Gusuku LABELへようこそ!
最近、自分がフリーメールを活用できない人間だってことに気付きました。

2008年05月21日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第180回


これでもう、終わりなんだ。


「なるほど、なるほど」獲物を捕えた猛禽類のような微笑を浮かべながら、リタ・オルパート言った。「あなたは、そういう答えを出すのね」

「どういうことですか?」

 慶慎は言いながら、その体をくるりと回転させた。その顔に叩き込みたかった右ストレートが、虚しく空を切る。リヴァは、勢い余って倒れそうになるのを、踏みとどまった。拳で伝えられない感情を、視線に込める。

「涼しげな顔してるんじゃねえぞ、この野郎。てめえ、自分が何を言ってるのか、分かってんのか」

「分かってるよ、リヴァ」

「いいや、分かってねえ。分かってたら、そんな言葉は出ねえもんだ」

「出るものは、出る」

 ふざけるな! 怒声とともに振った拳は、慶慎の顔をまともに捉えた。だが、手応えは軽々しかった。拳撃にろくな力を込められないほど、体がダメージを負っているのだ。拳越しに、慶慎が虚ろな視線を送ってくる。

「K」

「もういいんだ、リヴァ。僕のために、こんな所まで来てくれて、ありがとう。でも、もうやめて。僕なんかのために、そんなこと、しないでほしい」

「自惚れるなよ、K。俺は、俺のためにやってんだ」

「もう、僕に関わった人たちが傷つくのは、嫌なんだ」

「だから、その代わりに自分の命を捧げますってか。その女が、神さまか何かだとでも思ってんのか?」リタ・オルパートが拉致した者たちのことが、頭に浮かぶ。「岸田海恵子や、市間安希、サニー・フゥのことを、さらってんだぞ、そいつは」

 慶慎はリタ・オルパートを見た。

「そうなんですか?」

 リタは、リヴァを一瞥した。勝ち誇ったような笑みで。察したのだ。今の慶慎に、リヴァの言葉が届かないことを。リタはわざとらしく、大きく肩をすくめた。

「彼が何を言ってるのか、よく分からないわ」

 くそったれが。吐き捨てるように呟いた。慶慎は、閉じていた。その全てが。心が、目が、耳が。今の慶慎には、何も届かない。伝えることができない。窓際で、アンバー・ワールドに撃ち倒されたツガ組の構成員の手から、ライフルを取った。誰も、その行動を遮ろうとしなかった。皆、分かっているのだ。その行為が、この状況にさして変化をもたらさないことを。くそっ。無反応の彼らと、言うことを聞かない体に、悪態をつく。

「坊や。あなたの条件、飲んでもいいけれど」リタが言った。リヴァを見る。「彼みたいなことをする人がいると、手を出さずにいることには、少々無理があるわ」

 やっとの思いで構えた銃口が、慶慎の手で天井へと逸らされる。

「彼女の言う通りだ、リヴァ。おとなしくしていて。そうすれば、助かるんだ」

「ふざけんな」

「言葉で解決すれば、苦労しないわよ、坊や。とりあえず、その子のことだけ、縛り上げておいてくれる? 縄は、あるわ」

 リタ・オルパートと、シドニーのことを、拘束した縄。慶慎はそれを手にして、リタを見た。

「ひとつ、言っておきます」そう言って、慶慎は、アイザックを一瞥する。「万全の状態の彼ならば、分からないけれど、今の彼は違う。満身創痍だ。一対一で戦っても、負けませんよ」

「約束は、守るわ」

 慶慎は頷いた。

「冗談じゃねえぞ」

「リヴァ、君のためなんだ」

「俺のためだ? 違うだろう。ふざけた理屈で、ごまかそうとしてるんじゃねえぞ」

 縄とともに、伸びてくる慶慎の手。抵抗し、逃れようとしたが、それができたのはわずかの間だけだった。慶慎に向けて繰り出した拳を腕ごと取られ、床に組み敷かれた。腰の後ろで両手を縛られる。ごめん。慶慎が言った。そんな言葉は、聞きたくなかった。

「後悔するぞ、慶慎」

「リヴァ。僕が一番後悔してるのは」慶慎は言った。「この世にこうして、生まれてきたことだ」

 慶慎はリヴァの手を縛り終えると、リタの元へ歩み寄った。

「いい子ね」リタが微笑む。

「彼らが無事で済むという保証が欲しい」慶慎は言った。「僕を殺すのは、もちろん構いません。でも、ここから離れてもらう。僕とともに」

「いいわ」

「ありがとう」

「おいで、慶慎」

 そう言って、両手を広げたリタの胸元に、慶慎は静かに頭を埋めた。

「本当に、僕を殺してくれますね?」

「間違いなく」

 アイザックが、散らかったログハウスの中から、表にあるフェアレディの鍵を見つけ出し、外に出ていった。エンジン音。砂利を踏む音とともに帰ってきて、玄関から顔を出す。

「行こうか」

 リタは頷き、玄関まで慶慎の手を引いていった。そして、そこでくるりと踵を返し、ログハウスの中を見渡す。微笑を浮かべ、深く頭を下げる。

「では、みなさま。ごきげんよう」

 リヴァは床を睨みつけた。

「慶慎」リヴァは言った。「いいか。必ずお前のことをもう一発、ぶん殴りにいくからな」

「無理だよ、リヴァ」慶慎は言った。「これでもう、終わりなんだ。全部」

 言い返そうとして、リヴァは顔を上げた。だがもう、玄関には誰もいなかった。

つづく




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posted by 城 一 at 06:59| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第179回(2版)


取引しましょう。


 悪い予感がした。慶慎は、リヴァと目を合わせようとしなかった。まるで、リタ・オルパートと慶慎しか、ログハウスの中には存在しないかのようだった。

 リヴァは、慶慎の名前を呼んだ。慶慎は返事をしなかった。

「探したのよ、坊や」リタが言った。

「そう」

 アイザック。飛び蹴りが床板を打ち抜いていた。標的だった慶慎は、跳躍して、そのわずか上。さらに身を翻し、追撃のハイキックをかわす。着地。右ジャブ、右フック、義手の打撃。慶慎は力むことなく、滑るようにアイザックから距離を取り、全てをかわした。最後の一撃を受け流し、その力を利用して投げた。受け身を取って起き上がり、即座に反撃に転じようとするアイザックを、手のひらを向けて制した。

「僕は、話をしたいだけだ」慶慎は言った。

 リタ・オルパートとアイザック・ライクン。彼らと慶慎を含めた自分たちに、会話の余地はない。リヴァは思った。だが、慶慎から殺気を感じないのも事実だった。銃やナイフで武装している気配さえない。ならば、自分がやるまでだ。サバイバルナイフに手をかける。

「リヴァ」慶慎が言った。「余計なことをして、話をこじらせないでほしい」

「K」

 やはり、慶慎は自分の方を見ようとしない。

「あなたは。いや、正確には、あなたの連れ。アイザック・ライクンは強い。このまま戦闘を続ければ、リヴァたちを全滅させることも、可能かもしれない」

「可能性なんか、くそくらえだ。そこをどけ、K」

「リヴァ」

 慶慎が振り返った。悪い予感は払拭されるどころか、深みを増した。光のない、虚ろな、濡れた石のような冷たさをはらんだ瞳。それはリヴァを見ているようで、見ていなかった。いや、何も見ていないのかもしれない。

 慶慎は、リタの方へと視線を戻した。

「けど、リタ。あなたの目的は、リヴァたちを全滅させることじゃない。そうでしょう?」

「もちろん、そうよ。坊やが、一番よく分かってるはずでしょう」

「ええ。だから、取引しましょう」慶慎は言った。「リヴァたちには、これ以上手を出さない。その代わり」

 やめろ! リヴァは叫んでいた。慶慎が何を考えているのか、空気を通して理解した。何を言おうとしているのか、理解した。慶慎の考えている通りに、させるわけにはいかなかった。その言葉を、耳にしたくはなかった。サバイバルナイフを抜き、飛ぶ。切っ先から、火花。アイザックの義手にナイフの進路が塞がれていた。その蹴り。紙一重でかわす。かすった髪がちりりと音を立て、焦げたにおいを発した。振ったナイフ。捉えられたのはアイザックの頬。その薄皮のみ。切り傷から流れた血を映した視界が白く弾ける。また、蹴り。吹っ飛んでいた。ダンク! 床を転がりながら叫ぶ。名を呼ばれた相棒がアイザックに肩から突っ込む。目視できないほどの速度で絡まる二つの影。数秒。分かれた影の間に、慶慎が立っていた。アイザックが吹っ飛び、ダンクが膝を突く。ダメージの深さは、一目瞭然だった。白目を剥いたダンクの口から、血が溢れる。

 両手を広げ、ダンクをかばうようにして立った慶慎は、言った。

「もういいんだ、リヴァ。これ以上、無駄な血を流さないでくれ」

「何言ってやがる」

 リタ・オルパートは、自分が縛り付けられていた椅子を立たせて、そこに座っていた。組んだ脚の上に片肘を、そしてその上で頬杖を突く。

「坊や」リタは言った。「取引の内容を、まだ聞き終えてないわ。あたしたちは、ここにいる連中には、これ以上手を出さない。その代わり?」

 やめろ。口にしようとした言葉は、全身を蝕むダメージと、慶慎の声にかき消された。

「その代わり」慶慎は言った。「僕を殺せ、リタ・オルパート」

つづく




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posted by 城 一 at 21:38| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第178回(3版)


ストップ。


 一人、敵の侵入を許した。裏口のドアが破壊される。ツガ組の構成員が撃たれる。リヴァは背後に回り込み、侵入者の首を、サバイバルナイフで掻っ切った。

 囲まれていた。顔を出した太陽の光も届かない、密集した木々の向こう。絶え間なく飛んでくる銃弾だけが、姿の見えない敵の存在を教えている。少なく見積もっても、二十はいるというのが、バーバーたちとの一致した見解だった。

 木陰から体の一部が見えていた一人を撃ち倒したところで、サブマシンガンの弾倉が空になった。トンプソンM1A1。傍らに置いてあるドラムバッグから新しい弾倉を取り出し、装填する。

 敵は、アイザック・ライクン一人のはずだった。それに対して、多すぎるほどの弾を用意した。だが、その他にまだ多数の敵がいるとなると、話が違ってくる。ドラムバッグの中に詰まった弾倉は、いつの間にか、心許ない数にまで減ってしまっていた。

 掻っ切った喉からの出血が弱まった、侵入者の死体を引っくり返し、仰向けにした。ログハウスの外にいる敵にライフルで応戦しながら、バーバーが後退してきた。銃弾が飛んできた方向にある木の幹をライフルで穿ちつつ、死体を一瞥する。

「ガキだね」バーバーが言った。

「俺たちも、他人のことをとやかく言えるような年じゃあないが、確かにそうだな。ある程度、銃の扱いについて訓練を受けていて、ある程度、整った装備をしていて、ある程度、統率のとれた行動をする連中にしちゃ、ガキだ」

 息絶えた侵入者は、リヴァたちと同年代の少年だった。顔に迷彩色のペイントを施し、迷彩柄の服に身を包んでいた。ブーツ、指なしのグローブ。ナイフ、予備弾倉の詰まった防弾ベスト。腰には、予備のハンドガン。メインの装備は、アサルトライフル。IMIガリル。子どもでは、街で一丁手に入れるだけでも、苦労する代物だ。それが、ログハウスを包囲するほどの人数に、行き渡っている。

「お膳立てしたのは、リタ・オルパートと、アイザック・ライクンだろうね。けど」

「ああ。舞台が整ってりゃ、誰でも彼でもステージに立つわけじゃねえ。何が動機だ?」

 少年の着ている迷彩服の胸には、缶バッジが付いていた。目を閉じ、口を縫い合わせられた赤褐色(アンバー)のスマイルマーク。街で、アンバー・ワールドと呼ばれる連中の、トレードマークだった。アンダーワールドという人気バンドから派生した、不良軍団。リヴァは言った。

「ドラッグの売人で小銭を稼ぐのがせいぜいの連中だぜ、こいつらは」

「彼女なら、何か知ってるんじゃないかな」バーバーが、視線でリタを示した。

「そうだな」

 リヴァは頷くと、椅子に縛り付けられたまま、床に這いつくばっている、リタ・オルパートのこめかみに、サブマシンガンの銃口を突きつけた。

「ぜひ、納得のいく答えを期待したいね、ミス・オルパート」

「答えても、いいけれど」リタは口許を歪めた。「でも、それを聞いてる時間が、あなたたちにはあるのかしら?」

「とても、そうは思えないね」

 聞き覚えのある声。バーバーが、新しい来訪者に襲われていた。連打される蹴りをライフルの銃身で防ぎながら、衝撃で床を滑っていく。銃身で火花を散らし、歪んで落ちる釘。アイザック・ライクン。

 リヴァはサブマシンガンを撃った。が、銃弾は当たらない。銃の先端をアイザックの右手に鷲摑みにされていた。軽々とサブマシンガンごと背負い投げられる。回転する視界の中で放った手榴弾。数秒、待つべきだった。アイザックに受け止め、投げ返された。背負い投げの勢いを利用して床を転がり、跳ぶ。爆風から逃れることはできなかった。吹っ飛び、壁で背中を強打した。

「シドさんと、ネコはどうした!」

 磐井が叫んだ。カザギワの殺し屋、ネコと一度出ていったが、アイザックと遭遇し、こちらに返された。代わりに、シドがネコの元へ向かったのだ。

「考えれば、分かるだろう」

 くそったれが! 磐井が手にしたライフルとともに吼えた。だが、銃声が聞こえたときにはもう、アイザックの姿は消えていた。上方。捻りを加えながら宙で回転し、磐井に向かって後ろ向きにドロップキックを繰り出す。磐井は飛んでかわそうとしたが、間に合わない。

 致命傷。頭をよぎった予感は、黒い二つの拳が防いでいた。ダンク。アイザックの足から放たれた釘は、その拳には刺さらず、折れ曲がり、床に落ちた。ダンクは、鋼鉄製のナックルガードを付けていた。空中でバランスを崩したアイザックに、右ストレートを叩き込む。

「知ってるぜ」ダンクが言った。「こういうの、鉄拳制裁って言うんだろ?」

 バーバーがライフルを撃った。アイザックは床を転がり、跳躍。逃げる。かわしきれなかった銃弾が、左の義手で火花を散らす。ネコとシドのお陰か、アイザックはかなり消耗していた。義手も、手首から先が破壊されている。

 いける。

 構えたサブマシンガンの銃口はしかし、大きく揺れて、アイザックから逸れた。後ろから、撃たれていた。防弾チョッキを付けていたが、衝撃はある。リヴァは舌打ちした。割れた窓のすぐ外に、アンバー・ワールド。

「おとなしく高みの見物を決めときゃいいものを」

 体を捻りながら、跳ぶ。ありったけの銃弾で、邪魔者の体を蜂の巣にする。が、横から衝撃。蹴り。アイザック。激痛が肋骨に響く。折れた。息をつく間もなく二撃目。左上腕。吹っ飛んでいきそうになるサブマシンガンを、何とか脇に抱え込む。三撃目。跳んできたダンクが、拳で受け止めていた。

「弱い者いじめは、感心しないな」

 ダンクの声を聞きながら、新たにログハウスに侵入しようとしているアンバー・ワールドを、サブマシンガンで仕留めた。背中越しに、ダンクに言った。

「仲間に対して、その物言いは、感心しないな」

「そりゃ失礼」

 鋼鉄の拳と釘が音を立ててぶつかり合う。ダンクに間違えて当たらぬように、バーバーが狙いすましてライフルを撃つが、アイザックはそちらを見もせずに、ダンクと戦いながら、かわす。紙一重。

 アンバー・ワールドの銃弾に、ツガ組の構成員がまた一人、倒れた。外にいる敵の数は、あまり減っていない。倒してはいるのだが、その分、増えているのだ。密集して生える木々の間から飛んでくる銃弾。敵の人員を把握するのは、容易いことではない。

 アンバー・ワールド。裏口の方から、二人。バーバーとともに、始末した。表玄関から一人。磐井がありったけの弾をぶち込んだ。その体が、揺れる。外からの銃弾を受けたのだ。太腿。リヴァは低く走り、磐井をかばいながら、サブマシンガンを撃ち、見えない敵を牽制した。空になった弾倉を交換する。

 銃声。アイザックのリボルバーが放った銃弾が、ダンクのナックルガードを割った。だが、ダンクのミドルキックが、アイザックの脇腹を捉えていた。ダンクはそのまま蹴りを連打し、最後に前蹴りを叩き込んだ。アイザックは吹っ飛び、ダイニングテーブルとともに倒れた。

「そこまでだ、アイザック・ライクン」言ったのは、バーバーだった。リタ・オルパートの髪を摑んで顔を上げさせ、ライフルを向けていた。「悪いけど、僕たちヤクザなんだ。いつまでもフェアだと思ったら、大間違いさ」

 静寂。アイザックは何も言わず、倒れたままだった。目は開いている。だが、顔は無表情で、口はぽかんと開いたままだった。バーバーは眉を寄せ、言った。

「アイザック?」

 アイザックは、肩で息をしながら、起き上がった。リボルバーは手放さない。虚ろな目で、何度も小さく首を振りながら、口を開いた。

「だめだよ」アイザックは立ち上がった。糸の切れた操り人形のように、四肢をだらりと脱力したまま。「だめだよ。ミリンダの髪に触っていいのは、僕だけなんだ」

 ミリンダ。ミリンダ・ヒューリーのことだ。幼かったアイザックを誘拐し、その人格と性質を変貌させた張本人。リタとミリンダを間違えるほど、意識が混濁しているのか。リヴァは思った。しかし、目に見えて増えるダメージに比べ、その体から発せられる殺気は減る気配を見せない。

「銃を捨てろ、アイザック・ライクン」

 アイザックは片足をわずかに上げ、そして、床を踏み鳴らした。轟音。釘が打ち込まれた部分を中心に、床板にひびが走る。踏み出した足の下で、また床が割れる。リボルバーを持ったまま、手のひらで顔をこする。

「だめだよ。そんな風に触っちゃ。ミリンダの髪は、とてもいいにおいがするんだ。つやつやしてて、さらさらしてて。触ると、とても気持ちがいいんだ。眠れないとき、僕はいつも、彼女の髪にくるまれて眠るんだよ。そうだ、うん。彼女の髪は、宝石みたいなんだ。宝石なんだよ。それを」

「相手のグローブに球が届かないキャッチボールほど、虚しいものはないね」バーバーが言った。「状況を正確に把握できないほど、消耗しているんだとも、解釈できるけど」

 アイザックは、頭をかきむしった。あー。だらしない、言葉にならない声を、何度も漏らす。ミリンダから離れろよ。小さく呟く。まるでひとり言のように。アイザックは、呪文のように、その言葉を何度も繰り返した。

「銃を捨てろ、アイザック」

 嫌だ。呟いて、アイザックは頭を抱えた。嫌だよ。上半身をぐらぐら揺らし、また同じ言葉を繰り返し始める。駄々をこねる子どものように、床を踏み鳴らす。打ち込まれる釘。大きくなっていくひび。嫌だ嫌だ。

 アイザック! バーバーが叫んだ。弾けるように、アイザックが上半身をのけぞらせる。奇声。ログハウスの中に響き渡り、突き刺さるような甲高い咆哮。

 空気が動いた。危険信号。ダンクが跳んだ。バーバーの前に立ちはだかる。が、アイザックは既にそれを追い越していた。真っ二つに割れたライフル。バーバーの盾。アイザックの蹴り一つで易々と破壊されていた。その足はバーバーのみぞおちを捉え、その体をくの字に折る。裏拳。ダンクの振り向きざまの攻撃は空を切った。アイザックがかわしたのではない。アイザックの後ろ回し蹴りで、ダンクの体が部屋の反対側へと吹っ飛んでいたのだ。

 リヴァはサブマシンガンを撃った。血が爆ぜる。アイザックが盾に使った、シドニーの体だ。その瞳から生気が失われると同時に、銃が弾切れを告げる、乾いた音を立てる。シドニーの体が、床に投げ捨てられた。その向こう側から現われる、微笑みをたたえたアイザック・ライクン。椅子と縄による拘束から自由になった、リタ・オルパート。

「ごめんね、ミリンダ。助けるのが遅くなって。あいつら、僕の言うこと聞かないんだもの」

 ミリンダと呼ばれて、少しだけ眉を寄せたが、リタはそのことを追及しなかった。

「いいのよ、アイザック。こうして、助けてくれただけで」

 リヴァはサバイバルナイフを抜いた。奔る。アイザックの胸を狙ったひと突き。昴宿の字が柄に刻まれた匕首(あいくち)の切っ先で払われた。返す一線。音もなく奔った蹴撃で、ナイフはアイザックの体に届くことなく、跳んでいった。反撃。匕首が鎖骨の上に突き立てられる。下がった顔面に膝。宙に弧を描き、床に落ちる。

「その匕首は」リヴァは言った。

「あの怖いおじさんからもらったんだよ。ぴかぴかしてて、格好よくって、欲しくなっちゃったんだ」アイザックは言った。リボルバーを、左手の義手のささくれ立った先端に引っ掛けて、くるくると回していた。「でも、怖いだけだった。本当は弱いんだよ。最後はちょっと強くなったけどさ。でも、大丈夫だったよ。釘をたくさんさ、ぐさぐさ刺しておいたから」

「てめえ。人の仲間を過去形で語ってんじゃねえぞ」

「怖いなあ。でも、大丈夫だね。君も弱いから」

 リヴァは吼えた。繰り出した拳は、ことごとくかわされた。ゆったりとしたダンスでも踊るかのように、足を運び、自らの体を操るアイザック。コンビネーションが途切れたところで、ローキックが膝に入る。なおも打った左ストレート。その腕の裏側から衝撃。義手で打ち据えられていた。嫌な感触。腕がたわむ。音。折れた。腹に蹴り。折れた左腕を摑み、吹っ飛びそうになるのを、引き寄せられる。激痛に、声を抑えられなかった。

「ねえ、ミリンダ。僕、もう我慢できないんだ。体が熱くて、むずがゆくて。ふわふわして、じんじんして、爆発しそうなんだ。でも、けど。ミリンダ、疲れてるみたいだから。ねえ? どうすればいいかな。こいつら、本当に気に入らなくて。ぐちゃぐちゃにしてやりたいんだけど。でも、ミリンダは帰りたい?」

 リタはアイザックの首元を、手のひらで撫でた。

「馬鹿ね、アイザック。決まってるじゃない」口が微笑に裂ける。「彼らのこと、好きなだけ、ぐちゃぐちゃにしちゃいなさいな」

 アイザックは再び、上半身をのけぞらせた。甲高い奇声。

 その声を聞いたときにはもう、アイザックの蹴りが腹に入っていた。衝撃とともに、突き刺さる釘。先ほどのものよりも、深い。背後から飛びかかったダンクを一蹴し、リヴァの頭に義手を振り下ろす。意識が一瞬飛び、戻ってきた視界は赤く染まっていた。また、蹴り。全身に激痛が蔓延していて、どこを蹴られたのか、分からなかった。衝撃が連なる。釘が打ち込まれる感覚に、体が支配される。

 くそったれ。

 蹴りを受けて揺れるリヴァの体は、その言葉を声に出すことさえも、許さなかった。

 視界の向こうで、愉しそうに目を細めるアイザックを見た。

「楽しいな。ねえ? どう、痛い? ねえ? ああ、でももうすぐ終わっちゃうのかな。目が真っ白になっちゃったら、もう、ね。知ってる? 楽しいのはおしまいなんだ。何も言ってくれなくなっちゃうから。体がぐらぐら、ぐちゃぐちゃするだけ。ねえ、知ってる?」

 攻撃が止み、アイザックの姿が、見えなくなった。誰かが、リヴァの前にいた。見覚えのある人影。リヴァは目を開いた。

「お前」

「ストップだ、アイザック・ライクン。そして、リタ・オルパート。これ以上、彼らを傷付けないでほしい」

 風際慶慎は言った。

つづく




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posted by 城 一 at 00:21| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第177回(2版)


交錯。


 体を引きずり、シドを追いかけた。車を使いたかったが、土にはまった状態から救い出すだけの体力が、自分に残っているとは思えなかった。

 胸元まである草木を掻き分け、うっすらと積もった雪を漕ぎ、歩いては休むことを繰り返した。シドとアイザックが繰り広げた戦闘の痕跡は、至る所に残っていた。草木は倒れ、木々の幹はえぐられ、釘を打ち込まれていた。そして、雪の白色を汚す、血の赤。歩を進めるほどに、周囲を彩る血の量は、多くなっていった。シドとアイザック、どちらの血なのかは、分からなかった。

 一本の大木に身を寄せる人影を見つけた。それが誰なのか、認識する自分を否定することができなかった。シドとアイザックの容姿には、違う部分が多すぎる。人影の髪は黒く、全身が白銀色と赤色に染まっていた。シドだ。

「やだ」

 言葉が口からこぼれた。目からは、涙。シドにたどり着くまでの距離が、もどかしくて仕方がなかった。途中、草木に足を取られて、転んだ。そのまま倒れていれば、血塗れのシドの姿を、それ以上見なくて済む。そんな思いに駆られた。数秒の休息の後、さらに弱音を吐こうとする自分を叱咤し、立ち上がった。

「やだ」

 歩を速める。近づくほどに、シドの体を染める血の量の多さに気付かされた。山の斜面は急で、シドはほとんど、木の上で仰向けで寝ている状態だった。鈴乃の姿が目に入っても不思議ではない距離になっても、シドは何の反応も示さなかった。

 顔の右半分。無事なのは、そこだけだった。シドの体の他の部分は、釘を打ち込まれ、そこから滲み出した血で赤く染まっていた。左目も、潰されていた。シド。名前を読んでも、返事はなかった。その手に、昴宿と書かれた匕首はない。

 羽継の死体を思い出した。鼻腔の奥に、肉の腐臭が蘇った。テンガロンハットがないことに気付いたときの感情が、血を燃やした。一人で泣くんじゃねえぞ。シドのくれた言葉が、涙腺を焦がした。

 吼号。

 声で空を貫いた。

 全身に満ちた殺意を吐き出さなければならなかった。いくら、傷から血を流そうとも、やらなければならなかった。一度ならず、二度までも。

 咳を聞いたのは、そのときだった。血でこもり、鈍くなった咳。振り返ると、シドが血を吐いていた。駆け寄る。胸に耳を当てる。心臓の鼓動が聞こえた。

「シド?」

 呼びかけた。シドは反応を示し、返事をしようとしたが、言葉は出てこなかった。意味をなさない音が、喉の奥から、かすれて聞こえるだけだ。

 シドの体を、背負った。

 悲鳴を上げる体に鞭を入れ、山を下りた。一歩、足を進めるのにも、一呼吸置かなければならなかった。時間が経過するごとに、背中で、シドの体が重くなった。自分の体力が消耗しているからなのか、シドの体が死に向かって、脱力しているからなのかは、分からなかった。途中からは、立つことも難しくなった。這うようにして進んだ。

 道路。目にした瞬間、体から力が抜けた。倒れ込むようにして、開けた世界に出た。だが、まだだ。途切れそうになる意識を、必死に繋ぎ止める。ここで気を失えば、シドは確実に死ぬ。

 道路に立ち、車を待った。一台、二台。幽霊のように道に立ち塞がる鈴乃を、やって来た車は、慌てて車線変更をしてかわし、走り去った。鈴乃はシドの体を道路脇に寝かせて、さらに待った。三台目。覚悟は出来ていた。ハンドルを握る運転手と目が合う。三十代後半の男。どうするつもりなのか、瞬時に分かった。男が急激にハンドルを切る。一歩。鈴乃は大きく踏み込んだ。バンパーを狙う。

 蹴撃。

 車はわずかに後輪を浮かせたあと、停止した。白い軽自動車。男の表情が、恐怖に染まっている。運転席に回り、ドアを開けた。

「危害を加えるつもりはないわ。今の蹴りで破損した部分は、あとで修理代を払う。あたしと」鈴乃は道路脇に寝かせてあるシドを、指差した。「あの人を、街まで連れていってほしいの」

 それしかできないロボットか何かのように、男は何度も頷いた。男に、シドを後部座席まで運ばせて、鈴乃は助手席に乗り込んだ。どこまで行けば? 男が言った。誰でも分かる、市立の病院の名前を口にしたかったが、そうすれば、意識を取り戻したあと、警察の相手をしなければならない。鈴乃は、志津子のいるバー『テレサ』の場所を告げた。男は頷き、車を発進させた。

 エンジンの動く音を聞いた。繋ぎ止めていた意識が、霧散した。



 目を開けると、鈴乃は、シドとともに、再び道路脇にいた。軽自動車も、その運転手もいなかった。逃げたのだ。さっきよりは街に近づいているものの、ほんの少しだ。舌打ちし、体に力を込める。だが、立ち上がることができなかった。

 アスファルトにひっついた耳が、足音を聞きつける。何とか首だけを動かす。見覚えのある少年がいた。

 風際慶慎。

 慶慎は携帯電話で、誰かと話をしていた。ふと、目が合う。慶慎は携帯電話を閉じ、こちらへやって来た。膝を突き、言う。

「よかった。目が覚めたんですね」

「どうして」

「喋らないでください。動くのも、駄目です。今、カザギワの人を呼びました。じき、迎えに来てくれます。医者も連れてきてくれとお願いしました」

「どうして、ここに」

 慶慎は、山の上を見た。

「ここに、リタ・オルパートがいますね?」

「それが、目的?」

「本当は、カザギワの人が来るまで、ここにいてあげたいんですけど」慶慎の表情がかげる。「すみません。やらなきゃいけないことがあるんです」

「そう」

「すみません」

「いいのよ」

 鈴乃は目を閉じた。意識が再び途切れるまで、遠くなっていく、慶慎の足音を聞いていた。

つづく




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2008年05月14日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第176回(2版)


一人で泣くんじゃねえ。


 目を開けると、世界は、アイザックのアトリエのある山中に戻っていた。両脇の下に手を入れ、地面を引きずられている。鈴乃の体を運んでいるのは、シドだった。人、一人を運ぶのは、楽ではない。必死なのだろう。シドの手のひらが、ときどき鈴乃の胸に触れた。作意は感じられない。分かっていながら、その手の甲をつねり上げた。

「痛ぇ! 何だてめえ、起きてやがったのか」

 シドの声が、少し前まで見ていた夢を遠ざける。緊張はほぐれたが、代わりに、全身を襲う痛みに気付かされる。それは、シドが鈴乃の体を引きずる度に、体中を駆け巡る。歯を食いしばって、耐える。

「こんな山奥に連れ込んで、何をするつもりなのかしら?」

「本音を言わせてもらえば、満身創痍の女なんか、触りたくもないね。苦しんでるのを見たり、悲鳴を聞いたりするのは、好きじゃねえんだよ」

 周囲を見渡すと、意識を失う前とは、景色が違った。

「ここは、山のどの辺り? さっきまで、あたしがいた場所とは違うわ」

「知るかよ。山の持ち主に、迷子にならないように、各場所に番地を設定しろとでも、あとで言っとくんだな」シドは言った。「お前はここに倒れてて、たった今俺が来て、見つけたんだ」

 記憶の底に閉じ込めていた思い出と邂逅を果たす間にも、自分は動き続けたということか。体にも、傷が増えている。意識がないまま、戦ったのだ。今いるのが、死後の世界でないことが、驚きだった。アイザックの気配は、近くには感じられない。不幸中の幸い。

 シドが鈴乃を運んでいこうとしているのは、トヨタのイストの中だった。シドニーが、アトリエを訪れるときに使った車だ。だが、車体はぼこぼこで、右側のサイドミラーは根元から折れて、だらしなくぶら下がっていた。左側の方は、そのもの自体がない。縁にぎざぎざと破片を残し、フロントガラスも失われてしまっていた。他の窓も、似たり寄ったりの状態だった。

「車の方も、満身創痍ね」

「そこかしこに木が生えた山ん中を、無理やり走らせりゃ、こうなるさ」

 シドは、鈴乃の体を、イストの助手席にそっと置くと、運転席に乗り込んだ。車内には、割れた窓から入り込んできた小枝で、散らかっていた。まるで地面を蹴ったかのように、がくんと体を揺らし、車が発進する。ハンドルを操作しながら、彼は後部座席から、ずたずたになった羽継のテンガロンハットを取った。探し物だぜ。そう言って、鈴乃の頭に乗せる。

「どうして来たの」

「助けが必要かと思ってな」

「だったら、磐井をアトリエに返してないわ」

「時間が経てば、状況も変わる」

「一人の方が、やりやすいのよ」

「そうかな?」シドが指を伸ばし、鈴乃の目元を撫でた。爪の上に、水滴が乗る。「助けがいらない奴は、泣いたりしない」

 そこで初めて、現実の世界でも自分が泣いていたことに気付き、慌てて頬を拭った。テンガロンハットの鍔を下ろし、目の辺りを、シドから見えにくくする。

「男は構わんが、女はいけねえな。一人で泣いちゃ。誰かに、肩か胸を貸してもらわなくちゃ」

「そんな“誰か”、いないもの」

「だろ? だから、俺が来たのさ」

「馬鹿」車は、山の斜面をそろそろと下りていた。ギアが低速で、甲高い声で鳴いている。「で? どこに行くつもりなの?」

「山を下りて、お前さんを道路まで運ぶ。医者を呼んだら、すぐに俺はアトリエへ戻るがね。アイザック・ライクンが来てないうちから、面倒が起きてる」

「何?」

「得体の知れない連中に、アトリエが囲まれてるのさ。数は、分かる範囲でおよそ二十。アイザック・ライクンが連れてきたんだろうな」シドが、鈴乃を一瞥する。「ところで、奴は殺ったのか?」

「まだよ」

「マジでか。てっきり、始末したものとばかり思って、のんびりしてたぜ」

 シドがギアを上げた。地面のへこみをタイヤが捉えて、縦に弾む。その勢いで方向が変わり、車のフロントが巨木にぶつかる。ヘッドライトが割れる音。衝撃。シドともども、車内前方部に頭をぶつける。呻き声で、高音低音のハーモニーを奏でる。

「ちょっと、もう少しそっと運転できないの!」

「山に言いやがれってんだ」

 イストはそれきり、タイヤを空転させるばかりで、進まなくなった。鈴乃にそのままでいろと言い、シドが車を降りる。

「ちくしょう、はまっちまったぜ。お前、その体で車の運転はできるか?」

「車を押すよりはいいわ」助手席から、運転席へと移動する。

「オーケイ。じゃあ、“せーの”でバックしてくれ」

 せーの! シドの声を聞き、ギアをバックに入れて、アクセルを踏んだ。消失したフロントガラスの向こう側、シドの顔が真っ赤に染まると同時に、車体が後方へと持ち上がるように進む。もう少しよ。鈴乃がそう言ったところで、車は脱力したかのように、また元の位置に戻った。

「ちょっと」抗議しようとしたが、フロントの向こうに、肝心のシドの姿が見当たらなかった。「シド?」

 その名前の持ち主は、空から降ってきた。車のボンネットで弾み、地面に転がる。

 何が起きたのか、分からなかった。鈴乃は運転席から、外に出た。先ほど、車を押し上げたヤクザが、今では地面から自分の体を持ち上げるのにも、苦労していた。全身に、光が散りばめられている。釘。

 アイザック。

 その影は、立ち上がろうとするシドの背中目がけて降ってきた。空から。させなかった。タックル。肩でアイザックの胸を捉え、木の幹に、その体を打ちつける。一歩下がり、振りかぶって、掌底。アイザックの鼻が潰れ、血が飛散する。ボディに短いストレートを連打。五を数え、アッパー。アイザックの顎を跳ね上げる。

「お前はどこまで」

 言葉とともにハイキック。こめかみを蹴り抜く。アイザックの体が、土をえぐりながら、地面を滑っていった。跳躍して追随。アイザックの腹に膝で着地する。苦痛に歪んだ顔に、拳を降らせる。血に塗れていく、アイザックの顔面。

「お前は」

 ほとんど、鍔しか残っていない代物だ。深くかぶることはできなかった。激しい鈴乃の動きに耐えられなかったテンガロンハットが、その頭から落ちた。

「僕が、何だって?」

 視界を部分的に遮る帽子。その鍔が小さく揺れて、穴が空いた。銃弾が貫通してできたものだと気付いたときには、遅かった。肩口。リボルバーで撃ち抜かれていた。崩れるバランス。顔に打ち込まれた右のフックが、それに追い討ちをかける。頭を鷲摑みにし、地に叩きつけられた。形勢逆転。アイザックが上になる。

 顔中に広がった笑みの中で、碧眼が細くなる。アイザックは、鈴乃の髪を手に取った。指先で揉むように、弄ぶ。

「いい色になってきたな」鈴乃の流した血がこびり付いて乾き、黒髪が、ところどころ、赤茶色に染まっていた。「お前、名前は何て言うんだ?」

「あたしは」

「そいつは、ノーコメントだ、釘男」

 アイザックの顔。右側を縦に、赤い線が走った。シド。逆手に握られた匕首(あいくち)の柄で、昴宿の二文字が踊る。宙で回転、そして着地。身を翻してアイザックの胸元へ匕首を向ける。アイザックの左手。鉄塊となった義手が、その軌道を逸らす。

「今、二人で話してたんだ。割って入るとは、野暮な男だ」

「仲間内じゃ、空気が読めないことで、有名でね」

 首、胸、腹。狙い、無軌道に線を描く匕首。紙一重でかわすアイザック。その手でリボルバーが吼えた。揺れたのは鼓膜だけ。シドは銃弾をかわしていた。動きは淀まない。回し蹴り。捉えたのは膝。後ろ回し蹴り。捉えたのは空。小さく飛んだアイザックに、匕首。左フック。中段蹴り。上段蹴り。匕首。シドの体と攻撃の勢いを利用して、宙で跳ね回るアイザック。その下半身が唸る。右、左。槍のような蹴撃。吹っ飛んだシドの体が、車のバンパーに跳ね返される。

 傷を確かめるかのように、新たに打ち込まれた釘に、手をあてるシド。離すと、その手のひらは、血でべっとりと濡れていた。

「シド」

「いいか、ネコ」シドの声は、かすれていた。「一人で泣くんじゃねえぞ」

「そんなこと」

「大事なことだ」

 匕首を宙で回転させ、順手で握りなおすシド。地を蹴る。疾駆。リボルバーを構えるアイザック。だが、銃はもう声を上げなかった。弾が切れたのだ。衝突。咆哮。匕首でアイザックの腹を捉え、そのまま走り続けるシド。行く手を遮る木々の小枝が音を立てて折れていく。土が跳ね、枯れ葉が舞い、巨木が揺れる。

 消失。

 二人の姿を、見失った。元々角度のきつかった地面が、さらにその角度を増したのだ。急勾配の向こう、密集するように生える巨木たちの中に、絡み合う男たちを見つけることができなかった。

 どこかで、たくさんの鳥が飛び立つ羽音。

「シド」

 静まり返った山は、何も答えなかった。

つづく




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2008年05月04日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第175回


大嫌い!


『ちょっとぉ、目を閉じたら、電気代がもったいないでしょ? 何のために、このビデオを流してると思ってるのよ』

 スズノが言った。幼い日の自分の姿をした、幻。折り畳み式のパイプ椅子に逆向きに座り、退屈そうに、背もたれに顎を乗せている。抱えるほど大きな紙の容器に入ったポップコーンを、ひたすら頬張っていた。

『聞いてるの?』

 スピーカー越しに聞こえるスズノの声は、少しがさついていた。彼女の問いかけに、返事はしなかった。疲れていた。精神的にも、肉体的にも。現実の世界ならば、死を迎えているのではないかと思えるほど、消耗している。

 鈴乃は、水牢の中にいた。永倉帝明から情報を引き出すために使用したものと、同じ場所。水も、腰の辺りまで溜まっており、座って休むことができない。体を包む衣服は一切なく、全裸。この世界で目を覚ましたときから、その状態だった。

 ビデオが終わった。スズノがリモコンを操作してテープを巻き戻し、また最初から再生を始める。児童養護施設での、ある夜。スズノが、ハネツグに犯される様子が入ったビデオを。大型のテレビと、ビデオデッキを載せた、キャスター付きのテレビ台があるのは、ガラスの向こう側。まるで従者のように、椅子に座るスズノの隣に佇んでいる。

『これでもまだ、犯されたって認めないわけ?』

 ビデオの中のスズノは、ハネツグのペニスに体を貫かれ、目を見開いて悶絶していた。叫び声は、窒息死させようとしているのではないかと思うほど、強く押しつけられたハネツグの手のひらで、低く、くぐもっている。少年は、そんな少女の様子に構わず、腰を動かした。そう長い時間を置かずに、射精。コンドームも付けずに、スズノの中で、腰を震わせていた。間もなく画面は暗くなり、ビデオテープが終わる。また、スズノがテープを巻き戻す。

『強情ね、あなたも』

「そっちこそ」鈴乃は言った。「今さら、こんな昔のことを追究して、何になるの?」

 ポップコーンがガラスの壁で弾み、床に落ちた。スズノが容器の中身をぶちまけたのだ。目を剥き、ガラスを手のひらで叩く。

『昔?』

「ええ、そうよ。もう、風化する寸前の、過去の話でしょう」

『あなた、本気で言ってるの?』

「ええ、もちろん。見てみなさいよ。ビデオの中のあたしと、今、ここにいるあたし。どれくらい、年が離れてると思ってるの?」

 スズノが、テーブルの上の、ノートパソコンを操作した。注水される水の量が増え、今まで注水されるのと同じ量が排出されていたのが、停止する。水牢の中の水かさが増す。あっと言う間に、鈴乃の体は水の中に沈んだ。水で満たされた水牢の中に、逃げ場はない。現実の世界ではないはずなのに、肺が酸素を欲する。窒息が連れてくる死の一文字で、頭がいっぱいになる。

『犯されたと、認めなさいよ』

 水中でも使用が可能なスピーカーから、スズノの声が聞こえてくる。鈴乃は声の方に手を伸ばした。口にしようとした言葉は、水泡に変わり、水牢を上っていった。その水泡が、揺れた。スズノが、二丁のマカロフでガラスを撃っていた。穴だらけになった部分に、パイプ椅子を叩きつける。ガラスが、大きな音を立てて割れる。空いた穴から、水が流れ出す。鈴乃の体も一緒に、水牢から流れ出た。助けられたわけではなかった。スズノに髪を摑み、無理やり顔を上げさせられた。

「犯されたと、言え」

「表現を変えたところで」鈴乃は、水を吐き出しながら、言った。「解釈の仕方を変えたところで。過去は、変わらないわ」

 スズノの足が、腹にめり込んだ。鈴乃は胃液を吐いた。

「きちんと咀嚼して、噛み砕いて。消化したものを、過去と言うのよ。時間の経過に関わらず、記憶にいつまでも居座ってるものを、過去とは言わないわ」

「ごちゃごちゃと、わけの分からないことを」

 また、蹴られた。もう吐くものは、なかった。

「分かってるはずよ」

『きっと、本当に分からないのよ』

 言ったのは、テレビ画面の中のスズノだった。コンセントが水に濡れているのにも関わらず、ビデオの再生は続いていた。ハネツグに犯されているスズノの顔が今は、画面越しに鈴乃のことを見ていた。

『記憶を閉じ込めて、時間が経ちすぎてしまったから。目印を付け忘れた、タイムカプセルのようなもの。見つける方法がない。だから、見つからない。そのうちに、最初からタイムカプセルなんて埋めなかったんじゃないかって思えてくる』

「そうなの?」スズノは、マカロフの銃口を鈴乃のこめかみに突きつけた。「あたしは、タイムカプセルなの?」

『嫌な記憶は、なかったことにして。いいところだけを抽出して、都合のいい記憶に磨きをかけて、美化してしまう』

 テレビの中のハネツグが、処女を失い、すすり泣くスズノに背を向けて、小さく呟いた。

『ごめんな、鈴乃。代わりと言っちゃ、何だけどさ。俺、お前の兄貴になってやるよ。そうすりゃ俺たち、もう一人じゃなくなるんだ。いつだって、お前の側にいてやる。お前を守ってやる。お兄ちゃんって、呼んでみな』

「やめて」鈴乃は言った。

『本当は嫌いなくせに、セックスが大好きなふりをする。どうしてか? セックスが嫌いだとしたら、その理由は羽継正智のせいになってしまうから。それは、そうよね。あんな処女の奪われ方をしたら、誰だって好きになれない。だから、処女を失った夜のことは。その後、少しの間、セックスにおける快楽に、体が目覚めるまでの記憶には、蓋をする。気持ちよくなってきてからの羽継とのセックスだけを、記憶に刻んで。“お兄ちゃんとのセックスは、とてもよかった”と自分に言い聞かせる。まるで、処女を奪われたときのセックスから、そうだったかのように、記憶を改竄(かいざん)する』

「やめて」

 マカロフを握ったスズノが、鈴乃の股間に顔を埋めた。舌を伸ばして、舐める。羽継が初めてしたときと、全く同じやり方で。

『ただ、唾液で水分を与えるためだけの、舐め方』

「やめて」

 スズノの指が、濡れてもいない膣の中に押し入ってくる。

「痛い」

『ただ、自分の好奇心を満たしたいがための、やり方』

 スズノが服を脱ぎ、裸になった。その股間には、ペニスが生えていた。それに、体を貫かれれる。

「痛い!」

『ただ、射精したいだけの、セックス』

「セックスは、好き?」スズノが言った。

「嫌い!」

「羽継正智のことは、好き?」

「嫌い!」

「人を殺すことは、好き?」

「嫌い!」

「殺し屋の仕事は、好き?」

「嫌い!」

「自分のことは、好き?」

「大嫌い!」

 スズノが、体を震わせた。精液が、膣の中に流れ込んでくる。スズノは声を上げて笑い、鈴乃の額にキスをした。

「いい顔になったわよ、鈴乃」

 鈴乃は泣いていた。羽継に犯された、あの日のように。あの日の感情、体の痛みが、完全に蘇っていた。いつの間にか、真っ暗になっていたテレビの画面の向こうから、自分の名前を呼ぶ声がした。シドの声だ。

「潮時ね」

 スズノは呟き、鈴乃の体から離れ、コンセントから、テレビとビデオデッキのコードを抜いた。世界が、終わりを告げた。テレビが消えるときのような、ぷつん、という音を立てて。

つづく




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posted by 城 一 at 21:02| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月01日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第174回


残るもの。


「しーっ」

 目を覚ますと、ハネツグマサトモがいた。手のひらでスズノの口を塞ぎ、空いている方の手の人差し指を、自分の唇の前に立てている。部屋の明かりは既に消えていて、ハネツグの姿は、うっすらとしか見えなかった。首に顎紐を引っ掛けて、うなじにテンガロンハットをぶら下げていた。彼が母親からもらった、父親の形見だ。

 ハネツグは、唇の前に人差し指を立てたまま、スズノの口から手のひらを離した。

「どうしたの、マサ君?」その頃、スズノはまだ、ハネツグのことをそう呼んでいた。「今、何時?」

 ピンク色のカーテンの隙間から見えるのは、漆黒の闇。寝坊したために、ハネツグが起こしにきたというわけではなさそうだった。確かなのは、施設の消灯時間をとっくに過ぎているということ。スズノの記憶がある限りでも、そうなのだ。好きな少女漫画雑誌を手に入れた日で、それを読み終えるために、消灯時間を無視してしまったから。

「そんなこと、どうでもいいじゃんか。それよりさ、スズノ。セックスって、知ってるか?」

 セッ。スズノは思わず、声を上げてしまった。さっと動いたハネツグの手のひらに、再び口を塞がれる。自分の声のボリュームが、大きすぎたことに気付いたこともあり、スズノはそれ以上、言葉を続けたりはしなかった。

 セックス。言葉の上だけならば、知ってはいた。少し前に生理が始まったときに、施設の女性指導員から、教えられた。だが、頭に馴染んではいなかった。セックスに関する知識は、とても大切なものだと言われたが、それが実感できなかったのだ。ただ、今まで以上に、男子と関わることには慎重になるよう言われた。制約と、面倒が増えた。そういう感想しか、持てなかった。男子には生理がないと分かり、女子は損だとも思った。

 スズノは、ハネツグの肩を叩いた。“次、大声上げたら、ただじゃおかないからな”と、ハネツグに念を押されてから、手のひらの蓋から解放された。

「この前、アッコ先生から教えてもらったよ。セックスは、大切な人とすることだって。長い人生の、楽しいときも、辛いときも、一緒にいたい。そう思った人とだけ、することだって」

 スギサキアツコは、スズノにセックスのことを教えた、指導員だった。施設の者たちは皆、彼女のことを、真ん中の“つ”を小さくして、“アッコ”と呼んでいた。

「嘘だな」ハネツグが目を剥いた。白目の部分が、暗闇の中でぎらりと光ったように見えた。「お前、知らないのか? あいつは中学生の頃、援交してたんだぜ。街で手頃な親父を捕まえては、ヤりまくってたんだ。何十人って男とな。“大切な人”ってのが、そんなにたくさんいるってのか、ええ? 二枚舌ってヤツさ、スズノ」

「二枚舌?」

「大人の得意技さ。言ってることと、やってることが、違うってことだ。大人になるとな、みんな嘘つきになるのさ。口を開くと、嘘しか出てこなくなる。だから俺は、絶対に大人になんか、ならない」

「アッコ先生は、いい人だよ。援交のことは分からないけど、きっと理由があるんだよ。大人だって、悪い人ばかりじゃないよ」

 ぽつり、と雫が頬を打った。ハネツグは、その二つの瞳から、涙をこぼしていた。

「じゃあ、何で母さんは来ない」

“俺が十五歳になったら、母さんが迎えに来るんだぜ。いいだろ?”というのが、ハネツグの口癖だった。生活苦を理由に、ハネツグを施設に預けた母親が、彼にした約束だった。スズノとハネツグがいた施設には、一時的な措置として訪れた子どもが多く、皆、短期間で施設を出、家族の待つ家へと帰っていった。その後ろ姿を見守るばかりだったハネツグのことを支えていたのが、その、母親の約束だった。だが、ハネツグが十五回目の誕生日を迎えてから、既に一ヶ月が過ぎており、彼の母親からは、一向に連絡が入っていなかった。

「何か、理由があるんだよ。大丈夫。そのうちきっと、ひょっこり迎えに来てくれるよ」

 平手。頬を、叩かれていた。

「何も知らないくせに、適当なこと言うなよな」

「知ってるよ。マサ君、たくさんいいことしてるじゃん。お小遣いを使って、怪我した野良猫の世話をしてるの、知ってるんだよ、あたし。小さい子の世話だって、自分から進んでしてるし。先生たちのお手伝いだってしてる。そういう人にはね、絶対、いいことがあるんだよ」

「ねえよ」

「あるよ」

「ねえんだよ。いいことがあるのはな。親が揃ってて、その親の性格がよくて、金がある。そういう家庭にいるヤツって、相場が決まってんだよ。親に捨てられた俺たちに、いいことなんか、ねえんだよ。微塵もな」

「やめてよ」

 スズノには、最初から親がいなかった。赤ん坊のときに病院の前に捨てられ、死に瀕するほど衰弱していた。それを、急患を迎えに来た看護婦に、急患とともに迎え入れられ、治療を受け、養生した。その後、親の所在が不明だったスズノがたどり着いたのが、この児童養護施設だった。ハネツグとは違い、親という存在の温もりに、一度も触れたことがなかった。本やテレビ、そして施設の仲間を見、こういう感じなのかと想像するだけだ。施設で出会い、一定期間が経過した後、家族の下へと帰っていった仲間の数だけ、両親の不在がもたらす、虚しさを味わった。親がいる者と、いない者。その違いは、痛いほど分かっていた。だが、足掻いたところで、どうにもならない。諦め、忘れてしまうことで、その辛さをやり過ごしていた。

「なあ、セックスしようぜ、スズノ。俺たちは、親がいないんだ。親が家で待ってる、お坊ちゃん、お嬢ちゃんに差をつけるのはさ、そういうことでしかできないだろ」

「言ってる意味が、分かんないよ、マサ君」

「鼻で笑ってやんだよ。お前ら、セックスしたことないだろって。親ってのは、つまるところ、大人ってことだ。アッコのヤツと、同じさ。セックスはしちゃダメだって言うに決まってる。親のいるヤツらには、できないのさ。セックスはな」

「それで、どうするの? 人のことを鼻で笑って、そのあとは? 何も残らないじゃん」

 また、叩かれた。

「じゃあ、言ってみろよ。残るものって、何だ? この、お前の部屋だって。俺の部屋だって。俺たちが出ていったら、また別の奴が使うんだよ。そいつが生活してるうちに、思い出なんて、消えうせる。指導員の連中だって、いつまでいるか分かりゃしねえ。俺たちが、この施設で残せるものなんて、何もないさ」

 言い返せなかった。ハネツグの手のひらが、スズノのTシャツの下に潜り込み、胸をまさぐっていた。嫌。そう言って、体をよじったが、逃げられない。ハネツグに理屈で勝てないことが、体から、抵抗するための力を奪っていた。溢れた涙で、視界が滲む。

「泣くなよ、スズノ。すぐ、気持ちよくなるさ。セックスってのはな、女の方が気持ちよくなれんだよ」

「嫌だ」

 泣いた。けれど、ハネツグはスズノの体を愛撫するのを、やめなかった。むしろ、泣くことが、彼に許可を与えているかのように、行為はエスカレートした。ハネツグは空いている方の手で、パンティの上から、スズノの股間を擦った。

「心配すんな。やり方は、ちゃんと知ってんだ。アズミさんに、教えてもらったんだ」

 アズミキヨタカ。数ヶ月前に指導員の一人を、気に入らないという理由で、病院送りにした少年だった。やむを得ず、施設の他の指導員たちは、警察に連絡した。が、アズミはそれを嗅ぎつけ、警察の手が及ぶ前に施設を出、姿を消していた。ハネツグは以前から、アズミのことを“かっこいい”と慕っていた。ハネツグが問題を起こすとき、そこには必ず、アズミが一枚噛んでいた。誕生日になっても母親が現われないことで、ハネツグは問題を起こすことが多くなった。アツコは、アズミが関係してるのではと、心配していた。そしてやはり、その通りだったのだ。

 ハネツグは、パンティの下に触れた指先を見て、呟いた。

「濡れねえな」

「もう、やめて、マサ君」

「嫌だね」

 パンティが剥ぎ取られた。覆うものがなくなったスズノの股間に、ハネツグが顔を埋める。伸ばされた舌。唾液の温い感触。背筋に悪寒が走った。頭で命じるよりも早く、反射的に足が動いていた。蹴り。ハネツグの体が吹っ飛ぶ。

 ハネツグから逃れるには、今しかなかった。口を開いたが、叫ぶことができなかった。緊張で、声帯が強張っていた。Tシャツしか身に付けていない自分を、顧みる時間もない。ベッドから跳ね上がり、ドアへ走る。だが、伸ばした手は、ドアノブを摑むことができなかった。首を鷲摑みにされ、ベッドへと引き戻される。ハネツグの手に握られた飛び出しナイフが、首筋にぴたりと当てられる。

「往生際が悪い奴だな、スズノ。これが、最後だ。選びな。叫んで、騒いで。首を切られて、出血多量でくたばるか。しばらくの間、おとなしくいい子にしてて、セックスを覚えるか」

 選択の余地はなかった。スズノは目を閉じ、ただ涙を流し続けた。すぐに、ハネツグの手と口が、淡いくすぐったさとともに、死にたくなるような嫌悪感で、スズノの体を包んだ。

つづく




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ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第173回


嘘つき。


 鈴乃は、右腕から釘を抜いた。一本ずつ。抜く度に走る痛みに、意識が遠のきそうになる。疲労と、苦痛が蓄積しているのだ。自分が今、目を開き、自らの足で立っていることの方が、不思議だった。

 体に増えた傷に対して、経過した時間は、そう長くない。頭の中に浮かぶ、稼いだであろう時間は、三十分。だが。緊張感と集中力が、時間を圧縮していることを考えれば、もっと短いだろう。磐井がログハウスにたどり着いていれば、御の字、というところだ。

 枝の折れた音がした。上。姿を捉えぬまま、マカロフを撃つ。青い二つの瞳が線を描いて流れた。木が揺れ、表皮が剥がれ落ちてくる。跳んだのだ。横。捻った体が軋んだ。右腕を蹴られていた。釘の刺さった穴から血が飛ぶ。マカロフの引き金を引き続けた。鞠のように弾むアイザックの体。まるで関節が存在しないかのように自由に舞い踊る四肢。銃弾が尽き、銃声が途切れる。左腕が音を立てて、来た。掌底。マカロフから取り出した空の弾倉を、右手の指先で弾く。掌底を食らい、吹っ飛んだ。その衝撃を利用し、アイザックと距離を取り、木の陰に身を寄せる。

 脇腹にめり込んでいた、マカロフの弾倉が、落ちた。つづら折りになった、長い釘とともに。掌底は食らったが、釘を打ち込まれるのだけは、避けた。弾倉を、盾に使ったのだ。別の弾倉を取り出した。もう、新しいものではない。使用して、弾が半端になったものは、全弾が入っているものと交換。隙を見て、半端になった弾倉の弾をかき集めて、全弾が入っている弾倉を作る。そうやって残った、最後の半端な弾が残った弾倉だ。四。鈴乃は数え、マカロフに装填した。これで稼げる時間は、一体どれくらいあるだろう。十分? 五分? あるいは、もっと短いかもしれない。

 憤怒。復讐。報復。仇討ち。頭の中を巡る思考は、そういった色を帯びない。無色だ。どんなに、アイザックの姿を視界に入れようと、自分の体が、羽継の死体を思わせるものになっていこうと、変わらなかった。外気と同じように、冷えきっていた。羽継の仇を取るために、ここに来たのではないのだろうか。自分で、自分のことが分からなくなっていた。

 鈴乃は煙草をくわえた。火はつけない。煙で自分の居場所を知らせたくはない。葉のにおいを嗅いで、呟いた。

「考えても無駄、か」

「嘘」

 鈴乃は、目を細めた。向かい側の木に寄り掛かるようにして、幼い日の自分がいた。王子にガラスの靴を履かせてもらうシンデレラを模したシルエットがプリントされた、白いTシャツ。下は、水色のパンティしか履いていなかった。羽継と、初めてのセックスをしたときの格好だ。

 幼い頃の自分に掛けようとした声を、呑み込んだ。殺気を感じた。捻った肩口を、銃弾がかすめていった。空気が鳴る。鈴乃が寄り掛かっていた木に、アイザックが飛び蹴りを叩き込んでいた。打ち込まれた釘で、木にひびが走る。マカロフ。向けた銃口の先から、アイザックは逃げなかった。低姿勢になり、さらに踏み込んでくる。放った銃弾は、アイザックの太腿を薙いでいった。残弾数、三。体当たりを受けて、吹っ飛んだ。

 木で強打した頭から、一瞬、意識が飛んでいった。戻ってきた視界に、アイザックの左の掌底。頭をそらしてかわした。それ以上、逃げることができなかった。アイザックに、上に乗られていた。二撃目。掌底の中央をマカロフの銃口で受け止めた。引き金を引く。一、二、三。義手の手のひらに穴が開き、さらにその向こうの腕を銃弾がえぐった。脇腹に、右フックを叩き込まれた。さらに、肩口。顎。マカロフを捨てた。左の裏拳でアイザックの頬を叩いた。戻ってきたところで鼻に短いストレートを打ち込む。二発目は打てなかった。アイザックの右手に、捕まえられていた。自分の右は、言うことを聞かない。残った、アイザックの左腕も、同じだ。だが、振り下ろすことはできる。鉄の塊が、視界に落ちてきた。

 意識が、白く弾けた。戻ってくることは、許されなかった。連続して振り下ろされる鉄の塊に、体から遠く、引き離されていく。

「どうして、アイザック・ライクンの姿を目にしても、感情が爆発しないのか。怒りで、血が沸騰しないのか。教えてあげようか?」

 スズノの声を聞き、鈴乃は目を開いた。体の上に乗り、自由を奪っている者の姿が、アイザックからスズノに変わっていた。周囲の景色に、変化はない。自分の意識が戻っているのか、いないのか。判断がつかなかった。

 黙れ、邪魔だ。そう吐き捨てた。スズノは、傷ついた表情を浮かべた。唇を尖らせて、寂しそうに呟く。

「知りたいくせに」

「知りたくない」

「嘘つき!」

 スズノの左手が降ってきた。右肩を緩衝材に使い、直撃を避ける。それでも拳に額を捉えられ、意識が飛びそうになった。下半身を捻り、スズノの体との間に、膝を捩じ込んだ。左手でスズノの顎を突き上げ、さらに距離を広げる。数十センチ。脚を伸ばしきるのにも、足りない距離だ。だが、ないよりはいい。膝を胸につけ、足先を引き寄せる。足の裏で、スズノの胸を捉える。間は、置かなかった。スズノの体を、蹴り飛ばした。

 スズノの体は、木々の枝影に消えた。葉や枝がぶつかり、静けさに包まれた山の空気を、揺らした。鳥の一群が、無数の羽音を立てて、飛んでいった。

 武器が、必要だった。今の自分に残っているのは、空のマカロフ一丁だけだ。記憶を頼りに草木を掻き分け、来た道を戻った。落としたままになっていた、松葉杖型ショットガン(クレッシェンド)を拾う。満身創痍の今の体には、少々重たい武器だが、丸腰でアイザックを待つわけにもいかない。

 察知した気配に、躊躇なくショットガンを撃った。いたのは、スズノだった。散弾は彼女の体を素通りして、その向こうにある大木の幹を抉った。スズノは後ろ手に手を組み、無残な姿になった大木を振り返った。甲高い、笑い声を上げる。

「こわぁーい」

 散弾を連ねた。砕けるのは大木の幹だけで、幼い頃の自分の表情が、苦痛に歪むことはなかった。自分が物理的に破壊されないことを確認し、勝ち誇ったように、笑い続けていた。空になったクレッシェンドを捨て、デクレッシェンドに持ち替える。

「正直」アイザックが言った。数歩先の木の陰から、その姿を現す。「見くびっていたよ。あれだけ、罠(トラップ)を重ねれば、勝負は一瞬でつくと思っていた」

「あたしも少し、そう思ったわ」

 アイザックの口許が歪んだ。

「謙虚だね」

 アイザックの体が跳ねた。右ストレート。松葉杖の骨で受けた。左フック。いや、もうその呼び方は正しくない。ただ、手の形をした鉄の塊が、振り回されているだけなのだから。体を捻って、それをかわした。中段蹴り。脇腹に食らった。釘が突き刺さる。一、二。松葉杖を振る。速度は出なかった。後方へと跳んだアイザックに、楽々とかわされた。ショットガンを撃った。さらに、アイザックの姿が遠ざかった。

 ブービートラップに利用され、大きな穴が開いた、テンガロンハットを見つけ、拾った。頭頂部を覆う部分がないので、まるでシャンプーハットだった。

「またまた、無理しちゃって。そんなもの、本当はどうでもいいくせに」

 スズノの声がした。姿は見えない。

 鈴乃は地を蹴り、木と木を交互に跳躍し、他の木から頭一つ抜け出した巨木の頂に立った。遮るものがなくなり、猛然と降り注ぐ陽光に、目を細める。空が近い。透き通るような青色を、手に摑むことができそうだった。強風に飛ばされそうになったテンガロンハットを、押さえる。

 兄が肌身離さず、いつもかぶっていたテンガロンハット。それを取り戻すために、ここまで来た。そう思っていた。だが、テンガロンハットを頭に乗せても、何の感慨も生じなかった。もし、手を離して、テンガロンハットが風に吹き飛ばされてしまっても、追いかけはしないだろう。

「物理的な距離を取ったって、駄目だよ。浅はかね」

 スズノが後ろにいた。振り向き、デクレッシェンドで殴り飛ばそうとした。が、振り向いた先に、スズノはいなかった。背中で、また彼女の声がした。

「いつまで、そうやって逃げ回るつもり?」スズノが言った。「分かってるの? あなたは、あたしから逃げることなんて、できないのよ。ただあたしが、あなたのことを見逃してあげてるだけ。モラトリアムをあげてるのよ。でも、もう限界」

 アイザック。肩からの突進。デクレッシェンドで受け流した。跳躍し、アイザックを追いかける。散弾を放った。当たらない。回し蹴り。左膝で受けた。衝撃が、折れた骨に伝わり、激痛が生まれる。体が軋み、硬直した。アイザックの、右と左のコンビネーション。防御できたのは数発だけだった。こめかみ、顎、胸、腹。いくつも受けて、吹っ飛ぶ。視界の中で空の青色が流れて消える。林の中へ。枝、幹。体が弾み、方向を失った。

「あたしは」スズノが言った。側にある木の枝の上で、両膝を胸につけて、かがんでいた。頬杖を突くようにして、手のひらを頬に当てている。「あなたは。羽継に犯されたのよ」

 違う! 叫んでいた。直後、衝撃。アイザックの足に、腹を捉えられていた。釘が、奥深くまで突き刺さるのが分かる。木に背中から衝突。胃から込み上げてきたものがあった。咳とともに、それを吐き出す。血。デクレッシェンドを振った。鉄製の松葉杖型ショットガンは、重すぎた。速度が出ず、アイザックの体を捉えることはできなかった。アイザックの姿が、木々の中に消える。鈴乃は、枝に体を絡め、地面に落ちるのを防いだ。

 同じ枝の上に、スズノも座っていた。鼻歌を歌いながら、足をぶらぶらさせている。

「なら、説明してよ」スズノは言った。「あの日、あなたはどうして羽継とセックスをしたの?」

「互いに、愛し合っていたからよ」

「なら、どうして羽継は、黙ってベッドに入ってきたの? 手のひらで口を覆って、騒がないようにしたの?」

 デクレッシェンドで、枝先の、スズノが座っていた部分を破壊した。スズノのくすくすと笑う声は、背後に移動しただけで、消えることはなかった。

「無駄だって、言ってるのに。可愛いのね、鈴乃」

 声をデクレッシェンドで薙いだ。感情に任せて、無理な姿勢で動いた。崩れた体のバランスを、取り戻すことができなかった。枝から落ち、地面に衝突した。スズノの姿は消えない。

「ねえ、答えてくれないの?」

「そんな、細々としたことまで、覚えてないわ。昔のことだもの」

「嘘ばっかり! 覚えてないんじゃないでしょ。切り捨てたからよ。羽継に犯されたあたしのことを。まるで、別の人間のことのように扱って」

「そんなこと、してない」

「嘘つきは、嫌いよ!」

 スズノの両手が、首に伸びた。逃れられなかった。首を、締め上げられていた。抵抗しようにも、手は空を掻くだけ。途切れた酸素供給に、耐えられる力は残っていなかった。視界に、黒い幕が落ちた。

つづく




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posted by 城 一 at 15:54| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第172回(3版)


この時間が、たまらなく好きなんだ。


 火の粉が、散った。

 磐井が、蹴り飛ばしたのだ。煙の元を。

 くべられていたのは、厚手のダウンジャケット。小型のテント。寝袋。その他、キャンプに必要なものが一式。

 暖を取るために、火にくべるものではなかった。目につくくらいに、煙を大きくするため、ありったけのものを、火の中に投じたのだろう。

 煙は、囮。そう見て、間違いなさそうだった。

 磐井は、苛立たしげな口調で、携帯電話に向かって話していた。電話の相手は、シド。上がっていた煙が、陽動だったことを、報告していた。

 大きなエゾマツの下。鈴乃は、周囲を視線で探っていた。煙が囮ならば、アイザックはここにはいない。だが、奴のいた痕跡を探れば、頭の中がどのように動いているのか、推測できるかもしれない。踏み倒された草木。排泄の跡、そして量。イメージをすれば、ここで生活していたアイザックの姿が、瞼の裏に浮かんでくる。時間は掛けられないが、やる価値はある。

 作業は、磐井にもやらせた。命令するような口調に、不満そうな表情を浮かべてはいたが、アイザックの思考回路を探る必要性は、理解したらしい。おとなしく、辺りの様子を調べていた。

 エゾマツの陰に、血のにおいを見つけた。警戒の必要があるとは、思わなかった。においの中に、獣特有の、生臭さを感じたからだ。

 巨木の裏側で死んでいたのは、子鹿だった。全身を、釘で滅多打ちにされていた。肉を削がれた形跡はない。食すために、殺したのではないのだ。愉悦のために、ただ殺した。そういう死骸だった。

 胃が、悲鳴を上げた。鈴乃は吐いた。

 死骸が有する、グロテスクさに“あてられた”のではない。そんなものにはもう、慣れている。死がもたらすグロテスクは、常に、身近なところにある。殺し屋というのは、そういう仕事だ。

 ならば、なぜ。答えを見つけるのは、さして難しいことではなかった。羽継が、死んだときのことを。そして、その死体の様を、鮮明なまでに思い出したからだ。釘で滅多打ちにされた、肉塊。腐臭。死を示す、あらゆる事象に押しつけられた、孤独を。喪失感を。

「お兄ちゃん」

 兄妹。血の繋がりを持たない、仮初めの絆。孤児院にいた、まだ子どもの時分。肉親がいない寂しさを紛らわすために、その絆を作った。子ども同士のプロポーズにも似た、稚拙さだ。自分でも、そう思う。だがそれに、今まで何度も救われてきた。

 それを失う悲しみを、なぜ何度も味わわなければならない?

「どうかしたのか?」

 磐井が、隣にいた。その胸に、頭を預けたくなるのを、どうにかこらえた。

「何でもないわ」

「また、シドさんと喧嘩したんだろ」

「なぜ」

「それくらい、あんたの顔を見りゃ分かる」

「そう?」

「そうさ」

 周囲を見回していた、磐井の視線が、止まった。テンガロンハットを見つけたのだ。腰を掛けるのに、ちょうどいい形と大きさをした、岩の上。帽子をかぶった岩が、こちらを見つめている。そんな印象だった。

「お探しの、アイザックの残した痕跡が、あったぜ」

 駆け出したくなる衝動を、抑えた。テンガロンハットは、羽継がかぶっていたものだ。死んでしまった兄のために、できること。彼が生前大切にしていた、テンガロンハットを取り戻すこと。そう考えていた。それが、叶おうとしているのだ。

 帽子に、手を掛けようとしている磐井に、待って、と声を掛けた。磐井の顔に、訝しげな表情が浮かんだ。

「何だよ。イチャモン付ける気か? 何が気に食わねえんだ」

 説明ができなかった。磐井が納得しそうな理屈も、浮かばない。だが、テンガロンハットの収まった景色は、綺麗すぎた。誘惑を感じた。

 煙を大きくするために、ありったけのものを燃やした。アイザックの行動を、そう考えるのならば。なぜ、こうして、テンガロンハットが残っている?

 偶然。そう片付けるのは、簡単だ。帽子に手を掛けようとしている磐井を、そのまま見送るのも。

 だから、そうしなかった。

 跳んだ。

 磐井の胸に肩から突っ込んだ。そのまま体を抱きかかえる。勢いは、足りている。テンガロンハットが視界の中で遠ざかった。だが、わずかに持ち上がっていた。つばに、磐井の指先が、掛かっていたのだ。岩を離れた帽子の陰に、見えたものがあった。ワイヤー。そして、手榴弾。

 ブービートラップ。

 爆発。吹っ飛び、磐井の体とともに、地を滑った。左脚に、激痛が走った。爆発に、最も近かった場所だ。ギプスが、粉々に砕けていた。鉄でも仕込んだかのように、重たかった。動かそうとすると、脚の内側で、痛みが弾ける。

「何やってんだ」磐井が言った。「何でかばった」

「知らないわ」

 体に、影が落ちていた。一拍置いて、殺気。察知するのが遅れた。かざした右腕に、釘。走るようにして、打ち込まれる。痛みが、鈴乃の腕を、まるでピアノの鍵盤かのように、叩いた。

 拳。首をそらしてかわした。銃口。手で払った。手のひら大のリボルバーだった。銃弾はこめかみをかすめて土をえぐった。銃声で、鼓膜が痺れた。

 吐息が届きそうな所に、瑞々しい青色をたたえた瞳があった。アイザック・ライクン。やっと、見つけた。

 腹に肘が入った。息が詰まる。拳を振って試みた反撃は、アイザックを捉えることができなかった。敵の体を打ち据えた感触の代わりに、腕にはまた、アイザックの置き土産。釘。

 アイザックは、地面にした一蹴りで、エゾマツの枝の上まで、跳躍していた。その口許では、真っ白な歯が光を放っていた。微笑。命のやり取りを、愉しんでいるのだ。それとも、一方的な命の略奪だとでも、思っているのだろうか。珍しいとは、思わなかった。“殺し屋”という生業に身を投じる人間に囲まれて、ここまできた。命というものに対する姿勢は、十人十色。真正面から向き合うということを知らない者は、いくらでもいる。

 アイザックの姿が消えた。息を潜めて、五感に神経を集中させる。空気が。においが。衣擦れの音が。敵の動きを知らせた。後方、左上。感覚は、追いついていた。邪魔をしたのは、左脚だ。言うことを聞かなかった。足先が痺れ、感覚がなくなり始めていた。アイザックの掌底を、掌底で受けた。冷たい感触がした。体温が通っていないのだ。釘が、手のひらを貫いていた。

「この時間が、たまらなく好きなんだ」アイザックが言った。手のひらに付着した鈴乃の血を、唾液で伸ばし、指先とともに、前髪を梳き上げる。リーゼントと、オールバック。その中間のような髪型が、出来上がった。持ち上がった前髪の下で、瞳が輝きを増した。「“命”が詰まった、肉体ってヤツにさ。こうして、釘を打ち込んでいく時間がさ。体は、空気で膨らんだ風船とは違うんだ。“パンッ!”なんて、弾けたりはしない。でも、確かに終わりは、存在して。釘を一つ打ち込む度に、確実に、それに近付いてるんだ」

 鈴乃は、手のひらに刺さった釘を抜いた。

 左手に、マカロフを握った。釘で貫かれた右手が、使いものになるかどうかは、自信がなかった。手首から肘も、釘だらけなのだ。心許ない握力に銃を任せて、不注意で失うことは、したくない。

 アイザックとは、数メートル、離れていた。地を蹴り、跳んだ。左脚の重さが、先ほどよりも遥かに増していた。理想の三分の二しか跳べなかった。動揺が、顔に出ていないことを祈った。

 銃(マカロフ)の引き金を引く。弾は当たらない。だが、それでいい。必要なのは、撃つことだ。発射された銃弾の宙に描いた線が、アイザックの動きを限定していた。腕、頭部、肩、上半身。足、太腿、下半身。アイザックの体が、わずかに地を離れた。動かせない一点。腰。目で捉えるよりも先に、感じていた。前蹴り。アイザックの体が、吹っ飛んだ。

 側にあった木に、体を寄せた。左足を拳で叩き、激痛で感覚を呼び戻す。磐井が来た。

「ネコ」

「時間を稼ぐわ。みんなの所へ行って」

「ふざけんな! てめえなんかに、格好つけられてたまるかよ!」

 体が、勝手に動いていた。キス。それ以上の磐井の言葉を、唇で奪った。磐井が、目を丸くする。自分も、同じ気持ちだった。

「何を」

「行って」

 もっと、言葉が必要なのは分かっていた。だが、時間がなかった。アイザックが、立ち上がり、態勢を立て直していた。

 マカロフの弾倉を、新しいものに換えた。わざと、痛む左足で、地を蹴った。自分を鼓舞するために。見え始めている、敗北と死に、足がすくんでしまわないように。

つづく




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posted by 城 一 at 20:00| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

ブログ小説 焔-HOMURA-[integral] 第171回


賭けてもいい。罠ですよ。


 西の空に、一筋の煙を見つけた。

 リヴァが、山中にキャンプの痕跡を発見してから、二日が経っていた。

 煙は、ごく細いものだった。火事と言うほどの規模では、決してない。誰かが暖を取るために、焚き火をしている。せいぜい、その程度のものだった。肝心の、その“誰か”が、アイザック・ライクンなのか。それとも、全く別の人間なのか。確かめるために、鈴乃は、アトリエを出た。

 早朝だった。夜はまだ、明けたばかりだ。冷気を含んだ、夜の残り香は、まだ辺りに漂っている。太陽が地平線を離れてから、いくらも経っていない。

 汚れた窓がなくなり、明瞭になった視界の中で、煙との距離を計った。徒歩で、三十分。鈴乃は、そう読んだ。松葉杖を突きながらならば、もっと掛かるだろう。

 誰も気付いていない。そう思ったが、違った。

「どこに行くつもりだ?」

 数歩進んだ先で、そう声を掛けられた。磐井だった。煙には、気付いていないようだった。気配を殺してアトリエを出たことが、逆に、磐井の気を引いてしまったのだ。

 隠す理由はなかった。煙について、手短に話して聞かせた。思った通り、磐井は、煙の存在に気付いていなかった。雲で白く染まった空に目を凝らして、ようやく煙を見つけ、小さく感嘆の声を漏らしていた。

 アイザックを迎え撃つための布陣は、一新していた。ツガ組から来ている応援を含めた十二人を、六人ずつの二チームに分け、三時間交代でアトリエの外周を見張った。夜間は、間隔を六時間にした。そうしなければ、睡眠時間が細切れになってしまう。

 眠りをケアした時間割りを提案したのは、鈴乃だ。だがそれを、自分が一番、有効に活用できていなかった。煙を見つけられたのは、そのためでもある。ひたすら窓の外を眺めて、眠れぬ夜を過ごしていたのだ。

 睡魔が寄りつかないのは、頬が持っている熱が原因のようだった。シドに、平手を食らった場所だ。もちろん、十分に時間は経過している。痛みも、腫れも、とうに治まっていた。それでも時折、頬が熱を持つのは、蘇るからだ。シドに叩かれたときの感情が。

 ログハウスから、数メートル離れた所に、ダンクがいた。水の入った二リットル入りのペットボトルを十本、ビニールテープでまとめたものを、左右の手それぞれに持ち、肘から先を上げ下げしていた。筋力トレーニングだ。が、瞼は八割がたが下に落ち、頭はがくんがくんと揺れていた。努力は認めるが、お世辞にも、起きて見張りをしているとは言い難かった。

 鼻っ柱に一つ。拳を叩き込んだ。

「誰だ! 敵か!? どこだ! 何だ!?」

 ペットボトルで作ったダンベルを構え、ダンクが叫んだ。その頭を、磐井が叩く。

「だったら死んでるよ、お前。他の連中のためだけじゃねえ。お前自身のためでもあるんだ。気ぃ入れて見張れや」

「当ったり前だ!」

 ダンクは背筋を伸ばし、声を張り上げた。持って、せいぜい三十分が限度だろう。強く責めることはできなかった。一人での見張りは、孤独だ。たとえ、側に仲間がいるのだとしても。

 時刻は、午前四時を回ったところ。今、見張りを担当しているのは、リヴァたちに、ツガの応援三人をプラスしたチームだった。交代まではまだ、二時間近くが残っていた。

「それで? ダンクが訊かないからって、説明もなしに行くつもりですか?」

 バーバーだった。だが、分からなかった。人手が六人あるとは言え、ログハウスの外周は広い。バランスよく配置したのならば、これほど早く、他の人間が担当する場所で起きた異変に、気付けるはずがないのだ。

「感心しないわね。自分のやるべきことを棚に上げて、異変を見つけたら、英雄(ヒーロー)気取り。あたしたちは、朝の散歩に行くところよ。持ち場に戻りなさい」

「ご心配なく。僕の持ち場は、ここから五十メートルの所だし、ダンクが“おねむ”のときは、ここも僕の持ち場になるんです」

「一人で、二人分を?」

「ときどき、三人分を」バーバーは微笑んだ。リヴァのフォローも行っているのだ。「その代わり、腕力や暴力方面のことは、助けてもらってます」

 苦手な分野では、遠慮なく助けをもらい、得意な分野は、他の者の分まで動く。効率の良さが分かってはいても、なかなか実行に移すのが難しいやり方だ。それが、平然とできている。バーバーたちの強さというものを垣間見た気が、鈴乃はした。

 鈴乃は、隙間なく肩を寄せるようにして立つ、木々の向こうに見える煙を指差した。

「あれの、確認よ」

 バーバーは、自身の表情に影を落とした。煙の存在に、気付いていたのだ。

「あれですか」バーバーは、煙の方角を見上げた。「ここまで、うまく身を潜めていたアイザックが、こんな尻尾の出し方をしますか? 僕は、そうは思わない。距離も、時間稼ぎには十分。賭けてもいい。罠ですよ」

「その可能性は、承知の上よ」

 それでも、行かなければならない。アイザックがそこに存在する可能性が、わずかでもある限り。そうでなければ、自分は何のために、ここにいると言うのだ。

「もし、煙が囮なら。本命は、逆サイドかな?」バーバーが言った。

「どこが本命にしろ、それぞれが、それぞれの場所でベストを尽くすことが肝要よ。そこの馬鹿にも、きつく言っておきなさい」

 鈴乃は、ダンクを示して、言った。ダンクは再び夢の中にいて、頭を激しく上下させながら、筋力トレーニングに励んでいた。鼻提灯を作っていないことだけが、救いだった。

「あれが、ダンクのベストなんですよ」

「とんだベストだこと」

 煙のことを皆に伝え、警戒態勢を取らせるのは、バーバーに任せた。ただ、話をしているだけでも、時間は過ぎていく。もたもたしている暇はなかった。煙がいつまであるか、分からないのだ。消えてしまえば、水の泡だ。

 鈴乃は、山中に足を踏み入れた。

 磐井が帰る気配なかった。何を考えているのだろう。鈴乃は思った。嫌いな人間と行動をともにするなど、苦痛でしかないはずなのに。

つづく




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posted by 城 一 at 01:02| 長編小説 焔-HOMURA-[integral] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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