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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2007年03月12日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第60回

 目覚めたのは、翌日の午後だった。きっかけは、シドからの電話だった。寝ぼけ眼のまま、鈴乃は電話に出た。残っていた缶ビールを開けた。冷蔵庫にも収まらず、カーペットの上に転がっていたものだ。中身の温さが、気分を悪くした。待ち合わせの時間は、一時間後に指定した。場所は、鈴乃の自宅から十五分ほど歩いた所にある、<ペンギン堂>という雑貨屋。場所を言ってから、鈴乃は時間を計算し直した。一時間半後、と訂正した。
 曇り空だった。もう、暦は十一月末。雪が降っても、おかしくなかった。鈴乃は、そんな寒気の中を、黒いコートを揺らして歩いた。ほんのわずかだが、酔いが残っていた。醒ますには、散歩はちょうどいい。
<ペンギン堂>は、若い、日本人の男とアメリカ人の女の夫婦が経営する、雑貨屋だった。品揃えは、ほとんど、客を無視したものだった。自分たちの好みを最優先にさせていた。アメリカン・ショートヘアの猫の頭に、ちょんまげを乗せた、陶器の置きものが、店頭に並んでいた。その置きものを作った者は、なにを思ったのか、ディフォルメした猫にすればいいものを、かなり現実にいる猫を忠実に再現した作品に仕上げていた。値段は、九千八百円だった。おそらく、これからも長らく<ペンギン堂>のマスコットでいることだろう。メッシュ生地のポンチョを着たマネキン。頭には、アフロヘアのかつらをかぶっていた。真っ赤な冷蔵庫。冷蔵するための機能は壊れているらしいが、<小物入れに最適!>だそうだ。鈴乃はその店を、いつも通り過ぎるだけで、中に入ったことはない。店頭に展示されているものだけで、店内に並んでいるものの種類も、だいたい、想像はついた。自分の好みに、合わないということは、確実に。
 ショーウインドウに、寄りかかって、シドを待った。その頃には、雲行きはかなり怪しくなっていた。そしてそのうちに、大雨が降り出した。濡れたが、気にしなかった。これで酔いは、欠片も残さず醒めるだろう。そう思った。
 オーナーの片割れである、日本人の男が出て来て、ごてごてとオットセイのイラストが敷き詰められた傘を差し出した。鈴乃は少しの間、首を振っていたが、男も譲らなかった。鈴乃は、男に押し切られる形で、傘を受け取った。これまた、現実に忠実に描かれているイラストだった。忠実に描かれたオットセイには、なんの愛嬌もなかった。が、ありがたくちょうだいすることにした。鈴乃は、傘を差した。
 待ち合わせ時間を十分ほど過ぎて、黒色のクラウンが、鈴乃の前に停まった。助手席側の窓が開き、運転席から体を伸ばしたシドが、顔を出した。
「ヘイ、いい女。俺の車で、雨宿りしないか」
 鈴乃は、コートの裾を片手でつまみ、軽く膝を折る真似をした。
「喜んで。やくざさん」
 鈴乃は傘をたたみ、助手席に乗り込んだ。鈴乃がシートベルトを締めるのを待ち、シドは車を発進させた。
「素敵な傘だな」
「もらいものなの」
「いいんだぜ。人の好みは、それぞれだ」
 鈴乃は、肩をすくめた。傘を後部座席に放った。鈴乃は、頭を軽く、手のひらで撫でた。傘をもらうまでの束の間、雨を浴びた。束の間でも、濡れるのには十分だった。
「自宅の場所を教えてくれれば、簡単な話だったんだ」シドは言った。
「これ以上、ストーカーを増やしたくはないわ」
「いるのか、ストーカーが」
「あたしが、自宅の場所を教えれば、教えた分だけ、ストーカーが生まれる。忍びないことだわ。だから、あたしは誰にも自宅の場所を教えない」
「あんたの名前、今、分かったよ」
「なに?」
「ミス・自信過剰」
 鈴乃は、雨で乱れた前髪を、指先で整えた。
「もっと、怒っているものと思っていたわ」
「ああ」シドは言った。「この前は、言い過ぎたよ。すまなかった。だが、あまり好きじゃないんだ、ドラッグは。他人がやるのは気にならないが、ああやって、不意打ちで、騙すようにしてドラッグをやらせようっていうのは」
「悪気はなかったの。ごめんなさい」
 シドが、鈴乃を横目でちらりと見た。
「なに?」
「なんだか、しおれてないか、今日は」
「お酒のせいかしらね」
「それだけが原因のようには、思えないが」シドは言った。「昨日、羽継の恋人を殺ったらしいな」
「そう言ってたのね」
「ああ。磐井は。かなり怒ってたな、あいつ。違うのか?」
「介錯、と言った方が正しいわ」
「介錯?」
「さつきは、自分で死のうとしたのよ。包丁で、首を切って」
「それで」
「まだ、あたしたちがいる間のことだった。あたしは、磐井を外に引き止めようとしたけど、そう長い時間は、できなかった。磐井は残念ながら、さつきが完全に死ぬ前に、間に合ってしまった」
「助けようとしたんだな、磐井は」
「そう。あたしは、反対した。で、らちが明かなくなった。ちょうどそのとき、磐井があたしに銃を突きつけていた」
 前を向いたまま、シドは眉を上下させた。
「それはそれは。磐井は、かなり怒っていたと見える」
「そうね。その前から、かなりの意見の食い違いがあったから」
「意見の食い違い」シドが言った。
「なに?」
「いや、なんでもない」
「あたしは、突きつけられていた銃を利用して、さつきの胸に、三発、銃弾を撃ち込んだ。さつきはそれで、絶命した」
「なるほどね」
 赤信号。シドは車を止めた。煙草に火をつける。鈴乃は、シドが懐に戻そうとする煙草のパッケージに手を置いた。そして、そこから一本取り出して、自分もくわえた。シドが、火をつけてくれた。
「なんだ、いきなり」シドが言った。
「たまに、吸いたくなるのよ。別の銘柄が。あるでしょ、そういうの」
「ごく、たまに」
「どう思うの」
「ま、他に、もっと自分の好きな味があるかもしれないからな」
「違う」鈴乃は言った。「さつきを殺したことよ」
「どうかな。俺は、その場にいなかったからな」
「いたと仮定して」
「仮定の話は、苦手でね。でもまあ、多分、磐井の方に近い立場を取るんじゃないかな」
 信号が青に変わった。シドは再び、アクセルを踏んだ。
「昨日は、なにをしていたの」
 シドは、煙草の灰を、運転席と助手席の間に備えつけられている、灰皿に落とそうとして、失敗した。シドは手元を見ていなかった。自分の失敗に、気づいていなかった。灰は、灰皿の下に落ちた。シドは、表情のない顔で言った。
「妹の、命日だ」
 鈴乃は、シドの落とした灰を指先で拾おうとした。形のはっきりとしないものだ。簡単に、崩れた。拾うことはできなかった。諦めた。
「そう」
「今日、これから、どこへ行くか、聞かないのか?」
「聞くわ、もちろん」
「生前の羽継と、井織が、頻繁に出入りしてた、<クツマサ・ビル>って、テナントビルがある。今日の目的地は、そこだ」
「母親の命日も重なっていれば、お墓参りも楽でしょうにね」
 シドの表情が強張った。煙草に、歯を立てた。角度が少し、上向く。
「調べたのか」
「川越里奈は、母親である川越由里によって、絞殺。川越由里自身は、包丁で首を切るも、一命を取りとめる。が、その後、息子と会った翌日に、付近のビルから投身自殺」鈴乃は、シドの横顔を見つめた。「ねえ、お母さんに、なんて言ったの」
 走る車の列に、一台のタクシーが割り込んできた。シドは、けたたましくクラクションを鳴らした。
「まったく。呆れるな、あんたには」シドは煙草を噛みちぎる寸前に見えた。先端から上る煙が、ゆらゆらと揺れていた。「本当に、いい趣味してるよ」
「どういたしまして。それで? 答えは?」
「ノーコメントだ、いい女」
 シドは苦々しげに言い放った。



つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第1回から読む

ブログ小説 焔-HOMURA- scene1から読む
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2007年03月13日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第61回

<クツマサ・ビル>は、四階建ての建物だった。壁は、派手な黄色に塗られていた。裏路地に入った所の、左側の壁に、陰鬱な表情をした男が、スプレーとマジック・ペンで落書きをしていた。歯を剥き出しにした、後ろ足が車輪になっている、黒いねずみ。目が血走っていた。男も、落書きのねずみも。男の後ろで、女が瓶に入ったビールを飲んでいた。茶色いロングコートを着ていて、内側、胸の辺りに手を突っ込んでいた。掻いているのか、自分で愛撫しているのか、分からなかった。その両方、というのもあり得る。
 建物の正面、およそ、人の届く範囲には、チラシがべたべたと貼られていた。<アンダーワールド>という、ロック・バンドのライブを知らせるチラシだった。白地に、かすれたアルファベットで、バンドの名前が大きくつづられた、シンプルなデザインのものだった。それが、左に傾斜した形で、何十枚も並んでいた。並ぶチラシが、壁のデザインに見えるほどだった。風雨にさらされて、破れたり汚れたりしていた。
 自動ドアは、片方が壊れていた。鈴乃は建物の中に入るとき、少し、肩をぶつけた。
 中に入ると、むわっとした空気が、鈴乃の鼻孔、肺を満たした。不快な空気だった。タイル張りの床には、平然と吸殻が捨てられていた。火の消えていないものもあった。シドがそれを見つけ、革靴で踏み消した。
<チャヤ>という、店の主だったものがコバルトブルーで塗られた、ファーストフード・ショップがあった。店内は、中高生でにぎわっていた。皆、自分の家にいる感覚でいるように見えた。平気で地べたに座っている者もいた。敷地自体は狭かったが、二階もあった。二階へ続く階段では、手を繋いだ女の子二人が、通路をふさいでいた。恋人同士のようにも見えた。顔、肌の距離が近かった。レジカウンターの前には、二、三人が並んでいた。シドが、それに加わった。鈴乃は、店に入ったすぐの場所で、立って待っていた。
 少年の一人が、にやにやとしながら、鈴乃のことを見ていた。軽く、睨み返したが、少年は動じなかった。放っておいた。
 シドの並ぶ列は、曖昧だった。誰が先頭にいるのか、判断がつかなかった。シドは一向に、前に進めなかった。しびれを切らし、列を無視して、ヘイ、と店員に声をかけた。
「この男、知らないか」
 シドは、羽継と井織の写真を持っていた。それを店員に示していた。どんよりとした、男の店員だった。お客さま、と言いかけて、やめた。シドの前にいる少年が、振り向いた。シドの胸を突き飛ばそうとする。やくざの男一人を突き飛ばすには、少年の腕力は足りなかった。シドは無視して、写真を示し続けた。店員は首を振った。シドは、手に持っていた、写真を、自分のことを睨みつけている少年の顔に突きつけた。貼りつけた、と言った方が正しいかもしれない。
「見つけたら、よろしく。少年」
 シドはそう言って、鈴乃の方へやって来た。そして、鈴乃を追い越して、<チャヤ>を出た。鈴乃もそれを追った。
「あの写真」
「まだ、ある。あんたも一枚ずつ、持ってるか?」
 鈴乃は頷いた。写真を受け取り、コートのポケットにしまった。
 時計屋。せいぜい、二畳のスペースに、精一杯、商品を持ち込んでいた。ガラスケースの中に、隙間なく並べていた。商品と同じように、肩をすくめるようにして、店員の男が立っていた。靴屋。スーツに合う革靴を中心に揃えた店だった。店内には、誰もいなかった。店員さえ、スーツを着ていなかった。エレベーターの横に座り込んで、MP3プレイヤーを聞いている少年がいた。カバーをした文庫本を持っていた。目は虚ろで、果たして本に書かれた文章を読んでいるのか、分からなかった。皆、写真を見ても、大した反応を見せなかった。
「金をちらつかせれば、もっと協力的な反応を得られるかもしれないわ」
 鈴乃は言った。シドは首を振った。
「それで得られるのは、せいぜいサービスさ。情報じゃない」
 二階、三階。似たようなものだった。店の種類が変わるだけだ。情報は得られなかった。
 四階には、カラオケ・ボックスが入っていた。エレベーターを降りた途端に、今はやりの歌が、鈴乃の鼓膜を叩いた。聞いたことのない曲目ばかりだったが、はやりの歌、ということだけは分かる。リズムが、声が、サビの部分が、派手だ。それでいて、歌詞の内容は似たようなものばかりだった。恋愛を歌っている。ときどき、夢を語るものが混じる。
 いや。鈴乃は思った。それ以外を歌われても、心に響かないか。
 受付のカウンターの前に、ビニール製の、黒い、背もたれのないソファが、二つ、並んでいた。中高生と思しき少年少女が、そこを占領していた。ぎゃあぎゃあと、わめき、じゃれ合っていた。カラオケをしなくても、彼らはもう、それで満足するのかもしれない。
 シドは、受付へ行った。少年たちの中の数人が、鈴乃たちを見た。興味津々だった。鈴乃とシドの関係を、憶測しているのかもしれない。一人が、一人になにごとか、囁いた。囁かれた者は、くすぐられたかのように、笑っていた。
 受付の男は、二十代後半。男。短く刈った髪。左のこめかみに、剃り込みで渦巻きを描いていた。同じ側の眉尻に、ピアス。すれたジーパンに、黒いノースリーブ。鍛えてはいなかった。露出した両腕で、それは見て取れた。
 シドは、受付の男に、写真を見せた。男が写真を見たのは、一瞬だけだった。すぐに視線を逸らした。シドの後ろにいた、鈴乃とちょうど目が合った。さらに逸らした。動揺。
 シドも、それに気づいたのだろう。少し、間を置いた。そして言った。
「どうかしたか」
「なにも」
 男は言った。もう、顔は真横を向いていた。
「こっちを見ろ」
「なにも知らないぜ、俺」
 シドが、眉を軽く上げて、鈴乃を振り返った。
「こいつは、困ったな」
「取りつく島もない、というやつね」
 シドは男に向き直った。
「ヘイ。ここの料金は、いくらだ」
「なにも」
「こいつは驚いた」シドは言って、ソファで待っている少年たちを見た。「ぼうやたち、ここは無料らしいぜ」
 受付の男が、表情を変えた。
「なに、言ってる」
「なにも」
 シドは、受付の男を真似て、ぼそっとそう言った。
 まじでぇ? 少年の一人が言った。冗談と分かっていながら、からかう感じだった。シドはにやりとしながら、言った。まじだ。今、この男がそう言った。
 少年たちが立ち上がって、カラオケルームへ向かう。男が、受付のカウンターを出ようとした。シドは、その眼前に写真を差し出した。
「知ってるか?」
「なにも」
「お前の名前は」
「なにもしらない」
「“なにもしらない”君。では、あの子の名前は?」
 シドは、壁に貼ってある、カラオケ・ボックスのポスターを指差した。マイクを持った、グラビアアイドルの女の子が一人、笑顔で写っていた。
「俺はなにも知らない」
 シドは男を指差した。「ミスタ・“なにも知らない”」次に、グラビアアイドルを指差した。「ミス・“俺はなにも知らない”。似た名前が多いな。世の中、せちがらいな」
 男は、今にも噛みつきそうな顔をしていた。シドは軽く、息をついた。言った。
「知り合いが、今、ここで部屋を借りてるかもしれない。探してもいいか」
「ノー」
「根気よくつき合うというのは、大切だな。新しい発見がある。これでお前には、三種類の日本語を使いこなせることが判明した。だろ、いい女?」
「アー・ハ」鈴乃は言った。
 少年たちは既に、ふざけ半分でカラオケルームの中の一つのドアを開けていた。中からは、生の歌声が聞こえた。客が入っていた。げらげらと、笑い声が聞こえた。罵声が飛んだ。言われた方も、罵声を返した。少年の一人が、部屋の中に飛び込んだ。
「やい、大変だ、ミスタ・“なにも知らない”。いざこざが起きているぞ」
「ノー」
「分かってる、分かってる。大丈夫だ。俺が止めてくる」
「ノー」
 シドが歩を進めた。男がその肩に手をかけた。シドは振り返り、男の懐に飛び込んだ。なにもせず、ただじっと見つめた。男を、下から。舐めるように。
「俺とやり合いたいか?」
「ノー」
「賢明な、ノー、の使い方だ」
 シドは笑顔で頷き、カラオケルームのドアが並ぶ廊下を歩いていった。鈴乃もそれに続いた。男は陰鬱な表情で、それを見守っていた。
 少年たちが飛び込んだカラオケルームと、その前では、乱闘が始まっていた。少女は主に、その後ろで様子を見ていた。心配そうな少女もいれば、面白がっている少女もいた。シドは、少女の一人に声をかけた。
「俺はやくざなんだ」少女は、えっ、と言った。聞き取れなかったのではない。瞬時に言葉を理解できなかった感じだった。シドは続けた。「光りものが出たら、呼んでくれ」
「意味が」
「意味が分かったら、呼んでくれ」
 シドは進んだ。カラオケルームの中は、あまり見ていなかった。視線で撫でる感じだった。実際、各部屋の中は全て、カラオケルームでカラオケを楽しんでいる者たちばかりだった。
 トイレ。男女両方とも、ドアを開け、中をのぞいた。シドは、女用のトイレの方も、構わずのぞき込んだ。誰もいなかった。女用のトイレ、一番奥の個室で、誰かがしゃっくりをする声、もしくは音が聞こえた。どう見ても、個室は個室。一人しか入れない。シドは、中を確認することまでは、しなかった。
 スタッフルーム。シドは一度、その前で足を止め、首を左右に倒した。ばきばきと音が聞こえた。ノブに手を伸ばした先で、ドアが開いた。男が出てきた。三十代。薄い茶色のレンズのサングラスをかけていた。派手な模様の入ったシャツ。灰色のスラックス。
「誰だ、てめえ」
 男は言った。
「シドだ。お前は」
「知らねえな。どきな。俺はトイレに行くんだ」
「漏らしても、俺は怒らないよ。寛容なんだ、その辺については」
「うざってえな」
 シドは写真を示した。男は目を細めた。
「お前」
「ツガ組、白虎隊のシドだ」シドは、鈴乃の方に首を倒して言った。「彼女は、カザギワの」
「いい女」鈴乃はシドの言葉を受け継いで、言った。
 シドは頷いた。
「いい女改め、飛猫だ。知ってるな」
 男は黙って、二人を見つめていた。
「羽継正智と、井織誠を知ってるな」シドは言った。
 男は、鼻で息をついた。ドアを開け、言った。
「入りな」
 灰色のロッカーが十近く。折り畳み式の白いテーブルが、二つ、繋げて置いてあった。真ん中に、お茶の入ったペットボトル、缶コーヒーが数本。吸殻が山になった灰皿が数個。空の灰皿が見当たらなかった。今は、缶コーヒーを飲んだあとの缶で、代用しているようだった。テーブルには、男が三人。最初の男と、似たり寄ったりの格好をしていた。男たちは、シドと鈴乃を見て、パイプ椅子から腰を上げようとした。サングラスの男が止めた。
 さらに奥に、ドアがあった。男はそれを叩いた。拳で。強く。井織の名を呼んだ。間があって、それからドアが乱暴に開いた。
「ぐだぐだとうるせえぞ。こいつは俺のもんだ」
 サングラスの男は、自分の身を守るように、胸の前で両の手のひらを広げた。
「客です。井織さん」
 黒いスラックスをサスペンダーで吊っていた。くたびれた白いワイシャツ。首の周りは垢染みていた。こけた頬。整髪料と汗で、艶やかな黒に彩られた頭。髪型は、オールバック。前髪がひと房、垂れていた。疲労が全身に滲んでいたが、井織誠に間違いなかった。
 井織は、目を剥いて、シドと鈴乃を見た。シドは言った。
「ツガ組、白虎隊のシド。そして、カザギワの殺し屋の」
「いい女」
 鈴乃は言った。シドは頷き、言った。
「いい女改め、飛猫だ」



つづく




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2007年03月14日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第62回

 井織は、鼻を鳴らし、鈴乃とシドを、スタッフルームのさらに奥へと、迎え入れた。
 コンクリート打ちっ放しの部屋。ひんやりとした空気が漂っていた。暖房は、電気ストーブが一つ。それだけだった。スチール製の机と、パイプ椅子が一つずつ。ストーブは、その側にあった。
 部屋の中央に、長い背もたれのついた椅子があった。男が一人、縛りつけられていた。目はアイマスクで隠されていた。口に、ハンカチを噛まされていた。身につけているのは、紺色のトランクス一枚だけ。裸の胸には、汗が光っていた。比較的、寒いと言える室温なのにも関わらず。
「誰だ」シドは、椅子に縛りつけられた男を見て、言った。
「道長修(みちなが おさむ)。俺の部下だ。正確には、だった」
「SMが趣味か」鈴乃は、男を見ながら言った。「部下への指導の一つとして、組み込んでいるか。どちらかね」
 井織は、スラックスのポケットに両手を突っ込んで、短く笑い声を立てた。
「少し違うな。裏切り者への、指導の一つだ」
 火傷の跡。切り傷。あざ。かさぶた。男の体には、ひと通りあった。体に打たれた点は、煙草の火を押しつけた跡だろう。男の足下は、濡れていた。血、汗。そして、小便。鈴乃は、そのにおいを鼻から吸い込み、顔をしかめた。
「裏切り」シドが呟くように言った。
「そうだ。そのせいで、羽継は死んだ」
 鈴乃は、歯を食いしばった。言った。
「本当に?」
「本当だ」井織は頷いた。
 一歩。鈴乃は踏み込んで、道長の胸を蹴りつけた。道長の体は、椅子ごと吹っ飛び、床に転がった。男は呻こうとしたようだった。が、猿ぐつわのせいで、できなかった。さらに、続けようとした。井織に止められた。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ。こいつは、俺のもんだ。部外者には」
「妹よ」鈴乃は言った。「いえ。元、妹」
「妹」井織が言った。
「羽継の、ね」
「ああ、あんたが。羽継からは、聞いてた。かわいい妹分がいると」
 鈴乃は、井織の言葉に頷いた。
「そうね。これからは、そう言うわ」
「なにが」
「羽継の、妹分と」
「これからも、なにも」井織は言いかけ、鈴乃の目を見て、黙った。
「なにがあったか、聞かせてほしいもんだな。こちとら、あんたがなにも言わずに姿を消すもんだから、東奔西走だ」シドが言った。
「まだ、さほど、東奔西走してないわ」
「東奔西走だ。少しだけ」
 鈴乃は頷いた。
 井織は、シドと鈴乃を交互に見て、言った。
「仲、いいんだな」
 まさか。二人の声が重なった。井織は、軽く笑った。かすれた笑い声だった。
「俺たちは。俺と羽継、つまり飛燕、そして外にいる部下たちは、アイザック・ライクンを追っていた。通称、“釘”。元、カザギワの殺し屋だ。カザギワにいた当時のコードネームは、“旋花(ハヤヒトグサ)”。二十六歳。三年前に、カザギワを抜けた。理由は、女。そのときに、カザギワで、同じく殺し屋をやっていたジェイソン・リーヴを殺してる。それがなけりゃ、あいつはカザギワのことを口外しない、という制限つきだが、自由の身だった。が、仲間殺しで追われる身になった。とは言え、かなり自由にやっているようだがな。カザギワを抜けてから、今まで。ジェイソン・リーヴを除き、二人のカザギワの殺し屋を返り討ちにしてる」
「大ものだな」シドが言った。
「ああ。あー、その二人には、飛燕は入ってない。だから、あいつは合計で、カザギワの殺し屋を四人殺したことになるな」
「四人」鈴乃は目を細めた。「それは」
「他にも、こつこつと裏で成績を上げてる。カザギワ在籍中も、その前後も。今、分かっているところで、殺した人数は三十」
「勲章ものだな」
 井織は、シドを一瞥してから、続けた。
「飛燕の前に殺されたのが、コードネーム“鉄苔(てつごけ)”。で、飛燕と鉄苔の間に、アイザックは逮捕寸前まで追い詰められてる」
「嘘でしょ。カザギワを四人も殺した男が、警察に?」
「そうだ。おかしな話だ。おまわりの中に、カザギワの殺し屋よりも、腕の立つ人間がいたか。それとも、数で圧倒したか。どちらかだと思った」
「数で? まさか。優しい優しい警察が、アイザックを、しかも殺さずに、逮捕寸前でしょう。あり得ないわ。数十人必要だわ、そんなの」
「その通りだ。で、では本気を出したカナジョウ市警が、カザギワを超える人間の育成を始めたか。それも違った。ホッカイ道警? それも、違った」
「じゃあ」
「当時のアイザックは、モチベーションを失っていた」
 シドは顔をしかめた。
「モチベーション?」
「動機よ」鈴乃は答えた。
「フィオナ・キサカ巡査部長の証言では、アイザックは、逮捕寸前まで、ほとんど抵抗すらしなかった」
 鈴乃は顔をしかめた。
「フィオナ・キサカ? 誰?」
「連続殺人事件の犯人として指名手配されていたアイザック・ライクンを逮捕寸前まで追い詰めた、平鹿芳治(ひらか よしじ)警部補率いるチームの一人。彼女がいたお陰で、俺たちはアイザック・ライクンの中身の一部を垣間見ることができた」
「オーケイ」鈴乃は言った。「続けて」
「フィオナ・キサカがアイザックの前に現われた途端、アイザックの態度が一変。アイザックは、そこにいた刑事全てを殺したあと、フィオナ・キサカを拉致。数ヶ月に渡り、連れ回した。おまわりも二人を追ったが、足取りを掴めず。掴んでも、返り討ち。フィオナ・キサカは、そのまま行方不明になっていた。今年の初めまで」
「くそも役に立たないな。おまわりさんたちは」シドは言った。
「今年一月。カナジョウ市内で、フィオナ・キサカの死体を発見。検死の結果、死後一年以上が経過していることが判明した。死因は、頸部圧迫による、窒息死。自殺だ」
「ちょっと。アイザックが殺したって考えるのが普通でしょ。なにか証拠が」
「あった。フィオナ・キサカの残した日記だ。彼女は、比較的自由に生活することを許されていたが、絶対にアイザックの下から去ることは許されなかった。毎日、恋人のように振る舞うことを強制された。デート、セックス。その他、色々。結果、過度のストレスに耐えられず、自殺した。使ったのは、タオル。ドアノブに引っかけて、首吊りだ。ストレスで彼女が追い詰められていく様子は、ここに詳細が書いてある」井織は、数十枚の紙片を示した。ノートに書き綴られた、フィオナの“日記”をコピーしたものだった。「読むか?」
 シドは首を振った。鈴乃も、黙っていた。
 井織は、紙片の束を机に、軽く叩きつけた。ぱん、と軽快な音がした。
「さて、諸君。この辺からが、本題だ」



つづく




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2007年03月15日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第63回

 井織が口を開こうとしたそのとき、ちょうどドアが開いた。鈴乃とシドを、スタッフルームに招き入れた、サングラスの男だった。お茶の入ったペットボトルを二本、持っていた。それを鈴乃とシドに渡した。男は、頭を下げてから、部屋を出て行った。
 井織は、咳払いをした。
「タイミングの悪いやつだな」
「そう言うなよ」シドが言った。「それで?」
「本題だったな」井織は頷いた。「ときは、十七年前にさかのぼる。当時、アイザック・ライクン九歳は、ミリンダ・ヒューリー、三十四歳、女に誘拐された。当初、身代金目的だと思われていた誘拐事件だったが、見解はすぐに変わった。全く、犯人からの連絡がなかったからだ。連絡がなかったにも関わらず、誘拐だと分かったのは、アイザック・ライクンがさらわれたときに、友達と一緒に遊んでいたからだ。ミリンダ・ヒューリーは、うまく口車に乗せて、アイザックを連れていった。ほとんど、抵抗しなかった。友達も、それが大変なことだとは思わなかった。羨ましい、とさえ思ったほどだった。アイザックは、ミリンダと一緒に、遊びにいく感覚だった。しばらくして、息子が帰って来ないことを心配した、母親のエリンが、知り合いに片っ端から電話。その中で、アイザックがさらわれたときに、一緒にいた友達を見つけ、アイザックが誘拐されたことを知った。ライクン夫妻は、すぐに警察に連絡。警察は、犯人からの連絡を待ったが、一向に連絡はなし。二十四時間が経過するまでには、ライクン夫妻の家には、捜査員数名を残し、他は全て、アイザック捜索に乗り出した。犯人からの連絡がない、ということは既に、犯人が目的を遂げた、ということだ。そして、ライクン夫妻の協力がなくても、犯人の目的にはなんら支障がない、ということだ。どういうことか、分かるな?」
「殺し目的の、誘拐」鈴乃は言った。「もしくは、猥褻行為、海外売春組織への売り飛ばし。当時のアイザック・ライクンの年なら、どれでも当てはまるわね」
「捜査の経過は飛ばすが、事件の結末から言うと、ミリンダ・ヒューリーは死んだ。誘拐発生から、一ヵ月後のことだ。アイザック・ライクンを連れ去った、みずのき公園から百キロ離れた、カナジョウ市内のおもちゃ屋、<キャプテン・G>に強盗に入り、現金を強奪したものの、店を出た所で警察に囲まれた。銃を振り回し、抵抗の気配を見せたミリンダ・ヒューリーを、横川武郎(よこかわ たけろう)巡査部長が射殺。アイザック・ライクンは、店の前に停められていた、黒いワゴン車の中にて発見された。犯人は死んだものの、比較的、理想的な解決で事件は終わった」
「それが、なんの関係があるの」
「警察は、事件の背後関係を調べるために、アイザック・ライクンに、連れ回された一ヶ月間のことを聞きつつ、ミリンダ・ヒューリーの家宅を捜索。そして、生前の彼女のことを調べた。ミリンダ・ヒューリーには、以前、一人息子がいた。名前は、デイヴ・ヒューリー。父親は不明」
「以前」シドが言った。
「そうだ。以前。デイヴはそのとき、既に死亡していた。原因は、嘔吐物が喉に詰まったことによる、窒息死だった。が、警察は不審に思い、そのデイヴの死因も洗った。すると、ミリンダはデイヴに生前、虐待を加えていた可能性が浮上した。ま、それが判明したところで、誰も裁くことはできないんだがな。が、デイヴを殺したのはミリンダだが、それが、愛情の欠乏を裏づけることにはならなかった。ミリンダの家にある一室の壁には、生前のデイヴの写真、ビデオ、その他、思い出の品が揃ってた。ビデオの一つは、擦り切れて、映像が劣化しまくっていた。その内容は、ミリンダがデイヴと性交渉をする、という内容だった」
 シドが舌打ちした。井織は、シドを一瞥し、続けた。
「同時期、アイザック・ライクンに話を聞いていた警察は、愕然としていた。精神的負荷を与えないよう、話を進めるのに苦労するものと思っていたが、アイザックは、嬉々としてミリンダとの一ヶ月間を話していたからだ。それは、アイザックにしてみると、思い出と呼べるものだった。アイザックは、ミリンダと遊び回っていた、という感覚しか持っていなかった。そして、さらに驚いたのは、アイザックが、遊びの一つのように、ミリンダとのセックスを語ったことだ」
「馬鹿な」シドが言った。
「どうやったかは、分からない。アイザック・ライクンだけが、知っていることだ。が、ミリンダはうまくアイザックとコミュニケーションを取り、自然にセックスをさせた。九歳の男児だ。射精はできなかったようだが」
「それは、そうでしょうね」鈴乃は言った。
 井織は、頷いた。
「ライクン夫妻は、その、警察とアイザックの会話の場にいたが、アイザックの変化に驚いていた。アイザックは、かなり高度な鉛筆画の技術を身につけていた。ライクン夫妻の教えたものではなかった。そして、暴力的性向。アイザックは、何度も警察に同じ質問を繰り返していた。ミリンダはどこ? ミリンダはどこ? ミリンダは既に死んでるが、相手は九歳児だ。警察は答えに窮して、言葉を濁していた。すると、しびれを切らしたアイザックが、話をしていた警察官に襲いかかった。九歳児とは思えないほどの力だった。警察官は鼻の骨を折られた上に、手首の肉を少し、噛みちぎられた。鉛筆画、暴力的性向。いずれも、誘拐前には見られなかったものだ。ミリンダと過ごす中で、アイザックの中にどんな化学変化が起こったのか。俺たちには知ることはできない。だが、アイザックのその後を決定づけるものに、その誘拐がなったことは確かだ。アイザックは、延々、ミリンダを探し続けた。で、見つからないとなると、極度の無気力状態になった。心配したライクン夫妻は、やむを得ず、生前のミリンダ・ヒューリーに似た女を見つけ、アイザックと話をさせることにした。スーザン・ロンという女だ。赤みがかった、茶色の髪を長く伸ばした女で、ミリンダとは、似てなくもない、というくらいの容姿だった。彼女を、家庭教師につけた。アイザックの変化には、目を見張るものがあった。即座に、無気力状態を抜けた。ライクン夫妻は、喜んだが、それも少しの間だった。アイザックは、スーザンを犯した。スーザンに、自分と恋人同士のように振る舞わせるよう、強要した。スーザンに声をかける男は、全て殴り倒した。九歳弱の児童が、だ。相手が油断してたとは言え。スーザンはすぐに、家庭教師をやめた。が、アイザックはスーザンに対して、ストーカー行為を働いている。レイプ、ストーカー、その他の件に関しては、スーザン・ロンとライクン夫妻の間に示談が成立。が、アイザックはその後も、似たような事件を何度も起こしてる」
「なるほどな」シドが、壁を見ながら、呟いた。「アイザック・ライクンのモチベーション、イコール」
「赤茶色の髪を長く伸ばした女、ミリンダ・ヒューリー」井織は言った。「そう。アイザックはいまだに、彼女に恋してるのさ」
「ストックホルム症候群ね」鈴乃は言った。
「その通り」
 井織はそう言って、頷いた。



つづく




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2007年03月16日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第64回

 鈴乃は言った。
「でも、アイザックは、ミリンダ・ヒューリーの死を、知らないのかしら」
 井織は、立っていることに疲れたのか、一人だけ、椅子に座っていた。机の上にあった、紙の束を、丸めて持ち、空いている方の手を、ぽんぽんと叩いていた。
「ミリンダ・ヒューリーを射殺した、横川武郎巡査部長は、四年後、勤務先から帰る途中で、何者かに殴り殺された。犯人は捕まっていないが」
「ミリンダを殺した人間が、横川だと知った上でのアイザック・ライクンの犯行だと考えるのが、一番自然か」
 シドが言った。
「アイザックの乗っていたワゴンから、ミリンダ・ヒューリーが殺された場所は、見ることはできなかったからな。四年の間に、自分でなにかをきっかけに気づいたのか。もしくは、誰かに言われて知ったのか。普通に考えれば、アイザックの命の恩人だ。横川は。アイザックが、うまく猫をかぶれば、調べるのは簡単だっただろう。事件から四年が経っていても、アイザックは十三歳。誰も、警戒などしない」
「横川武郎で、殺しの味を覚えたか」シドが言った。
「可能性は、あるな」井織は頷いた。「で。アイザックが、過去に何人もの人間を手にかけてるのは、話したな」
「ああ」シドは言った。
「間を飛ばして、カザギワを抜けたときの話だ。きっかけは、女だと言ったな」
「理由は」シドは言った。「まあ、どちらでもいいが」
「その女と言うのが、こいつだ」井織は、机の上から、写真を取った。やはり、赤茶色の髪を、長く伸ばした女だった。小柄。顔の細かい作りを除けば、やはりミリンダ・ヒューリーと似た女だった。「名前は、リタ・オルパート。ミカドと繋がりがあるとされてる女だ」
「リタ・オルパート」
 鈴乃は、繰り返した。聞いた覚えがあった。羽継の小部屋に貼ってある写真群の中に、その名前があったからだろう。
「アイザック・ライクンが、今までつき合ってきた女の中で、一番危険な女だ。それまでの女は、皆、普通の世界に属するやつらばかりだった。が、こいつは違う。完璧に、裏の世界の女。相性も、悪い意味で抜群。アイザックは、意味のある殺し、ない殺しをたくさんやってきてる。意味のある殺し、とは言っても、あいつが生活する上で邪魔になった者を殺したことだが。が、他の、傍から考えれば、全く意味のない殺し。あいつにすれば、意味はあったのかもしれないが、と言うしかない殺しがある。それが、リタとつき合ってる時期に集中してる」
「リタは、ミカドと繋がりがあったんでしょう? ミカドのためにやったのかもしれない」
 鈴乃は言った。井織は、首を振った。
「ミカドのためだと考えられる殺しを入れていいんだったら、無意味だと思われる殺しは、もっと増える」
「なるほど」鈴乃は言った。
「ちなみに、カザギワに所属している頃から、いや、むしろその頃に、ミカドのために働いていた。カザギワを抜けたあとは、ほとんど、全くと言っていいほど、そう言った殺しはやってない。理由は簡単。リタと別れたからだ」
「別れた理由は、なんなの?」
「そんなの、二人に直接聞きやがれ。聞いたところで、生きてられるかどうか、問題だがな。やつらの周りにゃ死体だらけだ」井織は言った。「リタとの別れと、カザギワとの別れが、ほぼ同時期だと推測される。なんらかの、因果関係が、その間にあることだけは、確かだな」
 シドは頷きながら、椅子に縛りつけられ、床に倒れたままになっている道長のことを見た。気になるようだった。
「ちなみに。そのリタ・オルパートに関しては、一ヶ月ほど前から、捕獲命令が出てる。松戸孝信をそそのかした、ミカドと繋がりのある女として、な。担当したのは、焔」
「ああ。あの、例のルーキー」鈴乃は言った。
「松戸の殺しには成功したらしいが、リタの捕獲に関しては、失敗したらしい。ま、新人だ。松戸の殺しと、リタの捕獲。一度に、二件の仕事をこなすのは、まだ早かった、ということだ。焔には、失敗しても大差の生じない仕事を回したつもりだ、と言うのは高田清一談。だが、それが化けたんだよな。アイザックと会うことで」
「片方は、アイザックという力を得た。片方は、リタというモチベーションを得た」
 鈴乃は言った。井織は頷いた。
「で、俺たちの話だ。俺たちは、アイザック・ライクンのあとを追っていた。慎重に。慎重に、アイザック・ライクンの周囲を調べながら。俺たちが調べた、アイザックが、モチベーションを失っている、という情報が入ったのは、一週間以上前。それでも、俺たちは焦らずに、ことを進めた。これ以上、やつのために犠牲を増やすつもりはなかった。にも、関わらず」井織は、顎を動かして、道長を示した。「こいつが、全てを台無しにした」
 鈴乃は、倒れたままの道長に歩み寄った。椅子に手をかけ、起こす。猿ぐつわを外した。
「そうなの?」鈴乃は言った。「あなたが、全部台無しにしたの? あなたのせいで、羽継は死んだの?」
 道長は鼻を鳴らして笑い、鈴乃の頬に唾を飛ばした。
 鼻。鈴乃は、拳を叩き込んだ。思いきり、振り上げて。道長は再び、地面に吹っ飛んだ。鈴乃は言った。
「いい返事だこと」
「もう一度言うが、そいつは俺のもんだ。たとえ、羽継の妹分だろうと、渡さねえ」
「分かったわ」
「気持ちは分かるがな。ま、それ以上、手を出すな。既にそいつは、かなり体力を消耗してる。下手すると、くたばるぞ」
 鈴乃は、肩をすくめた。
「別に、構わないけどね」
 井織は、頷いた。
「そこのくそったれは、アイザックがリタとくっついた情報を得ると、すぐに羽継を俺たちから離した。自ら、連絡の中継役を買って出て、完璧に分断。俺たちは、リタの情報を手に入れて、すぐに連絡したが、こいつはそれを羽継の耳に入れなかった。代わりに、羽継がアイザックを見つけた当日、俺たちが後方で待機しているという、偽の情報を羽継の耳に入れ、羽継に仕かけさせた。その結果が、羽継の死、というわけだ」
「そう」
「すまない。道長とミカドの繋がりを、見抜くことができなかった」
「仕方ないわ」鈴乃は言った。「羽継とは、そんなに?」
「ああ。プライヴェートでも、つき合いがあったさ」
「残念だったわ」
「ああ。惜しいやつをなくした」
「でも。裏切り者の処分もいいけれど、奥さんの所へは、早く帰ってあげることね。心配、してたわよ」
 井織が、顔を上げて鈴乃とシドを交互に見た。
「お前ら」
 シドが、目の横を掻きながら、言った。
「仕方ねえだろう。あんた、なにも言わずに姿を消しちまうんだから。ゼロから始めるしかなかった」
「光子には、なんて言ったんだ」
「だいたい、言ったわ。あなたが、殺し屋集団カザギワの一員だってこと」
「できるだけ、俺たちも避けたが」シドは、下唇を舐めて、言った。「やくざが来てな。ツガじゃなく、サジマルってとこだ。俺たちも、素性を表に出さないよう、対応できればよかったんだが。だが、やはり出ちまうもんだな。最初は、銀行員で通してたが、無理があった」
「そうか」井織は、うつむいた。
「すまない」
「いや、いい。思ってたんだ。どこかで。このまま、嘘をつき通すことはできないことを、な。むしろ、こうしてきっかけができて、よかったかもしれない」
「そう言ってくれると、こちらとしても気が楽だが」
 シドは、まだ言葉を継ごうとしていた。が、止めた。部屋のドアが開き、少女が入ってきた。サングラスの男が、苦々しげな表情を浮かべ、ドアを開けていた。少女を通すことは、したくなかったのだろう。井織が言った。
「騒々しいな、今日は。なんだ」
「敵です」サングラスの男が言った。
 部屋の中に駆け込んできた少女は、先ほど、シドが話しかけた少女だった。息を切らしながら、シドの着ているスーツの襟を掴んだ。
「どうした」シドは言った。
「意味、分かった」少女は言った。「光りものの、意味。ナイフのことでしょ?」
 シドは、少女の頭を、手のひらで、ぽんと叩いた。そっと、自分の背中の後ろへやる。サングラスの男に、言った。
「敵って言ったな、今。なんなんだ。ミカドか?」
 サングラスの男が、口を開きかけて、やめた。後ろを見る。テーブルについていた男たちが、全員立ち上がっていた。来客。招かれざる客だった。男が、四人。スタッフルームの入口の辺りに立っていた。見ると、そのさらに後方にも、男たちが見える。その中の一人が、サングラスの男の代わりに答えた。どすのきいた声だった。
「サジマル組だ、馬鹿野郎」
 言った男の手には、匕首が光っていた。



つづく




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posted by 城 一 at 00:42| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第65回

 シド。ステップを踏み、スタッフルームのパイプ椅子を掴んだ。上体を回して、投げた。男の一人の顔面にクリーンヒットした。飛ぶ。シドの手、既に匕首は光っている。昴宿の字が躍る。二人目。腕に匕首を突き立て、掌底で顎を打ち抜いた。その男の持っていた匕首を、手からもぎ取った。三人目。匕首が三本。光りながら、交差した。シドの頬に、赤い筋が走った。切られていた。傷は浅いが、出血は派手だ。三人目の男は、腹と首に匕首を突き立てられていた。四人目。間に合わなかった。シドが見たときにはもう、四人目の男は銃を手にしていた。
 銃声が連なった。
 四人目の男のものではなかった。鈴乃の手。二丁のマカロフ。ロブ&ロイ。男の胸が赤く爆ぜた。スタッフルームの外へと吹っ飛んでいった。
 シドはドアを閉めた。シドの倒した二人が、スタッフルームの中にいた。まだ、息があった。
 鈴乃は、銃で二人の頭を撃った。シドが、鈴乃を見た。鈴乃は言った。
「残しておいたやつに、あとで足下すくわれるなんて、あたしは嫌」
「俺は、なにも言ってないよ」
 井織の部下が、折り畳みの白いテーブルを動かして、ドアをふさいだ。スチール製のロッカーは、三つセットになったものが、三つ並んでいたものだった。そのうちの一つを持ち上げて、テーブルの上に投げた。中から、店員のものであろう、着替えなどがこぼれた。
 ロッカーのあった壁に、金庫が取りつけられていた。サングラスの男がそれに取りつき、ダイヤルを回した。
 シドが言った。
「お前」
「筒本(つつもと)だ」金庫が開いた。中は、黒色で埋められていた。銃器の黒だった。サブマシンガン、オートマティックの銃、リボルバー、ショットガン。筒本は言った。「必要なら、使え」
「今のところ、間に合ってる」
 シドは、自分のものでない匕首を捨て、懐からリボルバーを取り出した。もう片方には、自分の匕首を持っていた。
「ちょっと待て」井織が言った。「なんだ、サジマルってのは。どうなってる」
 シドは井織の方に首を傾け、耳をそばだてるようにしながら、言った。
「今、考えている」
「考えている、ということは、少なからず心当たりがある、ということだ」
「そうだ」
「奥さんの」
 鈴乃が言いかけた。シドが、声を上げた。
「待て。俺が言う。多分、ほとんど全部。だから、待て」
「なんだ。なんの話だ」井織が言った。
 ドアが、攻撃を受けて、鈍く悲鳴を上げていた。その向こうでは、銃声もした。
 シドはまるで、独り言を呟くように言った。
「井織。悪いが、あんたのことを気遣って、二人きりになって話す場所も暇もないから、言うが。あんたの奥さんは、サジマルに借金があった。千三百万」
「それは」
「サジマルの嘘かもしれない。そうじゃないかもしれない。が、そのことを話し合ってる場合じゃない。それに、借金があるのはおそらく事実だ。その先が、サジマルかどうかは、分からんが。あんたの奥さんは、借金に関しては、否定しなかった。とにかく、あんたの家に、サジマルが来た。千三百万の借金の催促のことで。それは事実だ。俺たちが、自分たちの素性を隠していられなくなったのも、それが理由だ。やつらを退けるのには、穏便なやり方じゃ無理だった」
「しかし」井織は険しい表情で言った。「仮に、俺の妻が、そのサジマル組に借金をしていたとして。ここに来る理由は」
「奥さんでは支払いのめどが立たないから、あんたに催促しに来た」
「匕首と銃を持って。開口一番、ぶっ放す勢いで」井織は言った。
 スタッフルームには、はめ殺しの窓があった。鈴乃は、窓の側に身を寄せて、そこから外を見た。黒塗りのニッサン・フーガが四台、セダン・タイプのメルセデス・ベンツが一台。
「考えられないわね。最大、二十五人前後の人数で」
 筒本が驚いて、窓に駆け寄ろうとした。蜂の巣にされるわよ。そう言って、鈴乃は窓の正面に立とうとした筒本に忠告した。筒本は頷いて、鈴乃とは反対の側から、窓を覗き込んだ。そして、呻き声を上げた。
「二十五人か」シドは呟いた。「サジマル組、総攻撃だ」
「馬鹿な」井織が言った。
「調べたの? サジマルのこと」
 鈴乃は、外に停車した車から吐き出されていく男たちの様子を見ながら、そう言った。シドは頷いた。
「組長は、佐治好丸(さじ よしまる)。三十四歳。組員は、三十人に満たないくらい。出来立てのやくざさんたちだ」
 ドアが破裂した。ショットガンだった。ドアの前に置いたテーブルを押さえつけていた男の一人が吹っ飛んだ。筒本が悪態をついて、駆け寄る。絶命していた。筒本はドアに空いた風穴から向こうを狙って、サブマシンガンの引き金を引いた。
「あんた、サジマル組という名前に、聞き覚えはないのか」
 シドは言った。井織は首を振った。
「ない」
「では。少し、仮定に仮定を重ねる話になるが、いいか」
「とっとと、しろ」
「あんたの家に、サジマル組の幹部以上の誰かが、組員を派遣した。俺の考えじゃ、組長の佐治が。借金の催促と言うのは、口実で。やつらの本当の狙いは、あんただった。しかし、あんたはサジマルの名前を知らなかった。アイザック・ライクンやリタ・オルパートの周囲にも、そういう名前はなかったんだな」
「ああ。なかった」
「と、なると。目的は、あんたであり、あんたでない、ということになる。分かるか」
「俺を見つければ、同時に見つかりそうな人物」
「そう」
 シドと井織は、同時に同じ方向を見た。コンクリート打ちっ放しの、スタッフルームのさらに奥にある部屋。
「それでいて、サジマルに会いたいのに、会えない人物。自由を奪われている」
「そう」
「道長修か」
「アー・ハ」シドはおどけながら、井織の言葉に頷いた。



つづく




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posted by 城 一 at 05:29| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第66回

 井織は、荒々しく床を踏み鳴らしながら、奥の部屋へ入った。
 シドと鈴乃も、それを追った。
 井織は部屋に入るなり、有無を言わさず、道長を蹴り倒した。胸を踏みつける。アイマスクを剥ぎ取り、手にしていたオートマティックの銃のグリップで、道長の顔を殴った。銃口を突きつける。
「俺もつくづく、人を見る目がないな」井織は吐き捨てるように言った。「道長。まだ、なにか隠してるな。ミカドのこと以外に」
 道長は、殴られた痛みに顔を歪めながら、井織を見た。
「なんの話だ」
「サジマル組。もしくは、佐治好丸。お前、なにか知ってるな」シドが、井織の後ろで言った。
 井織が、また銃底で道長を殴った。
「答えろ」
 道長は、力なく笑い、胸を上下させながら、言った。
「サジマルが、ミカド、もしくはミカドと繋がってる、とは考えないのか」
 井織がシドを振り返った。シドは言った。
「ありえないことじゃないが」
 井織は道長に向き直った。
「そうなのか? サジマルはミカドと関係あるのか」
「ねえよ、馬鹿」
 道長はそう言って、げらげらと笑った。
 井織は道長の顔を殴った。笑い声がやむまで。やむのと、シドが肩に手を置いて止めたのが、同時だった。
 シドは言った。
「お前の冗談につき合ってる暇はねえんだ。答えろ。真面目に」
 道長の顔は赤く腫れ、血が滲んでいた。道長は歯を剥いた。唇が切れたのだろう。歯も、血まみれだった。
「俺と佐治は、ほもだちなんだ」
 井織に躊躇はなかった。道長の右太腿を銃で撃った。道長が、悲鳴を上げた。井織は言った。
「時間がないと言った。次はない」
 道長は、首に筋を立てながら、顔を真っ赤にして悪態をついた。何度も、何度も。血の混じった唾が飛んだ。井織は顔を拭った。
「くそっ」道長は言った。「いつもそうだぜ。くそが」
「なにがだ」井織は言った。
「俺が女で。佐治の恋人だと言ったら、あんたは信用していた。違うか、くそったれ」
「なんの話だ」
「だから。俺は、佐治の恋人だって話だ」
 井織は、道長の左太腿を撃ち抜いた。道長が、また悲鳴を上げる。今度は、さっきよりも弱々しくなっていた。井織は言った。
「本当のことを」
「だから」道長は、喉の奥から絞り出すように言った。「俺と佐治は、同性愛者なんだ。ほもなんだ」
 額に突きつけた銃口。さらに力を込めようとする井織を、シドは止めた。そして、道長に言った。
「佐治は、自分が同性愛者だということは、周りに言っているのか」
「カミングアウトしているか、どうか、か」道長は言った。
「そうだ」シドは頷いた。
「言っていない。お前、ほものやくざに、舎弟どもがついていくと思うか」
「難しいところだな」
「自分が同性愛者だということをカミングアウトして、仲間がいなくなるリスクを冒してでも、負い目なしの人生を選ぶか。カミングアウトせず、負い目を背負ってでも、仲間とともに歩む人生を選ぶか。お前なら、どうする。ああ?」
「俺は同性愛者じゃない。その辺のデリケートな問題について、仮定で話を進めるのは、好きじゃない」
「考えたくもない、ということだな」道長は言った。
「そういうわけじゃないが。そう受け取ってもらって、構わない」
 道長が、鈴乃を見た。鈴乃は首を振り、言った。
「あたしも、同じような意見よ。でも、レズビアンの友達がいるわ。その人に、聞いてみてもいいけど?」
 道長は、鼻で笑った。井織を見た。
「あんたは」
「なんにせよ。お前みたいなくそったれの事情、考えたくもない」
「世の中、そんなやつらばかりだ」道長は言った。「だから、こうなる」
「こうなる?」シドが言った。
「佐治が、追い詰められる。だから、ふとしたきっかけで、爆発する」
「お前は、佐治ことを、名字で呼んでるのか」
「ヨシだ。お前らのことを気遣って、こう言ってるんだ。感謝しな」
 井織が、銃口で道長の太腿の傷をえぐった。道長が甲高い悲鳴を上げた。
 シドが言った。
「佐治が追い詰められているとしよう。が、そういう環境を作ったのは、佐治自身だ」
「あいつ自身が悪いと? 笑わせんな」
「誰かに打ち明ければ、荷は軽くなったかもしれない」
「誰に、だ」
「それは」
「俺には悩みを打ち明けたが、それで軽くなるもんじゃない。俺は、サジマルにいたわけじゃないからな。あんたの言ってるのは、そういうことだろう? サジマルにいる誰かに、打ち明けりゃよかったと」
「ああ」
「その努力を、佐治がしてなかったと。お前が、そう思うのか?」
「俺は、佐治のことはよく知らん」シドは言った。
「あいつは常に、細心の注意を払って、探りを入れてた。周りのやつらに、自分が同性愛者だと気づかれないように。それで分かった。あいつの周りにいる連中は全員、同性愛者を鼻で笑うようなやつらばかりだった」
「探りを入れるのと、カミングアウトするのは、重みが違う。実際に、自分が同性愛者だと告白すれば」
「言うのは、簡単だな。ミスタ・ノーマル」
「試すな。異性愛者だからって、ノーマルだなんて、思っちゃいない。だからと言って、アブノーマルと言うつもりもないが」シドは言った。「俺としては、あんたにそう言われちゃ、返す言葉がない。俺は、あんたにも、佐治にもなれないんだ。自分なりに考えたことを、伝えることしかできん」
 ドアの付近で、また、筒本の悪態が聞こえた。振り返ると、井織の部下が、また一人、撃たれていた。息はあるようだが、戦闘不能に近い。腹を撃たれていた。
 シドが、筒本に銃を貸せ、と怒鳴った。筒本は、手元にあったサブマシンガンを投げて、シドに寄越した。シドは、奥の部屋の入口にしゃがみながら、銃口をドアの外に構えた。引き金を引く。敵の有無を構わず、マガジンの中身を全て撃ち尽くした。筒本が、無駄撃ちするんじゃねえ、と怒鳴った。シドは無視して、サブマシンガンから、空になったマガジンを落とした。
 ドアの向こうには、束の間、静寂が訪れていた。シドは怒鳴った。
「こっちには、お前らの頭の知り合いがいるんだ! 分かってんのか!」
 道長修のことか、と怒鳴り返す声が聞こえた。シドはそうだ、と言った。
「殺せと言われてる! 道長修は、特にだ!」
「理由は?」シドは言った。
「知らん! くそくらえ!」姿のない声が怒鳴った。
 間もなく、また銃声が飛び交い始めた。シドは、道長の所へ戻ってきて、言った。
「佐治は、これからは、一人で生きるつもりのようだな」
 道長は、壁に向かって何度も叫んでいた。なにを言っているのかは、分からなかった。込められているのは、怒り、悲しみ。それだけは分かった。
「同情はしない。お前は同性愛者である前に、くそったれだからな。羽継を殺した」
 井織が言った。
 鈴乃は黙って、道長を見下ろしていた。道長の目にはうっすら、涙が滲んでいた。



つづく




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2007年03月21日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第67回

「殺せ」
 ひとしきり吼えたあと、道長が井織に言った。
 井織は、自分の手にしているオートマティックの銃を眺めた。撃鉄を上げ、引き金に指をかけた。
 シドは、サブマシンガンを捨て、再びリボルバーを手にした。井織に言った。
「あとにしな。無駄弾使って、後悔することになるかもしれん」
「さっき、無駄弾撃ちまくったやつの言い草とは、思えないな」
 シドは肩をすくめた。井織は、軽く口角を上げた。道長の側から、立ち上がる。
 道長は、顔を真っ赤にしたまま、叫んでいた。
「殺せよ、くそっ!」
 三人は、奥の部屋を出た。
 先ほどの少女。床で、頭を抱えて震えていた。シドに気づくと、その足に飛びついた。
「ねえ! コウは? コウたちはどうなるの」
 シドは少女の側にしゃがみ込み、その肩に手を置いた。
「コウ?」
「一緒にいた友達。突然来た人たちに喧嘩売って。あたし、やめなよって言ったんだよ? でも、コウたちは聞いてくれなくて。あの人たち、コウたちよりもずっと強くて。コウ、きれてナイフ出したんだけど、返り討ちにされて」
「殺されたのか?」
 少女は、強く細かく、首を振った。
「けど、半殺し」少女は半ば、金切り声になりながら、言った。「ねえ、死んじゃうよ、コウたち。そんなの嫌だよ」
「お前の名前は」シドは言った。
「ユイミ」少女は、震える声で答えた。
 シドは、切れた頬から流れてくる血を、舌の先で舐めた。ぼろぼろになったドアを見つめる。そして、言った。
「筒本。ドアを開けろ」
「馬鹿言え。やくざ相手に、ナイフ出すような馬鹿野郎だろ、そいつら。今助けても、そのうち、死ぬ」
「今、助ければ、今は死なない」
 気がおかしくなったのではないか。そんな表情で、筒本がシドを見た。シドは匕首とリボルバーを懐にしまった。代わりに、金庫に行ってショットガンを手にした。ポンプ・アクション式。レミントン。筒型の弾倉をスライドさせて、弾を銃身に送り込む。
「俺が出て行ったら」シドは言った。「すぐに閉めて構わん」
「てめえの美学のために、命張るかね」
 筒本は、ドアの向こうをサブマシンガンで撃ちながら、言った。
「実際に失うまでは、命を張るとは言わない」
「あんたが行って。ドアを開けて、閉めるまでに。敵が距離を詰めてくる」
「少しだ。たとえ俺が出て行く隙に、入って来ても、やれる人数だ」
「仮定の話は苦手、みたいなこと、言ってなかったか」
「目的のためなら、手段を選ばない男なんだ。俺は」
 シドは言った。振り返って、井織を見た。
 少しの間、考えていたが、やがて井織は頷いた。
「ロッカーをどけろ」
「井織さん」筒本が言った。
「俺たちは、ここでサポートしてる。が、邪魔になったら、撃つ。迷いなく」
 井織は、シドを見ながら、言った。シドは頷いた。
「そうしてもらわなければ、困る」
 井織が目で合図した。残っていた部下が、一人でロッカーをよけた。そして、テーブル。筒本は邪魔にならないよう、移動しながらも、銃口はドアに空いた風穴の向こうに構えたままだ。
 鈴乃はおもむろに、はめ殺しの窓を、銃で撃った。数発。窓は割れない。銃弾の大きさのまま、穴が空いただけだ。パイプ椅子を掴んで、投げた。窓が派手な音を立てて割れた。
 シドが怪訝な顔で、鈴乃を見た。鈴乃は肩をすくめた。
「挟み撃ちにしましょう。あたしはやつらの背後から。あなたはここから。正面から」
「気持ち悪いな。急に、協力的になりやがって。なにか、心境の変化でもあったのか」
「ノーコメント。いらないの、協力?」
「もちろん、いる」
「なら、決まりね」
 シドは頷いた。筒本を見て、頷く。筒本は壁に身を寄せたまま、ノブを捻り、ドアを開け放った。シドはゆっくりと歩を進めた。ショットガンの引き金を引きながら。二人、倒れた。筒本が、ドアを閉めた。テーブル、ロッカーを元に戻す。
 鈴乃は、床に落ちていたマフラーを拾った。従業員のものだろう。茶色の、カシミア製のものだった。それを、顔の下半分に巻きつける。窓の側に立ち、窓枠に残ったガラスを、蹴り落とした。強い風が吹き込んでくる。
 井織が、鈴乃を見て、目を細めた。
「あんた、ここを何階だと思ってるんだ」
「四階」マフラーのお陰で、声がくぐもったものになった。
「まさか」
「あたしのコードネーム、知ってるんでしょ、あなた?」鈴乃は、井織に言った。
「飛ぶ猫と書いて、飛猫。しかし」
 鈴乃は、ドアの向こうを顎で示した。
「放っとくと、死んじゃうでしょ。あの、馬鹿」
 井織が、ドアを見た。その視線が戻って来るのを待たずに、鈴乃は床を蹴った。コートが風を受けて膨らむ。井織。スタッフルームの方で、なにごとか、言っていた。聞こえなかった。鈴乃は、落下した。
 風を、裂く。悲鳴のような音が耳を強く撫でる。
 黒塗りのニッサン・フーガの上。手。膝。つま先。全てつけて、着地した。
 爆発にも似た音。窓ガラスが砕け、飛散する。車の上の部分は、派手にへこんだ。
 間は、置かなかった。手のひらの中でマカロフを転がし、握る。二人。テナントビルの入口に向かっている、サジマル組の男がいた。先に、周辺、そしてビルの中をよく見ておいてよかった。鈴乃は思った。サジマル組の構成員と、そうでないものが、分かる。雰囲気と、服装で。
 二人が振り向いたときにはもう、決着はついていた。二人の口の中に、銃口を突っ込んでいた。そのまま、地面に叩きつけ、引き金を引いた。血が散った。悲鳴。もちろん、撃たれた二人のものではない。周囲にいた人間たちのものだ。できかけていた野次馬の波が、即座に散った。
 銃声を聞きつけたのだろう。一人、走ってきた。鈴乃と、撃ち殺された二人の男を交互に見る。走ってきた男は、顔を歪めた。自分の運命を悟ったからだ。マカロフの銃口が、男の額をぴたりと狙っていた。
 躊躇はしなかった。鈴乃は引き金を引いた。男は、その場にばたりと倒れた。
「ニャーゴ」
 鈴乃は言った。



つづく








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2007年03月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第68回

 通りは静かなものだった。先ほど鈴乃がシドと歩いたときとは、大違いだ。人気は、ほとんどなかった。見えても、数十メートル先。皆、いつでも逃げられる姿勢を取っていた。
 車をひと通り、見た。もぬけの殻だった。誰も乗っていない。鈴乃は建物の入口へと向かった。
 自動ドアの片方の扉が壊れているのを、忘れてしまっていた。また、壊れている方の扉に肩をこすった。鈴乃は舌打ちした。扉が、がたんと音を立てた。
 建物の中。サジマル組は、六人いた。物音に、鈴乃の方を見た。
「なんだ、てめえ」
 誰かが言った。鈴乃はマカロフで返事をした。怒声。その上に銃声を重ねた。三人倒れた。匕首。上体をそらしてかわし、蹴り落とした。拳。銃口で受け止めた。引き金を引いた。悲鳴。どこから上がったのかは分からない。飛んだ。一人の顎を蹴り上げ、その胸でステップを踏み、もう一人の頭に着地した。下に向けて銃の引き金を引いた。鈴乃の体を支えていたものが、ぐしゃりと崩れた。一人がリボルバーを握っていた。銃声を聞きながら、ステップイン。撃った男の足の甲を踏みつけていた。かがみ、飛んだ。頭で男の顎を打ち上げた。白目を剥いた男の顔面を撃った。六人目。戦意は失っているように見えた。呆気に取られ、身動きを取れずにいた。構わなかった。腹、胸、こめかみ、股間、鼻。順に蹴りを入れた。脚を鞭のようにしならせて。倒れた男の頭を撃った。
 エレベーター。MP3に聞き入っている少年が、まだそこにいた。傷は見当たらないが、屍のようだった。話しかけようと思ったが、やめた。エレベーターは、既に行ってしまったあとだった。階数表示のランプは、三階まで到達している。鈴乃は階段を選んだ。
 足音が、床や壁、天井で反響する。上方から、誰かの話し声がした。階段を使って上らなければならないことに、愚痴をこぼしていた。組長の佐治が、なぜ、こうまで井織と道長にこだわるのか。そう言っていた。鈴乃は、階段を駆け上がった。足音は、可能な限り抑えた。
 上の踊り場と、下の踊り場。階段を挟んで、一人、鈴乃にいち早く気づいた男と視線が合った。マカロフの引き金を引いた。相手も銃を持っていた。銃弾が鈴乃の左上腕と右脇腹をえぐった。歯を食いしばり、耐えた。かすり傷だ。男は絶命していた。銃声に気づいた男たちが、駆け下りてきた。飛んだ。男たちの顔に怪訝な表情が浮かんだ。男たちの視界の中に、誰もいなかったからだ。鈴乃は壁でステップを踏んでいた。男たちの横にいた。視界の外。死角。二人目。頭、胸。マカロフの銃弾で赤く爆ぜた。三人目。向けた銃口は、銃声を一度上げたきり、静まった。ロブ&ロイに、もう弾は残っていなかった。相手には、ある。サブマシンガン。壁、手すり、階段。跳躍した。サブマシンガンの銃弾が床のタイル、壁のコンクリートを破壊しながら追ってきた。コートのポケットに、スペアの弾倉が入っていた。逃げながら、交換した。三人目の男は銃声に比例して、高ぶっているようだった。雄叫びを上げていた。それが、止まった。サブマシンガンの弾が尽きるのと同時に。銃弾を再装填されたマカロフの銃口が、男のこめかみにたどり着くのと同時に。鈴乃は引き金を引いた。男は死んだ。
 鈴乃はマカロフをコートのポケットにしまった。男の体を探った。サブマシンガンの換えの弾倉が入っていた。男の手からサブマシンガンを取り、弾倉を換えた。
 四人目。存在は、足音だけで確かめた。姿が視界に入る前から、階段の上へ向けて、サブマシンガンの引き金を引いた。壁のコンクリート、床のタイルを剥がして線を描き、それで階段を上っていった。鈍い音がした。途中でサブマシンガンに対抗するようにして、聞こえていた銃声が途切れた。鈴乃が階段を上っていくと、一つ、男の死体を見つけることができた。
 四階にたどり着いた。目で確認しなくても、耳で十分に分かった。相変わらず、はやりの歌が流れていた。断続的に響いている銃声が、台無しにしていた。カラオケボックスの入っている階層の入口には、ドアはなかった。鈴乃は、壁に身を寄せながら、カラオケボックスへと近づいていった。入口から、そっと中を覗き込んだ。
 男。目が合った。鈴乃は舌打ちして、入口の陰に引っ込んだ。銃声が響き渡った。サブマシンガンの銃口だけを中に突っ込んで、引き金を引いた。すぐに弾が尽きた。中を覗き込んだ。男はまだいた。ショットガンを手にしていた。もちろん、シドではない。鈴乃は引っ込み、天井の方を見ながら、深呼吸した。頭の中でシミュレーションを描いた。かがみ、サブマシンガンを投げた。銃声。散弾に弾き飛ばされたサブマシンガンの銃身と反対方向へ走った。背もたれのないソファ。隠れる場所がないよりはましだった。マカロフで応戦しながら転がった。ソファの座る部分が、散弾で爆ぜた。中身が宙に舞う。肩に激痛が走った。散弾の一部が、肩の肉を持っていった。唇を噛みながら、鈴乃は頬を床につけた。男の足が見えた。銃で狙い、撃った。男が倒れた。痛みに歪んだ顔が落ちてきた。銃弾を連ねた。男が命を失うまで、時間はかからなかった。
 顔を上げた瞬間、鈴乃は吹っ飛んだ。撃たれた。敵が、まだいた。うかつだった。衝撃をそのまま利用して転がり、態勢を立て直した。銃弾が右腕を使いものにならなくしていた。握っていたマカロフが落ちた。もう一方のマカロフで応戦しながら、走った。敵の男が持っているのは、オートマティックの銃一丁。鈴乃は男から距離を取ろうとした。男は、一直線に鈴乃目がけて走ってきた。銃弾の一つが左太腿を貫いた。崩れそうになるバランス。鈴乃は歯を食いしばった。すんでのところで倒れるのを免れた。が、追いつかれた。左手が震える。無理やり押さえた。
 額と額。互いの銃口がぴたりと狙いをつけていた。一歩も、譲らなかった。
 荒い呼吸音。鈴乃のものだった。うるさかった。が、鎮めようがなかった。言葉は必要なかった。二人。同時に引き金を引いた。
 銃声はしなかった。弾が、切れていた。鈴乃はミドルキックを繰り出した。あえて痛む左脚を使って。かわされた。繰り出した左脚に傷が増えた。赤い線が一筋できていた。すぐに、血が流れ出す。
 数歩先で、男がにやりと笑っていた。その左手が、鞘を投げ捨てる。日本刀を持っていた。
「痺れるな」男が言った。「お前、一人で上って来たのか」
「そう」鈴乃は深く息を吐きながら、言った。
「名前は? なんて言うんだ?」
「飛猫。もしくは、ネコ。あんたは」
 男は、刀をかつぐようにして持ち、刃の裏で肩をとんとんと叩いた。
「サジマル組、組長。佐治好丸」


つづく






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posted by 城 一 at 00:37| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月23日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第69回

 鈴乃は息を呑んだ。
 コートのポケットには、まだ換えの弾倉が入っていた。が、右腕は使えない。片手で弾倉の交換を行う時間を、佐治が与えてくれるとは、とうてい思えなかった。
 佐治は少し前かがみの姿勢で、不敵な笑みを浮かべていた。すり足でじわりと目に分からないほどの速度で距離を縮めている。
 いかつい顔をした男だった。鼻が大きい。目の辺りのくぼみが深い。髪の色はプラチナブロンド。染めた髪を編んで、房の大きなコーンロウにしていた。白いスラックスを履いていた。上半身は、裸だった。胸、腹。黒色のさそりのタトゥーが、鷲摑みにしていた。刀を持っていない方の手を、だらりと下げている。誘うような格好だ。佐治は既に、空になった銃を捨てていた。
「具合でも悪いのかい、子猫ちゃん」
 右腕は、完全に使いものにならない、というわけではなかった。肘から先は動いた。左太腿も、まだ動く。銃弾が傷つけたのは、筋肉だけだ。骨に異常はない。
 鈴乃は微笑み、首を傾げた。
「さあ、どうかしら」
 鈴乃は銃を投げた。顔面を狙った。読まれていたのだろう。刀で弾かれた。床を蹴った。突き出された刀の上に着地した。走ろうとしたが、できなかった。足を掴まれていた。床に叩きつけられる。後ろに回転し、起き上がる。視界の横を光が走った。刀。首の皮、長く伸ばした髪の一部を切った。黒髪がはらりと床に落ちた。
 鈴乃は佐治を見た。
「鈍い」佐治が言った。
「分かってるわ」
 刀が真横に流れた。鈴乃は横に転がり、かわした。床に突いた手を軸に、鈴乃は体を回転させた。勢いに任せてローキック。かわされた。刀。振り下ろされた。下半身を引っ込める。刃は床にぶつかり、金属音を鳴らした。両者ともに、飛び退った。
「楽しめそうにないな」
 下唇を舐めながら、佐治が言った。
「楽しむために、来たの?」
「大事なことさ。楽しむってのは」
「少し、答えがずれてるわね。あたしが言ったのは、ここにはただ、楽しむために来たの、ということよ」
「目的の一部さ」
 佐治と鈴乃は、すり足で前後を繰り返していた。鈴乃は前傾姿勢で、威嚇する獣のように、佐治のことを睨んでいた。傷口から滴った血が、床に点を打つ。
「そうよね」鈴乃は言った。「ここへは、恋人を消すために来たんだから。全てが楽しいはず、ないわよね」
「なんだと」
 佐治の表情が強張った。
「自分がほもである証拠を消すために来たんだから、楽しくないのは当たり前だと言ったのよ!」
 鈴乃は叫んだ。佐治の視線が脇に泳いだ。仲間に鈴乃の言葉が聞こえるのを恐れていた。隙。好機。
 飛んだ。這うように。刀が踊る。間に合わない。肩から突進し、佐治を倒した。小さく飛んだ。佐治の胸目がけて着地。転がり、かわされた。佐治の体を追って蹴った。捉えたのは肩。軽い。
 佐治は態勢を整えた。間髪入れず刀を振った。動きが雑になっていた。鈴乃は余裕を持ってかわした。刃が床を打つ。佐治が顔をしかめた。反動が大き過ぎたのだ。鈴乃は刀を持つ手首を蹴った。動きが鈍い。捉えるのは簡単だった。刀が手からこぼれた。佐治は判断を誤った。刀を追った。そのこめかみに、鈴乃は思いきり蹴りを叩き込んだ。佐治の体が吹っ飛んだ。
 佐治が受け身を取り、起き上がったときには、刀は階段のある方へと床を滑っていた。鈴乃が蹴り飛ばしたのだ。
 佐治は刀を視線で追った。そして、舌打ちした。
「あいつ、喋ったのか」
「構わないでしょう。どうせ、最初から、あたしたちを皆殺しにするつもりだったんでしょう?」
「もちろん、そうだ」佐治は険しい表情で、頷いた。
「所詮、その程度の関係だったと。道長修に同情しなければならないわね」
「お前に、なにが分かる」
「なにも。恋人がいたことは、ないから。それを失う悲しみも、それを殺す悲しみも、あたしには分からない」
「なら、知った風な口をきくんじゃねえよ」
「でも、これだけは分かる」鈴乃は言った。「恋人がいるということは、幸せなことだと。その上で、自分が同性愛者だということを隠そうとしているのは、贅沢なことだと。その贅沢な望みのために、あんたは大切なものを消そうとしている、ということを。こういうの、なんて言うか知ってる? 本末転倒と言うのよ」
「だから。知った風な口を」
「そっちこそ、きくな。身も心も、愛し合ってる相手がいるくせに。本物の繋がりを持ってるくせに。一人で不幸を背負った気になって、関係ない人間巻き込んで戦争ごっこか。舐めるのもたいがいにしろ」
「ごっこ、だと。てめえがここにいるってことは、うちの組員を殺ったんだろ。こっちだってな、大切なもん、犠牲にしてんだ」
「笑わせないで。犠牲にしてる? 違うでしょう。犠牲になってる。サジマル組の構成員たちが。あんたの個人的な望みのために。そうでしょう」
「うるせえ、黙れ」佐治は唸るように言った。「黙れよ、くそが」
 鈴乃は、顔に巻いていたマフラーを外した。左太腿を、銃創の上から、そのマフラーで縛った。
「言われなくても、そうするわ」鈴乃は指先を床についた。まるで、猫のように背を丸める。「これ以上、あんたに語る言葉はないもの」


つづく






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posted by 城 一 at 02:41| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第70回(ver 3.0)

 鈴乃は腰を捻った。ブーツが風を裂く。後ろ回し蹴り。ソファを吹っ飛ばした。佐治は小さく跳ねてかわそうとした。間に合わなかった。足が引っかかった。鈴乃は駆けた。転がる佐治の顔を足ですくい上げる。浮いたところで、その顔面に拳を叩き込んだ。佐治は倒れ、壁に背をぶつけた。鈴乃は飛んだ。ベリーロール気味の体勢から腰を縦に回転させ、踵で佐治の頭を打った。着地直後に再び飛ぶ。サマーソルトキックで佐治の顎を跳ね上げる。終わりざまに左足で前蹴りを繰り出し、佐治の腹を踏みつけた。
 佐治に、抵抗の気配がなかった。鈴乃は首を傾げ、一度、足を引こうとした。できなかった。佐治に足首を掴まれていた。その両腕が足首に、両脚が鈴乃の左太腿に絡む。鈴乃は足首に走った激痛に、顔を歪めた。アキレス腱固め。立っていられなかった。鈴乃はその場に倒れた。
 鈴乃は歯を食いしばった。これはテレビ番組ではない。佐治は一気に極める気だった。鈴乃の足首の辺りの骨を折るつもりだった。しかも、左太腿に絡みついた脚が、銃創の痛みを増幅させている。鈴乃は右足を振った。何度も佐治の顔を蹴った。鈴乃は呻いた。足首の骨が悲鳴を上げるように痛む。佐治の顔面を蹴り続けた。佐治は無表情のまま、鈴乃のアキレス腱を取っている。鼻血が出ていた。切れた唇からも、血が滴っていた。鈴乃は声を上げた。激痛。左脚が破裂したような感覚に襲われた。折れた。自分の体だ。確信があった。鈴乃は狙いすまして、佐治の顎を蹴った。正面から、横から。佐治が音を上げた。いや、正確には佐治の体が。佐治の意志は、なにがあっても鈴乃に関節技を極め続けようという、断固たるものが感じられた。鈴乃の脚がおそらく折れたあとでも。が、佐治の目が白く反転したのだ。足首を掴む手が、脱力するのが分かった。鈴乃は床の上で体を滑らせて、佐治から逃れた。佐治は、床に半ば寝る体勢になったところから、完全に倒れた。
 心臓が、恐ろしいスピードで脈を打っていた。大きな音が、鈴乃の聴覚を支配していた。胸も激しく上下していた。鈴乃は、しばらく立ち上がれなかった。折れた左脚が、鼓動を追いかけるようにして、リズムを刻んでいた。
 鈴乃は深呼吸した。ようやく落ち着いた頃だった。左脚をかばいながら、立ち上がろうとしたが、できなかった。肩を掴み、床に体を打ちつけられた。息が詰まる。鈴乃は悪態をついた。佐治がいた。血まみれの歯を剥いて、にたりと笑う。鼻血が、鈴乃の顔に滴を落とした。鈴乃は佐治の顔面を狙って、拳を繰り出した。届かなかった。完全に、佐治に上半身に乗られていた。マウントポジション。鈴乃は防御のために両腕を顔の前で構えた。佐治は構わずに、拳を思いきり振り上げ、下ろした。ガードごと、鈴乃の頭が床にぶつかった。ごとん。鈍い音がした。意識が飛びそうになった。鈴乃は歯を食いしばった。一度降り出した拳は、やむことを知らなかった。視界が黒く沈み、白く弾けることを繰り返した。意識が遠のきそうになるのを、必死でこらえた。
 抵抗する気力が底をついたのと、ほぼ同時だった。鈴乃は、体が軽くなるのを感じた。意識をなくしたからではなかった。実際に、かろうじて開いた視界から、佐治の姿が消えていた。瞼が重たい。殴られ過ぎて、腫れているのかもしれない。鈴乃はごろりと転がり、床に手を突いて、起き上がろうとした。難しかった。体のどこにも、力が入らなかった。こめかみの奥がずきずきと痛んだ。床を踏み締めようとした足が、滑った。鈴乃は転んだ。そこで、ようやく佐治を見つけた。階段のある方から、こちらへと向かって来るところだった。鈴乃は舌打ちした。佐治の片手には、先ほど蹴り飛ばしたはずの日本刀が光っていた。ちくしょう。鈴乃は、再び起き上がろうとして、また失敗した。日本刀の切っ先が、鈴乃に届く距離。佐治の口許が笑みに歪んだ。光を反射する刃が、ゆっくりと振り上げられた。
 が、その刃が振り下ろされることはなかった。銃声。佐治の体が吹っ飛んでいた。靴音が鈴乃に並び、そして追い越していった。鈴乃は影を見た。男の背中。シドだった。両手にショットガンを持っている。シドは、佐治に向けて、何度もショットガンの引き金を引いた。佐治はすぐに動かなくなった。死んでいた。その胸や腹の肉は、散弾で赤く粉砕されていた。
 シドは佐治の死を確認すると、ショットガンを床に捨てた。スーツのポケットから煙草を取り出し、火をつける。サジマル組の組員の放った散弾でぼろぼろになったソファに腰を下ろす。シドは、煙をひと吐きしてから、笑った。
「ひどい顔してるぜ、いい女」
「うるさい。馬鹿」
 鈴乃は言った。血が喉で絡むせいで、しわがれた声だった。


つづく






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2007年03月25日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第71回(ver 2.0)

 元は白かったはずの、黄ばんだタイル。それが敷かれた床。鈴乃は構わず、血の混じった唾を吐いた。口内のあちこちが、切れていた。
 立ち上がろうと思ったが、どうやればいいか分からなかった。少し動かすだけで、体のどこかが悲鳴を上げた。ぼんやりとした意識の中、さらに片手と片脚だけでは、難しい。試みているうちに、日付が変わってしまいそうだった。
 シドが来て、鈴乃の脇の下に手を差し込んだ。鈴乃が立ち上がるのを手伝い、そして支えてた。が、当のシドも楽ではなさそうだった。顔をしかめていた。見ると、着ているシャツの脇腹の辺りに、血の赤が滲んでいた。シドの口から、煙草がこぼれた。シドはそれを見て、自分で舌打ちした。鈴乃は、シドの顔を見た。
「あなた」
「さすがに、無傷じゃ済まなかったな」シドは言った。「互いに。いや。余計な心配はいらねえ。かすっただけだ」
「でも」
「あんたよりは、ましだよ。いい女」シドは無理やりに、口角を上げて、笑って見せた。そして、続けて言った。「それで? どちらへ向かいますか、お嬢さん」
 鈴乃は、なにも言わずに体重移動だけで、シドを誘導した。息絶えた、佐治の方へ。死体の側までたどり着くと、鈴乃はシドから離れて、佐治の横にしゃがみ込んだ。手のひらを、顔に当てる。
「少し、言い訳をさせてもらうと」シドが言った。「本当なら、殺りたくなかったんだ」
「ええ」
「道長に会わせてやりたかった。まあそれでも、二人を逃がすことはできなかったけれども。けど、最後に一言、二言。交わさせることはできた」
 佐治の体は、体温を忘れ始めていた。生を示す温かみは薄れ、死を示す冷たさをはらんできている。体中に空いた、散弾の傷が生々しかった。真紅の生物がいて、今にも動き出しそうな。鈴乃には、そんな感じがした。
「仕方ないわ」鈴乃は言った。「あたしを、助けてくれた。それで十分と考えるべきだと思う」
「そう言ってくれると、救われるね」
 鈴乃は、指先で佐治の瞼を下ろした。両の太腿に手を突いて、呻きながら立ち上がった。シドの支えを待ってから、鈴乃はスタッフルームへと足を向けた。その途中で、鈴乃は言った。
「例の、高校生たちは?」
 通路は、散らかっていた。元々、清潔さとは無縁だったところに、銃弾が無遠慮にえぐった壁や天井、床の破片が、降り積もっていたからだ。ドアがそのまま、外れているカラオケルームもあった。蝶番が壊れていた。
 シドは、ドアの壊れている部屋を一度覗き込んだ。戻ってきて、鈴乃を見る。そして、顎を動かして、部屋の中を示した。鈴乃はカラオケルームの部屋を見た。
 少年と少女たちが、中にいた。静かなものだった。ある者は血を流し、ある者は握った拳を膝の上に乗せ、歯を食いしばっていた。シドが、スタッフルームの中に置いてきたはずの、ユイミという少女もいた。泣きじゃくりながら、仲間の無事を喜んでいた。
 鈴乃は、部屋の中を見るのをやめ、シドを見た。頷く。シドは、それに答えるようにして、スタッフルームのある場所へと連れていった。
「ま、しばらくは、やくざ相手にやんちゃかますことはないだろう」
「しばらく経ったあと、また同じ感じで、やくざに喧嘩を売るかもしれないわね」
「そういうことが、ないよう祈るしかないな」シドは、鈴乃の顔を見た。「やつらのことだ。あまり先のことまで考えてると、はまって抜け出せなくなるぜ」
「分かってるわよ」
 ドアへたどり着くと、ノックしてみた。ドアはすぐに開いた。井織が顔を出した。シドを見る。
「有言実行。大したもんだ」井織は言った。
「どういたしまして」シドが笑った。
 井織が眉を寄せた。シドの、腹の傷に気づいたのだ。同じように、鈴乃の傷にも。
「ずいぶん、ひどくやられたもんだ」
「ああ」シドが言った。
「割に合わないな。やくざの個人的な事情に巻き込まれて、がきども助けるためにやり合った挙句、そのざまか。そのくせ、ノーギャラ」
「なあに」シドは肩をすくめ、言った。「むくわれるためにやったことじゃないからな。俺は、俺のためにやったのさ」
「自分のルールのために」
「そう」
「ずいぶん、値の張るルールだ」
 シドは頷いた。
「それだけの価値があるのさ。少なくとも、俺には」


つづく






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2007年03月26日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第72回

 筒本が、腹を撃たれた仲間を背負って、部屋を出ていった。もう一人の仲間も、一緒だった。そちらの方は無傷のようだった。
 井織が、軽く溜め息をついた。折り畳み式のテーブルに腰を下ろす。その上から、緑茶の入ったペットボトルを取り、中身を飲んだ。そして、シドと鈴乃を見た。二人は首を振った。井織は、ペットボトルのふたを閉めた。
 シドは、銃弾でぼろぼろになった部屋の中を見回して、言った。
「大掃除が必要だな」
「いっそのこと、建物をぶち壊しちまいたいくらいだがな」
 井織が言った。その声には、一層、疲労が滲んでいた。
「一応、カザギワの持ちものなんだろ? 壊しちまったら」
「だから」井織が言った。「俺の願望の話さ。もちろん、掃除する」
「終わったら、とっとと奥さんの所に帰ってやるんだな。心配してる。聞きたいことも、山ほどあるだろ」
「思い出させるなよ。分かってるさ。だが、本音を言えば、俺一人でここをずっと、掃除していたいくらいだな」
「気が重いかい」
「軽いわけ、ないだろう」
 鈴乃は、スタッフルームの、さらに奥にある部屋の方を見た。入口の部分から、道長修の両足が見えた。床に寝そべった状態のまま、ぴくりとも動かない。気になって、部屋の入口の際まで行き、中を覗いた。鈴乃は目を細めた。
 道長修は、死んでいた。
 鈴乃は奥へ入った。うつ伏せの状態になっていた道長の体を、足で転がした。彼の体は、銃弾で穴だらけだった。頭の辺りが、ほとんど原形をとどめていなかった。鈴乃はスタッフルームに戻り、井織を見た。
「サジマルとやり合ってる途中で、突然飛び出そうとした」井織は、スタッフルームの入口のドアを顎で示した。「そこに空いてる、どでかい穴から。止める間もなかった。道長は外に出る前に穴だらけにされて死んだ」
 鈴乃は足下に視線を落とした。確かに、なにかを引きずった跡が、血の赤色で残っていた。
「嘘じゃない」井織がつけ加えた。
「別に、疑ったりなんか、してないわ」
 シドが、自らのこめかみを揉みながら、井織の隣に腰を下ろした。ふらふらしていた。手のひらが、自然と腹の傷の方へと向かっている。痛むようだった。井織が、大丈夫か、と言った。シドは頷いた。そして言った。
「道長とミカドの繋がり、もしくは、ミカドの実体は掴めたのか?」
「やはり、今まで掴んでた通り、ミカド組が実体の一つ」
「一つ?」シドが言った。
「もう一つ、ミカド組を隠れ蓑にして、それよりもでかく成長した組織。それが、俺たちの追ってるミカドだ。構成員はほとんど、外人。仁義もくそもない分、えぐいやつらさ」
「数は」
「ミカド組が三十弱。外国製のミカドが、五十前後。道長が、残らず吐いたさ」
 シドは鼻で笑って、軽く首を振った。
「そんなもんかね。俺らが、姿が見えないと騒いでた相手は」
「カザギワも、ツガも。所詮は人の集まり。情報員も、人の子ってことだろ」
「潰すのに、うちの組員は必要かい?」
「必要だったら、連絡する。が、けちらない限り問題ない」
「連絡があったら、けちった証拠だと見ていいのかい」
「好きにしな」
 シドは、井織の肩に手のひらを置いた。そこに体重をかけ、立つ。たったそれだけでも、今のシドには重労働のようだった。
「ちょっと、大丈夫?」鈴乃は言った。
「放っておいたら、大ごとになりそうだな」シドは言った。「とっとと病院へ行こうぜ」
 鈴乃は、シドのことを支えようと思ったが、できなかった。自分の体だけで、手一杯だった。鈴乃は、シドに並んで、スタッフルームの出口へと向かった。井織が、鈴乃を呼んだ。
「幸せになれ」井織が言った。「羽継が、そう言っていた」
「そう」
 鈴乃は言った。井織を振り返らずに。ドアを、後ろ手に閉めた。


つづく






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2007年03月27日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第73回

 鈴乃とシドは、ゆっくりとした足取りで、クツマサ・ビルを出た。裏口を使った。正面入口は、銃声が収まったことをいち早く察知した野次馬たちが、集まり始めていた。
 シドは、外に出るとすぐに、空を見上げた。
「今日はずいぶん、天気の巡りが悪いな」
「歓迎しがたい、初雪ね」鈴乃は言った。
 来たときに降っていた雨。今は、みぞれに変わっていた。完全に溶けきらないまま、道路を濡らし、降り積もり、べたべたと灰色に埋めている。シドと鈴乃は、少しだけ足を速めることを試みた。が、怪我がそれを許さなかった。みぞれが自分たちの体を濡らすのに任せ、歩いた。
 シドの黒いクラウンは、クツマサ・ビルと隣の建物の間の通りに止めてあった。駐車違反を示す標章が取りつけられていた。シドは慣れた手つきでそれをフロントガラスから剥がし、破いてその場に捨てた。
 二人は車の中に乗り込んだ。エンジンを温めている間、二人は煙草を吸っていた。
「井織は、どうすると思う?」鈴乃は言った。
「掃除は、しないだろうな。冗談だろ、あれ」
「妻の光子に、自分のことを話すかどうかってことよ」
 シドは、煙草に火がついているのにも関わらず、シガーライターを手に取った。シャツをはだけ、腹の銃創にそれを当てる。肉の焼けるにおいがした。シドの顔が、苦痛に歪む。
 鈴乃は眉をひそめた。シドと目が合った。
「焼きゃあ、少しは傷口の具合もよくなるかと思ってな」説明するように、シドが言った。
「で? よくなったの?」
「なんにせよ、誰にも薦められない方法だな」
「でしょうね」
 シドはシガーライターを、元の場所に戻した。食いしばった歯の隙間から、音を立てて息を吸い込む。傷口が傷むようだった。銃弾のせいなのか、シガーライターのせいなのかは、鈴乃には分からなかったが。
 シドはクラウンを発進させた。
「時間を置けば、ひどくなるばかりだろ、そういうのは」
 シドはフロントガラス越し、みぞれに濡れる街を眺めながら、言った。
「だからと言って、シガーライターを使うというのも、あまり気の進まない話ね」
「違う」シドが言った。「井織と、その奥さんの話だよ。井織が、自分の仕事のことを話すかどうかってことだ」
「ああ、そっちね」
「そう、そっちだ。そう思わないか?」
「そうね」鈴乃は、シドの腹の傷を眺めながら、言った。焼いたお陰で、傷口の表面の血は、焦げて固まっていた。「そう思う」
「ミカドの話は?」
「二つのミカド? その、なにが?」
「潰せるか、どうかって話だ」
「合わせて八十だっけ? そんなの。潰せるかどうかなんて、話にならないわ。上が気にするのは、投入する戦力よ。無傷で潰すのに、最低限必要な戦力。その計算でしょう、始めにするのは。ヤマツ掌握の道のりをまた一歩、進んだ。そういうことになるでしょうね」
「そうだろうな。ま、ミカドを潰したところで、敵がゼロになるわけじゃない。無傷で済ませるのに、越したことはないだろうしな」
「そう考えると、リタ・オルパートとアイザック・ライクンのコンビの方が、よっぽど面倒かもしれない」
「数をかけりゃ、簡単だが、たかが二人に、ってことか。しかも、その二人を探してる途中で、ツガとカザギワから死傷人が出る始末」
 鈴乃とシドは、笑い声を上げた。そして、同時に顔をしかめた。笑えば、傷が痛む。シドが悪態をついた。
「井織には、悪いことをしたわ」鈴乃は言った。「せっかく築いた家庭を、引っ掻き回すような真似をしてしまった」
「過ぎたことだ。それに、あいつも言ってたじゃないか。いいきっかけになったと」
「けど」
 シドがちらりと、鈴乃のことを見た。
「やっぱり、あんた、しおれてるな、今日は。それとも、今日のが素で、今までのが作りもんだったのかな?」
「そんなの。自分で分かれば、苦労はしないわ」
「そうだな」シドは運転席側の窓を少し開けて、車内にこもっていた煙草の煙を逃がした。「井織はなんだかんだ言って、すぐには家には帰らないだろうな」
「どうして」
「時間をかければかけるほど、傷が悪化するのは、本人も分かってるんだろうが。立場と仕事ってのがな。あるじゃないか。気づかないうちに、そいつを逃げる言い訳に使っちまうかもしれない」
「そういうものかしらね」
「あくまでも、俺の推論さ」シドは言った。「それで? 病院の方は、俺たちが使ってる方でいいか? なにも言わないから、そっちに向かってたんだが」
「任せるわ」
 シドは頷き、灰皿で煙草を潰した。
「冬だからな。色鮮やかなお花さんたちは、だいたい、鳴りをひそめる頃合いさ」
「なにが言いたいの」
「しおれてるのも、いい感じだって話さ。いい女」
 鈴乃は鼻を鳴らして、窓の外を眺めていた。


つづく






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posted by 城 一 at 06:34| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月28日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第74回(ver 3.0)



盲信の 罪の深さを 未だ知らず


焔は沈む 業火の海へ



 みぞれが告げた、冬の訪れ。新しい季節の始まりの合図は、雨と雪を行きつ戻りつ、この一週間、断続的に降り続いていた。お陰で、街とその住人たちは、意気消沈しているように見えた。
「吸っても、構いませんよ」
 慶慎は言った。広い窓ガラス越しに、街を眺めていた高田清一が、慶慎の顔を見る。高田は、メタルフレームの眼鏡をかけていた。顔の角度が変わると、同じようにレンズに反射する光の加減も変わる。それは、高田の表情にも変化をもたらしていた。いや。高田の表情自体には、変化は少ない。無表情と言ってもいいほどに。変化は表面的なものでしかなかった。高田が言った。
「しかし、君は」
「喘息のことですか?」慶慎は肩をすくめた。「誰かのライフスタイルを変えてもらわなきゃならないほど、デリケートなものじゃないですよ。自分が吸わなきゃ、いいんです」
 高田は頷くと、金色のシガレットケースをテーブルの上に置いた。慎重にふたを開け、煙草を取り出す。金色のターボライターで、それに火をつけた。静かで無駄がない。洗練された動きだった。
 慶慎はTシャツの上に、ダークブラウンのニット製のトラックトップを着ていた。下にはカラージーンズを履いていた。色はアイボリー。ライトブラウンのワークブーツ。頭には、黒に近い赤色のニットキャップ。CZ75は、腰の後ろにつけたホルスターに収めていた。
 高田は、体にぴったりと合ったピンストライプのスーツを着ていた。三つ揃い。色はネイビー。磨かれたプレーントゥの黒い革靴。ほとんど白色にちかい淡いブルーのシャツ。白地に小紋の入ったネクタイ。
 高田はテーブルの上に両肘を突いた。煙草を挟んだ方の手のひらが上に来るように、両手を重ねる。煙越しに慶慎に視線を送る。
「ミカド殲滅のためのチームに入りたい。そう言ったね」
「僕はまだ、一つも仕事を完璧に終えていない。カザギワの中で、自分の価値を示していない。チャンスがあるなら、黙って見過ごすわけにはいかない。そういうことです」
 慶慎と高田は、喫茶店にいた。<ロビンソン>。通りに面した部分のほとんどをガラス張りにしていて、店内には光が溢れていた。白く塗った木の板を組んだ、床と壁。天井からは赤いプラスチック製の傘のコード・ペンダントがぶら下がっていた。床や壁と、色と材質を揃えたテーブル。赤く塗ったチーク材を曲げて作った椅子。
 テーブル席が四つに、L字型のカウンター席が十に満たないほど。客席はそれで全部だった。あっさりとしたものだった。カウンターの向こうでは、三十歳くらいの店長が黙々と仕事を続けている。コーヒーの良い香りが店内に漂っている。慶慎のホルスターは、窓際に設置された、腰の高さの本棚が隠していた。棚には雑誌が敷き詰められていた。
 テーブル席は全て埋まっていた。カザギワ。高田の部下だ。彼の身辺保護を任されている者たちだった。他に、客はいなかった。お陰で、店内の空気はわずかに張り詰めていた。店長は気にならないようだった。分かっていて、カザギワの人間たちを受け入れているのだ。
「そう、気負うこともないと思うがね。情報員の井織が持ってきた話は、君も聞いただろう? リタ・オルパートの価値は上昇している。捕獲に成功すれば、君の価値は揺るぎないものになるさ」
「しかし、リタ・オルパートの捜索に詰まっているのも確かです。ミカドの殲滅にかける時間は、どれくらいですか?」
「長くて一日。それを過ぎれば、失敗と考えられる。和製のミカドと外国製のミカド。二つ同時に潰さなければならないが、どちらにしろ、時間をかけられないのは同じだ。敵に反撃のチャンスを与えるのが、最悪のパターンだからね」
「なら、問題ありません。二十四時間程度なら、空けることはできます」
 高田は、黒い陶製の灰皿を、手元に引き寄せた。煙草の灰を、そこに落とす。
「前はもっと、消極的な感じがしたがね。分かっているのかい。殲滅する、ということが。全員、その場にいる者をもれなく、皆殺しにする、ということだ」
「僕は殺し屋ですよ。それ以外に、何かすることがありますか?」
「殺し以外に?」高田が言った。
「殺し以外に」慶慎は頷いた。
 高田は、慶慎の視線を捉え、真っ直ぐ見つめた。
 慶慎は、感づかれないようにそっと、唾を飲んだ。高田の視線が外れる。彼は目を閉じ、首を振った。
「ないな」高田は言った。「いや、いいことだよ、慶慎君。積極的というのはね。君はまだ、ブレーキを覚える段階じゃない。経験値の積み重ねが最重要課題だ。アクセルペダル、べた踏みでいい時分さ」
「なら、問題ないですね」
「松戸孝信殺害とリタ・オルパートの捕獲。複雑な仕事よりも、シンプルでいいのかもしれない。単純に、君の力だけが試される」
「はい」
「私はね、期待しているんだよ、慶慎君。君にね。カザギワ最強の殺し屋、銀雹が育てた殺し屋。それがどうやって、花開くのか。それが楽しみで仕方ない。血に飢えた獣か。冷血なキリングマシンか。もしくは、銀雹の別名“芸術家”を受け継ぐのか」
「僕は、僕ですよ」慶慎は言った。「焔。名前はそれで十分です」


つづく






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2007年03月29日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第75回

 慶慎は、店を出ると小走りで、近くに停めてあった車に乗り込んだ。車は、クーペ・タイプ。スカイラインGT-R。R32型。降りしきるみぞれの中、銀色の車体が鈍く光る。乗るときは、助手席のリヴァに椅子を一度、前にずらしてもらった。慶慎の、この車での指定席は、後部にある。ハンドルを握っているのは、バーバーだ。バーバーは、バックミラーで、慶慎が腰を落ち着かせたのを確認すると、スカイラインを発進させた。
 少しの間、車内の少年たちは、スカイラインのエンジン音に耳を傾けていた。やがて、リヴァが口を開いた。棒のついた飴玉を口の中に放り込んでから、言った。
「で? ミスタ・高田の返事は?」
「オーケイ。当たり前だろ。断る理由がないよ」
「かと言って、ミカド襲撃のためのチーム編成の中に、お前を入れなきゃならない特別な理由もない。お前には、やるべき仕事もあるんだからな。リタ・オルパートの捕獲って仕事が」
 リヴァは腕を組み、シートに体を深く沈めた。ピンク色の大きなレンズのサングラスをかけていた。黒い革製のフライトジャケットを着ていた。首回りに、毛の短いふわふわとした毛皮がついている。下に履いているのは、黒いカーゴパンツ。暗赤色のエンジニアブーツ。
 バーバーは淡い茶色のピーコート。下は色の濃いジーパン。黒に近いワイン色の、房飾りのついたローファー。タータンチェックの入ったハンチング帽をかぶっていた。黒縁の四角い眼鏡。伊達だ。バーバーも、慶慎やリヴァと同じように、車の運転免許を取れる年齢ではない。にも関わらず、落ち着いた運転だった。少なくない経験値の裏づけが見て取れた。
 窓が水滴で曇っていた。慶慎は、握った拳の側面で、その水滴を拭った。
「分かってる」慶慎は言った。「分かってるさ」
 バーバーは、カーオーディオを操作して、ラジオをつけた。FM。つまみを捻り、ボリュームを小さくする。昼を少し過ぎたところ。若いDJが、はきはきとした声で、リスナーから寄せられたファックスや葉書を読み上げていた。
「そんなに、人を殺したいのか?」リヴァが言った。
「そういうわけじゃないよ」
「なら」
「確かなものが、欲しいんだ。生きていく上で、しっかり踏み締められる場所が。ミカドの襲撃に加わって、それを成功させたなら。きっと、手に入る。確かな地盤が」慶慎は言った。
 リヴァは首を振った。
「よせよ、ケイ。よせ。確かなものだって? そんなもん、俺らの生きてる世界にゃ無縁のもんだ」
「僕らの生きてる世界」
「俗に言う、裏の世界ってやつだ。血と臓物のにおい漂う世界。晴れときどき鉛玉。雨が降るみたいに銃弾が飛んできて、肩を叩かれるみたいに、光りもので刺される。この世界じゃな、一瞬ごとに確かなものが変わるのさ」リヴァは言った。「くそみたいな世界だ」
「じゃあ、どうして君はここにいるの」
「言っただろ、俺は孤児だって。川で生まれた。だから、リヴァだって。俺は人に拾われた。一応。でも、まっとうな人間じゃなかった。人はいいが、アル中だった。盗みを仕事にしてた。がきは、生まれたばかりのがきは、どこにもいない。表の世界にも、裏の世界にも。その居場所を決めるのは、がきを扱う人間だ。つまり、俺はまず、裏の世界に居場所を持ってかれたってことだ。で、誰も表の側に引っ張り上げてくれるやつはいなかった。それだけだ」
「人を殺したことは、ないの」
「あるさ。ある。そりゃな」
「それは、なんのために殺したの」
「事情は色々だが、シンプルなもんだ。自己防衛。金が欲しかった。力が欲しかった。そんなもんさ」
「僕は」慶慎は、膝の上で広げた手のひらを見つめながら、言った。「親の、父さんの虐待から逃れたかった。殴られたくなかった。蹴られたくなかった。罵られたくなかった。彼の気に食わない言葉を言っただけで、頭がおかしくなったと言われたくなかった。だから、ここにいる。殺し屋をしてる」
「ああ」リヴァは言った。半開きにした上唇と下唇の間で、飴玉をくるくると回していた。
「あのまま、父さんの下にいれば、死ぬことは確実だった。だから。自己防衛ってこと、なのかな」
「かな?」
「分からないよ、リヴァ。僕には分からない。でも、もう後戻りできない所に、僕はいる。それだけは分かる。人を」慶慎は、手のひらを額に当てた。「松戸孝信を、殺した。この手で」
「言いたいことは分かる。後戻りできないってのも。だがな、だからと言って、駆け足で進まなきゃならないってわけでもないんだぜ、ケイ。分かるか?」
「でも。僕は、殺し屋なんだ。殺すことが仕事なんだ。高田さんも、僕が仕事に積極的なことを、喜んでくれてた」
「他人の評価なんて、くそくらえだ。学校で、授業の単位でも取ってるつもりなのか?」
「師匠に、殺し屋になれと言われた。だから、僕は殺し屋になった。カザギワの。僕は、カザギワで認められなきゃ駄目なんだ」
「ケイ」リヴァは、助手席から身を乗り出して、後部座席を振り返った。飴を口にくわえて、言う。「シンプルに考えろ。色々な事情があって、お前は殺し屋になったのかもしれない。けどな、お前のバックグラウンドなんて、誰も考慮しちゃくれない。分かるか? “あらあら、かわいそうな子ね。しょうがないわね、殺されてあげるわ”なんて言ってくれるやつなんて、いない。腰の後ろに差したCZ75の引き金引くのに、哲学なんざいらない。人差し指に力込めるだけでいいんだ。分かるか? シンプルに考えろ。そいつが、この世界で生きてく秘訣だ」
 慶慎はうつむき、まるで髪の毛を根元から引き抜こうとするかのように、両手で髪の毛を掴んでいた。
「分からない。難しいことを、考えさせないでおくれよ、リヴァ」
「ケイ」
 リヴァが言いかけたところで、スカイラインが止まった。車内の少年たちは、わずかに前のめりになった。リヴァが車の前の部分に後頭部をぶつけた。その衝撃で、飴を噛み砕く。棒を含めた下半分が落ちかけた。運転席のバーバーが、それをキャッチして、リヴァの口に入れ直した。バーバーは言った。
「飴は、噛むものじゃないよ、リヴァ」
「お前が急ブレーキ踏むからだろ」
「舐めるものだ。ゆっくり、時間をかけて。そうだろ? それと同じだ」
「なんの話だよ」リヴァは言った。
「ケイにも、必要だ。飴をゆっくり、舐める時間が。舌の上で転がして、溶かす時間が」
 リヴァは、慶慎を見た。そして、頷き、小さく肩をすくめた。バーバーは首を傾け、窓の外を示して、言った。
「<エイダの店>。バーだ。リタ・オルパートが利用してた。ミカドとの中継場所にもなってたらしい」
「なるほど」リヴァは言った。慶慎をもう一度振り返る。「ケイ、すまなかった。大丈夫か?」
 慶慎はうつむいたままだったが、両手は頭から離していた。深く、息を吐く。
「大丈夫」
「よし、行こう」リヴァは言った。
 三人はドアを開け、スカイラインから降りた。


つづく






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2007年03月31日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第76回

 透明な白色が、景色を彩る。三人の少年たちの吐いた、息だった。外はすっかり、冷え込んでいた。
 リヴァは口から出した、飴の棒をころころと転がしながら、手にした銃を眺めた。S&Wのリボルバー。M29の短銃身モデル。シリンダーを一度出した。六つ、銃弾の入る穴のうち、一つは空だった。リヴァはシリンダーを、弾一つ分だけ回転させて、戻した。ジャケットのポケットに、手と一緒に銃を収めた。
 バーバーは、FNブローニングを持っていた。オートマティック。リヴァと同じように、コートのポケットに収めた。中指で眼鏡の位置を直した。
「血を見るのは、苦手じゃなかったか?」リヴァが、バーバーを見て言った。
「自分の血を見るよりは、いいさ。これから乗り込む所は、言わば、ミカドの縄張りなんだから」
 慶慎は、黒いミリタリージャケットを着た。毛皮のついたフードのあるものだ。ジャケットを着てから、腰の後ろのホルスターに収めたCZ75を指で触り、確かめた。抜きはしなかった。
 三人の前で、テナントビルが二つ、口を開けて待っていた。片方は照明がついていて明るく、広い。入ってすぐの所に、入っている店の名前が並んだ一覧表があった。少し、透明感のある素材で、一覧表はできていて、内側に仕込まれた照明でわずかに光っていた。もう片方は、暗く、地下へと続いていた。しかも、狭い。人、一人分の幅しかなかった。油断すると、踏み外してしまいそうな、階段。入口の上方に、<エイダの店>と書いた看板がぶら下がっていた。赤地に黒で文字が書かれていて、これも内側から光っていた。
 慶慎は寒さに身をすくめた。ジャケットの前を閉じ、ジッパーを上げて、閉める。
「構造は、バーバー?」
「入口は一つ。僕らの目の前にあるのが、そうだ。それのみ。店はかなり狭い。席はカウンター席のみ。十。テーブル席はなし」
「武装はしてみたものの」リヴァが言った。「ドンパチは避けたいところだな」
 慶慎は頷いた。
「逃げ場がない。最悪、味方同士で撃ち合うことになりかねない」
「でもまあ、いざとなったら頼むぜ、ケイ。カザギワのベイビ」慶慎は、エイダの店の入口を見つめたまま、目を細めた。リヴァは口の中の飴に歯を立てた。舌打ちして、金髪を掻きむしった。「すまん。悪気は」
 慶慎は言った。
「謝られると、困るよ、リヴァ。おおげさだ」慶慎はバーバーを見た。「ミカドと繋がりのある、店の人間は何人いるんだい?」
「店の主、エイダ・ヒトツバシ。女だ。年は四十二。雇われてるバーテンダーは二人。うち、ミカドとの繋がりが確認できているのが、一人。けど」
「二人とも繋がってると計算した方が、自然、か」慶慎は頷いた。
「うん。二人とも、男だ。もちろん、バーの従業員が勢揃いしてるとは限らないけど、かと言って、バーにいるのが彼らだけじゃないって可能性もある」
「カザギワとツガがミカドの存在を把握し、潰しにかかってる今の時期なら、なおさら」慶慎は言った。
 リヴァが店の入口に立ち、階段の下を見下ろした。
「つっても、狭い店だ。数は限られてるだろ」
「そう願いたいね」バーバーが言った。
 リヴァが先に、階段を下りていった。次に慶慎、バーバーと続く。階段を下りた先に、朱色に塗られたドアがあった。“CLOSED”と書かれたプレートがぶら下がっていた。日はまだまだ、高い。店が開くのは、まだ先だろう。リヴァはプレートを裏返し、“OPEN”にした。ドアを拳で叩く。誰も出て来なかった。何度か繰り返したが、変化はない。リヴァはドアに耳をつけた。慶慎とバーバーを横目でちらりと見て、話し声はする、と囁いた。また、拳でドアを叩いた。反応はない。
「いつでも、銃を抜けるようにしておいてくれるかい」
 バーバーは言いながら、慶慎をそっと押し退けて、リヴァの横に並んだ。
「もう、してる」慶慎は言った。
 バーバーは頷いた。咳払いをして、リヴァを見た。
「ヘイ!」バーバーは突然、叫び声を上げた。「うまい酒が飲めるって聞いたから、俺は寒い中、のこのこてめえと歩いて来たんだぜ! 舐めてんのか、てめえ!」
 リヴァは一度、口許を緩めた後、バーバーと同じように声を張り上げた。
「だりいこと言ってんな、このアル中が! 何さまのつもりだ! ああ? 昼間っから酒くせえ息吐きやがって。気に入らねえなら、とっとと帰って、くそして寝な! おやすみのキスの代わりに、アルコール漬けの、その腐った脳みそに、鉛玉ずどんと一発くれてやるからよ!」
 リヴァは一通り叫んだ後で、バーバーの胸を突き飛ばした。バーバーが顔をしかめる。
「何しやがる!」
 バーバーが仕返しに、リヴァの胸を押した。リヴァはわざとよろけて、店のドアに背中をぶつけた。バーバーが叫んだ。
「鉛玉? 俺の頭に鉛玉? そう言ったか? ハッ! 必要ないね。なぜかって? てめえはここで丸焦げになるからだ。このくそドアぶち破って、中から拝借して、てめえにスピリタスのシャワー、浴びせてやんよ。大丈夫、ライターは俺が持ってる。店ごとてめえを燃やしちまって、俺は一人、優雅にたき火としけ込んでやらあ、このボケナス!」
 慶慎は、リヴァとバーバーのかけ合いを楽しみながらも、ドアの向こう側に耳を澄ましていた。右手の指先は、銃にかけたまま。足音がした。ほんのわずか、指先に力を込める。ドアに取りつき、鍵を開ける音がした。リヴァとバーバーが互いに、目配せをした。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ!」
 出てきたのは、年増の女。四十代。黒いパンツに、濃いグリーンのシャツを着ていた。ボタンは上の二つだけ、外していた。髪は短い。全て、真っ白に染まっていた。容姿から推測される年齢は、白髪には早過ぎた。染めたのかもしれなかった。両耳に、縦に細長い楕円のガーネットがあしらわれたピアスをつけていた。女は続けた。
「あたしの店の前で、トラブルはやめてくれ。やるなら、表の通りでやりな。この、くそがきども」
 リヴァが、女の胸に向かって、指を突き出した。
「あたしの店?」リヴァは叫んだ。「そう言ったな、あんた。あんた、この店のご主人さまなのか、ええ?」
「そうだよ。だったら、なんなんだい。文句でも言おうってのかい」エイダ・ヒトツバシはそう言った。
 バーバーがリヴァをまた、突き飛ばした。リヴァはこらえず、そのままバランスを崩した。店の中へと転がり、尻餅を突いた。
「何しやがる!」リヴァが怒鳴る。
「いい加減にしな!」負けずに、エイダも叫んだ。「出て行け!」
「バーテン!」リヴァが指先を弾いて、言った。「俺はビール」
 エイダが顔をしかめた。構わず、バーバーと慶慎はその横を通り、店の中に入る。バーバーは言った。
「俺は」バーバーはそこで一度言葉を切った。咳払いをして、言い直す。「僕は、モスコミュール」
「あんたたち」エイダが言った。
 ドアを手で支えるエイダの視線を遮るようにして、慶慎はエイダの前で、ドアに寄りかかった。
「僕はペリエ」慶慎は、エイダを振り返らずに言った。「あまり、強くないんだ。酒には」

つづく




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2007年04月01日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第77回(ver 2.0)

 突き出した舌に押しつけるようにして、飴を舐めながら、リヴァは言った。
「水割りにジントニックに、ペリエ。大至急頼むよ、マスター」
 バーバーの言葉に、偽りはなかった。店は、かなり狭かった。赤に近い茶色の、L字型のバーカウンター。並ぶスツールは、赤色。革製。数は十。滑らかな岩肌のような質感の白い壁。正方形のくぼみが横切るようにして、並んでいた。それぞれ、その中にはろうそくが置いてあり、温かみのある光を放っていた。カウンターの上、ブリキのランプシェードに守られた照明も、同じような光を発していた。ただし、ランプシェードの中にあるのはろうそくではなく、白熱灯だ。
 店内にはこっそりと、小さなボリュームで、音楽が流れていた。ジャズ。カウンターの向こう側に、レコードプレイヤーがあった。音を聞いただけで、録音された時期が、はるか遠い昔だということが分かる。音色を奏でるのは主に、サックスだった。押し殺した叫びのような、テナーサックスの音。
 リヴァはカウンターの一番手前に腰かけた。おどけながらも、油断なく視線を店内に這わせる。
 エイダの他に、五人。四人は成人した男。黄色いシャツをはだけて、胸元をさらした男。色の薄いジーパンを履いていた。真っ黒な丸いレンズのサングラスをした男。太っていて、抱えるほど大きな腹をしていた。口端に爪楊枝をくわえていた。白いシャツ、黒いパンツ。紺色のタートルネックを着た、小柄な男。身長はせいぜいあって、百五十センチくらい。前頭部はすっかりはげ上がっていた。髪は後頭部にわずかに残るのみ。派手な白色の縦縞が入った、黒いパンツを履いていた。ちりちりの黒髪を、肩まで伸ばした男。鷲鼻で、顔が大きい。丸首のモスグリーンのセーターを着ていた。セーターの両肩と両肘には、黒に近い緑色の合皮製の布が当ててあった。肌色のチノパンツ。スツールの一番奥の席に、五人目が座っていた。子供。慶慎たちよりも、明らかに年下。店の中に慶慎たちが入って来たことを、ちらりと横目で確認したきり、振り向かない。手にした本に見入っていた。ブルーのトレーナーに、黒いジャージを履いていた。黒髪を短く刈り込んでいた。顎がしきりに動いているのはどうやら、ガムを噛んでいるからのようだった。
 ドアを入った右横には、観葉植物が置いてあった。背の高い、アナナス。白い大きな鉢に入っていて、緑から赤と、鮮やかに自らの葉だけでグラデーションを作って見せていた。
 慶慎はアナナスを避け、ドアの左側の壁に背をつけた。両手を、ジーパンに通したベルトにかける。バーバーはドアの前で、直立不動の姿勢で立っていた。手は前で組んでいた。
 慶慎たちを迎えた店内の空気には、緊張が走っていた。子供だけが、無縁のところにいる。
 エイダは鼻息荒く店の中に戻ると、リヴァの前のカウンターを叩いた。
「何度も言わせるな、くそがき。出て行けったら、出て行け」
「頼むよ、エイダ・ヒトツバシ」バーバーの言葉に、エイダが顔を上げる。困惑した表情を浮かべていた。バーバーは続けた。「つまむものは、そうだな。ミカドの話なんて、どうだろう」
 店内の緊張の濃度が高まった。黄色いシャツの男が、手を腰の後ろに回した。
 リヴァが言った。
「ヘイ、大人たち。短気なやつが中にいるな。悪い傾向だ。子供の前で、ドンパチやるかい?」リヴァは肩をすくめた。「俺は構わないが」
 黄色いシャツの男は舌打ちした。手を腰の後ろから引き戻した。何も持たずに。
「ミカド? ミカドって、なんのことだい? あたしにゃ分からない」
 エイダの声には明らかに、動揺が滲んでいた。リヴァが言った。
「俺には分からない。ミカドって言葉を聞いて殺気立つ連中が、その連中が集まってるバーの主が、ミカドを知らない? 筋の通らない話だ」リヴァは手の中で飴を弄びながら、男たちを見た。「どうだ、大人たち?」
 はげた小男が言った。
「そう言われてもな。俺たちは、この店の馴染みで、店を閉めた後も、ここで飲んでただけだ。俺たちの共通点と言えば、そいつは、この店の常連ってことだけだ」
 バーバーが言った。
「質問を変えよう。リタ・オルパート、アイザック・ライクン。どちらかの名前に、聞き覚えは?」
「いい加減にしな、あんたたち。何か、勘違いしてるだろ。店を間違えたんだ。あんたたちの探してる店は、きっと他の店だ。あたしには、あたしたちには、あんたらの質問にゃ、一つも答えられない」エイダが言った。
「品揃えの悪い店だ」リヴァが言った。「もう少し、協力的になってもいいんじゃないか。誰のお陰で、ここが営業できてると思ってる」
「何?」エイダが表情を変える。
「この店は、ツガ組から許可もらってやってるんじゃなかったか」
「そうだよ。けど、それが」
「関係あるか? あるに決まってんだろ。俺と、そこのかっこつけた床屋の息子は、ツガ組だ。入口の横にいるのは、カザギワの殺し屋さんだ。この店が、裏でミカドと通じてるとなれば、問題が生じる」
「てめえら、ツガとカザギワか」黄色いシャツが眉間に皺を寄せながら、言った。
 リヴァは言った。
「今、そう言った。繰り返し聞くのは、頭の悪い証拠だぜ」
「よしてくれ。旦那たち」エイダは言って、リヴァたちを見た。「そして、あんたたち。奥にいるのは、あたしの息子なんだ」
「かわいいがきだ。が、何をよせばいいのか、分からない。はっきり言ってくれると助かるな。そこのカウンターで仲良く肩寄せるお友達は揃ってミカドで、俺たちが敵だってことで殺気立ってる。ドンパチ開始までカウントダウンが始まってる。それを、よしてくれと」
「ツガだとかカザギワだとか。ミカドだとか、そうじゃねえとか。そういう問題じゃねえんだよ、このくそがきども」黄色いシャツが、どすのきいた声で言った。
 店内の緊張が、一瞬、緩んだ。本から顔を上げた子供が、声を上げたのだ。言葉にならない声。慶慎のことを指差して、喜んでいるようだった。慶慎は顔をしかめた。
「知り合いか?」リヴァが言った。
 慶慎は首を振った。子供の指差す方向を見つめていた。正確には、子供が指差しているのは、慶慎であり、そうでなかった。慶慎と、そのすぐ横を交互に指差していた。スツールから降りて、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。慶慎は壁から背中を離し、少年の指の先を見た。
 一枚の紙片が、画鋲でそこに止められていた。慶慎は男たちの方へと向き直った。
「決まりだ」慶慎は言った。
 壁に貼られていたのは、慶慎の似顔絵だった。鉛筆で描かれた、白黒の絵。慶慎を拉致しようとしたアンバー・ワールドの少年たちが持っていたものと、同じ絵だ。井織誠の持って帰ってきた情報で、絵を描いた人間のことは分かっていた。
「そこにあるのは、アイザック・ライクンの絵だ」慶慎は言った。「イコール、この店にリタ・オルパートが来たことがある、もしくはこの店はリタ・オルパートと繋がりがある、ということだ」
「イコール」黒いサングラスの肥満体の男が言った。口許に笑みを浮かべながら。「俺たちはミカドということだ」
「イコール、問題が生じる」
 慶慎のワークブーツが、床で擦れて音を立てた。


つづく





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posted by 城 一 at 15:06| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第78回

「フォローは」リヴァが言った。
 慶慎は息を吸い込んだ。縦列。一番手前のスツールでステップを踏む。
「いらない」
 長髪の男が白目を剥いた。その場に膝を突く。気絶していた。宙に高く舞った慶慎の蹴り。正確に長髪の男の顎先を捉えていた。着地。前蹴り。長髪の男が吹っ飛んだ。平手。慶慎はぴんと腕を伸ばしてそれを振った。タートルネックのはげ頭の男。その耳をまともに捉えた。男の表情が歪む。男は耳を押さえようとした。鼓膜が破れたかもしれなかった。左フックのトリプル。慶慎の攻撃は男の無防備な右側面を打ち抜いた。腹、胸、こめかみ。男はカウンターに衝突し、その上に伸びた。
 銃口。デリンジャー。手で払う。銃声。銃弾は慶慎の側頭部をかすめた。肥満の男。脂肪のついた手のひらの中でデリンジャーをくるりと回す。弾はまだある。銃口が方向転換する。慶慎はそれを止めた。銃声。弾はどこにも当たらなかった。肥満の男が歯を軋らせた。デリンジャーを持つ手首から、血が滴る。慶慎の手にしたボウイナイフが突き刺さっていた。慶慎はそれを抜くと同時に振った。男の喉仏を刃先でかすめた。鮮血。噴き出すのをかがんでかわした。破裂するような銃声がした。黄色いシャツの男。オートマティックの銃を持っていた。肥満の男の体に身を隠す。咆哮とともに肥満の男の体をタックルするようにして吹っ飛ばした。銃声が連なる。全て、肥満の男の体に着弾した。男の体が揺れた。黄色いシャツの男は、肥満の男の体の下敷きになって、潰れた。呻き声を上げる。黄色いシャツの男は、身動きができなくなった。
 慶慎は、肥満体の男の腹を踏みつけた。黄色いシャツの男が歯を食いしばりながら、睨んでいた。ボウイナイフの刃は、血で真っ赤に染まっていた。慶慎はそれを、肥満の男の着ていたシャツで拭い、腰の後ろに収めた。ホルスター。スペアの弾倉とともに、ナイフを収める部分もついていた。代わりに、CZ75を抜く。遊底をスライドさせて弾を送り込む。黄色いシャツの男が、ノー、と言った。慶慎は男の顔面に向かって引き金を引いた。辺りを見回して、飛びかかって来る者が、もういないことを確認する。肥満体の男、はげ頭の男、長髪の男。間を置かずに、それぞれの額を全て、銃で撃った。
 エイダ。その手が腰の後ろに伸びていた。右手。慶慎はその肘を銃で撃った。エイダは悲鳴を上げ、床に尻餅を突いた。エイダの手から、リボルバーが落ちて音を立てる。両耳にぶら下がるガーネットの石が、震えるように揺れた。
 腰に何かがぶつかった。慶慎は銃口を翻した。子供だった。泣き喚きながら、慶慎の腰を、拳で叩いていた。エイダが悲鳴を上げるように、やめて、と叫んだ。
「ケイ」
 リヴァが言った。慶慎は銃口を下ろした。
 エイダの左手が動いた。リヴァが、ヘイ、と言った。エイダは首を振った。
「手話だ。あの子は、ヨシトは耳が聞こえないんだ」エイダは呻くように、そう言った。「今、おとなしくさせるから、その子には」
「ヨシト。それが、そのがきの名前か」リヴァが言った。
「そうだよ。お願いだから」
 慶慎は低い所で拳を振った。ヨシトのこめかみを捉えた。軽い体だった。簡単に吹っ飛び、スツールにぶつかった。ヨシトはぐったりと、床に重なる死体の上に倒れた。もう、泣きわめかなかった。静かになった店内。息を潜めていたジャズのBGMが、戻ってくる。それはゆったりと流れてきて、時間をかけて、再び、店の中に馴染む。レコードから流れる音楽は、死体を埋める血と、死体たちを気にしない。
 エイダが、食いしばった歯の隙間から、漏らすように言った。
「この、くそったれが」
「その言葉は、あの子供を殺すときに、取っておいた方がいい」慶慎は言った。リヴァが、慶慎を見つめていた。慶慎はリヴァを見た。「なんだい、リヴァ?」
「いや。なんでもない」
「子供が騒いでちゃ、話にならないだろ」慶慎は言った。
「ケイ。俺は、何も言ってないよ」
「そうだね、リヴァ」
 バーバーが、床に落ちていた、慶慎の似顔絵を拾った。今では、その絵に色が加わっていた。血の赤。バーバーは、手のひらで軽く、その表面を撫でた。血は絵を描いた紙に染み込んでしまっていて、取れはしない。少し、かすれて伸びただけだ。
「アイザック・ライクンって言ったっけ? この絵を描いたのは」バーバーが言った。
 慶慎は頷いた。
「そう。元カザギワの殺し屋。今は、リタ・オルパートと一緒に行動してると言われてる」
「アイザック・ライクンに、会ったことがあるのかい、ケイ?」
「ないよ」
「じゃあ、これは写真か何かを見て?」
「そうは思えない。僕の写真を手に入れるルートが、アイザック・ライクンにも、リタ・オルパートにもない。リタ・オルパートの言葉を頼りに、描いたに違いないよ」
 バーバーは口笛を吹いた。
「大したことない画力だ、と言おうと思ったけど、訂正するよ。その話が本当なら、アイザック・ライクンはかなりの画力と想像力を持ってるに違いない」
「頭のねじを落とした分、画力と想像力の入る余地があったんだろうさ。赤みがかった長髪の女を見ると、誰彼構わず恋しちまう性分だって、聞いたぜ。アイザック・ライクンは」
 カウンターに両肘を置いたまま、リヴァが言った。
「らしいね。うちの情報員が持ち帰った話によると」慶慎は言った。
 バーバーが、慶慎の似顔絵を、エイダに示した。
「それで? エイダ・ヒトツバシ。この絵は、どうやって手に入れたのか、聞かせてくれるかな?」


つづく






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posted by 城 一 at 00:33| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月04日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第79回

 元々濃かったグリーンが、血の色を受けて、深みを増す。エイダの着ているシャツ、右肘の辺りだ。そして、それと同時に照明の光を受けて、輝き始めていた。てらてらと。どこか、艶かしい雰囲気を含んだ輝きだった。エイダのこめかみに、汗が滲んでいた。
「カザギワのくそったれめ」
 エイダの視線の先には、慶慎がいた。睨むような視線。
 慶慎は目を逸らした。汚れていないことを確認して、近くにあったスツールに座る。死体に背を向けて。慶慎は首を振った。
「僕は、当然のことをしたまでだ」慶慎は言った。「ミカドは、カザギワやツガ組の敵組織だ。そうだろ?」
 バーバーは、ろうそくの火に魅入られたかのように、壁際に歩み寄った。火に焼かれないように気をつけて、壁に身を寄せる。
「そういうことだよ、エイダ・ヒトツバシ。それに。彼は」バーバーは一度、顎を動かして、慶慎のことを示してから、言った。「カザギワの殺し屋だ。敵組織と談笑したり、握手したりしてお金をもらうわけじゃないんだ」
 エイダは鼻を鳴らした。
「敵だと言われれば、ひょこひょこどこへでも行って、銃の引き金引いてぱんぱんぱん。ずいぶんと楽な仕事じゃないか。それで? あんたはいくらもらってるんだい? ぼうや。ケイシン、と言ったっけ?」
 慶慎は目を剥いた。
「あんた。やはり、リタ・オルパートと会ったんだな」
「答えなよ。いくらもらってるんだい? カザギワのそろばんじゃ、人の命はいくらに換算されるんだい? 教えておくれよ、ケイシンちゃん」
 慶慎は銃を再び構えた。獲物を見つけた肉食獣のように動き、銃口がエイダの額を狙う。
「焔だ。コードネームは、焔。二度と、その名前を呼ぶな」
「よく聞こえなかったわ。もう一度言ってくれる? 呼んだら、どうするって? ケイシンちゃん」
 銃声。エイダが呻き声を上げた。血が飛ぶ。慶慎はCZ75の引き金を引いていた。銃弾はエイダの右肩を貫いた。エイダは何度も痛みをこらえるために、食いしばった歯の間から、唸るように声を漏らした。左手で傷口を押さえながら、最後に一息つく。そして、慶慎を見た。にやりと笑う。
「くそみたいな世の中だわね、全く。銃でしか意志表示できないくそがきに、さも高尚そうに銃を渡すさまが目に浮かぶよ。“焔、今日からこれがお前の武器だ”。笑わせるね。ゲームの世界だ。ねえ、ケイシンちゃん」
「黙れ」慶慎は言った。
 バーカウンターの上に、メラミン樹脂製の灰皿があった。外側は銀色、内側はダークブラウンに塗られていた。リヴァはそれを引き寄せ、飴のついていた棒を捨てた。
「ケイ」リヴァは言った。唇をはっきりと動かして。
「君にも言おうと思ってたんだ」慶慎は言った。「僕を、名前で呼ぶな」
「ケイ。俺はな。銃でコミュニケーションを取ろうとするやつのことを、殺し屋とは呼ばない。思わない。だから、今のお前のことをコードネームで呼ぶ気にはならない。だから、訂正するつもりはない」リヴァはエイダを見た。「ただし、だからと言って、そのためにあんたの命を守ろうという気もないけどな」
「結構だよ。そんなことされた日にゃ、反吐が出る」
「それはそれは」リヴァは言った。
「哀れながきだね」エイダが慶慎を見て、言った。「コードネームをアクセサリか何かと勘違いしてるんだ。テレビや映画のヒーローにでもなったつもりかい?」
「アクセサリだと」慶慎は言った。
「気に入らないかい? なら、ファッション。ステイタス。なんでもいいよ。あんたのお望み通りに言ってあげるよ」
「僕は、焔だ」
「さぞかし、思い入れ深い名前らしいね、焔ってのは。聞かせておくれよ、そのエピソードを」
「ボスから、もらった」
「カザギワのボスから。風際秀二郎だね。それで?」慶慎はそれ以上、何も言わなかった。エイダは笑った。「それだけ? そのためにあたしのことを撃ったのかい? それはそれは、悪いことをしたよ。ごめんね、ケイシンちゃん」
 慶慎は音を立ててスツールを降りた。バーバーが、目を閉じて言った。
「焔。僕らは話をしたいんだ。君の仕事は、僕らが話をできる状況を作ることだった。そして、その目的は既に達成されてる。あとは僕らに任せて欲しい」
「バーバー」慶慎は言った。
「悪いけど。君のプライヴェートな問題に関して、話をしてる時間はない。時間を削ったのは、だいたいからして、君自身だ。エイダ・ヒトツバシはもう、二発の銃弾を受けてる。出血量もかなりのものだ。見れば、分かるだろ。余計な話をしているうちに、彼女が死ぬ」
「余計な話」
「そうだ。余計な話だ」
「バーバー。君まで」
「さっき、リヴァが君に言ったことだ。誰も、君のバックグラウンドを考慮なんか、しちゃくれない」バーバーは言った。「無視するつもりはないんだ。ただ、今はできない。そういうことだよ」
「僕は」慶慎は言いかけて、口をつぐんだ。
「僕は。僕は。助けて、ママン。怖いよ、ママン。あれかい? 殺し屋になって覚えたのは、自己主張の手段なのかな?」エイダが言った。
 何か言おうとした慶慎を、バーバーが遮った。
「あなたも、あなただ。よっぽど、殺されたいらしい」
「すんなり、あんたらの知りたいことを教えれば、あたしの命は助かるのかね?」
「教えないよりは、可能性は高い」
「下の下から、下の中になるくらいだろう、そんなもの。口の達者ながきだね」
 エイダの体の下には、血溜まりができ始めている。バーバーはそれを認めた。
「ミカドのこと。もしくは、リタ・オルパート、アイザック・ライクンとの繋がりは。答えるんだ、エイダ・ヒトツバシ」


つづく






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