前」慶慎は少年に言った。
「今、話題にしてただろ」少年は、着ていたブルゾンを開いた。下に着ていたパーカーの胸に、缶バッジがついていた。アンバー・ワールドのスマイルマーク。
「ちょっと待っててな」少年は慶慎を見た。「今、お前が遊んでくれた奴らが来るからさ」
 少年の後ろには、三人いた。少女が一人。少年が二人。慶慎は言った。
「困ったな。こっちは、これから色々と予定があるんだ」
 オレンジ色の髪の少年が、ブルゾンを脱いで、後ろの少女に渡した。
「全部、キャンセルだ、ベイビ」



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 04:48| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第17回(ver 2.0)

 三人。慶慎は数えた。相手の戦力になりそうな人数だ。少女のことは、除外した。
 オレンジ色の髪を先頭に、少年が二人。赤いニットキャップの少年、坊主の少年。坊主が、一番、体格が大きかった。オレンジ色の髪の少年が、バタフライナイフを取り出した。
「ま、ここなら、時間潰すのに苦労はしないけど」オレンジ色の髪は言った。「でも、どうだろうな。漫画を読むのは飽きたな」
 慶慎のことを挑発するように、少年の手のひらの上で、バタフライナイフが輝きながら転がる。
「そう? 僕は、悪くないと思うけど。日本が、世界に誇れる文化だろ?」
 出口は、一つしかなかった。慶慎たちと、アンバー・ワールドの少年たち。ちょうど、その真横。逃げるチャンスは、ある。慶慎は、安希を振り返り、視線で出口を示した。安希が、注意して見なければ分からないほどの大きさで、横に首を振る。慶慎は、視線に力を込めた。
「ケイちゃん!」
 殺気。分かっていた。慶慎はバタフライナイフを握った手を、振り向きざまに掴んだ。みぞおちに膝を入れる。オレンジ色の髪が息を呑んだ。足をかけて、床に転がす。同時に、手首を捻っていた。ナイフが床に落ちた。
 床を蹴った。赤いニットキャップ。次の瞬間には、その腹を正拳突きでえぐっていた。前蹴り。赤いニットキャップの少年が吹っ飛び、パソコンコーナーに突っ込んだ。派手な音を立てて、キーボードやマウスが床に落ちる。拳。坊主の少年だった。かわし、裏拳でその顔を打つ。一度拳を落とし、今度はその顎を打ち上げた。なおも襲いかかってこようとする坊主の少年を、ハイキックで昏倒させた。
「安希」
 安希を振り返った慶慎は、顔を歪めた。少女が、バタフライナイフを持って、安希の喉元に突きつけていた。
「女の子が、そういうことをするもんじゃない」慶慎は言った。
「あたしはあんまり、抵抗ないの。こういうことをするのに」少女はにやりと口角を上げた。「駄目よ、動いちゃ」
「ごめん、ケイちゃん」
 慶慎は首を振った。足下に、オレンジ色の髪の少年が倒れていた。足を思いきり振り上げ、その顔を踏みつけた。少女が怒りの混じった悲鳴を上げた。ナイフが、安希の喉元を離れた。
 飛んだ。少女が慶慎を視界に捉えたときには、もう遅かった。床に押し倒していた。ナイフは、既に慶慎の手の中にあった。慶慎は、ナイフを、少女の顔のすぐ横に突き立てた。少女は震えていた。
 慶慎は少女を睨みつけた。
「いいか。二度とするな」
 そう言って、慶慎は少女から離れた。安希の手を取る。そう長く、時間があるとは思えなかった。
「ケイちゃん」
「話は後にしよう」
 慶慎は安希の手を引いて、漫画喫茶を出た。
「僕の家は、ここから三十分くらいかかる。安希の所は?」
 すぐに、答えは返って来なかった。慶慎は、安希を振り返った。
「すごく……遠いよ」
「じゃあ、僕の家だ」
 まだ、雑踏の中だった。携帯電話を耳に当てる者全てが、敵に見えた。走りながら、慶慎は吸入器を使った。
「ごめんね、ほんとに」
「いいって。でも、カナジョウって、こんなに危ない街だっけ」
「まあ、時間が時間だし」
「何度も言って悪いけど、この時間の散歩はよしなよ、ほんとに」
「ごめん」
 人通りの多い道と、少ない道。どちらを行った方が安全なのか、分からなかった。慶慎は最短の道を選んで、走った。一人、肩を掴んで止めようとする者がいた。殴り飛ばして、地面に昏倒させた。
 二人。前方に立ち塞がる者がいた。止まらず、一人に突進した。顎に頭突き。白目を剥いて倒れる一人を蹴り、その反動を利用して、もう一人を蹴り飛ばした。さらに走る。また、吸入器を使った。
 大きな通り。青信号。止まっている車を横目に渡る。一台の車が、慶慎目がけて唸りを上げた。紙一重でかわせるタイミングだった。が、慶慎は足を止めた。振り返る。安希が転んでいた。車の真正面に、安希がいた。安希を突き飛ばし、慶慎は真上に飛んだ。黒いワゴン。かわしきれなかった。フロントガラスに衝突する。フロントガラスに、蜘蛛の巣が広がった。車の上に転がる。こめかみから、血が滴った。
 少年たちが、車から降りて来た。もはや、安希の方を見向きもしていない。それは、いい傾向だった。目標が自分一人だけならば、なんとかなるかもしれない。立ち上がろうとして、転んだ。後ろから伸びていた手が、足を掴んでいた。その手を蹴りながら、地面に着地する。一人。腹を蹴り、顔に拳を叩き込んだ。真横。タックル。かわしたと思った瞬間、全身を鈍い痺れが覆った。タックルをした少年は、手にスタンガンを持っていた。
 地面に崩れそうになるのを、後ろから抱えられる。周囲はとても、静かだった。数々の車に囲まれた中で行われている光景に、戸惑っているのか、誰もクラクションを鳴らさない。慶慎は、黒いワゴンの方へと引きずられた。
 悲鳴。安希だった。慶慎と同じように、羽交い絞めにされ、ワゴンの方へと運ばれようとしていた。
 慶慎は、自分の体を掴む手の指を一本、思いきり、本来曲がるのと逆方向へと曲げた。後ろで、少年が息を呑むのが分かった。羽交い絞めをほどき、後ろ蹴りを、そのみぞおちに叩き込む。飛んだ。安希の後ろ、少年の顔を蹴り飛ばす。力が入らなかった。が、顎を捉えた。踏みとどまろうとする少年のこめかみを殴る。掌底で顎。手刀で喉。安希が解放される。
 逃げろ。慶慎は言おうとした。が、自分の口がその言葉を言ったのかどうかは、分からなかった。首の後ろを殴られた。視界が暗くなった。頭、腹、背中に衝撃。殴られたのか、蹴られたのかは分からない。膝が、地面を捉えたのが分かった。次に、両の手のひらが。そして、顔。冷たいアスファルトの感触。
 自分の名前を呼ぶ声が、ずっと響いていた。安希の声。自分の体が持ち上げられ、半ば投げるような扱いを受ける。
 最後に聞こえたのが、ワゴンの扉が閉まる音だということは、慶慎にははっきりと分かった。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

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posted by 城 一 at 04:35| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第18回(ver 2.0)

 耳障りな笑い声で、慶慎は目を覚ました。
 ワゴンが、地面のおうとつを捉え、断続的に揺れている。慶慎は、腰の後ろで、両手を何かで縛られていた。縄か何か。手首に食い込んでいた。隣に、同じような姿勢で、安希がいた。ちくしょう。慶慎は舌打ちした。
「お目覚めだな、百万ボーイ。気分はどうだ?」
 黒いパーカーに、ベースボールキャップをかぶった少年が、下卑た笑いを浮かべながら、慶慎に言った。パーカーには、ジャック・オー・ランタンを模したイラストが描かれていた。
「意味不明な名前で呼ばれて、不愉快極まりないね、ジャック」
「パンプ」
「何?」
「パンプ。そう呼べ」
「どうしてパンプなんだい」
 車内にいた、他の少年が言った。
「かぼちゃ好きなんだよ。腹壊すまで、食べたこともあるって話だ。だから、パンプキン。で、パンプ」
 慶慎は、パンプを見た。パンプが顔をしかめる。
「なんだよ」
「あまりにも、捻りに満ちた名前なんで、感動してるんだ」
 蹴り。あまりにも突然のことだった上に、慶慎は自由を奪われた状態だ。かわせなかった。パンプの足は、まともに、慶慎の腹を捉えた。
「あんまり、からかうなよ。パンプは、気が短いんだぜ」
 白いダウンジャケットに、青いタンクトップを着た少年が、喉の奥でくっくっと笑った。
 車内には、前の座席だけが残されていた。後ろのスペースには、ぼろぼろのマットレスが、裸のまま、置かれていた。マットレスが、何に使われているのかは、慶慎にも何となく分かった。後部には、慶慎と安希を入れて、五人いた。パンプ。白いダウンジャケットの少年。鼻にピアスを施した少年。運転席と助手席に、一人ずつ。慶慎の所からは、前の二人の格好は見えなかった。
 慶慎は、顔をしかめた。頭が、度重なるトラブルとダメージに、抗議するようにして、鈍く痛みを伴った鼓動を続けていた。こめかみに何か感じた。慶慎は、肩を動かし、そこで自分のこめかみをこすった。血がついていた。口の中も、切れていた。舌で探ると、すぐに分かった。血の混じった唾を、慶慎は床に吐き捨てた。隣では、安希が震えている。何とかしてやらなければならなかった。
 慶慎は、フロントガラスを見た。自分の体がぶつかったときの衝撃で、白い蜘蛛の巣ができている。
「あんなに人が大勢いる前で、人をはねるなんて、やんちゃが過ぎるんじゃないのかい?」
 パンプは肩をすくめた。
「ご褒美が出るんだ。そりゃ、はりきりもする」
「ご褒美?」
「金だよ。百万円。五人で割れば、一人二十万」
「賞金。誰が出すんだい?」
 パンプが、白いダウンジャケットの少年を見た。
「カズ、このこと言っていいんだっけ?」
「別に、口止めはされてなかったと思うけど」
「つっても、名前、覚えづらかったんで、あんまりはっきり覚えてないんだよな。オル……何とか」
 背筋に悪寒が走った。慶慎は、パンプの顔を見た。
「リタ・オルパート?」
 パンプが、慶慎のことを指差して、声を上げた。
「そう!」
 馬鹿な。慶慎は思った。リタと、初めて顔を合わせてから、十二時間あまりが経った。とは言え、情報収集にはまだまだ、足りていないと言っていいはずだった。ろくな資料を手に入れることさえも、難しい。何せ、リタの元には、慶慎の顔の記憶以外、何の情報もないだろうから。名前、出身、経歴。そんなものをたどっても、限界はある。ましてや、慶慎は、仮にもカザギワの殺し屋なのだ。しかも、登録したばかりの。情報が集まって来ないのは、当たり前とも言えた。なのに。
「納得いかない。そういう顔、してるぜ」パンプが言った。
「懸賞金をかけられる理由が分からない」
「誰かの恨みでも買ったんだろ」
 パンプは、助手席の方から、一枚の紙片を取った。慶慎はそれを見て、確信した。慶慎は言った。
「あんたたち、僕の名前、知らないな」
「ケイシン。違うか?」
 慶慎は、リタに、下の名前だけ、名乗っていたことを思い出した。パンプの言葉に、返事はしなかった。
「どんな奴かも、知らないな」
「大げさだな。どんな奴なんだ、お前?」
「ノーコメント。あんたたちが探してるのは、もしかすると、僕じゃないかもしれないな」
「そうかな? こいつは、かなりお前に似てるぜ」
 最後のはもちろん、はったりだった。相手がリタ・オルパートである以上、探しているのは、慶慎に他ならない。
パンプが手に取った紙片。それに描かれていたのは、似顔絵だった。鉛筆による、黒の濃淡で表現された、慶慎の顔。そっくりではないが、顔の特徴は、ほぼ正確に捉えていた。
 自分で描いたのか、誰かに描かせたのかは分からないが、リタ・オルパートは、その似顔絵を足がかりにして、慶慎を探そうとしているのだ。逆に言うと、今の彼女の下には、その程度の情報がない、とも言えた。
 似顔絵は、コピーしたものではなく、本物だった。その似顔絵に触れたであろう、何人もの手が、紙片の表面をこすり、絵にされた慶慎の、顔の輪郭などをぼやけさせていた。
「けど、ちょっと話が見えない。君たちは、アンバー・ワールドじゃないのか?」
「いや。アンバー・ワールドだ」
「じゃあ、僕が彼女の」慶慎はそう言って、首を動かし、安希のことを指し示した。「ナンパを邪魔したから、怒ってるんじゃないのか?」
「まあ、俺たちは怒ってないな。捕まえる寸前に、お前に暴れられて、受けた傷のこと以外は」
「アンバー・ワールドの仲間なのに」
「誤解するなよ。アンバー・ワールドは別に、全てのメンバーの意思統一がなされてるわけじゃねえんだ。それぞれ、自由だ。大きなくくりの中では一緒だが、考えが少しでも違えば、全く一緒に行動しないことだってある」
「なら、ナンパをした奴らは」
「まだ、お前のことを探してる。漫画喫茶の奴らも、同じだ」
「リタ・オルパートから、その似顔絵を渡されたのは、あんただけなのか?」
「そうだ。コピーして、みんなに回してくれと言われたがな。もちろん、そのつもりだったが、わざわざお前が見つかってから、そんなことをするつもりはねえ。賞金の取り分が減るだけだからな」
「かぼちゃにも、計算はできるんだな。勉強になったよ」
 慶慎は、パンプに平手で殴られた。反射的に出た言葉だった。先ほど、カズと呼ばれた、白いダウンジャケットの少年が言った。
「気をつけるんだな。百万は、絶対じゃないんだ。あんまり減らず口叩いてばかりいると、優先順位が入れ替わることになる。金を手に入れるよりも、くそったれを始末する方を優先すべきだと、俺たちが考えるようになるかもしれない」
 パンプは口許でにやりと笑った。
「そこの可愛い、お前のガールフレンドに振られた奴らから、連絡が入った。ナンパの邪魔をした奴の、特徴を言われた。俺たちは、もしかしたら、と思った。漫画喫茶で、お前に倒された奴らの所に行って、この似顔絵を見せた。もちろん、百万のことは言わずにな。奴らは、そいつだ、と言った」
 カズが、得意気に手を叩いた。
「ビンゴ」
 ワゴンが走っている道路の状態は、あまりよくないようだった。よく、揺れた。直に、床に座っている慶慎には、直接振動が伝わった。尻が少し、痛かった。
「これから、リタ・オルパートの所に行くんだな」
 パンプが答えた。
「連絡を取ってるところだ。が、時間が時間だ。あちらさん、寝ちまったんじゃないかな。連絡がつかないから」
 リタ・オルパートを捕まえる、チャンスかもしれない。このまま待っていれば、向こうから、会いに来てくれるのだ。それまで、おとなしくしていよう。慶慎は思った。次の、パンプたちの言葉を聞くまでは。
「ま、百万を拝むのは明けてからになるだろうな。それまで、お前は、俺たちの隠れ家に置いておく。暇はしないだろう。可愛い彼女に遊んでもらうから」
 パンプの言葉に、カズが言った。
「ファック、ファック、ファック!」
 車内に、下卑た笑い声が響いた。
 慶慎は、考えを変えた。
 ワゴンのタイヤが、一際大きな道路のへこみを捉えた。ワゴンが揺れた。決して大きな揺れではなかったが、体重移動のきっかけにはなった。慶慎はそれを利用して、跳ね上がった。パンプに肩から体当たりする。着地し、折った腰を回す。もう一人。慶慎を捕まえに来た所に頭突きを食らわせた。
 三人目、カズ。慶慎はその方向を見て、動きを止めた。声に出さず、悪態をついた。真っ黒い穴が、慶慎のことを見つめていた。銃。慶慎が持っていた、CZ75だった。
「くそ物覚えの悪い奴だ」カズは、銃身をスライドさせ、弾を送り込んだ。「いい加減に、まじで殺すぞ、ええ?」
 慶慎の襟を掴み、引き寄せる。そして、銃口で慶慎のこめかみを突いた。
「何とか言ってみろ、このくそったれ」
 慶慎は、冷たい視線で、カズの目の奥、その表情を伺っていた。まだ、余裕がある。慶慎は、そう確信した。まだ、冷静に金のことを計算する余裕が。慶慎は何も言わなかった。
 銃底が飛んで来た。鈍い衝撃が、こめかみを襲った。
「ケイちゃん!」安希が叫ぶ。
 慶慎は、無言で安希を見た。分かってる。必ず、助けるから。
 慶慎の攻撃から回復した、パンプともう一人が、ほとんど聞き取れない言葉を叫びながら、怒り狂い、受けた傷を何倍にもして、慶慎に返した。たくさんの足が、慶慎目がけて飛んで来る。
 父から虐待を受けていた頃の日々を、慶慎は思い出した。ただ、ひたすらに終わりを待つ感覚。こういうときの、やり過ごし方を、慶慎は知っていた。体を丸め、意識と体を剥離させる。痛みに耐える自分を、冷静に見つめるもう一人の自分をイメージする。
 慶慎は目を閉じた。
 大丈夫。痛くない。痛くないよ。
 周りを取り囲む、罵倒の声が、少しだけ遠くなった。



つづく




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posted by 城 一 at 03:37| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第19回

 慶慎は、冷たい窓に頭を寄せた。
気の遠くなるような、暴力の嵐の後だった。体を少しでも動かすと、どこかしら、悲鳴を上げた。窓の外の景色。ライトアップされた街。光が線を描きながら、後方へと流れていく。
 うっすらと開けた視界。白と黒に塗り分けられた車が見えた。パトロール中のパトカー。慶慎の乗るワゴンとすれ違った後、Uターンをした。パトカーに、赤い灯がともる。慶慎は、口許を歪めた。
 運転手がバックミラーを見て、苦々しげに、くそっ、と呟いた。車内がざわめく。
 慶慎は、フロントガラスを見た。自分が衝突してできた、蜘蛛の巣はもちろん、そのままだ。パトカーに目をつけられるのは、当たり前だった。
相変わらず、状態の悪い道路を、ワゴンは走っていた。車内が揺れる。ワゴンは、パトカーから逃げるべく、唸りを上げた。
 小ぢんまりとした家が密集する、住宅街へと滑り込む。小道を選び、右へ左へと、大きく車体を揺らしながら走る。が、苦しかった。計七人を乗せたワゴンだ。パトカーから逃げるには、重過ぎた。いくら走っても、ワゴンはパトカーを振り切ることができなかった。
 カズが、思いつめた表情で、自分が手にしている銃を見た。慶慎の持っていた、CZ75。
「やるしかねえか」
 黙って見過ごすことはできなかった。まだ使っていないとは言え、自分の銃だ。カザギワの手の入ったものでもある。安易に、警察の目にさらすことは避けたかった。
「冷静になりなよ」慶慎は言った。
「何?」
「向こうの神経を逆撫でするだけだ。やめといた方がいい。諦めな」
 パンプの蹴りが、脇から入った。慶慎は痛みをこらえて、唸った。
「黙ってろ、くそったれ。てめえの都合で動く気はねえよ」
「じゃあ聞くが」慶慎は、歯を食いしばりながら言った。「銃でどうするつもりだ? ただ単に、パトカーを撃つ? 馬鹿も大概にした方がいい。そんなことをされたおまわりは、どうすると思う? 断言してもいい。無線で仲間を呼ぶに決まってる」
「お仲間が来る頃には、俺たちはもう」
「逃げ切ってる? まさか。銃を撃っただけで、このくそ重たい、七人乗りのワゴンがパトカーから逃げ切れるほどの距離を稼げるとは、僕には到底思えないね。それとも、おまわりを撃ち殺して、指名手配にでもされるかい?」
「黙ってろ」
「僕と彼女を落としてくって、方法もある」
 激昂したカズが、また銃口を、慶慎のこめかみに突きつけた。
「黙ってろ!」
 慶慎は黙った。
「くそっ、どうすりゃいい?」パンプが、煙草をくわえ、それに火をつけようとした。手が震えていた。「ダッシュボードには、ドラッグもたんまり入ってる」
 パンプの手にしたライターは、火のつきが悪かった。しかも、パンプの手は震えていた。いつまでも、煙草に火がつかなかった。車が揺れた。その拍子に、パンプは、手にしていたライターを落としてしまった。そして、見失った。何度も、叫ぶように悪態をつく。カズが、代わりにつけてやった。
 パンプは、運転手を怒鳴った。もっとスピードを上げろ、とのことだった。運転手は、既にそれを試みていることを、怒鳴り返した。カズが、先ほど言った、慶慎の提案を検討し始めた。慶慎と安希を落として、車を軽くする、という案だ。慶慎には、パトカーから逃げ切れるほどに軽くなるとは思えなかったが、黙っていた。もちろん、彼らがパトカーから逃げ切るためのものではなく、慶慎と安希が、パンプたちから逃げるための提案だった。
 パンプが、車内にあったマットレスに目をつけた。慶慎は内心、舌打ちをした。悪くない案だった。警察に対する挑発的な行動の中では、一番、安全な方法のように思えた。
 パンプたちは協力し、素早く後部ドアを開け、マットレスを放り出した。地面に、縦に突き刺すようにして。マットレスはまるで、パトカーのフロントガラスに張りつくかのようにして、飛んで行った。パトカーのタイヤが、悲鳴を上げた。回転して避けようとしたものの、まともにマットレスがぶつかったパトカーが、瞬く間に、視界の中で小さくなっていった。
 ドアを閉めると、後部にいた三人が、歓声を上げてハイ・タッチをした。一通り、警察を罵ると、パンプが慶慎を見た。
「見たか? てめえの意見なんか聞かなくても、おまわりから逃げることくらい、できるんだよ」
 少し前まで、パニックに陥っていたくせに。慶慎は思ったが、口には出さなかった。ワゴンは相変わらず、揺れていた。その揺れに耐え切れなかったようにして、慶慎は、わざと倒れた。パンプの落としたライターを、縛られた手で拾う。
 助手席の少年が、景気づけに、と言って、車内でかかっているCDのボリュームを上げた。その曲に、慶慎は聞き覚えがあった。先ほど、漫画喫茶で安希に聞かせられた曲だ。アンダーワールドの、<アンダー・オブ・アンダー>という曲だった。鼓膜が破れるのではないか、というほどのボリュームで、その曲は流れた。
 チャンスだった。ライターを使う音など、誰にも聞こえないだろう。慶慎は縛られているものを狙って、ライターの火をつけた。火の調整はできない。縛るものと一緒に、手首にも火が届いていた。慶慎は耐えた。
 手首を縛るものが、少しずつ緩んでいくのを感じた。もう少し。
 車内にいる者たちの誰もが、浮かれていた。銃を持ったカズも、同じだった。引き金を引けば、いつでも銃弾が発射できる状態にしてあるのにも関わらず、銃を振り回して、喜びを表現していた。
 なんでもない、揺れのはずだった。それまでにも、車は、状態の悪い道路の上で、揺れ続けていたのだ。なぜ、そのようなことが起きたのか、車内にいる誰も、理解することができなかった。
 まるで、曲にリズムを刻むようにして、銃声がした。
 カズが、自分の手の中にある銃を、不思議そうな表情で見た。彼自身、何が起きたのか、分かっていないようだった。
 どうしてそんなことになったのか。そんなことは、どうでいいことだった。
 慶慎は確かに、悲鳴を聞いた。安希の悲鳴。
 慶慎の両手が、自由になった。やはり、縛っていたのは縄だった。慶慎は、目を見開いた。
 銃弾が、安希の体を撃ち抜いていた。
 慶慎の中で、何かが切れた。



つづく




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posted by 城 一 at 05:11| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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