Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2007年01月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第20回(ver 2.0)

 ひびが走った。窓ガラス。
 慶慎が、少年の一人の頭を蹴り、叩きつけたのだ。少年の頭は小さく弾み、落ちそうになる。すくい上げるようにして、蹴った。右、左、右。一息に。
 喘息の発作が起きていたが、構わなかった。怒りが、息苦しさをかき消している。
 カズ。持っていたCZ75の銃口を、慶慎に向けようとしていた。慶慎は、気絶した少年の体を引っ掴み、その前に投げた。カズは躊躇した。銃ごと、その手を掴み、下に向けて捻った。ぴんと張った肘を蹴りつけ、折った。カズは大口を開けていたが、悲鳴は聞こえなかった。BGMにかき消されていた。取り上げた銃を手の中で回し、掴む。カズの脇腹を蹴り上げ、こめかみを銃底で殴った。白目を剥いて倒れる顎を蹴った。跳ね上がった顔の中心に、拳を叩き込んだ。
 放電の音がした。スタンガン。反射的に後退した。パンプだった。スタンガンを追うようにして蹴りが来た。慶慎はそれを受け流し、懐に踏み込んだ。スタンガンを持った腕に銃口を突きつける。迷いはなかった。引き金を引いた。痛みに歪んだパンプの顎を掌底で殴る。みぞおちをつま先で蹴り上げる。胃のものを戻すまで、蹴り続けた。ごぼごぼ、という音を聞きながら、慶慎は車のドアを開けた。
 運転手が、ワゴンを止めようとした。運転席の後ろからシートベルトを掴み、その首に巻きつけるようにして引っ張った。
「止めるな」
 弾くようにして、助手席のドアが開いた。走行中にも関わらず、助手席の少年は、車外に飛び出した。道路の上を転がる、少年の体を、慶慎は黙って見送った。
 銃を運転席のシートに向けたまま、後部スペースの者たちの排除に取りかかった。名も知らない少年、パンプ。躊躇せず、車外へ放り出した。
 カズ。気絶しているところを、抱え、体の半分を車外に出した。足の甲を踏み、履いているズボンのベルトを掴み、落ちる寸前で止める。カズの右耳を、撃った。やはり、悲鳴は聞こえない。慶慎は、運転席に向かって、ボリュームを下げろ、と怒鳴った。うるさいBGMの中、慶慎は二、三度繰り返さなければならなかった。ようやく、音の戻って来た世界で、慶慎は口を開いた。
「こっちを見ろ」
 カズは、車の下を猛スピードで駆け抜けて行くように見える、アスファルトの道路を、恐怖に彩られた目で、見ていた。慶慎は、台詞をもう一度繰り返した。カズが、慶慎を見た。パニックに陥っていて、体が安定できる場所を求めて、ゆらゆらと動いていた。
「あまり動くな。僕はそれほど、力持ちじゃないんだ」
 銃口を向けたまま、慶慎は言った。
「何言ってるんだ。お前は力持ちだよ。大丈夫だよ。だから、離さないでくれよ」
 銃を持った手で、慶慎は、カズのズボンのポケットを探った。財布が出て来た。市内の高校の学生証が入っていた。慶慎はそれごと、財布を自分のズボンのポケットに入れた。
「返してくれよ」
「駄目だ」慶慎は言った。「あんたは、このグループの中では、偉いのか?」
「何?」
「あんたの言うことを、他の連中は聞くのか?」
「ある程度」
「曖昧な答えだね。別に構わないけど。でも、他の連中が、あんたの言うことを聞かなければ、ひどい目に遭うのはあんただ」
「どういうことだよ」
「僕の記憶は、あんまりいい方じゃない。あんたの住所を覚えるので精一杯だ。だから、もし今後、リタ・オルパートのかけた賞金目当てで、アンバー・ワールドが僕のことを探してる、ということになったら、僕はあんたの家に行って、不平不満を言う」
「不平不満」
「場合によっては、言葉だけでは済まないかもしれない。あんたたちに日本語が通じないとなると、別のコミュニケーションの方法を考えなければならないかもしれない。こいつに、通訳を頼まなければならないかもしれない」慶慎は、カズによく見えるようにして、銃を軽く振った。「どうだろう。意味は、通じたかな」
「十分だ」
「よかった」
 慶慎はにっこりと笑うと、掴んでいたベルトを離した。カズの悲鳴は、一瞬で遠のいた。ドアを閉めた。運転手に銃を突きつけ、車を止めさせた。車から降ろし、一刻も早く、車から離れるように言った。
「この車は、親のなんだ」
「偉いな。親孝行のために、命を捨てる覚悟があるんだね」
 慶慎がそう言うと、運転手は短く悲鳴を上げ、全速力で走って、車から離れていった。
 慶慎は、後部スペースにいる安希の所に行った。安希は眠るようにして目を閉じ、額に脂汗をかいていた。撃たれたのは、左の肩口だった。銃創を中心にして、服が赤く染まっていた。苦しそうに、胸が上下していた。
 慶慎は、海恵子を携帯で呼び出した。
「知り合いが、撃たれたんだ」
 海恵子は、銃創の治療は自分にはできない、と言って、この時間でも活動している、もぐりの医者の居場所を教えてくれた。慶慎は礼を言って、電話を切った。
 安希の頬を軽く叩いて、起こした。虚ろながらも、目が開く。かすれた声で、安希が言った。
「ケイちゃん、大丈夫?」
「僕は大丈夫」慶慎の言葉を聞いて、安希は再び目を閉じようとする。懸命に、呼び止めた。「安希、寝ないで。これを傷口に当てて」
 車内には、誰かの脱ぎ捨てたTシャツが落ちていた。慶慎はそれを拾って、彼女に渡した。安希は半ば目を閉じながら、Tシャツを受け取り、傷に当てた。痛みに顔が歪む。
「これから病院へ連れて行くから。だから、寝ないで」
 慶慎は言うと、運転席に座った。車の運転は、知っていた。免許は持っていないが。フロントガラスの蜘蛛の巣を見る。警察に見つかるわけにはいかなかった。
 大通りを避けて、慶慎は車を走らせた。
 幸い、警察に見つかることなく、慶慎は、海恵子に教えられたもぐりの医者の所に、たどり着いた。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 00:49| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月23日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第21回(ver 2.0)

<コーポ・ハカマダ>。慶慎が海恵子に教えられたのは、小さな木造二階建てのアパートだった。鉄製の階段。所々、塗装の剥がれた外壁。ひびの入っている所もあった。一階と二階に、部屋が四つずつ。
 慶慎は、ぐったりとしている安希を背負い、一〇〇号室の部屋のドアを叩いた。大家の住んでいる部屋だ。黒縁の眼鏡をかけた、華奢な体つきの男が出た。白いジャージの上下、白いニットキャップ。
「岸田海恵子さんの紹介で来ました」
「ああ、聞いてる」男は、腕時計を見ながら言った。ゴムのバンドに、時計が小さくデジタルで表示されている安物だ。「早かったね」
 慶慎はドアを開ける前から、このアパートに、医者がいることが信じられなかった。それがたとえ、もぐりの医者だとしても。一部屋、どんなに広くても十畳はないだろう。そんなスペースに、治療を施す設備が収まっている様子が、どうしても想像できなかった。そして、ドアを開けると、その思いがさらに加速した。
 所狭しとスニーカーの散らばった、三和土。汚れた食器が積み重なる、台所。他にあるのは、部屋が一つだけ。万年床、こたつ。足の踏み場がなかった。脱ぎっ放しの服、雑誌、新聞。それを踏まずに、部屋の中を往来できない。
 慶慎は、重みを増し続ける、安希の体を揺さぶって、背負い直した。心なしか、彼女の肌が、徐々に冷たくなっている気がする。
「急いでいるんです。袴田さん、袴田績(はかまだ つむぐ)さんは、どこにいるんですか」
 部屋の中に戻り、こたつをどうにかして動かそうとしていた男は、慶慎を振り返り、眼鏡のずれを指先で直した。鼻先で軽く笑う。
「嫌だなあ。僕以外に、誰がいるの」
「あなたが、もぐりの医者の、袴田さん?」
「面と向かって、もぐり≠ニ言われたのは初めてだな。そうですよ、僕が無免許医の袴田績ですよ。他に、何か聞きたいことは?」
「まさか、ここで治療するわけじゃないですよね」
「ここで?」袴田は、散らかった部屋の中を示すように、ぐるりと手を動かして、目を丸くした。「君、ここで料理されたもの、食べたいと思う?」
「わけの分からないことを言ってないで、早くしてください! こっちは命がかかってるんだ!」
 慶慎は半ば、叫ぶように言った。袴田が、隣の部屋を壁越しに指差す。
「壁、薄いから、あんまり騒がないでね。その子、こっちに寝かせて」
 袴田はそう言って、床に敷いた布団を示す。慶慎は再び叫ぼうとしたが、やめた。袴田を紹介した海恵子を、信じるしかなかった。慶慎は、安希を布団の上に寝かせた。血がつくけど、と慶慎が言うと、袴田は構わないと答えた。そして、袴田は慶慎に、こっちを手伝うように、と言った。
 慶慎は袴田と協力して、こたつを動かした。床に散らばるものを無視して、動かしたこたつを置く。こたつのあった場所に敷かれた、カーペット。四角く、切れ目が入っていた。袴田に言われて、慶慎はその四角い切れ目に沿って、床を持ち上げるようにして力を込めた。
 床が、剥がれた。そんな感覚の後に、四角く切り取られた床が持ち上がった。その下に、地下へと続くはしごが見えた。ひんやりとした風が、緩やかに流れてくる。
「先、行ってるから、ついて来て。もちろん、彼女を連れてね」
 そう言って、袴田は一人で、するするとはしごを降りていってしまった。慶慎は言われた通り、安希を背負い直して、そっとはしごを降りた。
 薄暗い穴を下りているうちに、白い明かりが、慶慎の周囲で点灯した。蛍光灯。
 はしごを降りきった先に、ようやく慶慎と安希が必要としていた場所があった。四畳半の狭さしかないが、整頓された空間。中央に、簡易ベッド。それに沿って、様々な、治療に使う道具。壁際に薬品棚。
 慶慎は、ベッドの上に安希を寝かせた。
 袴田は何も言わず、おもむろに、安希の服、傷のある肩口の辺りから、はさみを入れ始める。血に彩られた、安希の肌があらわになっていく。袴田が、振り返らずに言った。
「君、この子の恋人?」
 慶慎は、違う、と答えた。ただの友達だ、と。
「なら、賛成しかねるね。銃で撃たれた傷を治療するためとは言え、これから、彼女の、女性として発達した部分が露出するのかもしれないんだから。それを黙って見てる、というのはね。たとえ君が、この子に異性として好意を抱いているとしても、フェアじゃないんじゃないかな」
「こんなときに、何を」
 袴田が、慶慎を振り返った。
「よくないな。TPOはあれど、可能な限り、女の子のことは、女の子として扱ってあげないと。それと、言っとくがね。この子は、大丈夫。死んだりなんか、しないよ」
 その言葉を聞いて、慶慎は安堵の溜め息をついた。袴田は続けた。
「分かったら、上に戻ってくれないか。海恵子さんも、来ると言っていたことだし」
 慶慎は頷き、はしごを上った。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

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posted by 城 一 at 23:29| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第22回

「医者にかかるのが好きな子だね、本当に。ポイントカードでも作ってあげようか? 一日に二回もかかるくらいだ。すぐに溜まるよ」
 袴田の所にやって来た海恵子は、傷だらけの慶慎の顔を見て、呆れた表情でそう言った。
「もう、日付は変わりましたよ。二日で二回ですよ」
「大した違いかね、それ」
 部屋には、二人がけのソファがあった。汚れきっていて、ぼろぼろだった。紺色のビニール製の生地が破れて、中身が露出している部分もある。どこかから、拾って来たのかもしれなかった。海恵子は、それに腰かけ、自分の隣を手でぽんと叩いた。慶慎に、座らないのか、と尋ねた。慶慎は首を振った。慶慎はうなだれ、立ったままでいた。海恵子は肩をすくめると、その辺にあった雑誌を手に取った。女の裸ばかりが掲載された、ポルノ雑誌だった。少しページを繰った後、興味なさげに、海恵子はそれを床に放った。
 ふたが開いたままの、地下へ続く穴。その中からは微かに、安希の呻き声らしきものが聞こえてくる。慶慎はいたたまれない気持ちになっていた。自分には、何もすることができない。
 何があったのか、海恵子が慶慎に尋ねた。慶慎には、どう言えばいいのか、分からなかった。始めは、慶慎は全くの無関係だった。安希の招いたトラブルだった。しかし、すぐに事情が変わった。最終的には、慶慎の方の事情に、安希が巻き込まれた形だった。そして、慶慎の銃で、不良の一人に撃たれた。
「答えたくないなら、それでもいいけどね」
 慶慎は首を振った。
「安希は……巻き込まれたんです。僕の方の事情で。それで、死にかけた」
「珍しくない話だね」
 慶慎はまた、首を振った。先ほどよりも、強く。
「そんな、そんな言葉じゃ済まされないんじゃないでしょうか。女の子が一人、撃たれたんです。僕のせいで」
「ネガティブだねえ」
「友達が撃たれたんですよ。どうやって、ポジティブに捉えるんですか」
「撃ったり、撃たれたり。あんたが生業にしようとしている仕事には、つきものじゃないか」
「確か、師匠が言ってました」慶慎の師匠。殺し屋集団で最強と謳われる殺し屋、銀雹のことだ。本名、越智彰治。「殺し屋は幸せになれない。これは、そういうことなんでしょうか」
「これって?」
「好きな人間が、自分のせいで傷つくこと」
 海恵子が、へえ、と漏らした。「あの子のこと、好きなんだ」
「友達として、です」
「友達、ね。あんたは、友達が撃たれたとき、何もしなかったのかい?」
 安希が撃たれたとき。慶慎が、両手の自由を得ようとしていたときだった。しかも、銃弾が発射されたのは、全くの偶然だ。慶慎は、起きたことを全て、細かいところまで、記憶の限り、海恵子に話した。
 全て聞き終えた後、海恵子は頷いた。
「あんたに非はない」
「結果を見てくださいよ。女の子が一人、撃たれてる」
「プロセスも、大事だ。過程で、あんたは自分にできる限りのことをした。そうだろう?」
「ですが」
「自分に厳しい子だねえ。生きるの、辛くなるよ。これから、どんどん、そういうことが増える」
「後悔してますよ。殺し屋になったこと」
「じゃあ、やめるのかい?」
 慶慎は横目でちらりと、海恵子を一瞥した。
「やめられないこと、分かってるくせに」
 海恵子は鼻を鳴らした。
「厳密に言えば、やめられないこともない。そんなところだろう。家に戻って、親父さんに殴ったり蹴られたりする可能性があるだけで。その可能性が、限りなく百に近い数字なだけで。それを無視すれば、殺し屋をやめられる」
「現実的な話じゃないですよ」
「あんたが、友達について話してたことも、同じだよ。可能性はゼロじゃないが、現実的じゃない」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
 慶慎は、海恵子の目を見つめた。強い光で見つめ返された。慶慎は、目を逸らした。慶慎は、海恵子の言葉を噛み締めながら、外へと続くドアに手をかけた。海恵子が言った。
「どこに行くんだい?」
「ここまで乗って来たワゴンを、捨てに行きます」
 カズやパンプたちの乗っていたワゴン。慶慎が衝突したお陰で、フロントガラスには、大きな蜘蛛の巣が広がっている。<コーポ・ハカマダ>の前の道路に停めたままだった。万が一、警察が通りかかり、車の破損の理由を聞かれれば、慶慎には答えることはできない。面倒なことになるのは、分かりきっていた。それに、せっかく安希を助けてくれようとしている袴田にも迷惑がかかる。
 慶慎はアパートを出て、ワゴンに乗り込んだ。
 車内には、微かに血のにおいが漂っているようだった。それが、慶慎の鼻孔をくすぐった。気のせいなのかもしれなかった。未だに、意識の片隅に、松戸の死がこびりついている。その反面、後部スペースには、慶慎とパンプたちが争った末に流れた血がある。自分の嗅覚が正常に働いているのか、慶慎には自信がなかった。
慶慎は、入れっ放しにしていたキーを捻った。エンジンはすぐにかかった。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

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posted by 城 一 at 00:42| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月26日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第23回

 人気のない所で、慶慎はワゴンを乗り捨てた。鍵は差しっ放しにした。この街に、モラルを有しているほど、余裕のある者は少ない。すぐに誰かが、勝手に持っていくだろう。そしてその先で警察に捕まり、道端で拾った、という言葉を、最初から言葉を額面通りに受け取ることを放棄している警察に、延々繰り返すことになる。
 慶慎が再び<コーポ・ハカマダ>を訪れる頃には、安希の肩口から、銃弾が摘出され、応急処置も終わっていた。袴田が、地下へ下りて来てもいい、と言った。慶慎は少し迷った末に、陰鬱な気持ちを抱えたまま、はしごを下った。慶慎が下りて来たのを見ると、余計な気を使って、袴田は上へ上がって行った。
 音のない空間。安希は静かに、ベッドに横たわっていた。眠っているのだろう、と慶慎は思っていた。だから、何も言葉をかけなかった。
「どうして、あんなもの、持っていたの」
 目を閉じたままで、安希はそう言った。質問ではない。詰問。慶慎は別に驚かなかった。起きていても不思議ではない感じが、地下に来たときからしていた。ただ、即座に反応はできなかった。慶慎は安希に、何、と聞き返した。
「銃のこと。ねえ、どうして?」
 今では、安希はうっすらと、その瞳を開けていた。全て開かれているわけではない。それでも、自分の目よりは強い光を持っている。慶慎は思った。後退りして、背を向けてしまいたいような気分になった。銃は、履いているパンツの前側に差し込んでいた。無意識の内に、その銃身を指先で撫でる。殺し屋だから。そんなこと、言えるわけがなかった。
「拾ったんだ」
 安希はわずかに苛立たしげな様子で、目を閉じた。
「嘘」
 慶慎は、安希の撃たれた肩口を見ていた。今では、血や傷口とは無縁の、真っ白いガーゼと包帯で覆われている。
「いくら謝っても、足りないと思ってる。僕が銃なんか持ってなければ、こんなことには」
「あたし、そんなこと責めてるんじゃないよ」安希は言った。「今回のこと、ケイちゃんだけのせいじゃないもの。あたしのせいでもある。こんなことの原因を、突き止めるつもりなんかない。あたしはただ、ケイちゃんが、どうしてそんな人を傷つける武器を持ってるのか、聞いてるの」
 安希は長い台詞を綴った後、気だるげに溜め息をついた。慶慎は、大丈夫かい、と安希に言った。安希は首を振った。ごまかさないで。少しきつい口調で、そう言った。
 慶慎は拳を握った。唇を軽く、噛む。
「護身用だよ。この街は何かと危ないから」
「そう」
 安希はそっと、胸を上下させて、しばらくの間、静かに呼吸していた。やがて、無理やりに体を起こした。その表情が、苦痛に歪む。
 慶慎は安希に駆け寄ろうとした。が、真っ直ぐに伸ばされた細い腕が、それを拒んだ。
「やめて」
「安希」
 安希は、左肩を腕ごと動かさないようにしながら、ふらふらとはしごを上り始める。
 慶慎は、黙ってそれを見届けるしかなかった。間違っても、安希がはしごから転げ落ちないよう、いつでも彼女の体を受け止められる位置に立っていた。安希が上りきると、慶慎もそれに続いた。
 袴田が、軽く眉を上下させながら、一人ではしごを上って来た安希のことを見ていた。
「驚いたな。随分、ガッツのある女の子だ」
「後は、どうすればいいんですか」安希は、自分の肩口を見ながら、袴田に言った。
「病院に行くことだね。僕と違って、きちんと免許のある医者のところに」
「やぶ医者でも?」安希は冗談めかして、言った。
 袴田は微笑んだ。銃で撃たれたばかりなのにも関わらず、余裕を見せる安希に興味を持ったようだった。
「やぶでも、免許のない奴よりはいいよ。とりあえず、嘘はないんだから。むしろ、ある程度やぶの方がいいかもしれない。頭のきれる奴だと、銃弾がなくても、銃創だと分かるかもしれないから。で、まあ免許のある医者の先回りをして言うと、左肩を動かさないように、肘の辺りまでは固定して、後はゆっくりと栄養を取って静養することだね」
「分かりました。ありがとう」安希は気丈に、袴田に微笑んで見せる。
「けど」袴田は少し、表情を曇らせた。「傷跡は残ると思う」
 沈黙。安希は目を伏せて、手当てされた、自分の傷口を撫でた。
「仕方ないです」そう言って、安希は笑って見せた。「いくらですか?」
 慶慎が間に割って入った。
「お金は僕が」
 冷たい眼光を受けて、慶慎は口をつぐんだ。安希のそんな表情を見たのは、初めてだった。安希は何事もなかったかのように、袴田に言った。
「治療してくれたお金、今はないけど、後できちんとあたしが払いますから。いくらですか?」
 袴田は、十万だ、と答えた。安希は頷いた。彼女の着ていた黒いジャケットを、慶慎は持っていた。安希は慶慎と目を合わせずに、ありがとう、と呟いて、ジャケットを慶慎の手から取り上げた。前のジッパーをぴったりと閉める。そしてまた、危なげな足取りで、ゆっくりと靴を履き、ドアを開け、部屋を出て行った。
 袴田が苦笑いに近い微笑みを浮かべながら、言った。
「参ったな。あんな女の子、久し振りに見たよ。男勝りってやつだね、まさしく」
 海恵子が鼻を鳴らした。
 慶慎は、安希が出て行った後の、閉じたドアを見ていた。袴田が、その背中をぽんと叩いた。慶慎は袴田を見た。袴田が顎を動かして、行け、と合図をする。
「気合いでごまかせるほど、彼女の状態がよくないってことは、分かってるだろ?」
 慶慎は頷き、安希を追った。



つづく




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posted by 城 一 at 04:29| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第24回

 外は、霧雨が降っていた。吐いた息が、白く染まる。
 湿った歩道に、安希は膝を突くようにして、うずくまっていた。<コーポ・ハカマダ>を出て、すぐの場所。
 慶慎は駆け寄り、自分の着ていたジャケットを、安希の肩にかけた。安希の肩が、いつもよりも小さく、細く感じた。安希が、そのジャケットを振り払おうとした。慶慎は無理やりに、ジャケットを押さえた。傷が痛んだのか、安希が呻いた。ごめん、と慶慎は言った。が、強引にジャケットを肩にかけるのはやめなかった。
 静寂に包まれた街のどこか遠くで、銃声がした。安希の肩がほんのわずか、跳ねた。
「戻ろう、安希。僕が車で、家まで送るから」
 安希は頷かなかったが、何とかして立ち上がろうとした。途中でバランスを失う。慶慎は、後ろから抱くようにして、支えた。
「ケイちゃん、十五歳でしょ。免許、ないでしょ」
 安希の頭が、雨に濡れて輝いている。綺麗な光景だったが、慶慎は、ジャケットについていたフードを、その頭にかけた。
「気になるなら、別の人に運転してもらうよ。だから」
 慶慎は、言葉を止めた。遠くで響く銃声が、連なった。どこかで、何か、抗争でも起きているのだろう。慶慎は思った。この街では、珍しくもないことだった。ギャングか、やくざか、それとも、何にも属さない者が銃を手に入れて、その威力を試したくなったのか。
 今度は、跳ねはしなかったものの、安希の体が、銃声を聞く度に、強張っていることに、慶慎は気づいていた。
「大丈夫だよ。どこか、ずっと遠くだよ。音の感じだと」
「銃は、嫌い」
 どうして、と慶慎が尋ねると、安希が振り返って、睨んだ。
「ケイちゃんは、好きなの?」
「そういうわけじゃないけど」
「銃で悲しむ人はいても、幸せになる人はいないんだよ。あれは、武器なんだから。簡単に、人の命を奪える。人差し指に力を込めるだけで」
「けど、この街にはもう、銃が溢れ返ってる。護身用に持ってない方が、無用心だって言う人だっているよ」
「護身用のはずが、ふとした拍子で、誰かの命を奪うものになるんだよ。引き金を引くのなんて、簡単なんだから」
「そんなことない。引き金を引くのだって、簡単じゃないよ」
「そう。やっぱりケイちゃん、引き金の重さ、知ってるんだね」
「それは」
「銃で撃たれることも、銃で誰かを撃つことも、人を変えるよ。どんなに優しかった人でも、悪魔みたいな目になったりするのよ。撃たれたり、撃ったりするだけでね。あたしのお兄ちゃんが、そうだった」
 銃声に呼ばれたのか、パトカーのサイレンの音が聞こえた。慶慎は、安希をそっと、アパートの方へと向けた。安希は続けた。
「些細な喧嘩がエスカレートして、誰かが銃を持ち出して、お兄ちゃんは撃たれたの。手の先だけだけど。でもそれで、お兄ちゃんは左手の中指と薬指、小指をなくした。それからは、お兄ちゃんは人が変わったみたいになった。自分を撃った奴に復讐するために、銃を買って、血走った目で夜の街を出歩くようになった。お父さんは確かに、前々からあたしも嫌いだったけど……でも、お兄ちゃんはある日、夜、出歩いてることを注意されて、きれてお父さんに銃を突きつけた。結局、お兄ちゃんは撃たなかったけど、でも、家の中の空気はそれから、変わった。あんなことは、もう嫌」
「お兄さんは」
「どこかに、いなくなっちゃった。ある日、ね。それからは、銃声がする度に、お兄ちゃんが誰かを撃ったんじゃないか、もしくは、誰かに撃たれたんじゃないかって、びくびくしてる」
「ごめん」
 安希は首を振った。軽く、鼻をすすっている。泣いているのかもしれなかった。が、うつむいている安希の表情を伺うことはできなかった。
「あたしも少し、言い過ぎた。でもね」安希が、顔を上げた。慶慎の目を見つめる。やはり、泣いていた。「ケイちゃんみたいな、優しい目をした人は、銃を持つべきじゃないよ」
「優しい目?」
「目だけじゃないよ。ケイちゃん、優しいよ。全部。昔のお兄ちゃんに、似てる」
 慶慎は、安希から顔を背けた。気を抜けば、泣いてしまいそうだった。
 人を、殺した。もう、慶慎は殺し屋として歩み始めてしまった。後戻りはできないのだ。優しさなど、自分には必要のないものなのだ。
 パトカーのものに続いて、救急車のサイレンも聞こえてきた。誰かが、銃で撃たれたのだろう。慶慎はそれが、安希の兄でないことを祈った。



つづく




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posted by 城 一 at 22:48| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第25回

 慶慎は、安希がきちんとした治療を受け終わるまで、彼女についていたかった。しかし、安希は、友達の所へ行くと言い張った。海恵子の専門は内科だが、それでも袴田よりは丁寧な手当てをすることができた。海恵子の所には、そのための道具もたくさんあった。が、安希は頑なにそれを断った。結局、海恵子の赤い軽自動車で、安希を送った。海恵子が運転した。
 安希の友達が住んでいると言うアパートメントは、鮮やかなオレンジ色をしていた。燃えるような朝焼けが、さらにその色を、深いものにしていた。四階建て。駐車場には、ルームランプのついたままのジープが止まっていた。中で、若いカップルが互いの体を絡めるようにして、唇を重ねていた。慶慎たちが通りかかったのも、気にならなかったようだった。地上に近い、どこかの部屋の窓が開いていて、麻雀の牌がじゃらじゃらと立てる音が聞こえていた。周囲の住民を無視したボリュームで流れる、音楽も聞こえた。道路に面した壁一面に、刀に手をかけた野武士の落書きが描かれていた。最初に、その野武士を描いた者の技量は大したものだったが、後から他の人間から、余計なものを書き足されていた。大きな黒いレンズのサングラス、片方の頬にスマイルマーク。アンダーワールドのトレードマークでもある、スマイルマークだった。野武士の着ている着物に、けばけばしい色使いの花柄が描き込まれていた。
 車を降りて、安希は海恵子と慶慎に礼を言った。そして、慶慎がアパートメントの落書きを見ているのに気づき、苦笑した。
「ひどいでしょ、これ」
「芸術的価値が、ないこともないんじゃないかな」
「無理して、フォローしなくていいよ」安希は力なく笑った。肩口の傷が、痛むようだった。
「病院に行ってね、絶対に。あと、何かあったら連絡して。すぐに行くから」
「大丈夫。ケイちゃん、心配し過ぎ」
 安希の笑顔。慶慎には、とても痛々しいものに見えた。原因は分からない。銃で撃たれた傷のせいだけではないような気がした。このまま別れたくなかった。しかし、どうすればいいか分からなかった。
「安希、あの」
「ばいばい」
 小さく振られた手が、拒絶を示していた。慶慎は口をつぐみ、それに応じた。ばいばい。そう言って、海恵子の車に再び乗り込んだ。海恵子は何も言わずに、車を発車させた。
 慶慎は指先で、眉間を揉んだ。今頃になってようやく、睡魔が訪れていた。喜んでいいのか、悪いのか、分からなかったが。
「もうすぐ朝だから、分からないけど」海恵子が静かにハンドルを回しながら、言った。「この辺には、ウリをやってる娘が多いんだよ」
 慶慎は、額を窓にぴたりとつけた。
「安希が、どんな女の子とつき合おうと、関係ないでしょ」
「そうだね。余計なこと、言ったよ」
「今日は、疲れたよ」
「だろうね。体の方、本当に大丈夫なんだろうね?」
 アンバー・ワールドとの戦いで傷ついた体。袴田の所で、治療は既に済ませていた。もちろん、応急処置程度の治療だったが。
「怪我より、睡眠不足を解消したいよ」
 自分のアパートメントまで送ってもらい、慶慎は海恵子と別れた。
 太陽が、加速度的に、その輝きを増していた。目に痛い。慶慎は、自分の部屋がある三階まで、階段を上がった。
 上がった先で、声を上げそうになった。慶慎の部屋の前に、人影があった。しゃがみ込んだ状態で、煙草を吸っていた。男。足下に散らばる大量の吸い殻が、彼がずっと前から、そこにいたことを示していた。
 慶慎は引き返そうとした。遅かった。聞きたくもない声が、飛んで来る。
「よう、慶慎」
 深く息を吸い、吐いた。腹の奥底から燃え上がりそうになる炎を、抑える。そして慶慎は、振り返って男を見た。
「久し振りだね、父さん」
 慶慎を待っていたのは、実の父親である、風際文永だった。



つづく




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posted by 城 一 at 01:24| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月29日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第26回

 木製のテーブルと、揃いの椅子が二つ。本当は、椅子は一つしか必要なかった。セットになっていたから、仕方なく買ったまでのことだ。誰かのために用意したものではなかった。が、少なくとも、文永のために用意したものではなかった。
 しかし文永は、椅子がちょうど二つあることを喜びながら、座った。テーブルの上で、持って来ていたビニール袋を開く。中には、コンビニで買ったのであろう、おでんが入っていた。
「おでんのうまい季節だからな。ま、待ってる間に冷えちまったが。電子レンジくらい、あるんだろ?」
 慶慎は返事をせずに、おでんの入ったプラスチックケースを取り上げると、キッチンの方へと行き、電子レンジの中へそれを入れた。タイマーをセットし、温め直す。
 キッチンと居間には、仕切りがあった。慶慎は、仕切り越しに言った。
「何しに来たの」
「ご挨拶だな」文永は新しい煙草をくわえた。「灰皿は、ないのか?」
「僕が喘息なの、もう忘れたの? ここは禁煙だよ」
「そうかい」
 文永は、煙草をパッケージに戻した。レンジが鳴った。
 慶慎はおでんを持って行き、テーブルの上に置いた。文永は、二膳ある割り箸の一つを割って、向かい側の椅子を見て、座れよ、と言った。慶慎は首を振った。
「いいから、食べろよ。好きだろ、おでん」
「お腹、減ってないよ」
「お前も食べるだろうと思って買って来たんだ。俺だけじゃ、食べきれん」
「そんなことはいいから、言ってよ。何しに来たんだよ」
「父親が、理由もなく息子に会いに来ちゃだめなのか?」
「僕は、嫌だ」
 文永は、慶慎の顔を見つめた。アンバー・ワールドとの戦いで、傷ついた顔。心底、心配そうな表情だった。
「仕事、失敗したそうじゃないか」
「半分は、成功したよ」
「傷だらけになって、な」
「これは、仕事とは」
「お前には、無理だ、慶慎。殺し屋なんて仕事は」
「余計なお世話だよ」
「俺の所に、戻って来い」
「嫌だ」
「お前のことを殴ったり、蹴ったりしたことは、後悔してる。もう、しない」
 聞き飽きた言葉だった。何度その言葉を信じ、裏切られてきたことか。慶慎は、首を振った。
「俺たちは親子だ。お前は、俺の息子だ。俺たちは、一緒にいるべきなんだ」
「うるさい」
 一緒にいられるのなら、いたかった。血の繋がった、実の親子なのだ。しかし、文永は慶慎に暴力を振るうのをやめない。そんな父親と共に、生活することはできない。そんな男を、父親と呼ぶことはできない。
「慶慎」
「用がないなら、帰れよ」
 文永が、もう一度、慶慎の名前を呼んだ。慶慎は半ば叫ぶようにして、同じ言葉を返した。あんたの顔なんか見たくない。そう、怒鳴った。
 文永の顔に怒りの火がともった。もはや、それは反射だった。長年の暴力の積み重ねが、慶慎に強いる反射。怯えが、慶慎の体を硬直させた。
 おでんの入ったプラスチックケースが飛んで来た。中身は、レンジで加熱したばかりだ。慶慎は顔を覆い、呻いた。
 喉を掴むようにして、床に倒された。おでんの汁に奪われた視界の中で、暴力の記憶がフラッシュバックする。反射的に、体が動こうとする。卵の殻に閉じこもるように、丸まろうとする。
 慶慎は、歯を食いしばった。また、昔に戻るのか。自分を殺し、現実とも虚構とも区別のつかない世界に埋めるのか。
 違う。
 自分は、生きるのだ。そのためには、他者を傷つけることをいとわない。そういう道を選んだ。
 文永が、自分の上に馬乗りになろうとしているのを感じた。その脇腹に膝を入れる。肘を振った。閉じた目の向こうで、呻き声が聞こえた。肘を振り続けた。そして、全力で文永の体を押しのけた。
 転がり、立つ。慶慎は腕で目を拭った。
 開けた視界に、戦慄した。
 文永が、オートマティックの銃を、慶慎へ向けて構えていた。銃口は間違いなく、その胸を狙っている。
「何やってるんだよ、父さん」
「根っからの殺し屋になっちまったようだな」文永は言いながら、肩で鼻血を拭った。血の混じった唾を、床に吐き捨てる。「あの、くそったれの越智のせいか」
「何言ってるんだよ、父さん」
 引き金に置かれた指。慶慎は感じた。引く。
 飛んだ。一瞬遅れて、銃声。文永の放った銃弾は確かに、一瞬前まで慶慎の胸があった辺りを通り抜けた。銃口が、逃げた慶慎を追いかけて来る。
 慶慎は父を呼び、叫んだ。文永の目には既に、理性の欠片もない。銃声が連なった。床を、壁を蹴り、逃げる。
「なんなんだよ。どうしてこんなことしなきゃならないんだよ」
 涙。視界がぼやけた。腹の奥で、震えが止まらない。
 銃で悲しむ人はいても、幸せになる人はいないんだよ。慶慎は、安希の言葉を思い出していた。
 床。着地を失敗した。足首を捻る。慶慎は悲鳴を上げながら、床に這いつくばった。死ぬ。そう思った。が、銃声は聞こえなかった。引き金を引く音だけが、空しく響いている。銃弾が、尽きたのだ。慶慎の体の中、怯えが反転して怒りに変わった。慶慎は考えるのをやめた。腰を滑るように回転させた。文永の足を払い、倒す。慶慎は自分が、何か叫び続けているのを、他人事のような感じで聞いていた。何を言っているのかは、分からなかった。文永に馬乗りになった。拳を振るう。何度も、何度も。涙でぼやけた視界の向こうが、赤く染まってくるのが分かった。文永が、小さく呻くようにして、やめろ、と言っていた。その声さえも消え入りそうになる頃、慶慎はようやく拳を止めた。
 拭っても、拭っても、涙が溢れてきた。震える両手。文永の血で、真紅に染まっている。
 慶慎は、文永の左胸に手のひらを当てた。上下しているのが、分かる。生きている。
 涙が乾く頃、慶慎はまた、海恵子に電話をしていた。うんざりした様子の、海恵子の声が聞こえてくる。電話をかけてきた相手が、慶慎だということは分かっているのだろう。
「どうしたんだい?」
 慶慎は横目で、文永を見た。血まみれで、表情を読み取れなくなっている、文永の顔。また、涙が溢れてきた。異変を感じ取ったのか、海恵子が電話の向こうで、大丈夫かい、と言った。大丈夫だよ、答え、慶慎は喉の奥でくっくっと笑った。
「慶慎?」
「海恵子さん、僕は本当に、ポイントカードを作った方がいいのかもしれないね。ねえ?」
 笑い声はいつしか、嗚咽に変わっていた。



つづく




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posted by 城 一 at 05:11| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第27回

 アイザック・ライクンが唇を、うなじに寄せて来た。長い金髪が物憂げに、青い目にかかる、美しい顔立ちの男だった。外見に惹かれた頃もあった。しかし、それはもう、はるか昔のことのように思える。やめて。リタ・オルパートはそう言って、逃げるように体を捻った。
「つれないね、ダーリン。よくこうやって、愛し合ったものじゃないか」
「昔の話でしょ」
 肩をすくめ、アイザックはハンドルを回した。左手だけに、ワインレッドの鹿革の手袋をしていた。
 リタとアイザックは、車の中にいた。ファイブ・ドアのSUV。灰色のボディ。二列目、三列目の座席には、ミカドの構成員たちが乗っていた。五人。全員、アイザックが描いた、幼い殺し屋の似顔絵を持っている。
 構成員の一人が、本当にこいつがカザギワの殺し屋なのか、と聞いた。リタは、多分、と答えた。
「多分?」アイザックが言った。
「かなり可能性の高い、多分、ね」
「君は、後ろの彼らを借りるとき、その子供がカザギワの殺し屋だと、言いきったよ」
「そうしないと、貸してくれなかったでしょ。でも、あたしが松戸をそそのかして、ツガ組を裏切らせて、そのぼうやが来たのよ。サイレンサーのついた銃を持って、ね。カザギワの殺し屋以外に、何が考えられる?」
「ま、反論の材料は今のところ、ないね」
「こんなんじゃ、実際に会って見分けられるかどうか、分からん」構成員の一人が言った。
「ヘイ」アイザックがバックミラー越しに、構成員を見る。「こっちは実物も見ずに、人づてに聞いただけでそいつを描いたんだぜ。褒めてほしいくらいだ」
「結果が全てよ、ベイビ」リタが言った。
 リタは、アイザックの描いた松戸孝信の絵を見ていた。その絵に関しては、アイザックが描くとき、写真という実物が正確に写った材料があった。絵は、まるで写真のような出来だった。ただ、白黒で、色がないだけだ。
「なら、そっちはどうなんだい? 完璧だろ?」
「カラー写真の方がいいわ」
「頑張りがいのないクライアントばかりで、とてもモチベーションが上がるよ」
「安心して。この前、アンバー・ワールドの子たちから、見つけたって連絡が入ったじゃない」
「そう言えば。でも、結局そのケイシンとかって殺し屋には会えなかったんじゃなかったっけ? その後はどうなったの? そのまま?」
「ええ。逃がしちゃったのかもね。確か、パンプとか言ってたけど。連絡してきた子の名前。近々見つけて、話をしてみましょ」
 アイザックはブレーキを踏んだ。赤信号だった。後ろの車も、それにならう。リタたちの乗っている車と、色違いのSUV。同じように、リタがミカドから借りてきた構成員たちが乗っていた。
 アイザックが、バックミラー越しに、その後ろの車を見ながら、呟いた。
「あらら」
 リタも、アイザックの呟きを聞いて、バックミラーを見る。
 後ろのSUVが、微かに揺れたように見えた。気づいたときには、その窓のほとんどが、蜘蛛の巣だらけになっていた。そして、爆音。SUVが炎に包まれる。
「いい天気だな」
 男。ひげを生やし、テンガロンハットをかぶっている。ライトブラウンのロングコート。SUVの、窓の開いた部分に肘をかけていた。その男がいつの間に現れたのか、リタには分からなかった。
 アイザックが、ギアをバックに入れ、言った。
「全くだね」
「俺は、飛燕だ」
「アイザック・ライクン」
アイザックは答えながら、アクセルを踏みつけていた。男は言った。
「知っている」
 タイヤが悲鳴を上げた。トカレフが二丁。テンガロンハットの男の手に握られていた。銃口は車内にぴたりと照準を合わせていた。
 アイザックは片手でリタの頭を押さえつけ、もう片方の手で、トカレフの銃口を払った。車外で銃口がした。銃弾は中に入って来なかった。流れるようにしてドアの取っ手を掴み、勢いよく開く。男にドアがぶつかる。衝撃は足りないようだった。男は平然と立っている。トカレフの銃口が戻って来た。アイザックはドアごと男を蹴り飛ばした。その間、一瞬。ようやく車が後ろに急発進した。
 SUVが、バックの勢いを利用して、逆方向へ向き直った。アイザックが、言った。
「後ろの御仁方、ちょい別件だけど、仕事の時間だよ」
 ハッチが跳ね上がり、ミカドの構成員たちが、走る車から飛び降りる。それぞれ、サブマシンガンを手にしていた。
「誰なの?」リタが後ろを振り返りながら言った。
「カザギワの殺し屋だよ」
「どうして」
「生きていれば、一度や二度、殺し屋に狙われなきゃならなくなるものさ」
「そうなの? あんた、カザギワに追われてるの?」
「どうやら、そうみたいだ」
 リタはアイザックの言葉を聞きながら、息を呑んだ。バックミラーに映る構成員たちが、全員、地面に倒れていた。既に遠くに見えるものなので、赤い色は見えなかった。血の赤は。
 車が、揺れた。今度は、リタは悲鳴を上げなければならなかった。フロントガラスの向こうで、飛燕がボンネットに膝を突いて、微笑んでいた。
「最初からやり直そう」男は言った。「俺は、飛燕だ」
「それは正確には、最初じゃないけど。でも、僕はアイザック・ライクン」
 銃声。轟音を立ててフロントガラスを割った。銃弾が突き刺さったのは、運転席のシート。アイザックは既に、開いたドアから車外に飛び出していた。
「知っている」
 飛燕はにやりと口許を歪め、道路で転がるアイザックを追って、飛んだ。



つづく




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posted by 城 一 at 00:19| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月31日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第28回(ver 3.0)

 運転手を失い、SUVはにわかにコントロールを失った。
 リタは席を移りながら、ハンドルを握った。逆方向へ何度も回す。ふらふらと歩道に向かっていたSUVはかろうじて方向を変えた。ブレーキを踏む。タイヤが悲鳴と白煙を上げ、アスファルトに黒い跡を数メートルつけて、ようやく停止した。
 対向車線にはみ出していた。すれ違う車たちが、けたたましいクラクションを鳴らしながら、走り去っていく。気にしなかった。リタはすぐにギアを入れ直し、アクセルを踏んだ。フロントガラスの向こうには、飛燕がいる。SUVに背を向けて、悠然と歩を進めていた。その先には、まだ車を飛び降りてから、態勢を整えていない、アイザックがいる。リタはさらに、アクセルを踏みつけた。SUVが唸りを上げる。
 飛燕が振り返った。二つのトカレフの銃口が、リタを睨む。
 リタは頭を伏せ、目をつむった。体を強張らせて、衝撃に備える。
 数秒待ち、リタは目を開けた。衝撃はなかった。その代わり、車は再び、ほとんど対向車線の中にいた。そして、リタが気づいたときには既に、SUVは元の車線に進路を修正し始めていた。ハンドルを握る自分の手に、誰か、知らない人間の手が添えられていた。
 リタは溜め息をついた。開いたドアから体を半分、車内に入れて、飛燕がいた。天井を掴むようにして、体をぶら下げている。
「止めようか」飛燕は不気味に微笑みながら、リタに言った。
 リタは言われた通りにした。ブレーキを踏み、車を停めた。急ブレーキにはしなかった。飛燕が、地面に降り立った。トカレフの銃口が、こめかみを突く。
「それで?」飛燕が言った。「なぜ、お前がここにいる?」
「さて。なぜかしらね」
「とぼけても、いいことはないぞ。なぜ、アイザックと一緒にいる」
 リタは、目にかかった前髪の細い房を、指先で払った。
「頼りになるからよ。カザギワに狙われながらも、生き延びているみたいだし」
「今日までは」飛燕は口角を上げた。「だが、それももう終わりだ。奴は向こうで」
「どこで?」
 アイザックの声。飛燕が振り返ったときには、遅かった。
 リタには、目の前で起きていることが目視できなかった。ただ、飛燕の体が揺れているのは分かった。そして、アイザックの両足が、入れ替わり立ち代わり、飛燕の体を打っていること。分かったのは、それくらいだった。
 アイザックは微笑んで、飛燕の頭からテンガロンハットを取り、自分の頭に乗せた。
 飛燕の両腕がだらんと垂れ下がった。トカレフが二丁とも、地面に音を立てて落ちる。飛燕は、リタに背中を向けたまま、膝を突いた。
「怪我はないかい、リタ?」
「ええ」
 リタは、飛燕にぶつからないようにして、運転席のドアを開き、降りた。飛燕が、放心したように口を大きく開けて、アイザックを見上げていた。
 飛燕の全身が、宝石でも散りばめたかのように、細かな光を放っていた。光を放っているのは釘だった。数えきれないほどの釘が、飛燕の全身に突き刺さっていた。
 リタは、突き刺さっている釘の一本を抜いた。飛燕が呻く。構わず、抜いた一本を手のひらの中で弄ぶ。
「さすが、釘(ネイル)≠ニ呼ばれるだけはあるわね」
「お褒めにあずかり、光栄です。お姫様」
「殺せ」かすれた、弱々しい声で、飛燕が言った。
「彼、ああ言ってるけど?」リタは言った。
「何言ってるんだよ。カザギワかもしれない、少年の殺し屋のこと、聞かないのかい?」
 リタは、アイザックの顔を手のひらで撫でた。
「あら、気を使ってくれたの」
「僕は、気配り上手で有名なんだ。日常生活でも、ベッドの中でも。知らなかった?」
 アイザックは、リタの細い腰を抱き寄せた。キスをしようとする。
 リタは、人差し指をアイザックの唇に当てた。
「すぐに性的なご褒美をもらおうとするのは、よくない傾向ね」
「健全だと言ってくれないかい」
 リタは、辺りを見回した。突然の、路上での出来事に、人だかりができ始めていた。
「ヘイ、ベイビ。早くずらからないと、面倒なことになるわ」
 アイザックは肩をすくめると、飛燕の体を担いだ。
「ショックだな。君は淑女だから、ずらかる≠ネんて言葉使うべきじゃないよ」
 リタは、運転席に乗り込み、ドアを閉めた。
「早くこの場を辞さないと、何か、煩わしいことになりかねないわ」
 アイザックは、飛燕と共に、後部スペースに乗った。リタの言葉を聞いて、喉の奥でくっくっと笑っている。
「辞さないと」アイザックは言った。
「そう。早く辞さないと」
 リタはSUVを、滑るように発進させた。



つづく




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posted by 城 一 at 00:08| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第29回(ver 2.0)

「銀雹の弟子、ね」
 リタは独り言ちるように、言った。
 アイザックは、テンガロンハットを指先に引っかけるようにして、回していた。
「少し、面倒な話になってきたな」
「そうなの?」
「だって君、知ってるだろ? カザギワ最強の殺し屋だよ、銀雹は」
「あくまでも、あたしたちが探してるのは、その弟子よ」
「この前、連絡をくれたって言う、アンバー・ワールドの連中から攻める方が、得策かもしれないよ」
 リタとアイザックは、廃屋にいた。使われなくなってから、長い間風雨にさらされ、色々な部分が朽ち果てている、二階建ての木造アパートメント。孤独に耐えきれなくなったら、その辺にものを投げればいい。ねずみがどこからともなく駆けてきて、寂しさを紛らわせてくれる。
 たき火の中で、木が爆ぜた。
 二人の前には、飛燕がいた。両手両足を縛られ、うつむいている。彼の体の下には、小さな血溜まりができていた。既に、飛燕に命はない。
 廃屋に運び込んだ時点で、飛燕はかなりの体力を消耗していた。喋るのがやっと、という状態になっていた。そして、そのときまでに、カザギワの殺し屋である銀雹の弟子に、かなり幼い少年がいた、ということは聞き出していた。
 アイザックは、廃屋に運び込んでから、さらに飛燕に釘を打ち込んだ。必要以上に体力を削らないよう、慎重に。飛燕は、それ以上のことは話さなかった。本当に、知らなかったのだろう。リタとアイザックの、一致した見解だった。この廃屋に着いてから、数時間。飛燕の命が持ったのは、それくらいだった。
 飛燕を運んで来る前に、リタはポラロイドカメラを用意していた。リタは、飛燕の死体に向かって、カメラのシャッターを何度も切った。まるで、取り憑かれたように。
 アイザックが言った。
「楽しそうだね」
 写真は、たき火の側で積み重なり、山のようになっている。
「タカとの、思い出作りだもの」
「タカ? 松戸孝信のこと?」
「そうよ」
 アイザックは、飛燕を見ながら、言った。
「そいつは、松戸には関係ないだろ」
「タカが死んだ後に起こったことは、全部、タカとの思い出になるのよ」
「そんなに、いい男だったんだ」
「死んだからよ」リタはカメラのレンズを覗き込むのをやめ、アイザックを見た。「二度と手に入らない、会えないっていうのは、極上のスパイスなのよ」
「冷静だね。そんなことを、自分で言うなんて」
「だって、本当のことだもの」
「松戸孝信が生きていたら、こんなこと、してなかった?」
「もちろん」
 アイザックは苦笑した。
「松戸孝信のことを、羨ましがればいいのか、同情すればいいのか、分からないな」
「同情してあげたら? 生前の彼のこと、あたし、ただの道具としか見てなかったもの。ツガを貶めるための、ね」
「今は?」
「かけがえのないもの」
「でも、当の本人はそのことを喜ぶどころか、知ることもできないわけだ」
「そうよ」
「確かに、同情すべきだね」
 リタは、話をしながら、爪を噛もうとしていた。が、できなかった。それでも、リタは爪を噛もうとするのをやめられなかった。癖になっていた。以前は、マニキュアを塗るために長く伸ばしていた爪。今はもう、指先の肉がはみ出て見えるほど、短い。マニキュアも、塗っていなかった。リタは言った。
「聞いてもいい?」
「何?」たき火に、薪を加えながら、アイザックは言った。
「どうして、カザギワに追われてるの?」
「そうか。話してなかったっけ」
「嫌じゃなければ、ぜひ聞きたいわね。さっきの……」
「君がいなくなったからさ。それで、カザギワに所属してやっていることが、全て馬鹿らしくなった」
「そうなの?」
 アイザックは、魅入られたように、たき火の炎に見入っていた。そこに、昔の記憶を再生しているのかもしれなかった。
「そうか。別れてからは、一度も会ってなかったんだったか。知らないのも、無理はないか。カザギワにはね、がきの頃からつるんでた仲間と一緒に入ったんだ。で、殺し屋になった。ただの、ちんぴら二人組がカザギワで認められるのって、結構レアなことなんだけどね。その仲間が嫌がってね。いつも、二人一緒だったからね。僕がいなくなって、急に不安になったらしくて。何度も、カザギワに戻るように、説得しに来た。で、あんまりしつこいから、僕もいい加減嫌気が差してきてて。向こうも、一緒だったんだろう。あるとき、一線を越えた。殺し合いになった。で、僕が生き残って、仲間は死んだ。たとえ元カザギワと言えども、仲間が殺されたとなっては、放ってはおけない。ってことで」アイザックは肩をすくめた。「今は、追われる身ってわけ」
「その、仲間の名前は?」
「ジェイソン・リーヴ。本当、馬鹿な奴さ。奥さんも、子供もいたのに、たかが仲間一人いなくなることに、うろたえて」
「その奥さんと子供は、今、どうしてるの」
「さあ」
 リタは、手袋をはめた、アイザックの左手を見た。不自然に動かない、左手。
「その左手は」
「ああ。ジェイソンとやり合ったときに、なくした。で、ジェイソンの方は生まれつき左手がなくてね。ごつい鉄製の義手をしてた。それは、カザギワに入ってから改造して武器に使ってたんだけど。それを、拝借した。形見みたいなものでもあるね。自分で殺しておいて、なんだけど」
「そう」
「これで、僕に対する不信感は拭えたかな?」
「ええ」
「で? どうなんだろう。結構、センチメンタルな話をしたつもりなんだけど。こういうとき、女性は男を慰めたくなるものなんじゃないかな」
「辛いことだったわね、アイザック」
「えー、言葉による慰めでなく」
「話が見えないわ」
「えー、もっと肉体的で性的な」
「全く、ならないわ」
「困ったな。これ、僕の切り札だったんだ」
「残念ね」
「打つ手なしだな」アイザックは言った。「いっそのこと、去勢してしまった方が、精神衛生上、いいかもしれない」
「そうかもしれないわね」
「そこは、否定するところだよ」
 アイザックは言った。



つづく




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posted by 城 一 at 00:38| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月02日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第30回(ver 2.0)

 何度こうして、鏡を見ただろう。目の充血が収まる気配は、一向にない。
 慶慎は、病院のトイレにいた。海恵子に紹介された、カザギワの構成員が怪我をしたときに、よく使われる、大きな入院施設も備えた病院だった。
 文永の右目の視力は、ほとんどなくなるだろう。慶慎は医者から、そう聞いた。網膜剥離の末期症状。そう、言われた。
 手のひらに水をすくい、顔を洗う。何度も、何度も。
 文永の命に、別状はないようだった。時間が経てば、意識は取り戻すだろう。取り戻したら、呼んで欲しい。慶慎に言い残して、医者は他の患者の所へと行った。
 一度上った太陽が、再び下降して、建物の間で鮮やかな赤色に燃えていた。
 夕方。文永は、まだ目を覚まさない。
 慶慎は、文永の病室に戻った。
 最初、入る部屋を間違えたと思った。部屋の中、文永の眠るベッドの横に、誰かの背中があったからだ。客が来る予定はなかった。慶慎は、思わず廊下に一度戻り、部屋の番号を確認した。合っていた。
 気づいたのは、その後だった。部屋の中にいたのは、風際秀二郎だった。黒いステンカラーロングコート、黒い中折れ帽。
「ボス」
慶慎は喉の奥から絞り出すようにして、言った。言ってから、唾を飲み込んだ。
 風際秀二郎は、帽子を取り、振り返った。疲労の滲んだ目。
「慶慎か」風際秀二郎は言った。「入れ」
 慶慎は言われた通り、病室の中に一歩踏み込み、ドアをそっと閉めた。そして、そのドアに寄りかかるようにする。
「僕は自分にできる限り、一所懸命、頑張りました。確かに、リタ・オルパートの捕獲は失敗しました。けど、松戸孝信は殺しました。父を、そんな姿にしたことは、後悔しています。しかし、仕方なかったのです。それを理由に、組織を追い出されるのは」
「何を言っている」
「僕は……役に立ちます。リタ・オルパートも、必ず捕まえます。ですから」
「慶慎」風際秀二郎は、半身のまま、わずかに口調を強くして、言った。「何を言っている」
「僕を、追い出すんでしょう? 組織から」
「なぜ」
「ですから、その、彼を」慶慎は文永を指差して言った。「そんな姿にしたから。あなたが、父のことを溺愛しているのは、知っています」
 風際秀二郎は、ベッドの方を向き、力なく首を振った。
「もう、分からん」
「どういうことですか?」
「私は自分で、文永にどういう感情を抱いているのか、分からないのだ、と言っている」
「それは」
 また、風際秀二郎は首を振った。
「私たちのことは、いい。お前たちは、どうなのだ?」
「どう……?」
「お前たちは仮にも、実の親子だ。それが、どうしてこうなる」
「理解できないかもしれませんが、先に手を出して来たのは、父の方なのです」
「そういう表面的なことを聞いているのではない」
「分かりません」
「文永は、お前に暴力を振るう。お前は死にかけたこともある。父子の関係は、完全に破綻しているように思える。なのになぜ、一緒にいようとする。それを聞いている」
「ですから」慶慎は、体のどこかがまた、震え出したのを感じながら、言った。「分かりません」
「場合によっては、生死に関わることだったはずだ。お前にとっては。分からないのか」
「はい」
「考えたことはないのか」
 慶慎は、壁に静かに、拳を押しつけた。そして、離してはまた、押しつけた。何度も、繰り返した。壁は低く唸るように、音を立てる。
「あるに決まってるじゃないですか。何度も、何度も」
 声がかすれた。枯れたと思っていた涙が、また溢れてくる。止めどない。
 何度も、何度も。慶慎は言葉を繰り返した。繰り返す度に、声が喉に引っかかった。壁に押しつける拳に力がこもる。何度も、何度も。何度も、何度も。言葉はいつの間にか、叫びに変わっていた。
 嗚咽。慶慎は壁に寄りかかったまま、その場に座り込んだ。涙、嗚咽。全てがまた、慶慎のコントロールを離れていた。
 風際秀二郎の背中は、微動だにせず、慶慎の前にあり続けた。まるで、慶慎の泣き声を受け止めているようでもあった。
 しばらくして、風際秀二郎が言った。
「文永は、何をしたいのだ」
「分かりません」
「お前に暴力を振るうのは、お前のことを愛していないからだと思っていた。しかし、お前の存在がいなくなると、あいつは探す。お前のことを。そして必ず見つけ、取り戻す。お前のことを愛していないのならば、そんなことはしない」
「そんなことを考えたこともありました」
「今は」
「何も、感じない。何も、考えない。僕はそうすることに決めたんです」
「そんなことは、無理だ」
「できますよ。命がかかってるんですから」
 慶慎は、嘲笑で口角が上がるのを感じた。誰に向けた嘲笑なのかは、分からなかった。慶慎は立ち上がり、ドアを開けた。
「僕を、組織から追放する気はないんですね」
「それは、私の方が聞きたいことだ」風際秀二郎は言った。「もう、文永に手出しはさせん。私はこれ以上、このことで問題を抱えたくはない。お前がやめたければ、殺し屋をやめてもいい」
 壁。慶慎の拳が、突き破っていた。
「いまさら、何を」慶慎は言った。「殺し屋をやめて、どこへ行けと言うんですか」
「そうだな」
 慶慎は、病室の外に一歩、踏み出した。
「行きます。リタ・オルパートを捕まえに」
「期待しているよ、焔」
 慶慎は病室のドアを閉めた。



つづく




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posted by 城 一 at 05:34| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第31回(ver 3.0)

「もう少し、休むものかと思ってたよ、坊主」
 蓮が言った。
 慶慎は、再びツガ組白虎隊のビルを訪れていた。夜。蓮の机の向こうにある窓から見える景色は、暗い。蛍光灯で照らされた部屋の様子が反射していた。
 蓮は黒いスーツ姿だった。ジャケットの腕を、まくって着ていた。下には、白いTシャツ。「そういうわけにはいきませんよ」
 蓮は、自分の机の縁に腰かけて、腕組みをした。目を細める。
「前に会ったときよりも、傷が増えたんじゃないか?」
「やんちゃな年頃ですから」
「自分で言うなよ」蓮は笑った。「目つき、この前よりよくなったな。鋭くなった。何か、あったか?」
「ノーコメント」
「生意気なくそがきだぜ」蓮は口許を緩めながら、言った。
 部屋の中には、ポールとダンクはいなかった。
「二人は、どこに?」
「ポールとダンクか?」蓮は言った。「ノーコメントだ」
「リタ・オルパートの捜索について、ツガ組白虎隊から、サポートをいただけると、この前言われました。お願いできますか?」
「いいだろう」蓮は、机の上のメモパッドから一枚破り取り、ボールペンを走らせた。それを、慶慎に渡す。「そこに行け」
 慶慎はメモを受け取って、顔をしかめた。
「みみずのたくったような字って言うのは聞いたことありますけど」慶慎は言った。「地図は初めてですね」
「ヘイ」
「冗談です」慶慎は部屋のドアを開けながら、言った。「ありがとうございます」
「しょうのねえがきだ」
 蓮は言った。

<リティの店>。店の名前を示す、ピンク色のネオンがぱちぱちと点滅していた。
 蓮の地図が示した場所は、小ぢんまりとした洋風の酒場だった。店先で、ダウンジャケットを着た男が、瓶に入ったビールを飲んでいた。慶慎の姿を認めると、男は、チアーズ、と叫んだ。慶慎は無視して、店の中に入った。
 手のひらにトレイを乗せたウエイトレスが、慶慎に目を止めて言った。まあ、可愛いぼうやね。ホットパンツを履いて、長い脚をさらし、ぴったりとした黒のカットソーを着ていた。胸が大きかった。金髪、厚い唇。
 慶慎は、ウエイトレスに微笑を返し、彼女をするりとかわして、店内に入った。
 喧騒、煙草の煙、壊れかけのスピーカーから流れる、一昔前の洋楽ロック・ミュージック。カウンター、テーブル席。どこにも人が溢れていて、肩をぶつけずに、店の中を歩くのは困難だった。どこかで誰かが口論していた。テーブルに叩きつけたジョッキから、ビールの飛沫が、慶慎の着ていた黒いミリタリージャケットに飛んだ。慶慎は足を速めた。のんびりしていると、ジャケットをクリーニングに出さなければならないはめになる。
 人をかき分け、カウンターに片肘をついた。明らかに、酒場には似つかわしくない年齢の慶慎に、バーテンダーが顔をしかめる。
 慶慎は一度、口を開いたが、店の中が騒がし過ぎて、バーテンダーには聞こえなかった。慶慎は怒鳴った。
「狩内蓮から連絡が入ってるはずだけど」
 バーテンダーは眉を上げた。
「お前さんが?」
 人の波が揺れて、慶慎の背中にぶつかってきた。カウンターと挟まれて、慶慎は呻いた。
「何でもいいけど、早く」
 バーテンダーは、そこから行け、と言って、店の奥に続くドアを顎で示した。慶慎は頷き、礼を言った。バーテンダーに聞こえたかどうかは、分からなかったが。
 店の奥に入ると、いくらか騒がしい音と声が遠ざかった。ほんの少し、ドア一枚の厚さ分だけ。
 板の軋む廊下。男子用と女子用便所。用途不明の酒樽。空のビール瓶が、床に転がっていた。廊下を塞ぐようにして、男と女が体を絡めていた。二人とも、上着を脱ごうとしているところだった。慶慎はビール瓶を、二人に向けて蹴った。男が、殺気のこもった目で、慶慎のことを見た。慶慎は、同じような視線を返した。二人は体をずらして、かろうじて、人が一人通れるスペースを作った。慶慎は女の背中に肩を擦らせながら、そこをすり抜けた。場の空気が読めない奴だぜ。男が言った。慶慎は、場の空気を読むことについて、男と議論しようと思ったが、やめた。無視して、突き当たりのドアを開けた。
「トイレはこっちじゃない」
 部屋の中には、少年が一人。首下辺りまで伸ばした黒髪。同じ長さの、銀色の三つ編みが一つだけ、そこに混じるようにしてぶら下がっていた。ウィッグだろう。慶慎は思った。前に会ったときと、髪型が違っていた。少年の実家で両親がやっている仕事を考えれば、不思議なことではなかった。
「知ってるよ」
 少年は、部屋の隅で、合皮製の真っ赤なソファに座って、分厚い紙の束を眺めていた。色の薄いジーパンに、白いワイシャツを着ている。慶慎の声を聞いて、顔を上げた。
「君は」少年は言った。「スモーカー?」
「覚えていてくれて、光栄だよ、バーバー」
 ダンクと同じように、コンビニ強盗のときに出会った少年だった。バーバーは微笑んだ。
「久し振りだね」
「うん」
 バーバーに笑みを返した慶慎の背中に、再び開いたドアがぶつかった。その向こうで、怒鳴り声がした。
「いちゃつく場所を選べ、このバカップルが! それとも俺も混ざってやろうか、くそが」
 少年が、もう一人。ライオンのたてがみのように逆立てた金髪。カーキ色のジャンプスーツにオレンジ色のTシャツを着ていた。ジャンプスーツの上半分は着ずに、腰の部分に巻きつけるようにして、袖を縛っていた。
「そっちこそ、ずいぶん長いトイレだったじゃねえか。ますでもかいてたんじゃねえのか?」
「んだと、この野郎」
 少年は男に怒鳴り返し、踵を返そうとする。バーバーが、やめなよ、と言った。
「だって、あいつが悪いだろ、バーバー」
 少年はバーバーを振り返ったところで、慶慎がいることに気づいた。少年の表情が、驚いて、止まる。
「お前、スモーカー?」
「久し振りだね、リヴァ。C・C・リヴァ」慶慎は言った。「まさか、こんな所で会えるとは、思ってもみなかったよ」



つづく




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posted by 城 一 at 02:10| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第32回(ver 2.0)

 部屋の隅に、小さな冷蔵庫が備えつけてあった。リヴァはその扉を開けた。
「何、飲む? ビール、チューハイ、ウイスキー……」
 酒はいらない、と慶慎は答えた。リヴァは顔を上げた。何か、言いたげだった。慶慎は、同じ言葉を繰り返した。コーラしかない。リヴァは言った。それでいい、と慶慎は頷いた。コーラの入った缶が、慶慎の方に飛んできた。
 慶慎、リヴァ、バーバーの三人は、木製の円テーブルについた。リヴァは、バーバーに、瓶に入ったビールを渡した。バーバーは、相変わらず、分厚い紙の束に視線を落としながら、それを受け取った。
 少しの間、三人はそれぞれの飲み物を、黙って飲んでいた。リヴァが、その沈黙に耐えられなくなったのか、立ち上がって、壁際にあるオーディオ・コンポの所へいった。コンポの下にある棚から、CDを抜き出す。
「音楽はよく聞くのかい、えー、スモーカー?」
「焔でも、慶慎でも」慶慎は、飲みかけのコーラの缶を傾けながら、言った。
「慶慎は言いづらい。ケイは?」
「いいよ」
「で? どうなんだ、ケイ?」
「ジャズを少し」
「ハッ」リヴァは笑った。「じゃあ、バーバーと同じだ」
 バーバーは、紙の束に視線を落としたまま、言った。
「ジャズは、クラシックとは違うよ」
まるで、役者が、暗記するために台本の台詞を呟くときのようだった。
「ロックじゃない、という点では同じだ。そして、俺が苦手だという点では」
「本当に? じゃあ、ときどき、ウイスキーをオン・ザ・ロック∴ネ外の方法で飲んでるのは、僕の錯覚かな」バーバーは言った。
「あれは例外だ」
 リヴァは、CDを入れて、テーブルに戻ってきた。すぐに、曲が聞こえてきた。自分のペースで呼吸することを許さないかのような、テンポの速いドラム。自由に駆け回るギター。その陰で、腹にボディブローのように響く、ベース。
 聞いたことのある、曲だった。慶慎は言った。
「アンダーワールド」
 リヴァが、おや、という表情をした。
「以外だな。ジャズだのクラシックだの言ってるから、知らないと思ってた」
「知り合いから、教えてもらったんだ」
「いい曲だろ?」
リヴァは、腰で縛った袖を、手でずらした。その下には、ピンで留めたバッジがあった。アンダーワールドのトレードマークである、スマイルマークのバッジだ。
慶慎は言った。
「それとこれとは、話が別だよ。僕は、ピアノが好きだ」
「ピアノね」リヴァは、ビールの入った瓶を呷った。「そんな奴が、殺し屋とはね」
「ピアノの音色やジャズが好きであるということは、殺し屋ではないということには、ならないんだ」
「そうらしいな。前に会ったときは」
「違ったよ。殺し屋じゃなかった。まだ」
「まだ」
「殺し屋という駅に繋がってるレールの上は、歩いてたよ」
「小学校のアンケートで将来の夢を聞かれて、飛行機のパイロットや野球選手って、答えてる奴らに混じって、お前は、殺し屋になりたい、って言って、教師の苦笑いを誘ってたわけだ」
「そういうわけじゃないよ」
「じゃあ」
「リヴァ」慶慎は言った。「僕は、身の上話をするために、ここに来たんじゃない」
「そうだな」
 バーバーが、顔を上げた。
「始めようか、仕事の話」
「ああ」リヴァは頷いた。「我らが、リタ・オルパートの話を」



つづく




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posted by 城 一 at 00:28| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第33回(ver 3.0)





肉塊の 腐臭誘いし 憤怒の火


女殺し屋 猫が飛ぶ




 涙は出なかった。泣けないのではない、現実感がないのだろう。鏑木鈴乃(かぶらぎ すずの)は思った。
 兄の死を聞いた。羽継正智(はねつぐ まさとも)。カザギワでのコードネームは、飛燕。血は繋がっていない。しかし、預けられた孤児院では、いつも一緒にいた。羽継も、鈴乃のことを妹として、可愛がってくれた。お兄ちゃん、鈴乃。そう呼び合って、孤児院を出た後も、よく会った。
 何度か、男と女の関係になったこともある。血は、実際には繋がっていないのだ。咎める者は、誰もいなかった。しかし、恋人同士にはなったことはない。そういう話を、したこともなかった。兄妹であり、男と女でもある。互いに、それで満足していた。
 カナジョウ市の外れにある、廃屋。二階建ての木造アパート。今にも壊れそうな、錆びついた鉄製の階段を上る。二〇三号室の前で、黒革のコートに紺色のスーツ姿の男が一人、煙草を吸っていた。左眉の中央に傷があり、その部分だけ毛が生えていなかった。男の吸っている煙草は、見たことのない銘柄だった。辺りに、甘い香りのする煙が漂っている。
 男は鈴乃に気づき、立ち上がった。
「あんた」
「カザギワの飛猫(ひびょう)。連絡は、行ってるでしょ?」
「ツガ、白虎隊の志戸高敏(しど たかとし)だ。シドでいい」
 鈴乃は頷くと、歩を進めようとした。シドが、一歩ずれて、鈴香の進行方向を遮った。
「何?」
「俺は、お勧めしない」
「だから? どいて」
 シドは、首を縦に振らなかった。鈴乃は、コートのポケットに入れていた両手を、抜いた。銃を持って。マカロフを二丁。ロブ&ロイ。葛籠が改良し、そう名づけたオートマティックの銃だ。
 鈴乃は、同じ言葉を繰り返した。シドは、煙草を持っている方の親指で、額を掻きながら、鈴乃を通した。
 二〇三号室のドアは、立てつけが悪く、蝶番が言うことを聞かなかった。鈴乃は、何度もドアノブを乱暴に捻った。開かない。シドが、自分のコードネームを呼ぶのが聞こえた。無視した。ドアを蹴り飛ばす。蝶番が吹っ飛び、ドアは部屋の内側に倒れた。
 部屋の中に、男がもう一人。グレイのスーツの内側に、タートルネックの黒いセーターを着ていた。煙草を、携帯灰皿に入れながら、鈴乃を見て立ち上がる。外と同じように、部屋の中には、甘い香りのする煙が立ち込めていた。シドと同じ煙草を吸っていたらしい。
 男は鈴乃を見て、目を細めた。
「乱暴な人だ」
「甘党よりは、いいわ」
 鈴乃は、部屋の中に漂う煙を、手のひらを振って、払った。
 男が、鈴乃と握手しようと、手を差し出してきた。
「磐井仁(はに じん)です」
「聞いてないわ」
 鈴乃の後ろから、足を踏み入れながら、シドが言った。
「ほらな。女が甘いもの好きだからと言って、甘い煙草を吸ってる男がもてるとは限らねえんだよ」
「そんなこと言って、シドさんだって吸ってるじゃないですか」
「近くに、俺好みの煙草を置いてる自販機がなかったんだ。仕方ねえだろ」
「いつも言ってますよ、それ」
 シドは、煙草を捨てて、靴で踏んだ。親指を、部屋の外に向かって振る。
「いいから、はけろ、はけろ」
 磐井は肩をすくめると、部屋の外へと出て行った。
「何とかしてよ、このにおい」
「許してくれ。こうでもしないと、待ってる間、辛かったもんでな」
 何が。鈴乃は問おうとしたが、やめた。シドが、部屋の奥にある、青いシートを目で示していた。
「その下に、あるのね」
「刑事の話だと、死後一週間近く経ってるそうだ。早々に検死解剖したいところを、無理言って待ってもらってる。場所と、発見した人間に恵まれたな。これがもっと、人のいる住宅街の近くで、賄賂嫌いの刑事が来てたら、こんなことはできなかった」
「それは、感謝してるわ」
 鈴乃は、そう言って、鼻をひくつかせた。シドの言葉が、ようやく理解できていた。甘い煙が、死後しばらく経っている死体の腐臭に変わり始めていた。
 シドが、目を細めながら膝を突き、青いシートに手をかけた。
「覚悟は、いいんだな」
「ええ」
 もう、シドに躊躇はなかった。シートを一気に取り払った。
 目眩がした。何とか踏みとどまり、歯を食いしばる。目の前の光景が、理解できなかった。ただの映像として、鈴乃の頭を侵食していく。しかし、その映像は凶暴なまでに、死を表現していた。
 血、肉、骨。所々、破れた服の一片が、覆っている。
 それが、元々人間であったことを、鈴乃は理解できなかった。肉塊。そうとしか、思えなかった。
 何度もまばたきをした。そのうちに、視界が揺れた。両足から力が抜ける。膝を、両手を廃屋の床に突いた。こらえようとしたが、できなかった。
 吐いた。胃が、猛るように痙攣していた。
 シドが、駆け寄ってきて、大丈夫か、と言った。鈴乃には、首を横に振ることも、頷くこともできなかった。
 シドは、部屋の外の磐井に、水を買ってこい、と言った。言いながら、鈴乃の背中をさする。
「外に出よう」
 鈴乃は首を振った。胃は、まだ痙攣を続けている。また、吐いた。
「無理をするな」
 鈴乃は、首を振った。振り続けた。顔を上げ、目の前の光景を見続けた。
 兄の死。それを、目に焼きつけておこう。そう思った。



つづく




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2007年02月06日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第34回(ver 2.0)

 時間の感覚は、なくなっていた。
 鈴乃は、磐井が買ってきたミネラルウォーターのペットボトルを、眼前で傾けた。残り、少ない。一気に飲み干し、床に立てて置いた。
 死体の腐臭、自分が吐いたもののすえたにおい。ねずみの糞便、体のにおい。血。全てが入り混じり、形容しがたい悪臭を放っていた。が、もう気にならない。鈴乃は、自分の体の一部が壊死してしまったかのような感覚に襲われていた。それが本当なのか、それとも自分の妄想なのか。確かめる術は、ない。
 ねずみが、羽継の死体に駆け上って、ちゅう、と鳴いた。放っておいた。もはやそれは、兄であって、兄ではない。
 鈴乃と羽継のいる場所と、ちょうど反対側に、シドがいた。磐井がミネラルウォーターと一緒に買ってきた、マイルドセブンをふかしている。立ったまま、軽くうつむいて腕を組んでいる。
「わたしはもう、大丈夫よ」
「ああ」シドは言った。「まあ、あんたのことが心配なのもあるが、これ以上、ここを散らかされても、困るって事情もある」
 シドは、先ほど、鈴乃が吐いたものを一瞥して言った。そのまま乾き、床に醜い染みを作りつつある。
「そう」
「刑事が来るのは、これからだからな。それがなきゃ、すぐにでも片づけてやるんだが」
「気にしないで」
 部屋の天井の一部は、すっかり崩落していた。そこから、青空が見えた。綿菓子を浮かべるようにして、ぽつりぽつりと、小さな雲が泳いでいる。
 目をつむり、深呼吸する。鈴乃は、立ち上がった。
「行くかい?」
 鈴乃は首を振った。羽継の死体から離れ、それを眺める。部屋の中央。視線を巡らせて、部屋の中を観察した。倒れたテーブル、木製の椅子が二つ。崖と、そこから見える、雨に荒れた海を描いた風景画が、額に入っていた。壁で、傾いていた。汚れた毛布が一枚。部屋を形作るものの中では、比較的、新しいものに見えた。ここにいた者が、使ったのかもしれない。鈴乃は、毛布に手をかけた。
「おい。あんまり、部屋を」
 鈴乃は無視して、毛布をめくった。下には、何もなかった。両手に取り、広げた。ひらり。落ちるものがあった。写真。ポラロイドカメラで撮影されたものだ。拾った。噛み締める奥歯に、力がこもった。腐りきる前の、羽継の死体が写っていた。
「飛猫」
「呼びづらかったら、ネコでもいいわ」
「そういうことじゃねえ。現場にあるものを、弄るなって」
「くさい廃屋。カザギワの殺し屋の死体。自然、殺したのはカザギワの殺し屋よりも腕が上の人間。証拠らしい証拠はなし。刑事さんは、どれくらい捜査に力を注ぐのかしらね」
「あまり、いい顔されねえんだよ。こういうことすると」
「答えになってないわよ」
「微々たるものだろうな」
「この写真一枚で、その状況が一変する? トランプのジョーカーみたいに?」
「しないな」
 鈴乃は、写真を、着ていた黒いコートのポケットに滑り込ませた。
 もう一度、羽継の死体に近寄った。シドが、また何か言った。鈴乃は構わず、死体に手を伸ばした。肉に指を這わせる。気持ちの悪い音と共に抜き出したのは、釘だった。それが、羽継の全身に打ち込まれていることには、既に気づいていた。
 鈴乃は釘を眺め、それから舌で舐めた。脂がただ、まとわりつくような感覚。味というには、不快な感覚だった。ぴりっと、ほんのわずかに、電気が舌先に走ったような感じもした。
「犯人が使ったのかしら」
「そのようだな」シドは、鈴乃の行為に顔をしかめながら言った。「もういいだろう、いい加減に」
 鈴乃は頷き、出口へ向かった。が、すぐに踵を返した。思い出したことがあった。
 気づいた瞬間、頭が沸騰していた。
 毛布、テーブル、椅子。蹴飛ばし、部屋の中を引っくり返す。どこかから欠け落ちた木の板、ミネラルウォーターのペットボトル。ねずみが小さく悲鳴にも似た鳴き声を上げて、逃げていった。
 シドが、鈴乃の肩を掴もうとした。振り払った。椅子をまた、蹴り飛ばした。今度は探すためではなく、ただの八つ当たりだった。
 シドの手が、また伸びてくる。弾いた。怒りに、呼吸が乱れていた。肩が大きく揺れる。怒りで声帯を揺らした。怒声。
「何やってんだ、あんた。分かってんのか」
「ないのよ」
「何が」
「帽子よ」
「何言ってんだ、頭おかしく」
「父親の形見だって。生活苦で、お兄ちゃんを孤児院に預けたお母さんが、くれたもの。テンガロンハット」
「それが」
「命よりも大事にしてたわ」
「どこかでなくしたのかもしれん。落とした可能性だって」
 鈴乃は、一度しまった写真を取り出し、シドの眼前に突きつけた。写真に写っている羽継の死体の傍らに、テンガロンハットが落ちていた。
「殺してやる」
「落ち着けよ、なあ」
「殺してやる」
 吐き出す対象のない怒りを腹に押し込め、鈴乃は何度も呟いた。頭痛がした。頭の中に、釘でも埋め込んだかのようだった。羽継の体に打ち込まれた釘を思い出し、鈴乃は舌打ちした。銃で頭を粉々に、撃ち砕きたい。その衝動を抑えるのに、苦労した。



つづく




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2007年02月07日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第35回(ver 3.1)

 風が吹いた。
 赤く燃えた煙草の先、細い煙が流れて消える。
 久し振りに吸う煙草だった。鈴乃は目を閉じ、煙が肺に染み込んでいくのを感じた。
「吸うんだな、煙草」
 シドが言った。マイルドセブン。シドから、一本もらったのだ。
「喫煙を咎められる年じゃないわ」
「別に、そんなつもりで言ったんじゃねえよ」
 二人は、廃屋の外にいた。ひとしきり部屋で暴れ回った鈴乃は、ふと冷静になった。そして、羽継の死体が放つ腐臭に、耐えられなくなったのだ。そのままそこにいるよりは、冷気漂う外の方が、よっぽどいい。そう思った。シドはもちろん、その考えに賛成した。
 磐井は、既にツガ組白虎隊のビルに帰っていた。飛燕の死について、詳しく報告するためだ。
 シドが、持っている煙草を、指先で軽く叩いた。灰が落ちる。また風が吹き、それを地面にたどり着く前に、すくい上げるようにして飛ばした。灰は空中分解して、散っていった。
 銀色のカローラが、通りを曲がってやって来た。音もなく、鈴乃とシドの前で停まる。
 助手席の窓が開き、男が顔を出した。頬骨が凛々しい曲線を描く、四十代の男。メタルフレームの眼鏡をかけていた。
「殺人もしくは遺体遺棄現場の前でデートとは、いいご身分だな。ええ?」
 狭い路地だ。男の顔は、シドのすぐ近くにあった。シドは親指を立てて、鈴乃を指した。
「例の、仏さんを見たいってごねた奴だよ」
「君が?」
「君が、だって?」シドが鼻を鳴らした。
 鈴乃は煙草を口から放し、言った。
「カザギワの飛猫よ」
「ヒビョウ?」
「呼ぶときはネコでいいわ」
「ネコ、ね。俺はてっきり、男かと思っていたよ。死体を見たがる、カザギワの殺し屋って言うもんだから」
「別に、死体を見るのが趣味ってわけじゃないわ」
「すまない」男は言った。「分かってはいたんだが。そういう風に聞こえたんなら、謝る」
「構わないわ」
「刑事の鶴見(つるみ)だ」鶴見は窓から身を乗り出し、半ば強引に手を取って、鈴乃と握手をした。運転席の方へ首を倒す。「こっちが、相棒の浦口(うらくち)」
 浦口は小さく頭を下げ、よろしく、と言った。
 鶴見と浦口が車を降りた。冷たい外気に肩をすくめながら、廃屋の敷地に入っていく。シドと鈴乃も、後に続いた。
 背中にベルトのついたトレンチコートを揺らしながら、鶴見が言った。
「何だ。まだ、見るものがあるのか?」
「いや」
 錆ついた鉄製の階段が、四人の体重に軋む。鈍重な悲鳴のようでもあった。
 鶴見が言った。
「なら、帰っていいんだぜ」
「多分、の話だが」シドは言った。「現場を見たら、あんた、俺たちに言うことがあると思うんだ」
 鉄柵のある通路。鶴見がシドを振り返った。
「どういう意味だ?」
「そういう意味だ」シドは言った。
 浦口が、二〇三号室の前で、鶴見を呼んだ。駆け足で、浦口の下へ走っていくと、鶴見は言った。
「お前な」その視線の先には、鈴乃が破壊したドアがあった。
「怒るのは、まだ早いよ、刑事さん」
 そう言って、シドは下唇を突き出して、悪戯っぽい表情を作りながら、顎を動かし、部屋の中を示した。
 鶴見を先頭にして、四人は部屋の中に入った。
 部屋の中は、鈴乃が暴れ回った後、そのままにしてあった。鶴見は、ゆっくりと部屋を見回した。鶴見は一度、この部屋を見てから、シドに預けている。つまり、元の状態を知っている、ということだった。
 鶴見は煙草に火をつけた。そして、長々と一服したところで、溜め息をついた。
「シド。俺はお前に、何て言った?」
「“お前な”」シドは、鶴見の声を、少しだけ真似て、言った。
「違う。お前が、手が入る前に、死体ごと現場を見せてほしい、と言ったときだ」
「現場の保全に努めてくれるならいい、と言った」
「“現場の保全”という言葉は、この状況に適当だろうか」
「適当ではないかもしれないな」
「かもしれない?」
「俺は今後、断定しない、という処世術で、世の中を渡っていこうと思っているのだ」
「俺は、断定的な物言いをしても、気にしないよ」鶴見が言った。
「俺、もしくは俺たちは、現場の保全に失敗したようだ」シドは言った。「えー、どうやら」
「まだ、処世術のスイッチが入っているな」
「違う。今のはあくまでも、俺の見解だから、ということでつけ加えたのだ」
「安心しろ。俺も同じ見解だ」
「わーい」
「お前、もしくはお前たちは、現場の保全に“おもくそ”失敗した」
「努力はしたんだがな。だが、何だ? “おもくそ”というのは」
「ネガティヴな意味を持つ、形容詞の最上級だ」
 鶴見は、シドと言葉を交わしながら、部屋の中を歩き回っていた。鈴乃が吐いたものに気づいていなかった。浦口が注意した。間に合わなかった。鶴見が気づいたときにはもう、鈴乃が吐いたものを踏んでしまっていた。
 鶴見は悪態をつきながら、飛びのいた。
「何だ、くそっ。何なんだ、こいつは」
「それは」
 シドが言い淀んだ。何とか、鈴乃のことをかばおうとしていた。
 不要な世話だ。鈴乃は思い、シドに構わずに答えた。
「ゲロよ」
「誰の」鶴見が言った。
「あたしの」鈴乃は平然と答えた。
 鶴見は、苦虫を潰したかのような表情を浮かべた。煙草の吸い殻を、鈴乃の吐いたものの中に落とした。
「ま、いい女はゲロも吐かないし、くそもしない、なんて話、信じる年じゃないからな」
「ごめんなさい」
「その謝罪は、ゲロったことに対するものか? それとも、しがない中年刑事の夢を壊したことに対するものか?」
「両方よ」
「ま、仕方ないさ。見たもんが、見たもんだからな」鶴見は、青いビニールシートに覆われた羽継を横目で見ながら、言った。「しかし、どうするかな。報告書は」
「それを考えるのが、お前の仕事だ」
「約束事を守れない奴の言葉とは、思えないな」
「過去のことをいつまでも言及することは、お前さんの器を小さくするぜ」
「熱燗が飲めりゃ、十分だ。しかし、それにしても、最近は全くモチベーションが上がらないな」
「モチベーション」
 シドは独り言ちるようにして、繰り返した。
「そいつが上がれば、報告書もうまく書けるような気がする」
「ああ。そう言えば、そのことには全く関係ないんだが」シドは言葉に感情を込めず、わざとらしく言った。「この近くで、落としものを拾ったんだ。俺は善良な市民だから、お巡りさんに届けようと思っていたのだ。その相手は、賄賂好きな悪徳刑事さんでもいいのか?」
「見せてみろ」
 鶴見は、シドから封筒を受け取った。中身を確認する。
「十万も入っているな」鶴見は言った。「しかし、最初から十万だったのか?」
「俺が金額をごまかすとでも? そりゃないぜ、刑事さん」
 鶴見は封筒を懐に入れ、にやりと笑みを浮かべた。
「そうだな。お前は善良な市民だった。そんなこと、するわけがないよな」
 それから、部屋の様子を、今一度、鶴見と浦口が確認した。浦口は、部屋に充満する悪臭に、顔を歪めっ放しだった。気分が悪いようだった。いい加減、外に出ましょうよ。浦口が言った。皆、同意見だった。
 シドと浦口が、先に外に出た。鈴乃も、それに続こうとした。が、足を止めた。鶴見が、鈴乃の腕を掴んでいた。
「何?」鈴乃は言った。
「このことに関係ありそうな、でかいネタがある」
「でかいネタ。抽象的な表現ね」
「具体的に言うと、察しがついちまうかもしれない」
「察しがつくと、困るような言い方だわ」
「俺は刑事だ。扱うネタはたいてい、値がつくもんでね」
「そういうこと。いくら?」
「<ジパング>って安いホテルがある。ここから十分くらいの所だ。車で、な。分かるか?」
「ジパングは知ってるけど、あたしが聞いたのは、“でかいネタ”の値段よ」
「ジパングで、今夜十時」
 鈴乃は、鶴見を見た。鶴見は挑むような目つきをしていた。唇の端を舐めた。
「なるほどね」
「高いか、安いか。それは、自分で判断しな」
「行くわ」
 鶴見は軽く眉を上げた。
「ずいぶん、簡単に決めるんだな」
「まずい?」
「いや」下卑た笑みに、鶴見の口角が上がった。「上等だ。待ってるぜ」
 鶴見は、弾むような足取りで、部屋を出て行った。
 鈴乃は部屋の中央で、深呼吸した。死のにおいが漂う空気を、最後にもう一度だけ、味わっておきたかった。“兄”の死のにおいを。
 煙草の火が、大して吸わないうちに長い灰を作り、フィルターの近くにまで達していた。鈴乃は煙草を捨て、床で踏みにじった。
「じゃあね、お兄ちゃん」
 鈴乃は部屋を出た。
 シドは、クラウンの中で待っていた。鈴乃は、その助手席に乗り込んだ。
「遅かったな」シドが言った。
「そう?」
「鶴見と、話をしてたのか?」
 鈴乃は、助手席の窓を軽く開けた。車内の煙を、逃がす。シドの吐いた煙だった。鈴乃は言った。
「お兄さんが死んで、残念だった、と」
「そんなことを、わざわざ改まって言う奴じゃねえよ、あいつは。“でかいネタ”の話をされたんじゃないのか」
 鈴乃はシートベルトを締めようとしていた手を止めた。そして言った。
「どうして?」
「あいつの常套手段だ。あいつは、女となると、見境がつかなくなるからな。あんたみたいにいい女となれば、特に、平気で嘘もつく」
「必ず?」
「本当にネタがあるときもあるが、十中八九、嘘だ」
「少なくとも一割、可能性があるわね」
「やめとけ。ホテルに誘われても、絶対に行くな。それで泣いた女を、何人も知ってる」
「ツガ組の下では、一人も女は泣いていないのかしら?」
「話を混ぜて、うやむやにするな」
「たとえ一割に満たなくても、“でかいネタ”が待ってるかもしれないのよ?」
「体を張る価値はねえさ」
「でも、他に確かめようがないわ」
「あんたな」シドの語気が荒くなった。
 鈴乃が、その目に、わずかばかりの光を宿らせて、シドを見た。
「あなた」鈴乃は言った。「もしかして、あたしのこと」
 シドは鈴乃から目を逸らした。灰皿に叩きつけるようにして、煙草を潰す。そして、吐き捨てるように言った。
「それ以上言うな。そいつは、邪推だ」
「そうかしら」
 鈴乃は、薄い黒色のレンズの、サングラスをかけた。シドは鼻を鳴らした。
「うぬぼれるなよ」
「あたし、行くわよ」
 シドはキーを捻り、エンジンをかけた。束の間、その唸りに耳を傾け、温まる時間を与える。そして、エンジンを吹かし上げた。
 シドは言った。
「好きにしろ」
 クラウンは、少しだけ乱暴に、走り出した。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 05:12| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月09日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第36回

 鈴乃は一度、カザギワに戻った。
 羽継が、なぜ死んだのか知りたかった。あの凄惨な死に様だ。カザギワでしていた仕事と関係ある。そう考えた。
 羽継に、最も新しい仕事をするように指示したのは、カナコ・ローディンだった。冷たい瞳と、それとは真逆の性質を備えているように見える、あの赤毛。鈴乃は、カナコ・ローディンのことが嫌いではなかった。
 カナコは、羽継と組んでいた井織誠(いおり まこと)という男を教えてくれた。情報管理を担当している、壮年の男だ。
 鈴乃は、井織に電話したが、通じなかった。自宅へと向かうことにした。
 まだ、シドと別れていなかった。何も言っていないのに、ついて来るのだ。井織の家へ行くことを話すと、当たり前のように、送る、とシドは言った。断る方が、面倒に感じた。鈴乃は頷いた。
「鶴見に会うときまで、ついて来る気じゃないでしょうね」
「まさか」
「じゃあ、どうしてついて来るの」
「いい女は、見ていて楽しい」
 シドは言いながら、カーラジオの音量を下げた。
「冗談でごまかさないで」
「嫌なら嫌と、はっきり言えばいい」
「こう、うろちょろされると、はっきり言って、邪魔だわ」
「そうかい」
「さあ、降りてくれる?」
「なぜ? こいつは俺の車だぜ」
「足は必要だわ。あなたはいらなけど」
「あいにく俺の体は、どこかのモビルスーツみたいに上下に分裂しないんだ」
「あたしは、この車のことを言ってるのよ」
「馬鹿だな。分かってるよ。ここ、真っ直ぐでいいのか?」
 鈴乃は束の間、黙って、カナコ・ローディンに教えられた、井織の自宅がある場所を思い出し直した。鈴乃は頷いた。
「いいわ。ねえ」
「郷に入っては、郷に従え。助手席に乗ったら、運転席に従え。あまり文句を言ってると、美人が台無しだぜ、いい女」
「じゃあ、あたしが運転するわ」
 シドは首を振った。
「運転席に乗っては、車のオーナーに従え。諦めが悪いな、あんた」
「それが取り柄よ」
「諸刃の剣だな」
「何事も、そうよ」
「確かに、そうだな」シドはクラウンを止めた。窓の外を見る。「さ、着いたぜ、お嬢さん」
「礼は言わないわよ」
「どういしまして」



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
posted by 城 一 at 04:40| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第37回

 園芸用のスプリンクラーが、水をまいていた。
 レンガが敷き詰められた、玄関まで続く道を挟むようにして、青々と生い茂っている芝生。道に沿って、花の植えられた白いプランターが並んでいる。
 道の突き当たりには、大きな家があった。井織の住む家。白い壁、赤い屋根。
 シドが、感嘆の声を発した。
「昔、がきの頃は、憧れたもんだ。こういうでかい家に」
「今は身の丈をわきまえて、一人寂しく四畳半生活?」
「馬鹿にし過ぎだぜ。しかし、なんだな。カザギワに入ると、こんな馬鹿でかい家が買えるのか?」
「場合によっては。あと、節約が上手であれば」
「俺には少し、難易度が高いな」
 鈴乃とシドは、家のドアにたどり着いた。シドがインターフォンを押す。
 すぐにドアが開いた。
 あまりにも早い反応に、シドが驚いていた。出て来たのは、井織の妻、光子だった。
 パーマをかけた、ブラウンの髪。やんわりとしたウェーブを描いている。ネイビーのニット、同じ系統の色のチェック柄が入ったスカート。笑顔に映える真っ白い歯。壮年のはずの夫に比べ、若い。二十代前半。胸に、子犬を抱いていた。茶色い毛の、イングリッシュ・コッカー・スパニエル。
 シドの表情を察して、光子は先回りするようにして答えた。
「窓から、入って来るのが見えたわ。さ、入ってらして」
 シドは言った。
「俺たち、まだ名乗ってもいない」
「夫の同僚の方たちでしょう? 銀行の」
 鈴乃は顔をしかめた。口を開こうとするのを、シドが遮った。
「そうとも言えるし、そうでないとも言えますね」
 光子の腕の中で、子犬が暴れた。光子は微笑みを浮かべながら、子犬を足下に下ろした。子犬は、鈴乃のブーツのにおいをしきりに嗅ぎ始めた。鈴乃は顔をしかめた。
 光子は、シドに言った。
「面白い方ね。銀行の方はみなさん、そんな言い回しをするの?」
「そうしなければ、色々と角が立つものなのです、奥さん」
 光子は笑顔で頷くと、家の中に、一足先に引き上げていった。子犬は小さく一鳴きして、光子を追いかけていった。
 鈴乃は、シドを見た。
「今のは、何?」
 シドはにっこりと微笑んで、先ほどの口調を、そっくりそのまま再現した。
「ああしなければ、色々と角が立つものなのですよ、奥さん」
「とても腹が立つわ、その口調」
「ありがたきお言葉、至極光栄に」
「やめてよ、馬鹿」
「奥さんに、秘密にしてるんだろう。知り合いにも昔、そういう奴がいたよ」
「気に食わないわ」
「何が」
「何も知らずに一人、幸せそうな顔をして、のうのうと暮らしてる」
「井織が、それを望んだんだろうさ」
 家の奥から、光子の声がした。二人を呼んでいた。鈴乃とシドは、家の中に入った。細かな花の模様が織り込まれたソファを示され、二人で座った。光子は、その向かい側。子犬が、その膝の上に飛び乗った。
「コーヒーでよかったかしら」
 三人の間にあるガラステーブルの上、コーヒーの入ったマグカップが並んでいた。
「ええ」シドは答えた。
 鈴乃は何も言わなかった。頷きもしなかった。黙って、コーヒーの入ったマグカップに口をつける。
 光子は、思わず苦笑していた。シドが代わりに口を開いた。
「人見知りなのです」
「そのようね」光子は言った。笑顔は一向に崩れる気配を見せなかった。「それで……今日はどういう用件なのかしら」
「旦那さんを探しているのです。ここ数日、会社にも来ていなくて、連絡も取れなくて」
 シドは言った。
 鈴乃は、光子にも聞こえないほど小さな声で、会社ね、と呟いた。シドが、横目で鈴乃を一瞥した。そして、続けた。
「旦那さんは……こちらにもいらっしゃらないようですね」
「そうなんです。家にも、少し前から帰っていなくて」
「いつからですか」
「二、三日前です。こっちでも、連絡が取れなくなっていて」
「こういうことは前にも?」
「いえ。初めてですわ」
「あの」
 シドが口を開いたと同時に、インターフォンが鳴った。すいません、と光子は謝って、ソファを立った。
「大した情報は得られなさそうね」
「ああ」
 鈴乃は、部屋の中を見回した。掃除が行き届き、見るからに高価そうな家具が揃っている。
 子犬が、鈴乃の、目の粗い黒いストッキングを履いた足に、鼻を寄せていた。鈴乃は軽く、足を動かした。子犬は気にせず、鈴乃の足にまとわりついていた。
「早く出ましょ。こういう家の空気、あまり好きじゃないわ」
「犬のにおいか?」
「絵に描いた幸せってやつよ」
 鈴乃が立ち上がったときだった。
 ものが割れる音がした。そして、悲鳴。
 シドが走った。鈴乃も、それを追った。
 玄関。客は、男が四人。金髪をオールバックにした、男の一人が、光子の着ているニットの首元を、掴み上げていた。他に、頬に傷のある男、入れ墨だらけの体、そのままの素肌にスーツを着ている男、坊主頭の男。
「ずいぶん、乱暴な訪問販売だ」シドが言った。
「何だ、お前」金髪のオールバックが言った。
「客だ」
「俺だって、客だ」
「少々、我々と種類が違う客のようだな」
「大丈夫、気にしないよ。中でくつろいでいてくれ。俺は、この奥さんに話があるんだ」
「そうもいかないな。何の用だ」
「簡単な話だ。この奥さんは、俺たちから借りた金を、返してくれないのだ」
 シドは顔をしかめた。手を広げて、言う。
「こんな屋敷に住んでる婦人が、お前らみたいなやくざから、金を借りる?」
「信じられないか?」
「そうだな。全く、信憑性がないな」
「俺だって、不思議だ。が、現に数字として現われているのだ。千三百万円。彼女がどうやって、そんな大金を使ったのかも、どうして俺たちから借りたのかも、分からない。しかし、事実は事実なのだ」
 シドは、光子を見た。
「奥さん、本当なのかい?」
「そうよ。だから?」
「何に使ったんだ?」
「何に、ですって? 色々よ。バッグ、服、ティーカップ、車。千三百万? 笑わせるわ。それほど目くじら立てる額じゃないわ」
 金髪のオールバックは、光子の襟を捻る手に、力をさらに込めた。
「即座に目くじらを立てる額じゃないかもしれないが、長い間、その額の金額が返ってこないとなると、俺たちは目くじらを立てなければならなくなる」
「それにしても、手荒い取り立てだな」シドが言った。
「優しいやり方では、彼女は考え方を変えてくれなかったのだ」
「そうは言っても、もう少し、やり方を考えるべきだな」
「その辺の判断は、個性が出るところだな」金髪のオールバックが言った。
「てめえ、いい加減にうざったいぜ」
 頬に傷のある男。シドに歩み寄った。拳を振る。シドは素早く、ステップアウトして、かわしていた。
「気の短い連中だな」
「ま、やくざだからな」
 男が、にやりと笑った。それで、シドが怖気づくと思っていたようだ。もちろん、シドは全く気にしなかった。
「おしっこをちびってしまいそうだな」シドは言った。
「お前、なめてるのか?」
「どちらかと言うと、女に舐めてもらうのが好きだな」
 今度は、頬に傷のある男が、蹴りを繰り出した。シドは、力を込めた腹で受けた。微動だにしなかった。微笑む。
「とてもキュートなミドルキックだな」
「誰なんだ、てめえ」
「ツガ組白虎隊、シド」
「ああ、ツガ組ね」
 坊主頭の男が言った。
「ツガ組? お前、知ってるのか?」金髪のオールバックが、とぼけた表情をする。
「この街の老舗だ」
「シニセ? 難しい言葉を使うな。意味が分からん」
「ボキャブラリーの乏しい奴だな、お前は」坊主頭は口許を歪めて、言った。「老いぼれ、という意味だ。棺桶に片足突っ込んでる組さ。分かるか」
「ああ、ニュアンスは。とても」
 シドの目に光が宿った。前蹴り。坊主頭が吹っ飛んだ。
 突然の攻撃に、男たちの怒声が、屋内に響き渡る。シドは、肩をすくめて言った。
「すまない。言われた通り、棺桶に片足を突っ込んだつもりだったんだ」
「後悔するぜ」
「俺の実力を?」
「字が違うわよ」鈴乃が言った。「公に開くと書くやつでしょ」
「アー・ハ」
 シドは軽くステップを踏みながら、拳を構えた。鈴乃は言った。
「何なの、アー・ハ、というのは」
「欧米式の相槌だ」
「そう」
「そこは、欧米か、と突っ込むところだ」
「某漫才コンビに怒られるわよ」
 シドが、鈴乃のことをちらりと、横目で見た。
「びっくりマークをつけなければ、大丈夫だよ」



つづく




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posted by 城 一 at 01:25| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第38回

 鈴乃は煙草に火をつけた。マルボロ・メンソール。
 コッカー・スパニエルが、甲高い声で吠えていた。前進と後退を繰り返し、一定の距離を男たちと保っていた。参戦するつもりはないようだった。
 頬に傷のある男の体が揺れ、後退した。シドが、ワン・ツーに加え、左のミドルキックを叩き込んだのだ。入れ墨の男が雄叫びを上げた。肩からシドに体当たりする。二人の体がもつれ合った。シドはかろうじて倒れず、持ちこたえた。備えつけの大きな靴棚に掴まって。入れ墨男の顔面を膝で跳ね上げ、脇に投げた。ポールハンガーが、かかっていた帽子ごと倒れた。音はしなかった。金髪のオールバックが左のダブルを繰り出した。シドのボディ、顔面を捉えた。歯を食いしばり、シドはガードを上げた。隙。金髪のミドルキックがシドの腹をえぐった。シドは吹っ飛んだ。
 光子は既に、金髪の男の腕から自由になっていた。ひたすら、言葉にならない悲鳴を上げていた。鈴乃にはもちろん、何と言っているのか分からなかった。
「奥さん、下がって」シドが言った。
 明らかに、邪魔になる位置に、光子はいた。が、パニックに陥っている光子は、ただ聞き取れない言葉をわめき散らすばかりだった。鈴乃はその肩を掴み、邪魔にならない位置に、光子を無理やり移動させた。光子が鈴乃を見て、何か叫んだ。内容は分からなかった。
 ポールハンガー。弧を描き、立ち上がる途中のシドのこめかみを打った。ジャケットを脱いだ入れ墨男だった。シドは呻きながらそれを掴み、引いた。入れ墨男がよろけた。
 頬に傷のある男。体が宙を舞った。飛び回し蹴り。シドの体が、また吹っ飛んだ。鈴乃の横に転がってきた。
 鈴乃は、煙草を指先で叩き、灰を床に落とした。これだけ部屋が滅茶苦茶になっていれば、気にはしないだろう。
 シドは、大量に鼻血を流していた。呼吸が少し、苦しそうだった。鈴乃は、シドに煙草を差し出した。
「吸う?」
「ノー」
「そう」
 鈴乃は煙草を吹かしながら、やくざたちを見た。皆、立ち上がり、慎重に間合いを詰めてきていた。誰一人として、戦意を失っていない。
 シドが言った。
「このまま彼らが暴れ続けると、この“絵に描いた幸せ”ハウスが、滅茶苦茶になるな」
「なるわね」
「心が痛まないか?」
「あたし、お陰さまで、心臓に持病は抱えていないの」
「目の前で、井織家の幸せが破壊されていくのを、黙って見ていることに関して、良心の呵責はないのか?」
「あたし、孤児なの」
 シドが、苦々しげな表情で、鈴乃のことを見上げた。
「一言、いいかな?」
「仕方ないわね」
「あんた、地獄へ落ちるといいよ」
 立ち上がったシド。地を蹴っていた。飛び前蹴り。金髪が倒れた。花瓶が靴棚から落ちて割れた。後ろ回し蹴り。坊主頭ががくんと揺れた。男たちの体が団子になった。怒声。
 再び、シドの体が、鈴乃の横に転がってきた。
 シドは体を起こし、血の混じった唾を吐いた。
「助けて欲しい、と言ったらどうなの?」
 シドが、鈴乃を見た。
「えー、戦略的に、一人よりも二人で戦った方が」
「ストッキングが破れるわね」
「俺はてっきり、ストッキングは破るためにあるものだと思っていたよ」
「男は皆、そう言うわね」
「いい加減にしとけよ、てめえら」金髪の男が、殺気立った表情で言った。匕首を懐から抜く。「サジマル組なめたこと、後悔させてやる」
「抜いたな、あんた」シドの目の色が変わった。「覚悟、できてるんだろうな」
「できなくて、やくざできるか。ぼけ」
 シドは口を閉じた。懐に手を入れ、息を潜める。
 空気が変わった。鈴乃は思った。金髪の男も、それを感じたようだった。怖じ気づきそうになっているのが分かった。怒声。威圧するためのものではない。自らを鼓舞するための、怒声だ。
 金髪の男が跳んだ。不用意。
“昴宿”の二文字が、威風堂々と柄に書かれた、シドの匕首。金髪の男の手を刺し貫いていた。男の匕首が、床で音を立てた。そこに、血が滴る。
 シドは、その匕首を拾い、男の首筋に当てた。自分の匕首は、男の手を刺したままだ。ぐい、とシドが押す。そのままに、男は後退した。動きは、シドに支配されてしまっている。
 他の男たちも、黙って息を呑み、その様子を見守っていた。
「下がれ。そうだ」シドは言った。「外へ出ろ」
 シドと金髪の男を先頭に、やくざたちは後退し、そっとドアを開け、家の外へ出た。
 今では、コッカー・スパニエルも静かになっていた。案外、場の空気を読めるくらいは、賢い犬なのかもしれない。飼い主に似ずに。鈴乃は子犬と共に、距離を保ったまま、男たちを追った。ゆっくりと。
「こういうのは、避けたかったんだがな。流血沙汰、というやつは」
「抜く前から、なってたわよ」
「そうだな」シドは、振り返らずに、言った。
 刃を強く押しつけ過ぎたのかもしれない。男の首を、血が細く筋を作って、流れていた。やめてくれ。男は唸るように、そう言った。
「もう少し、良心的な取り立てに、路線を変更すると言うなら」
「分かった」
 シドは後ろの男たちを見た。まだ何か、隙を伺っている雰囲気があった。シドは言った。
「お前ら、チャカはのんでるのか?」
 男たちは答えなかった。
 シドは彼らを睨みながら、鈴乃に言った。
「ことをできる限り平穏に収めるために、そろそろ協力してくれても、いいんじゃないか、ネコ?」
「いいわ」
 鈴乃は頷いた。次の瞬間には、マカロフ二丁の銃口を、男たちに突きつけていた。
「あんたらに残されてる勝ち目は、さほど多くない。俺たちは、この和やかな雰囲気のある住宅街に、血の海を作りたくない。理解できるかな?」
 誰も、何も言わなかった。
 シドは、金髪の男の首に当てた匕首に、さらに力を込めた。
「ヘイ。リーダーシップを発揮するところだ」
 男は、額に汗をかきながら、かすれた声で言った。
「お前ら、返事をしろ」
 男たちはばらばらと、弱々しい調子で、返事をした。
 シドは血の滴る手のひらから匕首を抜き、金髪の男の体を蹴り飛ばした。
「サジマル、ね。覚えとくぜ」
 男たちは、ゆっくりとしたスピードで、井織家から引き上げていった。
 シドは、二つの匕首を懐に入れた。
「コーヒー、冷めちまったかな」
「でしょうね」
「あんたには、ちょうどいいんじゃないか?」
「まさか」鈴乃は言った。「舌の加減は、コードネームには合わせてないわ」



つづく




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posted by 城 一 at 00:53| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第39回

 玄関。
 イングリッシュ・コッカー・スパニエルが、床に滴った血を舐めていた。
 両開きのうちの片方の扉が壊れた、靴棚。そこから落ちた、靴がいくつか。壁に数箇所、穴が空きかけている場所がある。倒れたポールハンガー。割れた花瓶、飼い犬と同じ種類の、犬の置き物。頭と胴体が、二つに分かれていた。
「ポロ、やめなさい」
 光子が言った。ポロ。それが、子犬の名前らしかった。犬は、返事をすることなく、血を舐め続けた。光子が、荒々しい足取りで犬に歩み寄った。鈴乃は、光子がそのまま、犬を蹴り飛ばすのではないかと思った。が、光子は子犬のポロの直前で、足を止めた。
「ポロ!」
 金切り声と言ってもいいほどの、声だった。犬はびくっと、体を震わせて、うなだれた。か細く喉の奥で鳴いた。
 シドは、犬の側に膝を突き、その頭を撫でた。
「勘弁してやりな。犬に罪はねえ」
 光子はシドを一瞥した後、リビングに戻った。大きな窓から、庭を見ていた。自分の体を抱くようにして、腕を組んでいる。
「分かってる。分かってるわ」光子は、自らに言い聞かせるように言った。「何なの、あなたたち?」
「何となく分かってるとは思うが、俺はやくざ。彼女は殺し屋だ」
「テレビや、映画の世界みたいね」
「現実さ」
「これは、質の悪い冗談ではないのね? どこかでカメラが回っていて、あなたたちは、演技派の男優と女優。そういうわけではないのね?」
「ああ、違う」
 光子の視線は、男たちが逃げていった方向を見ている。
「あの、くそ野郎どもめ」
「しかし、君も悪い。ああいう男たちから金を借りれば、トラブルになることは、明白だ」
「知らなかったのよ」光子は、溜め息をつくようにして、言った。
「ときには、それで済まされないこともある」
「知らなかったの」
「井織……旦那さんには」
「相談? する暇なんて、ないわ。あの人は、家にいてもいなくても、仕事漬けだもの。それでいて、何も話してくれない」
「そのうちに、話してみるんだな。大事なことだ」
「余計なお世話よ」光子は言った。「それで? 結局、何なの。あなたたちは。夫の銀行の、同僚ではないんでしょう。何のために、夫を探してるの?」
 シドは目を細めた。両手を、ズボンのポケットに突っ込んだ。少し、思案していた。
「シド」鈴乃は言った。
「分かってる」シドは言った。「えー、旦那さんに聞きたい話があっただけだ」
「トラブルの起きそうな?」
「いや。彼は直接、それには関係していない」
 鈴乃は舌打ちした。
「よかった」光子は言った。シドや鈴乃とは、一度も目を合わせようとしない。「なら、早く出て行って。夫はここにはいないんだから。真面目な銀行マンなのだから」
「真面目な銀行マンなのだから」
 鈴乃は、光子の言葉を繰り返し、喉の奥でくっくっと笑った。
「ネコ、やめとけ」シドが言った。
「ニャーゴ」
 鈴乃は、笑うのをやめなかった。光子が、鈴乃を睨んだ。
「さっきから、何なの。あなた、頭おかしいんじゃないの?」
「それは、こっちの台詞よ、マダム。全く。気づいてるのに、知らない振りをしてるのか、それとも本当に気づいていないのか。どちらにしろ、とんだ道化ね」
「ネコ」
「あなたの夫、井織誠はね、あたしたちの仲間なのよ」
「聞きたくない!」光子は耳に手のひらを当て、激しく首を振った。「聞きたくないわ!」
 鈴乃は、光子の表情を見て、口許を歪めた。
「驚きよりも、否定の色が強く出てるわよ。あなた、薄々、勘づいていたんじゃないの?」
「帰って」光子が言った。
「ねえ。あなたの夫の仕事のせいで死んだ人間が、何人もいるのよ」
「ノー」光子がまた、首を振る。
「そうやって彼が稼いだ金でも、あなたにはまだ不満がある。足りない。バッグが欲しい。靴が欲しい。服が」
「ネコ」シドが、鈴乃の肩を掴んでいた。「いい加減にしとけ」
 シドの声を合図にしたかのように、光子がその場に崩れ落ちた。嗚咽が始まる。
「あとは、旦那さんから直接聞くんだな。あんたがもし、それを望むなら、の話だが」
 シドが言った。
 鈴乃はもう、光子に興味をなくしていた。一所懸命に作り上げていた、偽りの幸福。それを粉々に砕く瞬間が、面白いのだ。その人間の立場、感情、表情。全てが反転する、その瞬間が。
 シドと鈴乃は、井織家を後にした。車に乗り込んだ後も、しばらくの間、シドは黙っていた。鈴乃は言った。
「怒ったの?」
「ああいうやり方は、好かん」
「嘘を言ったわけじゃないわ」
「優しさの必要な事実もある」
「あたし、不器用なのよ」
「嘘だな。あんたは、彼女の急所を、より効果的な方法を考えて、突いた」
「素晴らしい推理力ね。あなたとなら、幸せな家庭を築いてもいいわ。大きな家、大きな庭、それにイングリッシュ・コッカー・スパニエルを飼うの。名前は、ポロ」
「その辺にしとけよ、ネコ。あんたは冗談が過ぎるな。この後は、どうする?」
 鶴見と約束した時間まで、あと三時間ほどだった。日はもう、すっかり暮れていた。
「夜には予定があるから、今日はこの辺にしておきましょう」
「予定、ね。気持ちは変わらないんだな」
「それがあたしの美点なのよ」
「そうかもしれないが、使い方が間違ってるな」
「喜ぶ男は多いわよ」
「そう」シドは言った。「それはそうだろうな」



つづく




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