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最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年10月17日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第198回(10版)


三人目の少年


 足をすくわれた象のように、大きなテーブルが音を立てて転がった。リヴァが力任せに引っくり返したのだ。

「ふざけるな」リヴァは、磐井の襟を鷲摑みにした。「兄貴分の敵討ちを使って組から破門を受けたやつが、早々に敗北宣言か、ええ? 近頃のやくざさんは、随分と冷静な頭をお持ちのようだな」

「光の当たらない世界では、感情の赴くままに生きることを許されるのは、ごく少数の人間に限られてるもんでね。自然と、そうなるのさ」

「お前は怖気付いただけさ。本当は最初から、敵討ちなんてするつもりなんかなかった。お前はずっと探してたんだろう、事から逃げる口実を? だから、簡単に尻尾を巻ける」

「何だと」

 磐井の目に火がともる。バーバーは、背後からリヴァを羽交い絞めにして、磐井から引き剥がした。

「けど、分からない」バーバーは言った。「いくら好きなバンドの人間の言葉だからと言って、<アンバー・ワールド>に<ミカド>のような属性を与える言葉が、そう簡単に浸透するものでしょうか? あなたがさっき言ったような、“街のダニどもをぶっ潰せ”というような? 歌を楽しみに来てるのに、正義なんか語られたら、しらけたりするものじゃないですか?」

「<アンバー・ワールド>が、<アンダーワールド>から派生した集団だということは知ってるな?」磐井が言った。

「ええ」

「<アンダーワールド>の曲に、アンバーが作った<channel>って曲がある。死んだ恋人に捧げたって一曲だ。<アンバー・ワールド>の連中は、この曲が大好きだそうでな。アンバーの恋人が、昔あった<SKUNK>と<ロメオ>ってギャングの抗争の中で死んだってのは、周知の事実だった。で、みんな<ロメオ>のメンバーの誰かに、アンバーの恋人が殺されたのだと思っていた。そうされていた。<ロメオ>のメンバーは、既に全員死亡しているから、連中は安心していられた。既に、報復は済まされたと。だが、最近、リタ・オルパートがアンバーに近付いてから、新しい情報がもたらされた。実際にアンバーの恋人を殺したのは、<ロメオ>ではなく、<ロメオ>が雇った殺し屋の仕業だと」

「殺し屋」

「殺し屋集団<カザギワ>から派遣された、殺し屋の」

 なるほど。バーバーは唇を噛みながらも、感心せざるを得なかった。いいところに目をつけたものだ。既に、<channel>という曲で、<アンバー・ワールド>はアンバーの恋人を殺した人間に対する怒りを共有していたのだ。<アンバー・ワールド>には、<ミカド>化する地盤ができていたということだ。

「けど、それは事実じゃない」言ったのは、飛猫だった。「うちの情報管理部の人間が、百パーセント、<カザギワ>が<SKUNK>と<ロメオ>の抗争に関わったという事実はないと言っているわ」

「誰かが、嘘をついている」バーバーは言った。

「リタ・オルパートがアンバーに近付いたのと、アンバーが<カザギワ>の名前を口にし始めたのは、同時期だ」磐井が言った。「嘘をついているのは、リタ・オルパートで間違いないだろうな」

「でも、なぜ」

「リタ・オルパートの狙いは、風際慶慎だったんでしょう? もう既に、手に入れたようだけれど」飛猫が言った。「リタ・オルパートは、<カザギワ>を相手にする可能性を視野に入れていたんじゃない?」

 もう、その可能性はないけれど。バーバーは胸の内で呟いた。もう誰も、風際慶慎のためには動かない。リヴァ以外は。

 思考に集中した分、力が緩んでいた。バーバーは、リヴァに振り飛ばされた。今にも飛びかからんばかりに肩を怒らせ、磐井を睨みつける。

「それで? 答えは出たのかよ」リヴァは言った。

 磐井は、ゆったりとソファに身を沈め、脚を組んだ。

「話を聞いてなかったのか? 俺の考えが変わるような情報はもたらされていない」磐井は言った。「風際慶慎がどうなろうが、知ったことか」

「この野郎!」

 リヴァは頭を低くして、磐井にタックルを食らわせた。ソファから床へ、その体を引きずり下ろし、マウントポジションを取って拳を降らせる。止めようと、その肩を摑んだバーバーは、振り向きざまに繰り出された右フックで、リヴァの反撃を食らった。吹っ飛び、ガラスがはめ込まれた壁で背中を打つ。

 リヴァの考えを支持するわけにはいかなかった。六百強という数字を相手にかける特攻では、到底、勝算は成り立たない。だが、見放せば、リヴァは一人で行くだけだ。風際慶慎を助けるために、<ホープ・タウン>へと。一人になったリヴァは、勝算など気にしない。死ぬことさえ。感情だけが、優先される。

 ちくしょう。

 バーバーは懐から自動拳銃(ピストル)を出し、薬室に銃弾を送り込んだ。素早く歩み寄り、リヴァの後頭部に銃口を突きつける。リヴァが言った。

「何のつもりだ、バーバー?」

「それはこっちの台詞だ、リヴァ」バーバーは言った。「磐井さんに敵意を向けて、何になる? 彼の協力がなければ、僕らは三人だけだ。それで風際慶慎を助ける? 付き合いきれない冗談だ」

 バーバーに向き直ったリヴァの目には、遠慮のない怒りがともっていた。踵に力を込めて、後退しそうになる自分を止める。バーバーは銃口を、リヴァの額に向けた。

「てめえ」

「リヴァ。君は、風際慶慎のために死にたいのか? それとも、彼を助けたいのか。どっちだ?」

「悪いが」磐井が言った。「今さら、俺の機嫌を取ったって遅い。俺たちは、お前たちと共同で戦線は張らない」

「いや」バーバーは人差し指を立てて、磐井を制した。「あなたにも、言わなければならないことがある」

「何?」

「あなたは、時間が経てば事が好転するかのようなことを言ったが、そうなる保証はどこにもない。それどころか、リタ・オルパートの下で、<ホープ・タウン>に集まる<アンバー・ワールド>は、さらにその数を増大させる可能性が大いにある。違いますか?」

 磐井は、反撃の言葉を口の中で噛み殺し、何も言わなかった。

「それに、あなたたちは仲間の敵を取るために、組を離れた。今はまだいいでしょう。火が入ったばかりなんだ。その意志は、永遠に燃え続けるような錯覚に囚われていても、不思議じゃない。でも、それは事実じゃない。火は燃え続けない。時間が経てば消える。そうなれば、いずれ魂が腐る」

「そんな青臭い哲学、説かれる必要なんか、俺たちにはない」

「あなたは、リヴァに打開策を求めた。同じように、訊きます。あなたには、打開策があるんですか?」

 磐井は答えなかった。

「なら、リヴァと同じだ」

 磐井が飛びかかる気配を見せた。バーバーは自動拳銃(ピストル)をもう一丁抜き、磐井に向けた。逃げ出したくなる自分を腹の奥底に押し込み、リヴァと磐井を同時に睨み返す。しくじれば、<アンバー・ワールド>に対する勝算を失う。リヴァを失う。

「<ホープ・タウン>に集まっている<アンバー・ワールド>の核は、嘘でできてる。リタ・オルパートがアンバーに吹き込んだ嘘で」

 バーバーは、確認するように言った。誰も、何も言わなかった。

「アンバーの恋人を殺したのが、<カザギワ>の殺し屋ではないことが証明できれば、彼らにかなりのダメージを与えることができる。彼らの繋がりが弱体化する」

「事実があるだけでは、そうはならない」磐井が言った。

「だから」バーバーは言った。「インターネット、紙媒体。利用できるメディアは、全て利用して、手に入れた情報を流す。<ミカド>はメディアを介して生まれた存在だ。目には目を。メディアには、メディアをだ」

「ふざけるなよ、バーバー。そいつは時間がかかる作戦だ」リヴァが言った。「時間がかかれば、慶慎が死ぬ」

「そうなるかもしれない。そうならないかもしれない。けど、そんなのくそくらえだ、リヴァ。慶慎が生きていようが、僕らが彼の下へたどり着き、彼を伴って生還できるルートを確立できなければ、彼が生きていなかったときと同じ結末になる。死というバッド・エンドに」

 リヴァの目にともる怒りの度合いが増した。だが、退かない。退けば、リヴァの言い分を認めたことになる。

「さあ」バーバーは言った。「異論があるなら、今ここで聞く」

 リヴァも、磐井も何も言わなかった。バーバーは銃を収めた。

「では、全員、僕の指示に従って動いてもらう。証拠を集め、聞き込みをする」

「警察のように」飛猫が言った。

「警察のように」バーバーは繰り返した。「少し、時間をもらいたい。一人にしてください」

 誰も返事はしなかったが、皆、それぞれのペースで考えを整理し、部屋を出て行った。ダンクが複雑な表情を浮かべていたが、何も言わなかった。飛猫が、車椅子の肘掛けの上で頬杖を突き、面白そうにバーバーのことを眺めていた。

「一人にしてほしいと、僕は言いましたよ」

 飛猫は肩をすくめた。

「意外なところに、いい男がいたことにびっくりしてるのよ」

「褒めたって、何も出ません。怪我をしていようが、関係ない。あなたにも動いてもらいます」

「もちろん」

 バーバーは深い溜め息をつき、ソファに腰を下ろした。脱力し、体を深く沈める。飛猫が言った。

「なかなか辛い立場に、身を置いたわね」

「嘆いてる暇なんか、ないですよ」

「風際慶慎は、どうなると思う?」

 バーバーは飛猫を一瞥して、言った。

「助かる可能性は、ゼロに等しい」

つづく




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posted by 城 一 at 00:46| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第197回(9版)


諦めろ。


 磐井に、<オリーヴ>という名のクラブに呼び出された。むせるような熱気と、鼓膜が痛みそうな騒音の中で、若者たちが体をぶつけ合う箱。メインとなるダンスホールでは、外界を満たす凍てつくほどの寒気を無視して、客たちが汗だくになって踊っていた。ホールの中心には、まるでドーナッツのように穴ができていて、ダンスの技術に長けた猛者たちが、互いのテクニックを披露して、暴力を使わずに戦闘(バトル)していた。ヘルメットをかぶったそのうちの一人が、まるでスプリンクラーのように、頭だけで体を支え、くるくると回っていた。

 ホールを通って奥に行くと、鈍い緑色に塗られた、分厚い木製の扉があった。それを開けると螺旋階段があり、ダンスホールが見渡せる、二階にある個室へと繋がっている。高額な使用料を要求される場所。金を持っている者は、ホールで直接、誰かと体をぶつけ合ったりはしない。

 VIPルームの中央には、ウォルナット材を使った円形のテーブルが置いてあった。それに沿う形で、半円状の、赤い革のソファ。磐井と飛猫は、既に着いていた。飛猫は車椅子で、ソファを使わずにテーブルについている。車椅子の後ろ側に、刀を背負うようにして、体を支えると言うよりは、鈍器と言った方がぴったりとくる、黒く塗った鉄製の松葉杖を取り付けていた。二人とも、酒の入ったグラスを前にしていたが、一口も飲んだ様子はなかった。磐井の前、ガラス製の灰皿の中で、煙草が甘ったるい香りを放ちながら、煙を立てていた。バーバーは、リヴァとともに、ソファの左端に座った。ダンクは、壁の一部にはめ込まれたガラス越しに、ダンスホールを興味深そうに見下ろしていた。

「いい知らせと悪い知らせがある」磐井が言った。

「物事はたいていそうなってる。イカサマをしない限り、裏だけのコインなんかないんだ。逆もまた、しかり」

 リヴァはソファの背に沿って両腕を伸ばし、脚を組んで、そう言った。

 バーバーたちを案内したウエイトレスが、「お飲み物は」と言った。リヴァが口を開きかけたが、バーバーが先に「いらない」と答えた。

「いい知らせ」磐井は言った。「アイザック・ライクンとリタ・オルパートの居場所が分かった。数年前、治安悪化を理由に工事が頓挫し、以来、放置されているカナジョウ市の地下街<ホープ・タウン>だ」

「それで?」リヴァは言った。

「悪い知らせは、二人がアンバーとともに、<アンバー・ワールド>の連中を引き連れてるってことだ。俺は<ツガ>に入る前は<白金大熊猫(プラチナ・パンダ)>って暴走族にいたんだが、そこの後輩が音楽好きでね。<アンダーワールド>にはまったついでに、<アンバー・ワールド>の方にも興味を持って、<ホープ・タウン>にいた」

「なるほど。あんたはアイザックと、その」リヴァは磐井をからかうように、下唇を突き出した。「<白金大熊猫(プラチナ・パンダ)>の板挟みってわけだ。同輩のよしみでもあるわけだし、笹の葉で懐柔するわけにはいかないのか?」

 磐井はリヴァのことを、横目で睨んだ。

「後輩たちは、興味本位で連中の活動に加わっただけだ」

「連中の活動?」バーバーは言った。

「<ホープ・タウン>でアンバーが、自身が中心になってやってるバンド<FOSTER>のライヴを通して、銃を持って鉛玉ぶち込んで、街のダニどもをぶっ潰せと啓蒙する活動だ」

「街のダニどもとは」

「<ツガ>や<カザギワ>。その他、法の垣根を越えた世界で活動する者たちのことだ」

「ははあ!」

 リヴァが両手を天井に向けて、声を上げた。バーバーは言った。

「<ミカド>化だ」

「そう。俺の後輩は、それについては賛同しなかった。動向を探らせるために、少しだけ残したままにしてあるが、俺が言えば全員、<アンバー・ワールド>からは抜ける」

「なら、悪い知らせは?」

「<ホープ・タウン>にいる<アンバー・ワールド>の数は、およそ六百強。しかも、発展途上で天井は見えない。<ホープ・タウン>にいないってだけの予備軍は、街中に転がってる」

 バーバーは、指先で作った尖塔の陰に表情を隠した。無理だ。五十人で勝算が成り立つ数ではない。しかも。

「それに加え、向こうにはアイザック・ライクンがいる」バーバーは言った。

 飛猫が言った。

「アイザック・ライクンは、あたしが殺る。あなたたちは、純粋に<アンバー・ワールド>の数を相手にすることだけを考えていればいい」

「車椅子と松葉杖がなければ外出できないほど満身創痍のあなたが、どうすればアイザック・ライクンを殺せるんです?」

 飛猫は答えなかった。磐井は彼女を一瞥してから、独り言を呟くように言った。

「彼女は殺る」

「それで?」リヴァの声には棘が含まれていた。先ほどまでのおどけた雰囲気は、緊張した空気の中に霧散した。「話の要点は何だ?」

「六百を相手に勝算が成立する打開策はあるか?」磐井が言った。

「ある」リヴァは即答した。

「聞かせてもらおう」

「<ホープ・タウン>に、ありったけの武器を持って殴り込む。連中を皆殺しにする」テーブルの上で握り締めたリヴァの拳が、白くなっていた。「簡単なことだ」

「それは打開策とは言わない」

「だったら何だ? とっとと言いたいことを言え」

「俺たちの目的は、あくまでもアイザック・ライクンだ。だからと言って、お前たちの目的を軽視はしないが、六百人を相手に真っ向から勝負を挑んだりもしない。俺たちは機をうかがう。勝算が成り立つほどの状況になれば、お前たちに協力してやらないこともないが」磐井は言った。「だが、そうなる可能性はゼロに近い」

「だから?」

「風際慶慎のことは諦めろ」

 磐井は言った。

つづく




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posted by 城 一 at 15:57| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月07日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第196回(3版)


器が失われなければ。


 傾けた壜の中で、ウイスキーが尽きた。リヴァは舌打ちして、空になった壜を投げた。壁にぶつかり、砕け散る。すぐ側にいた男は、体をびくつかせ、壁の、壜がぶつかった部分を見つめていた。

 痩せぎすの男だった。身に付けている焦げ茶色のダッフルコートは、どこをとっても、幅が余っていた。短く刈った黒髪。落ち窪んだ目。こけた頬。元々薄かった唇は、恐怖が原因で色を失い、さらに薄く見えた。

 テーブルの上にあった、茶色い紙袋を取った。壁で割れたものと同じウイスキーが、中に入っていた。蓋を開け、呷った。喉元が焼ける。

 ろくに眠っていなかった。まともに摂った食事の記憶は、かなり遠いものになっている。全ての時間を削って、慶慎を探した。〈アンバー・ワールド〉と思しき者たちを見つけて、話をし続けた。話を聞けば聞くほど、曖昧な集団だった。自ら名乗れば、誰も否定する者はいない。確かなのは、これまでに話を聞いた者たちの中に、慶慎や、リタ・オルパート、あるいはアイザック・ライクンの居場所を知っている〈アンバー・ワールド〉は、いなかったということだ。

 ダッフルコートを着た、痩せぎすの男も、そんな〈アンバー・ワールド〉の一人だった。

 リヴァは、ウイスキーを飲んだ。壜を見ると、既に中身の三分の一が減っていた。だから? リヴァはげっぷをした。

 飲みすぎなんじゃ? 恐る恐る、男が言った。中身が入ったままの壜を投げた。蓋も閉めずに。男は逃げられなかった。体を縄で、椅子の背もたれに縛り付けられていた。壜は男の額に当たり、床に落ちた。鈍い音を立てただけで、割れはしなかった。男に歩み寄り、平手打ちを食らわせた。

「無駄口叩いてる暇があったら、とっとと役に立ちそうな話をして、俺を満足させろ」

 男は悲鳴を上げ、顔を引きつらせた。鼻をすすって音を立てる。何度か、拳を叩き込んだあとだった。男の顔の下半分は、鼻血で赤く染まっていた。

「もう、十分話したじゃないか。これ以上、何も出てこないよ」

「そうかな?」

 平手打ち。男が、リヴァに聞かせる話――それが例え、嘘だったとしても――をするために、頭を働かせるまで続けた。いや。正確には、続けようとした。何発目かの平手打ちのために振り上げた腕が、摑まれた。顔を上げると、ダンクがいた。

 ダンクは、小さく肩をすくめた。言いわけをするように、口を開く。

「バーバーが、やめさせろって。そいつからはこれ以上、使える情報は出てこないって」

 バーバーが、ダンクの後ろで、腕を組んで立っていた。

 リヴァたちがいるのは、男が住んでいるアパートの一室だった。三人でここに来た。見つけた、この〈アンバー・ワールド〉の男はリヴァの担当ということに決め、二人は他の部屋へと、話を聞きに行った。アパートにある部屋の数は、三十超。二人が出ていってから、まだ二十分ほどしか経っていなかった。

「少し、早すぎやしないか、バーバー?」リヴァは言った。「それとも、手ぇ抜いたのか?」

 バーバーは、微動だにしなかった。表情さえも。

「留守の所が多くてね。それに、悪い予感がした」バーバーは言った。「そいつのこと、殺すつもりだっただろう、リヴァ?」

「なぜ?」

「ただの戯れ。やつあたりのために」

「結果的には、そうなったかもしれない。ならなかったかもしれない。だが、それがどうした?」

リヴァは言い、ダンクの手を振り払った。いつまで摑んでやがるという言葉とともに。ダンクが言った。

「リヴァ。お前、酒臭いな」

「そうか? 気付かなかったよ」

 バーバーが、目を閉じた。

「飲みすぎだ。手を抜いてるのは、リヴァ。君の方なんじゃないのか?」

「何?」

 ダンクが、前に立ちはだかろうとした。体を捻り、かわす。バーバーに詰め寄り、コートの襟を鷲摑みにした。

「もう一度言ってみろ、バーバー」

「手を抜いてるのは、君だと言ったんだ、リヴァ」目を開いたバーバーは、わずかに口許を歪めた。嘲笑。「もう諦めたのかい、Kのこと?」

 右フック。気が付いたときにはもう、バーバーの顔面に叩き込んでいた。

 バーバーは、血の混じった唾を吐いた。手の甲で、切れた唇を拭う。

「それで?」

 バーバーの、冷たさを含んだ視線。それに、摂取しすぎたアルコールが、頭を加熱した。右肩を引く。二発目の右フック。

 繰り出した拳は、空振りに終わった。体が浮き、足が床から離れる。自分の身に起きていることに気付いたときにはもう、リヴァは投げられていた。首を摑まれ、思いきり。投げたのは、ダンクだった。

 床に着地するのには、〈アンバー・ワールド〉の男の部屋は、狭すぎた。ダンクの力は、強すぎた。

 リヴァの体は窓を破り、落下した。二階から。頭の中を、死の一文字がよぎった。が、アパートの裏手に生えていた巨木が、その心配を払拭した。巨木が長い時間をかけて伸ばした枝をいくつも折り、リヴァは地面でバウンドした。アイザックとの戦いで受けた傷が、できたときの痛みとともに蘇り、悶絶。しばらくの間、地面を転がって、気を紛らわせなければならなかった。

 痛みの波が穏やかになり、側にバーバーとダンクがいることに気付いた。取り戻した余裕の分だけ余分に転がり、うつ伏せの状態になったところで、体を止めた。リヴァは言った。

「てめぇ、殺す気か、ダンク」

「すまん、やりすぎた」ダンクは言った。「けど、バーバーは殴られるようなことは、してないし、言ってもいないと思った。俺、間違ったかな?」

リヴァは鼻先で、短く笑った。

「力加減だけな」

「リヴァ」バーバーが言った。

 体はうつ伏せのまま、リヴァは言った。顔も、地面にぴったりとつけたままで。

「あいつがリタ・オルパートと行ってから、もう五日だ。リタ・オルパートは、欲しかったものを手に入れた。時間をかける必要はない」

「けど、リタ・オルパートは、岸田海恵子、市間安希、サニー・フゥのことも、手に入れてる」

「あいつを釣るための、餌にするつもりだったんだろうさ」

「けど、別の使い方もできる。その場合、Kは即座には殺されないと思う」

 リヴァは起き上がり、バーバーを見た。

「残酷なことを考えるな、お前」

「可能性に過ぎないけど。でも、リタ・オルパートの、Kへの執着の仕方を考えると、あり得ないことじゃない」

「けど、その場合、慶慎の心が死ぬかもしれない」

 バーバーは、小さく首を振った。

「心は死なないよ、リヴァ。器が失われなければ」

 リヴァは独り言ちるように、呟いた。

「そう願う」

つづく





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2008年09月17日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第195回


罪悪感という名の毒。


 安希は激痛に体を震わせた。椅子に手足を拘束された状態で、最大限に。慶慎は体を捻った。手錠で繋がれた両手を椅子の背もたれ越し、腰の後ろからうなじまではね上げる。椅子を蹴り飛ばし、床に突いた頭と肩を支えに、体のばねだけで跳び、回転。起き上がる。突き出された鉄パイプを足場に、跳躍。正面の〈ナンバーズ〉の顔に前蹴りを叩き込む。反動を利用して後方へ。回転。落下しつつ二人目の後頭部を蹴り飛ばした。背中に衝撃。あえて踏み止まらず、攻撃された勢いのまま転がる。そして跳躍。三人目の顎に頭突き。そのまま飛び上がろうとした肩を木刀で打たれた。背。腹。打撃が重なる。右胸に突き。仰向けに倒れる。天井の明かりを人垣が遮る。誰かが振りかぶった。衝撃。視界が散った。



 目を開けた。リタ・オルパートがステージの縁に腰を下ろし、手を叩いていた。

「さすが、〈カザギワ〉の殺し屋。両手を拘束された状態から、三人を打ち倒すとはね。たいしたものだわ」

 慶慎は、椅子に固定しなおされていた。今度は、ステージ上で自由を奪われている女たち三人と、同じ方法だった。椅子は肘掛けと脚が四つあるものに変わり、それぞれに縄で手足をきつく縛り付けられていた。

「だから言ったじゃないか。最初から、その方法で縛っておけば、問題はなかったんだ」アイザックが言った。

「殺せ」

 慶慎は言った。安希は、痛みが治まったのか、静かになっていた。目を閉じている。頬には、涙を流した跡があった。

「話が、まだ途中だわ」リタが言った。

「御託は不要だと、何度言わせる」

「あなた、番号は?」リタが、ステージ上の〈ナンバーズ〉に言った。銀色の坊主頭の少年だ。彼は、“29”と言った。リタは頷いた。

「では、ミスタ・29。サニー・フゥの小指の爪を」

 29番は、言われた通りにした。サニーはギャグボール越しに、くぐもった悲鳴を上げた。

「やめろ、リタ・オルパート」

「ミス・オルパートと」

「くそくらえ」

「岸田海恵子」

 29番が、海恵子の小指の爪を剥がした。くぐもった悲鳴。サニーよりも、重ねた年月が長い分、声は低かった。

「くそっ、僕の爪を剥がせ」

「駄目よ。肉体的苦痛は、精神的苦痛を和らげる」

「なぜ、こんなことを」

 リタは微笑した。

「許可が出たようだから、御託を述べるわ」リタは言った。「人は思い出すことができる。だから、例えばあなたは、岸田海恵子を失った場合でも、思い出すことで、岸田海恵子に感じた感情、彼女と過ごした日々の記憶を、反芻できる。しかし、彼女の死に、自分が少しでも関わったら?」

 慶慎は悪態をついた。

「罪悪感という名の毒は、あなたの記憶の中に入り込み、岸田海恵子への感情を、思い出を、破壊する」

「それを分かっていて、僕が、彼女たちに、優先順位をつけると思うのか?」

「アイザック」

 リタの呼び掛けにアイザックは、十四インチのテレビほどの大きさの、箱を持ってきた。ピンク色で、ディフォルメを施されて二頭身になった青い、耳の垂れた犬と、黄色い猫が、満面の笑みを浮かべながら、ウインクをしていた。

「あなたが優先順位をつけなければ、どうなるか」リタは慶慎を見つめながら、箱に手を伸ばした。箱の上面には、拳大の穴が開いていた。彼女はそこから手を入れ、出した。彼女の手のひらの中には、小さな紙切れがあった。リタは、それを開き、言った。「サニー・フゥ。R-4」

 29番は、サニーの右手の薬指の爪を剥がした。悲鳴。慶慎はうつむいた。肘掛けが、力を込めた腕の下で軋んだ。耳を塞ぎたかった。リタが言った。

「この箱の中には、彼女たち三人の左右五本の指に対応した紙が入ってる。あなたが彼女たちに、優先順位を付けるのをためらった時間の分だけ、彼女たちは肉体的苦痛を受ける」

「やめろ」

「二週目は、彼女たちの手の指を、一本ずつ切断する。手の指が済んだあとは、足の指。その次は手足を。ねえ、坊や。最後に残った一人だけは、殺さないでおいてあげるわよ?」

「嘘だ」

「もちろん、信じなくても、わたしは一向に構わない。あなたが優先順位を付けられなければ、おそらく彼女たちは、手足を切断した辺りで、出血多量で死ぬ。一人でも、そういう死に方をした場合、さっき言ったルールは無効になる。あなたは、一人も助けられない」

「命に、優先順位なんて、付けられない」

「〈DEXビル〉の一件での活躍は、聞いてるわよ? 数えきれないほどの人を殺しておいて、それはないでしょう?」

「無理だ」

「坊や、あなたならできるわ」

 床が涙で濡れた。慶慎は泣いていた。

「殺せよ、僕を」

 リタが、箱に手を突っ込んだ。取り出した紙を読み上げる。

「市間安希、R-1」

 安希の右手、親指の爪が剥がされた。

つづく




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posted by 城 一 at 07:59| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

マジすんません。

長らく更新が滞っています。ほんとにマジですいません。

まあ、お分かりのように物語は佳境。
なもんで、色々と複雑で、
一つ越えたら、また一つと、壁があるのでございます。

おめーがプロットを
細かいところまで練ってねーからだろとおっしゃられましたら、
それはもう返す言葉はないのでございます。

まったくもって、その通り。

ま、プロットがないからこそ生まれたものも、
たくさんあるのですけれども。

『焔integral』の半分はアドリブでできております。

まず大体からして、鏑木鈴乃がアドリブですからね。
あいつのことなんて、登場する直前まで、
僕の頭の中にはありませんでしたからね。

何の自慢にもなりませんが。

何はともあれ、
温かい目で見守っていただけると嬉しいのでございます。

面白いかどうかは十人十色なので保証はしませんが、
大事に書きますから!

俺なりに。
posted by 城 一 at 07:01| Message from Gusuku | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第194回(2版)


人は、なぜ。


 床に転がった。縛り付けられた椅子ごと。前のめりに。警戒心を高めた〈ナンバーズ〉が、それぞれ手にした武器で、慶慎の視界を遮った。皆、装備しているのは、銃ではなかった。突いたり、打ち据えたりするための、長い得物。もし銃を使えば、弾は慶慎よりも、味方に当たる可能性の方が、高い。彼らの武器が背中を突き、慶慎の体を床に押し付けていた。邪魔だ。はねのけようと、慶慎は体を揺らした。半端な抵抗。〈ナンバーズ〉の何人かが、体の上に乗った。息が詰まる。

「そんなこと」のしかかる者たちのお陰で、慶慎は満足に顔を上げることができなかった。ステージの上が見えない。「許されない」

「誰にも許されなくて結構」リタが言った。

「僕を殺したいんじゃなかったのか」

「それはもう、殺したいわ。狂おしいほどに。けれど同時に、肉体的な死にはこだわらないわたしもいるの。困ったものね」

「彼女たちは、関係ない」

「既に聞いたわ」

「関係ないんだ。僕を殺せ。命を奪え。それでいいじゃないか。終わりじゃないか」

「何が?」

「僕が、松戸孝信を殺したこと。だから、こんなことをしてるんだろう? 僕が、憎いんだろう?」

「自分が死ねば、彼を殺した罪が、帳消しになる?」

「それは」

 リタは椅子から立ち上がり、ステージ脇の階段を下りた。慶慎の前に行き、ドレスの裾の行方に注意しながら、片膝を突く。

「顔を上げなさい、坊や」

 リタが目で合図をした。〈ナンバーズ〉が、慶慎の背中から下りる。代わりにまた、得物の先端を、慶慎に押し付けた。慶慎は、リタに言われた通りにした。

「あなたは、あたしに言ったのよ? “僕を殺せ”と。あなたは、命を捨てたの。あたしはもちろん、あなたの命が欲しかった。でもそれは、あなたに必要で、大切なものであったから。あなたがいらないなら、あたしもいらない」

「なら」

「人は、なぜ自ら死を選ぶのか、考えたことがある?」

 慶慎は何も言わなかった。

「あたしはこう考える。A。その人が持っている知識と想像力を用いた計算が弾き出す、死が与え得ると予測される肉体的苦痛を、その人が受けている、あるいは受けることを回避できないであろう肉体的苦痛が凌駕しているため。つまり、その人の肉体的なものを守るため。B。その人が予測する、死が与え得る肉体的苦痛を、その人が受けている、あるいは受けることを回避できないであろう精神的苦痛が凌駕するため。つまり、その人の精神的なものを守るため。さらに要約すると、心ってことね」

「何を言ってるのか、僕には分からないよ、リタ・オルパート」

「あたしは、あなたはBに該当すると考える。あたしは、あなたの心が欲しい」

「心に形はない。体と違って、壊すことはできない」

「そうかしら? 例えば、あなたの思い出の場所を写した写真がある。あなたはその写真を見ると、感情を動かされる。良い方向、悪い方向、どちらでもいい。喜怒哀楽のどれか、あるいはそれらが混じり合ったものでもいい。その写真を破り、焼き捨てることは、あなたの心を傷付けることには?」

「写真がなくたって、思い出すことができる」慶慎は言った。「お前の御託には、もううんざりだ、リタ・オルパート」

 リタは微笑んだ。

「残念ね。無理にでも付き合ってもらうわよ」彼女は言った。「そう、人は思い出すことができる。それに、その写真には、フィルムが残っているかもしれない。その上、思い出の場所は失われたわけではない。そこに行けば、あなたはまた、思い出に浸ることができる」

 リタは慶慎の頬を一撫ですると、ステージを振り返った。

「その、思い出の場所を破壊したいところだけど、“場所”というのは少々、曖昧なものだからね。破壊は難しいかもしれない。でも、その“場所”が“人”の場合は?」

「お前」

「死を与えれば、人は壊れる。あなたがその人に抱いた感情、その人と築いた思い出は壊れる」

 慶慎は拘束から逃れようとした。また、体の上に〈ナンバーズ〉が飛び乗った。

「記憶がある」慶慎は言った。「僕は思い出すことができる。人を壊そうが、何をしようが。僕を殺す以外に、お前に方法はないんだ、リタ・オルパート」

「そうかしら?」リタは〈ナンバーズ〉を見た。「誰か、市間安希の小指の爪を剥がしてくれないかしら?」

 誰も動かなかった。リタは、群集の後ろに目をやった。所々、塗料の剥がれた、エメラルドグリーンのベンチに腰掛け、肩から提げたベースを爪弾いている少年がいた。靴紐を結ばず、緩めきった状態で履いた、くたびれたバスケットシューズ。両膝に穴の開いた、色の薄いジーパン。ホットパンツ一つ身に付けただけの半裸の女――ポールに体を押し付け、舌を突き出している――の写真が白黒で印刷された、黒いTシャツ。アンバーだった。リタは彼の名を呼んだ。アンバーは顔を上げなかった。返事もせず、頷きもしない。ただ、言った。

「彼女がいなければ、俺は真実を知らない、ただの間抜けだった。俺の意に反しない限り、彼女の言葉は、俺の言葉だ。何度も言わせるな」アンバーは、口角をわずかに上げた。「それとも、俺の歌にはもう、飽きちまったかな?」

〈ナンバーズ〉は、ざわざわと否定の言葉を呟き、首を横に振った。そのうちの一人が前に出て、言った。

「そんなわけはない。悲しいことを言わないでくれ、ヘッド。ただ俺たちは、彼女が、まるで自分のものみたいに、俺たちに命令するから」

「お前たちは、ミス・オルパートから、銃をもらった」

「ああ。山ほど」

「ミスタ・ライクンから、銃の扱いについて訓練を受けた」

「かなり厳しく」

「それに、麻薬(ドラッグ)をもらった。麻薬は嫌いか?」

「いや」

「それに、この街の真実を教えてもらった」

「殺し屋集団〈カザギワ〉を筆頭に、反社会的組織のごみどもが今までやってきた、吐き気のするような犯罪の数々を」

「彼女たちがいなければ、俺はただのバンドマンで、お前らはただの、悪く言うつもりはないが、ファンに過ぎなかった」

「俺もヘッドのことを悪く言うつもりはないが、確かにそうだった」

「俺たち、彼女たちには借りがある」

「ああ、そうだな」〈ナンバーズ〉の一人――銀色に染めた頭を、坊主にしていた――は頷いた。「その通りだ」

 銀色の坊主頭は、部屋の隅で工具箱を開けた。ペンチを取り出し、ステージに上がる。リタを見て、頷く。リタは言った。

「ありがとう」

 銀色の坊主頭は、安希の左手の小指から、爪を剥ぎ取った。

つづく




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posted by 城 一 at 13:27| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第193回


次の問いに答えなさい。


 眠り、食事をした。洗浄はされたとは言え、人が死んだ部屋で。嗅覚を澄ませれば、血のにおいを嗅ぎとることができる。人の死に対する、慣れを感じた。

 新しい見張り役は、アイザックが“狂信者”と称した者たちだった。茶系のミリタリールックに、身を包んでいる。慶慎に対する扱いは、この上なく丁寧だった。まるで、ホテルにいるようだった。

 医者が来て、リンチによって受けた傷の治療も行われた。綺麗に禿げ上がった頭。メタルフレームの、丸縁眼鏡。白衣の下にスーツ。治療の様子を見守る〈ナンバーズ〉を目で示し、慶慎は医者に訊いた。

「彼らが何なのか、分かってるんですか?」

 医者は、レンズの向こう側から、訝しげな視線を送ってきた。下睫毛の長い、爬虫類のような目。彼は表情を変えず、もちろんだ、と答えた。

「なら、どうしてこんな所で、こんなことをしてるんですか」

 医者は、口許を歪めた。

「てっきり君は、知ってるのだと思っていたよ」

〈ナンバーズ〉の一人――最初に会ったときに既に、“41”と刻まれた刺青を見せられていた――は言った。

「食の対象として知られている魚たちは、自分たちがたどり着く可能性のある終着点の一つに、まな板の上があることを知らない」

 医者は、医療器具で膨らんだ鞄から、プラスチックケースに入った塗り薬を取り出し、慶慎の体に塗った。そして言った。

「それは、魚に限ったことじゃないな」

「もちろん」

 41番は言った。

 医者が帰ると、41番が、体力の回復のため、眠るように、と言った。拒否したが、相手も譲らなかった。そう時間が経過しないうちに、強烈な睡魔に襲われた。慶慎は舌打ちした。睡魔に襲われる直前、水を飲んだことを思い出したのだ。中に、睡眠導入剤を溶かされたに違いなかった。

 暗くなる視界の中で、慶慎は言った。

「なぜなんだ。どうして、すぐに殺さない。こんな回りくどいやり方を」

 41番は、もう一人の〈ナンバーズ〉と協力して慶慎をベッドに運び、そっと布団を掛けた。意識が途切れる直前、彼が何事か呟いていた。聞き取ることはできなかった。



 取り戻した視界は、光で満ちていた。目が眩んだ。スポットライトで照らされたステージが、自分の前にあるのだと気付くまでに、十数秒かかった。

 ステージの上には、体つきで女だと分かる者たちが、三人いた。紙袋を頭にかぶせられ、背もたれと肘掛けのある椅子に、手足を固定されていた。慶慎も似たような状態だったが、椅子はキャスター付きで、肘掛けはなかった。両手は背もたれ越しに組まされ、手錠を掛けられていた。

 ステージ上には、女たちの他に、三人。リタ・オルパート、アイザック・ライクン。もう一人は、容姿すら、確認することができなかった。黒いジーパンに、黒いTシャツ、黒いトラックトップ。黒い、フルフェイスのヘルメットをかぶっていた。

 リタは、ゆったりとした動作で、脚を組んだ。彼女は、女たちと同じ椅子に座っていた。もちろん、拘束はされていない。強い光を受けて、鈍い赤色に輝く長髪を、後頭部のわずか上方でまとめていた。いつもより丁寧に施された化粧。真紅の口紅。真紅のロングドレス。深く入った切れ込み(スリット)から覗く太腿。赤いピンヒール。同色で塗られた爪を瞳の隣に添え、肘掛けを利用して、頬杖を突いていた。

 アイザックは、リタの傍らに、静かに佇んでいた。真っ白なタキシード。真っ白なシャツ、そしてネクタイ。同色の手袋。靴。真っ赤な薔薇を一輪、タキシードの胸ポケットに挿していた。金髪は整髪料で後方へ撫でつけ、オールバックにしていた。相変わらず、その左腕は失われたままで、袖が、所在なさげに垂れ下がっていた。顔の右側を、醜い傷が縦に走っていた。傷は右目の上も通過しており、潰れていた。ゴムで固定されたガーゼと、白いプラスチックのシートが、アイザックの右目を覆っていた。

 ステージの下にいる慶慎は、囲まれていた。三脚で、慶慎の顔がフレームの中に収まる位置に固定された、ビデオカメラに。そして、一目では数えきれないほどの、〈ナンバーズ〉に。彼らはほとんど口を利かなかったが、彼らの発する気配は、窒息しそうなほど、慶慎を圧迫していた。

 慶慎は、眩しい光の中でうなだれる、三人の女たちを見ていた。顔は分からないが、彼女たちのことを知っている気がした。声を上げようとする記憶を、強すぎる光と、緊張感が邪魔した。

 リタ・オルパートが、金製のシガレットケースから取り出した煙草をくわえた。アイザックが、火をつける。リタはそれが、さも当たり前であるかのような表情を浮かべていた。一服してから、彼女が言った。

「お待たせ、坊や。約束通り、殺してあげる」

「たかがそれだけのために、これだけの人を集め、こんなステージを用意したんですか。酔狂なことだ」

「そう?」

「やろうと思えば、一瞬で終わることだ」

「なら、なぜ、あたしの手に頼ったの?」

「さあ。なぜなんでしょうね」

「考えたくない?」

「考える必要もないでしょう」

「意気地のない子だこと」

「何とでも」慶慎はおおげさに肩をすくめ、力なく笑った。「さ、殺してください。銃でずどんとやるんですか? それとも、〈ナンバーズ〉にリンチさせて、撲殺する? あるいは、もっと凝った方法を?」

 リタが、煙草を下に向けた状態で、横に突き出した。アイザックが、硝子製の灰皿を差し出す。リタは、煙草を揉み消した。

「まずはその前に、解いてほしい問題があるの」

 リタが、煙草を挟んでいた指先を振った。フルフェイスのヘルメットをかぶった少年――彼は、この空間にいる者たちの中で、最も背が低かった――が、頷いた。リタの側を離れ、自由を奪われた三人の女たちの頭から、紙袋を外す。

「馬鹿な」

 慶慎は、目を見開いた。

 背筋に走った悪寒に、全身が震える。開いた毛穴から噴き出す脂汗。椅子ごと立ち上がろうとして、〈ナンバーズ〉の一人に制された。ブラックジャックの先端を、喉にあてがわれていた。

「いい反応ね」リタが言った。

「これは、何の冗談だ」

 ステージの上で拘束された三人の女は、慶慎の知っている者たちだった。岸田海恵子、市間安希。そして、サニー・フゥ。彼女たちは、口にギャグボールをはめ込まれており、喋ることができなかった。ただ、疲労と困惑の表情で、自分たちのいる場所、そこにいる者たち、そしてその中で唯一よく知っている、慶慎の顔を見ていた。

 リタが言った。

「冗談で、こんなことはできないわ」

「何にせよ、彼女たちを解放しろ。彼女たちは、関係ないだろう」

 リタは、下唇の裏側を、舌で舐めた。

「もちろん、あるわ」

「ふざけるな」

「あたしは、大真面目よ、坊や」リタは、顔中に笑みを広げながら、言った。「さて、問題です。次の問いに答えなさい」

 ふざけるな! 慶慎は叫んだ。リタは、それが聞こえなかったかのように、続けた。

「岸田海恵子、市間安希、サニー・フゥ。次の三人のうち、あなたにとって、優先順位の“低い”者から順に選びなさい」

 呼吸が乱れていた。慶慎は、深呼吸をするように努めた。そして、言った。

「そんなものを選ばせて、どうする」

「坊やにとって優先順位の低い者から、順に」リタは言った。「殺すわ」

つづく




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posted by 城 一 at 07:14| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第192回


ただの戯れ。


 時間の感覚が、曖昧になっていた。リタ・オルパートからもらった睡眠導入剤で、無理矢理眠ったせいだ。空腹のサインも、便意も。あてにはならない。日の光がない空間で、体力だけが余っていた。生を見限ったことが、思考回路にブレーキをかけていた。ごく自然なことだ。いくら考えようとも、この先自分に待っているのは、ただ一つ。死なのだから。変わるのは、その終着点と、そこへ至るまでに自分がたどった道程(プロセス)の、解釈の仕方だけだ。

 慶慎に付いた見張り役は皆、ティーンエイジャー、あるいは十代を過ぎたばかりの者たちだった。総じて、若い。安っぽい、暴力的な態度。敵意ある視線。見張り役たちに見られる共通点だった。理由を垣間見たのは、見覚えのある顔を、見張り役の中に見つけたときだ。その少年の視線に込められた敵意は、他の者よりも濃度が高かった。

「覚えてるか、俺を?」

 少年は言った。思い出したわけではない。ただ、彼の声が、一つの名詞を浮き上がらせた。慶慎はそれを口にした。

「〈アンバー・ワールド〉?」

 返事は拳で返ってきた。内蔵が跳ね上がる。慶慎は、胃液混じりの唾を吐いた。

 抵抗はできなかった。事前に、手錠を手足にはめなおされ、背もたれと肘掛けのある木製の椅子に、体を固定されていた。

 攻撃は、一定のリズムで続いた。痛みに耐えるため、意識を体の内側に集中させる間に、部屋の中にいる人数は、一人から三人に増えていた。

〈アンバー・ワールド〉。夜の街で、市間安希に絡んでいた、不良グループだった。安希を助けようとすると、暴力的な手段に出てきた。だから、同じように、暴力的な手段で退けた。だが。

「どうして君たちが、ここにいる? ここは、リタやアイザックの根城じゃないのか?」

 脇腹に蹴り。返事を待っていた体は、ことさら無防備だった。倒れてしまいたかったが、椅子がそれを妨げる。少年は言った。

「簡単なことだ。なぜなら、俺たちは、ミス・オルパートと、行動をともにしてるからだ」

「なぜ」

「なぜだと?」

 喉。絞めるようにして摑み、力を込められ、椅子ごと床に倒れた。腹を踏みつけにされる。

「お前らは、アンバーの恋人を殺したからだ」

「ら? 〈カザギワ〉のことを言ってるのか?」

「そうだ」

「アンバーの恋人は、〈DEXビル〉の一件のとき、その現場にいた?」

「いや。その件は、関係ない」

「なら、僕は、アンバーの恋人の死には、関わっていない」

「だから? お前は、〈カザギワ〉の殺し屋だろう? 組織の一員、組織の一部だ。〈カザギワ〉の一人として、罪を背負うべきじゃないのか?」

「その通りだ」

 少年にそう言った一方で、違和感を感じた。〈アンバー・ワールド〉は、街にごまんといる、ちんぴらの一部に過ぎない。それが、罪などという言葉を使うだろうか。

 しかし、それがどうした?

 思考回路を止めた。自分は、何のためにここにいる? 彼らがどうしてここにいるのかを突き止めるためではない。ただ、死ぬためだ。彼らがここにいる理由も、自分に暴力を振るう理由も、どちらもどうでもいいことだ。その性質や正誤が、自分の命を左右するわけでもない。

 それに。もしかすると、これが、リタ・オルパートの用意した結末なのかもしれない。

 痛みの数を数えるのをやめ、少年たちが攻撃するのに任せた。胸の内で、鼻歌を歌った。父の下で暴力を受ける生活の中で覚えた方法。心を眠らせる子守唄。

 暴力の雨が止んだ。

 目を開くと、部屋の入口に、アイザック・ライクンが立っていた。戸枠に寄りかかり、りんごをかじっていた。

「リタの許可は、もらっているのか?」

 アイザックは、ロングコートを、襟を立てて着ていた。色は黒。左の袖は、義手がないため、だらりと垂れ下がっている。

 少年の一人が、アイザックに詰め寄った。身長が低い。下から、アイザックの顔を、ねめつける。

「邪魔するなよ、アイザック」

 アイザックは、片方の眉を、ぴくりと動かした。

「僕とリタには、“ミスタ”、“ミス”を付けるように言われなかったのか?」

「くそくらえだ」

 少年は、あとから加わった一人で、先ほどリタのことを“ミス・オルパート”と呼んだ少年ではなかった。野球帽を斜めにかぶった下に、さらにバンダナを巻いていた。だぶだぶの、NBAのユニフォームのレプリカ。幅の太すぎるジーパンを、尻の辺りまでずり下げて履いていた。アクセサリだらけの手、そして首元。

 アイザックは、またりんごをひとかじりした。獣じみた微笑を浮かべる。

「これはこれは」アイザックは言った。「今後また、こんなことがないよう、“釘を刺しておく”必要があるな」

 蹴り。予備動作もなしに繰り出した一撃は、NBAの少年を、部屋の反対側まで吹っ飛ばした。さらにその少年に歩み寄ろうとしたアイザックに、他の二人の少年が飛び掛かった。りんごをかじる音。ふわりと浮き上がる、ロングコートの裾。笑みをたたえたままの口許。二人は吹っ飛び、壁に衝突した。二人とも白目を剥いていた。釘で輝く、二人の腹には、血が滲んでいる。

「悪い気分じゃないよ」NBAのレプリカを着た少年の無防備な背中に飛び乗り、アイザックはステップを踏んだ。タップダンスでも踊るかのように。ステップに応じて、打ち込まれる釘。血が飛び散る。「リタには、しばらくの間、おとなしくしてるようにって言われてたんだけどさ」

 アイザックの足で、踏み鳴らされるNBAの少年の体。レプリカのユニフォームも、体も。血で真っ赤に染まっていた。骨が折れる音。肉が潰れる音。アイザックは、唇に付いたりんごの果汁を、舌で舐めた。

「でも、ほら。そういうのって、性分じゃないからさ。禁断症状が出るんだよ。代わりになるものもないし。相変わらず、リタは僕とセックスしてくれないし」

 新たに、少年が現われた。茶系の色が使われた、迷彩柄のパンツ。同系の単色のTシャツ。ベスト。バンダナ。バンダナははちまきのように、頭に巻いていた。ベストにある複数のポケットは、スペアの弾倉やナイフで膨らんでいた。肩に担ぐようにして、アサルトライフルを持っていた。少年は、部屋の様子を見て、眉間に軽く皺を寄せたが、声も上げずに中に入り、ドアを閉めた。

 アイザックが言った。

「やあ、“狂信者(ファナティック)”」

 少年は、眉間の皺を深くした。

「その呼び方は好きじゃありません、ミスタ・ライクン。〈ナンバーズ〉あるいは、〈ナンバー・オブ・アンバー〉と」

 アイザックは、NBAの少年の頭を、最後に大きく踏みつけ、彼の体から下りた。彼の体だったものから。明らかに、既に命を失っていた。“狂信者”と呼ばれた少年は、ライフルの先端で、NBAの少年の死体の頭を突いた。転がし、顔を確認する。

「ああ」“狂信者”は言った。「〈アンバー・ワールド〉の中でも、底辺に近い連中の一人だ。安心しました」

 アイザックは、食べかけのりんごを、“狂信者”に投げ渡した。

「クールだね。優先順位で、躊躇なく命を区別する。嫌いじゃないよ、そういうやつは」

「それはどうも」

「“何番”だ?」

“狂信者”は、Tシャツの袖をめくった。上腕に、刺青で数字が彫られていた。“25”。アイザックは言った。

「番号で覚えた方がいいかな? それとも、それと合わせて、名前を?」

「〈ナンバーズ〉は、自分の番号に、誇りを持ってます」

「なるほど。じゃあ、覚えておくよ。“25番”」

「光栄です」25番は、気絶している二人の少年を見た。「彼らは、どうしますか?」

「処分だ」

 25番は頷き、二人の頭に、ライフルで銃弾を撃ち込んだ。彼が、携帯電話をかけると、間もなく、25番と同じ格好をした者たちがやって来た。彼らは、死体を部屋から運び出し、死体が汚した床を洗浄し、去っていった。

「何をしようとしてるんだ、お前たちは」

 慶慎は言った。

 アイザックは、手錠をしたまま、椅子ごと、慶慎を起こした。ティッシュを丸めて、出血していた鼻に、栓をする。アイザックは言った。

「蟻の行列を見つけて、思うままに蹴散らしたことはないかい?」

 慶慎は黙って、アイザックを見つめた。

「飴玉や砂糖菓子を使って、蟻の行列を、思うままに操作(コントロール)してみたことは?」

 答えなかった。アイザックは微笑を浮かべたままだった。

「僕とリタがやってるのは、ただの戯れ。お遊びなのさ、風際慶慎君」

つづく




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posted by 城 一 at 07:02| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第191回(2版)


俺たち、仲間だろう?


 リヴァは、車に乗り込んだ。全ての窓に、フルスモークを施した、黒いセダン。後部座席には既に、磐井が座っていた。ドアを閉めると、運転席にいた磐井の部下が、車を発進させた。

 磐井が、リヴァの出てきた建物を、一瞥した。

「〈アンバランス701〉か。〈アンバー・ワールド〉及び、アンバー率いるバンドグループ〈FOSTER〉の根城だ」磐井が言った。

「ああ」

「収穫は?」

「ライブハウスの上にあるバー〈スージー〉のマスターは、〈ミカド〉に関わっている」

「それで?」

「それだけだ」リヴァは言った。「今のところ」

「今のところ」

 言葉を吟味するかのように、磐井は呟いた。

「途中で抜けてきた。続きは、バーバーとダンクがやってる」

「なるほど」

「リタ・オルパートに関する資料は?」

「こいつだ」

 磐井から、膨らんだマニラ封筒を受け取った。口を開け、中身を取り出す。

 写真が数枚。全て、リタ・オルパートを写したものだった。表情や仕草、服装から、多少、リタの年齢に差があることが分かる。若く見える頃の方が、明るく見えた。あるいは、明るい雰囲気が、彼女を若く見せているのか。写真の他に、紙と文字による資料。縦書き、横書き。紙の質と種類もばらばらだった。英語で書かれた新聞の切り抜きもあった。

「バラエティに富んでるな」リヴァは言った。

「ああ」

 口を閉じた。資料を読み、聞こえてくる情報に、耳を傾ける。写真から受けた年齢差は、実際にあった。かつてのリタ・オルパートから、今のリタ・オルパートまで。時間と感情の推移を、写真は如実に表していた。

 磐井は、車を走らせ続けた。世界に黒い膜を張る窓は、いつしか、雨混じりの雪に打たれていた。ゆったりと流れる夜の街は、陰鬱な表情を見せている。ラジオでは、静かなジャズが、今日と明日を繋げていた。あるいは、昨日と今日を。物悲しげなトランペットの音色。磐井の部下は、途中、セルフサービスのガソリンスタンドで車に給油をし、コンビニエンスストアで、食料を買った。リヴァは、缶コーヒーとサンドイッチをもらった。ハム、トマト、レタス。マヨネーズ。磐井は腹を満たすと、目を閉じた。眠っているのかどうかは、分からなかった。

 資料を読み終え、リヴァはこめかみを、指で揉んだ。

 リタ・オルパートの生まれは、アメリカだった。同じ土地で育ち、同じ土地にあった大学に入った。リタ・オルパートは、偽名。本名は、パメラ・ブラウン。アメリカにいる間は、その名前を使っていた。偽名などというものとは、無縁だったのだろう。表情が明るく、若々しく見えるのは、リタ・オルパートが、パメラ・ブラウンだった頃に撮られた写真だった。

 彼女の弟、デイヴィッド・ブラウンも、姉と同じ道を歩んだ。同じ土地で年を重ね、同じ大学に入った。その道から外れたのは、彼が大学三年生のとき。デイヴィッドは突然、大学構内でライフルを乱射し、手榴弾を人に投げ、ナイフを振り回した。大学の教員三人と、生徒十八人が死んだ。教員十一人と、生徒四十二人が負傷した。精神的なものも含めれば、傷付いた人間は、もっと膨大な数になるだろう。デイヴィッドが、何をもって、虐殺の終わりにしたかは分からない。だが、確かに事件は終わった。デイヴィッドが、大学の屋上で自らのこめかみを自動拳銃で撃ち、飛び下りることで。

 事件後、間もなく、リタ(パメラ)とデイヴィッドの両親は、デイヴィッドと同じように、自分のこめかみを銃で撃ち、自殺した。パメラは日本へ渡り、消息を絶った。次に姿を現したときにはもう、パメラ・ブラウンという名は捨てられ、リタ・オルパートという新しい名前と生き方が、彼女にはあった。リタは、いくつかの組織を渡り歩き、反社会的な集団――暴力団、マフィア、ギャング、暴走族、その他もろもろ――を、潰して回った。リタが個人的に恨みや怒りを抱いている可能性のある人間――あるいは集団――は、その中にはいなかった。

「何があった」

 自分の中に、問いかけるようにして、口に出した呟き。いつの間にか、目を開いていた磐井が、フロントガラスの向こう側を見たまま、言った。

「リタ・オルパートのことか?」

「そうだ」

「弟の銃乱射事件と、両親の自殺が、彼女を変えた」

「やつは、慶慎に執着している」

「らしいな」

「弟と両親の件が、関係あると思うか?」

「二つの件がやつに変化をもたらし、現在、風際慶慎に執着している」磐井は一度言葉を切り、リヴァを一瞥した。「と思われる、リタ・オルパートという人間を作り出したと考えるなら、関係はあると言える」

「そういうことではなく」

「それ以上は、推測の度合いが強すぎると、俺は思う」

「そうだな」

「風際慶慎に対して、リタ・オルパートの精神が、どう作用しているのか。調べるためには、アメリカに渡らなければならない。その時間はあるのか、俺たちに?」

「ないな」

「リタ・オルパート、アイザック・ライクン、アンバー、〈アンバー・ワールド〉、〈FOSTER〉。いずれかの居場所を見つけることよりも、優先順位が高いか?」

「いや」

「だが、まあ。俺たちが、リタ・オルパートの精神状態を判断するのに役立ちそうな情報を見つけたら」磐井は言った。「教えてやるよ」

「当たり前だ。俺たち、仲間だろう?」

「俺は、およそ五十の部下を使って、ローラー作戦を行い、連中の居場所を探している。だが、その中に、お前たちはいない」

「個人主義なんだ」

「利己主義とも言えるな」

「どうとでも言える」

「情報がもし、俺たちからお前たちへの一方通行だったら」磐井は窓の外を眺めながら、言った。「俺たちはへそを曲げる」

「大人気ないな」

「慕っていた兄貴分を失って、精神的余裕がないんだ」

「情報の一方通行は起きないよ、ハニー」

「仲間意識の芽生えを、その呼び方で表現されることを、一番恐れてたんだ」

「なら、“ハニー・バニー”にでもするか?」

「《パルプ・フィクション》だ」磐井は言った。「クエンティン・タランティーノの」

「ああ」

「俺は〈ツガ〉の白虎隊だぞ」

「“ハニー・タイガー”じゃ、語呂が悪いよ」

「そうだな」

つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第190回


ただで済む時期は過ぎてる。


 鼻にジャブを一発。有無を言わせず叩き込んだ。身体的なダメージを与えるために打ったものではないが、笑顔で油断させてからのジャブだ。勝谷紀彦はバランスを崩し、目を白黒させながら、後ろにあったシンクに寄りかかった。

 ダンク。リヴァが言うと、オーライ、と返事をして、ダンクはすかさず、勝谷の両足を持ち上げた。ダンクが意識を取り戻したのは、数時間前だ。だが、数軒のレストランを渡り歩き、彼の望む通りに胃袋を満たしてやっただけで、いつもの調子に戻っていた。違うのは、包帯と肌の色で、まるでシマウマのような状態になっていることだけだ。真っ白いナイキのバスケットシューズ、黒いジーパン、白いダウンジャケット。ダウンの中は、何も着ていなかった。包帯を巻いていると、服を着る必要がないくらい暑いのだと言う。怪我のお陰で、彼の体が発熱しているためなのかもしれなかったが、その点については、リヴァは言及しなかった。

 シンクの中に勝谷の顔面を押し込み、蛇口を捻った。水の出所を調節し、彼の口を狙う。すぐに水は口腔から溢れ、勝谷はごぼごぼという音を漏らした。息ができないのは分かっていた。彼の鼻は、鼻血で詰まっている。

「アンバー、バンド〈FOSTER〉のメンバー、あるいは、〈アンバー・ワールド〉の中心メンバー。いずれかの居場所を教えろ。イエスなら、俺の腕を叩け。ノーなら、そのまま喉を潤してろ。水の適量摂取は、健康にいいと聞くぜ」

 リヴァは、〈スージー〉にいた。ライブハウス〈アンバランス701〉の上階にある、バーだ。ライブハウスと同様に、〈アンバー・ワールド〉の根城になっていたとも言われている。

 勝谷は水でむせながらも、首を振っていた。

 アトリエで倒した者たちは、全員、〈アンバー・ワールド〉のメンバーであることを示すバッジや、ワッペンを身に付けていた。〈アンバー・ワールド〉は、CDも発売して、表の世界で名を知られ始めているバンド〈アンダーワールド〉のメンバーの一人である、アンバーの狂信者たちで構成された、街の不良集団だ。アンバーや、彼の周囲に集まる人間を好むならば、誰でも〈アンバー・ワールド〉を名乗ることができる。その上、露天商などを中心に、そのグッズも販売されている。興味がない人間でも、ファッションのために、〈アンバー・ワールド〉に関するものを身に付けることはできた。だが、見過ごせない共通点だった。慶慎を探すときに、リタ・オルパートが〈アンバー・ワールド〉を利用したという話もある。情報を手に入れるための取っ掛かりになることは確かだった。

 ウエイトレスがバーの隅方へ、そっと逃げた。携帯電話を耳に当てたところで、バーバーが取り上げた。タンブラーを満たすシャンディ・ガフの中に携帯電話を沈め、不穏な音を立ててショートするのを見守ってから、中身を飲み干す。震えながら後ずさるウエイトレスに、バーバーは言った。

「おとなしくしていれば、危害は加えないよ。余計な人間を呼んだりして、僕らにある時間を縮めたりしなければ、その分、君たちの上司に優しくすることができる。オーケイ?」

 ウエイトレスは頷いた。腰がくだけており、尻餅を突きそうになる。バーバーは彼女の腰が落ちる場所に、椅子を滑り込ませた。

 リヴァは言った。

「バーバー。そいつは、警察じゃなく、〈アンバー・ワールド〉を呼ぼうとしてたのかもしれない」

「110の番号は確認済みだよ、リヴァ。それに、〈アンバー・ワールド〉の人間の番号なら、その人の携帯の方が入ってるはずだよ」

「それもそうだ」

 リヴァは勝谷の履いているジーパンの尻を探り、携帯電話を取った。開かずに、そのまま着ているダウンジャケットのポケットに突っ込む。電話帳に登録されている番号を調べるのは、後回しでいい。

 勝谷は顔面蒼白で、静かになっていた。水を止め、頬を叩く。

「寝てもらっちゃ困る」

 勝谷は深呼吸した。曖昧になっていた目の焦点が定まる。

「こんなことをして、ただで済むと思ってるのか?」

 口から溢れた水で、鼻血はほとんど洗い流されていた。冷やされたお陰もあるだろう。出血は収まりかけていた。ノックするように勝谷の鼻を叩く。再び、鼻血が噴き出す。

「見て分からないのか?」リヴァは、ギプスをした左手を、勝谷の目に見えるように示した。「既に、ただで済む時期は過ぎてるんだ」

「街を汚す、ごみ虫どもが」

 蛇口を捻った。水が、勝谷の口を塞ぐ。

「否定はしないが、お前はどうなんだ? 人を一方的に非難できるほど、綺麗な体なのか、ええ? お前、そしてお前がひいきにしてる〈FOSTER〉、〈アンバー・ワールド〉の連中は、綺麗なやつらなのか?」

 シンクの横には、大型の拳銃が置いてあった。勝谷から取り上げたものだった。その銃口を勝谷に向けた。彼は今までよりも一層大きく、首を振った。狙いを勝谷から外し、拳銃で窓を撃った。
「俺が持っていようが、お前が持っていようが、銃は銃だ。人殺しの道具だ。違うか?」

 勝谷は顔を横に向け、水から逃れた。

「お前ら〈ツガ〉や、〈カザギワ〉が持てば、そうなる」

「お前たちが持てば?」

「人殺しの道具にはならないし、しない」

 この言い回し。リヴァは確信した。

「お前、〈ミカド〉だな」

 勝谷は口許を歪め、微笑した。リヴァは銃口で、勝谷の右目を突いた。

「リタ・オルパートはどこにいる」

「リヴァ」

 バーバーが言った。無視した。

「俺の気は、かなり短くなってるんだ。場合によっては、殺すだけじゃ済まさねえぞ」

 勝谷は微笑を浮かべたまま、何も言わなかった。拳銃のグリップで、鼻を殴った。勝谷はシンクの中で頭を前後左右に暴れさせながら、低い呻き声を上げた。二度目。振り下ろそうとした腕を、バーバーがカウンター越しに摑んでいた。

「ずいぶん、甘やかすじゃねえか」

「僕らは、他にもたくさんの人間と話をしなきゃならないんだ。それに、いずれアイザックたちとの戦争にもなる。初っ端から、はりきりすぎると、警察に目を付けられて、本番前に身動きできなくなるよ」バーバーは言った。「そうなると、Kを助けられる可能性は、俄然低くなってしまう」

 バーバーを見た。

「冷静になるんだ、リヴァ」

 拳銃を振り下ろした。悲鳴を上げる勝谷から、リヴァは離れた。ダンクにも、そうするように言った。勝谷はシンクから顔を出し、床にひざまずくようにして、呻いていた。残っている弾を全て抜き、拳銃を投げ捨てた。

「リタ・オルパートが手に入れたかったのは、慶慎だ。あいつを痛めつけるための手札(カード)も、用意できてる」

「岸田海恵子、サニー・フゥ、市間安希」バーバーが言った。

「やつが欲しかったものは、全部揃っちまったんだ。事を始めるタイミングは、やつ次第。時間がないんだ。やつが具体的に、何をするつもりなのかは分からん。が、何にせよ、慶慎を痛めつけるのは確かだ。そして、全てが終わったら、慶慎を殺すことも。そうなっちまったら、俺は」

「分かってるよ、リヴァ。だからこそ、冷静になることが必要なんじゃないか」

「分かってる」

 携帯電話が鳴った。自分のものだ。出ると、相手は磐井だった。

「蓮さんから、リタ・オルパートに関する資料をもらった。いるか?」

「もちろんだ」

 リヴァは言った。

つづく




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posted by 城 一 at 06:30| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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