Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2007年04月05日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第80回

「ミカド。もしくは、リタ・オルパート、アイザック・ライクンとの繋がりのことだ。教えてくれ、エイダ・ヒトツバシ。そうすれば、病院へ連れていってあげてもいい」
 バーバーは言った。顔にかかった、銀髪の三つ編みのウィッグ。それを指先でよける。
「あんたらの言葉なんか、信じる気にはなれないし、だいたいからして、間に合わないさ」
 エイダの顔色は、悪くなる一方だった。血色が失せて、土気色となり、代わりに脂汗が玉となって彼女の顔を飾る。
「考え方次第だ。けど、間に合わないと思ったら、間に合わない」
「間に合わないよ」
「バーバー」慶慎が言った。
 バーバーは振り返らなかった。何も言わなかった。
「じゃあ、このまま僕らは、あなたが出血多量で死に至るのを見届けることになるわけだ。僕らの欲しい情報は一つも手にすることができずに」
「いや、そうはならないさ」エイダが言った。
「いい方法があるじゃないか、バーバー」慶慎はもう一度言った。
「分かってるよ、焔」バーバーが言った。
 エイダは笑った。弱々しい笑い声。
「分かってるさ。あたしが喋らなかったら、あんたたちはヨシトを殺すと脅す。常套手段さ。基本中の基本。全部分かった上で、それを口にしないんだよ。このバーバーってやつも、そこのリヴァってやつも。どうしてか、分かるかい?」
 慶慎は口を開こうとした。バーバーが片手を挙げて、それを制した。
「すまないが」バーバーは言った。「君には、僕がいいと言うまで、口を開かないでもらいたいんだ」
「クレヴァーな子だね」エイダは言った。
「それで生きてる。焔。僕らはね、あえて沈黙してるんだ。正確には、していた、か。沈黙は金、雄弁は銀。あえて、空白で時間を埋めてる。もちろん、手っ取り早く子供の命をネタに脅すことはできる。けど、それじゃ軽い。誰もが知っていて、誰もが飛びつくだろう手段じゃ騒げない。はしゃげない。大した効果も期待できない。安易な行動はね、焔。仕草や言葉の一つ一つを、簡単に軽くするよ」
「でも、それじゃ」慶慎は我慢できずに口を開いた。「君がさっき言ったことだ。彼女は大量出血で死ぬ」
「減点一だ、焔」バーバーは鋭い視線で慶慎を刺した。慶慎は途端に黙る。「全部、分かってる。そう言ったよ。いいかい。僕らは、彼女に考える時間を与えてるんだ。もちろん、いつ大量出血が原因で、彼女が意識を失うかは分からない。それは、彼女も一緒だ。だから、考える。息子を人質に取られているのは、分かってることなんだ。その上で、彼女は考えてる。自分と息子が助かることを。最悪、自分が死んでも助かることを。脅迫で引き出すよりも、彼女自身に考えさせて、その上でした判断で喋らせた方が、得策さ。少なくとも、僕はそう思う。速度が違うんだよ。出てくる情報の質もね。彼女が自分で喋ると決めたら。僕らが脅して引き出すものよりも、もっと上等なものが出てくる。そういうことだよ」
「分からないよ、バーバー」慶慎は言った。
「分からなくてもいい。けど、邪魔はしないで欲しい。そして、今、僕が言った言葉を、記憶にはとどめておいて欲しい。それで十分だよ。時間をかければ、そのうちにふとしたきっかけで、頭に馴染む」
「オーケイ。分かったよ」慶慎は頷いた。
「面倒な仲間を持ったもんだね、あんたも」エイダはバーバーを見て、言った。
「もう、彼も挑発には乗らないよ。もちろん、僕も。彼は今、成長しているところだ」バーバーは言った。
「だから、わざわざ説明してやったのかい」
「そうさ」
「あたしにかけてるプレッシャーが、その分、軽くなることを分かっていて」
「優先順位というものがある。浮上した、彼の問題点を先送りにすることもできる。けど、先送りにした問題はいつか、もっと大きなものとなってまたぶつかる。そうするくらいなら、今、解決策を講じておく。その方が、ためになる」
「あたしにかけるプレッシャーの重さを維持するよりも、そっちの方が優先順位が高いわけだ」
「もちろんだ。あんたは通過点に過ぎない。彼は、仲間だ。この先もつき合っていく。それに、僕も、リヴァも。彼のことが好きなんだ」
「いい仲間を持ったもんだ」エイダは言った。「その子が、そのことに気づいてるかどうかは、分からないけどね」
「気づいてるよ」慶慎は言った。「リヴァも、バーバーも。いい仲間だと、思う」
 エイダは首を振った。
「あんたが思ってるよりも、もっとだ。もっと、いい仲間だよ」
「やめてくれ」バーバーは言った。「照れるから。それに、そろそろ頃合だと思うんだ」
 エイダは頷いた。
「分かったよ。ギブ・アップだ。あたしの負けだ。人が死ぬかも知れないってときに、外野でうだうだと平気な顔して精神論語られるほど、怖いものはない。しかも、それの意味することが分かった上でやられちゃね」
「そんなつもりはなかったんだけどね」バーバーの口許に笑みが浮かぶ。
「嘘つくなよ。あんたの中で、あたしの命がどれだけ軽いかは、よく分かったよ」
「それで?」
「話すよ」エイダは言った。「あたしの意識が続く限りね」


つづく






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posted by 城 一 at 19:48| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第81回

 エイダは少し体を動かした。より、楽な姿勢を探しているようだった。今ではほとんど、横になっているような体勢になっていた。
「さて。何から始めようかね」エイダは言った。「コース料理を出そうにも、あんたたちにとって、どれが前菜でどれがメインディッシュになるのか、あたしにゃ分からない」
 バーバーは、手に持っていた、慶慎の似顔絵を示した。
「これだ」バーバーは言った。「この絵を、どうやって手に入れたのか。あなたはミカドの中で、どれくらいの地位にいて、リタ・オルパートとの関係はどれくらい親密だったのか」
「おそらく、その絵をもらったのは、あたしが最初だ。リタから、直接だ。それで分かるだろ? あたしが、リタの中でどれくらいの位置にいるのか」
「プライヴェートでは?」
「それはない。個人的なつき合いはない。ミカドとしての繋がりだけだよ。あいつとは。最初会ったときに」エイダは一度、そこで言葉を切った。「そこにいる殺し屋のぼうやが松戸孝信を殺したあとでの話だが。そのときに、そのぼうやのことを調べて欲しいと頼まれた。そのときは、その絵はなかった。リタの記憶している限りの、そのぼうやの容姿を聞いただけだった。あと、ケイシンという名前か。大した参考にはならなかったがね」
「アイザック・ライクンとは、直接会った?」
「次にリタがこの店に来たとき、一緒だった。そのときに、絵を渡された」
「あなたは、ミカドではどういう役割を果たしてるんだい?」
「頭。まとめ役だ。人を集めて、情報を集めて。整理して、次にすべきことを決める」
「リタ・オルパートは?」
「リタの役割かい? 詳しくは知らないね。あいつは、別のミカドにいたから。けど、殺し屋ってタイプじゃなかった。情報の流れに関わる方のタイプだ」
 バーバーは顔をしかめた。
「別のミカド? 和製と外国製のミカドのことか」
 エイダはうつむき、咳き込んだ。肩が大きく上下していた。呼吸の音は弱々しい。
「あんたらが、ミカドのことをどうやって分けてるのかは知らないがね。そういうことさ」
「じゃあ、リタ・オルパートの下に、アイザック・ライクンのような兵隊が他にいるかどうかは、知らないんだな」
「それは、リタ・オルパートのプライヴェートに関わる類の話だ」
「どういうことだ」
「アイザック・ライクンは、正確にはミカドじゃないんだよ。何やら、勘違いしてるみたいだから、言っとくがね。アイザック・ライクンはフリーランサーだ。リタの所にいるのは、リタと個人的な繋がりがあるからだ」
「恋愛感情」
「一方通行みたいだがね。アイザック・ライクンの」
「そうなのか? リタとアイザックは恋人関係にあるんじゃないのか?」
「今は、ない。リタは松戸孝信にご執心さ。相手が死んでから、ね。生前は仕事に役立つ駒の一つとしてしか、考えてなかったのに。全く。順序があべこべだ」
 耐えきれず、慶慎は口を開いた。
「ちょっと待って」バーバーが慶慎を見る。咎めるように。だが、慶慎はやめなかった。「ごめん。でも、これだけは聞いておきたいんだ。リタは、松戸孝信を愛してた?」
「だから、言っただろう」エイダは半ば、目を閉じながら言った。「あとづけの感情だ。言ってみりゃ。分かるかい? あいつの頭ん中で、どういう変化が起きてるかなんて、あたしらにゃ分からない。もっと言えば、きっとあいつ本人にも分からない。ただ、言えることは、松戸孝信が死んだあとに、リタは松戸孝信に熱を上げ始めたってことだ」
「そうなることが分かってたら」慶慎は言った。
「分かってたら、なんだい。ええ? よしてくれよ。そうなることが分かってたら、松戸孝信を殺してはいなかったとでも、言うつもりかい?」
「そうじゃない。そうじゃないけど」
「殺し屋にも、インフォームド・コンセントが必要ってわけだ。殺す相手に起きるであろう、心理的変化に関しての」
 慶慎は首を振った。うつむき、言葉を止める。
 音がして、皆、そちらの方を見た。リヴァだった。スツールの上に立って、軽くジャンプし、カウンターの向こうに下りる。リヴァはそこで、自分に視線が注がれていることに気づき、おどけて肩をすくめた。
「気にせず、続けてくれよ」リヴァは言った。「シャイなんだ。俺は」
「気になるよ」バーバーが言った。
 リヴァは返事をしなかった。口笛を吹きながら、カウンターの向こう側、壁のキャビネットに並ぶ酒を物色する。そして言った。
「エイダ・ヒトツバシ。ジンはあるのか?」
「見りゃ分かるだろ。それに、うちはバーだ。あるのは、当たり前だ。ジンを一通り揃えてなくて、何で食べる」
「ミカドの経営」
「馬鹿言うんじゃないよ。ミカドはね。金のためにやってるんじゃない」
「それはそれは」
 リヴァは言うと、棚からジンを見つけ出し、カウンターの上に置いた。次に冷蔵庫の方へ行き、扉を開ける。中から取り出したのはキウイ。手のひらの上で弄びながら、ナイフを見つけ、それを二つに割る。スプーンで中身をくり抜き、シェーカーの中に放り込む。そして、そこにジンを注ぐ。そのあとで、リヴァはスプーンをシェーカーの中に突っ込み、まだ形をとどめているキウイを、潰した。キウイがほとんど形を失うと、ようやくふたをし、シェーカーを振る。
 シェークが終わると、タンブラーを出し、中身を注ぐ。リヴァはそれを、慶慎の前に置いた。
「何?」慶慎は顔を上げて、リヴァのことを見た。
「マティーニだ」リヴァは言った。「フルーツ・マティーニ。お前さんにゃ、これくらい甘いのが似合ってる」
「頼んでない」
「飲めよ、ベイビ。今のお前にゃ、こいつが必要だ」
「僕は未成年だ」
「未成年の飲酒は、法律で禁止されています、か? よせよ。今し方、CZ75を振り回して人を殺したやつの言う台詞じゃないぜ」
「そうだね」慶慎は、床で痛烈なにおいを放ち始めている死体の山を横目に見ながら、言った。
「いや。すまない。俺は口が悪いな。お前に嫌な思いをさせるつもりで言ったわけじゃねえんだ。許してくれ」
「気にしてないよ」
「なあ、ケイ」慶慎はリヴァを見た。リヴァは両手を挙げた。「えー。アルファベットのKだ。今、俺が言ったのは。いいだろ? それなら、お前さんの匿名性も維持される。俺は、お前の小難しいコードネームを忘れて、愛称を呼んじまっても、咎められない」
「屁理屈こねるのが好きだね」慶慎は言った。「もういいよ。それで」
「オーケイ、助かる。それで? せっかく俺が作ったカクテルは飲んじゃくれないのか、K?」
「酒の、何がいいの」
「嫌なことを忘れさせてくれる。無駄に、ネガティブな方向にスピードを上げ過ぎる脳みそに、ブレーキをかけてくれる」
「酒は、有効なの。そういうことに?」
「そいつはちょっと違うが。俺が、そういうことに有効な手段として、酒しか知らないだけだ。医者とかなら、鎮静剤とかを処方するのかもしれんがな」
 慶慎はタンブラーの中身を見つめた。透明な液体の底に、潰れたキウイの身が沈殿している。慶慎は軽くタンブラーを振り、一口つけた。顔を歪める。
「おいしくないよ」
「フルーツを、もっと増やすか?」
 慶慎は口を尖らせながら、マティーニを見ていた。少しして、中身を一気に飲み干した。リヴァは大げさに眉を上下させて、その様子を見守っていた。慶慎はタンブラーの底で、カウンターを叩いた。
「やっぱり、おいしくない」
「いい傾向じゃないか、K。酒をうまく感じないということは、溺れないってことだ」
 慶慎は人差し指と親指を伸ばして、タンブラーに沿わせた。
「そうだね。これくらいの深さなら、まだ“足がつく”から。泳げないやつでも、溺れることはない」
「言うじゃないか。いや、そうじゃなくてだな。具合の悪い脳みそを持つやつは、遅かれ早かれ、見つけるもんだ。自分の脳みそのブレーキになるものを。でもな、良くないのが、たいていのやつが、その“ブレーキ”に溺れちまうのさ。溺れると、ブレーキはなんの役にも立たない。それどころか、そいつの脳みそ自体が役に立たないものになる。分かるか?」
「分かるか、だって? ここに来る前から、バーバーの言うことも、君の言うことも。分からないことだらけだ」
「そいつは困ったもんだな。まあいい。とにかく、酒を覚えても、溺れるな。これだけは頭に止めとけ」
「分かったよ」
 慶慎はバーカウンターに両肘を突き、交差した腕の間に頭を落とした。そして、静かになった。
「酔っ払っちゃったんじゃないのかい?」バーバーがリヴァに言った。
「大丈夫。大丈夫だよ、バーバー」
 リヴァの代わりに、慶慎が言った。眠たげな声だった。顔を埋めているために、声がくぐもって聞こえた。
 バーバーがリヴァを見た。リヴァはカウンターの向こう側で、肩をすくめた。
 しばらくすると、慶慎は顔を上げた。スツールの上で体の向きを変え、カウンターに寄りかかる体勢になる。手のひらで顔を拭った。リヴァが言った。
「大丈夫か、K」
「Kは、なんのKだい、リヴァ?」
「お前の名前の頭文字」
「違う。OKのKだ。大丈夫だよ、リヴァ」
 慶慎の目は、どこか遠くを見ているようだった。口許に、ほのかに笑みを浮かべていた。指先でカウンターを叩いて、BGMに合わせてリズムを取っていた。
「OKのK。killer(殺し屋)のKなんだよ」
 慶慎はそう言うと、喉の奥でくっくっと笑った。拳を口許に当てる。慶慎は笑い続けた。他の誰も、笑わなかった。


つづく






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posted by 城 一 at 17:39| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第82回

「まだ、聞きたいことがある。リタ・オルパートの行きそうな場所は?」
 バーバーが言った。エイダは反応を示さなかった。床に仰向けになり、呆けたように口を半開きにしていた。うつろな目は天井を見ていた。バーバーはエイダの側に膝を突いた。もう一度、同じ言葉を囁く。
 エイダが言った。かすれた声で、呟くように。
「ヨシトはね。かわいそうな子なんだ。実の父親の虐待のせいで、聴覚を失った。かわいそうな子なんだ。だから、乱暴はしないでおくれよ」
 バーバーは、エイダの頬を、手の甲で叩いた。軽く。
「ヘイ。エイダ・ヒトツバシ。僕が聞いてるのは、リタ・オルパートのことだ。彼女の行きそうな場所に心当たりはないか? 僕らは、彼女を探してるんだ」
「リタは怒ってる」エイダの言葉を聞いて、慶慎は体をビクッとさせた。何も言わなかった。エイダは繰り返した。「リタは、とても怒ってる」
「僕はそんなことを聞いてるんじゃない。エイダ・ヒトツバシ。僕は」
「ルーニーも、ヒロヒトも、ジュンイチも、モーガンも。みんな怒ってる。ミカドのやつらは、みんなそう。みんな、怒ってる」
「エイダ」
「カザギワも、ツガも、その他のやつらも。みんな、くそくらえだよ」
「エイダ」バーバーは言った。が、その声はもはや、エイダに届いていないのは明白だった。
「くそくらえ」エイダは言った。「ねえ、ヨシトに優しくしておくれよ。ね。お願いだよ。あたしは」
 エイダの言葉は、そこから、聞き取れなくなった。舌がもつれているようだった。そして、声は弱くなり、消えた。エイダは死んだ。
 慶慎は親指の腹で、しきりに唇の下をさすっていた。音を立てて唾を飲み、頭を強く掻く。
「死んじゃったの?」慶慎は言った。
「ああ」
 バーバーは、床に突いていた両手を叩くように擦り合わせて、手についた埃や細かいごみを落とした。立ち上がる。
「リタは、怒ってる」慶慎はエイダの言葉を、独り言のように呟いた。
「そうだな」リヴァはカウンターの上に両手を突き、言った。「あいつはそう言ったな」
「そうなのかな。リタは、怒ってるのかな」
「知らん。俺は、リタ・オルパートを、資料でしか知らないからな。気になるのか?」
「気になるよ。大事なことなんだよ。誰かが怒ってるのか、どうかってことは。大事なことなんだ。僕は、誰も怒らせたくないんだ。もう、誰にも怒られたくない」
「K。お前、自分の言ってること、分かってるのか?」
「分かってるよ。分かってる」
「ほんとか? お前、誰にも不可能なことを言ってるんだぜ。誰も怒らせることなく、誰にも怒られることなく生きることなんて、無理だ。K。無理なんだよ」
「嫌いなんだ。怒られるのは。もう、十分怒られたよ。僕は。実の父親から、無駄にね」
「K」
 慶慎は、カウンターの方を向いて、スツールに座り直した。空になったタンブラーを、リヴァの方へと押しやる。
「酒をおくれよ。もう一杯」
 リヴァは、慶慎を見た。軽く首を振り、ジンの入った瓶を取ると、中身をそのまま、タンブラーに注いだ。慶慎は、注ぎ終わるのを待たず、タンブラーを取った。リヴァが顔をしかめた。傾けたままの瓶から流れたジンが、カウンターを濡らした。慶慎は気にしなかった。タンブラーの中身を一気に呷る。そして、大きく息を吐いた。
「甘くないね」
「酒の味は変わる。TPOで。出す人の心境で。いつも、甘い酒が側にあるわけじゃない」
「甘いのがいいよ、僕は。たとえ、おいしくなくても」
「誰か、“ベルモット”と囁いてくれるやつを、隣に置いとくんだな」
「意味が分からないよ」
「分かってもらおうと思って、言ってないからな」
「不親切だね」
「不親切さ」
 慶慎は手の甲で目を擦った。涙が滲んでいた。取り繕うようにして、笑う。
「もっと、楽に生きてるやつらは、たくさんいる」慶慎は言った。「毎日、何も考えなくても、生きてくことができるやつらが、たくさんいる。悩みなんかなくて、何もしなくても、朝になったら。昼になったら。夜になったら。ご飯があって、食卓があって、親が笑ってる。そんな食卓が、いくらでもある。どうして僕ばかり、こんな思いをしなくちゃならないんだ」
「そうだな」
 リヴァは顔を背けた。脇で回っているレコードに、視線を注ぐ。今では、低くざらついた声の女が、二人の対照的な男の間で揺れる気持ちを歌っていた。
「こんなに辛い思いをした上に、怒られるなんて。僕は嫌だよ」
「ああ」
「リヴァ」慶慎は言った。リヴァが、慶慎を見る。「僕は、頑張ってるよね」
「もちろん。頑張ってるさ」
「けど、誰も褒めてくれないんだ」
「そうだな」リヴァは言った。「そいつは、きっと、お前が殺し屋だからかもしれないな」
 慶慎は深く溜め息をついた。タンブラーをカウンターの上に置く。
「飲み過ぎたよ。今日は」
 リヴァは、タンブラーを取った。流しに移動させる。
「分かってるだけ、ましだよ。お前は」
 リヴァは言った。
 BGMが消えていた。レコードに入っている曲は、もう終わっていた。


つづく






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2007年04月09日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 総集編




人は間違える だから




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posted by 城 一 at 00:40| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第83回

 酔いは醒め始めていた。
 憂鬱な気分だった。理由? そんなもの、問う方が馬鹿げている。そうしなければ、自分の命が危うかったとは言え。それが、自分の選んだ仕事であるとは言え。また新たに、四人の人間を殺したのだ。いや。エイダ・ヒトツバシを入れれば、五人だ。
 夢。そうとでも考えたかった。が、無理な話だ。慶慎の前には現実に、五つの死体が転がっていて、目に分からないほどゆっくりとした速度で、腐食へと向かっているのだ。
 慶慎はうなだれた。スツールを組み立てる部品のどこかが軋み、高い音を奏でた。手にしたCZ75、スカーレットと名づけられたその銃を、見つめていた。
「今夜は」慶慎は言った。「僕と君が踊って、初めて死人が出た夜ってわけだ。気分はどうだい?」
 銃は何も言わない。慶慎は、何をするでもなく、銃身から一度、弾倉を抜いた。残っている弾の数を確かめ、手のひらでその重みを量り、また銃身に戻した。安全装置をオンにして、ホルスターに差した。
 カウンターの上には、小さな、わらで編んだ皿があった。中に、ガムが入っていた。ミントの入った辛いガムだ。慶慎は一つ取って、食べた。顔をしかめる。鼻がつんとした。苦手な感覚だった。が、死臭を嗅いでいるよりは、いくらかましだった。
 リヴァとバーバーは、カウンターの向こう側にあるドアから、奥の部屋へと行っていた。既に、しばらく時間が経ってしまっていた。慶慎はカウンターを飛び越え、ドアを押した。
 すぐに、部屋があった。廊下はなかった。小さな部屋で、中央にかびくさい木製の、円テーブルがあった。同じ材料で作られた椅子が四つ、テーブルの円に沿って置かれていた。他にも、壁際に二つ、椅子があった。そちらはパイプ椅子だった。壁には、ビール会社の広告ポスターが数枚、貼ってあった。全て、人は違えど、水着の若い女が笑顔で写っていた。ビールの入ったジョッキを片手に、白い歯を見せて。床には、空のビール瓶が転がっていた。チューハイの缶もあった。つまみの入っていたはずの袋。ビールを運ぶのに使う、黄色いプラスチックのケースが、ポスターの貼られた所とは反対の壁際に、山積みになっていた。テーブルの上には、栓抜きがあって、薄汚れたトランプが散らばっていた。吸殻が山になった、アルミ製の灰皿。リヴァもバーバーも、いなかった。彼らが他に行きそうな場所も見当たらなかった。慶慎が入ってきた所の他にはドアもなく、窓もない。慶慎は、リヴァとバーバーの名を呼んだ。
 広告ポスターの女の中に、真っ赤なビキニの女がいた。うっすらと茶に輝くセミロングの髪の女だった。目は細い。目尻は少し、垂れていた。その女が、慶慎には動いたように見えた。いや。実際に、動いていた。正確には、ポスターの貼られた壁が。
 ポスターと同じ形に、壁に穴が空いた。リヴァがそこから、顔を出した。
「どうした。寂しくなったかい、ブラザー」
 慶慎は赤面した。酔って、少し前に自分が口にした言葉を思い出す。苦笑して、肩をすくめた。
「もう、酔いは醒めたよ」慶慎は言った。「ごめん、リヴァ。迷惑をかけたね」
「そんなことはないさ。ジャンプして来れるか? まだ、足下がおぼつかないんだったら、椅子なりビールケースなり、使って来い」
 リヴァが引っ込むのを確認して、慶慎は壁際に行き、飛んだ。手を引っかけて、四角い穴の中に潜り込む。入ってすぐに、穴の突き当たりには光が見えて、出口があることが分かった。少しだけ這って、慶慎は穴の向こう側に出た。
 黒色の部屋だった。床、壁、天井。全てが艶やかな漆黒の木材でできていた。高い台に置かれた、二十数インチのテレビがあり、それを囲むようにして、ソファが置かれていた。黄色いビニール製のソファ。色が深くなっていて、使い込まれているのが分かる。十を超える人がいても、座る場所には苦労しない。ソファとテレビの間に、赤っぽい色の木製のテーブルがあった。膝の高さのローテーブル。開きっ放しの、雑誌が一冊、そこに置かれていた。やりかけのクロスワードパズル。シャープペンシルがはみ出た、布製のペンケースが側にあった。
 両脇には棚があった。ビデオテープ、ハードカヴァーの書籍、文庫本、ノート。整頓されることなく、それらが隙間なく棚を埋めていた。
 バーバーが、棚の中身を一つずつ、丁寧に確かめていた。確かめたあと、手に取っていたものを分類する。彼が気になったものは、ソファに囲まれたテーブルの上に置いた。無用だとされたものは、バーバーはそのまま、床に放り投げた。
 慶慎が部屋に降り立つと、リヴァはソファに座った。テレビでは、ホームビデオで撮影されたのであろうものが流れていた。右上に日時が映っていること、カメラワークなどで、撮影している人間が素人であることが分かる。落ち着きがない。何を撮るべきか、カメラを操作している人間は、理解していないようだった。テレビ番組ではなかった。台の中に設置されたビデオが作動していることで、それが分かった。
 映っている人間は全て、顔にモザイクがかけられていた。場所は、薄暗い建物の中。廃墟のようだった。使えなくなった家具や、ゴミの入った袋が、至るところで山になっていた。何もない、部屋の中央に男が数名集まっている。スーツやシャツ姿の男たち。顔は見えなくても、裏の社会の住人だということが、慶慎には分かった。スーツの内側を膨らませている者もいた。銃が収められているのだろう。他の人間も同じく武装している。慶慎は思った。男の一人が、地面にスーツケースを置き、開いた。中にはオートマティックの銃が二丁、リボルバーが一丁。弾の入った箱が二つ。慶慎はそこで、顔をしかめた。スーツケースの中身を改めようとしている男が、明らかにその場に不釣合いな雰囲気を有していた。他の男たちとは、住んでいる場所が違う。慶慎は思った。日曜日に、子供とキャッチボールをしている方が似合っていそうな感じだった。その男はスーツケースの中身を確認すると、脇に下げていたショルダーバッグを男に渡した。中には札束が三つ。裏の世界の住人たちは札が全て本物なのかどうか確かめ、頷いた。男たちは解散した。カメラはその後、銃を買った男を追いかけた。銃を買った男は家に帰る。一軒家を所有していたが、家族はいないようだった。
 リヴァはリモコンを操作して、ビデオを早送りした。上がったスピードの中でも、画面では延々と、男が普通に生活する姿が映し出されていることが分かった。男はサラリーマンで、普通に会社に勤め、仕事のあとは同僚と居酒屋で酒を飲み、深夜に帰る。寝て、起き、会社へ行く。その繰り返し。男には普通に友人がいて、同僚がいて、上司と部下がいた。バッティングセンターにも行き、ゲームセンターにも行った。誰かがカメラを構えていることもあったし、男自身がビデオを撮っていることもあった。
 リヴァが早送りを止めた。少し、巻き戻して再生し直した。男が数人の人間と、居酒屋で話をしているところだった。客は他にいなかった。居酒屋の店主らしき男が頭を下げ、挨拶をした。それに応じて、他の者たちも頭を下げる。店主が携帯できるホワイトボードをテーブルの上に置き、そこにマジックペンで色々と書いていた。人の名前。どこかの地図。建物の見取り図。同席している者たちは、ノートや手帳に、各々、それを書き取っていた。
 同じ顔ぶれの会合が何度か重ねられた。そしてある日、どこかの建物の地下駐車場に、彼らが集まった。一般人にしか見えないのだが、皆、手には銃器を手にしていた。ほとんどが拳銃なのだが、一人だけサブマシンガンを持っている人間がいた。若い、二十代の男だった。その男は、周りからサブマシンガンを持っていることを褒められているようだった。男は照れていた。ビデオの中心となっている男は、オートマティックの銃を手にしていた。一台のセダンが駐車場に滑り込んできて、彼らの表情が一変した。銃を半ば、体の陰に隠すように持ち、散る。車を囲むようにして。統率の取れた動きだった。会合を重ねた成果のようだった。やがて撃ち合いが始まった。相手は裏の世界の住人のようで、銃を撃ち慣れていた。ビデオの男の仲間が数人死んだ。ビデオの男は怖じ気づくことなく走り、そして、標的にたどり着いた。その頃にはもう、標的もかなりの傷を負っていて、瀕死だった。ビデオの男は銃口を標的に突きつけた。標的は、こんなことをしておいて、ただで済むと思ってるのか、と言った。ビデオの男は言った。
「お前たちが先に始めたことだ」
 標的は顔をしかめた。言葉が理解できないようだった。ビデオの男は引き金を引いた。標的は頭に銃弾を受け、死んだ。ビデオはしばらくの間、地下駐車場の惨事を映していた。男の仲間、標的。全てを、丁寧に映していた。
 突然、モザイクが取れた。男の顔が鮮明に映し出される。男は、ビデオに向かって微笑んだ。そして言った。
「私は橋崎孝好(はしざき たかよし)。四十三歳だ。妻と娘がいた。今はいない。死んだ。殺されて。街のくずどもの争いに巻き込まれて。今、殺したのは、その争いを引き起こした人間の一人だ。モンゴメリ・ファミリーというマフィアの頭だ。ロイド・モンゴメリという男だ。小さなマフィアだ。小さな縄張り争いのために、妻と娘が死んだと思うと、許せなかった。だから殺した。本当は。殺さなければならない人間は、もっとたくさんいる。だが、私はもう疲れた。仲間も死んだ。だから、私はもう、ここでやめる。このビデオを見ている人に言っておく。これは。この道の先には、幸福はない。もし、あなたに、幸福になれる道があるのなら、迷わずそちらを選ぶことをお勧めする。だが。どう考えても、幸福にたどり着ける道が思い浮かばないのなら。既にその道は、過去のものとなってしまったのなら。全て捨てる覚悟があるなら、この道を選んでもいいだろう。私には、それ以上のことは言えない。私の選択が正しかったとも言わない。が、私にはこれ以外に道が思いつかなかった。ただ、それだけだ。ただ、それだけ」
 橋崎と名乗った男はそう言って、もう一度、カメラに向かって笑いかけた。そして、銃口をくわえ、引き金を引いた。男は地面に倒れた。カメラは、パトカーのサイレンが聞こえるまで、男の死にざまを映していた。
 ビデオはそこで終わっていた。画面が黒くなり、ビデオががちゃがちゃと音を立て、巻き戻しを始めた。


つづく






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posted by 城 一 at 04:51| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第84回

「これが、どうかしたの?」
 ビデオデッキからビデオを取り出すリヴァに、慶慎は言った。確かに、普通の一般家庭にあるべきホームビデオとは、内容が異質だった。しかし、それが意味することが分からない。
 依然として、棚に収まっているものの分類をしているバーバーが、代わりに答えた。
「僕らにも、分からない。けど、この部屋の中に雑然とあるものの中に、似たような内容のものが点在してるんだ。普通の映画や、テレビ番組を録画したものに混じって、今観たようなビデオがあったり、家計簿やメモ、日記的な使われ方がしているものに混じって、そのビデオと同じような内容が書かれたノートがある。書類をコピーしたものとかね」
 リヴァが、手にしたビデオを示しながら、つけ加えた。
「こいつ一本だけなら、俺だって見向きもしなかったかもしれない。けど、こうして隠し部屋に、さらに棚になんでもないビデオに混じって隠れるようにしてあった上に、同じような内容のものが他にもあるとなると、違ってくる。なんでもない、変態が楽しむために、裏ルートで手に入れたスナッフ・ビデオだとは、ちと考えにくくなる」
「スナッフ・ビデオ好きの変態たちが集まって、ビデオを鑑賞する部屋だったのかもしれない」
 慶慎は言った。
「その可能性も、否定はできない。だから、“分からない”と言ったのさ、バーバーは」リヴァは言いながら、ソファに戻った。バーバーが、置いたノートをテーブルの上から取り上げる。ページをめくりながら、続ける。「が、俺は違うと思う」
「なぜ?」
「勘だ。そいつを裏づけるためには、時間が必要だ。この部屋にあるもののほとんどを、調べてみなきゃならない」
 慶慎は部屋を見回した。棚は分厚く、可動棚もついており、かなりの量の書籍やビデオテープが収まっている。全ての内容を確認するためには、膨大な時間がかかることは、明らかだった。どんなに睡眠時間を削ろうとも、数日は要するだろう。
「僕がやったことだけど」慶慎は言った。「ひと暴れしたあとだ。できるだけ早く、カザギワに連絡して、後始末を頼まなきゃならない。時間はないよ」
「確かにそうだ」リヴァは頷いた。顔は上げない。ノートをめくる手も、止めない。
 慶慎は、ビデオの再生が止められ、画面を黒くしたままのテレビを見つめながら、言った。
「こういうのは、今まであったの?」
「こういうの?」
「スナッフ・ビデオ。もしくは、それに準ずるもの。人を殺す様子を収めたビデオ。記したノート。その他、書類」
「あったのかもしれない。なかったのかもしれない。その辺も、確認してみなきゃならない。あっても、素通りされれば、意味のある情報としては残ってないからな。やることはたくさんある」
「所詮はやくざってことかな。繊細な感性を持っていないと、こういうのは気にしない。ただの変態の趣味の一環として片づけてしまう」バーバーは、分類の手を休めずに言った。
 リヴァは笑った。
「その辺は、あまり言えないな。俺たちだって、やくざ者なんだぜ、バーバー」
「立場は。でも、中身は全く違う」
 リヴァは肩をすくめた。そして言った。
「ツガ組でも、大きく四つに分かれてる上に、俺たちゃルーキーだ。青龍、朱雀、白虎、玄武。派閥間の交流がどれくらい活発なのかも知らない。場合によっては、つまんねえ意地から、情報の共有も行われてないかもしれない」
「ツガとカザギワにも、同じことが言えるかもしれない」慶慎は言った。
「そうだな。むしろ、そっちの方が顕著だろうさ。ツガとカザギワは、友好関係にあるが、まだつばぜり合いはあるみたいだからな。どっちが優位に立つか、での」
「せめて、僕らの間ではしたくないね。リヴァ。バーバー」
 バーバーが慶慎を振り返って、微笑んだ。
「もちろんだよ、K」
「そこまで浸かったりはしねえよ」リヴァは言った。今さっき見たビデオテープを、慶慎に放る。慶慎は危なげなく、片手でそれをキャッチして見せた。「持ってけ。一度観たから、内容は分かってる」
「これを、どうすればいいの?」慶慎は言った。
「高田とか、井織とか。カザギワの中で、情報管理を担当してるやつに渡す。もちろん、渡すだけじゃ駄目だ。そういった内容のものがたくさんあったことを言う」リヴァは、内容を改めていたノートを閉じた。それも、慶慎に渡した。「これも、渡していい」
「伝えるのは、今、言ったことだけでいい?」
 リヴァは少し考えてから、言った。
「俺が今、大事だと思ってるのは、人を殺す内容ってことだけじゃない。どこにでもいる、一般人とされるやつらが、裏の世界の住人と接点を持ち、殺人に至るって部分だ。こいつは、正確に伝えて欲しい。それが、ミカドとされるやつらが集まっていた場所にあった」
 慶慎は、リヴァの言ったことを、頭の中で反芻した。そして、頷いた。
「オーケイ」
 リヴァがさらに、ホッチキスで綴じられた書類を、慶慎の手元に追加した。
「これも持ってけ。で。そろそろ、連絡した方がいいな」
「そうだね」
 慶慎はジーパンのポケットから、携帯電話を取り出した。画面を確認して、軽く手の中で振る。リヴァが、どうした、と言った。
「電波がない。外へ行ってかけてくるよ。後始末をするとなったら、場合によってはここにあるものを処分しないとならないかもしれない。もしくは、呼んだ警察に持っていかれるかも。必要だと思うものは、取っておいて」
 リヴァは口許を緩めて、にやりと笑った。
「既にやってるさ」
 慶慎は頷いて、隠し部屋を出た。片手に、リヴァから渡されたものを抱えながら。隠し部屋を出ても、電波は回復しない。通話不能だった。バーの奥にある事務所を出て、バーの中に出た。
 携帯電話の画面上に表示されているアンテナマークが回復した。慶慎の耳に銃声が聞こえるのと同時だった。
 慶慎が小脇に抱えていたものが、床に落ちた。


つづく






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posted by 城 一 at 00:44| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月13日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第85回

 銃弾が穿ったのは、バーの壁。慶慎の体にはかすりもしなかった。当たらなくて良かった。慶慎は思った。銃弾が体にもっと近いに着弾していて、慶慎の命を脅かすものになっていたら。加減はできていなかった。
 二発目は撃たせなかった。跳躍し、小さな影を床に組み敷いた。慶慎は唾を飲んだ。銃声が瞬間的に呼吸を乱していた。異常な速度で刻まれる脈拍。再度、慶慎を狙おうとする銃口を弾き飛ばした。リボルバーは、回転しながら床を滑っていった。
「何をやってるんだ」
 慶慎は言った。
 銃を撃ったのは、子供だった。エイダの息子。ヨシト・ヒトツバシ。慶慎の体の下で、拘束から逃れようと、わめき、もがいている。口から発せられるものは言葉にはなっておらず、人の子供の形をしていながらも、獣のようにも見える。
 慶慎は、子供の顎を掴み、無理やり自分の方を向かせた。涙が溢れ続ける、幼い二つの目。慶慎の顔を捉えると、憎悪を込めた視線が飛んできた。慶慎は目をそらしそうになった。こらえた。
「分かってるのか。自分のやってることが」
 ヨシトは答えない。慶慎はそこでようやく、自分が組み敷いている子供が、聴力を持っていないことを思い出した。が、どうしようもなかった。慶慎は、手話を知らない。
 子供はもがき続ける。振り回された指が、慶慎の顔を引っ掻こうとする。慶慎は子供の自由を奪いつつも、その手の届かないように距離を取ろうとした。難しいことだった。指先が目に入りそうになる。慶慎は、子供の頭を、軽く床に打ちつけた。
「やめろ」慶慎は歯を食いしばりながら言った。「これ以上、君を傷つけたくない」
 ヨシトはやめなかった。慶慎の言っていることが、聞こえないのだ。やめるはずがなかった。いや。聞こえたところで、やめたかどうかも分からなかったが。母親を殺されたのだ。怒りで満たされた幼い子供の中に、“冷静”の二文字は欠片もないだろう。
 銃とナイフ。慶慎は考えた。より、効果的な方を。そして、ボウイナイフを掴んだ。やめろ。慶慎はそう叫びながら、ナイフをヨシトの顔、すぐ横に突き立てた。
 そのつもりはなかった。が、ヨシトの顔が動いたお陰でナイフの刃が、その頬をかすめた。ヨシトの頬に赤い線が走る。それは少しの間、形をとどめたあと、血を流して崩れた。重力の導く方へと、鮮やかな赤色が流れていく。
 静寂が訪れた。ヨシトは視界のすぐ横をよぎった銀色の刃に、身をすくめた。死の恐怖が、ようやく怒りを上回ったのだ。涙だけが、静止を受け入れず、目尻から溢れる。
 慶慎は溜め息をついた。思いがけず、脱力していた。ヨシトは抵抗を諦めたものと思ったのだ。が、違った。
 ヨシトは、慶慎の隙を見逃さなかった。いや。体で感じたのかもしれない。密着した、“敵”が油断したのを。ヨシトは身を翻して駆けた。すぐ側にピストルが落ちているのを見つけた。
 慶慎は首を振った。
「お願いだから、やめてくれ」
 銃声が轟く。無視して、慶慎はゆっくりと立ち上がった。ボウイナイフを握る手に、力がこもる。慶慎は言った。
「君の筋力じゃ、当てることはできない。狙えば、狙うほどだ」
 事実、ヨシトの両腕は、銃声が鳴り響く度に、大きく跳ね上がっていた。銃弾は、今度も慶慎から離れた所へと飛んでいく。
 慶慎はじりじりと、一歩ずつ、ヨシトへと近づいた。恐怖が、全くないわけではなかった。慶慎の体も、銃弾が発射される度に、震えた。やめろ。一歩進む度に言った。ヨシトはやめなかった。
 エイダの言葉を思い出していた。実父の虐待のせいで、聴力を失った。彼女はそう言っていた。ヨシトは、自分と同じものを持っている。血の繋がり、そして愛情という、呪わしき言葉の混じった暴力を受けている。それによる、心の傷を持っている。そして、慶慎以上に傷ついている。耳が、聞こえないのだ。これ以上、傷つけたくなかった。
 しかし、ヨシトは、慶慎に銃口を向けるのをやめない。慶慎は足を止めた。息を小さく吸い込む。足に力を溜める。もう何度目か分からない銃声が、また鳴った。慶慎は飛んだ。
 銃弾は天井へと飛んでいた。慶慎は、バレルを片手で、下から掴み上げていた。もう片方の肘ごと、体当たりするようにして突進した。ヨシトはその衝撃で後頭部を壁にぶつけ、気を失った。慶慎の肘は、ヨシトの顎下に潜り込んでいた。喉を圧迫していた。そのせいか、ヨシトは口から、軽く舌を伸ばしていた。
 握ったボウイナイフの切っ先が、ヨシトの喉の、すぐ側にあった。
 慶慎は目を閉じた。このまま、この子供を殺すべきだ。そう、頭のどこかが命じていた。本当は、そうすべきでないことは分かっていた。が、ナイフを収めることができなかった。慶慎は、ナイフを何度も握り直した。荒々しい、自分の呼吸音と脈拍を聞いていた。その音が、鼓膜から頭の奥にまで入り込んできて、意識を支配する。唇を舐めた。唾を飲んだ。大げさに上下する胸がうざったい。慶慎は目を開いた。
「やめとけ。K」
 それは呪文のように、ナイフを握る慶慎の手から、力を奪った。ボウイナイフは、甲高い音を立てて、床でバウンドした。慶慎は大きく息をつきながら、ヨシトから離れた。ピストルを取り上げ、それも床に捨てた。その場で立ち上がる。
「ありがとう、リヴァ」
 慶慎は、振り返りながら、そう言った。開いた、事務所へ通じるドアに寄りかかって、リヴァがいた。腕を組み、慶慎のことを見つめていた。
「なんの礼だ?」リヴァが言った。
「君が止めてくれなかったら、この子を殺してたかもしれない」
「じゃあ、殺さないんだな」
「ああ、殺さない」
 リヴァは何度か、小さく頷いた。そして、言った。
「携帯の電波は? 通じたか?」
「うん」
 言いながら、慶慎は携帯電話を開いた。アンテナマークが三つとも表示されているのを確認して、カザギワへ繋がる電話番号を探した。踵を返し、気絶するヨシトに背を向けた。


つづく






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posted by 城 一 at 17:47| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第86回

 長くはかからなかった。三十分ほど待ったところで、カザギワの構成員が数名と、二人の刑事がやって来た。店内の様子を確認すると、騒ぎを最小限にする方法を話し合い始める。そこに、慶慎たちは加わらなかった。加わらなくていい、と言われたのだ。ただ、慶慎はミカドの者たちを殺すのに使ったCZ75とボウイナイフを置いていくように言われた。そのようにした。取り上げられることはないから、安心するように。銃とナイフを受け取った男が、慶慎にそう言った。代わりの銃とナイフを、慶慎は受け取り、ホルスターに収めた。
 リヴァとバーバーは、隠し部屋にあるものの分類を、既に済ませていた。ビデオテープ、ノート、書類。全て、ドラムバッグとリュックサックに詰め込んだ。
 ヨシト・ヒトツバシは、気を失ったままだった。後始末のために集まった男たちは、ヨシトがまるで置きものとでも思っているようだった。見向きもしなかった。慶慎は、男の一人に、ヨシトのことを言った。まだ、生きていること。母親は、すぐそこで死んでいる、エイダ・ヒトツバシだということ。実の父親から、虐待を受けていたこと。そのせいで、耳が聞こえないこと。男は頷き、分かった、と言った。慶慎はまだ、伝えなければならないことがあるような気がしたが、それ以上言葉は出なかった。よろしくお願いします、とだけ言った。リヴァ、バーバーとともに、店を出た。荷物をトランクに積み込み、三人を乗せて、スカイラインは発車した。
「どうなるんだろう」
 慶慎は、後部座席で言った。
「何がだ」リヴァが言った。助手席。エイダの店から持ってきたノートのページを繰っている。
「あの子だよ。エイダ・ヒトツバシの息子」
「さあな。俺は、こういうときの、カザギワの方針を知らない」
「なら、ツガの場合はどうするの。こういうとき」
 リヴァは少し黙り、思案してから言った。
「そうだな。訂正する。俺は、こういうときの、“大人”の方針を知らない。ツガ組の方針も分からないんだな、考えてみると。まだ、入ったばかりだ」
「そう」
 慶慎は言った。目を覚ましたヨシトは、どんな気持ちになるだろう。見知らぬ男たちに囲まれていて、母親の死体が、まるでもののように扱われる。そんな光景を、目の前にして。
「気になるのか?」リヴァが言った。
「僕と、同じだから」
「よせよ、K。虐待された経験のあるやつ全員に、感情移入して生きてくつもりか?」
「そんなつもりじゃないけど」
「そう言ってるんだぜ、お前。気づいてないのかもしれないけどな」
「解釈が極端だよ、リヴァ。僕はただ、気になったから、気になるって言ってるだけだ」
「そうか」リヴァは前を向いたまま、小さく頷いた。「言われてみりゃ、確かにそうだな」
「そうだよ」
「そうだな」
「さっきの話なんだけど」慶慎は言った。
「なんだ?」
「ヨシト・ヒトツバシの話。彼が、どうなるかって話」
「ああ」
「君なら、どうする、リヴァ? それなら、答えられるだろ?」
 バーバーは、スカイラインを、ゆっくりと走らせている。制限速度を超えて、せいぜい五キロの範囲を守っている。車が持っているポテンシャルを、街行く人々に見せつけようとしたりはしない。窓の外を、建物の群れが流れていく。
「リヴァ」バーバーが言った。
 リヴァは、ノートのページをめくる速度を上げた。最後のページにたどり着いたところで、ノートを閉じる。そして、言った。
「母親は、ミカドの人間。お前の“仕事”の様子を見てるかもしれない。そのことを、誰かに言うかもしれない」
 慶慎は腹の奥が軋むのを感じた。膝と膝の間で、祈るように手を組む。
「彼は聞かなかったよ。あの子供が、僕の“仕事”を見たかどうかなんて」
「彼?」
「僕が、ヨシト・ヒトツバシのことを言った男の人だよ。僕が、ヨシトのことを言ったら、分かった、と答えた」
「だから」リヴァは言った。「カザギワの人間の考えてることに関しては、俺は分からない」
「じゃあ。君が、聞いたとしたら。ヨシト・ヒトツバシについての話を」
「誰であれ。子供であれ。ミカドの人間で、お前に関係のない者のことなら、聞き流す」
「なぜ」
「意味のないことだからだ」
「無意味なんかじゃない。あの子は、僕が殺したんだけど、母親をなくしていて、実の父親から虐待を受けていて、そのお陰で耳が」
「関係ない」
「どうして」
「知ったところで、助けられないからだ。助ける理由もないからだ」
「彼は、子供だ。生きてるんだ」
「敵側の人間だ」
「何も、見てないかもしれない。ただ、巻き込まれただけなのかもしれない。それは、僕らに確認しなきゃ分からない」
「そいつは確認しなかった。確認する必要がないと考えたからだ。それはどういうことか。ヨシト・ヒトツバシの命は、そいつにとって、ものと同じだってことだ。邪魔になった場合、なかったことにする」
「なかったことにする?」
「殺す」
 慶慎は歯を食いしばった。
「子供の命だ」
「余計なリスクを抱え込むには、値しない、と考える」
「かわいそうだとは思わないの」
「一応、言っておくけどな、K。俺が言ってるのは、たとえ話だ。怒りを俺にぶつけられても困る」
「分かってるよ。いいから、答えてよ」
「かわいそうだと思うか。思わない。いや。思わないようにする、ってのが正解かな。一瞬でも感情のスイッチがオンになれば、かわいそうだと思っちまえば、きつい。辛い」
「どうして感情のスイッチをオフにしなきゃならないんだ」
「裏の世界で長生きする秘訣だからだ」
「くそくらえだ、そんな秘訣」
「そうだな」リヴァは言った。「確かにそうだ」
 慶慎は、組んだ手で額をこつこつと叩いた。目を閉じる。ヨシトの顔が脳裏に浮かぶ。ちくしょう。呟く。リヴァの言うように、感情のスイッチを切る方法を、慶慎は知らない。唇を噛んだ。ヨシトの顔は消えない。慶慎は目を開いた。
「バーバー。戻って」慶慎は言った。「エイダの店に、戻って」
 バーバーは無言のまま、リヴァを横目でちらりと見た。
 リヴァは頷いて、言った。
「俺たちが言うことを聞かなかったら、こいつをただちに飛び降りるだけだ。もしくは、銃口をこめかみに突きつけて、無理やり言うことを聞かせるか」
 バーバーはブレーキを踏み、ハンドルを素早く回した。スカイラインはタイヤを滑らせながら、百八十度回転し、元来た方向へ頭を返した。
「ありがとう、リヴァ」慶慎は言った。
「礼の言葉は多分、あとにした方がいい」
 リヴァは言った。


つづく






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posted by 城 一 at 04:35| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第87回

「悪い傾向だ、K」
 ハンドルを握りながら、バーバーが言った。
「傾向なんか、どうだっていい。飛ばしてよ、バーバー」
 バーバーは、前を向いたまま、小さく鼻を鳴らした。アクセルをじわりと深く踏み込む。スカイラインが唸りを上げる。視界に映る建物群の姿が、流れてうつろになる。フロントガラス越しに前方を見ていると、まるで、道路とスカイラインが、元は一つだった建物を真っ二つに切り分けているような錯覚に陥る。
 慶慎は、拳を唇に当てた。スカイラインは、ほぼ倍の速度で、来た道を返している。が、それでも慶慎には遅く感じた。一秒一秒が、重い。
 エイダの店が見えた。
 車が止まるのを待てなかった。慶慎はドアを開け、飛び出した。歩道を少し転がり、受け身を取り、走る。店の前には見張り役の男がいた。黒いスーツ姿。坊主頭。走ってくる慶慎に、一度、警戒の色を見せたが、見覚えがあるのを思い出したらしく、元の体勢に戻った。
「どうした」男は言った。「トラブルか?」
 慶慎は無視して、中に入ろうとした。男が足をスライドさせ、前に立ちはだかる。同じ言葉を繰り返した。慶慎は手のひらを見せるようにして両手を挙げた。
「子供は」慶慎は言った。
「何?」
「子供は、どうなった」
 男は眉をしかめ、首を振った。スーツの襟元に小さなマイクがついていた。よく見ると、耳にはイヤホン。男はイヤホンを押さえ、マイクを引き寄せて、何ごとか囁いた。中の人間と話しているようだった。
 慶慎は、マイクを指差して、言った。
「聞いて。中の人たちに。子供は、どうしたか」
 後ろから足音がした。慶慎は振り返らなかった。誰が来たか、分かっていた。リヴァとバーバーだ。坊主頭の男は、眉間に皺を増やした。
「なんなんだ、お前ら。なんのつもりだ」
 リヴァが、慶慎の横に並んで言った。
「なんでもない。ただ、ちょっと忘れものをしただけなんだ。中に入らせて欲しい」
「ちょっと待ってろ」男は言った。
「話にならない」
 言って、慶慎は男の脇をすり抜けようとした。男の手が伸びて、慶慎の腕を掴んだ。振り払う。
「ヘイ」
 男は声を上げた。さらに強い力で、慶慎を止めようとする。
 慶慎は脇に垂らしていた腕を小さく振って、男の股間を甲で打った。呻き、下がってきた男の顎を掌底で打つ。見張り役の手が、それ以上伸びてくることはなかった。
 リヴァが慶慎の名を叫んだ。慶慎は振り返らなかった。階段を駆け下りた。
 ドアを開け、入ってすぐの場所に、ヨシトはいたはずだった。店に入るなり、慶慎はそちらに視線を巡らせた。店の中にいる者たちの視線が、自分に集中しているのを感じた。構わなかった。
 紺色のスーツを着た男が、そこにいた。慶慎が預けたCZ75を持っていた。銃口は、ヨシトの方へと向けられていた。慶慎は肌が粟立つのを感じた。
 体が先に動いていた。ハイキック。高い音で空気を鳴らす。紺色のスーツの男は、白目を剥いて昏倒した。
 慶慎は、そこで動きを止めた。店の中にいる者全員が、銃口で慶慎を狙っていた。
「なんのつもりだ、お前。返答次第じゃ、命の保証はない」
 濃い灰色のトレンチコートを着た男が言った。手にしているのは、小型のリボルバー。
 慶慎は、自分を狙う銃口全てを、ねめるように睨んだ。
「この子供は、連れていく」慶慎は言った。
「なぜ」
「理由が必要なのか」
「もちろんだ。今、ここにあるものは俺たちが管理している。それもこれも、お前さんのフォローのためだ」
「それには礼を言うけど」慶慎は言った。「少し、違う。この子の命は、誰の管理下にも入っていない」
「何を言ってるんだ、お前。分かってるのか」
 リヴァとバーバーが階段を下りてきた。並ぶ銃口の一部が、二人を一瞥する。リヴァは両手を挙げておどけた。
「ヘイ、ヘイ。よしてくれ。口、鼻、耳、ケツ。穴は全部間に合ってる」
 トレンチコートの男は、リヴァを見た。
「お前も。何がしたいんだ、お前たち」
「いたってシンプルだ。俺たちは、このがきを連れていきたい」リヴァは、首を傾げてヨシトを示した。
「理由は」男が言った。
 慶慎が唸るように言った。
「子供の命を助けるのに」
「ストップ、だ。K」リヴァは横目でちらりと見て、慶慎の言葉を止めた。「理由は、もちろん必要だ。いや、何。大したことじゃない。このがきは、この、反抗期真っ只中の殺し屋君の知り合いの、子なんだ」
 もちろん、違った。リヴァは口からでまかせを言っていた。慶慎はリヴァを見そうになったが、やめた。嘘だということがばれる。
「そういうこと」慶慎は、男たちを睨んだまま、頷いた。
 トレンチコートの男は、慶慎たちとヨシトを交互に、何度か見た。そして、深く息を吐いた。銃を下ろせ、と振り返らずに、店の中にいる者たちに言った。慶慎たちを狙っていた銃口が、全て床を見てうつむいた。二人組の男が、何事だ、と言った。刑事だ。トレンチコートの男は、少し誤解があったようだ、と言った。もう解決した、とつけ加えた。刑事たちは、慶慎のことを一瞥し、元の作業に戻った。店の中のものをメモに書き取っていた。
 トレンチコートの男は、煙草をくわえた。取り巻きの一人が、ジッポライターを鳴らして火をつける。男は煙を吐き、言った。
「一つ、貸しにしておく。焔だったな。お前のコードネーム」
「ええ」
「俺の名前、覚えておいてもらおう。ムコジマだ。向こうにある島と書いて、ムコジマ。何かの折に、貸しは返してもらうぜ」
 慶慎は、ムコジマを睨んだきり、何も言わなかった。まだ気を失ったままの、ヨシトを抱え上げる。ムコジマはそれを見て、鼻を鳴らした。リヴァが、言い訳をするように、言った。
「無愛想なやつなんだ」
 ムコジマは首を振った。
「どうしてこんな、ケツの青いがきを殺し屋に採用したかね、ボスは」
「熟せば使いものになるからさ、ミスタ・ムコジマ」リヴァは言った。
「お前さんは、そいつと同じくらいの年に見えるのに、ずいぶん熟してるみたいだな」
 リヴァは口許を緩めた。
「成長には個人差がある」
「なるほど」
 慶慎を先頭にして、三人はエイダの店を出ようとした。ムコジマが最後につけ加えた。
「お前ら。カメラがあったのを知ってるか」
 最後尾にいたバーバーが、顔をしかめて、言った。
「カメラ?」
「そうだ。無線式のやつだ。方法さえ分かってれば、ここにいなくても、カメラの映像をパソコンで見ることができる。店の中を映してた。三つ、カメラはあった。もちろん、全て潰したが。視線で“感じる”たちじゃないんでな」
 バーバーは舌打ちした。
「カメラのこと、気づかなかった。僕も、まだまだ甘いな」
「せいぜい、精進するんだな。ツガのがきども」ムコジマは言った。バーバー、リヴァを通り越して、慶慎を見る。「そして、お前も。いいか。仕切ってるのが俺じゃなくて、もっと短気なやつだったら。お前も、店ん中に転がる死体と一緒に処理されててもおかしくなかった」
「やれたら、の話になるけど」慶慎はムコジマを一瞥して言った。
「やれたら?」ムコジマは眉を寄せる。
「僕をミカドのやつらの死体と一緒に、並べることができたら、の話でしょう。ま、言うだけはただですよ」
 ムコジマは鼻を鳴らした。
「長生きしろ、少年」
「なぜ」
「俺の言ってることが。そこにいるやつらのありがたみが、分かる時期が来る」
「そう願いたいですね」
 慶慎は言った。階段を上り始める。もう、振り返らなかった。


つづく






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posted by 城 一 at 00:28| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第88回(ver 3.0)

 高い天井からぶら下がった裸電球が一つ。強烈な光を放っている。が、部屋は広い。光量はそれで十分か、少々足りないくらいで、部屋の末端にはうっすらと影ができていた。夕暮れを過ぎて、大きな窓にはカーテンが閉められている。
 木造で、床板は乾き、元は有していたはずの瑞々しさは欠片もない。部屋の一方には、大小の絵画や、まだ使われていないカンバスが、むくろのように山を作っていた。かなりの時間が、それらの上に埃とともに降り積もっているのが、見て取れた。
 部屋の中央で、全裸の女が微笑んでいた。女の白い肌は光を弾ませ、その足跡で輝いている。やんわりと曲線を描く乳房。その先端を彩る乳首。赤茶色の陰毛と頭髪。今のところ、リタ・オルパートに羞恥心は存在しないようだった。衣服を身につけないことが、当たり前であるかのように振る舞っている。室温については、問題ない。リタの後方には、大型の薪ストーブがあり、部屋を照らす光と同じくらいの熱量を放っている。
 リタの側に、長方形の木製のテーブルがあった。その上に、ノートパソコンが置いてあった。画面には、<エイダの店>の店内の様子が映っている。リタの視線は、そこに注がれていた。鮮やかなオレンジ色に塗られた、彼女の唇が笑みで上方に緩やかなカーブを描いているのも、そのせいだった。リタは、上唇の内側を舌で舐めた。
「嬉しそうだね、ダーリン」
 男の声がした。
 アイザック・ライクンだった。イーゼルに立てかけたカンバスを前に、鉛筆を握っているところだった。が、その手は、リタがパソコンの画面に気を取られた辺りから、止まりかけている。たとえ動いても、カンバスの上には申し訳程度の線しか描かれない。カンバスには、リタの裸体が描かれていた。鉛筆による、ぼんやりとした白黒で。色がないせいなのか、カンバスの上のリタは物憂げな表情に見えた。絵は八割方でき上がっていた。ただ、まだ未完成な分、生命力を放つまでには至っていなかった。アイザックは続けた。
「できれば、あまり動かないで欲しいんだけど」
「何言ってるのよ、ベイビ。あれだけ苦労して探してたぼうやが、今そこに、映ってたのよ。じっとなんか、してられないわ」
 パソコンには、慶慎がヨシトを連れて行った後のエイダの店の様子も、引き続き映っていた。ムコジマたちは、自分たちが破壊した物で全てだと思っていたが、まだ監視カメラは残っていたのだ。
 アイザックは、絵を描き続ける気をそがれたようだった。アイザックは上半身裸で、下にはスウェットのパンツを履くのみだった。裸足だった。義手もつけていない。肘の辺りで途切れている左手は、肉と皮が複雑に歪みながら絡み合って、切断面を見せている。アイザックは、鉛筆を持っている右手で、こめかみを掻いた。
「カメラの隠し場所を考えるのは、正直、面倒くさかったけど」リタは言った。「備えあれば憂いなし、というやつね。ちゃんと考えて隠しておいて、正解だったわ。こうして、画面越しにぼうやと対面することができた」
「それはそれとして。ねえ。こっちに集中してくれないと、君の美しい肢体の描写が、おろそかになるよ」
「そんなの、くそくらえよ、アイザック。ねえ、車を出して」
「リタ」
「早くしないと、あのぼうやの沸騰してる様子を見ることができないわ」
「急いだって、見れないよ。実際、もうカメラには映ってないわけだし。そんながきのことなんか、どうだっていいじゃないか」
「よくないわ。それに、行かなきゃ可能性はゼロのままよ。行けば、可能性はコンマ何%かでも、発生はする」
「リタ。単刀直入に言っていいかな。僕は、いい加減、君とセックスがしたいんだ」
 リタは気だるげに目を閉じ、首を振った。しとしとと歩を進めてアイザックの所へ行き、その裸の胸に手のひらを乗せる。
「ねえ、アイザック。お願いだから、つまらない事を言って、あたしを失望させないで。セックスなんて、そんなもの、体と体を繋げる手段でしかないわ。そして、あたしたちの関係を、体だけの繋がりに貶めかねない。分かる? あたしの言ってること」
「分かるよ。分かるけど、僕は言葉よりも確かなものが欲しいんだよ」
「そういうものを、あなたにあげることはできる。いつだって。今、すぐにだって。でもね、アイザック。すぐに手に入るということは、その程度の価値しかない、ということなのよ。一過性のもの」
 言いながら、リタはアイザックに身を寄せる。片方の手のひらで、膨張し始めているアイザックの股間を探る。口許が笑みに歪む。
「ねえ」
「あたしのこと、どう思っているの」
「愛してるよ、リタ」
「なら、そのように扱って。性欲を処理するための道具じゃないのよ、あたしは。愛しているのなら、あたしたちの関係を、きちんと愛で彩って」
「けど」
 リタは一度、自分の唇に触れた人差し指で、アイザックの唇を触った。指の先端を潜り込ませ、アイザックの舌が、それにまとわりつくのに任せる。少ししてから、リタは、アイザックの唾液にまみれた指を抜いた。そして、アイザックの唾液を舐め取る。アイザックの目が、緩んで、とろんとなった。
「言うことを聞いて、ダーリン」
「オーケイ」アイザックは言った。「でも、まさかその格好で外に出る気じゃないよね」
「五分で支度するわ」


つづく






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posted by 城 一 at 05:36| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] アンダー・オブ・アンダー

(under of under under of under)
(under of under under of under)


We are UNDERWORLD Be da No.1 Like 活火山

マグマのような情熱に 我ら臆すことなく 饒舌に

夢を語るくらいなら 全部捨てちゃって ゼロでstand up!!

突き上げろ拳 荒れ狂う魂 刻まれる歴史 UNDERWORLD!!


We are UNDERWORLD Be da No.1 Like ショットガン

スコールのような散弾に 我ら臆すことなく 大胆に

てめえで首くくるくらいなら 全て破壊して ゼロでstand up!!

吹き荒れる嵐 燃え上がる怒り 全部吐き出せよ UNDERWORLD!!

(under of under under of under)
(under of under under of under)


そうさオレたちゃ下の下 ドブくさい地面這いずり回ってんだ

目覚まし代わりの銃声に サプリメント代わりのLSD

イカれてる? んなの分かってる but これらくらいがバランス取れてる

「真面目に生きりゃ損をする」 どうだい? 当代これが合言葉

鳥のshitに当たるように 流れ弾にぶち当たる道理

カナジョウ ヤマツ 2 bad city 触らぬ街に タタリなしだ baby

in da 北の大地 お分かり? 万事が惨事 どうだ fantastic!!

それでも来たい? なら止めねえ 来る者拒まず それが policy

(under of under under of under)
(under of under under of under)


We are UNDERWORLD Be da No.1 Like 活火山

マグマのような情熱に 我ら臆すことなく 饒舌に

夢を語るくらいなら 全部捨てちゃって ゼロでstand up!!

突き上げろ拳 荒れ狂う魂 刻まれる歴史 UNDERWORLD!!


We are UNDERWORLD Be da No.1 Like ショットガン

スコールのような散弾に 我ら臆すことなく 大胆に

てめえで首くくるくらいなら 全て破壊して ゼロでstand up!!

吹き荒れる嵐 燃え上がる怒り 全部吐き出せよ UNDERWORLD!!


under of under under of under
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今度はそうだ あんたの番だ
posted by 城 一 at 00:00| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第89回(ver 3.0)

 慶慎は、バーバーとリヴァとともに、スカイラインに乗り込んだ。誰も、何も言わなかった。バーバーはエンジンをかけ、車を発車させた。行き先を指示する者もいなかった。が、バーバーはさほど迷うことなくハンドルを操った。慶慎は、後部座席で、気を失ったままのヨシトのことを見つめていた。少年が生きているということを喜んでいる反面、このまま眠っていてくれないだろうか、と慶慎は思っていた。ヨシトが目を覚ませば、考えなければならない。彼と、どうつき合うのか。自分が殺した女の息子。二人の間には、怒りという障害があるのに、さらにその上に、ヨシトは耳が聞こえないのだ。どう、コミュニケーションを取ればいいのか。慶慎は考えてはいたものの、その先には答えがないだろうと、半ば諦めていた。
 バーバーが、カーラジオをつけた。FMに合わせて、いくつかチャンネルを変えた。ハスキーな声の女が、今、はやりの曲を流している番組がかかったところで、リヴァが止めた。


――というわけで、ここからは少しマニアックな。でも、必ず“来る”と、わたくしDJマリアが確信しております、ニューウェーブを紹介したいと思います。カナジョウ市とヤマツ市のティーンを中心に、じわじわと熱狂的なファンを獲得しつつある、ミクスチャー・ロックバンド、<アンダーワールド>。メンバー全員がまだ高校生でありながら、実力は折り紙つきの超一級品。アンダーワールドを、もう知ってる方も、まだ知らない方も。これを聞けば、ラジオの前に釘づけになること間違いなし。もはや、彼らの代表曲と言っても過言ではありません。それでは、聞いてください。アルバム「UNDERWORLD」から。彼らが、自分たちと自分たちの住む街のために作った和製英語、“下の下”を意味する、この曲。「アンダー・オブ・アンダー」。どうぞ。





 曲が終わり、少しして、スカイラインが止まった。<リティの店>の裏口の前だった。リヴァとバーバーが先に降りた。慶慎は、少しの間、思案していた。が、やがて、ヨシトを抱えてスカイラインを降りた。二人に続いて、店の中に入った。裏口から入ると、事務所が一番近かった。前にこの店に来たときに、慶慎がリヴァとバーバーと話をした場所だ。三人で、そこに入った。バーバーが、部屋の隅にあった段ボール箱の一つを開けた。中から毛布を取り出して、その側に敷いた。慶慎を見る。慶慎は頷いて、そこにヨシトを寝かせた。
 慶慎とリヴァは、木製の円テーブルについた。バーバーは冷蔵庫から、瓶入りのビールとペリエをそれぞれ、リヴァと慶慎の前に置いた。そして一度、事務所から出て行った。帰ってきたときには、手に、モスコミュールで満たしたグラスを持っていた。バーバーは、それを一口飲みながら、椅子についた。
 ジャケットを脱いで、白いスウェット姿になったリヴァが言った。
「俺はな、K。そこで寝てるがきが生きてることはいいことだと思ってる。が、その反面、“そこですやすやと寝息を立ててること”は、あまりいいことだとは思ってない」
 慶慎も、着ていた外套を脱ぎ、椅子の背にかけた。
「言い回しがとても簡潔で分かりやすいね」
「お前が殺した女の息子が、すぐそこにいて、そいつの扱いに関して、こうやって三人、くそ頭を寄せ合って、それぞれ考えてるのは、よくないと思ってるってことだ。どう転んでも、ハッピー・エンドが見えてこない」
「君の考え方が、ネガティブなんだよ。リヴァ。きっとね」
「じゃあ聞かせてみろよ、K。お前は、あいつをどうするつもりなんだ」
 慶慎は、ペリエの入った瓶を、睨むように見つめていた。まだ、ふたは開けていない。
「分からない」
 リヴァは短い笑い声を上げた。ビール瓶を軽く掲げる。
「そう言えば、乾杯がまだだったな。Kの素晴らしき答え“分からない”に!」誰も、応じなかった。リヴァはビールを一口飲んだ。「いやはや、全く素晴らしいとしか言いようがないな。そのために、俺たちはカザギワどもから、危うく蜂の巣にされる目に遭って、果てには貸しを作るはめになったってわけだ。ムコジマとか言う野郎に。素晴らしいね。コングラッチレイション、マーヴェラス、グレイト、クール!」
「じゃあ、どうすればよかったんだ」
「がきのことなんか、気づかずにあのままもう少しドライブして、近々あるミカド殲滅作戦に備えて体調を整えるなり、装備を確かめるなり、頭の中でシミュレーションするなりしてればよかった」
「けど、気づいてしまった」
「気づかない振りをすることもできた」
「できるわけない。そんなこと。気づかない振りなんて」
「そう。できなかった。なぜだ」
「なぜ、だって? そんなの決まってる。子供だぞ。せいぜい、いって、小学校高学年くらいの子供だ。その子供が、意味もなく殺されるかもしれないのに。そんなの、無視することなんて、できるわけないじゃないか」
「意味がないわけじゃない。お前が、仕事上とは言え、ミカドの連中を殺した。裏の世界の住人とは言え、人間だ。死んだことのばれ方によっちゃ、ことが大きくなる。問題になる。それを可能な限り、小さく収める。そのために、殺されるかもしれなかった。それだけだ」
「そして、実際に殺されるところだった」
「ことを扱う人間によって、判断の分かれるところだった。責めることはできない」
「ふざけてるよ。人の考え方一つで左右される命があるなんて。そんなのふざけてる。間違ってる」
 リヴァが視線を上げた。慶慎を真っ直ぐ見つめる。
「K。大事なことだ。こいつだけは覚えとけ。いいか、間違わない人間はいない」
「それで済む問題じゃないことくらい、分かってるだろ、リヴァ」
「“済む”なんて、俺はひと言も言ってない。ベイビ。“済む”とか“解決する”なんてことは、数学みたいなもんだ。算数みたいなもんだ。並ぶ数字に公式当てはめてイコールで一つの数字を導き出す。そんなことはな、ある方が珍しいんだよ」
「何言ってるんだ」
「みんなが、すっきりすることなんて、ないって言ってんだ。K。いいか、俺に言わせればな。あのがきを無理やりカザギワの連中から取り上げて、ここに連れてきてる、お前の判断だって間違ってるんだ」
 テーブルの上に置いた手。慶慎は、無意識のうちに力を込めていた。爪を立てるように。
「もう一度、言ってみろよ。リヴァ」
「何度でも言ってやるよ。ちゃんとその耳かっぽじって、よく聞いてろよ。いいか、お前も、間違ってるんだ、K。俺から言わせりゃ」
 慶慎は、テーブルを両手で叩いた。席から立ち上がる。椅子を蹴るようにして後ろへ吹っ飛ばし、リヴァの方へと歩み寄る。
「リヴァ」慶慎は言った。「じゃあ、聞かせてみなよ。あの子が死ぬべき理由を。ええ? 僕が納得する理由をだ。返答次第じゃ容赦しない」
 慶慎に応じるようにして、リヴァも立ち上がった。ビールの瓶を、床に叩きつける。派手な音がして、瓶が割れ、破片を飛ばした。
「ずれてんだよ。K。言ってることが、聞いてることが。ずれてんだ。はなからな。俺はさっきから言ってるぜ。お前が聞く耳持たないことを承知の上で、何度も言ってる」リヴァは慶慎と鼻の頭が触れそうな所まで、近づいた。慶慎の胸を指先で小突く。「お前が納得する理由なんて、ねえんだ。もう一つ言う。俺だって、納得なんかしてねえ。バーバーだって納得してねえ。けど、それが現実だ。現実なんだ。K」
 慶慎は歯軋りした。リヴァの着ている服の襟を掴み上げる。バーバーが、やめなよ、と言った。慶慎はやめなかった。
「そうだろ。納得してないんだろ。それなのに、どうしてそのままにしておこうとするんだ」
「周りで起きること全てを、納得できるように処理できないことを、分かってるからだ。K。人生で、納得できることなんか、指で数える程度なんだよ。光の当たらない世界で生きてる俺たちは、なおさらだ。だから、選ばなきゃならないんだ」
「嘘だね。君はそうやって、諦める言い訳をしてるだけだ。見下げた臆病者だな!」
 リヴァの目に火がともった。スウェットの襟を掴む慶慎の手を振り払い、その胸を突き飛ばす。
「じゃあ聞くがな」リヴァは言った。「そこに寝てるがきは、どうやったら納得できるんだ? ああ? 言ってみろよ。K。言ってみろ!」
「何をだよ」
「とぼけるなよ。自分の母親が殺された理由だ。どうやったら、“お母さんが殺されたのは、仕方ない”って思えるんだ。答えろよ」
「それは」
「言えよ。早く」
 慶慎は唇を噛んだ。「すぐには答えられないよ」
「時間をやるから、考えてみろよ。ほら。ほら!」
 慶慎は、握った拳を脇に垂らした。うつむく。
「分からないよ」
 テーブルが引っくり返った。リヴァがひっくり返したのだ。バーバーは直前にそれを察知し、グラスを持って立っていた。派手な音がして、テーブルは、薄汚れた裏側を見せる。
「そうだ!」リヴァは怒鳴るように言った。「みんなそうなんだよ。答えが分からねえことがたくさんあるんだ。落とし所が分からねえことがたくさんあるんだ。小さな子供を殺したくない? 誰だってそうだ。必要もないのに殺すのは、ひと握りだ。殺し好きのサイコ野郎とかな。小さな子供を殺すことがよくないってことは、みんな、分かってる。その上で殺してる。自分たちの生きてる世界は、そういう所だから。これからも、小さな子供、女。殺したくない人間を殺さなきゃならないことを分かってる。だから、足を止めないようにしてるんだ。感情のスイッチをオンにしないようにしてる。分かるか? 一度悩み出したら、“どつぼ”にはまるからだ。抜け出せなくなる。お前がやってるのはな、そんなやつらの足を無理やり止めてることだ。自分の感情に任せてな。他人の事情なんか考えもせず、ただ“正しい”って理由だけで正義を押しつける。そりゃ、誰も言い返せねえさ。実際、それが正しいんだからな。だがな。いいか。振り回す正義のサイズ次第じゃ、他人の人生を左右する。お前、そいつを背負えるのか。“正義”ってやつはな、諸刃の剣だ。こいつは断言してもいい。お前の振り回してる“正義”は、いつか必ずお前に返ってくる。そのとき、お前は貫けるのか。今吐いてる正義を。他人の人生に石投げて、波立たせたあとで、“間違ってました。すいません”じゃあ、済まないんだぜ」
「僕は」
 頭が熱を帯び、目尻が水分を含み出したのを、慶慎は感じた。手のひらで目許を覆う。
 がたん、と大きな音がした。バーバーが、テーブルを元に戻したのだ。腰に手を当て、リヴァと慶慎を交互に見ながら、短く息を吐く。
「その辺にしときなよ」バーバーは言った。「結論は出ないだろうからさ」
 リヴァは慶慎から目をそらし、床に視線を落とした。
「ああ。そうだな」
 リヴァは、椅子を引き戻して座った。
 慶慎は立ったままでいた。バーバーが言った。
「K?」
「少し、外に出てくる」慶慎は言った。
 誰も、何も言わなかった。追いかけても来なかった。慶慎はそのことに感謝した。裏口から店の外に出ると、視界がぼやけた。声は出なかった。出さなかった。ただ、涙が目から溢れるままにしておいた。空からは、一つ一つの粒が大きなみぞれが降っている。よかった。慶慎は思った。
 みぞれが目に入ってしまったのだと、言い訳ができる。そう思った。


つづく






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posted by 城 一 at 08:14| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第90回

 慶慎は歩道の縁石に腰を下ろした。上に着ていたミリタリージャケットは、店の中だった。が、いまさら取りになど戻れない。それに。慶慎は思った。今は、体ごと頭を冷やした方がいい。ヨシトのことで、思考回路が暴走しかけている。
 痺れるように、芯まで冷気を吸い込んだ手のひら。慶慎は、そこに白い息を吐きかけた。そこで、顔を上げる。いつの間にか、みぞれが雪に変わっていた。汚らしい灰色に染まっていた道路に、鮮やかな白い点が打たれ始める。その頃には、さすがに、ジャケットを着て来なかったことを後悔し始めていた。時間がどれくらい経ったかは分からない。ただ、ヨシトのこと、それについてリヴァと口論したことが原因でざわめき立っていた胸の内は、静けさを取り戻そうとしていた。
 音がして、慶慎は振り返った。リヴァがいた。投げるようにして、慶慎の肩にミリタリージャケットが飛んできた。慶慎はリヴァを見たが、リヴァは慶慎を見ようとしなかった。視線を空の方に向けている。口には火のついた煙草をくわえていて、所在なさげにゆらゆらと、煙が揺れていた。
「ありがとう」慶慎はジャケットを着て、言った。
 リヴァはそれでも、慶慎の方を見ようとしない。頑なに。道を行く人々の姿を眺めていた。本格的な冬の訪れに、皆、肩をすくめるようにして歩いている。傘を差している者もいた。
「言い過ぎた、とは言わねえ。間違ったことを言ったつもりもねえ」
「うん」
「けど、すまなかった」
「うん」
 リヴァは、既にフライトジャケットを着ていた。そのポケットからサングラスを取り出す。慶慎は、リヴァが自分でかけるものだと思っていた。が、違った。リヴァは、そのサングラスを、慶慎に渡した。慶慎は顔をしかめた。
「目が、赤いぜ」
 慶慎は、内心、舌打ちした。格好悪い。親指の先で目を拭い、サングラスをかけた。街がレンズの色に染まる。鮮やかな、ピンク色だ。空を見上げる。雪は、まるで自分を狙いすまして降り注いでいるように見える。
「あの子は、どうしてる?」
「バーバーが見てる。けど、まだ寝てる」
「殺し屋になってから、辛いことばかりだ。気の滅入ることばかり。前よりも」
「そりゃそうだ」
「殺し屋になれば、もっと楽になれると思ってた。全てがうまく噛み合って、世界が動き出すと思ってた。けど、それは僕の勘違いだったみたいだ」
「逆なんだよ、K。殺し屋なんてのは、なんとかうまく噛み合って動いてる世界を、破壊する仕事だ」
「殺し屋だったことが、あったような言い方だ」
「殺し屋だったことはないけどな。自分なりの考えを持つくらい、人を殺した。お前との違いは、殺し屋と呼ばれないって、ただそれだけのことさ」
 慶慎たちと同じくらいの年頃の少年たちが、自転車に乗って走っていった。器用に片手で運転しつつ、話に花を咲かせていた。のけぞるほど笑い声を上げる者もいた。自分たちの方を見ないようにしている。慶慎は、雰囲気でそれを察した。松戸孝信を殺す前は感じなかった、壁のようなものを、慶慎は少年たちだけでなく、“一般人”と呼ばれる類の者たちとの間に、感じる。その度に、体のどこかでひっそりと、孤独が深くなるのが分かる。
「今だから分かる。周りの人たちが、“お前には殺し屋以外の道もある”って言ってたこと。そういう言葉を、たくさんじゃないけど、いくつかかけられた。僕は言われる度に反発してた。ふざけるなって。僕のことを、なんにも分かってないくせにって」
「なぜ?」
「何が?」
「“お前には殺し屋以外の道もある”って言葉に、どうしてそんなに反発してたんだ?」
「僕のことを、よく診てくれる医者の女の人がいるんだ。昔、その人の所に逃げ込んだことがある。父親の下からね。僕の父親は、気性の荒い人でね。僕のことをすぐ殴るんだ。挨拶するみたいにね。蹴ったり、罵ったり。それが嫌でね」
「誰だって嫌さ。そんなもんは」
「その女の人の所で、しばらく生活してた。そしたらある日、父親が僕のことを見つけて、無理やり連れて帰った。帰り際、“治療代だ”と言って、その人のお腹を銃で撃ったんだ」
「ひでえ話だ」
「僕の父親が、ただのちんぴらだったら、話は違う。けど、僕の父親は風際文永で。殺し屋集団カザギワのボス、風際秀二郎の息子だ。誰も、何も言えない。もし何か言って機嫌を損ねたら、殺し屋がやって来るかもしれない」
「そういうことがあったのか?」
「そういうこと?」
「誰かが、お前の親父さんの機嫌を損ねて、殺し屋にぶっ飛ばされたことが」
 慶慎は力なく笑って、首を振った。
「実際にはないよ。けど、誰だって考えるよ。カザギワのことを知ってれば。それに、そうでなくても僕の父親はがらが悪くて、いつも周りをちんぴらがうろうろしてた。僕の父親は、正式にはカザギワに所属していないんだけど、カザギワのボスの息子ってことで、集まるやつはいる」
「お前のじいさんは、助けてくれなかったのか?」
「今はそうじゃないのかもしれないけど。そうだね。前は、全然見向きもしてくれなかった。僕って孫がいることを認めてもいなかったんじゃないかな」
「母親は」
「死んだ。父親からは、そう聞かされた。顔も知らないんだ」
「そうか」
「僕の父親は加減を知らなくて、よくやり過ぎた。殴り過ぎた。蹴り過ぎた。そこに、僕の師匠が、当時は唯一と僕には思えた、解決策を持ってきた。それが、殺し屋になることだった」
「師匠」
「カザギワの殺し屋の人さ。カザギワという組織があるお陰で、誰にも守ってもらえないんだったら、カザギワに守ってもらうしかない。というのが、師匠の考えだった」
「その師匠は、助けてくれなかったのか?」
「カザギワ設立初期から、ずっと一緒に仕事をしてる仲だ。下手に風際文永の機嫌を損ねるようなことをすれば、長年の仲間との間に軋轢が生じるかもしれない。不義理を働くことになるかもしれない。全くの他人の僕のことを、気にかけてくれるような、優しい人さ。そんな人に、そういうことはできない」
「そうか」
「カザギワに守ってもらうということは、風際秀二郎に守ってもらうということで。血の繋がりで、彼の気を引けないのだったら、カザギワという組織に必要な殺し屋になって、彼の気を引くしかない。師匠はそう考えた」
 リヴァは頷いた。
「そうだな。それくらいしか、俺にも思い浮かばねえ」
「だから、僕は殺し屋になった」
「ああ」
 リヴァは煙草を捨てて、ブーツでそれを踏みにじった。
「以上、終わり」慶慎は言った。そして、リヴァを見た。「一つ、分からないことがあるんだ」
「なんだ?」
「君はどうして、そんなに僕によくしてくれるの?」
 リヴァは短く笑った。
「やめろよ、恥ずかしい。お前に“よく”なんかしてねえよ」
「してくれてるよ。そして、助かってる」
 リヴァは頭をがりがりと引っ掻きながら、立ち上がった。決して、慶慎の方を見ようとしなかった。そして、急に声を低くして、言った。
「似てるのさ。多分、だけどな。目が」
「目、ね」慶慎は呟いた。
 リヴァは、カーゴパンツの尻の部分についていた砂利や雪、みぞれを、手で払った。
「寂しがり屋の目さ。ベイビ」
「そう」
 慶慎は、その言葉を噛み砕くようにして、頭の中で何度か繰り返した。なんとなく、分かるような気がした。
「恥ずかしいから、言いたくなかったんだよ、こんなこと」そう言うと、リヴァは、慶慎の頭を叩いた。店の裏口へと向かう。「二度と言わせんなよ、馬鹿」
 慶慎は疲労の滲んだ笑みを浮かべながら、リヴァの背中を追った。
「オーケイ」


つづく






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2007年04月23日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第91回

 慶慎が戻っても、ヨシトは目を覚まさなかった。死んでいるようにも見えた。
 一度、慶慎は不安になって、ヨシトの脈を確かめた。それは静かだが、確かに命がそこに息づいていることを、慶慎に証明した。慶慎は、安堵の溜め息をこらえなかった。
 慶慎は、肩膝をついて、殺してしまった女の息子を眺めた。身を寄せるようにして絡んだ、少年の両足。履いている緑色のスニーカーの片方の靴ひもが、ほどけていた。慶慎はそれを、結び直してやった。バーバーに、もっと毛布がないのか、と尋ねた。あいにく、ヨシトの体の下に敷いているもので、リティの店の中にある毛布は最後のようだった。慶慎は、自分の着ていたミリタリージャケットを、ヨシトの体の上にかけた。
 事務所の一方の壁には戸がついていた。開くと、収納スペースがあった。リヴァは、そこに二十インチ程度のテレビを見つけ、中から運び出した。慶慎も手伝った。さらにビデオデッキを出し、テレビに繋げた。スカイラインのトランクに積み込んでいたバッグ類を全て持ってきて、テレビを乗せたテーブルの周りに並べた。エイダの店から取ってきたものたちだ。リヴァ、バーバーとともに、慶慎もそれらの中身を確かめにかかった。
 地道な作業になった。近道などなかった。全て、自分の目で見て、内容を確認するしかない。慶慎たちはテレビに映るビデオの内容に目をやりつつ、手にしたノートや書類をめくった。一度、限界を感じて、慶慎は手にしていたノートの中身を、これ以上読んでも、同じ内容が続くばかりだと考え、途中を飛ばして結末だけ読もうとした。が、リヴァに注意され、やめた。
 店の人間らしき男が、三人にコーヒーを淹れてくれた。コーヒーは最初、驚くべき速度で消費され、あるときを境に、全く減らなくなった。疲労をごまかすために摂取していたカフェインも、各人の許容量を越えたのだ。慶慎は、しばらく黒い色をした飲みものは口にしたくない、と思った。
 日付が変わろうと言う頃、一旦手を止めて、三人は改めて椅子に座り直し、互いを見た。
 リヴァが、目と目の間を指で揉みながら、言った。
「オーケイ、みんな。意見を聞かせてくれ」
「主に一般人。武器。日常からの逸脱。復讐。今のところ、それらが全体的に共通して存在してる要素だ」バーバーは言った。
 慶慎は頷いた。
「僕もそう思うよ。つけ加えるなら、これはスナッフ・ビデオの類じゃない。ビデオ以外のメディアで保存されたものがあるから言ってるんじゃない。殺人とか、死体好きの変態が見るような、嗜好品じゃないよ。これらは」慶慎は、読んでいる途中の書類をホッチキスで止めたものを、小さく音を立てて、テーブルの上に置いた。「あっさりし過ぎてる。実際に出てくる人たちには悪いけど」
「ああ。変態さんがたは、これじゃあ“イケない”。もっと血まみれで、死体がばらばらに切り刻まれるとか、そういうのがお好みだからな。本物であれ、偽物であれ」リヴァが言った。
「中にはかなり残酷なものもあったけど、でも一貫して、そういう感じだね。“本物”だと思って見るから、生々しく見えるって程度のものが多い。暴力的・残酷的なことが理由で十八禁になるビデオを見れば、これくらいのはある」バーバーが言った。「つまり、これを作った人間は、金目的ではない」
「本当に、日記を集めただけのような、そんな感じがするよ。僕は。媒体がビデオのときもあるだけで」慶慎は言った。
 リヴァは、手のひらで自分の顔を撫でた。
「ああ。そんな感じだ」
「何か、考えてることがあるの、リヴァ?」慶慎は言った。
 リヴァは目を閉じ、首を振った。
「まだ、仮定の段階だ。口にはちょっと、出したくない」
「そう」
「ただ、ちょっと考えが変わった。俺も、許可が出れば、ミカドの襲撃に加わる。こいつは、俺の目や耳で確かめたい」リヴァは、手のひらを天井に向けた。「ま、あくまでも許可が出れば、だ」
 そこで、テーブルについていた三人は動きを止めた。物音がしたからだ。慶慎は後ろを振り返った。
 床に寝かせていたヨシトが、目を覚ましていた。意識を無理やり叩き起こそうと、軽く頭を振り、重たげな瞼を何度も上下させる。目の前の光景を、頭に馴染ませる。そして、一瞬後、ヨシトは跳ね起きて、壁に背中をつけた。自分の母親を殺した男がいるのを確かめたことで、危険を感じたのだ。視線だけ動かして、部屋の中を探る。
 慶慎は、何も言わなかった。ただ、ヨシトの警戒心を解くために、小さく何度も首を振る。そして、ヨシトが読唇術を覚えているかもしれないことを考えて、唇を動かした。ゆっくりと。
『大丈夫だ。何もしない』
 ヨシトの体が、エネルギーを蓄積し始めていることを、慶慎は察知した。首を振り続けた。声は出さず、唇だけを動かし続けた。
『手荒な真似はしたくないんだ』
 ヨシトは壁を拳で叩いた。甲高い叫び声を上げる。
 慶慎は床に向かって、吐き捨てるように悪態をついた。
「ちくしょう!」
 慶慎が頭の中で描いた映像を、ヨシトがなぞる。攻撃的な跳躍。慶慎もそれに応じて床を蹴った。
 それは、あまりにも簡単に終わった。殺し屋の訓練を受けた慶慎に対して、ヨシトはあまりにも非力だった。技術的なことにおいても。体力的なことにおいても。
 ヨシトの体はふわりと舞って、うつ伏せに床に着地した。ヨシトは獣のように吠え続けた。が、その叫び声が状況を覆すことはなかった。慶慎が、ヨシトの腕を取り、後ろで関節を極めていた。短く息を吐く。ヨシトの背中に、添い寝でもするような体勢で乗っていた。
 ヨシトはしばらくもがいたあと、抵抗を諦めた。額を床につける。すぐに、その肩が震え出した。追いかけるようにして、泣き声が聞こえた。慶慎は呼吸を整えたあとで、ヨシトの背中から降りた。完全に自由になっても、ヨシトが飛びかかってこないことを確認すると、慶慎は座っていた椅子に戻った。リヴァとバーバーも、わずかに浮かしていた腰を下ろした。
 慶慎は、ヨシトから目を離さずに、書くものはあるの、と誰ともなく尋ねた。バーバーが、ある、と言って、収納スペースの中から使われていないノートとマジックペンを持ってきた。慶慎はそれを受け取り、ノートに“唇は読める?”と書いて、ヨシトの手に握らせた。
 慶慎は、うつ伏せのまま泣き続けるヨシトを見ながら、言った。
「少し、わがままを言ってもいいかな」
「なんだ」リヴァが言った。
「彼と、二人きりにしてほしい」
 返事はすぐに来なかった。慶慎は最小限の首の動きで、リヴァを振り返った。言葉を用いずに、リヴァは視線だけで、慶慎に何かを問いかけてきていた。慶慎は首を横に振ることも、頷くこともせず、ただ視線を真っ直ぐに返した。リヴァは、体を回転させるようにして、椅子を降りた。
「ホールの方にいる。終わったら、呼びな」
 リヴァにならって、バーバーも事務所の出口へと向かう。慶慎はヨシトの方へ視線を戻しながら、言った。
「ごめん、二人とも。わがまま言って」
「高くつくぜ」
「うん」
 リヴァが笑った。
「冗談だ」
 慶慎はヨシトを見たまま、ドアが閉まる音を聞いた。


つづく






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posted by 城 一 at 19:46| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第92回

 どれくらい経っただろうか。慶慎は、ヨシトのことを見た。泣き声がやみ、動く気配があったからだ。ヨシトは鼻をすすりながら、気だるそうに起き上がった。非常にゆっくりとした速度で。まるでヨシトのいる場所だけ、他よりもはるかに強い重力が発生しているかのようだった。
 慶慎はその様子を、注意深く見守った。ヨシトが慶慎に対して、なんらかの動きを見せるのではないかと思ったのだ。もう、何度となくヨシトが試みて失敗した暴力的な抵抗であれ、罵声であれ。ヨシトと正面から向き合う時間がきたのだと思った。が、違った。
 ヨシトは決して慶慎の方を見ようとはしなかった。うなだれたまま、これ以上ないほど体を縮め、抱えた膝の間に顔を埋めた。そしてまた、動くのをやめた。
 慶慎は深い溜め息をついた。そこで初めて、ヨシトが動きを見せようかとしている間、自分が呼吸を止めていたことに気づいた。慶慎は、そんな自分に対して、力なく首を振った。
 ヨシトとのことは、長い時間がかかりそうだった。リヴァとバーバーが痺れを切らさないよう、慶慎は祈った。性急なものを求められると、破損してしまいそうなほど繊細なものを、今、自分は扱っている。慶慎はそう考えていた。そして、実際そうだった。
 しばらくの間、椅子に逆向きに座り、ヨシトのことを眺めていた。背もたれに両肘を置いて。が、耐え切れなくなった。事務所の中に降り積もる沈黙が、重たい。
 慶慎は、オーディオ・セットの所へ行った。適当にCDを選ぶ。国内外のロックバンドのものが多かった。他に、クラシックが少し。その中に、<アンダーワールド>のCDが数枚あった。無意識のうちに、そのCDをかけていた。ボリュームは限りなく小さく。息が詰まりそうな静寂も、消してしまうのはたやすいものだ。
 ぱしん、と音がした。オーディオ・セットからヨシトの方へ向き直った慶慎の目に映った光景は、今までと同じもののように見えた。ヨシトは相変わらず、膝を抱えていて、顔をその間に埋めていた。が、その横に、慶慎が握らせたはずのノートが置かれていた。“唇は読める?”と書いたページはめくられて、新しいページになっていた。マジックペンで、そこに新しい文字が綴られていた。
 慶慎は足音を押し殺して、そっとヨシトに歩み寄った。ふとしたことで、慶慎とヨシトの間にできかけている繋がりは、どこかへ霧散してしまいそうだった。慶慎はノートを取った。
『どうして殺さなかったの』
 まだ、幼さの残る字だった。慶慎は、背中が悪寒でざわめくのを感じながら、ペンを取った。
『殺したくなかったから』
 ヨシトに合わせて、平仮名で書いた。ノートを、ヨシトの側に置く。じれったいくらいにゆったりとした筆談だった。もしかすると、自分の言葉に目を通す気はないのかもしれない。慶慎がそう思いかけた頃に、ヨシトの体がわずかに動いた。手には取らなくても、ノートに視線を注いでいるのは確かだった。言葉を馴染ませるかのように、また間を置き、ヨシトが動く。
『お母さんは、どうして殺したの』
 慶慎は指先で下唇を探った。そして、答える。
『敵だったから』
 返答を書きながら、慶慎の中に湧き上がった疑問があった。それは、ヨシトの言葉として返って来た。
『敵って何』
 なんなのだろう。慶慎は思った。自分の言う、敵とは。カザギワと敵対する組織として、ミカドと言う名前を教えられた。が、その実、カザギワはまだ、その敵とする素性を把握していないのだ。しかし、ミカドを名乗る者たちが、仲間でないことも確かだった。互いが同じ場所に存在すれば、必ず敵対することになる。放っておけば、殺し合いが始まる。そういう関係だ。
『殺すべき人たちのこと』慶慎は、まとまらない考えを抱えたまま、そう書いた。
『悪い人だってこと?』
 言葉を交わす速度は、徐々に上がる。慶慎の脳裏に焦燥感がせり上がる。本当は、言葉の一つ一つを丁寧に吟味すべきのような気も、慶慎はしていた。が、ヨシトの言葉はそうしようとする慶慎を、急き立てる。目には見えない部分で。
『そうだよ』
『ぼくのお母さんも?』
 慶慎は、ヨシトと二人きりになったことを後悔し始めていた。リヴァとバーバーに尋ねたいことがたくさんあった。
『そうだよ』
『ぼくのお母さんが、何をしたの』
『悪い人たちと会ってた。悪い人たちを集めてた。ぼくのことを、その人たちに知らせてた』
『それはそんなに悪いことなの』
『そうだよ』
『人を殺すことは悪いことじゃないの』
 慶慎は、途中で、ヨシトが何を書こうとしているのか分かった。そして、それが最も尋ねて欲しくない類の質問だということも。ヨシトが書き終えても、慶慎はそのノートを取ることができなかった。ヨシトが顔を上げた。視線がぶつかる。慶慎は目をそらした。ぱしん、と音がした。ヨシトがノートを、“読め”と言っているのだ。
 ページをめくる音がした。ヨシトは新しいページに、別の言葉を書いていた。ヨシトは書き終わると、慶慎の方へノートを開いて示した。慶慎が手に取らなくても読めるように。
『そうでしょ。人を殺すことは悪いことでしょ。あなたも悪い人なんでしょ。誰かに殺されるべきなんでしょ』
 頬に涙の跡が残る少年の目には、慶慎が今まで見たこともないほど、強い光が宿っている。慶慎は強く首を振った。
「やめろ」ヨシトに聞こえないのにも構わず、声に出して言っていた。
 ヨシトはまたノートにマジックペンを走らせて、慶慎に示した。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
 慶慎は一歩でヨシトの懐に踏み込み、ノートをその手から叩き落した。
「やめろと言ったぞ」
 ヨシトは慶慎を睨み、そして力の限り叫び声を上げた。あまりの声の大きさに、慶慎は両耳をふさいだ。その慶慎の前で、ヨシトが目まぐるしい速度で両手を動かす。初めて見る慶慎にも、ヨシトが手話をやっていることが分かった。だがもちろん、慶慎にはヨシトが何を言おうとしているのか分からない。ただ、そこには、怒りがふんだんに練り込まれた言葉が使われているのだろうことは、慶慎にも容易に推測できた。
 手話が駄目なのが分かると、ヨシトは慶慎に飛びかかってきた。
 もう、余裕はなかった。慶慎は即座に腰を回すようにして、ヨシトの体を振り払った。
「君は僕と同じなんだ」慶慎はヨシトを指差し、自分の胸を拳で叩いた。「だから。君を助けたいんだ」
 ヨシトには通じない。慶慎はノートを取り、マジックペンを走らせて、今言ったことを書いた。そして、床に尻餅を突いていたヨシトの方に投げた。
 ヨシトは慶慎を威嚇するように睨みつけたあと、ノートを取った。目を走らせる。ノートを追うように飛んできたマジックペンを取って、書き込む。慶慎に投げ返す。
『ぼくはあんたみたいな人殺しとは違う』
 慶慎はすぐに返答を書き殴った。
『やりたくてやってるわけじゃ』
 書きかけて、手が止まる。自分の伝えようとしている言葉の意味を、頭の中で咀嚼する。そして愕然とする。“そんなこと”のために、エイダ・ヒトツバシは死んだのか? <エイダの店>にいた男たちは、松戸孝信は死んだのか? 自分に問いかける。そんな思いを抱えながら、人を殺したのか?
 ヨシトは肩を上下させて、荒々しく呼吸していた。慶慎の返事が返ってくるのを待ちきれなかったのだろう。駆け寄ってきて、慶慎の手元を覗き込んだ。
 しまった。慶慎が思ったときには、もう遅かった。ヨシトにノートに綴りかけた内容を読まれていた。胸にヨシトの拳が飛んでくる。軽い。込められた怒りとは裏腹に、その非力さが、慶慎には痛くて仕方なかった。視界が滲んだ。ちくしょう。
 ヨシトが飛び上がり、慶慎の上半身に取りついた。
 一瞬後。慶慎は首に痛みを感じ、ヨシトの体を吹っ飛ばした。慶慎は痛みを感じた所に指先を伸ばした。血が、付着する。ヨシトが噛みついたのだ。
 ヨシトは床で転がって受け身を取り、両手足を突いて獣のような体勢で、また叫び声を上げた。ヨシトもまた、泣いていた。
 振り払っても振り払っても、ヨシトは飛びかかって来た。慶慎は急速な消耗を感じた。体よりも、精神的な部分が疲労している。それが慶慎から力を奪おうとしている。ヨシトは諦めない。
「もう、やめろ」
 明らかに優勢な立場にいる慶慎の方が、悲鳴にも似た声を上げていた。その二つの瞳は、水分を過剰に含んだまま、世界をあやふやなものにし続けている。慶慎の振った拳が、ヨシトの顔を打つ。ヨシトの体は面白いように床に転がる。鼻血が出ていて、それを手の甲で擦る。蹴る。ヨシトのみぞおちを捉えてしまった。ヨシトは体を震わせたあと、吐いた。それでもまだ、未発達の体の中で、憤怒の炎は消えないようだった。むしろ、傷を負えば負うほど、力がみなぎっているようにさえ見えた。
「もう」慶慎は言おうとした。が、もう言葉も出て来なかった。
 何度目かのヨシトの跳躍。最高点に達した所で、慶慎はその首を掴んだ。床に頭ごと叩きつける。ホルスターから銃を抜き、ヨシトの眼前に突きつけた。ヨシトの叫び声。慶慎の耳が、悲鳴を上げ、きん、と鳴り、聴覚がわずかに麻痺した。外界の音が遮断された代わりに、体の内側の音が、やけに大きく聞こえるようになる。心臓がどくどくとリズムを刻み、血を全身に送る音。ヨシトを前にして、その速度を上げているのが分かる。慶慎は遊底を引き、弾丸を薬室に送り込んだ。銃口をヨシトの眉間に押しつけた。骨の感触が、銃越しに慶慎に伝わる。そして、ヨシトが震えていることも。それが、怒りからなのか、恐怖からなのかは、分からなかった。
 もう、ほとんど、ものの輪郭しか見えない世界。慶慎は、幼い頃の自分を前にしているような錯覚に陥った。それは現実ではないことが分かっていながらも、慶慎の頭の内側にこびりつき、剥がれない。
 幼い頃。自分が殺し屋になるなど、想像もしなかった。父親に虐待され、震え、身を卵のように丸くする毎日でも。殺し屋として育てられた頃は、理解していなかった。殺し屋になるということが、どういうことなのか。ただ、慶慎が父親から離れ、これからも生きていくために必要な手段だと言われた。慶慎はなんの疑問も抱かず、それを信じた。
 だが、今。自分のいる場所はなんだ? いつ、どこで自分が望んだ? 生きているのに。現世にいるのに、地獄で火に焼かれているような気分だった。
 こんなことなら、あの頃に死んでいればよかったのかもしれない。父親の殴るまま、蹴るままに任せ、生への希望を捨てて。自分の人生は、歩んでいる道は、犠牲が多過ぎる。
 慶慎は銃口をヨシトから離した。肩で涙を拭う。行け。そう呟いた。
 少しの間、ヨシトは銃口を突きつけられていたときのまま、体を動かさなかった。生きていることを確認するかのように、胸を上下させていた。そして、慶慎の言葉が聞こえたのかどうかは分からないが、ヨシトは走り、店を出て行った。
 慶慎は椅子をテーブルの側まで持って行き、腰を下ろした。両手で顔を覆う。
 かけていたはずのCDは、録音された曲を全て再生し終えて、止まっていた。部屋の中は、再び、沈黙に満たされていた。隅に備えつけられた冷蔵庫が、小さく機械音を立てていた。
 溜め息をついた。細く、深く。どこまでも深く。体の中に、頭の中に、心の中に。あるもの全て、吐き出すように。


つづく






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2007年04月25日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第93回

 人の気配がして、慶慎は我に返った。リヴァが、事務所の入口を入ったすぐの所で腕を組んで、慶慎のことを眺めていた。慶慎は慌てて、手の甲で両目を擦った。今日は、自分は泣いてばかりいる。そう思った。
「あの子、逃げたよ」慶慎は言った。「ごめん」
 リヴァは肩をすくめた。
「謝ることじゃねえよ。別に、俺たちに迷惑はかからねえだろ。お前が自分で考えて決めたことだろ」
「うん」
「なら、いいじゃねえか」
 慶慎はそれ以上、<リティの店>にいることができなかった。一人になりたかった。考えるべき事柄が多過ぎた。それらが錆のように、慶慎の頭の中に潜り込んで、思考回路の働きを鈍らせていた。もちろん、まだ少し、酔いが残っているせいかもしれなかったが。
「今日はもう、帰るよ」
 慶慎は言った。リヴァも頷いた。
「そうした方がいいみたいだな。送るか?」
 慶慎は首を振った。
「歩きながら、頭を冷やすよ」
「それには、今は、持ってこいの季節だな」
「うん」
 リヴァはそれ以上、口を開かなかった。慶慎も同じようにした。別れの挨拶代わりに、束の間、沈黙を共有した。そして、慶慎は店を出た。
 外はもう、人口のもの以外に、光はなかった。夜闇が、道を埋めるように照らしている街灯の明かりの隙間を縫って、地上にしっかりと降り立ち、根を張っていた。空には、星が散りばめられていた。雲は、見えるものの、少ない。ただ、寒かった。冷たい夜だ。慶慎は思った。着ていたミリタリージャケットの前側を強く引っ張って合わせた。吐く息の白さが、寒さを増長させる。
 行く当てはなかった。だからと言って、真っ直ぐ自分の家に帰る気にもなれなかった。慶慎は、ただ歩いた。通りに並ぶ建物。交差点の上にぶら下がる標識。場所によって変わる、たむろする人間の種類。それらが、慶慎がどこにいるのか、どこに向かっているのかを教えていたが、意味はなかった。慶慎には、そのどちらにも興味がなかった。慶慎は、ヨシト・ヒトツバシのことを考えていた。
 年端もいかない少年は、冬の夜の街で一人、どうやって生きていくのだろう。どういう人間と会って、どういう道を歩むのだろう。表の世界の住人となることができるのだろうか。それとも、裏の世界に堕ちてしまうのか。
 自分はなぜ、ヨシトをあの場から救い出したのだろう。カザギワの構成員たちに、都合の悪いものとして処理されようとしていた場から。慶慎は思い出す。殺し屋として慶慎を育てた、カザギワ最強の殺し屋、銀雹、越智彰治。越智は慶慎のことを、間接的にだが、風際文永の下から救い出した。自分は、それと同じことをしたかったのかもしれない。そう、慶慎は思った。ヨシトに自分を重ね、自分は越智彰治を演じようしたのかもしれない。もっと言えば、もしかすると、自分はヨシトの父親になろうとしたのかもしれない。虐待をしない、一般に理想的とされるような、優しい父親に。
 なれるはずもないのに。
 気づかないうちに、慶慎の口許に笑みが浮かぶ。自嘲的な笑み。慶慎は思った。リヴァが、激昂するわけだ。
 微かな金属音にも似た音を聞いて、慶慎は顔を上げた。調子の悪い街灯が、点滅していた。白い光の中に、黒い点が見えた。虫が周囲を飛んでいるのだろう。
 慶慎はそこで初めて、自分の足が、無意識のうちに、安希の友だちが住んでいると言っていたアパートメントの方へと向かっていることに気づいた。もう、あと五分も歩けば到着するほど、近くまで来ていた。最後に見た、安希の顔が浮かんだ。その後、どうしているだろうか。元気にしているのか。
 きっと、安希の住んでいる家を知っていたなら、そちらへ行っていただろう。が、慶慎は安希の友だちの家しか知らない。最後に安希を見送った、アパートメント。
 慶慎は、足の向くまま、そのアパートメントの前まで行った。安希が入っていった部屋には、明かりがついていた。そこには友だちが住んでいるのであって、安希がいるのかどうかは分からないのだが、慶慎はそこで、風呂上がりに髪でもとかしている安希の姿を想像した。
 向かいの通りに、路上駐車をしている水色の軽自動車があった。中には、誰も乗っていない。慶慎はそのボンネットに腰を下ろした。携帯電話を開き、さも、誰かを待っているかのような振りをする。実際、人を待ってはいるのだが。が、慶慎が待っているのは、会えるかどうかも分からない人間だ。
 そこから、安希の友だちが住んでいる部屋のことを見ていた。
 ボンネットに腰かけていると、慶慎は、嫌でもホルスターに収めた銃を意識せざるを得なかった。銃身の厚みの分だけ、違和感を感じた。安希の嫌いな、銃。
 慶慎は安希の顔が見たかった。が、このまま会えない方がいいのかもしれないとも思った。もし安希に会えたとして、慶慎が銃を相変わらず持っていて、しかもホルスターに収めているのを知れば、いい顔はしないだろう。慶慎も、同じように嫌われてしまうかもしれない。
 帰った方がいいのかもしれない。そう思いながらも、なかなか、腰を上げる気にはなれなかった。しばらくして、部屋の明かりが消えた。
 安堵と落胆。両方の溜め息を、慶慎は吐いた。


つづく






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2007年04月28日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第94回

 腰を上げかけた慶慎の鼻孔を、メンソールを含んだ煙がくすぐった。
 少女がいた。いつの間にやら、慶慎の隣にいて、ボンネットに腰を寄せていた。華奢な指先に、火をつけたばかりの煙草を挟んでいる。グロスを乗せた、ピンク色の唇が笑みを浮かべる。
「隣、いい?」少女は言った。
「事後承諾は、あまり好きじゃないんだ」
「あたし、サニー。サニー・フゥ」
 慶慎はサニーを横目で見た。サニーは、次はお前の番だ、とでも言うように、煙草を一服して、肩をすくめる。
「ケイ」慶慎は、あだ名をサニーに教えた。
「ケイ?」
「それだけ分かれば、十分だろ」
 サニーはすねたように、下唇を突き出した。
 サニーは、長く伸ばした髪を、茶に近い金色に染めていた。根元の方に少し、地の色であろう黒色が出てきている。髪は痛んでいて、表面的な部分はふわふわと広がっていた。尖った印象を与える、細い目。かなり、周りを強い線で縁取っていた。白い、腰までの毛皮のコートを着ていた。その下に、ざっくりと胸元が大きく開いた明るい黄色のセーター。ビニール製の、浅葱色の、脚線にぴったりとしたミニスカート。目の粗いストッキング。黒いロングブーツ。きらきらと緑色に光るフリンジに飾られたクラッチバッグ。同系統の緑のマニキュアで塗った爪。
「つれないのね」
「つれないよ。“つれる”やつが欲しいなら、少しの間、その辺を歩くといい。いくらでも、“つれる”よ」
「あたしが、ウリやってると思ってるわね」
 慶慎は、サニーのことを見た。
「ごめん。僕はてっきり」
「いいよ。ウリは、やってるもの。でも、別に、あんたに話しかけたのは、客が欲しいからとか、そんなんじゃない」
「そう」
「別に、あんたがあたしのことを買いたいって言うんなら、話は別だけど」
「君、何歳?」
「年で、買う女を決めるタイプなの、あんた?」
「答えたくないなら、いいよ」
 サニーは煙草の煙を、慶慎の方に吐きかけながら、言った。
「セヴンティーン」
 慶慎は、顔の前で手のひらを扇のように動かして、煙を払った。
「十七歳の人が、どうしてウリなんか、やってるんですか?」
 サニーが笑った。
「さりげなく、敬語にしたね? 何? あんた、あたしより年下?」
「十五」
「そ。別にいいよ、気にしなくて。敬語なんか、くそくらえよ」
「それはありがたいね。それで、どうして?」
 サニーは元から細い目を、いっそう細めて、慶慎のことを見つめた。そして言った。
「あたしがこっちに来て、最初につき合った男が、どうしようもないくずで、お金はゼロ。働く気もゼロ。でも、クスリは欲しいし、毎日パチンコに行きたい。そういうやつだった。いや、正確にはくずに“なった”って感じかな。あたしとつき合い始めた頃は、全然、そんなんじゃなかったのに」
 サニーは新しい煙草をくわえた。話を続ける。
「無気力なやつで、一緒にいるときは、セックスか金のことばかり言ってた。で、ある日、名案を思いついたかのように言ったのが、あたしにウリをさせるってアイディアで。それは最初、冗談交じりだったけど、そいつは言ってるうちに、本当にそれ以外に、自分がお金を手に入れられる方法はないと考え始めた。あたしも、毎日のように言われてるうちに、この男とつき合っていくためには、この男の心を自分のものにしておくためには、その方法しかないのかもしれないって思い始めた。それに、ウリをやれば結構なお金になる。それは前にも考えたことがあった方法で、彼氏がいるから遠慮してた方法だった。でも、その彼氏がその方法を薦めてる。ウリをやれば、生活が楽になるし、自分の欲しいものも買える。それで、最初、そいつの、あたしの彼氏の友だちと、お金をもらう代わりにセックスをした」
「それは、彼氏に秘密で?」
「ううん、違う。彼氏がセッティングしたのよ。で、めでたく、この世にまた、一人のぽん引きと娼婦が生まれた。それが、十四か五の頃」サニーは肩をすくめた。「正確には覚えてないわ」
「その彼氏は、今は?」
「いない。死んだわ。自殺。あたしがウリを始めて、一年くらい経った頃にね。あいつがきっかけを作ったくせに、陰でこつこつと罪悪感を積み重ねてたらしいの。貯金箱に、一円玉とか、五円玉。小銭を入れるみたいにね。あたし、それを知ったとき、驚いたわ。自分の彼氏にはもう、そういうモラルとか、思いやりとか、ないと思ってたから。あたしが好きだった部分は、もうどこかに消えちゃったと思ってたから。それを知ったときは、一瞬は嬉しかったけど。でも、彼氏が死んだあとよ。なんて言うか、途方に暮れた感じだったわ。あたしはこれから、どうすりゃいいのよって」
「それで、ウリを続けた」
「続けざるを得ない感じになってた。家とは絶縁状態で、学校もやめてて。彼氏のためにやってたのに、その彼氏もいない。かと言って、そこからウリをやめて、心機一転、まともな生活に立ち返る気力もなかった。分かる? 這い上がるのってね、かなりの労力が必要なのよ」
「分かるよ」
「それで、今ここにいるってわけ。で、わけも分からず、あんたに告白めいたことをしてる」
「うん」
「どう? 聞いて、満足した?」
 慶慎は肩をすくめた。
「さあ。でも、今日はもう帰ったら? 寒い季節だ。風邪を引くよ」
 サニーは、短く笑い声を上げた。
「冷たいやつ。それは、遠回しに、あたしのことを買おうとしてるとか、そういうことじゃないわけね?」
「そういうことじゃないよ」
「残念ね」
「僕も、もう帰るところだったんだ。もし、帰るんなら、家まで送ろうか?」
「結構よ」
「そう。じゃ、僕は」
 サニーが、慶慎の腕を掴んだ。
「待って。いいの?」
「何が」
「あれから、安希に会った?」慶慎は自分の耳を疑った。顔をしかめて、サニーを見る。サニーは、口許に笑みを浮かべながら、続けた。「そうなんでしょ? ここには、安希に会いに来たんでしょ、ストーカーさん?」


つづく






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posted by 城 一 at 00:04| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第95回(ver 2.0)

「言ってる意味が分からない」
 慶慎は、ボンネットの上に座り直して、言った。わずかに、サニーの方に身を寄せた。
「意味が分からないなら」サニーは言った。「一刻も早く立ち去ろうとするのが正解。でしょ? でも、そうしないのは、あんたは少なからず、あたしの言っていることの意味が分かっていて。もう少し、あたしの言葉を聞きたいと思ってるってこと」
「どうして、安希のことを知ってるんだ?」
 少し、口調がきつくなる。途中で慶慎は、そのことに気づいた。構わなかった。
「どうしてか。それは、あたしと安希が友だちだから」サニーはそこで、言葉を切った。思案するように顔をしかめ、言い直す。「どちらかって言うと、仲間って言った方がいいのかな」
「仲間? なんの仲間だよ。サークル活動でも、やってるって言うのかい」
「そうね。サークル活動にも似てるかもね。あたしたちの所には、割と、同年代の子も多いし。びっくりするわよ、きっと。ウリをやってる子の数を聞いたら。しかも、その数は、あたしの知ってる範囲での話になる」
「なんだって?」慶慎は、自分の耳を疑った。サニーが、何を言っているのか、分からなかった。聞き取れなかったのではない。頭の中で、消化できないのだ。慶慎は言った。「もう一度」
「二桁は余裕よ。あたしの知ってる範囲。しかも、今、現役でずっとやってる子の数でね。一回だけでも、やったことのある子の数をカウントし始めたら、三桁に届くよ」
「もう一度言ってくれ。何をやってるって?」
 サニーは苛立たしげに、煙草を吸い、煙を宙に吐いた。
「だから、ウリ。援交、売春。なんでもいいよ、言い方は。全く。安希の仕事場に来て、VIP待遇受けたことまであるくせに、とぼけちゃって」
「サニー。お願いだ。分かるように、言ってくれ」
「嫌だ。あんた、記憶力ないの? 自分のことでしょ? 何日か前に、どっかでグロッキーになってたところを、安希に助けてもらったんじゃん。で、安希一人じゃ力が足りないからって、もう一人の子とあたしとで力を合わせて、安希の仕事場に運んだ。安希が、客を取ってる部屋に」
 慶慎は、自分の記憶を探った。すぐに行き当たった。松戸孝信を殺した直後のことだった。慶慎は気分が悪くなり、何度も嘔吐して体力を消耗していた。そして、少しの間、気を失った。目を開けると、見知らぬ場所にいて、側に安希がいた。
「嘘だ」
「ちょっと、ちょっと。この冗談には、いつまでつき合わなくちゃいけないの? くそも面白くないよ、ケイ。知らないわけないじゃん。安希が何をやって、お金を稼いでるか」
「知らないんだよ。そんな話、したこともない」
 サニーは眉を寄せた。地面に視線を落とし、少しの間、頭の中を整理するように、言葉を発さずに、何かを呟いていた。そして言った。
「本当に? あんた、安希がウリやってること、本当に知らなかったの?」
「さっきからそう言ってる」
「じゃあ、今、あたしから聞いて、初めて知ったってわけ?」
「そうだよ」
 サニーは悪態をついた。煙草を足下に投げつける。
「あたしったら」サニーは言った。「ごめん。本当に、ごめん」
「何が」
「こんなこと、あたしの口から言うべきじゃなかった。本人の口から聞いて、知るべきことでしょ。ごめん。ときどき、いるの。売春女に、勝手に恋愛感情を持つやつ。そういうやつってね。妄想が過ぎると、相手が体を売ってることを否定するのよ。勝手に、頭の中で、理想的な女に仕上げていくわけ。で、理想と違う部分があったら、徹底的に否定する。そういうの、あたし、大嫌いなのよ。あんたも、そういうやつの一人かと思って」
 慶慎は首を振った。そして、先ほど明かりが消えたばかりの部屋を見る。安希が、友だちの住まいだと言っていた部屋だ。慶慎は、そこを指差した。
「あの部屋。あそこには、誰が住んでるんだい」
 サニーは訝しげな目で慶慎を見た。まだ、慶慎の言葉を疑っているようだった。が、やがて頷き、サニーは言った。
「安希よ」
「安希は、友だちが住んでる所だって言ってた」
「この辺に住んでるのは、ウリをやってる子が多い。だからね。あんたには、知られたくなかった。そういうことをやってるんじゃないかって、疑いをかけられたくもなかった。そういうことなのね。ちくしょう。本当に、なんて謝ればいいか」
 サニーの声が、少し震えているようだった。見ると、目に涙を示す輝きがある。慶慎は動揺した。
「どうしたの」
「こういうことをやってお金を稼いでるとね。男の子との距離の取り方って、難しいのよ。ふとした瞬間にセックスが入り込んでくる。それで、それまで築いてた関係が崩れちゃったりする。セックスがなければ、もっと長続きしていて、お互いにいい理解者になれるはずだった関係だって、簡単に壊れちゃったりする。まるで、最初から、やることが目的だったみたいな感じになっちゃったりする。セックスしたら、はい、さよなら。ってな具合にね。本当にそういう場合もあるんだけど。セックスに入り込んできて欲しくない関係がある。自分が売春をやってるということを忘れて、会っていたい人間がいる。そういう人って、少ない。だから」
「僕が、安希にとって、そういう人間だった?」
「本人に聞かなきゃ分からない。けど、そうかもしれない。だとしたら、あたし、取り返しのつかないことをしちゃった」
「わざとやったことじゃないだろ」
「でも。ごめんなさい」
 サニーは両手で顔を覆った。肩が大きく震える。慶慎が背中をさすると、サニーはその頭を、慶慎の胸に寄せてきた。そうしながら、サニーはもぞもぞと動いて、携帯電話を手に取った。
「どうした?」
「あの子に連絡してみる。あんたと安希は、直接会って、話をした方がいい。あたしがとんだ間抜けをやって、全部分かっちゃった以上」
「さっき、部屋の電気が消えたよ。安希はきっと眠ってるよ」
 サニーは通話ボタンを押して、しばらくの間、電話の発する呼び出し音に耳を傾けていた。留守番電話サービスの、機械的な女の声に切り替わった瞬間、通話を切った。サニーは首を振った。
「駄目だわ」
「仕方ないよ」
「ねえ。あたし、必ず、近いうちに、あんたとあの子が会う場をセッティングする。お願いだから、あの子の話を聞いてあげて」
 考える時間は必要なかった。慶慎は頷いた。
「もちろん」慶慎は言った。「そうしないと、何も始まらない。終わらない」
 慶慎は、サニーと携帯電話の番号を交換し合って、別れた。
 その夜は、それ以上、外を歩き回る気分にはなれなかった。慶慎はすぐ家に帰り、シャワーを浴び、ベッドに入った。もの思いにふける暇などなかった。眠りはすぐに訪れた。


つづく






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2007年04月30日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第96回(ver 3.0)

「だから言ったじゃないか。間に合わないって」
 鈍い銀色のフェアレディZ。その運転席で、アイザックが言った。手の上に乗せた、リタの髪の毛に、鼻を寄せながら。アイザックは鼻孔から、リタの髪の香りを吸い込み、恍惚とした表情を見せる。いい香りだ。アイザックは言った。
 リタには、アイザックの言動が理解できなかった。なぜ、そこまで髪と色と長さにこだわるのかも。だが、こだわりがあるのはいいことだ。人の内面を垣間見ることができる。人をコントロールする手がかりになる。
「あたしは、構わないと言ったわよ」アイザックの言った通り、ケイシンを捕まえることはできなかった。少しの間、<エイダの店>の周辺を車で走ったが、彼らの姿を見つけることはできなかった。リタは、助手席の窓を、数センチだけ開けた。冷たい空気が流れ込んできて、リタの頬を撫でる。「あの子と同じ場所を見て、同じ空気を吸う。それが大事なのよ」
「なら、店の中の空気も吸いたいんだね?」
 車は、エイダの店の、向かい側の通りに停めていた。店の入口では、カザギワの構成員が見張りをしている。強引な方法以外で、中に入ることは難しそうだった。そして、アイザックはその、回避すべき方法のことを頭に思い浮かべている。危なげに宿る、目の光を見れば分かる。リタは首を振った。
「だめよ、暴れるのは。あたしが、いいと言うまで、おとなしくしていて。これは、繊細な問題なのよ」
「セックスも、殺しもなし。変わったね、君は。昔はもっとハードだった」
「あなたは、あの頃のまま。全く、変わらないわね」
「それは、褒め言葉と受け取っていいのかな?」
「いえ。あまり、いいことではないわ」
 アイザックは、傷ついた表情を浮かべた。放っておいて、リタは窓の外を眺めていた。見張り役の男と、目が合った。車を停めて、二十分ほど。誘ってもいないのに、勝手に身を寄せてくるアイザックを、そのまま利用して、仲のいいカップルを装っていたが、男の注意をそらすのも、もう限界かもしれなかった。リタは言った。
「出して。そろそろ」
「帰るのかい?」
「いえ。また、少し。この辺をドライブしましょう」
「オーケイ」
 もちろん、見張り役の男は、リタを不審な人物としてではなく、ただの魅力的な女として、意識し始めている可能性もあった。が、それを確かめるのは危険過ぎる。
 アイザックは、義手の左手で器用に、引っかけるようにしてギアを操って、フェアレディを発進させた。スムーズに、音もなく滑るように。それができなければ、リタがハンドルを握っている。
 ケイシンを、あと一歩のところで逃したという、アンバー・ワールドの少年たちに会った。同じ子どもとは言え、片や、ただの街の不良、片や、カザギワの殺し屋だ。実力差は歴然としている。それでも、アンバー・ワールドの少年たちは、ケイシンにやられたことで、牙を抜かれた獣のようになっていた。すっかり、気落ちしていた。
 そういう者たちと会い、話をするのは楽しい。そして、それがリタの仕事の一部でもある。会話を重ねるうちに、少年たちは、ケイシンに砕かれた自信を取り戻していた。そして。近々、それは怒りに、復讐心に変わる。その瞬間に、少年たちの内側に起こる化学反応。それはきっと、内側だけにとどめてはおけないだろう。表情に、必ず出る。それを目にするのが、楽しみで仕方ない。
 リタは、窓から外を眺めていた。知らず知らずのうちに、微笑をたたえていた口許。その歪みが、さらに深まる。
 アイザックが言った。
「また、何か。楽しいことでも見つけたのかい?」
「そうよ、ベイビ。こういうことがあるから、手抜きはできないのよ。車を停めて」
 アイザックは首を傾げながら、リタに言われた通りにした。リタは、すぐに車を降りて、通りに出た。
 夜の街を一人、泣き、肩を揺らしながら、歩いている子どもがいた。ヨシト・ヒトツバシ。エイダの息子だ。リタは、ヨシトの進路をふさぐようにして、立った。ヨシトは顔を上げ、それがリタであることに気づくと、大きな声を上げながら、リタの腰に飛びついた。
 会うのは、これが初めてではない。エイダの店で、何度か顔を合わせている。ヨシトの耳が聞こえないことも、知っていた。リタは、運転席で怪訝な顔をしているアイザックに、スケッチブックと書くものをくれるように頼んだ。そして、それを受け取り、字を走らせる。
 リタの下腹部に顔を埋めるヨシトの、肩の揺れが小さくなった頃を見計らって、優しく、ヨシトの体を引き剥がした。
『大丈夫?』リタは、そう書いたものを、ヨシトに見せた。
 ヨシトは、リタが手話をできないことを知っている。ヨシトはスケッチブックを受け取り、アイザックの使っていた鉛筆で返事を書いた。
『お姉ちゃんが探してたやつが来て、お母さんを殺したんだ。他にも、たくさんの人を殺した』
『ひどいやつね』
『くそ野郎だ。あんなやつ、死ねばいいんだ』
 リタはたしなめるような表情を浮かべ、首を振った。いずれまた、ヨシトに同じ言葉を吐かせることになるだろうが、今はその時期ではない。
『気持ちは分かるわ。けど、だめよ。そんなこと言っちゃ。お母さんが、悲しむわよ』
 ヨシトの目にまた、涙が溢れた。再び、声を上げて泣き始める。リタは、自分の下腹部にヨシトの顔を引き寄せた。狙っていた通りの反応だ。まずは、そう。リタの言葉が思うように届く所まで、ヨシトとの距離を縮めなければならない。全ては、そこからだ。
 リタはヨシトの手を引いて、車に戻った。アイザックが言った。
「どうするんだい、その子」
 リタは、ヨシトの頭を撫でながら、言った。
「決まってるでしょう」
 アイザックが、にやりと笑った。リタが何を考えているか、分かったのだ。
「なるほど。君の言ってたことが、段々と分かってきたよ。ケイシンの周囲にまとわりついて、そうやって原石を拾っていくつもりなんだ」
「そう。研げば、ナイフや銃弾になる、原石を」リタは言った。
「ミカドになる、原石を」
 アイザックが言った。


つづく






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posted by 城 一 at 05:12| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第97回(ver 2.0)

 しばらくは、忙しい日々が続いた。何かとやることがあった。慶慎は、ヨシトのことも、安希のことも、考える時間が、あまりなかった。考えようによっては、いい傾向なのかもしれなかった。慶慎がいくら思案しても、解決しないことだ。実際に会うか、解決もしくは解決と思わしき方向へ事態を動かすべく行動する以外に、すべきことはなかった。
 空は、好き勝手に表情を変えていた。散々、雪を降らせ、積雪を予兆させておきながら、おもむろに雲を全て消し去って、太陽の光で、街を覆おうとしていた白い膜を溶かしてしまった。そして雨で街を濡らし、即座に凍らせ、自動車事故を誘った。
 慶慎はリヴァ、バーバーと三人で、リタ・オルパートとアイザック・ライクンのコンビを追っていた。おおかた、訪ねるべき場所は消化してしまっていた。有効打にはなり得ないとは分かっていても、残されている可能性の高い人、場所を、片っ端から当たった。思いつく限り。地道な作業になった。かけた時間と、引き換えに手に入る結果が比例しない、地道な作業。それでも続けるしかなかった。有力な情報は、手に入らなかった。
 合間に、<エイダの店>から回収してきたビデオ、ノート、書類の中身をチェックした。これは、リタとアイザック探しの作業以上に、地味なものになった。ときどき、リヴァが、ツガ組白虎隊から、応援を連れてきた。それでも、なかなか終わりは見えなかった。ビデオやノート、書類の中身の確認作業は、内容の種類が全てほとんど同じため、捜索以上に、三人に苦痛をもたらした。
 慶慎は、サニーと連絡を取り合っていた。安希と会う日取りを決めるためだ。話の内容が内容なので、できるだけ長い時間が必要だというのが、二人の共通した考えだった。サニーが言うには、安希も同じ考えのようだった。が、そう簡単には長い時間を確保することができなかった。その上、慶慎と安希のスケジュールは、すれ違いを続けた。慶慎が時間を取れても、安希の方が取れず、安希が取れても、慶慎が取れない。そういったことが多々あった。慶慎はそのうちに、安希が本当は、自分と話をするのを避けているのではないかと思い始めた。同時に、安希が同じような思いを、慶慎に対して持っているのではないかとも思った。それは、実際に本人に確かめるしかなかったが、できなかった。サニーが、時間に都合ができて、互いの顔を見て話す機会ができるまでは、接触しない方がいい、と言っており、慶慎もそれに賛成していたからだ。自分は今、とても繊細なものを扱っている。慶慎はそう思っていた。
 慶慎は、カザギワにも呼ばれていた。ミカド殲滅のための、作戦会議だった。議題はかなり丁重に扱われた。方針の決定なども、慎重に行われた。会議は、何度も重ねられた。会議に参加する他に、葛籠の所で、武器の選択と調節もしなければならなかった。構成員が比較的少数であるとは言え、二つの組織を潰すのだ。ハンドガンだけでは足りない。
 会議に参加しつつ、慶慎は高田清一に、リヴァから言われたビデオや書類を渡した。<エイダの店>で手に入れたものだ。そのときには既に、中身を確認したビデオ、ノート、書類が、かなりの数量に上っていた。高田に渡すものの数も、同様に増えていた。高田は、ただ受け取った。既に、彼の中には何か考えがあるようだった。リヴァからの土産にも、さして驚きはしなかった。
 会議を重ねるうちに、ツガ組の人間が加わるようになった。そして、当初、和製のミカドと外国製のミカドとされている二つの組織を、カザギワだけで殲滅する予定だったものを、ツガ組と協力して殲滅することになった。和製のミカドをツガ組が、外国製のミカドをカザギワが受け持つことになった。
 会議には、リヴァやバーバーの姿が見られるようになった。慶慎を通さずに、リヴァが直接、高田と会い、話を持つようになった。慶慎は、リヴァが高田とどんな話をしているのか、教えてもらうことはできなかった。
 一週間が経つ頃、ようやく、慶慎と安希のスケジュールに折り合いがついた。
 喜んでいいのか、悪いのか。慶慎は、複雑な気持ちだった。時間を置いた分だけ、安希と言葉を交わすことに対して、恐怖染みたものが芽生えていた。
 サニーから、安希と会う場所を決めてもいい、と言われた。慶慎は、リヴァに相談して、昼の、開店する前のリティの店を借りることにした。
 安希と会うことを、慶慎は隠さなかった。リヴァが、冗談交じりに、からかうように言った。
「一応言っておくけどな、K。ラヴホテルみたいな使い方はするなよ」
 慶慎は、気の利いた言葉を返すことができなかった。


つづく






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posted by 城 一 at 04:42| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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